見付地区・現存

宣光寺

せんこうじ

ページ充実度 充実 最終確認 2026.07.19

宣光寺(せんこうじ)は、磐田市見付の旧東海道見付宿の「地蔵小路」の奥にある曹洞宗の寺院で、山号は珠玉山です。平安時代の木造地蔵菩薩坐像(静岡県指定文化財)を中心とする延命地蔵の信仰で知られ、天正15年(1587年)に徳川家康が施主となって寄進した梵鐘が今も伝わります。遠州三十三観音霊場の第17番札所です。

別称・関連名称珠玉山/身代わり地蔵

寺院名
宣光寺
地区
見付
住所
静岡県磐田市見付1340番地の1
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
宣光寺
読み方
せんこうじ
地区
見付
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
十一面観世音菩薩
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市見付1340番地の1
Googleマップ
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寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
静岡県指定文化財・磐田市指定文化財あり
最終確認日
2026.07.12

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

宣光寺本堂正面
現地写真・本堂・堂宇
宣光寺本堂の「珠玉山」扁額
本堂・堂宇
宣光寺延命地蔵堂正面
その他
宣光寺地蔵堂と幟旗
その他
宣光寺の梵鐘
その他
宣光寺「家康寄進の梵鐘」の碑
その他
宗派曹洞宗
創建・年代調査中
本尊十一面観世音菩薩
墓地調査中
文化財・史跡静岡県指定文化財・磐田市指定文化財あり
所在地見付・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
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院号
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寺号
宣光寺
宗派
曹洞宗
本尊
十一面観世音菩薩
創建
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開山
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開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市見付1340番地の1
地区
見付

Database 02

沿革

創建をめぐる伝え

宣光寺の創建については、資料により伝えが分かれています。遠州三十三観音霊場会のサイトに載る縁起は、寺伝によると慶長元年(1596年)の開創で、豊川の妙厳寺(豊川稲荷)25世・大淵龍堂和尚によって開かれた曹洞宗の寺と記しています。一方、磐田市文化財課設置の境内案内板は創立年を不詳とし、浜松市の普済寺の末寺と記しています。いずれの伝えでも、見付宿の町並みが整えられていく近世初頭までには、地蔵信仰の寺として旧東海道沿いの現在地に伽藍を構えていたとみられます。境内に平安時代の仏像が伝来していることは、この地の信仰の歴史が寺の創建伝承よりさらに古くさかのぼる可能性を示しています。

延命地蔵と地蔵小路

宣光寺の信仰の中心は、地蔵堂に安置される延命地蔵菩薩です。静岡県の文化財資料によれば、県指定文化財の木造地蔵菩薩坐像は像高140.1センチメートルの桧材寄木造で、像内の墨書から永暦元年(1160年)の記録が確認されており、製作年代を明らかにできる平安時代後期の延命地蔵の遺例として貴重とされています。遠州三十三観音霊場会のサイトは、この延命地蔵を日本三大地蔵の1つとされる像と紹介しています。あわせて伝わる木造毘沙門天立像は像高165.5センチメートルの桧材一木割矧造で、邪鬼を踏まえる平安時代後期の天部形像の佳品とされ、地蔵菩薩坐像とともに昭和59年(1984年)11月30日に静岡県指定有形文化財(彫刻)に指定されました。旧東海道から寺へ続く「地蔵小路」の名は、この延命地蔵の信仰が見付宿の暮らしに深く根付いていたことを物語ります。

徳川家康寄進の梵鐘

境内の梵鐘は、天正15年(1587年)に徳川家康が施主となり、宣光寺の地蔵菩薩のために寄進されたものです。浜松市の家康ゆかりの地紹介サイトによれば、鐘の池の間に陰刻された銘文から、家康が施主となって天正15年に宣光寺地蔵菩薩のために寄進したことがわかり、銘文には「豊田郡」の郡名が記され、見付在住の大工が鋳鐘に関わったことも判明しています。当時は家康の中泉御殿が造営されていた時期にあたり、徳川氏の遠江支配との関わりの中で寄進されたと考えられています。磐田市観光協会は、戦国時代に戦死した多くの武将のために、家康の信仰の厚かった延命地蔵菩薩にその冥福を祈って寄進された釣鐘と紹介しています。この梵鐘は磐田市指定有形文化財(工芸品)で、「家康」の刻印があることから戦時中の金属供出を免れて現存すると伝えられます。

江戸期の庶民信仰と学芸

江戸時代の宣光寺には、子どもの健やかな成長を願う信仰と、庶民の学芸の広がりを示す文化財が残されています。磐田市の市指定文化財一覧には、江戸時代の彫刻として子育如来像・子育地蔵菩薩像が掲載されており、遠州三十三観音霊場会のサイトはこれらを木喰上人の作と紹介しています(作者の裏付けは今後の調査課題です)。また、安永5年(1776年)に見付宿の上村和吉が奉納した和算額は、当時としては高度な数学の問題を記した歴史資料として磐田市指定文化財となっています。宿場の住人が算額を寺に奉納したことは、見付宿に和算など学問がひろく浸透していたことを示しています。

観音霊場の札所としての歩み

宣光寺は観音霊場の札所としても歩みを重ねてきました。大正8年(1919年)に開創された磐田郡三十三ヶ所観音霊場では第22番札所とされ、霊場御本尊は十一面観世音菩薩と記録されています。昭和59年(1984年)5月に開創された現行の遠州三十三観音霊場では第17番札所となり、札所本尊は十一面観世音菩薩、御詠歌は「おろかなく こころのたまを みがきなば いつかだいひの ぼだいとぞなる」と定められています。御詠歌に詠み込まれた「こころのたま」は、山号の珠玉山と響き合うものです。地蔵信仰の寺として知られる宣光寺が観音霊場の札所を兼ねてきたことは、この寺が宿場の人々のさまざまな祈りを受け止める場であり続けたことを示しています。

近代の宣光寺と見付の学び舎

明治5年(1872年)に学制が発布されると見付でも小学校開設が進められ、磐田市教育委員会の保存活用計画と文化財だよりによれば、見付学校は明治6年(1873年)8月に宣光寺・省光寺を仮校舎として開校しました。明治7年(1874年)10月に専用校舎の建設へ着手し、明治8年(1875年)8月に現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎(国指定史跡・旧見付学校)が落成するまで、宣光寺が見付の子どもたちの学び舎となったことになります。現代でも、磐田市歴史文書館主催のウォーキングイベント「見付宿を歩こう」(令和7年〈2025年〉10月実施)のコースに、大見寺・旧見付学校・淡海国玉神社・見付宿脇本陣大三河屋門などとともに巡られる史跡の1つとして取り上げられており、見付宿の歴史を伝える寺として親しまれ続けています。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
十一面観世音菩薩
宗教的意味
宣光寺は曹洞宗の寺院で、遠州三十三観音霊場会のサイトに載る縁起は豊川の妙厳寺25世・大淵龍堂和尚の開山と伝え、境内案内板は浜松市の普済寺の末寺と記しています。本尊については案内板が十一面観世音菩薩と記す一方、同霊場第17番札所の札所本尊も十一面観世音菩薩であり、地蔵堂の延命地蔵菩薩への信仰とあわせて、観音と地蔵の2つの信仰がこの寺の歴史を形づくってきました。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

静岡県指定文化財(彫刻)

木造地蔵菩薩坐像

像高140.1センチメートルの桧材寄木造の地蔵菩薩坐像で、像内の墨書から永暦元年(1160年)の記録が確認されています。製作年代を明らかにできる平安時代後期の延命地蔵の遺例として、昭和59年(1984年)11月30日に静岡県指定有形文化財に指定されました。宣光寺の地蔵信仰の中心となってきた仏像です。

静岡県指定文化財(彫刻)

木造毘沙門天立像

像高165.5センチメートルの桧材一木割矧造で、邪鬼を踏まえる姿の平安時代後期の天部形像の佳品とされます。木造地蔵菩薩坐像と同日の昭和59年(1984年)11月30日に静岡県指定有形文化財に指定されました。

磐田市指定文化財(工芸品)

梵鐘

天正15年(1587年)に徳川家康が施主となって宣光寺の地蔵菩薩のために寄進した安土桃山時代の梵鐘です。銘文には「豊田郡」の郡名が記され、鋳造には見付在住の大工が携わったと記録されています。中泉御殿造営期の徳川氏の遠江支配を知る資料とされ、戦時中の金属供出を免れて現存すると伝えられます。

磐田市指定文化財(彫刻)

子育如来像・子育地蔵菩薩像

江戸時代の作とされる子育て信仰の仏像で、磐田市の市指定文化財一覧に見付所在の彫刻として掲載されています。遠州三十三観音霊場会のサイトは木喰上人の作と紹介していますが、作者の裏付けは確認できていません。

磐田市指定文化財(歴史資料)

和算額

安永5年(1776年)8月に見付宿の上村和吉が奉納した和算の算額です。当時としては高度な問題を記しており、見付宿における学問の広がりを伝える歴史資料として磐田市指定文化財となっています。

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

宣光寺のある見付は、奈良時代に遠江国府と遠江国分寺が置かれた遠江国の中心地で、近世には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿として栄えました。見付宿は十七小路をはじめ寺院や神社、史跡、蔵などが点在する東海道屈指の規模の宿場町で、旧東海道から宣光寺へ続く「地蔵小路」もその小路の1つです。地蔵小路の名が延命地蔵の安置に由来すると伝えられるように、宣光寺は宿場の通りと地続きの場所に伽藍を構え、東海道を行き交う旅人と宿場の住人の双方の祈りを受け止めてきました。

見付宿の住人が安永5年(1776年)に和算額を奉納し、明治5年(1872年)の学制発布を受けて明治6年(1873年)8月には見付学校の仮校舎となり、天正15年(1587年)には徳川家康が地蔵菩薩のために梵鐘を寄進しました。宣光寺に残る文化財の一つひとつは、宿場町見付の暮らし・学び・祈りの記憶を映しています。現在も磐田市歴史文書館のウォーキングイベント「見付宿を歩こう」で旧見付学校や淡海国玉神社などとともに巡られる史跡の1つとされており、檀家だけでなく地域全体の歴史の拠り所であり続けています。

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出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9121

  2. 行政・公的資料県指定文化財|磐田市公式ウェブサイト

    木造地蔵菩薩坐像・木造毘沙門天立像(彫刻・平安時代・見付・昭和59年11月30日指定)を確認。

  3. 行政・公的資料市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト

    梵鐘(工芸品・安土桃山時代・天正15年徳川家康寄進)、子育如来像・子育地蔵菩薩像(彫刻・江戸時代)、和算額(歴史資料・江戸時代・安永5年奉納)の掲載を確認。

  4. 行政・公的資料宣光寺 | 磐田市観光協会

    戦国時代に戦死した武将のため延命地蔵菩薩に冥福を祈って寄進された釣鐘が境内にあることを確認。所在地見付1340-1。

  5. 行政・公的資料宣光寺の梵鐘(徳川家康公ゆかりの地 出世の街 浜松)

    天正15年(1587)に家康が施主となり宣光寺地蔵菩薩のために寄進した梵鐘であること、中泉御殿造営期の遠江支配との関連、見付在住の大工が鋳造に携わった記録を確認。

  6. 民間二次情報遠州三十三観音霊場 - Wikipedia

    第17番札所・珠玉山宣光寺・曹洞宗・札所本尊十一面観世音菩薩・磐田市見付1340-1を確認。

  7. 民間二次情報宣光寺(アソビュー)

    県指定文化財の木造地蔵菩薩坐像・木造毘沙門天立像、家康寄進の釣鐘、東海道から続く「地蔵小路」の呼称を確認。

  8. 民間二次情報宣光寺(いこーよ)

    釣鐘に「家康」の刻印があること、戦時中の供出を免れて現存すると言われること、地蔵小路の由来を確認。

  9. 寺院公式情報遠州三十三観音霊場めぐり 札所一覧(霊場会公式サイト)

    第17番=珠玉山宣光寺(見付1340-1)を確認(既存注記どおり)。

  10. 民間二次情報ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場

    大正8年開創の磐田郡三十三ヶ所観音霊場第22番=珠玉山宣光寺(見付1340・霊場御本尊十一面観世音菩薩)を確認。

  11. 行政・公的資料磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)

    磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合

  12. 文化財データベースしずおか文化財ナビ 木造地蔵菩薩坐像(磐田市)

    静岡県の文化財データベース。県指定有形文化財(彫刻)、指定日1984年11月30日、所有者は宗教法人宣光寺、像高140.1センチメートル・永暦元年銘の解説を確認。

  13. 文化財データベースしずおか文化財ナビ 木造毘沙門天立像(磐田市)

    県指定有形文化財(彫刻)、指定日1984年11月30日、像高165.5センチメートル、平安後期の天部形像との解説を確認。

  14. 行政・公的資料県指定文化財 木造地蔵菩薩坐像・毘沙門天立像|磐田市公式ウェブサイト

    磐田市の個別解説ページ。延命地蔵の呼称、鮮やかな彩色などの記述を確認。

  15. 宗派公式資料宣光寺 - 曹洞禅ナビ寺院検索

    名称・フリガナ・住所(磐田市見付1340-1)・地図のみ掲載。「お寺について・年間行事」「見どころ」等の詳細欄は全てno-link(未記入)で、由緒・本尊・年中行事の記載なし。

  16. 行政・公的資料いわた文化財だより第247号

    令和7年10月発行。磐田市歴史文書館第29回企画展関連イベント「見付宿を歩こう」の予定コースに宣光寺を掲載。

  17. 寺院公式情報宣光寺 境内案内板(磐田市文化財課設置)

    現地写真で確認。宗派・本尊「十一面観世音菩薩」・創立年不詳・浜松市普済寺末の由緒、県指定文化財(木造地蔵菩薩座像・木造毘沙門天立像)と市指定文化財(梵鐘)の詳細を記載。

最終更新日 2026.07.19

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この寺院について

宣光寺は磐田市見付1340番地の1に所在する曹洞宗の寺院です。旧東海道(見付宿の通り)から境内へ続く小路は、古くから境内の地蔵堂に延命地蔵を安置していたことにちなんで「地蔵小路」と呼ばれ、地蔵信仰の門前としての歴史を今に伝えています。

本尊については、磐田市文化財課設置の境内案内板が十一面観世音菩薩と記す一方、遠州三十三観音霊場会のサイトは御本尊を延命地蔵菩薩、札所本尊を十一面観世音菩薩と記しており、資料により記述が分かれています。地蔵堂の延命地蔵菩薩は高さ1.4メートルの平安時代作の木彫坐像で、静岡県指定文化財です。

境内には県指定文化財の木造地蔵菩薩坐像・木造毘沙門天立像のほか、市指定文化財の梵鐘・子育如来像・子育地蔵菩薩像・和算額が伝わり、見付宿の歴史を物語る文化財の宝庫となっています。遠州三十三観音霊場第17番札所(御詠歌「おろかなく こころのたまを みがきなば いつかだいひの ぼだいとぞなる」)であり、大正8年(1919年)開創の磐田郡三十三観音霊場では第22番札所とされました。

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歴史と背景

創建をめぐる伝え

宣光寺の創建については、資料により伝えが分かれています。遠州三十三観音霊場会のサイトに載る縁起は、寺伝によると慶長元年(1596年)の開創で、豊川の妙厳寺(豊川稲荷)25世・大淵龍堂和尚によって開かれた曹洞宗の寺と記しています。一方、磐田市文化財課設置の境内案内板は創立年を不詳とし、浜松市の普済寺の末寺と記しています。いずれの伝えでも、見付宿の町並みが整えられていく近世初頭までには、地蔵信仰の寺として旧東海道沿いの現在地に伽藍を構えていたとみられます。境内に平安時代の仏像が伝来していることは、この地の信仰の歴史が寺の創建伝承よりさらに古くさかのぼる可能性を示しています。

延命地蔵と地蔵小路

宣光寺の信仰の中心は、地蔵堂に安置される延命地蔵菩薩です。静岡県の文化財資料によれば、県指定文化財の木造地蔵菩薩坐像は像高140.1センチメートルの桧材寄木造で、像内の墨書から永暦元年(1160年)の記録が確認されており、製作年代を明らかにできる平安時代後期の延命地蔵の遺例として貴重とされています。遠州三十三観音霊場会のサイトは、この延命地蔵を日本三大地蔵の1つとされる像と紹介しています。あわせて伝わる木造毘沙門天立像は像高165.5センチメートルの桧材一木割矧造で、邪鬼を踏まえる平安時代後期の天部形像の佳品とされ、地蔵菩薩坐像とともに昭和59年(1984年)11月30日に静岡県指定有形文化財(彫刻)に指定されました。旧東海道から寺へ続く「地蔵小路」の名は、この延命地蔵の信仰が見付宿の暮らしに深く根付いていたことを物語ります。

徳川家康寄進の梵鐘

境内の梵鐘は、天正15年(1587年)に徳川家康が施主となり、宣光寺の地蔵菩薩のために寄進されたものです。浜松市の家康ゆかりの地紹介サイトによれば、鐘の池の間に陰刻された銘文から、家康が施主となって天正15年に宣光寺地蔵菩薩のために寄進したことがわかり、銘文には「豊田郡」の郡名が記され、見付在住の大工が鋳鐘に関わったことも判明しています。当時は家康の中泉御殿が造営されていた時期にあたり、徳川氏の遠江支配との関わりの中で寄進されたと考えられています。磐田市観光協会は、戦国時代に戦死した多くの武将のために、家康の信仰の厚かった延命地蔵菩薩にその冥福を祈って寄進された釣鐘と紹介しています。この梵鐘は磐田市指定有形文化財(工芸品)で、「家康」の刻印があることから戦時中の金属供出を免れて現存すると伝えられます。

江戸期の庶民信仰と学芸

江戸時代の宣光寺には、子どもの健やかな成長を願う信仰と、庶民の学芸の広がりを示す文化財が残されています。磐田市の市指定文化財一覧には、江戸時代の彫刻として子育如来像・子育地蔵菩薩像が掲載されており、遠州三十三観音霊場会のサイトはこれらを木喰上人の作と紹介しています(作者の裏付けは今後の調査課題です)。また、安永5年(1776年)に見付宿の上村和吉が奉納した和算額は、当時としては高度な数学の問題を記した歴史資料として磐田市指定文化財となっています。宿場の住人が算額を寺に奉納したことは、見付宿に和算など学問がひろく浸透していたことを示しています。

観音霊場の札所としての歩み

宣光寺は観音霊場の札所としても歩みを重ねてきました。大正8年(1919年)に開創された磐田郡三十三ヶ所観音霊場では第22番札所とされ、霊場御本尊は十一面観世音菩薩と記録されています。昭和59年(1984年)5月に開創された現行の遠州三十三観音霊場では第17番札所となり、札所本尊は十一面観世音菩薩、御詠歌は「おろかなく こころのたまを みがきなば いつかだいひの ぼだいとぞなる」と定められています。御詠歌に詠み込まれた「こころのたま」は、山号の珠玉山と響き合うものです。地蔵信仰の寺として知られる宣光寺が観音霊場の札所を兼ねてきたことは、この寺が宿場の人々のさまざまな祈りを受け止める場であり続けたことを示しています。

近代の宣光寺と見付の学び舎

明治5年(1872年)に学制が発布されると見付でも小学校開設が進められ、磐田市教育委員会の保存活用計画と文化財だよりによれば、見付学校は明治6年(1873年)8月に宣光寺・省光寺を仮校舎として開校しました。明治7年(1874年)10月に専用校舎の建設へ着手し、明治8年(1875年)8月に現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎(国指定史跡・旧見付学校)が落成するまで、宣光寺が見付の子どもたちの学び舎となったことになります。現代でも、磐田市歴史文書館主催のウォーキングイベント「見付宿を歩こう」(令和7年〈2025年〉10月実施)のコースに、大見寺・旧見付学校・淡海国玉神社・見付宿脇本陣大三河屋門などとともに巡られる史跡の1つとして取り上げられており、見付宿の歴史を伝える寺として親しまれ続けています。

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文化財・見どころ

静岡県指定文化財(彫刻)

木造地蔵菩薩坐像

像高140.1センチメートルの桧材寄木造の地蔵菩薩坐像で、像内の墨書から永暦元年(1160年)の記録が確認されています。製作年代を明らかにできる平安時代後期の延命地蔵の遺例として、昭和59年(1984年)11月30日に静岡県指定有形文化財に指定されました。宣光寺の地蔵信仰の中心となってきた仏像です。

静岡県指定文化財(彫刻)

木造毘沙門天立像

像高165.5センチメートルの桧材一木割矧造で、邪鬼を踏まえる姿の平安時代後期の天部形像の佳品とされます。木造地蔵菩薩坐像と同日の昭和59年(1984年)11月30日に静岡県指定有形文化財に指定されました。

磐田市指定文化財(工芸品)

梵鐘

天正15年(1587年)に徳川家康が施主となって宣光寺の地蔵菩薩のために寄進した安土桃山時代の梵鐘です。銘文には「豊田郡」の郡名が記され、鋳造には見付在住の大工が携わったと記録されています。中泉御殿造営期の徳川氏の遠江支配を知る資料とされ、戦時中の金属供出を免れて現存すると伝えられます。

磐田市指定文化財(彫刻)

子育如来像・子育地蔵菩薩像

江戸時代の作とされる子育て信仰の仏像で、磐田市の市指定文化財一覧に見付所在の彫刻として掲載されています。遠州三十三観音霊場会のサイトは木喰上人の作と紹介していますが、作者の裏付けは確認できていません。

磐田市指定文化財(歴史資料)

和算額

安永5年(1776年)8月に見付宿の上村和吉が奉納した和算の算額です。当時としては高度な問題を記しており、見付宿における学問の広がりを伝える歴史資料として磐田市指定文化財となっています。

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宗派と本尊を知る

宣光寺は曹洞宗の寺院で、遠州三十三観音霊場会のサイトに載る縁起は豊川の妙厳寺25世・大淵龍堂和尚の開山と伝え、境内案内板は浜松市の普済寺の末寺と記しています。本尊については案内板が十一面観世音菩薩と記す一方、同霊場第17番札所の札所本尊も十一面観世音菩薩であり、地蔵堂の延命地蔵菩薩への信仰とあわせて、観音と地蔵の2つの信仰がこの寺の歴史を形づくってきました。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

観音菩薩という仏さま

観音菩薩は、正式には観世音菩薩といい、世の人びとの苦しみの声を観じて、ただちに救いに赴くとされる菩薩です。『法華経』の観世音菩薩普門品(観音経)には、相手に応じて33の姿に身を変えて救うと説かれています。その姿は、老人や子ども、僧侶や天女など、救う相手に最もふさわしいものへと臨機応変に変わるとされ、この教えから観音さまは古くから最も広く信仰を集めてきました。

基本の姿である聖観音のほか、あらゆる方向に顔を向けて見守る十一面観音、千の手と眼で漏れなく救いの手を差し伸べる千手観音、憤怒の形相をとる馬頭観音など、多彩な変化観音が生み出され、それぞれの姿で人びとのさまざまな願いに応えてきました。

病気平癒や家内安全など現世のご利益を願う信仰に加え、観音霊場を順に巡る三十三所の巡礼も各地で育まれてきました。地域の観音堂や観音講を通じて、身近な悩みを聞き届けてくださる仏さまとして、今も厚く親しまれています。

参考: 観音様を知ろう(日本遺産「会津の三十三観音めぐり」公式サイト)e国宝 十一面観音像(国立文化財機構)

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地域とのつながり

宣光寺のある見付は、奈良時代に遠江国府と遠江国分寺が置かれた遠江国の中心地で、近世には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿として栄えました。見付宿は十七小路をはじめ寺院や神社、史跡、蔵などが点在する東海道屈指の規模の宿場町で、旧東海道から宣光寺へ続く「地蔵小路」もその小路の1つです。地蔵小路の名が延命地蔵の安置に由来すると伝えられるように、宣光寺は宿場の通りと地続きの場所に伽藍を構え、東海道を行き交う旅人と宿場の住人の双方の祈りを受け止めてきました。

見付宿の住人が安永5年(1776年)に和算額を奉納し、明治5年(1872年)の学制発布を受けて明治6年(1873年)8月には見付学校の仮校舎となり、天正15年(1587年)には徳川家康が地蔵菩薩のために梵鐘を寄進しました。宣光寺に残る文化財の一つひとつは、宿場町見付の暮らし・学び・祈りの記憶を映しています。現在も磐田市歴史文書館のウォーキングイベント「見付宿を歩こう」で旧見付学校や淡海国玉神社などとともに巡られる史跡の1つとされており、檀家だけでなく地域全体の歴史の拠り所であり続けています。

磐田物語で読む

この寺院やゆかりの土地の歴史を、姉妹サイト「磐田物語」の読み物でご覧いただけます。

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年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

地蔵堂の延命地蔵菩薩と県指定の木造地蔵菩薩坐像・毘沙門天立像は平安時代にさかのぼる貴重な文化財です。法要やお墓参りで訪れる際は、堂宇・仏像・境内の文化財を傷めないよう十分配慮してください。

境内へは旧東海道から「地蔵小路」を通って入ります。小路は狭いため、車で訪れる場合は事前に寺院へ確認してください。

行事・法要の日程は公開資料では確認できていません。参列や供養を予定する際は、電話等で寺院へ直接確認してください。曹洞宗の公式寺院検索(曹洞禅ナビ)にも当寺の詳細情報は掲載されていません。

調査中の項目
  • 年中行事(施餓鬼会・地蔵縁日・彼岸会等)の日程・内容と檀家の参列可否
  • 永代供養墓・納骨堂等の供養形態の有無(公開情報では確認できず)
  • 護持会など檀家組織の有無・活動内容

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

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よくある質問

宣光寺の読み方と山号は?

「せんこうじ」と読みます。山号は珠玉山(しゅぎょくざん)で、旧東海道見付宿の「地蔵小路」の奥に位置する曹洞宗の寺院です。遠州三十三観音霊場の御詠歌には、山号と響き合う「こころのたま」の語が詠み込まれています。

本文「この寺院について」を読む
本尊は何ですか?

磐田市文化財課設置の境内案内板は十一面観世音菩薩と記し、遠州三十三観音霊場会のサイトは御本尊を延命地蔵菩薩、札所本尊を十一面観世音菩薩と記しており、資料により記述が分かれています。地蔵堂には平安時代作と伝わる延命地蔵菩薩が安置されています。

本文「この寺院について」を読む
いつ誰が開いたお寺ですか?

遠州三十三観音霊場会のサイトの縁起は、寺伝により慶長元年(1596年)の開創で、豊川の妙厳寺25世・大淵龍堂和尚の開山と伝えています。一方、境内案内板は創立年不詳・浜松市普済寺末と記しており、伝えが分かれています。

本文「歴史と背景」を読む
徳川家康とはどんな関わりがありますか?

天正15年(1587年)、家康が施主となって宣光寺の地蔵菩薩のために梵鐘を寄進しました。銘文から中泉御殿造営期の寄進とわかり、磐田市指定文化財となっています。「家康」の刻印があることから戦時中の供出を免れたと伝えられます。

本文「歴史と背景」を読む
どんな文化財がありますか?

平安時代の木造地蔵菩薩坐像と木造毘沙門天立像が静岡県指定文化財、家康寄進の梵鐘・子育如来像・子育地蔵菩薩像・和算額が磐田市指定文化財です。

本文「文化財・見どころ」を読む
地蔵小路とは何ですか?

旧東海道(見付宿の通り)から宣光寺へ続く小路の呼び名です。古くから境内の地蔵堂に延命地蔵を安置していたことにちなんで名付けられたと伝えられています。見付宿には十七小路と呼ばれる横町の小路が残り、地蔵小路もその1つです。

本文「地域とのつながり」を読む
札所になっていますか?

遠州三十三観音霊場の第17番札所(札所本尊十一面観世音菩薩)です。また、大正8年(1919年)開創の磐田郡三十三観音霊場では第22番札所とされました。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
梵鐘はなぜ戦時中に残ったのですか?

太平洋戦争中の金属供出の際、鐘に「家康」の刻印があり歴史的価値が認められたことから、供出を免れて現存すると伝えられています。天正15年(1587年)の寄進以来、見付の町とともに歩んできた鐘です。

本文「文化財・見どころ」を読む
学校と関係があったのですか?

明治5年(1872年)の学制発布後、見付学校は明治6年(1873年)8月に宣光寺・省光寺を仮校舎として開校しました。明治7年(1874年)10月の新校舎着工を経て、明治8年(1875年)8月に校舎が落成するまで、見付の子どもたちの学び舎となりました。

本文「地域とのつながり」を読む

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写真で見る境内

宣光寺本堂正面
本堂・堂宇 松の木に囲まれた本堂正面。「珠玉山」の扁額が掲げられている。
宣光寺本堂の「珠玉山」扁額
本堂・堂宇 本堂入口に掲げられた山号「珠玉山」の扁額。
宣光寺延命地蔵堂正面
その他 延命地蔵菩薩・毘沙門天像を祀る地蔵堂の正面。「みがわり地蔵」の由緒を伝える。
宣光寺地蔵堂と幟旗
その他 「延命大地蔵」の幟旗が並ぶ地蔵堂前。水かけ地蔵の像も見える。
宣光寺の梵鐘
その他 徳川家康が施主となって寄進したと伝わる梵鐘(磐田市指定文化財)。
宣光寺「家康寄進の梵鐘」の碑
その他 鐘楼前に立つ「家康寄進の梵鐘」の由緒碑。
宣光寺由緒案内板
説明板・案内板 宗派・本尊・沿革と、県指定・市指定の文化財について記した境内の案内板。
宣光寺「みがわり地蔵の縁起」案内板
説明板・案内板 三方原の戦いで家康を助けたと伝わる「みがわり地蔵」の縁起を記した案内板。
宣光寺山門
入口・石標 境内を望む宣光寺の山門正面。
宣光寺山門柱の寺号
入口・石標 山門の柱に刻まれた「曹洞宗 宣光寺」の文字。
宣光寺境内全景
境内全景 地蔵堂と本堂、笑顔の布袋像が並ぶ境内の眺め。
宣光寺の寺号標識
説明板・案内板 「曹洞宗宣光寺 遠州三十三観音霊場第十七番札所」と記した標識。

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出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9121。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 行政・公的資料 県指定文化財|磐田市公式ウェブサイト

    木造地蔵菩薩坐像・木造毘沙門天立像(彫刻・平安時代・見付・昭和59年11月30日指定)を確認

  3. 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト

    梵鐘(工芸品・安土桃山時代・天正15年徳川家康寄進)、子育如来像・子育地蔵菩薩像(彫刻・江戸時代)、和算額(歴史資料・安永5年奉納)の掲載を確認

  4. 文化財データベース しずおか文化財ナビ 木造地蔵菩薩坐像(磐田市)

    県指定有形文化財(彫刻)、指定日1984年11月30日、所有者宗教法人宣光寺、像高140.1センチメートル・桧材寄木造・永暦元年銘の解説を確認

  5. 文化財データベース しずおか文化財ナビ 木造毘沙門天立像(磐田市)

    県指定有形文化財(彫刻)、指定日1984年11月30日、像高165.5センチメートル、桧材一木割矧造・邪鬼を踏まえる平安後期の天部形像との解説を確認

  6. 行政・公的資料 県指定文化財 木造地蔵菩薩坐像・毘沙門天立像|磐田市公式ウェブサイト

    磐田市の個別解説ページ。延命地蔵の呼称、鮮やかな彩色などの記述を確認

  7. 行政・公的資料 宣光寺の梵鐘(徳川家康公ゆかりの地 出世の街 浜松)

    天正15年(1587年)に家康が施主となり宣光寺地蔵菩薩のために寄進した梵鐘であること、池の間の陰刻銘文、「豊田郡」の郡名、中泉御殿造営期の遠江支配との関連、見付在住の大工が鋳鐘に携わった記録を確認

  8. 行政・公的資料 宣光寺 | 磐田市観光協会

    戦国時代に戦死した武将のため延命地蔵菩薩に冥福を祈って寄進された釣鐘が境内にあること、所在地見付1340-1を確認

  9. 行政・公的資料 徳川家康ゆかりの地 いわた | 磐田市観光協会

    明治5年の学制発布後、見付学校が宣光寺・省光寺を仮校舎として開校したこと、宣光寺の釣鐘の由来を確認。開校年月は磐田市教育委員会の保存活用計画と文化財だよりで明治6年8月と追加照合

  10. 寺院公式情報 宣光寺 (磐田市見付・17番札所) | 遠州三十三観音霊場めぐり

    御詠歌、御本尊延命地蔵菩薩・札所本尊十一面観世音菩薩、寺伝による慶長元年(1596年)開創・妙厳寺25世大淵龍堂和尚開山、地蔵小路の由来、高さ1.4メートル平安時代作の延命地蔵(日本三大地蔵の1つとされる)、木喰上人作と紹介される子育如来像・子育地蔵像を確認

  11. 寺院公式情報 遠州三十三観音霊場めぐり 札所一覧(霊場会公式サイト)

    第17番=珠玉山宣光寺(見付1340-1)を確認

  12. 民間二次情報 遠州三十三観音霊場 - Wikipedia

    第17番札所・珠玉山宣光寺・曹洞宗・札所本尊十一面観世音菩薩・磐田市見付1340-1を確認(発見用の二次情報として参照)

  13. 民間二次情報 ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場

    大正8年開創の磐田郡三十三ヶ所観音霊場第22番=珠玉山宣光寺(見付1340・霊場御本尊十一面観世音菩薩)を確認

  14. 民間二次情報 宣光寺(アソビュー)

    県指定文化財の木造地蔵菩薩坐像・木造毘沙門天立像、家康寄進の釣鐘、東海道から続く「地蔵小路」の呼称を確認

  15. 民間二次情報 宣光寺(いこーよ)

    釣鐘に「家康」の刻印があること、戦時中の供出を免れて現存すると言われること、地蔵小路の由来を確認

  16. 宗派公式資料 宣光寺 - 曹洞禅ナビ寺院検索

    名称・フリガナ・住所(磐田市見付1340-1)・地図のみ掲載。由緒・本尊・年中行事の記載なし

  17. 行政・公的資料 いわた文化財だより第247号

    令和7年10月発行。磐田市歴史文書館第29回企画展関連イベント「見付宿を歩こう」の予定コースに宣光寺を掲載

  18. 行政・公的資料 磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)

    磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合

  19. 現地確認 宣光寺 境内案内板(磐田市文化財課設置)

    現地写真で確認。宗派・本尊「十一面観世音菩薩」・創立年不詳・浜松市普済寺末の由緒、県指定文化財(木造地蔵菩薩坐像・木造毘沙門天立像)と市指定文化財(梵鐘)の詳細を記載

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このお寺が菩提寺のご家族へ

菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
  • 位牌の有無
  • お寺からの連絡を受ける人
  • お寺の連絡先
  • 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
  • 実家の名義
  • 実家を今後誰が管理するか
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