竜洋地区・現存
金藏寺
こんぞうじ
金藏寺(こんぞうじ)は、磐田市豊岡(旧磐田郡竜洋町域)にある曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は玉運山、本尊は薬師如来で、天正15年(1587年)に守増寺の法嗣・嶺岳が開き、江戸時代には朱印3石8斗を認められた、天竜川河口域・旧金洗村の歴史を伝える寺です。
別称・関連名称玉運山
- 寺院名
- 金藏寺
- 地区
- 竜洋
- 住所
- 静岡県磐田市豊岡4517番地の1
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 金藏寺
- 読み方
- こんぞうじ
- 地区
- 竜洋
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 薬師如来(『静岡県磐田郡誌』による)
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市豊岡4517番地の1
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
- 最終確認日
- 2026.07.11
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 金藏寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 薬師如来(『静岡県磐田郡誌』による)
- 創建
- 天正15年(1587年)草創(『静岡県磐田郡誌』による)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市豊岡4517番地の1
- 地区
- 竜洋
Database 02
沿革
天正15年の草創と守増寺の法系
『静岡県磐田郡誌』は当寺を「金藏寺(掛塚町)」として立項し、「掛塚町豊岡元金洗に在り。玉運山と號す。當所守増寺の末にして、本尊は藥師如來なり。天正十五年、守増寺全雄の法嗣嶺岳の草創する所にして、慶安二年八月十七日、朱印三石八斗を寄附せらる」と記しています。すなわち天正15年(1587年)、豊岡(旧江口村)の守増寺を開山した全雄の法嗣にあたる嶺岳が開いた寺です。全雄は袖浦村岡の聖寿寺7世で、同じ天正15年(1587年)2月には郷士・三浦甚三郎重員を開基として守増寺を創建しており、金藏寺の草創は、天正年間に豊岡一帯へ広がった曹洞宗の展開の一環と位置付けられます。
江戸時代の朱印地3石8斗
慶安2年(1649年)8月17日、金藏寺は江戸幕府から朱印3石8斗を寄附されました。江戸中期の地誌『遠江国風土記伝』(内山真龍著)にも金洗村の項に「金藏寺、朱符之寺田高三石八斗、曹洞宗江口村守増寺末、平僧住」とみえ、『磐田郡誌』の記す石高と一致します。本寺の守増寺が朱印13石6斗と7か寺の末寺を有する地域の中核寺院であったのに対し、金藏寺は平僧の住する小規模な末寺として、金洗村の人々の菩提を弔う役割を担っていたことがうかがえます。
所在地「豊岡」の変遷と金洗村
現住所の磐田市豊岡は、平成17年(2005年)の合併前は磐田郡竜洋町豊岡であり、磐田市公式サイト「旧竜洋町の住所表示」で竜洋町豊岡から磐田市豊岡への変更が確認できます。さらに遡ると、明治期には磐田郡掛塚町の大字豊岡でした。竜洋町は昭和30年(1955年)に掛塚町と袖浦村・十束村が合併して発足した町で、町名は天竜川の「竜」と太平洋の「洋」に由来します。『磐田郡誌』が「豊岡元金洗」と記すように、豊岡は江戸期の金洗村・江口村・西堀村などが合併して成立した地名で、金藏寺は旧金洗村の寺院にあたります。なお、天竜川中流域にあった旧磐田郡豊岡村(下野部・敷地など、2005年合併)とは別の地域なので注意が必要です。
記録の現状と同名寺院への注意
曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」の当寺のページには、所在地・電話番号などの基本情報が掲載されている一方、山号・本尊・由緒・行事の記載はなく、寺の沿革を伝える公開情報は現在も『磐田郡誌』『遠江国風土記伝』などの郷土資料が中心です。また全国には宮城県石巻市の白澤山金蔵寺や京都市の金蔵寺など同名寺院が多数あり、Web検索ではこれらの情報が上位に表示されやすいため、磐田市豊岡の金藏寺の情報と混同しないよう注意が必要です。当ページでは磐田市豊岡の寺院に関する資料のみを採用しています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 薬師如来(『静岡県磐田郡誌』による)
- 宗教的意味
- 金藏寺は曹洞宗に属し、坐禅を宗旨の中心とする禅宗寺院でありながら、『静岡県磐田郡誌』は本尊を薬師如来と記しています。寺号の「金藏」と山号「玉運山」を掲げ、聖寿寺から守増寺へと続く法系に連なる末寺として、旧金洗村の人々の病平癒・現世安穏の祈りと先祖供養の両方を受けとめてきたと考えられます。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊・伽藍の様子は確認できていません。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
金藏寺のある豊岡地区を含む旧竜洋町域は、天竜川左岸の河口部に広がる低地です。天竜川の河口に開けた掛塚湊は、江戸時代から天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと、磐田市の竜洋郷土資料館の案内は伝えています。掛塚の貴船神社境内には大正13年(1924年)建立の掛塚港廻船之碑が残り、往時の湊の記憶を今にとどめています。
金洗・江口・西堀といった豊岡の村々は、この川湊の町の後背地として、農業とともに舟運・木材の恩恵を受けて暮らしてきました。金藏寺・守増寺・雄照寺の3か寺がいずれも曹洞宗としてこの地に法灯を連ねていることは、戦国末期から江戸初期にかけて、天竜川河口域の村々に禅宗が根を下ろしていった歴史を物語ります。明治以降、舟運の衰退とともに地域の姿は大きく変わりましたが、寺々は旧村ごとの菩提寺として、竜洋の暮らしの記憶を受け継いでいます。
港湾文化の調査報告「掛塚港の『みなと文化』」(小杉達)によれば、遠州の農村部の寺院はおよそ7割を曹洞宗が占める一方、約600戸の町場であった掛塚には海路で伝わったとみられる浄土宗系の寺院が多く、農村と港町で宗派の分布がはっきり分かれていました。後背地の農村であった金洗・江口・西堀の村々の寺(金藏寺・守増寺・雄照寺)がいずれも曹洞宗であることは、この遠州の農村部の宗教風土をそのまま映しています。同報告は、宿場や渡船場の宗派が陸の交通の影響を受けたのに対し、掛塚の宗派は海の交通の影響によるものとみています。
竜洋地区の大部分は天竜川がつくった低湿地で、遠州灘沿いには東西約4キロメートルにわたって砂浜が続きます。現在は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地し、天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われていると紹介されています。掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館もこの地区にあり、金藏寺をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた竜洋の歴史を伝えています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9346
- 宗派公式資料曹洞禅ナビ 金藏寺
曹洞宗公式ポータルに磐田市豊岡4517-1の寺院として掲載。フリガナ「コンゾウジ」を本文で確認。山号・本尊・由緒の記載はなし。
- 民間二次情報曹洞宗 白澤山 金蔵寺(宮城県石巻市)公式サイト
検索上位に出る同名寺院。本文確認の結果、宮城県石巻市南境の寺院(慶長6年開創)であり磐田市の金藏寺とは無関係と判明。混同防止のため記録。
- 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「117 金藏寺(掛塚町)」p.696-697
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ457)。原本画像で由緒全文を確認
- 郷土資料『遠江国風土記伝』内山真龍著(郁文舎、1900年)金洗村の項
NDL次世代デジタルライブラリー全文検索で本文断片を確認
- 行政資料磐田市公式サイト「旧竜洋町の住所表示」
竜洋町豊岡→磐田市豊岡(438-0231)を確認。旧豊岡村域ではない
最終更新日 2026.07.19
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01
この寺院について
金藏寺は磐田市豊岡4517番地の1に所在する曹洞宗の寺院です。曹洞宗の公式ポータル「曹洞禅ナビ」に磐田市豊岡の寺院として掲載され、読み仮名は「コンゾウジ」と表記されています。静岡県知事所轄宗教法人名簿にも磐田市内の宗教法人として掲載されており、宗門・行政の両方の名簿でその存在が確認できます。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば、山号は玉運山、本尊は薬師如来で、同じ豊岡(江戸期の江口村)の守増寺の末寺です。天正15年(1587年)に守増寺を開いた全雄の法嗣・嶺岳が草創し、慶安2年(1649年)には江戸幕府から朱印3石8斗を認められました。寺のある「豊岡」は、江戸期の金洗村・江口村・西堀村などが合併して生まれた地名で、金藏寺は旧金洗村の寺院にあたります。
所在地一帯は天竜川左岸の河口域で、かつて「遠州の小江戸」と呼ばれて栄えた掛塚湊の後背地です。金藏寺は、本寺の守増寺(旧江口村)、同じ守増寺末の雄照寺(旧西堀村)とともに、豊岡地区の曹洞宗寺院群を構成し、この川湊の町の暮らしとともに歩んできました。
02
歴史と背景
天正15年の草創と守増寺の法系
『静岡県磐田郡誌』は当寺を「金藏寺(掛塚町)」として立項し、「掛塚町豊岡元金洗に在り。玉運山と號す。當所守増寺の末にして、本尊は藥師如來なり。天正十五年、守増寺全雄の法嗣嶺岳の草創する所にして、慶安二年八月十七日、朱印三石八斗を寄附せらる」と記しています。すなわち天正15年(1587年)、豊岡(旧江口村)の守増寺を開山した全雄の法嗣にあたる嶺岳が開いた寺です。全雄は袖浦村岡の聖寿寺7世で、同じ天正15年(1587年)2月には郷士・三浦甚三郎重員を開基として守増寺を創建しており、金藏寺の草創は、天正年間に豊岡一帯へ広がった曹洞宗の展開の一環と位置付けられます。
江戸時代の朱印地3石8斗
慶安2年(1649年)8月17日、金藏寺は江戸幕府から朱印3石8斗を寄附されました。江戸中期の地誌『遠江国風土記伝』(内山真龍著)にも金洗村の項に「金藏寺、朱符之寺田高三石八斗、曹洞宗江口村守増寺末、平僧住」とみえ、『磐田郡誌』の記す石高と一致します。本寺の守増寺が朱印13石6斗と7か寺の末寺を有する地域の中核寺院であったのに対し、金藏寺は平僧の住する小規模な末寺として、金洗村の人々の菩提を弔う役割を担っていたことがうかがえます。
所在地「豊岡」の変遷と金洗村
現住所の磐田市豊岡は、平成17年(2005年)の合併前は磐田郡竜洋町豊岡であり、磐田市公式サイト「旧竜洋町の住所表示」で竜洋町豊岡から磐田市豊岡への変更が確認できます。さらに遡ると、明治期には磐田郡掛塚町の大字豊岡でした。竜洋町は昭和30年(1955年)に掛塚町と袖浦村・十束村が合併して発足した町で、町名は天竜川の「竜」と太平洋の「洋」に由来します。『磐田郡誌』が「豊岡元金洗」と記すように、豊岡は江戸期の金洗村・江口村・西堀村などが合併して成立した地名で、金藏寺は旧金洗村の寺院にあたります。なお、天竜川中流域にあった旧磐田郡豊岡村(下野部・敷地など、2005年合併)とは別の地域なので注意が必要です。
記録の現状と同名寺院への注意
曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」の当寺のページには、所在地・電話番号などの基本情報が掲載されている一方、山号・本尊・由緒・行事の記載はなく、寺の沿革を伝える公開情報は現在も『磐田郡誌』『遠江国風土記伝』などの郷土資料が中心です。また全国には宮城県石巻市の白澤山金蔵寺や京都市の金蔵寺など同名寺院が多数あり、Web検索ではこれらの情報が上位に表示されやすいため、磐田市豊岡の金藏寺の情報と混同しないよう注意が必要です。当ページでは磐田市豊岡の寺院に関する資料のみを採用しています。
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宗派と本尊を知る
金藏寺は曹洞宗に属し、坐禅を宗旨の中心とする禅宗寺院でありながら、『静岡県磐田郡誌』は本尊を薬師如来と記しています。寺号の「金藏」と山号「玉運山」を掲げ、聖寿寺から守増寺へと続く法系に連なる末寺として、旧金洗村の人々の病平癒・現世安穏の祈りと先祖供養の両方を受けとめてきたと考えられます。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊・伽藍の様子は確認できていません。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
薬師如来という仏さま
薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来といい、東方の浄瑠璃世界と呼ばれる浄土の教主とされる仏さまです。菩薩として修行していた時代に12の大願を立て、その中で人びとの病を取り除き、心身を安らかにすることを誓ったと経典に説かれています。誓いには、飢えや渇きに苦しむ人を救い、衣類の乏しい人に衣を施すことも含まれ、心と身体の両面から人びとを支える仏さまです。左手に薬壺を持つ姿が広く知られ、古くから「お薬師さま」の呼び名で親しまれてきました。
来世の救いを担う阿弥陀如来に対して、薬師如来は現世で救いの手を差し伸べる仏とされ、奈良時代(8世紀)から病気平癒や健康長寿を願う現世利益の信仰を集めてきました。脇には日光菩薩と月光菩薩が控え、昼も夜も絶え間なく人びとを見守ってくださると伝えられます。
薬師如来を本尊とする寺院では、家族の病気平癒や無病息災、厄除けの祈願が折々に営まれ、暮らしに寄り添う仏として大切にされてきました。お参りの際には、日々を健やかに送れることへの感謝を込めて手を合わせたいものです。
参考: お薬師様の十二大願(奈良薬師寺 公式サイト)/ご本尊・薬師如来(薬師寺東京別院 公式サイト)/薬師如来(新薬師寺 公式ホームページ)
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地域とのつながり
金藏寺のある豊岡地区を含む旧竜洋町域は、天竜川左岸の河口部に広がる低地です。天竜川の河口に開けた掛塚湊は、江戸時代から天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと、磐田市の竜洋郷土資料館の案内は伝えています。掛塚の貴船神社境内には大正13年(1924年)建立の掛塚港廻船之碑が残り、往時の湊の記憶を今にとどめています。
金洗・江口・西堀といった豊岡の村々は、この川湊の町の後背地として、農業とともに舟運・木材の恩恵を受けて暮らしてきました。金藏寺・守増寺・雄照寺の3か寺がいずれも曹洞宗としてこの地に法灯を連ねていることは、戦国末期から江戸初期にかけて、天竜川河口域の村々に禅宗が根を下ろしていった歴史を物語ります。明治以降、舟運の衰退とともに地域の姿は大きく変わりましたが、寺々は旧村ごとの菩提寺として、竜洋の暮らしの記憶を受け継いでいます。
港湾文化の調査報告「掛塚港の『みなと文化』」(小杉達)によれば、遠州の農村部の寺院はおよそ7割を曹洞宗が占める一方、約600戸の町場であった掛塚には海路で伝わったとみられる浄土宗系の寺院が多く、農村と港町で宗派の分布がはっきり分かれていました。後背地の農村であった金洗・江口・西堀の村々の寺(金藏寺・守増寺・雄照寺)がいずれも曹洞宗であることは、この遠州の農村部の宗教風土をそのまま映しています。同報告は、宿場や渡船場の宗派が陸の交通の影響を受けたのに対し、掛塚の宗派は海の交通の影響によるものとみています。
竜洋地区の大部分は天竜川がつくった低湿地で、遠州灘沿いには東西約4キロメートルにわたって砂浜が続きます。現在は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地し、天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われていると紹介されています。掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館もこの地区にあり、金藏寺をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた竜洋の歴史を伝えています。
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年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
寺院の公開情報が限られているため、法要・供養の相談は曹洞禅ナビ掲載の連絡先を通じて寺院へ直接確認してください。
- 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要など)の有無・日程は未確認
- 墓地・永代供養の取扱いは未確認
- 現在の本尊・伽藍の様子(郡誌の記載は1921年時点)は未確認
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
06
よくある質問
- 金藏寺の読み方は?
-
曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」では「コンゾウジ」とフリガナが付されています。「金蔵寺」と新字体で表記されることもあります。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗の寺院です。大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、山号を玉運山、本尊を薬師如来と記しています。現在の本尊の様子は確認できていません。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ誰が開いたお寺ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』によれば、天正15年(1587年)に、豊岡の守増寺を開山した全雄の法嗣・嶺岳が草創しました。守増寺の末寺です。
本文「歴史と背景」を読む - 朱印3石8斗とは何ですか?
-
慶安2年(1649年)8月17日に江戸幕府から認められた寺領です。江戸中期の地誌『遠江国風土記伝』にも「朱符之寺田高三石八斗」とみえ、郡誌の記載と一致します。
本文「歴史と背景」を読む - 住所の「豊岡」は旧豊岡村のことですか?
-
違います。金藏寺の豊岡は旧磐田郡竜洋町の大字(さらに遡ると掛塚町大字豊岡、江戸期の金洗村など)で、天竜川中流域の旧磐田郡豊岡村とは別の地域です。
本文「地域とのつながり」を読む - 本寺の守増寺とはどんなお寺ですか?
-
同じ豊岡(江戸期の江口村)にある曹洞宗の寺院で、天正15年(1587年)2月に郷士・三浦甚三郎重員を開基、聖寿寺7世の全雄を開山として創建されました。江戸期には朱印13石6斗と7か寺の末寺を有した地域の中核寺院で、金藏寺はその末寺の1つです。
本文「歴史と背景」を読む - 近くの雄照寺とはどんな関係ですか?
-
雄照寺(豊岡・旧西堀村)も金藏寺と同じ守増寺の末寺で、『静岡県磐田郡誌』によれば正保2年(1645年)正月に守増寺開祖全雄の嗣・全唐が村民とともに創立しました。金藏寺・守増寺・雄照寺の3か寺で豊岡地区の曹洞宗寺院群を構成しています。
本文「地域とのつながり」を読む - 検索で出てくる石巻市や京都市の金蔵寺と同じお寺ですか?
-
別の寺院です。宮城県石巻市の白澤山金蔵寺や京都市の金蔵寺など全国の同名寺院の情報が検索上位に出やすいため、当ページでは磐田市豊岡の寺院に関する資料のみを採用しています。
本文「この寺院について」を読む
07
写真で見る境内
08
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9346(県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照)
- 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 金藏寺
曹洞宗公式ポータルに磐田市豊岡4517-1の寺院として掲載。フリガナ「コンゾウジ」・所在地・電話番号を確認。山号・本尊・由緒の記載はなし(2026年7月19日再確認)
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「117 金藏寺(掛塚町)」p.696-697
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ457)。玉運山・本尊薬師如来・守増寺末・天正15年嶺岳草創・慶安2年8月17日朱印3石8斗の由緒全文を原本画像で確認。あわせて同章の守増寺の項(天正15年2月創建・三浦甚三郎重員開基・聖寿寺7世全雄開山・朱印13石6斗・末寺7か寺)を参照
- 郷土資料 『遠江国風土記伝』内山真龍著(郁文舎、1900年)金洗村の項
NDL次世代デジタルライブラリー全文検索で「金藏寺、朱符之寺田高三石八斗、曹洞宗江口村守増寺末、平僧住」の本文断片を確認
- 行政資料 磐田市公式サイト「旧竜洋町の住所表示」
竜洋町豊岡→磐田市豊岡(438-0231)の住所変更を確認。旧豊岡村域ではないことの根拠
- 民間二次情報 コトバンク「竜洋」(日本大百科全書ほか)
昭和30年(1955年)に掛塚町と袖浦・十束の2村が合併して竜洋町が発足したこと、町名の由来(天竜川の竜・太平洋の洋)、掛塚港が天竜木材の集積地として栄えたことを確認
- 行政・公的資料 磐田市公式サイト「施設ガイド 竜洋郷土資料館」
掛塚湊が木材等諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したとの記述、天竜川と遠州灘の恩恵を受けた竜洋地区の暮らしに関する記述を確認
- 行政・公的資料 磐田市観光協会「掛塚湊の碑(竜洋海洋公園内)」
掛塚地区が大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地・天竜川舟運の湊として繁栄したこと、貴船神社境内の掛塚港廻船之碑(大正13年建立)を確認
- 学術資料 小杉達「掛塚港の『みなと文化』」(みなと文化研究事業 調査報告・ウォーターフロント協会)
掛塚港の沿革(室町期の成立・幕府御用材/御城米輸送・「遠州の小江戸」)、および遠州農村部の寺院はおよそ7割が曹洞宗で掛塚の町場は浄土宗系が多いという宗派分布の分析(『遠江国風土記伝』『遠淡海地志』等より作成の町場宗派別比較表)を確認
- 民間二次情報 曹洞宗 白澤山 金蔵寺(宮城県石巻市)公式サイト
検索上位に出る同名寺院。本文確認の結果、宮城県石巻市南境の寺院(慶長6年開創)であり磐田市の金藏寺とは無関係と判明。混同防止のため記録
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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