見付地区・現存
金剛寺
こんごうじ
金剛寺(こんごうじ)は、磐田市見付にある曹洞宗の寺院です。山号は今浦山。『静岡県磐田郡誌』によれば本尊は釈迦牟尼如来で、寺伝ではもと真言宗の寺でしたが、文禄2年(1593年)に開山を迎えて曹洞宗に改まったと伝わります。幕末の侠客大和田友蔵の墓があると伝えられ、毎月の坐禅会を続ける、旧東海道見付宿の記憶を伝える寺です。
別称・関連名称今浦山
- 寺院名
- 金剛寺
- 地区
- 見付
- 住所
- 静岡県磐田市見付2749番地の1
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 金剛寺
- 読み方
- こんごうじ
- 地区
- 見付
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 調査中・加筆待ち
- ご本尊の現在の確認状況
- 未確認
- 住所
- 静岡県磐田市見付2749番地の1
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 1件の年中行事・法要情報を掲載
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 大和田友蔵の墓(伝)/本堂と境内の現況
- 最終確認日
- 2026.07.12
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 金剛寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 未確認
- 創建
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市見付2749番地の1
- 地区
- 見付
Database 02
沿革
『静岡県磐田郡誌』にみる由緒と改宗の伝承
『静岡県磐田郡誌』(1921年)の曹洞宗寺院の由緒には、金剛寺は「見付町字南小路に在り。今浦山と稱す」とあり、周智郡久努西村の海蔵寺の末寺で、本尊は釈迦牟尼如来と記されています。寺伝によれば、古くは真言宗の寺でしたが、文禄2年(1593年)に海蔵寺10世の盛韵存翕を開山に請じて曹洞宗に改宗したといいます。文禄2年(1593年)は豊臣秀吉の時代で、遠江の村々に曹洞宗が広がっていった時期にあたります。同誌の曹洞宗寺院一覧表には、見付町の金剛寺は「三等法地」の寺格と記載されています。一方、民間の寺院訪問記録は応永31年(1424年)の開創、1610年代の再興と紹介しており、真言宗の寺としての草創がより古くさかのぼる可能性も考えられますが、両者の関係を確かめられる資料は現時点では確認できていません。
末寺をもつ見付の禅寺
『静岡県磐田郡誌』の井通村の興徳寺の由緒には、同寺が「見付町金剛寺の末寺」であること、建久年間の草創でもとは岡本山弘徳寺と号する真言宗の寺であったこと、慶長4年(1599年)3月9日に金剛寺第2世によって山号寺号を長松山興徳寺と改め、法地格となったことが記されています。文禄2年(1593年)の改宗開山からわずか6年後に第2世が末寺の改宗・改称を行っていることになり、この時期の金剛寺が、周辺の旧真言宗寺院を曹洞宗へ導く拠点の役割を担っていたことがうかがえます。
明治の金剛寺 学校と報徳運動の舞台
『静岡県磐田郡誌』の教育の章には、明治期の見付尋常小学校の校舎が手狭になった際、大見寺に収容していた生徒を金剛寺の一部に移したこと、明治29年(1896年)12月に見付町字鐘鋳塚に新築中の校舎へ宣光寺と金剛寺に収容していた生徒を移したこと、幼稚園も金剛寺を仮の園舎として使ったのち新築校舎へ移転したことが記されています。また同誌には、明治15年(1882年)11月から伊藤七郎平の主催で報徳研究会が見付町金剛寺で開かれ、二宮尊徳先生の命日である20日を会日として講話が続けられたことも記されています。明治の見付の教育と報徳運動を支えた場所のひとつが、この金剛寺でした。
大和田友蔵の墓の伝承
民間の寺院訪問記録によれば、境内には幕末の侠客で、清水次郎長の兄貴分であったとされる大和田友蔵の墓があると紹介されています。大和田友蔵は見付を本拠とした親分と伝えられ、資料によっては山田友蔵と表記されることもあります。東海道の宿場町であった見付には、旅人や博徒が行き交った街道の時代の記憶が残されており、この墓の伝承もそうした宿場文化の一端を伝えるものといえます。ただし墓碑の実在と人物の事績については、郷土資料での裏付けが取れていないため、伝承として記載するにとどめます。
現代の金剛寺と坐禅会
金剛寺は、寺院公式のFacebookページとInstagramアカウント(@kongoji_iwata)を通じて「磐田市 曹洞宗 金剛寺」として活動を発信しています。公式Instagramのプロフィールには「毎月坐禅会をおこなっています」と記され、只管打坐を宗旨の中心とする曹洞宗の寺として、坐禅の実践を地域に開いていることが分かります。明治期に学び舎や報徳の講話の場となった歴史と重ねてみると、寺を人の集まる場として開くこの寺の気風は、今も受け継がれているといえます。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 未確認
- 宗教的意味
- 金剛寺は道元禅師・瑩山禅師を両祖と仰ぐ曹洞宗に属し、『静岡県磐田郡誌』は本尊を釈迦牟尼如来と記しています。寺伝にいう文禄2年(1593年)の改宗以来、430年余りにわたり禅の法灯を伝えてきました。公式Instagramに記される月例坐禅会は、只管打坐という曹洞宗の教えの中心をそのまま地域で実践するものです。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
大和田友蔵の墓(伝)
幕末の侠客で清水次郎長の兄貴分とされる大和田友蔵の墓が境内にあると、民間の寺院訪問記録で紹介されています。東海道見付宿の街道文化を伝える人物伝承ですが、墓碑の実在と人物の事績は郷土資料で裏付けが取れておらず、確認調査が望まれます。
本堂と境内の現況
現地写真により、見付の市街地の中に本堂と境内が保たれていることが確認できます。郡誌が記す「字南小路」という旧字名は、見付宿の「十七小路」と呼ばれた小路の町割りを今に伝えるものです。堂宇の建立年代や境内の石造物の詳細は、現時点では資料で確認できていません。
Database 06
年中法要
- 月例坐禅会毎月
寺院公式Instagramのプロフィールに「毎月坐禅会をおこなっています」と記載
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
金剛寺のある見付は、奈良時代に遠江国府と遠江国分寺が置かれた遠江国の中心地で、江戸時代には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿として栄えました。東海道屈指の規模を誇った宿場町には「十七小路」と呼ばれる小路が延び、金剛寺の旧所在地表記「字南小路」もそのひとつを伝えています。大和田友蔵の墓の伝承は、旅人や博徒までもが行き交った街道の町の記憶と重なるものです。
明治8年(1875年)には見付の町に旧見付学校(国指定史跡・現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎)が落成しました。学校教育の草創期には金剛寺も生徒の仮教場や幼稚園の仮園舎となり、報徳研究会の講話の場ともなって、見付の学びを支えました。磐田市は現在も見付本通線沿線で歴史の趣が感じられる街並みづくりを支援しており、金剛寺は毎月の坐禅会を通じて、宿場町以来の暮らしの記憶と現代の営みが重なる場所であり続けています。寺が学びと修行の場を兼ねてきた歩みは、檀家と地域の接点を考えるうえでも大切です。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9123
- 民間二次情報金剛寺(静岡県磐田市): お寺の風景と陶芸
山号今浦山・曹洞宗・本尊釈迦牟尼仏・1424年開創・1610年代再興・大和田友蔵(清水次郎長の兄貴分とされる侠客)の墓・所在地見付2749-1という紹介を確認(個人ブログの訪問記のため断定根拠とはしない)。
- 民間二次情報今浦山 金剛寺 - 磐田市/静岡県 | Omairi
検索結果のページタイトルで「今浦山 金剛寺」の山号表記を確認(複数の民間サイトで山号が一致)。
- 寺院公式情報磐田市 曹洞宗 金剛寺 | Facebook
寺院がFacebookで公式に情報発信していることを確認(本文の詳細は未取得)。
- 民間二次情報全都道府県の寺院・仏閣検索(磐田市119カ寺一覧)
曹洞宗・磐田市見付2749番地の1として掲載を確認。
- 寺院公式情報磐田市 金剛寺 公式Instagramアカウント(@kongoji_iwata)
磐田市見付の曹洞宗寺院であることを住所・宗派の記載で確認。月例坐禅会の実施を確認
- 宗派公式資料金剛寺 - 曹洞禅ナビ寺院検索
名称欄に山号「今浦山」が明記され「今浦山 金剛寺」と表記(既存aliasesの今浦山と一致・裏付け)。住所は磐田市見付2749-1で一致。活動・イベント欄に坐禅・写経・ご詠歌・法話会等のカテゴリ項目はあるが、いずれも本文は「詳細については、お問い合わせください」の定型文のみで実質的な由緒・本尊情報なし。
最終更新日 2026.07.19
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この寺院について
金剛寺は磐田市見付2749番地の1に所在する曹洞宗の寺院です。静岡県知事所轄宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人(系統は仏教、包括団体は曹洞宗)として掲載され、曹洞宗の公式ポータル「曹洞禅ナビ」には名称欄に山号を冠した「今浦山 金剛寺」として登録されています。旧東海道の宿場町として栄えた見付の市街地に位置します。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』の由緒によれば、金剛寺は見付町字南小路にあり、今浦山と称し、本尊は釈迦牟尼如来です。寺伝として、古くは真言宗の寺であったものが、文禄2年(1593年)に海蔵寺10世の僧を開山に請じて曹洞宗に改宗したと記されています。民間の寺院訪問記録には応永31年(1424年)開創・1610年代再興と紹介するものもあり、草創と改宗の年代については資料により伝えが分かれています。
現在の金剛寺は、FacebookとInstagramで「磐田市 曹洞宗 金剛寺」として情報発信を行い、公式Instagramのプロフィールには毎月坐禅会を行っていることが記されています。禅の実践を軸に、檀家だけでなく地域の人々にも門戸を開いている寺です。
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歴史と背景
『静岡県磐田郡誌』にみる由緒と改宗の伝承
『静岡県磐田郡誌』(1921年)の曹洞宗寺院の由緒には、金剛寺は「見付町字南小路に在り。今浦山と稱す」とあり、周智郡久努西村の海蔵寺の末寺で、本尊は釈迦牟尼如来と記されています。寺伝によれば、古くは真言宗の寺でしたが、文禄2年(1593年)に海蔵寺10世の盛韵存翕を開山に請じて曹洞宗に改宗したといいます。文禄2年(1593年)は豊臣秀吉の時代で、遠江の村々に曹洞宗が広がっていった時期にあたります。同誌の曹洞宗寺院一覧表には、見付町の金剛寺は「三等法地」の寺格と記載されています。一方、民間の寺院訪問記録は応永31年(1424年)の開創、1610年代の再興と紹介しており、真言宗の寺としての草創がより古くさかのぼる可能性も考えられますが、両者の関係を確かめられる資料は現時点では確認できていません。
末寺をもつ見付の禅寺
『静岡県磐田郡誌』の井通村の興徳寺の由緒には、同寺が「見付町金剛寺の末寺」であること、建久年間の草創でもとは岡本山弘徳寺と号する真言宗の寺であったこと、慶長4年(1599年)3月9日に金剛寺第2世によって山号寺号を長松山興徳寺と改め、法地格となったことが記されています。文禄2年(1593年)の改宗開山からわずか6年後に第2世が末寺の改宗・改称を行っていることになり、この時期の金剛寺が、周辺の旧真言宗寺院を曹洞宗へ導く拠点の役割を担っていたことがうかがえます。
明治の金剛寺 学校と報徳運動の舞台
『静岡県磐田郡誌』の教育の章には、明治期の見付尋常小学校の校舎が手狭になった際、大見寺に収容していた生徒を金剛寺の一部に移したこと、明治29年(1896年)12月に見付町字鐘鋳塚に新築中の校舎へ宣光寺と金剛寺に収容していた生徒を移したこと、幼稚園も金剛寺を仮の園舎として使ったのち新築校舎へ移転したことが記されています。また同誌には、明治15年(1882年)11月から伊藤七郎平の主催で報徳研究会が見付町金剛寺で開かれ、二宮尊徳先生の命日である20日を会日として講話が続けられたことも記されています。明治の見付の教育と報徳運動を支えた場所のひとつが、この金剛寺でした。
大和田友蔵の墓の伝承
民間の寺院訪問記録によれば、境内には幕末の侠客で、清水次郎長の兄貴分であったとされる大和田友蔵の墓があると紹介されています。大和田友蔵は見付を本拠とした親分と伝えられ、資料によっては山田友蔵と表記されることもあります。東海道の宿場町であった見付には、旅人や博徒が行き交った街道の時代の記憶が残されており、この墓の伝承もそうした宿場文化の一端を伝えるものといえます。ただし墓碑の実在と人物の事績については、郷土資料での裏付けが取れていないため、伝承として記載するにとどめます。
現代の金剛寺と坐禅会
金剛寺は、寺院公式のFacebookページとInstagramアカウント(@kongoji_iwata)を通じて「磐田市 曹洞宗 金剛寺」として活動を発信しています。公式Instagramのプロフィールには「毎月坐禅会をおこなっています」と記され、只管打坐を宗旨の中心とする曹洞宗の寺として、坐禅の実践を地域に開いていることが分かります。明治期に学び舎や報徳の講話の場となった歴史と重ねてみると、寺を人の集まる場として開くこの寺の気風は、今も受け継がれているといえます。
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文化財・見どころ
大和田友蔵の墓(伝)
幕末の侠客で清水次郎長の兄貴分とされる大和田友蔵の墓が境内にあると、民間の寺院訪問記録で紹介されています。東海道見付宿の街道文化を伝える人物伝承ですが、墓碑の実在と人物の事績は郷土資料で裏付けが取れておらず、確認調査が望まれます。
本堂と境内の現況
現地写真により、見付の市街地の中に本堂と境内が保たれていることが確認できます。郡誌が記す「字南小路」という旧字名は、見付宿の「十七小路」と呼ばれた小路の町割りを今に伝えるものです。堂宇の建立年代や境内の石造物の詳細は、現時点では資料で確認できていません。
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宗派と本尊を知る
金剛寺は道元禅師・瑩山禅師を両祖と仰ぐ曹洞宗に属し、『静岡県磐田郡誌』は本尊を釈迦牟尼如来と記しています。寺伝にいう文禄2年(1593年)の改宗以来、430年余りにわたり禅の法灯を伝えてきました。公式Instagramに記される月例坐禅会は、只管打坐という曹洞宗の教えの中心をそのまま地域で実践するものです。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
釈迦如来という仏さま
釈迦如来は、およそ2500年前にインドで実在した仏教の開祖、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)を仏として表したものです。ルンビニーの園で誕生し、29歳で出家、6年の苦行ののち菩提樹の下の坐禅で悟りを開き、80歳でクシナガラの地において入滅したと伝えられています。
誕生の際に唱えたと伝わる「天上天下唯我独尊」の言葉は、誰もがかけがえのない命を生きているという人間尊重の心を表すと受け止められています。坐禅の教えを受け継ぐ曹洞宗をはじめ、禅宗の寺院では釈迦牟尼仏を本尊と仰ぎます。誕生を祝う4月8日の降誕会(花まつり)には誕生仏に甘茶を注ぎ、悟りを開いた12月8日の成道会、入滅の日である2月15日の涅槃会と合わせて、三仏忌として特に大切に営まれてきました。
花まつりは子どもの健やかな成長を願う行事として地域の寺院でも親しまれています。本尊のお釈迦さまに手を合わせることは、すべての命が尊いというその教えに立ち返り、自らの生き方を見つめ直すことでもあります。
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地域とのつながり
金剛寺のある見付は、奈良時代に遠江国府と遠江国分寺が置かれた遠江国の中心地で、江戸時代には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿として栄えました。東海道屈指の規模を誇った宿場町には「十七小路」と呼ばれる小路が延び、金剛寺の旧所在地表記「字南小路」もそのひとつを伝えています。大和田友蔵の墓の伝承は、旅人や博徒までもが行き交った街道の町の記憶と重なるものです。
明治8年(1875年)には見付の町に旧見付学校(国指定史跡・現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎)が落成しました。学校教育の草創期には金剛寺も生徒の仮教場や幼稚園の仮園舎となり、報徳研究会の講話の場ともなって、見付の学びを支えました。磐田市は現在も見付本通線沿線で歴史の趣が感じられる街並みづくりを支援しており、金剛寺は毎月の坐禅会を通じて、宿場町以来の暮らしの記憶と現代の営みが重なる場所であり続けています。寺が学びと修行の場を兼ねてきた歩みは、檀家と地域の接点を考えるうえでも大切です。
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年中行事・参拝の手引き
年中行事・法要
- 月例坐禅会(毎月)
寺院公式Instagramのプロフィールに「毎月坐禅会をおこなっています」と記載
参拝・法要で訪れる方へ
坐禅会の開催日・参加方法は、寺院公式のInstagram・Facebookの発信を確認するか、寺院へ直接確認してください。
法要・供養やお墓に関する相談窓口は公開資料では確認できていないため、寺院へ直接確認してください。
- 施餓鬼会・彼岸法要など坐禅会以外の年中行事は未確認
- 墓地・永代供養の取扱いは未確認
- 現在の本尊・伽藍の様子(郡誌の記載は1921年時点)は未確認
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 金剛寺の読み方は?
-
「こんごうじ」と読みます。曹洞宗の公式ポータル「曹洞禅ナビ」には山号を冠した「今浦山 金剛寺」として掲載されています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗の寺院で、『静岡県磐田郡誌』は本尊を釈迦牟尼如来と記しています。現在の本尊の様子は確認できていません。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ開かれたお寺ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』の寺伝では、もと真言宗の寺で、文禄2年(1593年)に開山を請じて曹洞宗に改宗したと伝わります。民間の記録には応永31年(1424年)開創とするものもあり、草創年代は資料により伝えが分かれています。
本文「歴史と背景」を読む - 大和田友蔵とは誰ですか?
-
幕末の侠客で、清水次郎長の兄貴分であったと伝えられる人物です。見付を本拠としたとされ、境内に墓があると民間の記録で紹介されていますが、郷土資料での裏付けはこれからの課題です。
本文「文化財・見どころ」を読む - 坐禅会には参加できますか?
-
公式Instagramのプロフィールに毎月坐禅会を行っていると記されています。開催日や参加方法は寺院の発信を確認するか、直接問い合わせてください。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む - 山号「今浦山」は他の寺と同じでは?
-
『静岡県磐田郡誌』では、西貝塚の永福寺も「今浦山」と号すると記されており、同じ山号の寺が近隣に存在します。山号の由来と両寺の関係は確認できていません。
本文「この寺院について」を読む - 明治時代の金剛寺はどんな役割を果たしましたか?
-
『静岡県磐田郡誌』によれば、見付尋常小学校の生徒の仮教場や幼稚園の仮園舎として使われ、明治15年(1882年)からは報徳研究会の講話の場にもなりました。
本文「歴史と背景」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市の宗教法人として「曹洞宗 金剛寺 磐田市見付2749番地の1」の登載を確認。参照行: L9123。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)453〜454コマ「88 金剛寺(見付町)」
国立国会図書館・次世代デジタルライブラリーの全文テキストで由緒を確認。「見付町字南小路に在り。今浦山と稱す」、本尊釈迦牟尼如来、寺伝(もと真言宗・文禄2年に海蔵寺10世を開山に請じ曹洞宗に改宗)の記述を確認
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』418〜419コマ(曹洞宗寺院一覧表)・458コマ(興徳寺の由緒)
一覧表で見付町金剛寺の寺格「三等法地」を確認。興徳寺(井通村)の由緒で「見付町金剛寺の末寺」、慶長4年3月9日に金剛寺第2世が山号寺号を長松山興徳寺と改め法地格とした記述を確認
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』275〜276コマ・286コマ(教育の章)・676コマ(報徳の章)
見付尋常小学校の生徒を金剛寺の一部に収容したこと、明治29年12月に新築校舎へ移したこと、幼稚園が金剛寺を仮借していたこと、明治15年11月から報徳研究会が見付町金剛寺で開かれ二宮尊徳の命日20日を講話の定日としたことを確認
- 宗派公式資料 金剛寺 - 曹洞禅ナビ寺院検索
名称欄に山号「今浦山」が明記され「今浦山 金剛寺」と表記。住所は磐田市見付2749-1で一致。活動・イベント欄に坐禅・写経・ご詠歌・法話会等のカテゴリ項目はあるが由緒・本尊の本文記載なし(過去確認時点。2026年7月19日はサイトにアクセスできず再確認不能)
- 寺院公式情報 磐田市 金剛寺 公式Instagramアカウント(@kongoji_iwata)
磐田市見付の曹洞宗寺院であることを住所・宗派の記載で確認。プロフィールの「毎月坐禅会をおこなっています」の記載を確認
- 寺院公式情報 磐田市 曹洞宗 金剛寺 | Facebook
寺院がFacebookで「磐田市 曹洞宗 金剛寺」として公式に情報発信していることを確認(本文の詳細は未取得)
- 民間二次情報 金剛寺(静岡県磐田市): お寺の風景と陶芸
山号今浦山・曹洞宗・本尊釈迦牟尼仏・1424年開創・1610年代再興・大和田友蔵(清水次郎長の兄貴分とされる侠客)の墓・所在地見付2749-1という紹介を確認(個人ブログの訪問記のため断定根拠とはしない)
- 民間二次情報 今浦山 金剛寺 - 磐田市/静岡県 | Omairi
ページタイトルで「今浦山 金剛寺」の山号表記を確認(複数の民間サイトで山号が一致することの傍証)
- 民間二次情報 全都道府県の寺院・仏閣検索(磐田市119カ寺一覧)
曹洞宗・磐田市見付2749番地の1として掲載を確認
- 地域資料 磐田市観光協会「〜遠江国はじまりの地〜磐田に刻まれた歴史をたどる旅」
見付宿が東海道五十三次の28番目の宿場で東海道屈指の規模を誇ったこと、十七小路の存在を確認
- 行政・公的資料 磐田市公式サイト「磐田市の概要」
奈良時代に遠江国府・遠江国分寺が置かれ、江戸時代に東海道の見付宿として繁栄した見付の歴史的背景を確認
- 行政・文化財情報 磐田市公式サイト「旧見付学校附磐田文庫(旧見付学校)」
明治8年落成・開校、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎、国の史跡指定を確認
- 現地確認 現地写真(2026年撮影)
見付の市街地の中に本堂と境内が保たれていることを現地写真で確認
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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