向陽地区・現存
安全寺
あんぜんじ
安全寺(あんぜんじ)は、磐田市岩井にある曹洞宗の寺院です。山号は所在地名と同じ岩井山で、『静岡県磐田郡誌』によれば永正10年(1513年)8月の開創、開山は本寺海蔵寺2世の雲山宗越と伝わります。源頼朝ゆかりの鶴ヶ池伝承を伝える『安全寺記録』の寺として、岩井の村の記憶を今に伝えています。
別称・関連名称岩井山安全寺
- 寺院名
- 安全寺
- 地区
- 向陽
- 住所
- 静岡県磐田市岩井1365番地の1
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 安全寺
- 読み方
- あんぜんじ
- 地区
- 向陽
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 調査中・加筆待ち
- ご本尊の現在の確認状況
- 未確認
- 住所
- 静岡県磐田市岩井1365番地の1
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 参道の石段と山号額/観音像と地蔵堂
- 最終確認日
- 2026.07.16
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 安全寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 未確認
- 創建
- 永正10年(1513年)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市岩井1365番地の1
- 地区
- 向陽
Database 02
沿革
永正10年の開創と海蔵寺の法系
『静岡県磐田郡誌』(磐田郡教育会編、大正10年)の向笠村安全寺の項によれば、寺は向笠村岩井字殿か谷(現磐田市岩井)に在り、岩井山と号し、周智郡久努西村の海蔵寺の末寺です。永正10年(1513年)8月の開創で、本寺海蔵寺の2世雲山宗越を請じて開山とし、本尊は薬師如来と記されています。郡誌には向笠村・岩田村・今井村の多くの寺が室町から江戸前期の開創と記されており、戦国時代の初めに遠州の村々へ曹洞宗が広がっていく流れの中で、安全寺も岩井の集落の寺として開かれたことがわかります。開創から数えて2013年(平成25年)に500年を迎えた、向陽地区でも指折りの歴史をもつ寺院です。
海蔵寺の末寺網の中で
本寺の海蔵寺は現在の袋井市域にあった曹洞宗の有力寺院で、『静岡県磐田郡誌』には安全寺のほかにも、匂坂中の増参寺、今井村の雲江院・常光寺・延久寺・永徳寺など、旧磐田郡の多くの寺が海蔵寺の末寺として記されています。開山の雲山宗越は海蔵寺2世で、郡誌には今井村の常光寺の草創にも同師の名が見えます。岩井の安全寺は、こうした海蔵寺を核とする遠州曹洞宗の末寺網の一つとして、近世を通じて村の菩提寺の役割を果たしてきました。
『安全寺記録』と鶴ヶ池の頼朝伝承
磐田市教育委員会の広報紙『いわた文化財だより』第209号(令和4年〈2022年〉8月発行)は、「源平伝説地を訪ねて」の連載で鶴ヶ池の由来をめぐる伝承を紹介し、その異説の出典として『安全寺記録』を挙げています。それによれば、寿永2年(1183年)3月、源頼朝が岩井村で足を痛め、天神社に平癒を祈願して鶴の脚に金の札を付けて池に放したところ、以来「鶴ヶ池」と呼ばれるようになったといいます。一方、『日本歴史地名大系』は、建久元年(1190年)10月、頼朝が上洛の途次に兄朝長の供養のためこの池で放生会を修行し、黄金の札を付けた多くの鶴を放ったという言い伝えを載せており、伝承には複数の系統があります。いずれも寺の記録が村の地名の由来を語り伝えてきたことを示すもので、安全寺が岩井の記憶の器であったことがうかがえます。中世の武家の伝説と、ため池を頼りに田を潤してきた村の暮らしとが、一つの池の名をめぐって寺の記録に重なり合っているところに、この土地の歴史の厚みが表れています。
現況
静岡県知事所轄宗教法人名簿に、磐田市岩井1365番地の1の曹洞宗寺院として掲載されています。現在の本尊・伽藍・本末関係などを伝える公開資料は現時点では確認できていません。2026年(令和8年)7月の現地確認では、本堂、参道の石段、山号額、境内の観音像・地蔵堂、山裾の景観などが確認されており、磐田原台地の裾に静かに佇む里の寺の姿を保っています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 未確認
- 宗教的意味
- 安全寺は『静岡県磐田郡誌』によれば海蔵寺(現袋井市域)2世の雲山宗越を開山とする曹洞宗寺院で、同郡誌(大正10年〈1921年〉)は本尊を薬師如来と記しています。現在の本尊は確認できておらず、以下の薬師如来の解説は郡誌の記載に基づくものです。病を癒す仏である薬師如来を本尊としたことは、『安全寺記録』が伝える、頼朝が足の平癒を天神社に祈ったという鶴ヶ池伝承とも響き合っており、癒しを願う村人の祈りがこの寺に寄せられてきたことをうかがわせます。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
参道の石段と山号額
磐田原台地の裾の斜面に参道の石段が延び、その上に本堂が建ちます。2026年(令和8年)7月の現地確認で、山号「岩井山」を示す額が確認されています。台地と里の境に立地する岩井の寺らしい構えです。
観音像と地蔵堂
境内には観音像と地蔵堂があり、2026年(令和8年)7月の現地確認で写真により記録されています。村の菩提寺として、観音・地蔵の庶民信仰を受けとめてきたことをうかがわせる石造物です。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
安全寺のある岩井は、太田川中流の右岸に位置する農業集落で、明治の町村制以降は磐田郡向笠村の大字でした。現在は磐田市の向陽地区に属します。集落の北東、磐田原台地の山あいには鶴ヶ池があります。『日本歴史地名大系』によれば周囲約4km・面積約6haの池で、ジュンサイやタヌキモなど中部日本を代表する水生植物が生育し、享保5年(1720年)の岩井村明細帳には160石余の田がこの池の用水にかかり、堤や用水圦が設けられていたと記されています。江戸時代から岩井の稲作を支えた命の水がめであり、頼朝伝承の舞台として『安全寺記録』にも結びつく、村の暮らしと信仰の交差点でした。
岩井はまた「とんぼの里」としても知られます。静岡県の「ふじのくに美しく品格のある邑づくり」に登録された「とんぼの里 岩井」の紹介によれば、地区内の桶ケ谷沼では絶滅危惧種のベッコウトンボをはじめ国内のトンボの約3分の1にあたる70種が確認されており、水稲を中心とした農地と森林が調和した里地里山の景観が守られています。磐田市観光協会によれば桶ケ谷沼は面積7.43ha・周囲1.7kmで、ビジターセンターの所在地は岩井315です。ため池と沼と水田が織りなすこの土地で、安全寺は500年余りにわたり村人の暮らしと祈りを見守ってきました。地名の由来を寺の記録が伝え、田を潤す池の畔に伝説が残るという岩井の風土は、寺と村が分かちがたく結びついて歩んできたことの証といえます。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9109
- 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年)コマ463(安全寺の由緒)
国立国会図書館デジタルコレクション・ログインなしで閲覧可能。全文検索で該当箇所を確認
- 宗派公式資料曹洞禅ナビ 磐田市寺院一覧
磐田市の公式一覧(全61寺)に「安全寺」として掲載を確認(一覧掲載のみ確認)。詳細ページはサーバー障害で未取得
- 行政・公的資料いわた文化財だより第209号
令和4年8月1日発行。P3「源平伝説地を訪ねて その4」。鶴ヶ池の由来をめぐる異説として『安全寺記録』を出典に紹介。
最終更新日 2026.07.19
Uploaded Photos
保存済み写真
01
この寺院について
安全寺は磐田市岩井1365番地の1、向陽地区(旧向笠村域)に所在する曹洞宗の寺院です。静岡県知事所轄宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人として掲載されており、曹洞宗公式の寺院ポータルサイトの磐田市寺院一覧にも名が見えます。『静岡県磐田郡誌』(大正10年〈1921年〉)によれば、山号は岩井山、周智郡久努西村(現袋井市)の海蔵寺の末寺で、当時の本尊は薬師如来と記されています。
寺のある岩井は、太田川中流の右岸、磐田原台地の東縁に開けた集落で、北東には野鳥と水生植物で知られる鶴ヶ池、近くには日本有数のトンボの生息地である桶ケ谷沼が広がります。寺に伝わる記録『安全寺記録』は、源頼朝にまつわる鶴ヶ池の地名由来伝承を伝える郷土史料として、磐田市の文化財広報紙に紹介されています。
現在の本尊や伽藍の詳細を伝える公開資料は現時点では確認できていませんが、2026年(令和8年)7月の現地確認では、参道の石段の上に本堂が建ち、山号額や境内の観音像・地蔵堂が確認されており、岩井の菩提寺として静かに法灯を守り続けています。公開情報の乏しい寺院ですが、名簿・郡誌・市の文化財広報紙という確かな記録をつなぐと、500年余りの歩みが浮かび上がります。
02
歴史と背景
永正10年の開創と海蔵寺の法系
『静岡県磐田郡誌』(磐田郡教育会編、大正10年)の向笠村安全寺の項によれば、寺は向笠村岩井字殿か谷(現磐田市岩井)に在り、岩井山と号し、周智郡久努西村の海蔵寺の末寺です。永正10年(1513年)8月の開創で、本寺海蔵寺の2世雲山宗越を請じて開山とし、本尊は薬師如来と記されています。郡誌には向笠村・岩田村・今井村の多くの寺が室町から江戸前期の開創と記されており、戦国時代の初めに遠州の村々へ曹洞宗が広がっていく流れの中で、安全寺も岩井の集落の寺として開かれたことがわかります。開創から数えて2013年(平成25年)に500年を迎えた、向陽地区でも指折りの歴史をもつ寺院です。
海蔵寺の末寺網の中で
本寺の海蔵寺は現在の袋井市域にあった曹洞宗の有力寺院で、『静岡県磐田郡誌』には安全寺のほかにも、匂坂中の増参寺、今井村の雲江院・常光寺・延久寺・永徳寺など、旧磐田郡の多くの寺が海蔵寺の末寺として記されています。開山の雲山宗越は海蔵寺2世で、郡誌には今井村の常光寺の草創にも同師の名が見えます。岩井の安全寺は、こうした海蔵寺を核とする遠州曹洞宗の末寺網の一つとして、近世を通じて村の菩提寺の役割を果たしてきました。
『安全寺記録』と鶴ヶ池の頼朝伝承
磐田市教育委員会の広報紙『いわた文化財だより』第209号(令和4年〈2022年〉8月発行)は、「源平伝説地を訪ねて」の連載で鶴ヶ池の由来をめぐる伝承を紹介し、その異説の出典として『安全寺記録』を挙げています。それによれば、寿永2年(1183年)3月、源頼朝が岩井村で足を痛め、天神社に平癒を祈願して鶴の脚に金の札を付けて池に放したところ、以来「鶴ヶ池」と呼ばれるようになったといいます。一方、『日本歴史地名大系』は、建久元年(1190年)10月、頼朝が上洛の途次に兄朝長の供養のためこの池で放生会を修行し、黄金の札を付けた多くの鶴を放ったという言い伝えを載せており、伝承には複数の系統があります。いずれも寺の記録が村の地名の由来を語り伝えてきたことを示すもので、安全寺が岩井の記憶の器であったことがうかがえます。中世の武家の伝説と、ため池を頼りに田を潤してきた村の暮らしとが、一つの池の名をめぐって寺の記録に重なり合っているところに、この土地の歴史の厚みが表れています。
現況
静岡県知事所轄宗教法人名簿に、磐田市岩井1365番地の1の曹洞宗寺院として掲載されています。現在の本尊・伽藍・本末関係などを伝える公開資料は現時点では確認できていません。2026年(令和8年)7月の現地確認では、本堂、参道の石段、山号額、境内の観音像・地蔵堂、山裾の景観などが確認されており、磐田原台地の裾に静かに佇む里の寺の姿を保っています。
03
文化財・見どころ
参道の石段と山号額
磐田原台地の裾の斜面に参道の石段が延び、その上に本堂が建ちます。2026年(令和8年)7月の現地確認で、山号「岩井山」を示す額が確認されています。台地と里の境に立地する岩井の寺らしい構えです。
観音像と地蔵堂
境内には観音像と地蔵堂があり、2026年(令和8年)7月の現地確認で写真により記録されています。村の菩提寺として、観音・地蔵の庶民信仰を受けとめてきたことをうかがわせる石造物です。
04
宗派と本尊を知る
安全寺は『静岡県磐田郡誌』によれば海蔵寺(現袋井市域)2世の雲山宗越を開山とする曹洞宗寺院で、同郡誌(大正10年〈1921年〉)は本尊を薬師如来と記しています。現在の本尊は確認できておらず、以下の薬師如来の解説は郡誌の記載に基づくものです。病を癒す仏である薬師如来を本尊としたことは、『安全寺記録』が伝える、頼朝が足の平癒を天神社に祈ったという鶴ヶ池伝承とも響き合っており、癒しを願う村人の祈りがこの寺に寄せられてきたことをうかがわせます。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
薬師如来という仏さま
薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来といい、東方の浄瑠璃世界と呼ばれる浄土の教主とされる仏さまです。菩薩として修行していた時代に12の大願を立て、その中で人びとの病を取り除き、心身を安らかにすることを誓ったと経典に説かれています。誓いには、飢えや渇きに苦しむ人を救い、衣類の乏しい人に衣を施すことも含まれ、心と身体の両面から人びとを支える仏さまです。左手に薬壺を持つ姿が広く知られ、古くから「お薬師さま」の呼び名で親しまれてきました。
来世の救いを担う阿弥陀如来に対して、薬師如来は現世で救いの手を差し伸べる仏とされ、奈良時代(8世紀)から病気平癒や健康長寿を願う現世利益の信仰を集めてきました。脇には日光菩薩と月光菩薩が控え、昼も夜も絶え間なく人びとを見守ってくださると伝えられます。
薬師如来を本尊とする寺院では、家族の病気平癒や無病息災、厄除けの祈願が折々に営まれ、暮らしに寄り添う仏として大切にされてきました。お参りの際には、日々を健やかに送れることへの感謝を込めて手を合わせたいものです。
参考: お薬師様の十二大願(奈良薬師寺 公式サイト)/ご本尊・薬師如来(薬師寺東京別院 公式サイト)/薬師如来(新薬師寺 公式ホームページ)
05
地域とのつながり
安全寺のある岩井は、太田川中流の右岸に位置する農業集落で、明治の町村制以降は磐田郡向笠村の大字でした。現在は磐田市の向陽地区に属します。集落の北東、磐田原台地の山あいには鶴ヶ池があります。『日本歴史地名大系』によれば周囲約4km・面積約6haの池で、ジュンサイやタヌキモなど中部日本を代表する水生植物が生育し、享保5年(1720年)の岩井村明細帳には160石余の田がこの池の用水にかかり、堤や用水圦が設けられていたと記されています。江戸時代から岩井の稲作を支えた命の水がめであり、頼朝伝承の舞台として『安全寺記録』にも結びつく、村の暮らしと信仰の交差点でした。
岩井はまた「とんぼの里」としても知られます。静岡県の「ふじのくに美しく品格のある邑づくり」に登録された「とんぼの里 岩井」の紹介によれば、地区内の桶ケ谷沼では絶滅危惧種のベッコウトンボをはじめ国内のトンボの約3分の1にあたる70種が確認されており、水稲を中心とした農地と森林が調和した里地里山の景観が守られています。磐田市観光協会によれば桶ケ谷沼は面積7.43ha・周囲1.7kmで、ビジターセンターの所在地は岩井315です。ため池と沼と水田が織りなすこの土地で、安全寺は500年余りにわたり村人の暮らしと祈りを見守ってきました。地名の由来を寺の記録が伝え、田を潤す池の畔に伝説が残るという岩井の風土は、寺と村が分かちがたく結びついて歩んできたことの証といえます。
06
年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
参道は磐田原台地の裾の斜面に延びる石段です。お墓参りなどで訪れる際は足元に注意してください。
年間行事・法要の日程は公開資料では確認できていません。檀家の方は寺院へ直接確認してください。
- 現在の本尊(『磐田郡誌』大正10年の記載は薬師如来)
- 施餓鬼会・彼岸法要など年間行事の日程
- 護持会など檀家組織の有無・活動内容
- 墓地・永代供養・納骨に関する寺院の対応
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 安全寺の読み方と山号は?
-
「あんぜんじ」と読みます。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は所在地名と同じ岩井山で、磐田市岩井にあります。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』(大正10年)は本尊を薬師如来と記していますが、現在の本尊は確認できていません。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ開かれたお寺ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』によれば永正10年(1513年)8月の開創で、本寺である海蔵寺(現袋井市域)の2世雲山宗越を開山に請じたと伝えられています。
本文「歴史と背景」を読む - 『安全寺記録』とは何ですか?
-
安全寺に伝わる記録で、源頼朝が鶴の脚に金の札を付けて池に放したことから「鶴ヶ池」の名が付いたとする地名由来伝承の出典として、『いわた文化財だより』に紹介されています。
本文「歴史と背景」を読む - 鶴ヶ池とはどんな池ですか?
-
岩井集落の北東、磐田原台地の山あいにある周囲約4kmの池で、江戸時代には岩井村の用水溜池でした。源頼朝にまつわる地名由来伝承が複数伝えられています。
本文「地域とのつながり」を読む - 近くの桶ケ谷沼とは関係がありますか?
-
桶ケ谷沼は同じ岩井地区にある沼で、ベッコウトンボをはじめ70種前後のトンボが確認される日本有数の生息地です。寺との直接の関わりを示す資料は確認できていませんが、いずれも岩井の里地里山を代表する場所です。
本文「地域とのつながり」を読む - 本寺の海蔵寺とはどんな寺ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』に周智郡久努西村(現袋井市域)の寺と記される曹洞宗の有力寺院で、安全寺のほか増参寺(匂坂中)や今井村の諸寺など、旧磐田郡の多くの寺の本寺でした。現況は確認できていません。
本文「歴史と背景」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9109。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年)コマ463(安全寺の由緒)
国立国会図書館デジタルコレクション。向笠村岩井字殿か谷所在・岩井山・海蔵寺末寺・永正10年8月開創・開山雲山宗越(海蔵寺2世)・本尊薬師如来の記載、および海蔵寺末の近隣寺院(増参寺・雲江院・常光寺・延久寺・永徳寺)と常光寺の雲山宗越草創の記載を確認。
- 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 磐田市寺院一覧
磐田市の公式一覧(全61寺)に「安全寺」として掲載を確認(一覧掲載のみ確認)。詳細ページはサーバー障害で未取得
- 行政・公的資料 いわた文化財だより第209号
令和4年8月1日発行。「源平伝説地を訪ねて その4」。鶴ヶ池の由来をめぐる異説(寿永2年の頼朝の平癒祈願と放鶴)の出典として『安全寺記録』を紹介。
- 郷土資料 鶴ヶ池(日本歴史地名大系・コトバンク)
磐田市岩井地区北東部・磐田原台地の山間、周囲約4km・面積約6ha、享保5年(1720年)の岩井村明細帳の用水記録、建久元年(1190年)の頼朝の放生会伝承を確認。
- 行政・公的資料 とんぼの里 岩井(ふじのくに美しく品格のある邑づくり・静岡県)
静岡県の邑づくり登録地区としての岩井の紹介。桶ケ谷沼でベッコウトンボをはじめ国内のトンボの約3分の1にあたる70種が確認されること、水稲中心の農地と森林が調和した里地里山景観であることを確認(地域文脈として使用)。
- 行政・公的資料 桶ケ谷沼(磐田市観光協会)
桶ケ谷沼の面積7.43ha・周囲1.7km、71種類のトンボ、所在地磐田市岩井315を確認(地域文脈として使用)。
- 現地確認 現地確認(2026年7月、ATAWI TEMPLE編集部)
本堂、参道階段、山号額、境内の観音像・地蔵堂、山裾の景観等を現地写真で確認。
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
Same Area
同じ地区の寺院
Same Sect