豊岡地区・現存
松久院
しょうきゅういん
松久院(しょうきゅういん)は、磐田市三家(旧磐田郡豊岡村域)にある曹洞宗の寺院です。山号は豊田山。『静岡県磐田郡誌』によれば掛川市下垂木の永江院の末寺で、寛永元年(1624年)8月の開創と伝わります。明治8年(1875年)には院内に三家学校が置かれた、地域の学びの出発点でもあり、全国で唯一の寺号を持つ寺院でもあります。
別称・関連名称豊田山松久院
- 寺院名
- 松久院
- 地区
- 豊岡
- 住所
- 静岡県磐田市三家332番地
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 松久院
- 読み方
- しょうきゅういん
- 地区
- 豊岡
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 釈迦牟尼如来(『静岡県磐田郡誌』による)
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市三家332番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
- 最終確認日
- 2026.07.19
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 松久院
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 釈迦牟尼如来(『静岡県磐田郡誌』による)
- 創建
- 寛永元年(1624年)8月
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市三家332番地
- 地区
- 豊岡
Database 02
沿革
『静岡県磐田郡誌』にみえる由緒
『静岡県磐田郡誌』の曹洞宗寺院の項には、「松久院(広瀬村)」として「広瀬村三家字中西に在り。豊田山と号す。小笠郡下垂木永江院の末にして、本尊は釈迦牟尼如来なり。寛永元年8月開創す」と記されています。寛永元年(1624年)は江戸幕府3代将軍徳川家光の治世が始まったころにあたり、幕藩体制のもとで村々の寺院が整えられていった時期の開創です。本寺の永江院は現在の掛川市下垂木にある曹洞宗寺院で、松久院が遠州曹洞宗の掛川方面の法系に連なっていたことがうかがえます。山号の「豊田山」は、この地が属した豊田郡の郡名と重なる点でも興味深い名称です。
全国で唯一の寺号「松久院」
法人番号公表情報に基づく寺院データベースの集計では、全国の寺院のうち「松久院」を名乗るのは磐田市三家の本寺院のみとされています。国税庁の法人番号公表サイトには、宗教法人松久院として法人番号5080405005672・所在地静岡県磐田市三家332番地が登録されており(2015年10月5日指定)、行政上の法人格が現在も維持されていることが確認できます。同名寺院との混同が起こりやすい磐田市内の寺院の中で、全国唯一の寺号を持つことは、資料を調べるうえでも檀家が寺の記録をたどるうえでも大きな手掛かりになります。
三家学校――明治初期の学び舎
『静岡県磐田郡誌』の教育の章(広瀬尋常高等小学校の沿革)には、明治8年(1875年)、小学野部学校の分校として「三家学校」が三家村58番地の松久院内に設けられ、三家・松木島・下神増の3村の学齢児童を教育したと記されています。三家学校はその後、上神増学校(上神増の慈眼寺内に設置)・松ノ木島学校と統合され、明治22年(1889年)に広瀬尋常小学校となりました。明治5年(1872年)の学制発布からまもない時期、村にまだ校舎がなかった時代に寺院が教室となったのは磐田市域の各地でみられた光景で、旧豊岡村域でも敷地の永明寺・永安寺が敷地学校の校舎に充てられています。旧広瀬村域では松久院と慈眼寺という2つの寺が近代教育の出発点を担ったことになり、寺で学んだ子どもたちの記憶は、寺と村の結び付きの深さを物語ります。
三家村から磐田市へ
『日本歴史地名大系』の三家村の項によれば、三家村は天竜川下流域に位置し、北は松之木島村、南は壱貫地村に接する小さな村でした。明治22年(1889年)に掛下・平松・上神増・神増・社山・壱貫地・松之木島・下神増などの村々と合併して豊田郡広瀬村となり、その大字となります。昭和30年(1955年)には広瀬村・野部村・敷地村の合併で磐田郡豊岡村が発足し、平成17年(2005年)の合併で磐田市の住所表示(郵便番号438-01台)となりました。磐田市公式サイトの「旧豊岡村の住所表示」には、三家をはじめとする旧豊岡村の大字が一覧で示されており、村から市への移り変わりの記録となっています。松久院は、村の統廃合や学校の統合で地域の枠組みが変わっていく中でも、三家の集落の菩提寺として変わらぬ場所に建ち続けています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 釈迦牟尼如来(『静岡県磐田郡誌』による)
- 宗教的意味
- 松久院は曹洞宗に属し、『静岡県磐田郡誌』は本尊を釈迦牟尼如来と記しています。掛川市下垂木の永江院を本寺とする法系は、同じ豊岡地区でも大洞院(森町)系の一雲斉や永源寺(掛川市各和)系の天龍院とは別の流れで、遠州の曹洞宗が複数の法系の重なりとして広がったことを示しています。禅の本尊である釈迦牟尼如来のもと、三家の檀家の先祖供養を担ってきた寺院です。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の安置状況は確認できていません。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
松久院のある三家は、天竜川下流域左岸の低地に開けた集落で、旧豊岡村の南部にあたります。『日本歴史地名大系』によれば旧豊岡村域は面積約39.78平方キロメートル、村域には約50の遺跡が登録され、天竜川左岸の段丘に立地する古墳群が主体で、縄文・弥生時代の遺跡や銅鐸の発見も知られる歴史の古い土地です。川の恵みと水害の両方と向き合いながら農業を営んできたこの地で、三家の松久院、上神増の慈眼寺など旧広瀬村域の寺々は、川沿いの村々の暮らしとともに歩んできた菩提寺です。
明治初期に松久院内に置かれた三家学校が、慈眼寺内の上神増学校などと統合されて広瀬尋常小学校になった歴史は、寺院が単なる信仰の場ではなく、村の子どもたちの学び舎であり、地域の共同の場であったことを物語ります。平成17年(2005年)に磐田市の一部となった今も、三家の集落名と寺号はともに残り、全国唯一の寺号「松久院」がこの小さな集落の名とともに記録され続けていることは、地域の記憶の継承そのものといえます。学校史に残る寺の名は、村の共同生活を支えた場所としての重みを伝えています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9380
- 民間二次情報寺院リサーチ【松久院】静岡県磐田市三家332番地
磐田市三家332・曹洞宗・法人番号5080405005672(2015年10月5日指定)、全国で唯一の松久院という記載を本文で確認。
- 民間二次情報静岡県磐田市の寺院・御堂一覧(サーチ寺院)
磐田市三家332・曹洞宗の松久院の登載を本文で確認。
- 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年・1921年)第13章 神社及宗教 曹洞宗寺院の項(160 松久院)
国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開)。462コマ目の本文画像で由緒全文を確認。
- 郷土資料『静岡県磐田郡誌』第12章 教育(広瀬尋常高等小学校の沿革)
294コマ目。明治8年に三家学校が松久院内に設置された記述を本文画像で確認。
- 宗派公式資料曹洞禅ナビ 寺院検索「松久院」
住所(磐田市三家332)・フリガナ(ショウキュウイン)を照合し当該寺院と確認。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄
最終更新日 2026.07.19
Uploaded Photos
保存済み写真
01
この寺院について
松久院は磐田市三家332番地に所在する曹洞宗の寺院です。曹洞宗の公式ポータル「曹洞禅ナビ」に磐田市三家の寺院として掲載され、読み仮名は「ショウキュウイン」と表記されています。静岡県知事所轄宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人として掲載されているほか、国税庁の法人番号公表サイトでも宗教法人松久院(法人番号5080405005672)として所在地とともに確認できます。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば、広瀬村三家字中西に所在し、山号は豊田山、小笠郡下垂木村(現在の掛川市下垂木)の永江院の末寺で、本尊は釈迦牟尼如来、寛永元年(1624年)8月の開創です。法人番号公表情報に基づく寺院データベースの集計では、全国の寺院のうち「松久院」を名乗るのは本寺院のみとされており、寺号の面でも特色のある寺院です。
所在地の三家は、天竜川下流域左岸の集落で、明治22年(1889年)に周辺の村々と合併して豊田郡広瀬村の大字となり、昭和30年(1955年)の合併で磐田郡豊岡村、平成17年(2005年)の合併で磐田市の住所表示となりました。松久院は、この川沿いの小さな集落の菩提寺として、江戸時代初期の開創から約400年にわたり、三家の人々の先祖供養と暮らしの節目を見守り続けてきました。
02
歴史と背景
『静岡県磐田郡誌』にみえる由緒
『静岡県磐田郡誌』の曹洞宗寺院の項には、「松久院(広瀬村)」として「広瀬村三家字中西に在り。豊田山と号す。小笠郡下垂木永江院の末にして、本尊は釈迦牟尼如来なり。寛永元年8月開創す」と記されています。寛永元年(1624年)は江戸幕府3代将軍徳川家光の治世が始まったころにあたり、幕藩体制のもとで村々の寺院が整えられていった時期の開創です。本寺の永江院は現在の掛川市下垂木にある曹洞宗寺院で、松久院が遠州曹洞宗の掛川方面の法系に連なっていたことがうかがえます。山号の「豊田山」は、この地が属した豊田郡の郡名と重なる点でも興味深い名称です。
全国で唯一の寺号「松久院」
法人番号公表情報に基づく寺院データベースの集計では、全国の寺院のうち「松久院」を名乗るのは磐田市三家の本寺院のみとされています。国税庁の法人番号公表サイトには、宗教法人松久院として法人番号5080405005672・所在地静岡県磐田市三家332番地が登録されており(2015年10月5日指定)、行政上の法人格が現在も維持されていることが確認できます。同名寺院との混同が起こりやすい磐田市内の寺院の中で、全国唯一の寺号を持つことは、資料を調べるうえでも檀家が寺の記録をたどるうえでも大きな手掛かりになります。
三家学校――明治初期の学び舎
『静岡県磐田郡誌』の教育の章(広瀬尋常高等小学校の沿革)には、明治8年(1875年)、小学野部学校の分校として「三家学校」が三家村58番地の松久院内に設けられ、三家・松木島・下神増の3村の学齢児童を教育したと記されています。三家学校はその後、上神増学校(上神増の慈眼寺内に設置)・松ノ木島学校と統合され、明治22年(1889年)に広瀬尋常小学校となりました。明治5年(1872年)の学制発布からまもない時期、村にまだ校舎がなかった時代に寺院が教室となったのは磐田市域の各地でみられた光景で、旧豊岡村域でも敷地の永明寺・永安寺が敷地学校の校舎に充てられています。旧広瀬村域では松久院と慈眼寺という2つの寺が近代教育の出発点を担ったことになり、寺で学んだ子どもたちの記憶は、寺と村の結び付きの深さを物語ります。
三家村から磐田市へ
『日本歴史地名大系』の三家村の項によれば、三家村は天竜川下流域に位置し、北は松之木島村、南は壱貫地村に接する小さな村でした。明治22年(1889年)に掛下・平松・上神増・神増・社山・壱貫地・松之木島・下神増などの村々と合併して豊田郡広瀬村となり、その大字となります。昭和30年(1955年)には広瀬村・野部村・敷地村の合併で磐田郡豊岡村が発足し、平成17年(2005年)の合併で磐田市の住所表示(郵便番号438-01台)となりました。磐田市公式サイトの「旧豊岡村の住所表示」には、三家をはじめとする旧豊岡村の大字が一覧で示されており、村から市への移り変わりの記録となっています。松久院は、村の統廃合や学校の統合で地域の枠組みが変わっていく中でも、三家の集落の菩提寺として変わらぬ場所に建ち続けています。
03
宗派と本尊を知る
松久院は曹洞宗に属し、『静岡県磐田郡誌』は本尊を釈迦牟尼如来と記しています。掛川市下垂木の永江院を本寺とする法系は、同じ豊岡地区でも大洞院(森町)系の一雲斉や永源寺(掛川市各和)系の天龍院とは別の流れで、遠州の曹洞宗が複数の法系の重なりとして広がったことを示しています。禅の本尊である釈迦牟尼如来のもと、三家の檀家の先祖供養を担ってきた寺院です。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の安置状況は確認できていません。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
釈迦如来という仏さま
釈迦如来は、およそ2500年前にインドで実在した仏教の開祖、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)を仏として表したものです。ルンビニーの園で誕生し、29歳で出家、6年の苦行ののち菩提樹の下の坐禅で悟りを開き、80歳でクシナガラの地において入滅したと伝えられています。
誕生の際に唱えたと伝わる「天上天下唯我独尊」の言葉は、誰もがかけがえのない命を生きているという人間尊重の心を表すと受け止められています。坐禅の教えを受け継ぐ曹洞宗をはじめ、禅宗の寺院では釈迦牟尼仏を本尊と仰ぎます。誕生を祝う4月8日の降誕会(花まつり)には誕生仏に甘茶を注ぎ、悟りを開いた12月8日の成道会、入滅の日である2月15日の涅槃会と合わせて、三仏忌として特に大切に営まれてきました。
花まつりは子どもの健やかな成長を願う行事として地域の寺院でも親しまれています。本尊のお釈迦さまに手を合わせることは、すべての命が尊いというその教えに立ち返り、自らの生き方を見つめ直すことでもあります。
04
地域とのつながり
松久院のある三家は、天竜川下流域左岸の低地に開けた集落で、旧豊岡村の南部にあたります。『日本歴史地名大系』によれば旧豊岡村域は面積約39.78平方キロメートル、村域には約50の遺跡が登録され、天竜川左岸の段丘に立地する古墳群が主体で、縄文・弥生時代の遺跡や銅鐸の発見も知られる歴史の古い土地です。川の恵みと水害の両方と向き合いながら農業を営んできたこの地で、三家の松久院、上神増の慈眼寺など旧広瀬村域の寺々は、川沿いの村々の暮らしとともに歩んできた菩提寺です。
明治初期に松久院内に置かれた三家学校が、慈眼寺内の上神増学校などと統合されて広瀬尋常小学校になった歴史は、寺院が単なる信仰の場ではなく、村の子どもたちの学び舎であり、地域の共同の場であったことを物語ります。平成17年(2005年)に磐田市の一部となった今も、三家の集落名と寺号はともに残り、全国唯一の寺号「松久院」がこの小さな集落の名とともに記録され続けていることは、地域の記憶の継承そのものといえます。学校史に残る寺の名は、村の共同生活を支えた場所としての重みを伝えています。
05
年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
法要・供養の相談は、曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」掲載の連絡先を通じて寺院へ直接確認してください。
駐車場の有無は確認できていないため、法事で車を利用する場合は事前に寺院へ確認すると安心です。
- 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要・開山忌など)の有無・日程は未確認
- 墓地・永代供養・納骨堂の取扱いは未確認
- 現在の本尊の安置状況・伽藍や堂宇の様子は未確認(郡誌の記載は1921年時点)
- 檀家組織(護持会・世話人会・梅花講等)の有無は未確認
- 住職の常駐・兼務の別は未確認
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
06
よくある質問
- 松久院の読み方は?
-
「しょうきゅういん」と読みます。曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」では「ショウキュウイン」とフリガナが付されています。全国の寺院で「松久院」を名乗るのは本寺院のみとされています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』は山号を豊田山、本尊を釈迦牟尼如来と記しています。現在の本尊の安置状況は確認できていません。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ開かれたお寺ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』によれば寛永元年(1624年)8月の開創です。江戸幕府3代将軍徳川家光の治世が始まったころにあたります。開山・開基の人名は郡誌の由緒に記載がなく、確認できていません。
本文「歴史と背景」を読む - 本寺の永江院とはどんなお寺ですか?
-
現在の掛川市下垂木にある曹洞宗寺院で、郡誌は松久院を「小笠郡下垂木永江院の末」と記しています。松久院が掛川方面の曹洞宗法系に連なっていたことを示します。
本文「歴史と背景」を読む - 三家学校とは何ですか?
-
明治8年(1875年)に松久院内へ設けられた小学野部学校の分校で、三家・松木島・下神増の3村の子どもたちが学びました。明治22年(1889年)に統合されて広瀬尋常小学校となりました。
本文「歴史と背景」を読む - 住所の「三家」はどんな地域ですか?
-
天竜川下流域左岸の集落で、北は松之木島、南は壱貫地に接します。明治22年に豊田郡広瀬村の大字となり、昭和30年(1955年)に豊岡村、平成17年(2005年)の合併で磐田市の住所表示となりました。
本文「地域とのつながり」を読む - 同じ名前のお寺は他にありますか?
-
法人番号公表情報に基づく寺院データベースの集計では、全国の寺院のうち「松久院」を名乗るのは磐田市三家の本寺院のみとされています。
本文「この寺院について」を読む - 寺が学校になったのは松久院だけですか?
-
旧広瀬村域では、松久院内の三家学校とともに、上神増の慈眼寺内にも上神増学校が置かれました。両校は松ノ木島学校と統合され、明治22年(1889年)に広瀬尋常小学校となりました。
本文「歴史と背景」を読む
07
写真で見る境内
08
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9380。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 行政・公的資料 国税庁法人番号公表サイト 宗教法人松久院
法人番号5080405005672・名称松久院(ショウキュウイン)・所在地静岡県磐田市三家332番地を確認(2026年7月19日参照)
- 民間二次情報 寺院リサーチ【松久院】静岡県磐田市三家332番地
磐田市三家332・曹洞宗・法人番号5080405005672(2015年10月5日指定)、全国で唯一の松久院という記載を本文で確認
- 民間二次情報 静岡県磐田市の寺院・御堂一覧(サーチ寺院)
磐田市三家332・曹洞宗の松久院の登載を本文で確認
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年・1921年)第13章 神社及宗教 曹洞宗寺院の項(160 松久院)
国立国会図書館デジタルコレクション。462コマ目の本文画像で由緒全文(豊田山・永江院末・釈迦牟尼如来・寛永元年8月開創)を確認
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』第12章 教育(広瀬尋常高等小学校の沿革)
294コマ目。明治8年に三家学校が三家村58番地の松久院内に設置され、三家・松木島・下神増3村の児童を教育した記述を本文画像で確認
- 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 寺院検索「松久院」
住所(磐田市三家332)・フリガナ(ショウキュウイン)を照合し当該寺院と確認。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄
- 郷土資料 コトバンク「三家村」(日本歴史地名大系)
三家村が天竜川下流域に位置し、北は松之木島村・南は壱貫地村に接すること、広瀬村(のち豊岡村)の大字となった沿革を確認(2026年7月19日参照)
- 行政・公的資料 旧豊岡村の住所表示|磐田市公式ウェブサイト
三家が旧豊岡村の大字であり、合併により磐田市の住所表示となったことを確認(2026年7月19日参照)
- 郷土資料 コトバンク「豊岡村」(日本歴史地名大系)
旧磐田郡豊岡村が天竜川下流域左岸に位置し、村域の遺跡の多くが天竜川左岸段丘の古墳群であることを確認(2026年7月19日参照)
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
Same Area
同じ地区の寺院
Same Sect