豊岡地区・現存

一雲斉

いちうんさい

ページ充実度 充実 最終確認 2026.07.19

一雲斉(いちうんさい、一雲斎)は、磐田市下野部(旧磐田郡豊岡村域)にある曹洞宗の寺院です。山号は万世山。『静岡県磐田郡誌』によれば応永25年(1418年)に真巌和尚が開創し、大洞院開山の如仲和尚を開山に請じたと伝わり、江戸時代には朱印高15石と多くの末寺を擁した、遠州曹洞宗の歴史を語るうえで欠かせない古刹です。

別称・関連名称万世山一雲斎/萬世山一雲齋/一雲斎

寺院名
一雲斉
地区
豊岡
住所
静岡県磐田市下野部1776番地
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
一雲斉
読み方
いちうんさい
地区
豊岡
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
釈迦牟尼仏(『静岡県磐田郡誌』は地蔵菩薩と記載)
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市下野部1776番地
Googleマップ
Googleマップで開く
寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
門柱の刻字「萬世山一雲齋」
最終確認日
2026.07.19

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

一雲斉の現地写真1
現地写真・本堂・堂宇
一雲斉の現地写真2
境内全景
一雲斉の現地写真3
入口・石標
一雲斉の現地写真4
その他
一雲斉の現地写真5
その他
一雲斉の現地写真6
その他
宗派曹洞宗
創建・年代応永25年(1418年)
本尊釈迦牟尼仏(『静岡県磐田郡誌』は地蔵菩薩と記載)
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地豊岡・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
一雲斉
宗派
曹洞宗
本尊
釈迦牟尼仏(『静岡県磐田郡誌』は地蔵菩薩と記載)
創建
応永25年(1418年)
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市下野部1776番地
地区
豊岡

Database 02

沿革

応永25年の開創と真巌和尚

『静岡県磐田郡誌』には「一雲斎(野部村)」として「野部村下野部字といか谷口に在り。万世山と号す。周智郡可睡斎の末寺にして、本尊は地蔵菩薩なり。応永25年、真巌和尚の開創に係り、大洞院2世如仲和尚を請じて開山となす」と記されています。同郡誌が引く『遠江国風土記伝』にも「一雲斎(曹洞宗)在下野部。朱符田高十五石。開山如仲禅師之法嗣真巌和尚」とあり、開創者の真巌が如仲禅師の法嗣であったことが江戸時代の地誌からも確認できます。応永25年(1418年)は室町時代前期にあたり、一雲斉は磐田市域でも創建年代の古い曹洞宗寺院の1つといえます。

如仲天誾と遠州曹洞宗の展開

開山に請じられた如仲和尚(如仲天誾、1365〜1437年)は、周智郡森町の橘谷山大洞院を拠点として遠江地域への曹洞宗布教の中心となった高僧です。森町公式サイトの解説「大洞院6派の展開」によれば、15世紀後半から17世紀前半にかけて遠州で曹洞宗が急速に発展する原動力となったのが如仲の門下で、喜山性讃・真厳道空・物外性応・大輝霊曜・不琢玄珪・石叟円柱の6人の弟子からそれぞれ喜山派・真厳派・物外派・大輝派・不琢派・石叟派が生まれ、遠州各地に寺院網が広がりました。一雲斉の開創者真巌(真厳道空)はこの六派の一角を占める高僧であり、一雲斉は大洞院を核とする遠州曹洞宗の展開の最初期に位置付けられる寺院です。応永25年(1418年)という開創年は如仲の在世中にあたり、師弟が直接この谷口の地に法灯をともしたことになります。なお郡誌は近代の本末関係を「周智郡可睡斎の末寺」と記しており、中世の大洞院法系と近世以降の本末制度が層をなしていることが分かります。

川僧慧済と真巌派の成立

『静岡県磐田郡誌』は続けて、第3世の川僧慧済が三河国の出身で、真巌和尚に謁して席を継ぎ、能登国の総持寺(曹洞宗の大本山の1つ)に住した後に一雲斉へ帰り、文明7年(1475年)7月9日に示寂したこと、語録3巻があること、「真巌派」がここに起こったことを記しています。地方の一寺院の住職が大本山総持寺に輪住したことは当時の一雲斉の寺格の高さを示すもので、真巌派の名がこの寺を拠点に広がったことは、一雲斉が遠州曹洞宗の法系上の結節点であったことを物語ります。文明年間(1469〜1487年)には川僧の分派開創と伝わる末寺が上野部・合代島に相次いで生まれており、15世紀後半の一雲斉が周辺の村々へ活発に法系を広げていた様子がうかがえます。

末寺群と天正7年の掟書

『静岡県磐田郡誌』によれば、一雲斉は周辺に複数の末寺を擁していました。上野部の法音庵(鳳雄山、文明4年〔1472年〕7月)、薬王寺(東方山、文明5年〔1473年〕2月15日)、合代島の東林庵(林光山、文明6年〔1474年〕3月9日)はいずれも第3世川僧和尚の分派開創と記され、下野部の大養寺(龍寿山)は寛永年間に一雲斉第6世宗山を開山とし、光明村横川の江月庵(松風山)も一雲斉末とされています。また同郡誌の古文書欄には「一雲斎竹木不可伐採之事」として境内竹木の伐採を堅く禁じる天正7年(1579年)8月16日付の掟書が収録されており、戦国末期に寺領の保護を受けていたことがうかがえます。

江戸時代の朱印高15石と下野部村

江戸時代の一雲斉は、幕府から朱印高15石を認められた格式ある寺院でした。太田亮『遠江』(磯部甲陽堂、1927年)には「一雲齊(下野部村)曹洞宗十五石」とみえ、『遠江国風土記伝』の「朱符田高十五石」と一致します。この石高は、同じ豊岡地区では天龍院(上野部)の9石を上回り、敷地の中本寺永安寺の12石をも超える規模です。『日本歴史地名大系』の下野部村の項によれば、下野部村は正保郷帳に田方316石余・畑方35石余とみえ、寺社領は合計18石余とされており、村高の中で一雲斉の朱印15石が大きな割合を占めていたことが分かります。村は江戸時代のはじめ幕府領、元禄11年(1698年)からは旗本皆川領となって幕末に至り、幕末には天竜川の河川敷を開発した新田もつくられました。嘉永4年(1851年)の家数は93戸と記録されており、一雲斉はこうした川沿いの村の菩提寺として近世を歩みました。

寺号と一雲済川

寺の近くを流れる天竜川支流は一級河川「一雲済川」と表記され、静岡県が天竜川水系下流中遠ブロックの河川整備計画(平成14年〔2002年〕策定、令和8年〔2026年〕3月変更)を定めている川です。寺の少し上流には「一級河川 一雲済川 起点」の標識が立てられており、寺号の「斎(齋)」と河川名の「済」で表記が分かれていることが、現地を踏査した地域ブログで報告されています。寺の名がそのまま川の名になったのか、川の名が寺に由来するのかを示す資料は確認できていませんが、地域の骨格をなす川に寺と同じ音の名が付けられていること自体が、一雲斉が下野部の暮らしに深く根ざしてきたことの証しといえます。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
釈迦牟尼仏(『静岡県磐田郡誌』は地蔵菩薩と記載)
宗教的意味
一雲斉は曹洞宗に属し、大洞院開山の如仲天誾を開山、その法嗣真巌(真厳道空)を開創者とする真巌派の本拠として、遠州曹洞宗の法系上重要な位置を占めてきました。本尊について、現行の遠州四十九薬師霊場の札所一覧(医王寺公式サイト)は釈迦牟尼仏と記す一方、大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は地蔵菩薩と記しており、記載が分かれています。また同霊場の第31番札所として薬師如来を札所本尊に祀るとされ、禅の本尊と地域の薬師信仰が重なり合う寺院です。確定には寺院側資料での確認が必要です。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

境内の見どころ

門柱の刻字「萬世山一雲齋」

指定文化財はありませんが、現地を踏査した地域ブログ(2022年3月)には、門前の石柱に旧字体で「萬世山一雲齋」と刻まれていることが報告されています。山号万世山の表記を今に伝えるもので、寺号の「斎・斉・齋」の表記の揺れを考えるうえでも手掛かりとなります。刻字の年代や建立の経緯は確認できていません。

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

一雲斉のある下野部は、天竜川が山あいから遠州平野へ開ける下流域左岸の集落で、中世には野部郷と呼ばれた地域の遺称地です。寺の裏手から北東へは大楽地の谷が延び、一雲済川がこの谷を南下して天竜川へ注ぎます。静岡県の河川整備計画の対象となっているこの川は、流域の水田を潤し排水を受け持つ暮らしの川であり、一雲斉はその谷口に位置して、川と田とともにある村の祈りを預かってきました。

旧豊岡村域にあたる豊岡地区は、天竜川下流域左岸に広がる面積約39.78平方キロメートルの土地で、『日本歴史地名大系』によれば村域には約50の遺跡が登録され、天竜川左岸の段丘に立地する古墳群が主体です。昭和30年(1955年)に広瀬村・野部村・敷地村が合併して豊岡村となり、平成17年(2005年)に磐田市の一部となりました。下野部に近い天竜浜名湖鉄道豊岡駅の北東の丘陵地帯には、県西部で最大規模とされる約4,000本の豊岡梅園が広がり、山あいの地形を生かした農業の営みが続いています。

文明年間に一雲斉から分かれた法音庵・薬王寺(上野部)・東林庵(合代島)の伝えが示すように、一雲斉の法系は野部郷から周辺の村々へと広がり、地域の寺々のネットワークを形づくってきました。同じ豊岡地区の上野部には二俣城主松井氏の菩提寺天龍院(曹洞宗)もあり、天竜川左岸の村々に禅宗の寺が並び立つ景観は、中世から近世にかけてこの地域に曹洞宗が深く根を下ろした歴史を映しています。遠州四十九薬師霊場の第31番札所とされてきた歴史も、病平癒を願う人々の巡拝がこの谷あいの寺を訪れてきたことを伝えています。一雲斉は、遠州曹洞宗の歴史の証人であると同時に、下野部の檀家の暮らしに寄り添う菩提寺であり続けています。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9386

  2. 寺院公式情報遠州四十九薬師霊場 札所一覧(鎌田山医王寺 公式サイト)

    霊場札所一覧の本文で「第31番 万世山 一雲斎 曹洞宗 釈迦牟尼仏」の行を確認。山号・宗派・本尊・札所番号の根拠。

  3. 行政・公的資料旧豊岡村の住所表示|磐田市公式ウェブサイト

    下野部が旧豊岡村の大字であることを確認。

  4. 民間二次情報磐田市下野部大楽地を訪ねる①―「一雲斎」(自然と歴史の中を歩く!)

    検索結果上で門柱「萬世山一雲齋」の刻字と一雲済川に関する記述を確認したが、ページ本文の直接取得は403エラーで不可。補助的情報として扱い、要再確認。

  5. 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年・1921年)第13章 神社及宗教 曹洞宗寺院の項(188 法音庵・189 一雲斎・190 大養寺・191 東林庵)

    国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開)。466コマ目の本文画像で由緒・古文書・風土記伝引用の全文を確認。薬王寺・保安寺は465コマ目、江月庵は467コマ目。

  6. 郷土資料太田亮『遠江』磯部甲陽堂(昭和2年・1927年)

    NDLラボ次世代デジタルライブラリーの全文検索スニペットで「一雲齊(下野部村)曹洞宗十五石」の記述を確認。

  7. 宗派公式資料曹洞禅ナビ 寺院検索「一雲斎」

    住所(磐田市下野部1776)・フリガナ(イチウンサイ)を照合し当該寺院と確認。宗派公式の登録表記は「一雲斎」(斎の字)。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄

最終更新日 2026.07.19

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この寺院について

一雲斉は磐田市下野部1776番地に所在する曹洞宗の寺院です。曹洞宗の公式ポータル「曹洞禅ナビ」に磐田市下野部の寺院として掲載され、読み仮名は「イチウンサイ」、登録表記は「一雲斎」とされています。静岡県知事所轄宗教法人名簿にも磐田市内の宗教法人として掲載されており、宗門・行政の両方の名簿でその存在が確認できます。寺号は「一雲斉」「一雲斎」の両表記が用いられます。

大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば、山号は万世山、本尊は地蔵菩薩で、応永25年(1418年)に真巌和尚が開創し、周智郡森町の大洞院を開いた如仲和尚を請じて開山としました。江戸時代には朱印高15石を認められ、上野部・合代島などに末寺を擁した本寺格の寺院です。現行の遠州四十九薬師霊場の札所一覧では第31番「万世山一雲斎」とされ、本尊は釈迦牟尼仏、札所本尊として薬師如来を祀ると記載されています。

所在地の下野部は、天竜川下流域の左岸、中世野部郷の遺称地にあたる集落で、平成17年(2005年)の合併までは磐田郡豊岡村の大字でした。寺の近くには一級河川一雲済川が流れており、寺号と同じ音の川の名が、この寺と大楽地の谷の暮らしとの長い結び付きを物語っています。磐田市域の曹洞宗寺院の中でも創建が古く、朱印高・末寺数の面でも屈指の格式を伝えた寺院です。

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歴史と背景

応永25年の開創と真巌和尚

『静岡県磐田郡誌』には「一雲斎(野部村)」として「野部村下野部字といか谷口に在り。万世山と号す。周智郡可睡斎の末寺にして、本尊は地蔵菩薩なり。応永25年、真巌和尚の開創に係り、大洞院2世如仲和尚を請じて開山となす」と記されています。同郡誌が引く『遠江国風土記伝』にも「一雲斎(曹洞宗)在下野部。朱符田高十五石。開山如仲禅師之法嗣真巌和尚」とあり、開創者の真巌が如仲禅師の法嗣であったことが江戸時代の地誌からも確認できます。応永25年(1418年)は室町時代前期にあたり、一雲斉は磐田市域でも創建年代の古い曹洞宗寺院の1つといえます。

如仲天誾と遠州曹洞宗の展開

開山に請じられた如仲和尚(如仲天誾、1365〜1437年)は、周智郡森町の橘谷山大洞院を拠点として遠江地域への曹洞宗布教の中心となった高僧です。森町公式サイトの解説「大洞院6派の展開」によれば、15世紀後半から17世紀前半にかけて遠州で曹洞宗が急速に発展する原動力となったのが如仲の門下で、喜山性讃・真厳道空・物外性応・大輝霊曜・不琢玄珪・石叟円柱の6人の弟子からそれぞれ喜山派・真厳派・物外派・大輝派・不琢派・石叟派が生まれ、遠州各地に寺院網が広がりました。一雲斉の開創者真巌(真厳道空)はこの六派の一角を占める高僧であり、一雲斉は大洞院を核とする遠州曹洞宗の展開の最初期に位置付けられる寺院です。応永25年(1418年)という開創年は如仲の在世中にあたり、師弟が直接この谷口の地に法灯をともしたことになります。なお郡誌は近代の本末関係を「周智郡可睡斎の末寺」と記しており、中世の大洞院法系と近世以降の本末制度が層をなしていることが分かります。

川僧慧済と真巌派の成立

『静岡県磐田郡誌』は続けて、第3世の川僧慧済が三河国の出身で、真巌和尚に謁して席を継ぎ、能登国の総持寺(曹洞宗の大本山の1つ)に住した後に一雲斉へ帰り、文明7年(1475年)7月9日に示寂したこと、語録3巻があること、「真巌派」がここに起こったことを記しています。地方の一寺院の住職が大本山総持寺に輪住したことは当時の一雲斉の寺格の高さを示すもので、真巌派の名がこの寺を拠点に広がったことは、一雲斉が遠州曹洞宗の法系上の結節点であったことを物語ります。文明年間(1469〜1487年)には川僧の分派開創と伝わる末寺が上野部・合代島に相次いで生まれており、15世紀後半の一雲斉が周辺の村々へ活発に法系を広げていた様子がうかがえます。

末寺群と天正7年の掟書

『静岡県磐田郡誌』によれば、一雲斉は周辺に複数の末寺を擁していました。上野部の法音庵(鳳雄山、文明4年〔1472年〕7月)、薬王寺(東方山、文明5年〔1473年〕2月15日)、合代島の東林庵(林光山、文明6年〔1474年〕3月9日)はいずれも第3世川僧和尚の分派開創と記され、下野部の大養寺(龍寿山)は寛永年間に一雲斉第6世宗山を開山とし、光明村横川の江月庵(松風山)も一雲斉末とされています。また同郡誌の古文書欄には「一雲斎竹木不可伐採之事」として境内竹木の伐採を堅く禁じる天正7年(1579年)8月16日付の掟書が収録されており、戦国末期に寺領の保護を受けていたことがうかがえます。

江戸時代の朱印高15石と下野部村

江戸時代の一雲斉は、幕府から朱印高15石を認められた格式ある寺院でした。太田亮『遠江』(磯部甲陽堂、1927年)には「一雲齊(下野部村)曹洞宗十五石」とみえ、『遠江国風土記伝』の「朱符田高十五石」と一致します。この石高は、同じ豊岡地区では天龍院(上野部)の9石を上回り、敷地の中本寺永安寺の12石をも超える規模です。『日本歴史地名大系』の下野部村の項によれば、下野部村は正保郷帳に田方316石余・畑方35石余とみえ、寺社領は合計18石余とされており、村高の中で一雲斉の朱印15石が大きな割合を占めていたことが分かります。村は江戸時代のはじめ幕府領、元禄11年(1698年)からは旗本皆川領となって幕末に至り、幕末には天竜川の河川敷を開発した新田もつくられました。嘉永4年(1851年)の家数は93戸と記録されており、一雲斉はこうした川沿いの村の菩提寺として近世を歩みました。

寺号と一雲済川

寺の近くを流れる天竜川支流は一級河川「一雲済川」と表記され、静岡県が天竜川水系下流中遠ブロックの河川整備計画(平成14年〔2002年〕策定、令和8年〔2026年〕3月変更)を定めている川です。寺の少し上流には「一級河川 一雲済川 起点」の標識が立てられており、寺号の「斎(齋)」と河川名の「済」で表記が分かれていることが、現地を踏査した地域ブログで報告されています。寺の名がそのまま川の名になったのか、川の名が寺に由来するのかを示す資料は確認できていませんが、地域の骨格をなす川に寺と同じ音の名が付けられていること自体が、一雲斉が下野部の暮らしに深く根ざしてきたことの証しといえます。

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文化財・見どころ

境内の見どころ

門柱の刻字「萬世山一雲齋」

指定文化財はありませんが、現地を踏査した地域ブログ(2022年3月)には、門前の石柱に旧字体で「萬世山一雲齋」と刻まれていることが報告されています。山号万世山の表記を今に伝えるもので、寺号の「斎・斉・齋」の表記の揺れを考えるうえでも手掛かりとなります。刻字の年代や建立の経緯は確認できていません。

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宗派と本尊を知る

一雲斉は曹洞宗に属し、大洞院開山の如仲天誾を開山、その法嗣真巌(真厳道空)を開創者とする真巌派の本拠として、遠州曹洞宗の法系上重要な位置を占めてきました。本尊について、現行の遠州四十九薬師霊場の札所一覧(医王寺公式サイト)は釈迦牟尼仏と記す一方、大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は地蔵菩薩と記しており、記載が分かれています。また同霊場の第31番札所として薬師如来を札所本尊に祀るとされ、禅の本尊と地域の薬師信仰が重なり合う寺院です。確定には寺院側資料での確認が必要です。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

釈迦如来という仏さま

釈迦如来は、およそ2500年前にインドで実在した仏教の開祖、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)を仏として表したものです。ルンビニーの園で誕生し、29歳で出家、6年の苦行ののち菩提樹の下の坐禅で悟りを開き、80歳でクシナガラの地において入滅したと伝えられています。

誕生の際に唱えたと伝わる「天上天下唯我独尊」の言葉は、誰もがかけがえのない命を生きているという人間尊重の心を表すと受け止められています。坐禅の教えを受け継ぐ曹洞宗をはじめ、禅宗の寺院では釈迦牟尼仏を本尊と仰ぎます。誕生を祝う4月8日の降誕会(花まつり)には誕生仏に甘茶を注ぎ、悟りを開いた12月8日の成道会、入滅の日である2月15日の涅槃会と合わせて、三仏忌として特に大切に営まれてきました。

花まつりは子どもの健やかな成長を願う行事として地域の寺院でも親しまれています。本尊のお釈迦さまに手を合わせることは、すべての命が尊いというその教えに立ち返り、自らの生き方を見つめ直すことでもあります。

参考: 年中行事(曹洞宗 曹洞禅ネット 公式ページ)宗教行持の解説(鶴見大学・曹洞宗系学校法人)

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地域とのつながり

一雲斉のある下野部は、天竜川が山あいから遠州平野へ開ける下流域左岸の集落で、中世には野部郷と呼ばれた地域の遺称地です。寺の裏手から北東へは大楽地の谷が延び、一雲済川がこの谷を南下して天竜川へ注ぎます。静岡県の河川整備計画の対象となっているこの川は、流域の水田を潤し排水を受け持つ暮らしの川であり、一雲斉はその谷口に位置して、川と田とともにある村の祈りを預かってきました。

旧豊岡村域にあたる豊岡地区は、天竜川下流域左岸に広がる面積約39.78平方キロメートルの土地で、『日本歴史地名大系』によれば村域には約50の遺跡が登録され、天竜川左岸の段丘に立地する古墳群が主体です。昭和30年(1955年)に広瀬村・野部村・敷地村が合併して豊岡村となり、平成17年(2005年)に磐田市の一部となりました。下野部に近い天竜浜名湖鉄道豊岡駅の北東の丘陵地帯には、県西部で最大規模とされる約4,000本の豊岡梅園が広がり、山あいの地形を生かした農業の営みが続いています。

文明年間に一雲斉から分かれた法音庵・薬王寺(上野部)・東林庵(合代島)の伝えが示すように、一雲斉の法系は野部郷から周辺の村々へと広がり、地域の寺々のネットワークを形づくってきました。同じ豊岡地区の上野部には二俣城主松井氏の菩提寺天龍院(曹洞宗)もあり、天竜川左岸の村々に禅宗の寺が並び立つ景観は、中世から近世にかけてこの地域に曹洞宗が深く根を下ろした歴史を映しています。遠州四十九薬師霊場の第31番札所とされてきた歴史も、病平癒を願う人々の巡拝がこの谷あいの寺を訪れてきたことを伝えています。一雲斉は、遠州曹洞宗の歴史の証人であると同時に、下野部の檀家の暮らしに寄り添う菩提寺であり続けています。

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年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

法要・供養の相談は、曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」掲載の連絡先を通じて寺院へ直接確認してください。

寺号の表記は「一雲斉」「一雲斎」の両方が用いられています。位牌・過去帳・石塔などの表記と異なる場合も同じ寺院を指すことがあるため、不明な点は寺院へ直接確認してください。

駐車場の有無は確認できていないため、法事で車を利用する場合は事前に寺院へ確認すると安心です。

調査中の項目
  • 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要・薬師の縁日など)の有無・日程は未確認
  • 墓地・永代供養・納骨堂の取扱いは未確認
  • 梅花講などの講・詠讃歌活動の有無は未確認
  • 現在の本尊の安置状況(郡誌の地蔵菩薩と現行霊場一覧の釈迦牟尼仏の相違)は未確認
  • 薬師堂・薬師如来像の由来と安置状況は未確認
  • 檀家組織(護持会等)・駐車場の有無は未確認

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

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よくある質問

一雲斉の読み方は?

「いちうんさい」と読みます。曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」では「イチウンサイ」とフリガナが付され、登録表記は「一雲斎」です。「一雲斉」「一雲斎」の両表記が用いられ、門柱には旧字体「萬世山一雲齋」の刻字が報告されています。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

曹洞宗の寺院です。本尊は『静岡県磐田郡誌』(1921年)が地蔵菩薩、現行の遠州四十九薬師霊場一覧(医王寺公式サイト)が釈迦牟尼仏と記しており、資料により記載が分かれています。札所本尊としては薬師如来を祀るとされ、確定には寺院側資料での確認が必要です。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ誰が開いたお寺ですか?

『静岡県磐田郡誌』によれば、応永25年(1418年)に真巌和尚が開創し、森町の大洞院を拠点とした如仲和尚を請じて開山としました。真巌は如仲禅師の法嗣と『遠江国風土記伝』に記され、開創年は如仲の在世中(1365〜1437年)にあたります。

本文「歴史と背景」を読む
真巌派とは何ですか?

如仲天誾の6人の弟子から生まれた遠州曹洞宗の六派の1つで、一雲斉の開創者真巌(真厳道空)の法系です。郡誌は第3世川僧慧済の代に「真巌派がここに起こった」と記しています。

本文「歴史と背景」を読む
朱印高15石とは何ですか?

江戸幕府から認められた寺領です。『遠江国風土記伝』に「朱符田高十五石」、太田亮『遠江』にも「曹洞宗十五石」とみえます。下野部村の寺社領合計18石余の大半を占めていました。

本文「歴史と背景」を読む
一雲斉に末寺はありましたか?

『静岡県磐田郡誌』は、上野部の法音庵(文明4年)・薬王寺(文明5年)、合代島の東林庵(文明6年。いずれも第3世川僧和尚の分派開創)、下野部の大養寺(寛永年間)、横川の江月庵を一雲斉末と記しています。

本文「歴史と背景」を読む
一雲済川はお寺と関係がありますか?

寺の近くを流れる一級水系天竜川の支流で、寺号と同じ音の名を持ち、静岡県の河川整備計画の対象になっています。寺号は「斎(齋)」、川は「済」と表記が分かれており、名称の由来関係を示す資料は確認できていません。

本文「地域とのつながり」を読む
遠州四十九薬師霊場の札所ですか?

現行の札所一覧(第46番医王寺公式サイト掲載)では第31番「万世山一雲斎」とされています。当ページではこの札所情報を歴史的・信仰的な位置付けとして記録しており、現在の巡拝受け入れ状況は確認できていません。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む

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写真で見る境内

一雲斉の現地写真1
本堂・堂宇 一雲斉の現地写真(1)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真2
境内全景 一雲斉の現地写真(2)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真3
入口・石標 一雲斉の現地写真(3)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真4
その他 一雲斉の現地写真(4)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真5
その他 一雲斉の現地写真(5)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真6
その他 一雲斉の現地写真(6)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真7
その他 一雲斉の現地写真(7)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真8
その他 一雲斉の現地写真(8)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真9
その他 一雲斉の現地写真(9)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真10
その他 一雲斉の現地写真(10)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真11
その他 一雲斉の現地写真(11)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真12
その他 一雲斉の現地写真(12)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真13
その他 一雲斉の現地写真(13)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真14
その他 一雲斉の現地写真(14)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
一雲斉の現地写真15
その他 一雲斉の現地写真(15)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。

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出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9386。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 寺院公式情報 遠州四十九薬師霊場 札所一覧(鎌田山医王寺 公式サイト)

    霊場札所一覧の本文で「第31番 万世山 一雲斎 曹洞宗 釈迦牟尼仏」の行を確認。山号・宗派・本尊・札所番号の根拠

  3. 行政・公的資料 旧豊岡村の住所表示|磐田市公式ウェブサイト

    下野部が旧豊岡村の大字であり、合併により磐田市の住所表示となったことを確認

  4. 民間二次情報 磐田市下野部大楽地を訪ねる①―「一雲斎」(自然と歴史の中を歩く!)

    検索結果上で門柱「萬世山一雲齋」の刻字と一雲済川起点標識に関する記述を確認したが、ページ本文の直接取得は403エラーで不可。補助的情報として扱い、要再確認

  5. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年・1921年)第13章 神社及宗教 曹洞宗寺院の項(188 法音庵・189 一雲斎・190 大養寺・191 東林庵)

    国立国会図書館デジタルコレクション。466コマ目の本文画像で由緒・古文書(天正7年掟書)・風土記伝引用の全文を確認。薬王寺・保安寺は465コマ目、江月庵は467コマ目

  6. 郷土資料 太田亮『遠江』磯部甲陽堂(昭和2年・1927年)

    NDLラボ次世代デジタルライブラリーの全文検索スニペットで「一雲齊(下野部村)曹洞宗十五石」の記述を確認

  7. 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 寺院検索「一雲斎」

    住所(磐田市下野部1776)・フリガナ(イチウンサイ)を照合し当該寺院と確認。宗派公式の登録表記は「一雲斎」。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄

  8. 行政・公的資料 15 大洞院6派の展開|静岡県森町公式サイト(社会教育課文化振興係)

    如仲天誾(1365〜1437年)が大洞院を拠点に遠江へ曹洞宗を広めたこと、門下の6人(喜山性讃・真厳道空・物外性応・大輝霊曜・不琢玄珪・石叟円柱)から六派が生まれたことを確認(2026年7月19日参照)

  9. 行政・公的資料 天竜川水系下流中遠ブロック(一雲済川)河川整備計画|静岡県公式ホームページ

    一雲済川が一級水系天竜川の河川整備計画(平成14年9月3日策定・令和8年3月13日変更決定)の対象河川であることを確認(2026年7月19日参照)

  10. 郷土資料 コトバンク「下野部村」(日本歴史地名大系)

    下野部村が天竜川下流域左岸・野部郷遺称地であること、正保郷帳の田方316石余・畑方35石余・寺社領合計18石余、元禄11年からの旗本皆川領、幕末の天竜川河川敷新田、嘉永4年の家数93戸を確認(2026年7月19日参照)

  11. 郷土資料 コトバンク「豊岡村」(日本歴史地名大系)

    旧磐田郡豊岡村が天竜川下流域左岸に位置し面積39.78平方キロメートルであること、村域に約50の遺跡が登録され天竜川左岸段丘の古墳群が主体であることを確認(2026年7月19日参照)

  12. 民間二次情報 豊岡|天浜線(天竜浜名湖鉄道株式会社)駅紹介

    豊岡駅北東の丘陵地帯に県西部で最大規模の豊岡梅園(約4,000本)があることを確認(2026年7月19日参照)

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