竜洋地区・現存

心月寺

しんげつじ

ページ充実度 充実 最終確認 2026.07.19

心月寺(しんげつじ)は、磐田市海老島にある曹洞宗の寺院で、山号は海松山です。伝承では平安時代末期の開創とされ、天正3年(1575年)に小島の正眼院2世宗哲を開山として再興されました。江戸時代には寺領2石を持つ海老島村唯一の寺として続き、明治6年(1873年)には本堂を仮校舎として海老島小学校が開かれるなど、地域の近代教育の出発点にもなった寺です。

別称・関連名称海松山心月寺

寺院名
心月寺
地区
竜洋
住所
静岡県磐田市海老島200番地の1
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
心月寺
読み方
しんげつじ
地区
竜洋
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
聖観世音菩薩(『静岡県磐田郡誌』大正10年による。現況は要確認)
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市海老島200番地の1
Googleマップ
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寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
本堂/豊田郡三十三観音霊場第13番
最終確認日
2026.07.11

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

心月寺の現地写真 1
現地写真・本堂・堂宇
心月寺の現地写真 2
入口・石標
心月寺の現地写真 3
境内全景
心月寺の現地写真 4
石造物・手水
心月寺の現地写真 5
説明板・案内板
心月寺の現地写真 6
その他
宗派曹洞宗
創建・年代伝承では平安時代末期(平氏の頃)の開創、天正3年(1575年)再興
本尊聖観世音菩薩(『静岡県磐田郡誌』大正10年による。現況は要確認)
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地竜洋・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
心月寺
宗派
曹洞宗
本尊
聖観世音菩薩(『静岡県磐田郡誌』大正10年による。現況は要確認)
創建
伝承では平安時代末期(平氏の頃)の開創、天正3年(1575年)再興
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市海老島200番地の1
地区
竜洋

Database 02

沿革

平氏の頃の開創伝承と天正3年の再興

『静岡県磐田郡誌』の寺院各説には「心月寺(袖浦村)」として「袖浦村海老島字小池方に在り。海松山と号す。長野村正眼院の末寺にして、本尊は聖観世音菩薩なり。伝へ云ふ、元平氏の頃の開創なりしが、後廃滅に帰し、天正三年に至り、正眼院第二世宗哲を開山として再興せりと」と記されています。平氏の頃、すなわち平安時代末期の開創は伝承の域を出ませんが、天正3年(1575年)の再興以降の存続は複数の史料から裏づけられます。天正3年は徳川家康が遠江の領国化を進めていた時期にあたり、戦乱で荒廃した寺々がこの前後に相次いで再興・開創されたことが、旧竜洋町域の寺院の由緒に共通してみられます。再興開山の宗哲を出した正眼院(磐田市小島)は、天正13年(1585年)に大中瀬の正全寺の中興にも徒弟を送るなど、天正期にこの地域で曹洞宗が広がっていく際の中心となった寺院で、心月寺の再興もその展開の一環に位置づけられます。

江戸時代の記録にみえる心月寺

江戸時代の心月寺は、幕府や地誌の記録にたびたび登場します。寛永10年(1633年)ごろに幕府が全国の寺院に提出させた諸宗末寺帳は、本寺と末寺の関係を幕府が把握するための基礎台帳ですが、そこに海老嶋村の心月寺が寺領2石とともに登載されています。小さな村の末寺までもれなく記録されたこの帳簿に名が見えることは、江戸時代初期の時点で心月寺が正式な寺院として公認されていたことを意味します。延享期(1744年から1748年)の曹洞宗寺院本末牒にも御黒印2石の海老島村心月寺が記され、『元禄高帳による元禄期遠江国石高表』でも海老島村高210石余のうち心月寺領2石が除かれています。さらに寛政年間に国学者・内山真龍が著した地誌『遠江国風土記伝』には「心月寺、除地高弐石、曹洞宗小島村正眼院末、平僧住」とみえます。約150年にわたり寺領2石という記録が一貫しており、小さいながらも安定して維持された村の寺の姿がうかがえます。

安政東海地震の被災

嘉永7年=安政元年(1854年)11月4日の安政東海地震では、天竜川河口東岸の村々の寺院が軒並み被災しました。歴史地震研究会の会誌『歴史地震』第21号に掲載された寺院被害の研究の付表には「磐田市海老島197 心月寺」が採録されており、『ふるさと竜洋』に基づいて、嘉永7年11月4日の震災により倒潰したことが記録されています。同付表には「現在の本堂は天保9年再建されたものである」との記述も併記されていますが、天保9年(1838年)は地震より前にあたるため、倒潰と再建の前後関係については原資料の確認が必要です。同研究は、天竜川河口付近東岸の掛塚で全壊被害を受けた寺院が集中したことを指摘し、河口部の後背湿地にあたるため強い揺れになったと推定しています。先行研究では磐田市掛塚は震度7の揺れと報告されており、同じ付表には岡の聖寿寺(本堂倒壊)、豊岡の守増寺(本堂倒壊)、平間の願成寺(残らず破壊)、掛塚の香集寺・満福寺(堂宇倒壊)など、旧竜洋町域のほとんどの寺院の被害が並んでいます。海老島の心月寺の被災も、この地域一帯を襲った震災の記録の一つであり、村人たちが寺を建て直しながら法灯をつないできた歴史を物語っています。

海老島小学校の仮校舎として

『静岡県磐田郡誌』の教育の章によれば、明治5年(1872年)の学制発布を受けて、明治6年(1873年)6月19日に海老島村の心月寺を仮校舎として海老島小学校が開校しました(郡誌には明治5年6月に第68番海老島小学校を創設したとする記述も併記されています)。『磐田市教育のあけぼの』(磐田市誌シリーズ第1冊、1973年)も、袖浦村域の小学校が心月寺において開校したことを記しています。校舎が整うまでの間、村で最も広い建物であった寺の本堂が子どもたちの学び舎となったもので、心月寺は海老島の近代教育の出発点となりました。旧竜洋町域では、竜洋中島の蓮覚寺でも西之島学校の分校が開かれたと伝えられており、寺と学校の結びつきはこの地域に共通する歴史です。

袖浦村から磐田市へ

海老島村は江戸時代には豊田郡に属し、明治22年(1889年)の町村制施行で袖浦村の大字となりました。昭和30年(1955年)には掛塚町・十束村・袖浦村の合併で竜洋町が発足し、平成17年(2005年)4月1日の合併で磐田市の一部となっています。合併に伴う住所表示の変更では「竜洋町海老島」が「磐田市海老島」と改められました。心月寺は現在も曹洞宗の寺院として静岡県知事所轄の宗教法人名簿に登載され、曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」にも磐田市海老島200-1の寺院として掲載されています(同ポータルの由緒・本尊・年中行事の欄は未記入です)。享保年間開創の豊田郡三十三観音霊場の第13番札所としての記憶も、霊場資料に「海松山心月寺」の名で伝えられています。年中行事や檀家組織などの現況は公開情報では確認できておらず、今後の調査課題です。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
聖観世音菩薩(『静岡県磐田郡誌』大正10年による。現況は要確認)
宗教的意味
心月寺は曹洞宗に属し、磐田市小島の正眼院を本寺とする法系に連なります。天正3年(1575年)の再興開山・宗哲は正眼院の2世で、天正期の天竜川東岸で曹洞宗が広がる中心にいた僧でした。本尊について『静岡県磐田郡誌』は聖観世音菩薩と記しており、豊田郡三十三観音霊場第13番の札所であったことも、この観音信仰と対応しています(現在の本尊の現況は確認中です)。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

境内の見どころ

本堂

『静岡県磐田郡誌』が本尊聖観世音菩薩を祀ると記した心月寺の中心堂宇です。明治6年(1873年)には海老島小学校の仮校舎となり、村の子どもたちがここで最初の授業を受けました。歴史地震研究の寺院被害一覧には、安政東海地震(嘉永7年=1854年)での倒潰が『ふるさと竜洋』に基づき採録されており、現在の本堂はその後の再建・修理を経て受け継がれてきたものとみられます。国・県・市の指定文化財は確認されていませんが、信仰・教育・災害復興の記憶を重ねて伝える建物です。

札所の記憶

豊田郡三十三観音霊場第13番

享保年間に開かれた歴史的霊場・豊田郡三十三観音霊場の第13番札所が「海松山心月寺」です。豊田郡は江戸時代にこの一帯が属した郡の名で、郡内の観音を祀る33の寺を巡る霊場でした。現在この霊場としての活動は確認されていませんが、聖観世音菩薩を本尊とする心月寺が、近世以来この地域の観音巡拝の一角を担ってきたことを伝えています。

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

心月寺のある海老島は、天竜川が形づくったデルタ地帯の集落です。『日本歴史地名大系』は旧竜洋町域を「磐田郡の南西端、天竜川河口東側に位置する」と記しており、海老島もまた、川がもたらす実りと洪水の危険の両方と向き合いながら歴史を重ねてきました。江戸時代の海老島村は村高210石余の小さな村でしたが、そのうち2石が心月寺の寺領として除かれ続けたことが元禄期の石高表や『遠江国風土記伝』から確認できます。村高210石余という規模からもうかがえるとおり海老島は小さな集落でしたが、村にただ一つの寺として、心月寺は葬儀と法要、観音巡拝の場であり続けました。明治22年(1889年)に海老島村が周辺の村々と合併して袖浦村となった後も、大字海老島の菩提寺としての役割は変わりませんでした。

天竜川河口の掛塚には江戸から明治にかけて大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地・掛塚湊が栄え、天竜川上流から筏で運ばれた木材の積み出しで賑わいました。海老島を含む旧竜洋町域は、この湊の経済圏の中にありました。明治6年(1873年)に心月寺の本堂で海老島小学校が開かれたことは、寺が村の公共空間そのものであったことを物語ります。嘉永7年=安政元年(1854年)の安政東海地震では本堂が倒潰しましたが、村人たちは寺を再建し、法灯を今日まで守り継ぎました。昭和30年(1955年)の竜洋町発足、平成17年(2005年)の磐田市への合併を経ても、海老島の集落でただ一つの寺という心月寺の立ち位置は今も変わっていません。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9340

  2. 民間二次情報静岡県磐田市海老島の寺院一覧 - NAVITIME

    海老島の寺院として心月寺(磐田市海老島200-1)が掲載されていることを本文で確認。同地区の寺院はこの1件のみ。

  3. 民間二次情報卍心月寺|静岡県磐田市 - 八百万の神

    宗派=曹洞宗、所在地=磐田市海老島200-1を確認。

  4. 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編、大正10年(第13章 寺院各説112「心月寺」、289コマに海老島小学校の記事)

    国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開)。456コマの原本画像で由緒本文を確認

  5. 郷土資料内山真龍『遠江国風土記伝』(郁文舎、明治33年刊)

    「心月寺、除地高弐石、曹洞宗小島村正眼院末、平僧住」(ログインなしで閲覧可能資料、113コマ)

  6. 民間二次情報ニッポンの霊場 豊田郡三十三観音霊場

    第13番=海松山心月寺(曹洞宗・海老島200)を確認。寺名・宗派・住所がDBと一致。

  7. 民間二次情報サーチ寺院(119カ寺)静岡県磐田市の寺院・御堂

    住所(磐田市海老島200番地の1、〒438-0212)・宗派(曹洞宗)を確認。

  8. 宗派公式資料心月寺 - 曹洞禅ナビ寺院検索

    名称・フリガナ(シンゲツジ)・住所(磐田市海老島200-1)一致確認。由緒・本尊・年中行事欄は未記入。

最終更新日 2026.07.19

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この寺院について

心月寺は磐田市海老島200番地の1、天竜川下流東岸の旧竜洋町域に所在する曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』は所在を「袖浦村海老島字小池方」と記しています。山号は海松山で、小島(旧長野村、現磐田市小島)の正眼院の末寺として法灯を伝えてきました。地図情報サイトの海老島の寺院一覧には心月寺1件のみが掲載されており、集落唯一の寺院です。曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」にも磐田市海老島200-1の寺院として掲載されています。

大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、本尊を聖観世音菩薩と記しています。享保年間に開かれた歴史的霊場である豊田郡三十三観音霊場では第13番札所に数えられており、観音信仰の寺として村人の巡拝を受けてきました。伝承では平安時代末期の開創とされ、天正3年(1575年)の再興から数えても450年の歴史を持つ寺です。

なお、静岡県内には牧之原市相良にも同名の曹洞宗「釘浦山心月寺」(本尊薬師如来・公式サイトあり)が存在しますが、これは別の寺院です。インターネット上では両寺の情報が混在しやすいため、当ページでは磐田市海老島の心月寺についてのみ記載しています。

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歴史と背景

平氏の頃の開創伝承と天正3年の再興

『静岡県磐田郡誌』の寺院各説には「心月寺(袖浦村)」として「袖浦村海老島字小池方に在り。海松山と号す。長野村正眼院の末寺にして、本尊は聖観世音菩薩なり。伝へ云ふ、元平氏の頃の開創なりしが、後廃滅に帰し、天正三年に至り、正眼院第二世宗哲を開山として再興せりと」と記されています。平氏の頃、すなわち平安時代末期の開創は伝承の域を出ませんが、天正3年(1575年)の再興以降の存続は複数の史料から裏づけられます。天正3年は徳川家康が遠江の領国化を進めていた時期にあたり、戦乱で荒廃した寺々がこの前後に相次いで再興・開創されたことが、旧竜洋町域の寺院の由緒に共通してみられます。再興開山の宗哲を出した正眼院(磐田市小島)は、天正13年(1585年)に大中瀬の正全寺の中興にも徒弟を送るなど、天正期にこの地域で曹洞宗が広がっていく際の中心となった寺院で、心月寺の再興もその展開の一環に位置づけられます。

江戸時代の記録にみえる心月寺

江戸時代の心月寺は、幕府や地誌の記録にたびたび登場します。寛永10年(1633年)ごろに幕府が全国の寺院に提出させた諸宗末寺帳は、本寺と末寺の関係を幕府が把握するための基礎台帳ですが、そこに海老嶋村の心月寺が寺領2石とともに登載されています。小さな村の末寺までもれなく記録されたこの帳簿に名が見えることは、江戸時代初期の時点で心月寺が正式な寺院として公認されていたことを意味します。延享期(1744年から1748年)の曹洞宗寺院本末牒にも御黒印2石の海老島村心月寺が記され、『元禄高帳による元禄期遠江国石高表』でも海老島村高210石余のうち心月寺領2石が除かれています。さらに寛政年間に国学者・内山真龍が著した地誌『遠江国風土記伝』には「心月寺、除地高弐石、曹洞宗小島村正眼院末、平僧住」とみえます。約150年にわたり寺領2石という記録が一貫しており、小さいながらも安定して維持された村の寺の姿がうかがえます。

安政東海地震の被災

嘉永7年=安政元年(1854年)11月4日の安政東海地震では、天竜川河口東岸の村々の寺院が軒並み被災しました。歴史地震研究会の会誌『歴史地震』第21号に掲載された寺院被害の研究の付表には「磐田市海老島197 心月寺」が採録されており、『ふるさと竜洋』に基づいて、嘉永7年11月4日の震災により倒潰したことが記録されています。同付表には「現在の本堂は天保9年再建されたものである」との記述も併記されていますが、天保9年(1838年)は地震より前にあたるため、倒潰と再建の前後関係については原資料の確認が必要です。同研究は、天竜川河口付近東岸の掛塚で全壊被害を受けた寺院が集中したことを指摘し、河口部の後背湿地にあたるため強い揺れになったと推定しています。先行研究では磐田市掛塚は震度7の揺れと報告されており、同じ付表には岡の聖寿寺(本堂倒壊)、豊岡の守増寺(本堂倒壊)、平間の願成寺(残らず破壊)、掛塚の香集寺・満福寺(堂宇倒壊)など、旧竜洋町域のほとんどの寺院の被害が並んでいます。海老島の心月寺の被災も、この地域一帯を襲った震災の記録の一つであり、村人たちが寺を建て直しながら法灯をつないできた歴史を物語っています。

海老島小学校の仮校舎として

『静岡県磐田郡誌』の教育の章によれば、明治5年(1872年)の学制発布を受けて、明治6年(1873年)6月19日に海老島村の心月寺を仮校舎として海老島小学校が開校しました(郡誌には明治5年6月に第68番海老島小学校を創設したとする記述も併記されています)。『磐田市教育のあけぼの』(磐田市誌シリーズ第1冊、1973年)も、袖浦村域の小学校が心月寺において開校したことを記しています。校舎が整うまでの間、村で最も広い建物であった寺の本堂が子どもたちの学び舎となったもので、心月寺は海老島の近代教育の出発点となりました。旧竜洋町域では、竜洋中島の蓮覚寺でも西之島学校の分校が開かれたと伝えられており、寺と学校の結びつきはこの地域に共通する歴史です。

袖浦村から磐田市へ

海老島村は江戸時代には豊田郡に属し、明治22年(1889年)の町村制施行で袖浦村の大字となりました。昭和30年(1955年)には掛塚町・十束村・袖浦村の合併で竜洋町が発足し、平成17年(2005年)4月1日の合併で磐田市の一部となっています。合併に伴う住所表示の変更では「竜洋町海老島」が「磐田市海老島」と改められました。心月寺は現在も曹洞宗の寺院として静岡県知事所轄の宗教法人名簿に登載され、曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」にも磐田市海老島200-1の寺院として掲載されています(同ポータルの由緒・本尊・年中行事の欄は未記入です)。享保年間開創の豊田郡三十三観音霊場の第13番札所としての記憶も、霊場資料に「海松山心月寺」の名で伝えられています。年中行事や檀家組織などの現況は公開情報では確認できておらず、今後の調査課題です。

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文化財・見どころ

境内の見どころ

本堂

『静岡県磐田郡誌』が本尊聖観世音菩薩を祀ると記した心月寺の中心堂宇です。明治6年(1873年)には海老島小学校の仮校舎となり、村の子どもたちがここで最初の授業を受けました。歴史地震研究の寺院被害一覧には、安政東海地震(嘉永7年=1854年)での倒潰が『ふるさと竜洋』に基づき採録されており、現在の本堂はその後の再建・修理を経て受け継がれてきたものとみられます。国・県・市の指定文化財は確認されていませんが、信仰・教育・災害復興の記憶を重ねて伝える建物です。

札所の記憶

豊田郡三十三観音霊場第13番

享保年間に開かれた歴史的霊場・豊田郡三十三観音霊場の第13番札所が「海松山心月寺」です。豊田郡は江戸時代にこの一帯が属した郡の名で、郡内の観音を祀る33の寺を巡る霊場でした。現在この霊場としての活動は確認されていませんが、聖観世音菩薩を本尊とする心月寺が、近世以来この地域の観音巡拝の一角を担ってきたことを伝えています。

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宗派と本尊を知る

心月寺は曹洞宗に属し、磐田市小島の正眼院を本寺とする法系に連なります。天正3年(1575年)の再興開山・宗哲は正眼院の2世で、天正期の天竜川東岸で曹洞宗が広がる中心にいた僧でした。本尊について『静岡県磐田郡誌』は聖観世音菩薩と記しており、豊田郡三十三観音霊場第13番の札所であったことも、この観音信仰と対応しています(現在の本尊の現況は確認中です)。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

観音菩薩という仏さま

観音菩薩は、正式には観世音菩薩といい、世の人びとの苦しみの声を観じて、ただちに救いに赴くとされる菩薩です。『法華経』の観世音菩薩普門品(観音経)には、相手に応じて33の姿に身を変えて救うと説かれています。その姿は、老人や子ども、僧侶や天女など、救う相手に最もふさわしいものへと臨機応変に変わるとされ、この教えから観音さまは古くから最も広く信仰を集めてきました。

基本の姿である聖観音のほか、あらゆる方向に顔を向けて見守る十一面観音、千の手と眼で漏れなく救いの手を差し伸べる千手観音、憤怒の形相をとる馬頭観音など、多彩な変化観音が生み出され、それぞれの姿で人びとのさまざまな願いに応えてきました。

病気平癒や家内安全など現世のご利益を願う信仰に加え、観音霊場を順に巡る三十三所の巡礼も各地で育まれてきました。地域の観音堂や観音講を通じて、身近な悩みを聞き届けてくださる仏さまとして、今も厚く親しまれています。

参考: 観音様を知ろう(日本遺産「会津の三十三観音めぐり」公式サイト)e国宝 十一面観音像(国立文化財機構)

05

地域とのつながり

心月寺のある海老島は、天竜川が形づくったデルタ地帯の集落です。『日本歴史地名大系』は旧竜洋町域を「磐田郡の南西端、天竜川河口東側に位置する」と記しており、海老島もまた、川がもたらす実りと洪水の危険の両方と向き合いながら歴史を重ねてきました。江戸時代の海老島村は村高210石余の小さな村でしたが、そのうち2石が心月寺の寺領として除かれ続けたことが元禄期の石高表や『遠江国風土記伝』から確認できます。村高210石余という規模からもうかがえるとおり海老島は小さな集落でしたが、村にただ一つの寺として、心月寺は葬儀と法要、観音巡拝の場であり続けました。明治22年(1889年)に海老島村が周辺の村々と合併して袖浦村となった後も、大字海老島の菩提寺としての役割は変わりませんでした。

天竜川河口の掛塚には江戸から明治にかけて大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地・掛塚湊が栄え、天竜川上流から筏で運ばれた木材の積み出しで賑わいました。海老島を含む旧竜洋町域は、この湊の経済圏の中にありました。明治6年(1873年)に心月寺の本堂で海老島小学校が開かれたことは、寺が村の公共空間そのものであったことを物語ります。嘉永7年=安政元年(1854年)の安政東海地震では本堂が倒潰しましたが、村人たちは寺を再建し、法灯を今日まで守り継ぎました。昭和30年(1955年)の竜洋町発足、平成17年(2005年)の磐田市への合併を経ても、海老島の集落でただ一つの寺という心月寺の立ち位置は今も変わっていません。

06

年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

住職の常駐状況や法要の受け付けについては公開情報で確認できていないため、法事やお墓参りに関する相談は、日程に余裕をもって事前に寺院へ直接連絡することをおすすめします。

インターネットで「心月寺」を検索すると牧之原市相良の同名寺院(釘浦山心月寺)の公式サイトが上位に表示されます。行事や連絡先を調べる際は、磐田市海老島の心月寺と取り違えないよう注意してください。

調査中の項目
  • 施餓鬼会・彼岸会など年中行事の時期と檀家の参列可否
  • 永代供養墓・納骨堂の有無
  • 護持会・世話人会など檀家組織の有無
  • 住職の常駐か兼務(近隣曹洞宗寺院による管理)かの別
  • 法事参列者向けの駐車場情報

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

07

よくある質問

心月寺の読み方と山号は?

「しんげつじ」と読みます。山号は海松山で、『静岡県磐田郡誌』に「海松山と号す」と記されています。山号の読み方は現地確認ができておらず、寺号標などでの確認が課題です。

本文「この寺院について」を読む
いつ開かれたお寺ですか?

伝承では平氏の頃(平安時代末期)の開創とされますが、いったん廃絶し、天正3年(1575年)に小島の正眼院2世宗哲を開山として再興されました。『静岡県磐田郡誌』がこの由緒を伝えており、再興以降の歴史は江戸幕府の末寺帳などの史料で裏づけられます。

本文「歴史と背景」を読む
本尊は何ですか?

大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は聖観世音菩薩と記しています。現在の本尊が同じであるかどうかは現地確認ができておらず、確認中です。

本文「宗派と本尊」を読む
江戸時代はどんなお寺でしたか?

小島の正眼院の末寺で、寺領2石を持つ村の寺でした。寛永10年(1633年)ごろの諸宗末寺帳から、延享期の曹洞宗寺院本末牒、元禄期の石高表、寛政年間の『遠江国風土記伝』まで、約150年にわたり寺領2石の記録が一貫して残っています。『遠江国風土記伝』には「平僧住」とあり、住職が置かれた寺であったことがわかります。

本文「歴史と背景」を読む
学校として使われたことがあるのですか?

明治6年(1873年)6月19日、心月寺を仮校舎として海老島小学校が開校したと『静岡県磐田郡誌』に記されています。『磐田市教育のあけぼの』にも袖浦村域の小学校が心月寺で開校したことが記されており、地域の近代教育の出発点となりました。

本文「地域とのつながり」を読む
安政の大地震で被害はあったのですか?

歴史地震研究の寺院被害一覧に、嘉永7年(1854年)11月4日の安政東海地震により倒潰したことが『ふるさと竜洋』に基づいて採録されています。同じ地震では旧竜洋町域のほとんどの寺院が被災しました。心月寺はその後再建され、現在に至ります。

本文「歴史と背景」を読む
検索すると別の心月寺が出てくるのですが?

牧之原市相良に同名の曹洞宗「釘浦山心月寺」(本尊薬師如来)があり、公式サイトやSNSはそちらの寺院のものです。磐田市海老島の心月寺とは別の寺院ですので、混同しないよう注意してください。

本文「この寺院について」を読む
年中行事やお墓のことを知りたいのですが。

年中行事や墓地・永代供養についての公開情報は現時点では確認できていません。檀家の方は寺院からの案内に従い、詳細は寺院へ直接確認することをおすすめします。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む

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写真で見る境内

心月寺の現地写真 1
本堂・堂宇 心月寺の現地写真 1
心月寺の現地写真 2
入口・石標 心月寺の現地写真 2
心月寺の現地写真 3
境内全景 心月寺の現地写真 3
心月寺の現地写真 4
石造物・手水 心月寺の現地写真 4
心月寺の現地写真 5
説明板・案内板 心月寺の現地写真 5
心月寺の現地写真 6
その他 心月寺の現地写真 6
心月寺の現地写真 7
本堂・堂宇 心月寺の現地写真 7
心月寺の現地写真 8
入口・石標 心月寺の現地写真 8
心月寺の現地写真 9
境内全景 心月寺の現地写真 9
心月寺の現地写真 10
石造物・手水 心月寺の現地写真 10
心月寺の現地写真 11
説明板・案内板 心月寺の現地写真 11
心月寺の現地写真 12
その他 心月寺の現地写真 12
心月寺の現地写真 13
本堂・堂宇 心月寺の現地写真 13

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出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9340。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 民間二次情報 静岡県磐田市海老島の寺院一覧 - NAVITIME

    海老島の寺院として心月寺(磐田市海老島200-1)が掲載されていることを本文で確認。同地区の寺院はこの1件のみ。

  3. 民間二次情報 卍心月寺|静岡県磐田市 - 八百万の神

    宗派=曹洞宗、所在地=磐田市海老島200-1を確認。

  4. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編、大正10年(第13章 寺院各説112「心月寺」、289コマに海老島小学校の記事)

    国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開)。456コマの原本画像で由緒本文(海松山・正眼院末・本尊聖観世音菩薩・平氏の頃開創伝承・天正3年宗哲再興)を確認

  5. 郷土資料 内山真龍『遠江国風土記伝』(郁文舎、明治33年刊)

    「心月寺、除地高弐石、曹洞宗小島村正眼院末、平僧住」(ログインなしで閲覧可能資料、113コマ)

  6. 民間二次情報 ニッポンの霊場 豊田郡三十三観音霊場

    第13番=海松山心月寺(曹洞宗・海老島200)を確認。寺名・宗派・住所がDBと一致。

  7. 民間二次情報 サーチ寺院(119カ寺)静岡県磐田市の寺院・御堂

    住所(磐田市海老島200番地の1、〒438-0212)・宗派(曹洞宗)を確認。

  8. 宗派公式資料 心月寺 - 曹洞禅ナビ寺院検索

    名称・フリガナ(シンゲツジ)・住所(磐田市海老島200-1)一致確認。由緒・本尊・年中行事欄は未記入。

  9. 学術資料 行谷佑一・都司嘉宣「寺院の被害記録から見た安政東海地震(1854)の静岡県内の震度分布」『歴史地震』第21号(2006年)

    付表に「磐田市海老島197 心月寺」が採録され、『ふるさと竜洋』に基づく嘉永7年11月4日震災による倒潰の記録を確認。付表併記の「本堂は天保9年再建」は地震より前の年のため要再確認とした。掛塚での全壊寺院の集中、掛塚震度7の先行研究、旧竜洋町域各寺院の被害記録も同論文で確認。

  10. 学術資料 小杉達「掛塚港の『みなと文化』」(みなと総合研究財団・港別みなと文化アーカイブス)

    天竜川上流の木材が筏で河口へ運ばれ掛塚湊から廻船で江戸方面へ積み出されたことを確認(海老島を含む旧竜洋町域の地域文脈として使用)。

  11. 郷土資料 日本歴史地名大系「竜洋町」(コトバンク)

    旧竜洋町域が磐田郡の南西端・天竜川河口東側に位置し、天竜川のデルタ地帯に立地することを確認(地域文脈として使用)。

  12. 行政・公的資料 旧竜洋町の住所表示|磐田市公式ウェブサイト

    平成17年合併に伴い「竜洋町海老島」が「磐田市海老島」と改められたこと、旧竜洋町25大字の住所表示を確認。

  13. 行政・公的資料 掛塚湊の碑(竜洋海洋公園内)|磐田市観光協会

    掛塚が大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地・天竜川舟運の荷降ろしの湊として栄えたことを確認(海老島を含む旧竜洋町域の地域文脈として使用)。

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