豊岡地区・現地痕跡未確認
龍雲庵
りょううんあん
龍雲庵(りょううんあん)は、磐田市敷地の宗教法人名簿に掲載される臨済宗妙心寺派の寺院です。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は東嶺山、本尊は薬師如来で、元和8年(1622年)の開創。慶安元年(1648年)には朱印寺田高2石5斗を認められました。現地の堂宇の現況は確認できていません。
別称・関連名称東嶺山龍雲庵/りゅううんあん(読み。宗派公式表記との相違あり)
- 寺院名
- 龍雲庵
- 地区
- 豊岡
- 住所
- 静岡県磐田市敷地1367番地の1
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 龍雲庵
- 読み方
- りょううんあん
- 地区
- 豊岡
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
- ご本尊(資料上)
- 薬師如来
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市敷地1367番地の1
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
- 最終確認日
- 2026.07.19
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 龍雲庵
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
- 本尊
- 薬師如来
- 創建
- 元和8年(1622年)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市敷地1367番地の1
- 地区
- 豊岡
Database 02
沿革
『静岡県磐田郡誌』にみる由緒
『静岡県磐田郡誌』(1921年)の由緒には「敷地村敷地字寺中に在り。東嶺山と號す。當初永安寺の末寺にして、本尊は藥師如來なり。元和八年十月二十日、簾貞の開創に係る。慶安元年十月二十四日、朱符寺田高二石五斗を賜はる」とあります。元和8年(1622年)は徳川秀忠の治世で、江戸幕府の体制が固まっていく時期にあたります。開創から26年後の慶安元年(1648年)に朱印寺田高2石5斗を認められ、小規模ながら幕府公認の寺領をもつ庵として近世を歩みました。開創者「簾貞」の法系については、本寺・永安寺の歴代との関係も含めて確認できていません。
薬師堂領2石5斗の継承
太田亮『遠江』(磯部甲陽堂、1927年)の寺領一覧には「藥師堂龍雲庵(敷地村)二石五斗」とみえ、『磐田郡誌』の記す朱印高2石5斗と一致します。「薬師堂龍雲庵」という書き方から、この寺領が本尊薬師如来を祀る薬師堂の堂領として与えられ、近世を通じて維持されていたことが分かります。村人の病平癒の祈りを受けとめる薬師堂が、庵の営みの中心にあったことをうかがわせる記録です。
本寺・永安寺と敷地の妙心寺派
『静岡県磐田郡誌』によれば、本寺の永安寺(龍壽山)は妙心寺末の中本寺格の寺院で、慶長6年(1601年)以降は代々徳川家から朱印12石などを受け、浄光寺・永明寺・龍雲庵など敷地周辺の末寺群を束ねていました。龍雲庵の所在地の小字「寺中」は永安寺と同じ字内で、本寺の膝元に置かれた庵であったことが地名からも読み取れます。敷地地区に妙心寺派の寺院が集中していることは、この地の仏縁の厚さを示しており、『日本歴史地名大系』には文明12年(1480年)に下野部・一雲斎の授戒会へ敷地の平大夫・左近太郎らが参加した記録もみえます。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 薬師如来
- 宗教的意味
- 龍雲庵は臨済宗妙心寺派に属し、同じ敷地の中本寺・永安寺の末寺として法灯を伝えてきました。禅寺でありながら本尊は薬師如来で、江戸時代には「薬師堂龍雲庵」として堂領2石5斗を認められています。坐禅の宗風とともに、村人の病平癒・現世安穏の祈りを受けとめる薬師信仰の場であったことが、寺領の記録からうかがえます。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
龍雲庵のある敷地は、敷地川の流域に開けた旧磐田郡豊岡村の大字です。『日本歴史地名大系』によれば、戦国期には永禄6年(1563年)に今川氏真が所領を安堵し、元亀3年(1572年)には武田方による所領安堵で「敷地で150貫」と記されるなど、支配者の交代を経験しました。江戸時代には慶長5年(1600年)・慶長9年(1604年)・寛文8年(1668年)・延宝5年(1677年)とたびたび検地が行われています。
現在の敷地は天竜浜名湖鉄道敷地駅を中心とする農業地帯で、同鉄道の公式サイトは、豊岡地区が次郎柿・ころ柿の特産地であり、敷地駅が獅子ヶ鼻公園へのハイキングの出発点になっていると紹介しています。地名の「敷地」は、かつて「あばれ天竜」と呼ばれた天竜川の河川敷であったことに由来すると伝えられます。永安寺をはじめとする妙心寺派の寺院群は、この谷あいの集落の暮らしとともに歩んできました。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9294
- 民間二次情報敷地 (磐田市)(Wikipedia)
地区の施設として「臨済宗妙心寺派 龍雲庵」が記載されていることを確認
- 民間二次情報サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院・御堂一覧
龍雲庵が臨済宗妙心寺派・磐田市敷地1367番地の1の宗教法人として登載されていることを確認
- 郷土資料静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(1921年)コマ437「龍雲庵(敷地村)」
国立国会図書館デジタルコレクション(全文検索で本文確認)
- 郷土資料太田亮『遠江』(磯部甲陽堂、1927年)コマ178 寺領一覧「藥師堂龍雲庵(敷地村)二石五斗」
国立国会図書館デジタルコレクション
- 宗派公式資料臨黄ネット 寺院検索(静岡県磐田市・妙心寺派)
一覧掲載のみ。寺名「龍雲庵(りょううんあん)」・住所「敷地1367-1」を確認(住所は台帳と一致)。本尊・由緒・行事欄は空欄。 2026-07-12にATAWI TEMPLE編集部が同ページを再確認し、この読みを正式表記として採用(台帳の旧読み「りゅううんあん」はaliasesへ移動)。
最終更新日 2026.07.19
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この寺院について
龍雲庵は磐田市敷地1367番地の1に所在する臨済宗妙心寺派の寺院で、静岡県知事所轄宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人として掲載されています。臨済宗の公式ポータル「臨黄ネット」の寺院検索にも「龍雲庵(りょううんあん)」として登載されており、当ページではこの読みを正式表記として採用しています(旧来「りゅううんあん」とも読まれてきました)。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば、所在は敷地村敷地字寺中で、山号は東嶺山。当初から同じ字内にある永安寺の末寺で、本尊は薬師如来です。元和8年(1622年)に簾貞の開創と記され、慶安元年(1648年)には江戸幕府から朱印寺田高2石5斗を認められました。
敷地は天竜浜名湖鉄道敷地駅のある旧磐田郡豊岡村の大字で、平成17年(2005年)の合併により磐田市の住所表示となりました。龍雲庵の堂宇・寺観の現況は現地で確認できておらず、当ページの記述は郷土資料と各種名簿に基づいています。
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歴史と背景
『静岡県磐田郡誌』にみる由緒
『静岡県磐田郡誌』(1921年)の由緒には「敷地村敷地字寺中に在り。東嶺山と號す。當初永安寺の末寺にして、本尊は藥師如來なり。元和八年十月二十日、簾貞の開創に係る。慶安元年十月二十四日、朱符寺田高二石五斗を賜はる」とあります。元和8年(1622年)は徳川秀忠の治世で、江戸幕府の体制が固まっていく時期にあたります。開創から26年後の慶安元年(1648年)に朱印寺田高2石5斗を認められ、小規模ながら幕府公認の寺領をもつ庵として近世を歩みました。開創者「簾貞」の法系については、本寺・永安寺の歴代との関係も含めて確認できていません。
薬師堂領2石5斗の継承
太田亮『遠江』(磯部甲陽堂、1927年)の寺領一覧には「藥師堂龍雲庵(敷地村)二石五斗」とみえ、『磐田郡誌』の記す朱印高2石5斗と一致します。「薬師堂龍雲庵」という書き方から、この寺領が本尊薬師如来を祀る薬師堂の堂領として与えられ、近世を通じて維持されていたことが分かります。村人の病平癒の祈りを受けとめる薬師堂が、庵の営みの中心にあったことをうかがわせる記録です。
本寺・永安寺と敷地の妙心寺派
『静岡県磐田郡誌』によれば、本寺の永安寺(龍壽山)は妙心寺末の中本寺格の寺院で、慶長6年(1601年)以降は代々徳川家から朱印12石などを受け、浄光寺・永明寺・龍雲庵など敷地周辺の末寺群を束ねていました。龍雲庵の所在地の小字「寺中」は永安寺と同じ字内で、本寺の膝元に置かれた庵であったことが地名からも読み取れます。敷地地区に妙心寺派の寺院が集中していることは、この地の仏縁の厚さを示しており、『日本歴史地名大系』には文明12年(1480年)に下野部・一雲斎の授戒会へ敷地の平大夫・左近太郎らが参加した記録もみえます。
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宗派と本尊を知る
龍雲庵は臨済宗妙心寺派に属し、同じ敷地の中本寺・永安寺の末寺として法灯を伝えてきました。禅寺でありながら本尊は薬師如来で、江戸時代には「薬師堂龍雲庵」として堂領2石5斗を認められています。坐禅の宗風とともに、村人の病平癒・現世安穏の祈りを受けとめる薬師信仰の場であったことが、寺領の記録からうかがえます。
臨済宗妙心寺派とは
臨済宗妙心寺派は、坐禅によって自らの本性に目覚めることを目指す臨済宗の一派で、大本山は京都市右京区花園の妙心寺です。建武4年(1337年)、花園法皇が離宮を禅寺に改めることを発願し、関山慧玄禅師を開山に迎えて開創されました。「正法山妙心寺」の寺名は、開山に先立ち宗峰妙超禅師によって名づけられたものです。末寺はおよそ3400か寺を数え、臨済宗では最大の宗派です。ご本尊として釈迦牟尼仏を安置する寺院が多いのも臨済宗の特徴です。
修行の中心は坐禅で、師から与えられる問い(公案)に取り組みながら自己を見つめ、日々の作務や生活そのものを修行とする禅風が特色です。生活の中で心を調えることが、そのまま禅の実践につながると説かれます。
檀家の法要では「般若心経」や「観音経」などが読誦され、葬儀では導師が故人を仏の世界へ導く引導の作法に禅宗らしさが表れます。菩提寺で坐禅会が開かれることも多く、暮らしの中で禅に親しむ機会が身近にある宗派です。
薬師如来という仏さま
薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来といい、東方の浄瑠璃世界と呼ばれる浄土の教主とされる仏さまです。菩薩として修行していた時代に12の大願を立て、その中で人びとの病を取り除き、心身を安らかにすることを誓ったと経典に説かれています。誓いには、飢えや渇きに苦しむ人を救い、衣類の乏しい人に衣を施すことも含まれ、心と身体の両面から人びとを支える仏さまです。左手に薬壺を持つ姿が広く知られ、古くから「お薬師さま」の呼び名で親しまれてきました。
来世の救いを担う阿弥陀如来に対して、薬師如来は現世で救いの手を差し伸べる仏とされ、奈良時代(8世紀)から病気平癒や健康長寿を願う現世利益の信仰を集めてきました。脇には日光菩薩と月光菩薩が控え、昼も夜も絶え間なく人びとを見守ってくださると伝えられます。
薬師如来を本尊とする寺院では、家族の病気平癒や無病息災、厄除けの祈願が折々に営まれ、暮らしに寄り添う仏として大切にされてきました。お参りの際には、日々を健やかに送れることへの感謝を込めて手を合わせたいものです。
参考: お薬師様の十二大願(奈良薬師寺 公式サイト)/ご本尊・薬師如来(薬師寺東京別院 公式サイト)/薬師如来(新薬師寺 公式ホームページ)
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地域とのつながり
龍雲庵のある敷地は、敷地川の流域に開けた旧磐田郡豊岡村の大字です。『日本歴史地名大系』によれば、戦国期には永禄6年(1563年)に今川氏真が所領を安堵し、元亀3年(1572年)には武田方による所領安堵で「敷地で150貫」と記されるなど、支配者の交代を経験しました。江戸時代には慶長5年(1600年)・慶長9年(1604年)・寛文8年(1668年)・延宝5年(1677年)とたびたび検地が行われています。
現在の敷地は天竜浜名湖鉄道敷地駅を中心とする農業地帯で、同鉄道の公式サイトは、豊岡地区が次郎柿・ころ柿の特産地であり、敷地駅が獅子ヶ鼻公園へのハイキングの出発点になっていると紹介しています。地名の「敷地」は、かつて「あばれ天竜」と呼ばれた天竜川の河川敷であったことに由来すると伝えられます。永安寺をはじめとする妙心寺派の寺院群は、この谷あいの集落の暮らしとともに歩んできました。
跡地の現況
龍雲庵は静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)および臨黄ネットの寺院検索に掲載が続いていますが、現地の堂宇・寺観の現況、薬師如来像の所在は確認できていません。所在地とされる敷地1367番地の1は本寺・永安寺と同じ字寺中の一角にあたります。現地の寺号標・掲示等の確認は現時点ではできていません。
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よくある質問
- 龍雲庵の読み方は?
-
臨済宗公式ポータル「臨黄ネット」の登録に従い「りょううんあん」を正式表記としています。旧来は「りゅううんあん」とも読まれてきました。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
臨済宗妙心寺派の寺院です。『静岡県磐田郡誌』は山号を東嶺山、本尊を薬師如来と記しています。現在の本尊の様子は確認できていません。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ誰が開いたお寺ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』によれば、元和8年(1622年)10月20日に簾貞の開創と記されています。慶安元年(1648年)には朱印寺田高2石5斗を認められました。
本文「歴史と背景」を読む - 今もお参りできますか?
-
宗教法人としての掲載は続いていますが、現地の堂宇・寺観の現況は確認できていません。お参りや供養についての最新の状況は、本寺にあたる永安寺など敷地地区の寺院を通じた確認が確実です。
本文「地域とのつながり」を読む
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写真で見る境内
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出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9294。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 民間二次情報 敷地 (磐田市)(Wikipedia)
地区の施設として「臨済宗妙心寺派 龍雲庵」が記載されていることを確認(発見専用・単独根拠にはしない)
- 民間二次情報 サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院・御堂一覧
龍雲庵が臨済宗妙心寺派・磐田市敷地1367番地の1の宗教法人として登載されていることを確認
- 郷土資料 静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(1921年)コマ437「龍雲庵(敷地村)」
国立国会図書館デジタルコレクション(全文検索で本文確認)。敷地村敷地字寺中・東嶺山・永安寺末・本尊薬師如来・元和8年簾貞開創・慶安元年朱印寺田高2石5斗の由緒。永安寺(龍壽山・妙心寺末中本寺・朱印12石・末寺群)の項もあわせて参照
- 郷土資料 太田亮『遠江』(磯部甲陽堂、1927年)コマ178 寺領一覧「藥師堂龍雲庵(敷地村)二石五斗」
国立国会図書館デジタルコレクション。朱印高2石5斗が薬師堂領として記録されていることを確認
- 宗派公式資料 臨黄ネット 寺院検索(静岡県磐田市・妙心寺派)
一覧掲載のみ。寺名「龍雲庵(りょううんあん)」・住所「敷地1367-1」を確認(住所は台帳と一致)。本尊・由緒・行事欄は空欄。2026-07-12にATAWI TEMPLE編集部が同ページを再確認し、この読みを正式表記として採用
- 郷土資料 コトバンク「敷地村」(日本歴史地名大系)
敷地川流域の立地、文明12年(1480年)一雲斎授戒会への敷地村人の参加、永禄6年今川氏真の所領安堵、元亀3年武田方の安堵(敷地で150貫)、慶長5年・9年・寛文8年・延宝5年の検地を確認
- 民間二次情報 天竜浜名湖鉄道公式サイト「敷地駅」
敷地駅(磐田市敷地404-2)の所在、豊岡地区が次郎柿・ころ柿の特産地であること、獅子ヶ鼻公園ハイキングの出発点であること、地名が天竜川の河川敷に由来するとの紹介を確認
- 行政・公的資料 旧豊岡村の住所表示|磐田市公式ウェブサイト
敷地が旧豊岡村の大字であり、磐田市敷地(郵便番号438-0106)となったことを確認。
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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