豊岡地区・現存

最廣寺

さいこうじ

ページ充実度 標準 最終確認 2026.07.19

最廣寺(さいこうじ)は、磐田市松之木島にある曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は東渓山、本尊は地蔵菩薩で、文禄元年(1592年)に満室銀重和尚が開き、天竜川対岸・高薗の学園寺の末寺に連なりました。天竜川下流の輪中集落として歩んだ松之木島の歴史を伝える寺です。

別称・関連名称東渓山最広寺/最広寺

寺院名
最廣寺
地区
豊岡
住所
静岡県磐田市松之木島314番地の1
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
最廣寺
読み方
さいこうじ
地区
豊岡
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
地蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市松之木島314番地の1
Googleマップ
Googleマップで開く
寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
最終確認日
2026.07.19

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

最廣寺の現地写真1
現地写真・本堂・堂宇
最廣寺の現地写真2
境内全景
最廣寺の現地写真3
入口・石標
最廣寺の現地写真4
その他
最廣寺の現地写真5
その他
最廣寺の現地写真6
その他
宗派曹洞宗
創建・年代文禄元年(1592年)
本尊地蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地豊岡・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
最廣寺
宗派
曹洞宗
本尊
地蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
創建
文禄元年(1592年)
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市松之木島314番地の1
地区
豊岡

Database 02

沿革

文禄元年の開創と『磐田郡誌』の由緒

『静岡県磐田郡誌』は、曹洞宗寺院の一つとして「159 最廣寺(廣瀨村)」を立項し、「廣瀨村松之木島字上川原に在り。東溪山と號す。濱名郡龍池村高薗學園寺(舊名覺音寺)の末にして、本尊は地藏菩薩なり。文祿元年、滿室銀重和尚の開創なり」と記しています。文禄元年(1592年)は豊臣秀吉の治世にあたり、『日本歴史地名大系』が伝える天正年間(1573〜1592年)の村の草分けからほどない時期です。集落の形成とともに菩提寺が営まれたことがうかがえる由緒であり、開創から数えて430年余りの歴史をもつことになります。

本寺・学園寺と天竜川対岸の高薗

本寺と記される学園寺は、現在の浜松市高薗にある曹洞宗寺院で、『浜松市史』の「西遠地方の寺院」の節にも曹洞宗の主要寺院の一つとして「学薗寺」の名がみえます。注目されるのは、『日本歴史地名大系』の松之木島村の項が、天正年間に鈴木次郎左衛門・与左衛門の兄弟が高薗村から移住して村の草分けとなったと伝えている点です。村の草分けの出身地と、菩提寺の本寺の所在地がいずれも高薗であることは、天竜川を挟んだ両村の深い結び付きをうかがわせます。天竜川は村々を隔てる川であると同時に、人と法灯を運ぶ川でもあったといえます。

輪中集落・松之木島村のあゆみ

『日本歴史地名大系』によれば、江戸時代の松之木島村は天竜川下流域の輪中集落で、北に三家村、南に寺谷新田(現磐田市)が接していました。輪中とは、洪水から集落と耕地を守るために周囲を堤で囲んだ集落の形で、「あばれ天竜」と呼ばれた天竜川の下流域ならではの暮らしの知恵です。村高は182石余から284石余へと増加し、慶長16年(1611年)・万治3年(1660年)・寛文11年(1671年)にたびたび検地が行われました。石高の伸びは、水害と向き合いながら新田開発を進めた村人の営みを物語ります。最廣寺はこうした村の中心で、人びとの菩提を弔い続けてきました。

学校になった寺と近代のあゆみ

『静岡県磐田郡誌』の教育の章には、明治17年(1884年)8月に野部学校の分校「松ノ木島学校」が村内の寺院に創設されたと記されています。ただし同郡誌は設置場所を「西広寺内」と記す一方、寺院一覧の松之木島には最広寺のみが載るため、同一寺院の表記の異同か別の堂宇かは確認できておらず、今後の調査課題です。明治の学校制度の草創期に寺院が教室として使われたことは、寺が村の公共空間を担っていた時代の姿を伝えています。松之木島は郡誌刊行当時は広瀬村に属し、昭和30年(1955年)に発足した豊岡村を経て、平成17年(2005年)に磐田市となりました。

記録の現状と混同しやすい地名・寺名

曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」の当寺のページには寺院名と所在地などの基本情報が掲載されている一方、由緒・本尊・行事の記載はなく、寺の沿革を伝える公開情報は現在も『静岡県磐田郡誌』などの郷土資料が中心です。また、地名と寺名にはいくつか紛らわしいものがあります。磐田市内には「磐田市豊岡」(郵便番号438-0231、旧磐田郡竜洋町の大字)という住所があり、松之木島が属した旧磐田郡豊岡村域(旧豊岡村の各大字は438-01で始まる郵便番号)とは別の地域です。さらに市内には同じ「さいこうじ」と読む西光寺が見付(時宗)と掛塚(浄土宗)にあります。当ページでは、旧豊岡村域の松之木島の曹洞宗寺院・最廣寺に関する資料のみを採用しています。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
地蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
宗教的意味
最廣寺は曹洞宗に属し、天竜川対岸の高薗・学園寺の法系に連なる末寺として開かれました。『静岡県磐田郡誌』の記す本尊は地蔵菩薩です。地蔵菩薩は道端や村境で人びとを見守る最も身近な仏であり、洪水と隣り合わせに生きた輪中の村・松之木島の暮らしと重なり合う本尊といえます。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊・伽藍の様子は確認できていません。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

最廣寺のある松之木島は、旧磐田郡豊岡村域の南部、天竜川左岸の低地に位置します。『日本歴史地名大系』によれば、旧豊岡村域は天竜川下流域の左岸に広がり、天竜浜名湖鉄道が東西に通る地で、面積は39.78平方キロメートル。天竜川左岸の段丘には古墳群を主体とする約50か所の遺跡が登録され、古代から人の営みが続いてきました。豊岡村は昭和30年(1955年)に発足し、平成17年(2005年)の合併で磐田市となっています。

旧豊岡村域の寺院をみると、北部の旧野部村域では下野部の一雲斎を本寺とする曹洞宗の末寺網(上野部の法音庵、合代島の東林庵など)が広がったのに対し、南部の松之木島の最廣寺は、天竜川対岸の高薗・学園寺の法系に連なりました。村の草分けが高薗からの移住者と伝えられることとあわせ、川を挟んだ人の往来がそのまま寺の系譜に映し出されている点は、この地域ならではの歴史といえます。

天竜浜名湖鉄道の公式サイトが「磐田市豊岡地区は農業が盛んで、次郎柿ところ柿の特産地」と紹介するように、旧豊岡村域は今も農業の色濃い土地です。堤に囲まれた輪中の村から、治水の進んだ現代の農村へ。姿を変えた松之木島の集落の中で、最廣寺は明治期に学校が置かれた記憶とともに、村の菩提寺としての歩みを重ねています。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9388

  2. 宗派公式資料最廣寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータルサイト)

    寺院名(さいこうじ)・住所(磐田市松之木島314-1)・曹洞宗所属を確認。歴史等の詳細記述はページ上になし。

  3. 行政・公的資料旧豊岡村の住所表示|磐田市公式ウェブサイト

    松之木島が旧豊岡村の大字であることを確認。

  4. 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年・1921年)第13章 神社及宗教 曹洞宗寺院の項(159 最広寺)

    国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開)。462コマ目の本文画像で由緒全文を確認。松ノ木島学校の記述は294コマ目。

  5. 民間二次情報Wikipedia「高薗」(浜松市)

    本寺にあたる曹洞宗学園寺(常照山)が浜松市高薗に現存することの確認に使用。

最終更新日 2026.07.19

01

この寺院について

最廣寺は磐田市松之木島314番地の1に所在する曹洞宗の寺院です。曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」に「最廣寺(さいこうじ)」として登録され、静岡県知事所轄宗教法人名簿にも磐田市内の宗教法人として掲載されています。寺号は「最廣寺」のほか新字体の「最広寺」でも表記されます。

大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば、所在は広瀬村松之木島字上川原、山号は東渓山で、浜名郡龍池村高薗(現在の浜松市域)の学園寺(旧名覚音寺)の末寺です。本尊は地蔵菩薩で、文禄元年(1592年)に満室銀重和尚が開創したと記されています。

松之木島は天竜川下流域の左岸に位置する旧磐田郡豊岡村の大字で、平成17年(2005年)の合併により磐田市の住所表示となりました。『日本歴史地名大系』は江戸時代の松之木島村を「天竜川下流域の輪中集落」と記しており、最廣寺は、堤に囲まれて川とともに生きたこの村の菩提寺として法灯を伝えてきました。

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歴史と背景

文禄元年の開創と『磐田郡誌』の由緒

『静岡県磐田郡誌』は、曹洞宗寺院の一つとして「159 最廣寺(廣瀨村)」を立項し、「廣瀨村松之木島字上川原に在り。東溪山と號す。濱名郡龍池村高薗學園寺(舊名覺音寺)の末にして、本尊は地藏菩薩なり。文祿元年、滿室銀重和尚の開創なり」と記しています。文禄元年(1592年)は豊臣秀吉の治世にあたり、『日本歴史地名大系』が伝える天正年間(1573〜1592年)の村の草分けからほどない時期です。集落の形成とともに菩提寺が営まれたことがうかがえる由緒であり、開創から数えて430年余りの歴史をもつことになります。

本寺・学園寺と天竜川対岸の高薗

本寺と記される学園寺は、現在の浜松市高薗にある曹洞宗寺院で、『浜松市史』の「西遠地方の寺院」の節にも曹洞宗の主要寺院の一つとして「学薗寺」の名がみえます。注目されるのは、『日本歴史地名大系』の松之木島村の項が、天正年間に鈴木次郎左衛門・与左衛門の兄弟が高薗村から移住して村の草分けとなったと伝えている点です。村の草分けの出身地と、菩提寺の本寺の所在地がいずれも高薗であることは、天竜川を挟んだ両村の深い結び付きをうかがわせます。天竜川は村々を隔てる川であると同時に、人と法灯を運ぶ川でもあったといえます。

輪中集落・松之木島村のあゆみ

『日本歴史地名大系』によれば、江戸時代の松之木島村は天竜川下流域の輪中集落で、北に三家村、南に寺谷新田(現磐田市)が接していました。輪中とは、洪水から集落と耕地を守るために周囲を堤で囲んだ集落の形で、「あばれ天竜」と呼ばれた天竜川の下流域ならではの暮らしの知恵です。村高は182石余から284石余へと増加し、慶長16年(1611年)・万治3年(1660年)・寛文11年(1671年)にたびたび検地が行われました。石高の伸びは、水害と向き合いながら新田開発を進めた村人の営みを物語ります。最廣寺はこうした村の中心で、人びとの菩提を弔い続けてきました。

学校になった寺と近代のあゆみ

『静岡県磐田郡誌』の教育の章には、明治17年(1884年)8月に野部学校の分校「松ノ木島学校」が村内の寺院に創設されたと記されています。ただし同郡誌は設置場所を「西広寺内」と記す一方、寺院一覧の松之木島には最広寺のみが載るため、同一寺院の表記の異同か別の堂宇かは確認できておらず、今後の調査課題です。明治の学校制度の草創期に寺院が教室として使われたことは、寺が村の公共空間を担っていた時代の姿を伝えています。松之木島は郡誌刊行当時は広瀬村に属し、昭和30年(1955年)に発足した豊岡村を経て、平成17年(2005年)に磐田市となりました。

記録の現状と混同しやすい地名・寺名

曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」の当寺のページには寺院名と所在地などの基本情報が掲載されている一方、由緒・本尊・行事の記載はなく、寺の沿革を伝える公開情報は現在も『静岡県磐田郡誌』などの郷土資料が中心です。また、地名と寺名にはいくつか紛らわしいものがあります。磐田市内には「磐田市豊岡」(郵便番号438-0231、旧磐田郡竜洋町の大字)という住所があり、松之木島が属した旧磐田郡豊岡村域(旧豊岡村の各大字は438-01で始まる郵便番号)とは別の地域です。さらに市内には同じ「さいこうじ」と読む西光寺が見付(時宗)と掛塚(浄土宗)にあります。当ページでは、旧豊岡村域の松之木島の曹洞宗寺院・最廣寺に関する資料のみを採用しています。

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宗派と本尊を知る

最廣寺は曹洞宗に属し、天竜川対岸の高薗・学園寺の法系に連なる末寺として開かれました。『静岡県磐田郡誌』の記す本尊は地蔵菩薩です。地蔵菩薩は道端や村境で人びとを見守る最も身近な仏であり、洪水と隣り合わせに生きた輪中の村・松之木島の暮らしと重なり合う本尊といえます。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊・伽藍の様子は確認できていません。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

地蔵菩薩という仏さま

地蔵菩薩は、お釈迦さまが入滅してから弥勒菩薩がこの世に現れるまでの間、仏のいない世にあって人びとを救い続けると信じられてきた菩薩です。経典ではその間は56億7000万年に及ぶとも説かれ、地獄をはじめとする六道のすべてをめぐって、苦しむ者に寄り添うと伝えられます。

菩薩でありながら僧侶のような親しみやすい姿で表されるのが特徴で、特に子どもを守る仏として信仰が厚く、京都では江戸時代の初めから、町内ごとにお地蔵さまを囲んで子どもの成長を願う地蔵盆が営まれてきました。この地蔵盆は今も子どもが主役の夏の行事として受け継がれ、2014(平成26)年には「京都をつなぐ無形文化遺産」にも選定されています。

道端や寺の境内にたたずむ石のお地蔵さまに、花や前掛けが供えられている光景は、日本で最も身近な信仰のかたちのひとつでしょう。子育てや子どもの健康、亡き子の供養など、家族の切実な願いを受け止めてくださる仏さまです。

参考: 京都に伝わる地蔵信仰(浄土宗総本山知恩院 公式サイト)弥勒菩薩の56億7千万年後の救済の出典(レファレンス協同データベース・国立国会図書館)

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地域とのつながり

最廣寺のある松之木島は、旧磐田郡豊岡村域の南部、天竜川左岸の低地に位置します。『日本歴史地名大系』によれば、旧豊岡村域は天竜川下流域の左岸に広がり、天竜浜名湖鉄道が東西に通る地で、面積は39.78平方キロメートル。天竜川左岸の段丘には古墳群を主体とする約50か所の遺跡が登録され、古代から人の営みが続いてきました。豊岡村は昭和30年(1955年)に発足し、平成17年(2005年)の合併で磐田市となっています。

旧豊岡村域の寺院をみると、北部の旧野部村域では下野部の一雲斎を本寺とする曹洞宗の末寺網(上野部の法音庵、合代島の東林庵など)が広がったのに対し、南部の松之木島の最廣寺は、天竜川対岸の高薗・学園寺の法系に連なりました。村の草分けが高薗からの移住者と伝えられることとあわせ、川を挟んだ人の往来がそのまま寺の系譜に映し出されている点は、この地域ならではの歴史といえます。

天竜浜名湖鉄道の公式サイトが「磐田市豊岡地区は農業が盛んで、次郎柿ところ柿の特産地」と紹介するように、旧豊岡村域は今も農業の色濃い土地です。堤に囲まれた輪中の村から、治水の進んだ現代の農村へ。姿を変えた松之木島の集落の中で、最廣寺は明治期に学校が置かれた記憶とともに、村の菩提寺としての歩みを重ねています。

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年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

寺院の公開情報が限られているため、法要・お墓参り・供養の相談は曹洞禅ナビ掲載の情報を通じて寺院へ直接確認してください。

調査中の項目
  • 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要など)の有無・日程は未確認
  • 墓地・永代供養の取扱いは未確認
  • 現在の本尊・伽藍の様子(郡誌の記載は1921年時点)は未確認
  • 護持会・世話人会など檀家組織の公開情報は未確認

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

06

よくある質問

最廣寺の読み方と正式な表記は?

「さいこうじ」と読みます。曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」には「最廣寺」の表記で登録されており、新字体の「最広寺」と書かれることもあります。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

曹洞宗の寺院です。大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、山号を東渓山、本尊を地蔵菩薩と記しています。現在の本尊・伽藍の様子は確認できていません。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ誰が開いたお寺ですか?

『静岡県磐田郡誌』によれば、文禄元年(1592年)に満室銀重和尚が開創しました。天正年間の村の草分けからほどない時期にあたります。

本文「歴史と背景」を読む
本寺の学園寺とはどんなお寺ですか?

浜名郡龍池村高薗(現在の浜松市高薗)にある曹洞宗の寺院で、旧名を覚音寺といいました。『浜松市史』にも西遠地方の曹洞宗の主要寺院として名がみえます。最廣寺はその末寺と記されています。

本文「歴史と背景」を読む
松之木島とはどんな土地ですか?

天竜川下流域の輪中集落として発達した村で、天正年間に高薗村から移住した鈴木兄弟が草分けになったと伝わります。江戸時代には検地を重ねて村高が182石余から284石余に増えました。

本文「地域とのつながり」を読む
お寺に学校があったというのは本当ですか?

『静岡県磐田郡誌』には、明治17年(1884年)8月に野部学校の分校「松ノ木島学校」が村内の寺院に創設されたと記されています。ただし郡誌は設置場所を「西広寺内」と記しており、最広寺との表記の異同は確認中です。

本文「歴史と背景」を読む
磐田市内の「西光寺」と同じお寺ですか?

別の寺院です。磐田市内には同じ「さいこうじ」と読む西光寺が見付(時宗)と掛塚(浄土宗)にありますが、松之木島の最廣寺は曹洞宗の別の寺院です。混同にご注意ください。

本文「この寺院について」を読む
松之木島は「磐田市豊岡」とは違う場所ですか?

違います。松之木島は旧磐田郡豊岡村の大字(郵便番号438-0125)です。「磐田市豊岡」(438-0231)は旧磐田郡竜洋町の大字で、まったく別の地域です。どちらの地名も磐田市公式サイトの住所表示一覧で確認できます。

本文「歴史と背景」を読む

07

写真で見る境内

最廣寺の現地写真1
本堂・堂宇 最廣寺の現地写真(1)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
最廣寺の現地写真2
境内全景 最廣寺の現地写真(2)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
最廣寺の現地写真3
入口・石標 最廣寺の現地写真(3)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
最廣寺の現地写真4
その他 最廣寺の現地写真(4)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
最廣寺の現地写真5
その他 最廣寺の現地写真(5)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
最廣寺の現地写真6
その他 最廣寺の現地写真(6)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
最廣寺の現地写真7
その他 最廣寺の現地写真(7)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
最廣寺の現地写真8
その他 最廣寺の現地写真(8)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
最廣寺の現地写真9
その他 最廣寺の現地写真(9)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
最廣寺の現地写真10
その他 最廣寺の現地写真(10)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
最廣寺の現地写真11
その他 最廣寺の現地写真(11)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
最廣寺の現地写真12
その他 最廣寺の現地写真(12)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。

08

出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9388。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 宗派公式資料 最廣寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータルサイト)

    寺院名(さいこうじ)・住所(磐田市松之木島314-1)・曹洞宗所属を確認。歴史等の詳細記述はページ上になし。

  3. 行政・公的資料 旧豊岡村の住所表示|磐田市公式ウェブサイト

    松之木島が旧豊岡村の大字であり、磐田市松之木島(郵便番号438-0125)となったことを確認。

  4. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年・1921年)第13章 神社及宗教 曹洞宗寺院の項(159 最廣寺)

    国立国会図書館デジタルコレクション。462コマ目の原本画像で「広瀬村松之木島字上川原・東渓山・浜名郡龍池村高薗学園寺(旧名覚音寺)末・本尊地蔵菩薩・文禄元年満室銀重和尚開創」の由緒全文を確認(2026年7月19日再確認)。松ノ木島学校の記述は294コマ目。

  5. 民間二次情報 Wikipedia「高薗」(浜松市)

    本寺にあたる曹洞宗学園寺(常照山)が浜松市高薗に現存することの発見用手掛かりとして使用(発見専用・単独根拠にはしない)。

  6. 郷土資料 コトバンク「松之木島村」(日本歴史地名大系)

    天竜川下流域の輪中集落であること、天正年間に鈴木次郎左衛門・与左衛門兄弟が高薗村より移住して草分となった伝承、村高182石余→284石余、慶長16年・万治3年・寛文11年の検地、北に三家村・南に寺谷新田が接することを確認

  7. 行政・公的資料 『浜松市史』第7章 文化の興隆 第1節 寺院と神社「西遠地方の寺院」(浜松市文化遺産デジタルアーカイブ)

    西遠地方の曹洞宗主要寺院の一覧に「学薗寺」が挙げられていることを本文で確認(本寺・学園寺の裏付け)

  8. 郷土資料 コトバンク「豊岡村」(日本歴史地名大系・静岡県磐田郡)

    旧豊岡村域が天竜川下流域左岸に位置し天竜浜名湖鉄道が東西に通ること、面積39.78平方キロ、古墳群主体の約50遺跡の登録を確認

  9. 行政・公的資料 歴史的行政区域データセットβ版「静岡県磐田郡豊岡村」(人文学オープンデータ共同利用センター)

    豊岡村の有効期間(1955年4月1日成立〜2005年4月1日磐田市へ合併)を確認

  10. 民間二次情報 天竜浜名湖鉄道公式サイト「敷地駅」

    磐田市豊岡地区が農業の盛んな土地で、次郎柿・ころ柿の特産地であるとの紹介を確認

  11. 行政・公的資料 旧竜洋町の住所表示|磐田市公式ウェブサイト

    「磐田市豊岡」(438-0231)が旧竜洋町の大字であり、旧豊岡村域とは別地域であることの根拠

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