竜洋地区・現存

國清寺

こくせいじ

ページ充実度 標準 最終確認 2026.07.19

國清寺(こくせいじ)は、磐田市掛塚にある浄土宗の寺院で、正式には松林山観智院国清寺と号します。静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介によれば、元和元年(1615年)ごろ、貞蓮社源誉上人普光観智国師を開山として創建され、本尊は阿弥陀如来坐像です。「遠州の小江戸」と呼ばれた湊町・掛塚の念仏の寺です。

別称・関連名称松林山/観智院/松林山観智院国清寺/国清寺

寺院名
國清寺
地区
竜洋
住所
静岡県磐田市掛塚643番地
宗派
浄土宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
國清寺
読み方
こくせいじ
地区
竜洋
宗派
浄土宗
ご本尊(資料上)
阿弥陀如来坐像
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市掛塚643番地
Googleマップ
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寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
2件の年中行事・法要情報を掲載
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
最終確認日
2026.07.12

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

國清寺の現地写真 1
現地写真・本堂・堂宇
國清寺の現地写真 2
入口・石標
國清寺の現地写真 3
境内全景
國清寺の現地写真 4
石造物・手水
國清寺の現地写真 5
説明板・案内板
國清寺の現地写真 6
その他
宗派浄土宗
創建・年代元和元年(1615年)ごろの創建。開山は貞蓮社源誉上人普光観智国師(静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介による)
本尊阿弥陀如来坐像
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地竜洋・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
國清寺
宗派
浄土宗
本尊
阿弥陀如来坐像
創建
元和元年(1615年)ごろの創建。開山は貞蓮社源誉上人普光観智国師(静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介による)
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市掛塚643番地
地区
竜洋

Database 02

沿革

元和元年(1615年)ごろの創建と観智国師

静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介によれば、國清寺は元和元年(1615年)ごろ、貞蓮社源誉上人普光観智国師を開山として創建されました。元和元年(1615年)は大坂の陣が終結し、戦乱の世から江戸の泰平へと移り変わった年にあたります。院号の観智院はこの開山の国師号に由来するもので、寺の名の中に開山の記憶が刻み込まれています。なお「観智国師」の号は、徳川家康の帰依を受けたことで知られる江戸初期の浄土宗の高僧(増上寺12世源誉存応)の国師号と同名であり、当寺の開山がこの高僧自身なのか、その徳を慕って開山に仰いだ(勧請開山)のかは、現時点では確認できていません。創建年についても静岡教区浄土宗青年会は「元和元年頃」と記しており、年次を確定する史料は確認できていません。

湊町掛塚と江戸時代の國清寺

『日本歴史地名大系』の掛塚村の項によれば、掛塚は天竜川下流の掛塚輪中の中央やや西寄りに位置し、中世から近世を通じて湊として繁栄した村でした。同項には木船大明神領5石・西光寺領2石余・万福寺領3石などの寺社領がみえ、湊町の寺社が村の中で所領とともに祭祀を維持していた様子が分かります。國清寺の寺領についての記載は現時点では確認できていませんが、元和元年(1615年)ごろの創建以来、廻船と木材で栄えた湊町の人々の菩提を弔う念仏の寺として歩んできました。掛塚湊は明治22年(1889年)の東海道線開通のころまで浜松の外港としても機能したと紹介されており、江戸期の掛塚は海運で結ばれた町として、東海道筋の宿場町とはまた違った賑わいをみせていました。

23世を数える法灯の継承

寺院公式サイトによれば、現住職は第23世にあたります。元和元年(1615年)ごろの創建から400年余りの間、湊町としての繁栄、明治22年(1889年)の東海道線開通後の舟運の衰退、昭和30年(1955年)の竜洋町発足、平成17年(2005年)の磐田市への合併と、掛塚の町が大きく姿を変えていく中でも、法灯が絶えることなく歴代の住職に受け継がれてきたことを物語ります。沿革を伝える公開資料は宗派の寺院紹介と寺院公式サイトが中心で、歴代住職の詳しい系譜や堂宇の変遷は今後の調査課題です。

掛塚の浄土宗寺院として

磐田市内の浄土宗6か寺のうち、掛塚には國清寺と西光寺(稱名山・掛塚1079番地)の2か寺があり(残る4か寺は善導寺・慶岩寺・大見寺・徳翁院)、湊町の掛塚に念仏の教えが深く根を下ろしていたことがうかがえます。西光寺が永正18年(1521年)開基と伝わるのに対し、國清寺は江戸時代初頭の創建で、湊町の発展とともに檀家を形成していった寺院と考えられます。現在も別時会・写経会・法話会・詠唱(吉水流)といった信徒の集いが浄土宗公式寺院検索に挙げられており、念仏の伝統が暮らしの中に受け継がれています。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
阿弥陀如来坐像
宗教的意味
國清寺は法然上人の教えを受け継ぐ浄土宗の寺院で、西遠組に属します。本尊は阿弥陀如来坐像で、院号の観智院とともに、開山と伝わる普光観智国師という江戸初期の浄土宗の高僧の記憶を今に伝えます。毎年4月中旬には宗祖法然上人の遺徳を偲ぶ御忌会が、11月には阿弥陀さまの功徳をたたえて念仏を重ねる十夜会が営まれ、念仏の教えが掛塚の暮らしに息づいています。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 06

年中法要

  • 修正会1月

    新年の平安を祈る年頭の法要

  • 彼岸会3月・9月

    春秋の彼岸の先祖供養

  • 御忌会4月中旬

    宗祖法然上人の遺徳を偲ぶ法要

  • 施餓鬼会7月15日

    一般参加可否は寺院へご確認ください。

  • 十夜会11月

    阿弥陀如来の功徳をたたえて念仏を重ねる浄土宗の伝統法要

  • 除夜の鐘12月31日

    浄土宗公式寺院検索の行事欄による

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

國清寺のある掛塚は、天竜川河口の掛塚輪中に開けた湊町です。掛塚湊は江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと伝えられます。大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地でもあり、貴船神社の境内には大正13年(1924年)建立の掛塚港廻船之碑が残ります。

掛塚の鎮守・貴船神社の例祭「掛塚まつり」では、静岡県指定無形民俗文化財の掛塚祭屋台囃子とともに豪華な屋台が町を曳き回されます。この囃子には、延元3年(1338年)に後醍醐天皇の皇子・宗良親王の船団が遠州沖の暴風雨で白羽に漂着し、貴船神社の大祭で随員から囃子が伝授されたという南北朝時代以来の伝承が残ります。湊町の繁栄が生んだ祭りの文化は、掛塚の寺々の法要とともに、地域の暮らしの節目を彩ってきました。

明治22年(1889年)の東海道線開通とともに舟運は衰えましたが、現在の竜洋地区は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地する町となり、天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われています。掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館もこの地区にあり、國清寺をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた掛塚の歴史を伝えています。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9278

  2. 宗派公式資料国清寺|浄土宗 寺院検索

    山号「松林山」、院号「観智院」、所在地「〒438-0234 静岡県磐田市掛塚643番地」(寺院番号20-148)、別時会・写経会・法話会・詠唱(吉水流)・除夜の鐘等の行事を確認。

  3. 宗派公式資料浄土宗 寺院検索(磐田市一覧)

    磐田市の浄土宗寺院6か寺(善導寺・慶岩寺・大見寺・徳翁院・西光寺・国清寺)の中に国清寺が掲載されていることを確認。

  4. 宗派公式資料静岡教区浄土宗青年会 寺院紹介「148 国清寺 磐田市掛塚」

    開山=貞蓮社源誉上人普光観智国師、創建=元和元年(1615年)ごろ、本尊・寺宝=阿弥陀如来坐像、年中行事5件、西遠組所属を確認

最終更新日 2026.07.19

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この寺院について

國清寺は磐田市掛塚643番地に所在する浄土宗の寺院です。浄土宗の公式寺院検索に寺院番号20-148として登録され、山号は松林山、院号は観智院です。磐田市の浄土宗寺院6か寺(善導寺・慶岩寺・大見寺・徳翁院・西光寺・国清寺)の1つに数えられ、静岡県知事所轄宗教法人名簿にも磐田市内の宗教法人として掲載されています。

静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介によれば、開山は貞蓮社源誉上人普光観智国師で、元和元年(1615年)ごろの創建です。本尊は阿弥陀如来坐像で、院号の観智院は開山の国師号と同じ名を持ちます。浄土宗の組織上は西遠組に属します。

寺院の公式サイトも開設されており、現住職は第23世を数えます。浄土宗公式寺院検索の同寺ページには、別時会・写経会・法話会・詠唱(吉水流)・除夜の鐘などの行事・活動が挙げられており、旧掛塚湊の町並みが残る竜洋地区の掛塚で、今も活発に法務が営まれている寺院です。郵便番号は438-0234で、平成17年(2005年)の合併により竜洋町掛塚から磐田市掛塚へと住所表示が変更されました。

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歴史と背景

元和元年(1615年)ごろの創建と観智国師

静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介によれば、國清寺は元和元年(1615年)ごろ、貞蓮社源誉上人普光観智国師を開山として創建されました。元和元年(1615年)は大坂の陣が終結し、戦乱の世から江戸の泰平へと移り変わった年にあたります。院号の観智院はこの開山の国師号に由来するもので、寺の名の中に開山の記憶が刻み込まれています。なお「観智国師」の号は、徳川家康の帰依を受けたことで知られる江戸初期の浄土宗の高僧(増上寺12世源誉存応)の国師号と同名であり、当寺の開山がこの高僧自身なのか、その徳を慕って開山に仰いだ(勧請開山)のかは、現時点では確認できていません。創建年についても静岡教区浄土宗青年会は「元和元年頃」と記しており、年次を確定する史料は確認できていません。

湊町掛塚と江戸時代の國清寺

『日本歴史地名大系』の掛塚村の項によれば、掛塚は天竜川下流の掛塚輪中の中央やや西寄りに位置し、中世から近世を通じて湊として繁栄した村でした。同項には木船大明神領5石・西光寺領2石余・万福寺領3石などの寺社領がみえ、湊町の寺社が村の中で所領とともに祭祀を維持していた様子が分かります。國清寺の寺領についての記載は現時点では確認できていませんが、元和元年(1615年)ごろの創建以来、廻船と木材で栄えた湊町の人々の菩提を弔う念仏の寺として歩んできました。掛塚湊は明治22年(1889年)の東海道線開通のころまで浜松の外港としても機能したと紹介されており、江戸期の掛塚は海運で結ばれた町として、東海道筋の宿場町とはまた違った賑わいをみせていました。

23世を数える法灯の継承

寺院公式サイトによれば、現住職は第23世にあたります。元和元年(1615年)ごろの創建から400年余りの間、湊町としての繁栄、明治22年(1889年)の東海道線開通後の舟運の衰退、昭和30年(1955年)の竜洋町発足、平成17年(2005年)の磐田市への合併と、掛塚の町が大きく姿を変えていく中でも、法灯が絶えることなく歴代の住職に受け継がれてきたことを物語ります。沿革を伝える公開資料は宗派の寺院紹介と寺院公式サイトが中心で、歴代住職の詳しい系譜や堂宇の変遷は今後の調査課題です。

掛塚の浄土宗寺院として

磐田市内の浄土宗6か寺のうち、掛塚には國清寺と西光寺(稱名山・掛塚1079番地)の2か寺があり(残る4か寺は善導寺・慶岩寺・大見寺・徳翁院)、湊町の掛塚に念仏の教えが深く根を下ろしていたことがうかがえます。西光寺が永正18年(1521年)開基と伝わるのに対し、國清寺は江戸時代初頭の創建で、湊町の発展とともに檀家を形成していった寺院と考えられます。現在も別時会・写経会・法話会・詠唱(吉水流)といった信徒の集いが浄土宗公式寺院検索に挙げられており、念仏の伝統が暮らしの中に受け継がれています。

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宗派と本尊を知る

國清寺は法然上人の教えを受け継ぐ浄土宗の寺院で、西遠組に属します。本尊は阿弥陀如来坐像で、院号の観智院とともに、開山と伝わる普光観智国師という江戸初期の浄土宗の高僧の記憶を今に伝えます。毎年4月中旬には宗祖法然上人の遺徳を偲ぶ御忌会が、11月には阿弥陀さまの功徳をたたえて念仏を重ねる十夜会が営まれ、念仏の教えが掛塚の暮らしに息づいています。

浄土宗とは

浄土宗は、法然上人が承安5年(1175年)に開いた宗派です。43歳で比叡山を下りた法然上人は、京都東山の吉水に草庵を結び、阿弥陀仏の本願を信じて「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えれば誰もが救われるという専修念仏の教えを説き広めました。総本山は、法然上人が晩年を過ごされた吉水の地に建つ京都の知恩院です。

教えの要は、特別な修行や学問ができなくても、お念仏ひとつで阿弥陀仏の極楽浄土に往生できるという点にあります。身分や境遇を問わないこの教えは、鎌倉時代以来、多くの人々の心のよりどころとなってきました。法然上人の教えの核心は、主著「選択本願念仏集」にまとめられています。

檀家の法要では、木魚に合わせて参列者も一緒にお念仏を唱和するのが浄土宗らしいひとときです。葬儀や年回法要でも、故人が極楽浄土へ往生することを願ってお念仏が重ねられます。10回のお念仏「十念」を大切にするなど、日々の暮らしの中でお念仏に親しむ工夫が伝えられています。

参考: 開宗850年 ―お念佛からはじまる幸せ―(浄土宗公式サイト)知恩院にお参りしよう - 法然上人とお念仏(浄土宗総本山 知恩院)

阿弥陀如来という仏さま

阿弥陀如来の「阿弥陀」は「量りしれない」という意味で、限りない光(無量光)と限りない命(無量寿)を備えた仏さまであることを表します。西方の極楽浄土の教主で、はるか昔、法蔵菩薩として修行していた時に48の願を立て、なかでも第18願では、念仏する者を必ず浄土に迎え取ると誓われたと経典に説かれています。

この誓いを頼りとして「南無阿弥陀仏」と称えるのがお念仏です。浄土宗や浄土真宗など念仏の教えに立つ宗派では阿弥陀如来を本尊と仰ぎ、仏壇の中央に絵像や木像でお迎えして、朝夕のお勤めで手を合わせます。本尊のお姿は、目に見えない救いのはたらきを、私たちに受け取りやすいよう姿かたちで表したものと受け止められています。

葬儀や年忌法要、お彼岸やお盆など、亡き人を偲ぶ場面で最も身近な仏さまでもあります。亡き人を浄土に迎え取り、残された私たちをも光の中で照らし続けてくださる。そのはたらきへの感謝とともに称えるのがお念仏だと受け止められています。

参考: よくあるご質問(浄土宗 公式サイト)ご本尊をお迎えする(真宗大谷派・東本願寺 公式サイト)阿弥陀如来の四十八願について(浄土宗 善想寺)

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地域とのつながり

國清寺のある掛塚は、天竜川河口の掛塚輪中に開けた湊町です。掛塚湊は江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと伝えられます。大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地でもあり、貴船神社の境内には大正13年(1924年)建立の掛塚港廻船之碑が残ります。

掛塚の鎮守・貴船神社の例祭「掛塚まつり」では、静岡県指定無形民俗文化財の掛塚祭屋台囃子とともに豪華な屋台が町を曳き回されます。この囃子には、延元3年(1338年)に後醍醐天皇の皇子・宗良親王の船団が遠州沖の暴風雨で白羽に漂着し、貴船神社の大祭で随員から囃子が伝授されたという南北朝時代以来の伝承が残ります。湊町の繁栄が生んだ祭りの文化は、掛塚の寺々の法要とともに、地域の暮らしの節目を彩ってきました。

明治22年(1889年)の東海道線開通とともに舟運は衰えましたが、現在の竜洋地区は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地する町となり、天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われています。掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館もこの地区にあり、國清寺をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた掛塚の歴史を伝えています。

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年中行事・参拝の手引き

年中行事・法要

  • 修正会(1月)

    新年の平安を祈る年頭の法要

  • 彼岸会(3月・9月)

    春秋の彼岸の先祖供養

  • 御忌会(4月中旬)

    宗祖法然上人の遺徳を偲ぶ法要

  • 施餓鬼会(7月15日)
  • 十夜会(11月)

    阿弥陀如来の功徳をたたえて念仏を重ねる浄土宗の伝統法要

  • 除夜の鐘(12月31日)

    浄土宗公式寺院検索の行事欄による

参拝・法要で訪れる方へ

浄土宗公式寺院検索には、別時会・写経会・法話会・詠唱(吉水流)などの活動と、参拝用駐車場の記載があります。結婚式や七五三への対応の記載もあります。

寺院公式サイトによれば、故人の生前の宗旨宗派に関係なく葬儀に対応し、個別の永代供養は33回忌まで住職が塔婆を建てて供養を続ける形と合祀から選べます。詳細は寺院へ直接確認してください。

調査中の項目
  • 創建から現在までの堂宇の再建・修理の履歴は未確認
  • 『静岡県磐田郡誌』(1921年)における当寺の記載の有無は未確認
  • 墓地の区画・護持会組織の詳細は未確認
  • 境内の石造物・山門等の現況は未確認

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

06

よくある質問

國清寺の読み方と正式名称は?

「こくせいじ」と読みます。山号は松林山、院号は観智院で、正式には松林山観智院国清寺と号します。資料により「國清寺」「国清寺」の両表記がみられ、正式な表記は寺院側資料での確認を進めています。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

浄土宗の寺院で、西遠組に属します。本尊は阿弥陀如来坐像で、阿弥陀さまの前で「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えるのが仏事の中心です。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ誰が開いたお寺ですか?

静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介によれば、元和元年(1615年)ごろ、貞蓮社源誉上人普光観智国師を開山として創建されました。大坂の陣が終わり江戸の世が始まった年代にあたります。

本文「歴史と背景」を読む
院号「観智院」の由来は?

開山と伝わる普光観智国師の国師号に由来します。同名の国師号を持つ江戸初期の高僧(増上寺12世源誉存応)との関係は確認できていません。

本文「歴史と背景」を読む
年中行事にはどんなものがありますか?

修正会(1月)、彼岸会(3月・9月)、御忌会(4月中旬)、施餓鬼会(7月15日)、十夜会(11月)が営まれ、別時会・写経会・法話会・詠唱(吉水流)・除夜の鐘などの活動も挙げられています。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
葬儀や永代供養の相談はできますか?

寺院公式サイトによれば、生前の宗旨宗派に関係なく浄土宗の儀礼で葬儀を執り行い、永代供養は個別供養(33回忌まで住職が塔婆を建立)と合祀から選べます。詳細は寺院へ直接ご確認ください。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
掛塚の西光寺とはどんな関係ですか?

西光寺(稱名山・掛塚1079番地)は同じ掛塚にある浄土宗の寺院で、永正18年(1521年)開基と伝わります。國清寺とは別の寺院で、両寺の本末関係等の記録は確認できていません。磐田市内の浄土宗6か寺のうち2か寺が掛塚に所在します。

本文「地域とのつながり」を読む
伊豆の国市や岡山市の国清寺と同じお寺ですか?

別の寺院です。全国には同名の国清寺があり、検索では他地域の情報が上位に出やすいため、当ページでは磐田市掛塚の寺院に関する資料のみを採用しています。

本文「この寺院について」を読む

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写真で見る境内

國清寺の現地写真 1
本堂・堂宇 國清寺の現地写真 1
國清寺の現地写真 2
入口・石標 國清寺の現地写真 2
國清寺の現地写真 3
境内全景 國清寺の現地写真 3
國清寺の現地写真 4
石造物・手水 國清寺の現地写真 4
國清寺の現地写真 5
説明板・案内板 國清寺の現地写真 5
國清寺の現地写真 6
その他 國清寺の現地写真 6
國清寺の現地写真 7
本堂・堂宇 國清寺の現地写真 7
國清寺の現地写真 8
入口・石標 國清寺の現地写真 8

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出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載(参照行: L9278)。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 宗派公式資料 国清寺|浄土宗 寺院検索

    山号「松林山」・院号「観智院」・所在地(磐田市掛塚643番地・寺院番号20-148)、別時会・写経会・法話会・詠唱(吉水流)・除夜の鐘等の行事、参拝用駐車場の記載を確認

  3. 宗派公式資料 浄土宗 寺院検索(磐田市一覧)

    磐田市の浄土宗寺院6か寺(善導寺・慶岩寺・大見寺・徳翁院・西光寺・国清寺)の中に国清寺が掲載されていることを確認

  4. 宗派公式資料 静岡教区浄土宗青年会 寺院紹介「148 国清寺 磐田市掛塚」

    開山=貞蓮社源誉上人普光観智国師、創建=元和元年(1615年)ごろ、本尊=阿弥陀如来座像、年中行事(修正会・彼岸会・御忌会・施餓鬼会・十夜会)、西遠組所属を確認(2026年7月19日再確認)

  5. 寺院公式 松林山 観智院 国清寺 公式サイト

    現住職が第23世であること、生前の宗旨宗派に関係なく浄土宗の儀礼で葬儀に対応すること、個別の永代供養は33回忌まで住職が塔婆を建てて供養すること、合祀の選択肢があることを確認(2026年7月19日取得確認)

  6. 郷土資料 コトバンク「掛塚村」(日本歴史地名大系)

    掛塚村が掛塚輪中の中央やや西寄りに位置し湊として繁栄したこと、木船大明神領5石・西光寺領2石余・万福寺領3石などの寺社領の記載を確認(国清寺領の記載は見当たらない)

  7. 民間二次情報 コトバンク「竜洋」(日本大百科全書ほか)

    昭和30年(1955年)の竜洋町発足と平成17年(2005年)の磐田市への合併、掛塚港が明治22年(1889年)の東海道線開通期まで天竜木材の集積地として栄えたこと、現在の農業・工業の概況を確認

  8. 行政・公的資料 磐田市公式サイト「施設ガイド 竜洋郷土資料館」

    掛塚湊が木材等諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したとの記述、掛塚祭や竜洋地区の暮らしに関する資料を収蔵する同館の展示概要を確認

  9. 行政・公的資料 磐田市観光協会「掛塚湊の碑(竜洋海洋公園内)」

    掛塚地区が大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地・天竜川舟運の湊として繁栄したこと、貴船神社境内の掛塚港廻船之碑(大正13年建立)を確認

  10. 行政・公的資料 磐田市公式サイト「掛塚祭屋台囃子」(県指定無形民俗文化財)

    貴船神社の祭典の屋台囃子が静岡県指定無形民俗文化財であること、延元3年(1338年)に宗良親王の船団が白羽に漂着し随員から囃子が伝授されたという伝承を確認

  11. 宗派公式資料 静岡教区浄土宗青年会 寺院紹介「147 西光寺 磐田市掛塚」

    同じ掛塚の浄土宗寺院・西光寺が永正18年(1521年)開基と伝わることを確認(掛塚の浄土宗2か寺の対比のため参照)

  12. 行政資料 磐田市公式サイト「旧竜洋町の住所表示」

    竜洋町掛塚→磐田市掛塚(438-0234)の住所変更を確認

For Families

このお寺が菩提寺のご家族へ

菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
  • 位牌の有無
  • お寺からの連絡を受ける人
  • お寺の連絡先
  • 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
  • 実家の名義
  • 実家を今後誰が管理するか
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Next Step

次に確認しておきたいこと

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