見付地区・現存
善導寺
ぜんどうじ
善導寺(ぜんどうじ)は、磐田市見付にある浄土宗の寺院で、正式には玉光山稱名院善導寺(称名院)と称します。南北朝時代の応安年間の開創と伝わる古刹で、長く現在の磐田駅北口前(中泉)に境内を構えていましたが、駅前開発に伴い昭和42年(1967年)に現在地へ移転しました。旧境内に残る推定樹齢700年の大樟は静岡県指定天然記念物です。
別称・関連名称玉光山稱名院善導寺/玉光山称名院善導寺
- 寺院名
- 善導寺
- 地区
- 見付
- 住所
- 静岡県磐田市見付1番地の10
- 宗派
- 浄土宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 善導寺
- 読み方
- ぜんどうじ
- 地区
- 見付
- 宗派
- 浄土宗
- ご本尊(資料上)
- 調査中・加筆待ち
- ご本尊の現在の確認状況
- 未確認
- 住所
- 静岡県磐田市見付1番地の10
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 6件の年中行事・法要情報を掲載
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 旧境内地(磐田駅北口前)の大樟が静岡県指定天然記念物「善導寺の大樟」(1959年4月14日指定)
- 最終確認日
- 2026.07.12
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 善導寺
- 宗派
- 浄土宗
- 本尊
- 未確認
- 創建
- 応安6年(1373年)創建。開山は善蓮社岌誉照山廊道上人(静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介による)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市見付1番地の10
- 地区
- 見付
Database 02
沿革
応安の開創と2つの伝え
善導寺の創建については、資料により2つの伝えがあります。静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介は、開山上人を善蓮社岌誉照山廊道上人、開基年次を応安6年(1373年)と記しています。一方、磐田市教育委員会の現地案内板をもとにした郷土サイトには、応安4年(1371年)に旭光房という僧が浄土宗の祖師・善導大師の像を背負って当地を訪れた際に開かれたと伝わる、との記述もあります。開創年には2年の幅がありますが、いずれにしても南北朝時代の応安年間に草創されたとする点は一致しており、見付・中泉周辺でも創建年の伝えが明確な浄土宗寺院の1つです。応安年間は法然上人の入滅からおよそ160年、浄土宗の教えが東海道筋の町々へ広がっていった時代にあたり、遠江国府の故地であり交通の要衝であった見付・中泉の地に念仏の道場が開かれたことは、その広がりの一端を示しています。旭光房と岌誉照山廊道上人の関係については資料上確認できておらず、今後の調査課題です。
善導大師と念仏の法脈
寺号の由来となった善導大師は、「南無阿弥陀仏」と口に称える称名念仏の教えを大成した中国唐代の高僧で、法然上人はその著作に導かれて浄土宗を開きました。善導寺には善導大師像と法然上人像がともに寺宝として伝えられており、院号の「稱名院」も称名念仏に由来する名です。寺に伝わる弥陀三尊立像は阿弥陀如来と観音・勢至の両菩薩の三尊形式で、浄土信仰の中心となる仏です。旭光房が善導大師像を背負って来訪したという開創伝承もあわせ、この寺が善導大師への崇敬を軸に念仏の法脈を伝えてきたことがうかがえます。全国に「善導寺」を名乗る浄土宗寺院は各地にありますが、見付の善導寺もまた、その名のとおり善導大師の教えを寺の看板として掲げ続けてきた1か寺です。開山の善蓮社岌誉照山廊道上人の「善蓮社」は浄土宗の僧侶に代々受け継がれる号で、この寺の法脈が宗門の正統な相承の中にあることを示しています。
元禄の大涅槃絵軸と江戸期の寺観
寺宝の大涅槃絵軸は、元禄2年(1689年)に絵師の宗春・輝信兄弟によって描かれたものです。涅槃図は釈迦の入滅の場面を描いた仏画で、涅槃会(2月15日)に掛けられて人々の礼拝を受けてきました。江戸時代の善導寺は、東海道の見付宿にほど近い中泉の地に伽藍を構えており、元禄期に大型の仏画が調えられたことは、当時の檀家・信徒の信仰の厚さを物語ります。明治期に中泉駅(現在の磐田駅)が開設されると、善導寺の門前は駅前の街並みへと変わっていきました。大涅槃絵軸を描いた宗春・輝信が兄弟の絵師であったことは宗派資料に明記されており、地方寺院の仏画制作の実相を伝える事例としても興味深いものです。
駅前開発による移転
善導寺は長く現在の磐田駅北口前(中泉)に境内を構えていましたが、駅前の開発工事に伴い、昭和42年(1967年)に見付の東大久保へ移転しました。磐田市教育委員会の現地案内板をもとにした郷土サイトがこの経緯を伝えています。境内にあった推定樹齢700年の大樟は、あまりの大きさゆえに移すことができず旧地に留まり、寺だけが新しい土地へ移るという、鉄道と駅前開発の時代ならではの歩みをたどりました。移転はすでに大樟が県指定天然記念物となった後のことで、木は磐田市の所有として旧地で保護される道が選ばれました。現在の境内は見付の台地の一角にあり、移転から半世紀以上を経て、地域の菩提寺としての営みが続けられています。檀家にとっては、磐田駅前の大樟を見上げることが、そのまま寺の来し方を偲ぶことにつながっています。
念仏の年中行事と檀信徒の営み
静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介によれば、善導寺の年中行事は修正会・御忌会・施餓鬼会・十夜法要で、定例行事として吉水流詠唱が行われています。修正会は檀信徒新年会を兼ねて営まれ、新年の始まりに檀家が本堂に集う機会となっています。御忌会は宗祖法然上人の忌日の法要です。十夜法要は11月21日から23日にかけて営まれ、子供会・念佛講とあわせて実施されると記されており、施餓鬼会も11月23日に十夜とあわせて行われるとされます。念仏を子どもから年配者まで世代を超えて受け継ぐ行事の組み立てになっていることが、この寺の特色です。吉水流詠唱は浄土宗の詠唱(御詠歌・和讃)の流派で、鈴と鉦の音にあわせて仏の教えを歌う伝統が、定例の稽古として続けられています。
旧地に残る県指定天然記念物の大樟
磐田駅北口前(中泉596)に立つ「善導寺の大樟」は、昭和34年(1959年)4月14日に静岡県指定天然記念物に指定されたクスノキの大樹です。県の文化財資料では目通り8.20メートル、高さ28メートル、樹勢旺盛と記録され、現在の所有者は磐田市です。推定樹齢は700年とされ、応安年間の寺の草創期からこの地の歩みを見つめてきた計算になります。磐田市の解説によれば、この大樟はかつての善導寺の墓所の目印として植えられたと伝えられ、中泉駅(現在の磐田駅)の開設以来、駅前の賑わいを見守り続けてきました。寺の移転後も旧地に残った大樟は、磐田駅前のランドマークとして市民に親しまれており、善導寺の歴史を今も駅前で伝え続けています。なお、郷土サイトには樹高18.3メートル・根元幹周32.9メートルとする計測値も紹介されており、県資料の数値と異なるため、最新の計測情報の確認が続けられています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 未確認
- 宗教的意味
- 善導寺は浄土宗の寺院で、静岡教区西遠組に属します。寺号は宗祖法然上人が師と仰いだ善導大師に、院号の稱名院は「南無阿弥陀仏」と称える称名念仏にちなみ、寺宝として弥陀三尊・善導大師・法然上人の各立像が伝わります。本尊については、郷土サイトに阿弥陀如来との記載がありますが、宗派公式資料には明記がなく確認を続けています。修正会・御忌会・施餓鬼会・十夜法要の年中行事と吉水流詠唱の定例行事が営まれる、念仏信仰の寺です。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
善導寺の大樟(善導寺の大クス)
旧境内地である磐田駅北口前(中泉596)に立つ推定樹齢700年のクスノキです。昭和34年(1959年)4月14日指定で、県の文化財資料では目通り8.20メートル、高さ28メートル、樹勢旺盛と記されています。かつての善導寺の墓所の目印として植えられたと伝えられ、昭和42年(1967年)の寺の移転後も旧地に残り、現在の所有者は磐田市です。駅前のシンボルとして親しまれています。
Database 06
年中法要
- 修正会(檀信徒新年会)1月
静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介による
- 御忌会
法然上人の忌日法要。静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介による
- 聖観世音大祭4月17日
境内観音堂の祭礼とされる。原典ページを直接確認できておらず参考情報
- 朝観音祭礼8月10日
早朝参拝の祭礼とされる。原典ページを直接確認できておらず参考情報
- 施餓鬼会11月23日
十夜法要とあわせて実施されるとされる
- 十夜法要11月21日から23日
子供会・念佛講とあわせて実施。静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介による
- 吉水流詠唱定例
浄土宗の詠唱(御詠歌)の定例行事。静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介による
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
善導寺の歩みは、磐田の2つの町の歴史と重なっています。旧地の中泉は、徳川家康が造営した中泉御殿(寛文10年〈1670年〉廃止)が置かれた土地で、明治期に中泉駅(現在の磐田駅)が開設されると駅前の街として発展しました。善導寺の大樟が「中泉駅開設以来、駅前の賑わいを見守り続けてきた」と磐田市が解説するとおり、寺と大樟は中泉の近代化の生き証人でした。昭和42年(1967年)の移転は駅前開発という時代の要請によるもので、大樟だけが旧地に残って県指定天然記念物として守られていることは、開発と保存の両立を図った当時の選択を今に伝えています。
現在の境内がある見付は、奈良時代に遠江国府が置かれ、近世には東海道の見付宿として栄えた町です。善導寺が移転した東大久保はその見付の台地の一角で、遠州三十三観音霊場など多くの札所寺院が集まる寺町の文脈に連なっています。郷土サイトには、善導寺が遠州一姫・福地蔵霊場の第8番札所と記されており(裏付けは調査中)、移転後も地域の巡拝の輪の中に位置づけられてきたことがうかがえます。修正会が檀信徒新年会を兼ね、十夜法要が子供会・念佛講とあわせて営まれるなど、檀家とともに歩む行事が寺の暮らしの中心にあります。中泉の駅前と見付の台地、2つの土地の記憶を1つの寺史の中に持つことは磐田市内の寺院でも珍しく、駅前の大樟と現在の境内をあわせて訪ねることで、磐田の街の移り変わりを体感することができます。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9065
- 宗派公式資料静岡教区浄土宗青年会「143 善導寺 磐田市見付」
山号院号(玉光山稱名院)、開山善蓮社岌誉照山廊道上人、開基応安6年(1373)、寺宝(弥陀三尊・善導大師・法然上人各立像、大涅槃絵軸=元禄2年・宗春輝信兄弟筆)を確認
- 宗派公式資料浄土宗 寺院検索「善導寺」
浄土宗寺院であること、所在地(磐田市見付1番地10号)を確認
- 行政・公的資料しずおか文化財ナビ「善導寺の大樟」(静岡県公式)
県指定天然記念物、指定日1959年4月14日、所在地磐田市中泉596、目通り8.20m・高さ28m・樹勢旺盛、所有者磐田市を確認
- 民間二次情報静岡県:歴史・観光・見所「善導寺の大樟(磐田市)」
応安4年(1371)旭光房開山の伝承、昭和42年(1967)の見付東大久保への移転(磐田駅前開発工事に伴う)、大樟が旧地に残った経緯、遠州一姫・福地蔵第8番札所との記載を確認(典拠は磐田市教育委員会の現地案内板と明記)
- 行政・公的資料県指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
県指定文化財の分類・指定日・所有者を一覧表で確認
- 行政・公的資料磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)
磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合
- 行政・公的資料県指定文化財 善導寺の大樟|磐田市公式ウェブサイト
磐田市の個別解説。かつての善導寺の墓所の目印として植えられたと伝えられる旨、駅前の賑わいを見守ってきた旨を確認。
- 民間二次情報卍玉光山 称名院 善導寺|静岡県磐田市
聖観世音大祭・朝観音祭礼・十夜法要の日程情報(直接アクセス不可のため検索結果経由での参考情報)
最終更新日 2026.07.19
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この寺院について
善導寺は磐田市見付1番地の10に所在する浄土宗の寺院です。山号は玉光山、院号は稱名院(称名院)で、浄土宗の公式寺院検索に登録され、静岡教区では西遠組に属しています。寺号の「善導寺」は、浄土宗の宗祖・法然上人が師と仰いだ中国唐代の高僧・善導大師にちなむもので、院号の稱名院は「南無阿弥陀仏」と称える称名念仏に由来します。
静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介によれば、開山は善蓮社岌誉照山廊道上人、開基年次は応安6年(1373年)で、南北朝時代にさかのぼる創建の伝えを持ちます。寺宝として弥陀三尊・善導大師・法然上人の各立像と、元禄2年(1689年)に絵師の宗春・輝信兄弟が描いた大涅槃絵軸が伝えられています。
もとは中泉(現在の磐田駅北口前)に境内を構えていましたが、駅前の開発工事に伴い昭和42年(1967年)に見付(東大久保)へ移転しました。旧境内に立つ推定樹齢700年の大樟は移転せず旧地に残り、静岡県指定天然記念物「善導寺の大樟」として磐田駅前のシンボルになっています。寺と大樟の2つの場所が、この寺の650年の歴史を伝えています。
02
歴史と背景
応安の開創と2つの伝え
善導寺の創建については、資料により2つの伝えがあります。静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介は、開山上人を善蓮社岌誉照山廊道上人、開基年次を応安6年(1373年)と記しています。一方、磐田市教育委員会の現地案内板をもとにした郷土サイトには、応安4年(1371年)に旭光房という僧が浄土宗の祖師・善導大師の像を背負って当地を訪れた際に開かれたと伝わる、との記述もあります。開創年には2年の幅がありますが、いずれにしても南北朝時代の応安年間に草創されたとする点は一致しており、見付・中泉周辺でも創建年の伝えが明確な浄土宗寺院の1つです。応安年間は法然上人の入滅からおよそ160年、浄土宗の教えが東海道筋の町々へ広がっていった時代にあたり、遠江国府の故地であり交通の要衝であった見付・中泉の地に念仏の道場が開かれたことは、その広がりの一端を示しています。旭光房と岌誉照山廊道上人の関係については資料上確認できておらず、今後の調査課題です。
善導大師と念仏の法脈
寺号の由来となった善導大師は、「南無阿弥陀仏」と口に称える称名念仏の教えを大成した中国唐代の高僧で、法然上人はその著作に導かれて浄土宗を開きました。善導寺には善導大師像と法然上人像がともに寺宝として伝えられており、院号の「稱名院」も称名念仏に由来する名です。寺に伝わる弥陀三尊立像は阿弥陀如来と観音・勢至の両菩薩の三尊形式で、浄土信仰の中心となる仏です。旭光房が善導大師像を背負って来訪したという開創伝承もあわせ、この寺が善導大師への崇敬を軸に念仏の法脈を伝えてきたことがうかがえます。全国に「善導寺」を名乗る浄土宗寺院は各地にありますが、見付の善導寺もまた、その名のとおり善導大師の教えを寺の看板として掲げ続けてきた1か寺です。開山の善蓮社岌誉照山廊道上人の「善蓮社」は浄土宗の僧侶に代々受け継がれる号で、この寺の法脈が宗門の正統な相承の中にあることを示しています。
元禄の大涅槃絵軸と江戸期の寺観
寺宝の大涅槃絵軸は、元禄2年(1689年)に絵師の宗春・輝信兄弟によって描かれたものです。涅槃図は釈迦の入滅の場面を描いた仏画で、涅槃会(2月15日)に掛けられて人々の礼拝を受けてきました。江戸時代の善導寺は、東海道の見付宿にほど近い中泉の地に伽藍を構えており、元禄期に大型の仏画が調えられたことは、当時の檀家・信徒の信仰の厚さを物語ります。明治期に中泉駅(現在の磐田駅)が開設されると、善導寺の門前は駅前の街並みへと変わっていきました。大涅槃絵軸を描いた宗春・輝信が兄弟の絵師であったことは宗派資料に明記されており、地方寺院の仏画制作の実相を伝える事例としても興味深いものです。
駅前開発による移転
善導寺は長く現在の磐田駅北口前(中泉)に境内を構えていましたが、駅前の開発工事に伴い、昭和42年(1967年)に見付の東大久保へ移転しました。磐田市教育委員会の現地案内板をもとにした郷土サイトがこの経緯を伝えています。境内にあった推定樹齢700年の大樟は、あまりの大きさゆえに移すことができず旧地に留まり、寺だけが新しい土地へ移るという、鉄道と駅前開発の時代ならではの歩みをたどりました。移転はすでに大樟が県指定天然記念物となった後のことで、木は磐田市の所有として旧地で保護される道が選ばれました。現在の境内は見付の台地の一角にあり、移転から半世紀以上を経て、地域の菩提寺としての営みが続けられています。檀家にとっては、磐田駅前の大樟を見上げることが、そのまま寺の来し方を偲ぶことにつながっています。
念仏の年中行事と檀信徒の営み
静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介によれば、善導寺の年中行事は修正会・御忌会・施餓鬼会・十夜法要で、定例行事として吉水流詠唱が行われています。修正会は檀信徒新年会を兼ねて営まれ、新年の始まりに檀家が本堂に集う機会となっています。御忌会は宗祖法然上人の忌日の法要です。十夜法要は11月21日から23日にかけて営まれ、子供会・念佛講とあわせて実施されると記されており、施餓鬼会も11月23日に十夜とあわせて行われるとされます。念仏を子どもから年配者まで世代を超えて受け継ぐ行事の組み立てになっていることが、この寺の特色です。吉水流詠唱は浄土宗の詠唱(御詠歌・和讃)の流派で、鈴と鉦の音にあわせて仏の教えを歌う伝統が、定例の稽古として続けられています。
旧地に残る県指定天然記念物の大樟
磐田駅北口前(中泉596)に立つ「善導寺の大樟」は、昭和34年(1959年)4月14日に静岡県指定天然記念物に指定されたクスノキの大樹です。県の文化財資料では目通り8.20メートル、高さ28メートル、樹勢旺盛と記録され、現在の所有者は磐田市です。推定樹齢は700年とされ、応安年間の寺の草創期からこの地の歩みを見つめてきた計算になります。磐田市の解説によれば、この大樟はかつての善導寺の墓所の目印として植えられたと伝えられ、中泉駅(現在の磐田駅)の開設以来、駅前の賑わいを見守り続けてきました。寺の移転後も旧地に残った大樟は、磐田駅前のランドマークとして市民に親しまれており、善導寺の歴史を今も駅前で伝え続けています。なお、郷土サイトには樹高18.3メートル・根元幹周32.9メートルとする計測値も紹介されており、県資料の数値と異なるため、最新の計測情報の確認が続けられています。
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文化財・見どころ
善導寺の大樟(善導寺の大クス)
旧境内地である磐田駅北口前(中泉596)に立つ推定樹齢700年のクスノキです。昭和34年(1959年)4月14日指定で、県の文化財資料では目通り8.20メートル、高さ28メートル、樹勢旺盛と記されています。かつての善導寺の墓所の目印として植えられたと伝えられ、昭和42年(1967年)の寺の移転後も旧地に残り、現在の所有者は磐田市です。駅前のシンボルとして親しまれています。
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宗派と本尊を知る
善導寺は浄土宗の寺院で、静岡教区西遠組に属します。寺号は宗祖法然上人が師と仰いだ善導大師に、院号の稱名院は「南無阿弥陀仏」と称える称名念仏にちなみ、寺宝として弥陀三尊・善導大師・法然上人の各立像が伝わります。本尊については、郷土サイトに阿弥陀如来との記載がありますが、宗派公式資料には明記がなく確認を続けています。修正会・御忌会・施餓鬼会・十夜法要の年中行事と吉水流詠唱の定例行事が営まれる、念仏信仰の寺です。
浄土宗とは
浄土宗は、法然上人が承安5年(1175年)に開いた宗派です。43歳で比叡山を下りた法然上人は、京都東山の吉水に草庵を結び、阿弥陀仏の本願を信じて「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えれば誰もが救われるという専修念仏の教えを説き広めました。総本山は、法然上人が晩年を過ごされた吉水の地に建つ京都の知恩院です。
教えの要は、特別な修行や学問ができなくても、お念仏ひとつで阿弥陀仏の極楽浄土に往生できるという点にあります。身分や境遇を問わないこの教えは、鎌倉時代以来、多くの人々の心のよりどころとなってきました。法然上人の教えの核心は、主著「選択本願念仏集」にまとめられています。
檀家の法要では、木魚に合わせて参列者も一緒にお念仏を唱和するのが浄土宗らしいひとときです。葬儀や年回法要でも、故人が極楽浄土へ往生することを願ってお念仏が重ねられます。10回のお念仏「十念」を大切にするなど、日々の暮らしの中でお念仏に親しむ工夫が伝えられています。
参考: 開宗850年 ―お念佛からはじまる幸せ―(浄土宗公式サイト)/知恩院にお参りしよう - 法然上人とお念仏(浄土宗総本山 知恩院)
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地域とのつながり
善導寺の歩みは、磐田の2つの町の歴史と重なっています。旧地の中泉は、徳川家康が造営した中泉御殿(寛文10年〈1670年〉廃止)が置かれた土地で、明治期に中泉駅(現在の磐田駅)が開設されると駅前の街として発展しました。善導寺の大樟が「中泉駅開設以来、駅前の賑わいを見守り続けてきた」と磐田市が解説するとおり、寺と大樟は中泉の近代化の生き証人でした。昭和42年(1967年)の移転は駅前開発という時代の要請によるもので、大樟だけが旧地に残って県指定天然記念物として守られていることは、開発と保存の両立を図った当時の選択を今に伝えています。
現在の境内がある見付は、奈良時代に遠江国府が置かれ、近世には東海道の見付宿として栄えた町です。善導寺が移転した東大久保はその見付の台地の一角で、遠州三十三観音霊場など多くの札所寺院が集まる寺町の文脈に連なっています。郷土サイトには、善導寺が遠州一姫・福地蔵霊場の第8番札所と記されており(裏付けは調査中)、移転後も地域の巡拝の輪の中に位置づけられてきたことがうかがえます。修正会が檀信徒新年会を兼ね、十夜法要が子供会・念佛講とあわせて営まれるなど、檀家とともに歩む行事が寺の暮らしの中心にあります。中泉の駅前と見付の台地、2つの土地の記憶を1つの寺史の中に持つことは磐田市内の寺院でも珍しく、駅前の大樟と現在の境内をあわせて訪ねることで、磐田の街の移り変わりを体感することができます。
06
年中行事・参拝の手引き
年中行事・法要
- 修正会(檀信徒新年会)(1月)
静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介による
- 御忌会
法然上人の忌日法要。静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介による
- 聖観世音大祭(4月17日)
境内観音堂の祭礼とされる。原典ページを直接確認できておらず参考情報
- 朝観音祭礼(8月10日)
早朝参拝の祭礼とされる。原典ページを直接確認できておらず参考情報
- 施餓鬼会(11月23日)
十夜法要とあわせて実施されるとされる
- 十夜法要(11月21日から23日)
子供会・念佛講とあわせて実施。静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介による
- 吉水流詠唱(定例)
浄土宗の詠唱(御詠歌)の定例行事。静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介による
参拝・法要で訪れる方へ
現在の境内は見付(東大久保)です。旧地の磐田駅北口前には大樟のみが残っており、法要等で訪れる際は現在地へお参りください。
旧地の大樟は静岡県指定天然記念物で、所有者は磐田市です。根元を踏み固めたり幹を傷つけたりしないよう、保護に協力してください。
行事の日時・内容は年により変わることがあります。参列や法要を予定する際は、事前に寺院へ直接確認してください。
- 聖観世音大祭(4月17日)・朝観音祭礼(8月10日)の現行の実施状況
- 永代供養墓・納骨堂等の供養形態の有無(公開情報では確認できず)
- 護持会・念佛講など檀家組織の現在の活動内容
- 駐車場等の参拝環境の詳細
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 善導寺の読み方と正式名称は?
-
「ぜんどうじ」と読みます。正式には玉光山稱名院善導寺と称し、寺号は浄土宗の高祖・善導大師に、院号は「南無阿弥陀仏」と称える称名念仏にちなみます。表記は「稱名院」「称名院」の両方が用いられます。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
浄土宗で、静岡教区西遠組に属します。本尊は郷土サイトに阿弥陀如来との記載がありますが、宗派公式資料には明記がなく、現時点では確認を続けています。寺宝として弥陀三尊立像が伝わります。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ誰が開いたお寺ですか?
-
静岡教区浄土宗青年会の資料では応安6年(1373年)に善蓮社岌誉照山廊道上人が開山したとされます。現地案内板由来の郷土サイトには、応安4年(1371年)に旭光房が善導大師像を背負って訪れて開いたとの伝えもあります。いずれも南北朝時代の応安年間の草創とする点は一致しています。
本文「歴史と背景」を読む - なぜ磐田駅前から移転したのですか?
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長く現在の磐田駅北口前(中泉)に境内がありましたが、駅前の開発工事に伴い、昭和42年(1967年)に見付の東大久保へ移転しました。境内の大樟は移転が難しく、旧地に残されました。
本文「歴史と背景」を読む - 磐田駅前の大きなクスノキと関係がありますか?
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磐田駅北口前の大樟は善導寺の旧境内に立っていた木で、静岡県指定天然記念物「善導寺の大樟」です。推定樹齢700年、県の資料では目通り8.2メートル、高さ28メートル、樹勢旺盛と記録され、昭和34年(1959年)4月14日に指定されました。現在の所有者は磐田市です。
本文「文化財・見どころ」を読む - 大樟はなぜ植えられたと伝わりますか?
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磐田市の解説によれば、かつての善導寺の墓所の目印として植えられたと伝えられています。中泉駅(現在の磐田駅)の開設以来、駅前の賑わいを見守り続けてきた木です。
本文「文化財・見どころ」を読む - どんな行事がありますか?
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修正会(檀信徒新年会)、御忌会(法然上人の忌日法要)、施餓鬼会、十夜法要(11月21日から23日、子供会・念佛講とあわせて実施)が営まれ、定例行事として吉水流詠唱が行われています。聖観世音大祭・朝観音祭礼の情報もありますが、現行の実施状況は確認中です。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む - どんな寺宝がありますか?
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弥陀三尊・善導大師・法然上人の各立像と、元禄2年(1689年)に絵師の宗春・輝信兄弟が描いた大涅槃絵軸が伝えられています。涅槃図は釈迦の入滅の場面を描いた仏画で、涅槃会に掛けられて礼拝されてきました。
本文「この寺院について」を読む - 吉水流詠唱とは何ですか?
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浄土宗の詠唱(御詠歌・和讃)の流派の1つで、鈴と鉦の音にあわせて仏の教えを歌うものです。善導寺では定例行事として吉水流詠唱の稽古が続けられていると静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介に記されています。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む - お参りは駅前に行けばよいのですか?
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磐田駅北口前に残るのは県指定天然記念物の大樟のみで、寺は昭和42年(1967年)に見付の東大久保へ移転しています。法要などで訪れる際は現在の境内(磐田市見付1番地の10)へお参りください。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
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写真で見る境内
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出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9065。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 宗派公式資料 静岡教区浄土宗青年会「143 善導寺 磐田市見付」
山号院号(玉光山稱名院)、開山善蓮社岌誉照山廊道上人、開基応安6年(1373年)、寺宝(弥陀三尊・善導大師・法然上人各立像、大涅槃絵軸=元禄2年・宗春輝信兄弟筆)、年中行事(修正会・御忌会・施餓鬼会・十夜法要)、吉水流詠唱、西遠組所属を確認
- 宗派公式資料 浄土宗 寺院検索「善導寺」
浄土宗寺院であること、所在地(磐田市見付1番地10号)を確認
- 行政・公的資料 しずおか文化財ナビ「善導寺の大樟」(静岡県公式)
県指定天然記念物、指定日1959年4月14日、所在地磐田市中泉596、目通り8.20メートル・高さ28メートル・樹勢旺盛、所有者磐田市を確認
- 行政・公的資料 静岡県公式ホームページ「天然記念物」(県指定文化財一覧)
県指定天然記念物の一覧に磐田市の「善導寺の大樟」(所在地中泉596)が掲載されていることを確認
- 行政・公的資料 県指定文化財 善導寺の大樟|磐田市公式ウェブサイト
磐田市の個別解説。かつての善導寺の墓所の目印として植えられたと伝えられる旨、中泉駅開設以来駅前の賑わいを見守ってきた旨を確認
- 行政・公的資料 県指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
県指定文化財の分類・指定日・所有者を一覧表で確認
- 民間二次情報 静岡県:歴史・観光・見所「善導寺の大樟(磐田市)」
応安4年(1371年)旭光房開山の伝承、昭和42年(1967年)の見付東大久保への移転(磐田駅前開発工事に伴う)、大樟が旧地に残った経緯、遠州一姫・福地蔵第8番札所との記載を確認(典拠は磐田市教育委員会の現地案内板と明記)
- 行政・公的資料 磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)
磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合
- 民間二次情報 卍玉光山 称名院 善導寺|静岡県磐田市
聖観世音大祭・朝観音祭礼・十夜法要の日程情報(直接アクセス不可のため検索結果経由での参考情報)
- 行政・公的資料 ~遠江国はじまりの地~磐田に刻まれた歴史をたどる旅 | 磐田市観光協会
見付が奈良時代に遠江国府・遠江国分寺の置かれた遠江国の中心地であり、東海道28番目の宿場・見付宿として栄えたことを確認(地区の歴史文脈として使用)
- 行政・公的資料 徳川家康ゆかりの地 いわた | 磐田市観光協会
中泉御殿が寛文10年(1670年)に廃止されたこと(旧地・中泉の歴史文脈として使用)を確認
- 現地確認 現地確認(2026年7月、ATAWI TEMPLE編集部)
見付東大久保の現境内(本堂・山門・墓地)の現況を確認し、現地写真を記録
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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