豊田地区・現存
安楽寺
あんらくじ
安楽寺(あんらくじ)は、磐田市立野にある曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は医王山、本尊は薬師如来で、元久年間(1204〜1206年)の草創と伝わる古い寺です。磐田市指定文化財の「紙本著色十六羅漢画像」と「伊奈忠次判物」の2件を所蔵し、鎌倉時代から江戸時代へと続く立野の村の記憶を伝えています。
- 寺院名
- 安楽寺
- 地区
- 豊田
- 住所
- 静岡県磐田市立野477番地
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 安楽寺
- 読み方
- あんらくじ
- 地区
- 豊田
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 薬師如来と伝わる(『静岡県磐田郡誌』1921年)
- ご本尊の現在の確認状況
- 未確認
- 住所
- 静岡県磐田市立野477番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 磐田市指定文化財あり(2件所有)
- 最終確認日
- 2026.07.16
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 安楽寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 未確認
- 創建
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市立野477番地
- 地区
- 豊田
Database 02
沿革
『磐田郡誌』にみえる由緒と元久年間の草創
『静岡県磐田郡誌』(1921年)は当寺を「129 安樂寺(井通村)」として立項し、「井通村立野字小山塚に在り。醫王山と號す。當國濱名郡白須賀藏法寺末にして、本尊は藥師如來なり」と記しています。由緒については、元久年間(1204〜1206年)の草創で、初め天台宗、のち真言宗であったものが、後に曹洞宗へ改められたと伝えます。元久年間は鎌倉幕府の草創期にあたり、この伝えの通りであれば、安楽寺は豊田地区でも指折りの古い草創伝承を持つ寺ということになります。山号の「医王山」は薬師如来の別名「医王」にちなむもので、本尊と山号が一体となった寺号構成です。
文禄4年の中興と本寺・白須賀の蔵法寺
郡誌はさらに、文禄4年(1595年)8月1日のこととして、当寺の檀越(有力な檀家)であった大橋兵四郎の二子が出家して白須賀の蔵法寺にあり、道屋乾達と号していたが、安楽寺に至って分派開山となり、勅請綸旨拝戴の小本寺格に列せられたと記しています。本寺の蔵法寺は現在の湖西市白須賀にある曹洞宗の寺で、浜名湖西岸の観光資料によれば、平安時代の790年頃の創建と伝わり、慶長3年(1598年)に曹洞宗へ改宗、遠州灘を望む「潮見観音(帆下げ観音)」の寺として知られ、天文16年(1547年)には人質として駿府へ送られる幼い徳川家康(竹千代)が宿舎とした故事を持ちます。安楽寺が浜名湖の西の蔵法寺から開山を迎えたことは、戦国末期の遠州で曹洞宗の法系が広域に結ばれていたことを示しています。
伊奈忠次判物と徳川政権初期の立野
磐田市公式ウェブサイトの市指定文化財一覧によれば、当寺所蔵の「伊奈忠次判物」は慶長6年(1601年)2月11日付の、初代中泉代官・伊奈忠次の文書で、近世初期の行政の在り方を示す貴重な史料と評価されています。伊奈忠次(1550〜1610年)は徳川家康に仕えた代官頭で、『日本大百科全書』などによれば検地・治水・新田開発に敏腕を振るい、関東代官頭として家康の直轄領支配を担った人物です。関ヶ原の戦いの翌年という時期に中泉代官から安楽寺へ発給されたこの判物は、徳川政権が成立していく過程で立野の村と寺がどのように把握されていったかを伝えます。同じ頃の伊奈忠次判物は市内の上万能・池田などにも伝来しており、安楽寺の判物はその一連の史料群の1つです。
江戸時代の立野村と安楽寺領3石
『日本歴史地名大系』の立野村の項によれば、立野は天竜川左岸の村で、村の北側を東海道が通り、天竜川沿いに飛地の長森がありました。文明12年(1480年)の授戒会に「タテ野」の平三郎らが参加した記録があり、天文13年(1544年)には「池田庄内立野村」の百姓職などの支配が後藤亀千代に命じられるなど、中世から池田庄の一部として歩んだ村です。江戸時代の正保郷帳では幕府領で、田方125石余・畑方115石余のほかに安楽寺領3石がみえ、当寺が幕府から寺領を認められていたことが確認できます。慶長6年(1601年)の伊奈忠次判物は、こうした寺領がどのような経緯で認められていったのかを考えるうえでも、手がかりになる史料といえます。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 未確認
- 宗教的意味
- 安楽寺は曹洞宗に属し、『静岡県磐田郡誌』(1921年)は本尊を薬師如来と記しています。山号の医王山は薬師如来の別名「医王」に由来するとみられ、天台・真言の時代から受け継がれた薬師信仰が、曹洞宗への改宗後も寺の中心にあり続けたことをうかがわせます。病平癒と現世安穏を願う人びとの祈りと、坐禅を旨とする禅の家風が、この寺で800年にわたり重なり合ってきました。なお郡誌の記載は大正10年時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
紙本著色十六羅漢画像
江戸時代の人・大須賀陶山の筆になる十六羅漢の画像です。磐田市の解説によれば、筆者が明らかな十六羅漢像は少なく、貴重な資料とされています。十六羅漢は釈迦の教えを守り伝えることを誓った16人の聖者で、禅宗寺院で広く尊ばれてきた画題です。
伊奈忠次判物
慶長6年(1601年)2月11日付の、初代中泉代官・伊奈忠次の文書です。磐田市の解説では、近世初期の行政の在り方を示す貴重な史料と評価されています。同時期の伊奈忠次判物は上万能・池田などにも伝来しており、徳川政権初期の中泉代官支配を示す一連の史料群の1つです。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
安楽寺のある立野は、天竜川左岸の低地に開けた集落です。『日本歴史地名大系』によれば、村の北側を東海道が通り、天竜川沿いには飛地の長森がありました。中世には松尾社領として成立した池田庄(嘉応2年=1170年初出)の庄域に含まれ、天文13年(1544年)の文書に「池田庄内立野村」とみえます。池田の渡しで天竜川を越える東海道の道筋に近く、川と街道の恵みを受けて暮らした村でした。
立野は明治期には井通村の大字となり、昭和30年(1955年)以降は豊田村・豊田町を経て、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となった旧豊田町域の集落です。安楽寺の2件の市指定文化財が指定されたのも、この合併の年でした。鎌倉時代の草創伝承、戦国末期の檀越・大橋氏による中興、徳川政権初期の伊奈忠次判物と、寺に残る記憶はそのまま立野の村の歩みと重なっています。檀家にとっては、菩提寺の宝物が村の800年の歴史を証す存在となっています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9358
- 行政・公的資料市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
所有者「安楽寺」・所在地「立野」の市指定文化財2件(紙本著色十六羅漢画像=大須賀陶山作、伊奈忠次判物=慶長6年2月11日付)の名称・種別・指定年月日・解説を本文で確認。
- 宗派公式資料曹洞禅ナビ 寺院検索「安楽寺」
住所(磐田市立野477)・フリガナ(アンラクジ)を照合し当該寺院と確認。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄
最終更新日 2026.07.19
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この寺院について
安楽寺は磐田市立野477番地に所在する曹洞宗の寺院です。静岡県知事所轄宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人として掲載され、曹洞宗の公式ポータル「曹洞禅ナビ」にも磐田市立野477の寺院として登載されています。読み仮名は「アンラクジ」です。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、当時の井通村立野字小山塚に在る寺として当寺を立項し、山号は医王山、本尊は薬師如来と記しています。同書によれば、当寺は元久年間(1204〜1206年)の草創と伝わり、天台宗、のち真言宗であったものが後に曹洞宗へ改められました。本寺は浜名郡白須賀(現在の湖西市白須賀)の蔵法寺です。
当寺は磐田市指定文化財を2件所蔵しています。江戸時代の絵師・大須賀陶山の筆になる「紙本著色十六羅漢画像」と、慶長6年(1601年)の初代中泉代官・伊奈忠次の「伊奈忠次判物」で、いずれも平成17年(2005年)11月21日に指定されました。長野県上田市別所温泉の安楽寺(国宝八角三重塔)など全国の同名寺院と混同されやすいため、当ページでは磐田市立野の寺院に関する資料のみを採用しています。
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歴史と背景
『磐田郡誌』にみえる由緒と元久年間の草創
『静岡県磐田郡誌』(1921年)は当寺を「129 安樂寺(井通村)」として立項し、「井通村立野字小山塚に在り。醫王山と號す。當國濱名郡白須賀藏法寺末にして、本尊は藥師如來なり」と記しています。由緒については、元久年間(1204〜1206年)の草創で、初め天台宗、のち真言宗であったものが、後に曹洞宗へ改められたと伝えます。元久年間は鎌倉幕府の草創期にあたり、この伝えの通りであれば、安楽寺は豊田地区でも指折りの古い草創伝承を持つ寺ということになります。山号の「医王山」は薬師如来の別名「医王」にちなむもので、本尊と山号が一体となった寺号構成です。
文禄4年の中興と本寺・白須賀の蔵法寺
郡誌はさらに、文禄4年(1595年)8月1日のこととして、当寺の檀越(有力な檀家)であった大橋兵四郎の二子が出家して白須賀の蔵法寺にあり、道屋乾達と号していたが、安楽寺に至って分派開山となり、勅請綸旨拝戴の小本寺格に列せられたと記しています。本寺の蔵法寺は現在の湖西市白須賀にある曹洞宗の寺で、浜名湖西岸の観光資料によれば、平安時代の790年頃の創建と伝わり、慶長3年(1598年)に曹洞宗へ改宗、遠州灘を望む「潮見観音(帆下げ観音)」の寺として知られ、天文16年(1547年)には人質として駿府へ送られる幼い徳川家康(竹千代)が宿舎とした故事を持ちます。安楽寺が浜名湖の西の蔵法寺から開山を迎えたことは、戦国末期の遠州で曹洞宗の法系が広域に結ばれていたことを示しています。
伊奈忠次判物と徳川政権初期の立野
磐田市公式ウェブサイトの市指定文化財一覧によれば、当寺所蔵の「伊奈忠次判物」は慶長6年(1601年)2月11日付の、初代中泉代官・伊奈忠次の文書で、近世初期の行政の在り方を示す貴重な史料と評価されています。伊奈忠次(1550〜1610年)は徳川家康に仕えた代官頭で、『日本大百科全書』などによれば検地・治水・新田開発に敏腕を振るい、関東代官頭として家康の直轄領支配を担った人物です。関ヶ原の戦いの翌年という時期に中泉代官から安楽寺へ発給されたこの判物は、徳川政権が成立していく過程で立野の村と寺がどのように把握されていったかを伝えます。同じ頃の伊奈忠次判物は市内の上万能・池田などにも伝来しており、安楽寺の判物はその一連の史料群の1つです。
江戸時代の立野村と安楽寺領3石
『日本歴史地名大系』の立野村の項によれば、立野は天竜川左岸の村で、村の北側を東海道が通り、天竜川沿いに飛地の長森がありました。文明12年(1480年)の授戒会に「タテ野」の平三郎らが参加した記録があり、天文13年(1544年)には「池田庄内立野村」の百姓職などの支配が後藤亀千代に命じられるなど、中世から池田庄の一部として歩んだ村です。江戸時代の正保郷帳では幕府領で、田方125石余・畑方115石余のほかに安楽寺領3石がみえ、当寺が幕府から寺領を認められていたことが確認できます。慶長6年(1601年)の伊奈忠次判物は、こうした寺領がどのような経緯で認められていったのかを考えるうえでも、手がかりになる史料といえます。
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文化財・見どころ
紙本著色十六羅漢画像
江戸時代の人・大須賀陶山の筆になる十六羅漢の画像です。磐田市の解説によれば、筆者が明らかな十六羅漢像は少なく、貴重な資料とされています。十六羅漢は釈迦の教えを守り伝えることを誓った16人の聖者で、禅宗寺院で広く尊ばれてきた画題です。
伊奈忠次判物
慶長6年(1601年)2月11日付の、初代中泉代官・伊奈忠次の文書です。磐田市の解説では、近世初期の行政の在り方を示す貴重な史料と評価されています。同時期の伊奈忠次判物は上万能・池田などにも伝来しており、徳川政権初期の中泉代官支配を示す一連の史料群の1つです。
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宗派と本尊を知る
安楽寺は曹洞宗に属し、『静岡県磐田郡誌』(1921年)は本尊を薬師如来と記しています。山号の医王山は薬師如来の別名「医王」に由来するとみられ、天台・真言の時代から受け継がれた薬師信仰が、曹洞宗への改宗後も寺の中心にあり続けたことをうかがわせます。病平癒と現世安穏を願う人びとの祈りと、坐禅を旨とする禅の家風が、この寺で800年にわたり重なり合ってきました。なお郡誌の記載は大正10年時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
薬師如来という仏さま
薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来といい、東方の浄瑠璃世界と呼ばれる浄土の教主とされる仏さまです。菩薩として修行していた時代に12の大願を立て、その中で人びとの病を取り除き、心身を安らかにすることを誓ったと経典に説かれています。誓いには、飢えや渇きに苦しむ人を救い、衣類の乏しい人に衣を施すことも含まれ、心と身体の両面から人びとを支える仏さまです。左手に薬壺を持つ姿が広く知られ、古くから「お薬師さま」の呼び名で親しまれてきました。
来世の救いを担う阿弥陀如来に対して、薬師如来は現世で救いの手を差し伸べる仏とされ、奈良時代(8世紀)から病気平癒や健康長寿を願う現世利益の信仰を集めてきました。脇には日光菩薩と月光菩薩が控え、昼も夜も絶え間なく人びとを見守ってくださると伝えられます。
薬師如来を本尊とする寺院では、家族の病気平癒や無病息災、厄除けの祈願が折々に営まれ、暮らしに寄り添う仏として大切にされてきました。お参りの際には、日々を健やかに送れることへの感謝を込めて手を合わせたいものです。
参考: お薬師様の十二大願(奈良薬師寺 公式サイト)/ご本尊・薬師如来(薬師寺東京別院 公式サイト)/薬師如来(新薬師寺 公式ホームページ)
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地域とのつながり
安楽寺のある立野は、天竜川左岸の低地に開けた集落です。『日本歴史地名大系』によれば、村の北側を東海道が通り、天竜川沿いには飛地の長森がありました。中世には松尾社領として成立した池田庄(嘉応2年=1170年初出)の庄域に含まれ、天文13年(1544年)の文書に「池田庄内立野村」とみえます。池田の渡しで天竜川を越える東海道の道筋に近く、川と街道の恵みを受けて暮らした村でした。
立野は明治期には井通村の大字となり、昭和30年(1955年)以降は豊田村・豊田町を経て、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となった旧豊田町域の集落です。安楽寺の2件の市指定文化財が指定されたのも、この合併の年でした。鎌倉時代の草創伝承、戦国末期の檀越・大橋氏による中興、徳川政権初期の伊奈忠次判物と、寺に残る記憶はそのまま立野の村の歩みと重なっています。檀家にとっては、菩提寺の宝物が村の800年の歴史を証す存在となっています。
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年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
寺院の公開情報が限られているため、法要・供養・お墓参りに関する相談は、曹洞禅ナビ掲載の連絡先を通じて寺院へ直接確認してください。
市指定文化財2件の公開状況は確認できていません。閲覧を希望する場合は事前に寺院へ相談してください。
- 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要など)の有無・日程は未確認
- 墓地・永代供養・護持会等の取扱いは未確認
- 現在の本尊・伽藍の様子(郡誌の記載は1921年時点)は未確認
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
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よくある質問
- 安楽寺の読み方は?
-
「あんらくじ」と読みます。曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」に、フリガナ「アンラクジ」・磐田市立野477の寺院として登載されています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗の寺院です。大正10年(1921年)刊の『磐田郡誌』は、山号を医王山、本尊を薬師如来と記しています。現在の本尊の様子は確認できていません。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ開かれたお寺ですか?
-
『磐田郡誌』によれば元久年間(1204〜1206年)の草創と伝わります。初め天台宗、のち真言宗で、後に曹洞宗へ改められ、文禄4年(1595年)に分派開山を迎えて中興されました。
本文「歴史と背景」を読む - 市指定文化財にはどんなものがありますか?
-
「紙本著色十六羅漢画像」(大須賀陶山筆)と「伊奈忠次判物」(慶長6年2月11日付)の2件で、いずれも平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財となりました。
本文「文化財・見どころ」を読む - 伊奈忠次とは誰ですか?
-
徳川家康に仕えた代官頭(1550〜1610年)で、検地・治水・新田開発に敏腕を振るった人物です。初代中泉代官として発給した判物が当寺に伝わっています。
本文「文化財・見どころ」を読む - 本寺はどこのお寺ですか?
-
『磐田郡誌』は浜名郡白須賀の蔵法寺の末寺と記しています。現在の湖西市白須賀にある曹洞宗の寺で、「潮見観音(帆下げ観音)」で知られています。
本文「歴史と背景」を読む - 長野県の安楽寺(国宝八角三重塔)と同じお寺ですか?
-
別の寺院です。長野県上田市別所温泉の安楽寺など全国の同名寺院の情報が検索上位に出やすいため、当ページでは磐田市立野の寺院に関する資料のみを採用しています。
本文「この寺院について」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9358。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「129 安樂寺(井通村)」p.699-700
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ458-459)。井通村立野字小山塚・医王山・白須賀蔵法寺末・本尊薬師如来・元久年間草創・天台→真言→曹洞の改宗・文禄4年8月朔日の分派開山(檀越大橋兵四郎の二子、道屋乾達)・勅請綸旨拝戴の小本寺格の由緒全文を原本画像で確認
- 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
所有者「安楽寺」・所在地「立野」の市指定文化財2件(紙本著色十六羅漢画像=大須賀陶山作、伊奈忠次判物=慶長6年2月11日付)の名称・種別・指定年月日・解説を本文で確認
- 郷土資料 コトバンク「立野村」(日本歴史地名大系)
天竜川左岸・北側を東海道が通る村域、飛地長森、文明12年の授戒会に「タテ野」の平三郎、天文13年の「池田庄内立野村」、正保郷帳の幕府領(田方125石余・畑方115石余)と安楽寺領3石、元禄郷帳の村高337石余を本文で確認
- 郷土資料 コトバンク「池田庄」(日本歴史地名大系)
嘉応2年(1170年)初出の松尾社領池田庄が現豊田町域のほぼ全域に広がっていたこと、東海道が庄内を通過していたと考えられることを本文で確認。立野が中世に池田庄域であった文脈の根拠
- 郷土資料 蔵法寺|浜名湖・湖西 観光情報サイト
湖西市白須賀5350-1の蔵法寺について、平安時代790年頃の創建伝承、慶長3年(1598年)の曹洞宗改宗、潮見観音(帆下げ観音)、天文16年(1547年)に人質として護送される竹千代(徳川家康)の宿舎となった故事、慶長8年の朱印地23石を本文で確認
- 郷土資料 コトバンク「伊奈忠次」(日本大百科全書ほか)
伊奈忠次(1550〜1610年)が徳川家康に仕え、検地・治水・新田開発に敏腕を振るった代官頭であり、関東代官頭として直轄領支配を担ったことを本文で確認
- 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 寺院検索「安楽寺」
住所(磐田市立野477)・フリガナ(アンラクジ)を照合し当該寺院と確認。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄(既存出典の引き継ぎ)
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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