豊岡地区・現存
法音庵
ほうおんあん
法音庵(ほうおんあん)は、磐田市上野部にある曹洞宗の寺院です。山号は鳳雄山、本尊は十一面観世音菩薩で、文明4年(1472年)に下野部・一雲斎3世の川僧慧済禅師が開いたと伝わります。令和4年(2022年)に開創550年を迎えた、天竜川左岸・旧豊岡村域の古庵です。
別称・関連名称鳳雄山
- 寺院名
- 法音庵
- 地区
- 豊岡
- 住所
- 静岡県磐田市上野部2032番地
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 法音庵
- 読み方
- ほうおんあん
- 地区
- 豊岡
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 十一面観世音菩薩
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市上野部2032番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 2件の年中行事・法要情報を掲載
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 本堂・位牌堂・庫裡・山門/六地蔵尊
- 最終確認日
- 2026.07.19
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 法音庵
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 十一面観世音菩薩
- 創建
- 文明4年(1472年)川僧慧済禅師開創
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市上野部2032番地
- 地区
- 豊岡
Database 02
沿革
『静岡県磐田郡誌』にみる由緒
大正10年(1921年)刊行の『静岡県磐田郡誌』は、曹洞宗寺院の一つとして「188 法音庵(野部村)」を立項し、「野部村上野部字田か谷に在り。鳳雄山と號す。當村一雲齋の末寺にして、本尊は十一面觀世音菩薩なり。文明四年七月、一雲齋第三世川僧和尚の分派開創に係る」と記しています。同郡誌の曹洞宗寺院一覧表にも、法音庵の山号を鳳雄山、開山を川僧とする記載がみえます。文明4年(1472年)の開創年代は、曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」が伝える由緒とも一致しており、室町時代中期にさかのぼる庵であることが郡誌と宗門情報の両方から確認できます。
開創者・川僧慧済禅師
開創者と伝わる川僧慧済禅師は、室町時代の曹洞宗の禅僧です。古田紹欽の研究「川僧慧済について」(愛知学院大学禅研究所)によれば、三河国の出身で、梅山聞本から如仲天誾、真巌道空へと続く峨山韶碩門下・太源派の法脈を嗣ぎました。永享9年(1437年)に如仲天誾に参じ、如仲の没後は大洞院(周智郡森町)でその塔を3年守り、康正元年(1455年)に遠江に一庵を建てて如仲の肖像を安置し、開山第一世に仰いだと自ら記しています。この一庵が下野部の一雲斎とされます。のちに能登の総持寺(大本山總持寺の前身)に住した後に一雲斎へ帰り、文明7年(1475年)7月9日に示寂しました。語録『川僧語録』3巻を残した学徳の高い僧として知られます。法音庵の開創は、その示寂のわずか3年前にあたります。
文明年間の分派開創と一雲斎の法灯
『静岡県磐田郡誌』によれば、本寺の一雲斎(下野部、山号万世山)は応永25年(1418年)に真巌和尚が開創し、大洞院2世如仲和尚を開山に請じた寺院で、江戸時代には朱印高15石を有した本寺格の寺院でした。同郡誌には、法音庵と同じく川僧和尚の分派開創になる寺として、合代島の東林庵(林光山、文明6年〔1474年〕3月9日)も記されています。文明年間(1469〜1487年)に一雲斎から旧野部村域の各集落へ末庵が分かれて開かれており、上野部の法音庵はその末寺網の一角として成立しました。『日本歴史地名大系』の敷地村の項には、文明12年(1480年)の一雲斎の授戒会に敷地の村人たちが参加した記録もみえ、15世紀後半のこの地域に曹洞宗の教線が広がっていく様子がうかがえます。
開創550年と現在の伽藍
曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」の法音庵の頁によれば、本堂・位牌堂・庫裡・山門などの伽藍は平成14年(2002年)に一新され、令和4年(2022年)には開創550年を迎えました。現在はご詠歌や写経・写仏の活動が行われており、ご祈祷やお墓・納骨についての相談も受け付けています。毎年10月24日午後2時からは六地蔵尊祈願祭が営まれています。文明の開創から550年、庵は姿を改めながら、上野部の人びとの菩提を弔い続けています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 十一面観世音菩薩
- 宗教的意味
- 法音庵は曹洞宗に属し、下野部の一雲斎から広がった太源派・真巌派の法灯に連なります。坐禅を旨とする禅宗寺院でありながら、本尊にはあらゆる方向へ顔を向けて人びとを見守る十一面観世音菩薩を祀ります。文明年間に一雲斎から分かれて集落ごとに開かれた庵という出自とあわせ、上野部の村人の観音信仰を身近に受けとめてきた寺の性格がうかがえます。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
本堂・位牌堂・庫裡・山門
曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」によれば、本堂・位牌堂・庫裡・山門などの伽藍は平成14年(2002年)に一新されました。開創550年の歴史をもつ庵でありながら、堂宇は近年整えられたもので、お参りしやすい平地の境内に建ち並んでいます。位牌堂を備えることは、檀家の先祖供養の場としての性格をよく示しています。
六地蔵尊
寺院公式情報(曹洞禅ナビ)によれば、毎年10月24日午後2時から六地蔵尊祈願祭が営まれています。六地蔵は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道のそれぞれで衆生を救うとされる6体の地蔵菩薩で、墓地の入口などに祀られることの多い身近な石仏です。年に一度の祈願祭が続けられていることは、この六地蔵尊が檀家の信仰を集めてきたことを物語ります。
Database 06
年中法要
- 六地蔵尊祈願祭毎年10月24日午後2時より
寺院公式情報(曹洞禅ナビ)による
- ご詠歌・写経・写仏通年の活動
寺院公式情報(曹洞禅ナビ)による
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
法音庵のある上野部は、天竜川左岸の旧磐田郡豊岡村域の北部に位置します。『日本歴史地名大系』によれば、旧豊岡村域は天竜川下流域の左岸に広がり、天竜浜名湖鉄道が東西に走る地で、天竜川左岸の段丘には古墳群を主体とする約50か所の遺跡が登録されています。古代から人びとの営みが続いてきた土地であり、上野部・下野部・合代島などの集落は昭和30年(1955年)に豊岡村となり、平成17年(2005年)の合併で磐田市となりました。
天竜浜名湖鉄道の上野部駅(磐田市上野部2704-2)は天竜川の堤防に隣接する無人駅で、夏には鮎釣りの客でにぎわうと同鉄道の公式サイトは紹介しています。駅名の「上野部」は「旧野部の上にあるところ」に由来し、「野部」は野原・野の辺りを意味すると伝えられます。川とともにある暮らしの中で、法音庵は集落の菩提寺として営まれてきました。
旧野部村域の曹洞宗寺院は、下野部の一雲斎を本寺として、上野部の法音庵、合代島の東林庵などが同じ法灯に連なっています。文明年間に川僧慧済禅師のもとで分派開創された庵が、それぞれの集落で550年にわたり法灯を守ってきたことは、豊岡地区の信仰の歴史を語るうえで欠かせない事実です。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9382
- 宗派公式資料法音庵 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータル)
鳳雄山法音庵・磐田市上野部2032・本尊十一面観世音菩薩・文明4年(1472年)川僧慧済禅師開創・令和4年開創550年・平成14年に本堂位牌堂庫裡山門等一新・ご詠歌・写経写仏を本文で確認。
- 民間二次情報静岡県磐田市の寺院・御堂一覧(サーチ寺院)
磐田市上野部2032・曹洞宗の法音庵の登載を本文で確認。
- 寺院公式情報法音庵 - 曹洞禅ナビー寺院検索(沿革・年間行事)
六地蔵尊祈願祭の開催日を記載
- 寺院公式情報法音庵 - 曹洞禅ナビー寺院検索(お役立ち)
墓地・永代供養塔・樹木葬墓地・駐車場の案内を記載
- 寺院公式情報法音庵 Facebookページ
曹洞禅ナビに登録された公式Facebookリンク
最終更新日 2026.07.19
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01
この寺院について
法音庵は磐田市上野部2032番地に所在する曹洞宗の寺院です。曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」に磐田市上野部の寺院として掲載され、静岡県知事所轄宗教法人名簿にも磐田市内の宗教法人として登載されています。上野部は天竜川左岸の旧磐田郡豊岡村の大字で、平成17年(2005年)の合併により磐田市の住所表示となりました。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば、所在は野部村上野部字田か谷、山号は鳳雄山で、同じ野部村(現在の下野部)の一雲斎の末寺です。本尊は十一面観世音菩薩で、文明4年(1472年)7月、一雲斎3世の川僧和尚(川僧慧済禅師)の分派開創と記されています。曹洞禅ナビの寺院情報も文明4年(1472年)の川僧慧済禅師開創と伝え、令和4年(2022年)に開創550年を迎えました。
本堂・位牌堂・庫裡・山門などの伽藍は平成14年(2002年)に一新されています。現在はご詠歌や写経・写仏の活動が行われ、毎年10月24日には六地蔵尊祈願祭が営まれるなど、開創から550年を超えた今も、上野部の人びとの祈りと先祖供養の場として法灯を伝え続けています。
02
歴史と背景
『静岡県磐田郡誌』にみる由緒
大正10年(1921年)刊行の『静岡県磐田郡誌』は、曹洞宗寺院の一つとして「188 法音庵(野部村)」を立項し、「野部村上野部字田か谷に在り。鳳雄山と號す。當村一雲齋の末寺にして、本尊は十一面觀世音菩薩なり。文明四年七月、一雲齋第三世川僧和尚の分派開創に係る」と記しています。同郡誌の曹洞宗寺院一覧表にも、法音庵の山号を鳳雄山、開山を川僧とする記載がみえます。文明4年(1472年)の開創年代は、曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」が伝える由緒とも一致しており、室町時代中期にさかのぼる庵であることが郡誌と宗門情報の両方から確認できます。
開創者・川僧慧済禅師
開創者と伝わる川僧慧済禅師は、室町時代の曹洞宗の禅僧です。古田紹欽の研究「川僧慧済について」(愛知学院大学禅研究所)によれば、三河国の出身で、梅山聞本から如仲天誾、真巌道空へと続く峨山韶碩門下・太源派の法脈を嗣ぎました。永享9年(1437年)に如仲天誾に参じ、如仲の没後は大洞院(周智郡森町)でその塔を3年守り、康正元年(1455年)に遠江に一庵を建てて如仲の肖像を安置し、開山第一世に仰いだと自ら記しています。この一庵が下野部の一雲斎とされます。のちに能登の総持寺(大本山總持寺の前身)に住した後に一雲斎へ帰り、文明7年(1475年)7月9日に示寂しました。語録『川僧語録』3巻を残した学徳の高い僧として知られます。法音庵の開創は、その示寂のわずか3年前にあたります。
文明年間の分派開創と一雲斎の法灯
『静岡県磐田郡誌』によれば、本寺の一雲斎(下野部、山号万世山)は応永25年(1418年)に真巌和尚が開創し、大洞院2世如仲和尚を開山に請じた寺院で、江戸時代には朱印高15石を有した本寺格の寺院でした。同郡誌には、法音庵と同じく川僧和尚の分派開創になる寺として、合代島の東林庵(林光山、文明6年〔1474年〕3月9日)も記されています。文明年間(1469〜1487年)に一雲斎から旧野部村域の各集落へ末庵が分かれて開かれており、上野部の法音庵はその末寺網の一角として成立しました。『日本歴史地名大系』の敷地村の項には、文明12年(1480年)の一雲斎の授戒会に敷地の村人たちが参加した記録もみえ、15世紀後半のこの地域に曹洞宗の教線が広がっていく様子がうかがえます。
開創550年と現在の伽藍
曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」の法音庵の頁によれば、本堂・位牌堂・庫裡・山門などの伽藍は平成14年(2002年)に一新され、令和4年(2022年)には開創550年を迎えました。現在はご詠歌や写経・写仏の活動が行われており、ご祈祷やお墓・納骨についての相談も受け付けています。毎年10月24日午後2時からは六地蔵尊祈願祭が営まれています。文明の開創から550年、庵は姿を改めながら、上野部の人びとの菩提を弔い続けています。
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文化財・見どころ
本堂・位牌堂・庫裡・山門
曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」によれば、本堂・位牌堂・庫裡・山門などの伽藍は平成14年(2002年)に一新されました。開創550年の歴史をもつ庵でありながら、堂宇は近年整えられたもので、お参りしやすい平地の境内に建ち並んでいます。位牌堂を備えることは、檀家の先祖供養の場としての性格をよく示しています。
六地蔵尊
寺院公式情報(曹洞禅ナビ)によれば、毎年10月24日午後2時から六地蔵尊祈願祭が営まれています。六地蔵は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道のそれぞれで衆生を救うとされる6体の地蔵菩薩で、墓地の入口などに祀られることの多い身近な石仏です。年に一度の祈願祭が続けられていることは、この六地蔵尊が檀家の信仰を集めてきたことを物語ります。
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宗派と本尊を知る
法音庵は曹洞宗に属し、下野部の一雲斎から広がった太源派・真巌派の法灯に連なります。坐禅を旨とする禅宗寺院でありながら、本尊にはあらゆる方向へ顔を向けて人びとを見守る十一面観世音菩薩を祀ります。文明年間に一雲斎から分かれて集落ごとに開かれた庵という出自とあわせ、上野部の村人の観音信仰を身近に受けとめてきた寺の性格がうかがえます。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
観音菩薩という仏さま
観音菩薩は、正式には観世音菩薩といい、世の人びとの苦しみの声を観じて、ただちに救いに赴くとされる菩薩です。『法華経』の観世音菩薩普門品(観音経)には、相手に応じて33の姿に身を変えて救うと説かれています。その姿は、老人や子ども、僧侶や天女など、救う相手に最もふさわしいものへと臨機応変に変わるとされ、この教えから観音さまは古くから最も広く信仰を集めてきました。
基本の姿である聖観音のほか、あらゆる方向に顔を向けて見守る十一面観音、千の手と眼で漏れなく救いの手を差し伸べる千手観音、憤怒の形相をとる馬頭観音など、多彩な変化観音が生み出され、それぞれの姿で人びとのさまざまな願いに応えてきました。
病気平癒や家内安全など現世のご利益を願う信仰に加え、観音霊場を順に巡る三十三所の巡礼も各地で育まれてきました。地域の観音堂や観音講を通じて、身近な悩みを聞き届けてくださる仏さまとして、今も厚く親しまれています。
05
地域とのつながり
法音庵のある上野部は、天竜川左岸の旧磐田郡豊岡村域の北部に位置します。『日本歴史地名大系』によれば、旧豊岡村域は天竜川下流域の左岸に広がり、天竜浜名湖鉄道が東西に走る地で、天竜川左岸の段丘には古墳群を主体とする約50か所の遺跡が登録されています。古代から人びとの営みが続いてきた土地であり、上野部・下野部・合代島などの集落は昭和30年(1955年)に豊岡村となり、平成17年(2005年)の合併で磐田市となりました。
天竜浜名湖鉄道の上野部駅(磐田市上野部2704-2)は天竜川の堤防に隣接する無人駅で、夏には鮎釣りの客でにぎわうと同鉄道の公式サイトは紹介しています。駅名の「上野部」は「旧野部の上にあるところ」に由来し、「野部」は野原・野の辺りを意味すると伝えられます。川とともにある暮らしの中で、法音庵は集落の菩提寺として営まれてきました。
旧野部村域の曹洞宗寺院は、下野部の一雲斎を本寺として、上野部の法音庵、合代島の東林庵などが同じ法灯に連なっています。文明年間に川僧慧済禅師のもとで分派開創された庵が、それぞれの集落で550年にわたり法灯を守ってきたことは、豊岡地区の信仰の歴史を語るうえで欠かせない事実です。
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年中行事・参拝の手引き
年中行事・法要
- 六地蔵尊祈願祭(毎年10月24日午後2時より)
寺院公式情報(曹洞禅ナビ)による
- ご詠歌・写経・写仏(通年の活動)
寺院公式情報(曹洞禅ナビ)による
参拝・法要で訪れる方へ
境内隣接の墓地のほか、永代供養塔・樹木葬墓地があります(曹洞禅ナビによる)。お参りしやすい平地に立地し、駐車場も備わっています。
法要・ご祈祷・納骨の相談は、曹洞禅ナビ掲載の連絡先を通じて寺院へ直接確認してください。
- 彼岸会・盂蘭盆会・施餓鬼会など年中法要の日程は未確認
- 護持会・世話人会など檀家組織の公開情報は未確認
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 法音庵の読み方は?
-
「ほうおんあん」と読みます。山号は鳳雄山で、『静岡県磐田郡誌』にも「鳳雄山と號す」と記されています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』は本尊を十一面観世音菩薩と記しており、曹洞禅ナビの寺院情報とも一致します。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ誰が開いたお寺ですか?
-
文明4年(1472年)に、下野部の一雲斎3世・川僧慧済禅師が分派開創したと『静岡県磐田郡誌』と曹洞宗公式ポータルの両方に記されています。令和4年(2022年)に開創550年を迎えました。
本文「歴史と背景」を読む - 開創者の川僧慧済禅師とはどんな人ですか?
-
三河出身の室町時代の曹洞宗の禅僧で、如仲天誾(大洞院開山)の孫弟子にあたります。下野部の一雲斎を建てて如仲を開山に仰ぎ、能登の総持寺に住した後に一雲斎へ帰り、文明7年(1475年)に示寂しました。語録3巻を残しています。
本文「歴史と背景」を読む - 一雲斎とはどんな関係ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』によれば、法音庵は下野部の一雲斎(万世山・朱印高15石の本寺格)の末寺で、一雲斎3世川僧和尚の分派開創です。合代島の東林庵も同じ川僧和尚の分派開創と記されています。
本文「歴史と背景」を読む - お墓や永代供養はありますか?
-
曹洞禅ナビによれば、境内隣接の墓地のほか、永代供養塔と樹木葬墓地があります。詳細は寺院へ直接確認してください。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む - 「庵」という名前ですが独立したお寺ですか?
-
はい。静岡県知事所轄宗教法人名簿に宗教法人「法音庵」として掲載される独立した寺院です。庵号のまま今日に至った経緯(寺院への昇格の有無など)は現時点では確認できていません。
本文「この寺院について」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9382。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 宗派公式資料 法音庵 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータル)
鳳雄山法音庵・磐田市上野部2032・本尊十一面観世音菩薩・文明4年(1472年)川僧慧済禅師開創・令和4年開創550年・平成14年に本堂位牌堂庫裡山門等一新・ご詠歌・写経写仏を本文で確認。
- 寺院公式情報 法音庵 - 曹洞禅ナビー寺院検索(沿革・年間行事)
六地蔵尊祈願祭の開催日(毎年10月24日午後2時より)を記載
- 寺院公式情報 法音庵 - 曹洞禅ナビー寺院検索(お役立ち)
墓地・永代供養塔・樹木葬墓地・駐車場の案内を記載
- 民間二次情報 静岡県磐田市の寺院・御堂一覧(サーチ寺院)
磐田市上野部2032・曹洞宗の法音庵の登載を本文で確認。
- 寺院公式情報 法音庵 Facebookページ
曹洞禅ナビに登録された公式Facebookリンク
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年・1921年)第13章 神社及宗教「188 法音庵(野部村)」
国立国会図書館デジタルコレクション。466コマ目の原本画像で「野部村上野部字田か谷・鳳雄山・一雲斎末・本尊十一面観世音菩薩・文明4年7月・一雲斎3世川僧和尚の分派開創」の由緒全文を確認(2026年7月19日)。同コマの一雲斎(189)・東林庵(191)の由緒もあわせて参照
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』曹洞宗寺院一覧表
421コマ目の一覧表原本画像で、法音庵の山号(鳳雄山)・創立(文明4年)・開山(川僧)の記載を確認(2026年7月19日)
- 郷土資料 古田紹欽「川僧慧済について」(愛知学院大学禅研究所 公開PDF)
川僧慧済の法系(梅山聞本―如仲天誾―真巌道空―川僧慧済)・三河出身・永享9年如仲に参ず・康正元年に一庵(一雲斎とされる)建立・総持寺入院・文明7年7月9日示寂・語録3巻を本文で確認(学術論文)
- 行政・公的資料 旧豊岡村の住所表示|磐田市公式ウェブサイト
上野部が旧豊岡村の大字であり、磐田市上野部(郵便番号438-0111)となったことを確認。
- 郷土資料 コトバンク「豊岡村」(日本歴史地名大系・静岡県磐田郡)
旧豊岡村域が天竜川下流域左岸に位置し天竜浜名湖鉄道が東西に通ること、天竜川左岸段丘に古墳群主体の約50遺跡が登録されていることを確認
- 郷土資料 コトバンク「敷地村」(日本歴史地名大系)
文明12年(1480年)の一雲斎の授戒会に敷地の平大夫・左近太郎らが参加した記録を確認(15世紀後半の一雲斎の教線の広がりの根拠)
- 民間二次情報 天竜浜名湖鉄道公式サイト「上野部駅」
上野部駅(磐田市上野部2704-2)が天竜川堤防に隣接する無人駅であること、夏の鮎釣り客のにぎわい、駅名の由来(旧野部の上にあるところ)を確認
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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