豊岡地区・現地痕跡未確認
永安寺
えいあんじ
永安寺(えいあんじ)は、磐田市敷地(旧磐田郡豊岡村域)の臨済宗妙心寺派の寺院です。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は龍壽山、本尊は釈迦牟尼如来で、開山は近江永源寺を開いた寂室(勅諡円応禅師)と伝え、江戸時代には朱印12石を受けた中本寺格の寺院でした。現地の状況は確認できていません。
別称・関連名称龍壽山永安寺/永安禅院
- 寺院名
- 永安寺
- 地区
- 豊岡
- 住所
- 静岡県磐田市敷地1035番地
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 永安寺
- 読み方
- えいあんじ
- 地区
- 豊岡
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
- ご本尊(資料上)
- 釈迦牟尼如来
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市敷地1035番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 岩室廃寺跡(観音堂)
- 最終確認日
- 2026.07.19
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 永安寺
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
- 本尊
- 釈迦牟尼如来
- 創建
- 南北朝時代(14世紀、開山は寂室〈勅諡円応禅師〉と伝える)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市敷地1035番地
- 地区
- 豊岡
Database 02
沿革
『静岡県磐田郡誌』にみる由緒と寺格
『静岡県磐田郡誌』(1921年)の由緒には「敷地村敷地字寺中に在り。龍壽山と號す。妙心寺の末寺にして、本尊は釋迦牟尼如來なり」とあり、草創は寂室(勅諡円応禅師)に係ると記されています。草創以来数代の間は末山による輪次住職の時期があり、慶長2年(1597年)3月9日に立峰が中興しました。慶長6年(1601年)8月24日に寺領12石と除地14石9斗2升4合を寄附されて以降、累代徳川家の朱印寺領を受け、寛永10年(1633年)には住職が紫衣着用の勅許を得て本山妙心寺へ輪住するなど、寺格は中本寺とされました。郡誌には慶安元年(1648年)2月24日付の「遠江國豊田郡永安寺領。同郡敷地郷内十二石…」で始まる寺領文書も収録されています。太田亮『遠江』(1927年)の名刹の節にも「永安寺(野邊郷敷地村)臨濟宗、拾貳石。開山寂室禪師」とみえます。
開山寂室(円応禅師)をめぐる記録
郡誌は『大日本地名辞書』を引き、近江永源寺に伝わる寂室の語録『寂室録』に「遠州野部山中話舊」の一篇があり、「遠州路河村庄龍壽山永安禪院」と細註されていることを紹介しています。寂室元光は康安元年(1361年)に永源寺に入って一派の本寺とし、貞治6年(1367年)に78歳で示寂、応安2年(1369年)に円応禅師の号を宣下された高僧で、敷地一帯(野部・河村庄)との縁が語録からも裏付けられます。また『日本歴史地名大系』の岩室村の項は、天保7年(1836年)の同村の家数12を「永安寺賄帳」によって記しており、近世の永安寺に周辺の村々を含む帳簿類が備わっていたことがうかがえます。
敷地の末寺群と近代の学校
『静岡県磐田郡誌』によれば、永安寺は敷地村内の浄光寺(字門前)・永明寺(字門前)・龍雲庵(字寺中)、岩室村の清凉院などを末寺とし、字寺中の本寺を核とする寺院群が地区内に形成されていました。明治6年(1873年)11月に字門前1014番地の永明寺を仮校舎として開校した敷地学校は、明治8年(1875年)10月に字寺中1035番地の永安寺へ校舎を移して野部学校から分離しており、この1035番地は現在の永安寺の所在地と一致します。近代の敷地の教育は、本末関係で結ばれた2つの妙心寺派寺院を舞台に始まったことになります。
岩室廃寺(石室寺)と経塚の遺宝
永安寺は、奈良時代から中世にかけての大寺院跡である岩室廃寺跡(観音堂)の所有者です。岩室廃寺は山岳仏教を知るうえで重要な遺跡として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定史跡となっており、現在の観音堂は江戸時代に建てられたものです。岩室廃寺は古くは「石室寺」と呼ばれ、その経塚から出土した銅製経筒(高さ32センチメートル)には「日本國遠江國 石室寺 如法経 大治元年丙午十二月廿一日壬午 奉埋之」などの銘文があります。経塚の造営年・場所・施主が明確に分かる貴重な例とされ、経筒と白磁合子(中国製、12世紀)は東京国立博物館に所蔵されています。
発掘調査が明らかにした岩室の山寺
昭和61年(1986年)の緊急発掘調査(旧豊岡村教育委員会実施)では、岩室廃寺の基壇・礎石・柱穴などの遺構が確認され、陶器・土師器・かわらけ・瓦が出土し、奈良・平安から中世にかけての遺跡であることが確かめられました。磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)は、岩室廃寺が10世紀ごろの山岳信仰と関連が強く、遠江国分寺僧の修行道場としての役割を持っていたとする説を紹介しています。また隣接する岩室中世墳墓群遺跡では、平成17年度(2005年度)の発掘調査で13世紀前半(鎌倉時代)ごろの集石墓12基が確認され、瀬戸産陶器の四耳壺・瓶子を骨蔵器に転用した遺物や火葬跡が出土し、僧侶など当時の岩室寺関係者が葬られたと考えられています。永安寺が別当格としてこの山寺の記憶を受け継いできたことは、指定文化財の所有関係からもうかがえます。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 釈迦牟尼如来
- 宗教的意味
- 永安寺は臨済宗妙心寺派に属し、『静岡県磐田郡誌』は本尊を釈迦牟尼如来と記しています。中本寺として敷地・岩室の末寺群を束ね、寛永10年(1633年)には住職が本山妙心寺に輪住した格式を持ちます。また磐田郡三十三観音霊場の第16番札所とされてきた歴史があり、禅の本尊釈迦牟尼如来と観音信仰の両方が、この寺を通じて敷地の人々に受け継がれてきました。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の安置状況は確認できていません。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
岩室廃寺跡(観音堂)
奈良時代から江戸時代にわたる岩室の山寺の跡で、磐田市の指定文化財一覧では所有者は永安寺と記載されています。平成17年(2005年)11月21日指定。古くは石室寺と呼ばれ、大治元年(1126年)銘の銅製経筒が出土した経塚でも知られます。現在の観音堂は江戸時代の建築で、山岳仏教の歴史を伝える遺跡として市の文化財保存活用地域計画にも取り上げられています。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
永安寺のある敷地地区は、磐田市最北部の山あいに敷地川が流れる農村で、平成17年(2005年)の合併までは磐田郡豊岡村に属しました。『日本歴史地名大系』によれば旧豊岡村域は天竜川下流域左岸に位置し、天竜浜名湖鉄道の敷地駅周辺は次郎柿・ころ柿の特産地として知られています。駅名の「敷地」は、かつて天竜川が大量の水を流していた時代の河川敷の地に由来すると伝えられます。
敷地の北の岩室地内には獅子ヶ鼻公園があり、弘法大師の開山伝説が伝わる「天空の宗教都市」の面影を残す地として案内されています。この岩室山一帯の山岳信仰の中心が岩室廃寺(石室寺)であり、その跡地の観音堂を永安寺が所有していることは、中世以来の山の信仰と里の寺のつながりを今に伝えています。敷地学校(現在の敷地地区の小学校の前身)が永明寺・永安寺を校舎に開かれた歴史も含め、永安寺は敷地の暮らしと学びの記憶の核となってきた寺院です。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9298
- 民間二次情報敷地 (磐田市)(Wikipedia)
地区の施設として「臨済宗妙心寺派 永安寺」が記載されていることを確認
- 民間二次情報サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院・御堂一覧
永安寺が臨済宗妙心寺派・磐田市敷地1035番地の宗教法人として登載されていることを確認(〒438-0106)
- 郷土資料静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(1921年)コマ436「永安寺(敷地村)」
国立国会図書館デジタルコレクション(全文検索で本文確認)
- 郷土資料太田亮『遠江』(磯部甲陽堂、1927年)コマ178-179「永安寺(野邊郷敷地村)臨濟宗、拾貳石。開山寂室禪師」
国立国会図書館デジタルコレクション
- 郷土資料コトバンク「岩室村」(日本歴史地名大系)
天保7年の岩室村家数を「永安寺賄帳」により記載
- 民間二次情報ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
第16番=龍寿山永安寺(臨済宗妙心寺派・敷地1035)を確認。同じ敷地地区の永明寺(別寺院)ではないことを寺名・番地で確認。
- 宗派公式資料臨黄ネット 寺院検索(静岡県磐田市・妙心寺派)
一覧掲載のみ。寺名「永安寺(えいあんじ)」・住所「敷地1035」を確認(台帳と一致)。本尊・由緒・行事欄は空欄。
- 行政・公的資料市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
分類・時代・所在地・所有者を一覧表で確認
- 行政・公的資料磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)
磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合
- 文化財データベース文化遺産オンライン 経筒(石室寺経塚出土)
磐田市岩室廃寺出土の銅製経筒。大治元年(1126年)銘の全文と東京国立博物館所蔵であることを確認。
- 文化財データベース文化遺産オンライン 石室寺経塚出土品(白磁合子)
磐田市岩室廃寺出土の白磁合子(中国製、12世紀)。東京国立博物館所蔵を確認。
- 行政・公的資料磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)
p.37-38 岩室廃寺と山岳信仰・国分寺僧修行道場説、p.50 主要市指定文化財一覧、p.68-69 岩室廃寺遺跡測量調査計画
- 行政・公的資料いわた文化財だより第250号(磐田市教育委員会文化財課、令和8年1月5日発行)
p.3-4「岩室中世墳墓群遺跡」平成17年度発掘調査の内容(集石墓12基・骨蔵器出土等)
- 学術資料岩室廃寺(豊岡村教育委員会、1987年3月31日発行、鷲見昌治・前田庄一編著)
副題「集落近郊林整備事業に伴う緊急発掘調査概報」。1986年7月1日〜30日調査、調査面積168平方メートル。遺構:基壇・礎石・柱穴。遺物:陶器・土師器・かわらけ・瓦
最終更新日 2026.07.19
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この寺院について
永安寺は磐田市敷地1035番地に所在する臨済宗妙心寺派の寺院です。静岡県知事所轄宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人として掲載され、臨済宗・黄檗宗の公式ポータル「臨黄ネット」の寺院検索にも磐田市の妙心寺派寺院「永安寺(えいあんじ)・敷地1035」として登載されています。宗門・行政の両方の名簿でその法人格が確認できる一方、堂宇や境内の現況を伝える公開情報は確認できていません。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば、山号は龍壽山、京都の妙心寺の末寺で寺格は中本寺、本尊は釈迦牟尼如来です。開山は近江永源寺を開いた高僧・寂室(勅諡円応禅師、寂室元光)と伝え、慶長6年(1601年)以降は代々徳川家から寺領12石などの朱印を受けました。浄光寺・永明寺・龍雲庵・清凉院など敷地周辺の末寺群を束ねた、この地域の中核寺院にあたります。
所在地の敷地は、敷地川に沿って水田と柿畑が広がる磐田市最北部の農村地帯で、平成17年(2005年)の合併までは磐田郡豊岡村の大字でした。『静岡県磐田郡誌』によれば永安寺の所在の字は「寺中」で、この寺を核として字寺中・字門前に妙心寺派の寺院群が形成されていました。
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歴史と背景
『静岡県磐田郡誌』にみる由緒と寺格
『静岡県磐田郡誌』(1921年)の由緒には「敷地村敷地字寺中に在り。龍壽山と號す。妙心寺の末寺にして、本尊は釋迦牟尼如來なり」とあり、草創は寂室(勅諡円応禅師)に係ると記されています。草創以来数代の間は末山による輪次住職の時期があり、慶長2年(1597年)3月9日に立峰が中興しました。慶長6年(1601年)8月24日に寺領12石と除地14石9斗2升4合を寄附されて以降、累代徳川家の朱印寺領を受け、寛永10年(1633年)には住職が紫衣着用の勅許を得て本山妙心寺へ輪住するなど、寺格は中本寺とされました。郡誌には慶安元年(1648年)2月24日付の「遠江國豊田郡永安寺領。同郡敷地郷内十二石…」で始まる寺領文書も収録されています。太田亮『遠江』(1927年)の名刹の節にも「永安寺(野邊郷敷地村)臨濟宗、拾貳石。開山寂室禪師」とみえます。
開山寂室(円応禅師)をめぐる記録
郡誌は『大日本地名辞書』を引き、近江永源寺に伝わる寂室の語録『寂室録』に「遠州野部山中話舊」の一篇があり、「遠州路河村庄龍壽山永安禪院」と細註されていることを紹介しています。寂室元光は康安元年(1361年)に永源寺に入って一派の本寺とし、貞治6年(1367年)に78歳で示寂、応安2年(1369年)に円応禅師の号を宣下された高僧で、敷地一帯(野部・河村庄)との縁が語録からも裏付けられます。また『日本歴史地名大系』の岩室村の項は、天保7年(1836年)の同村の家数12を「永安寺賄帳」によって記しており、近世の永安寺に周辺の村々を含む帳簿類が備わっていたことがうかがえます。
敷地の末寺群と近代の学校
『静岡県磐田郡誌』によれば、永安寺は敷地村内の浄光寺(字門前)・永明寺(字門前)・龍雲庵(字寺中)、岩室村の清凉院などを末寺とし、字寺中の本寺を核とする寺院群が地区内に形成されていました。明治6年(1873年)11月に字門前1014番地の永明寺を仮校舎として開校した敷地学校は、明治8年(1875年)10月に字寺中1035番地の永安寺へ校舎を移して野部学校から分離しており、この1035番地は現在の永安寺の所在地と一致します。近代の敷地の教育は、本末関係で結ばれた2つの妙心寺派寺院を舞台に始まったことになります。
岩室廃寺(石室寺)と経塚の遺宝
永安寺は、奈良時代から中世にかけての大寺院跡である岩室廃寺跡(観音堂)の所有者です。岩室廃寺は山岳仏教を知るうえで重要な遺跡として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定史跡となっており、現在の観音堂は江戸時代に建てられたものです。岩室廃寺は古くは「石室寺」と呼ばれ、その経塚から出土した銅製経筒(高さ32センチメートル)には「日本國遠江國 石室寺 如法経 大治元年丙午十二月廿一日壬午 奉埋之」などの銘文があります。経塚の造営年・場所・施主が明確に分かる貴重な例とされ、経筒と白磁合子(中国製、12世紀)は東京国立博物館に所蔵されています。
発掘調査が明らかにした岩室の山寺
昭和61年(1986年)の緊急発掘調査(旧豊岡村教育委員会実施)では、岩室廃寺の基壇・礎石・柱穴などの遺構が確認され、陶器・土師器・かわらけ・瓦が出土し、奈良・平安から中世にかけての遺跡であることが確かめられました。磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)は、岩室廃寺が10世紀ごろの山岳信仰と関連が強く、遠江国分寺僧の修行道場としての役割を持っていたとする説を紹介しています。また隣接する岩室中世墳墓群遺跡では、平成17年度(2005年度)の発掘調査で13世紀前半(鎌倉時代)ごろの集石墓12基が確認され、瀬戸産陶器の四耳壺・瓶子を骨蔵器に転用した遺物や火葬跡が出土し、僧侶など当時の岩室寺関係者が葬られたと考えられています。永安寺が別当格としてこの山寺の記憶を受け継いできたことは、指定文化財の所有関係からもうかがえます。
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文化財・見どころ
岩室廃寺跡(観音堂)
奈良時代から江戸時代にわたる岩室の山寺の跡で、磐田市の指定文化財一覧では所有者は永安寺と記載されています。平成17年(2005年)11月21日指定。古くは石室寺と呼ばれ、大治元年(1126年)銘の銅製経筒が出土した経塚でも知られます。現在の観音堂は江戸時代の建築で、山岳仏教の歴史を伝える遺跡として市の文化財保存活用地域計画にも取り上げられています。
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宗派と本尊を知る
永安寺は臨済宗妙心寺派に属し、『静岡県磐田郡誌』は本尊を釈迦牟尼如来と記しています。中本寺として敷地・岩室の末寺群を束ね、寛永10年(1633年)には住職が本山妙心寺に輪住した格式を持ちます。また磐田郡三十三観音霊場の第16番札所とされてきた歴史があり、禅の本尊釈迦牟尼如来と観音信仰の両方が、この寺を通じて敷地の人々に受け継がれてきました。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の安置状況は確認できていません。
臨済宗妙心寺派とは
臨済宗妙心寺派は、坐禅によって自らの本性に目覚めることを目指す臨済宗の一派で、大本山は京都市右京区花園の妙心寺です。建武4年(1337年)、花園法皇が離宮を禅寺に改めることを発願し、関山慧玄禅師を開山に迎えて開創されました。「正法山妙心寺」の寺名は、開山に先立ち宗峰妙超禅師によって名づけられたものです。末寺はおよそ3400か寺を数え、臨済宗では最大の宗派です。ご本尊として釈迦牟尼仏を安置する寺院が多いのも臨済宗の特徴です。
修行の中心は坐禅で、師から与えられる問い(公案)に取り組みながら自己を見つめ、日々の作務や生活そのものを修行とする禅風が特色です。生活の中で心を調えることが、そのまま禅の実践につながると説かれます。
檀家の法要では「般若心経」や「観音経」などが読誦され、葬儀では導師が故人を仏の世界へ導く引導の作法に禅宗らしさが表れます。菩提寺で坐禅会が開かれることも多く、暮らしの中で禅に親しむ機会が身近にある宗派です。
釈迦如来という仏さま
釈迦如来は、およそ2500年前にインドで実在した仏教の開祖、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)を仏として表したものです。ルンビニーの園で誕生し、29歳で出家、6年の苦行ののち菩提樹の下の坐禅で悟りを開き、80歳でクシナガラの地において入滅したと伝えられています。
誕生の際に唱えたと伝わる「天上天下唯我独尊」の言葉は、誰もがかけがえのない命を生きているという人間尊重の心を表すと受け止められています。坐禅の教えを受け継ぐ曹洞宗をはじめ、禅宗の寺院では釈迦牟尼仏を本尊と仰ぎます。誕生を祝う4月8日の降誕会(花まつり)には誕生仏に甘茶を注ぎ、悟りを開いた12月8日の成道会、入滅の日である2月15日の涅槃会と合わせて、三仏忌として特に大切に営まれてきました。
花まつりは子どもの健やかな成長を願う行事として地域の寺院でも親しまれています。本尊のお釈迦さまに手を合わせることは、すべての命が尊いというその教えに立ち返り、自らの生き方を見つめ直すことでもあります。
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地域とのつながり
永安寺のある敷地地区は、磐田市最北部の山あいに敷地川が流れる農村で、平成17年(2005年)の合併までは磐田郡豊岡村に属しました。『日本歴史地名大系』によれば旧豊岡村域は天竜川下流域左岸に位置し、天竜浜名湖鉄道の敷地駅周辺は次郎柿・ころ柿の特産地として知られています。駅名の「敷地」は、かつて天竜川が大量の水を流していた時代の河川敷の地に由来すると伝えられます。
敷地の北の岩室地内には獅子ヶ鼻公園があり、弘法大師の開山伝説が伝わる「天空の宗教都市」の面影を残す地として案内されています。この岩室山一帯の山岳信仰の中心が岩室廃寺(石室寺)であり、その跡地の観音堂を永安寺が所有していることは、中世以来の山の信仰と里の寺のつながりを今に伝えています。敷地学校(現在の敷地地区の小学校の前身)が永明寺・永安寺を校舎に開かれた歴史も含め、永安寺は敷地の暮らしと学びの記憶の核となってきた寺院です。
跡地の現況
永安寺は宗教法人としては静岡県知事所轄宗教法人名簿および臨黄ネットに掲載されていますが、堂宇・境内の現況を確認できる公開情報がなく、現地の状況は確認できていません。所在地とされる敷地1035番地は明治8年(1875年)に敷地学校の校舎に充てられた字寺中の番地と一致します。住職の常駐や法要受付の現況も不明のため、当ページでは名簿・郷土資料上の事実を中心に記載しています。
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よくある質問
- 永安寺はどの宗派のお寺ですか?
-
臨済宗妙心寺派です。『静岡県磐田郡誌』によれば京都の妙心寺の末寺で、寺格は中本寺とされ、敷地・岩室の末寺群を束ねていました。
本文「宗派と本尊」を読む - 開山は誰と伝わりますか?
-
近江永源寺を開いた寂室(寂室元光、勅諡円応禅師)と伝わります。永源寺に伝わる語録『寂室録』にも「遠州路河村庄龍壽山永安禪院」の細註があり、敷地一帯との縁が裏付けられます。
本文「歴史と背景」を読む - 江戸時代の朱印12石とは何ですか?
-
慶長6年(1601年)8月24日に認められた寺領です。以後代々徳川家から朱印を受け、郡誌には慶安元年(1648年)付の寺領文書も収録されています。
本文「歴史と背景」を読む - 岩室廃寺跡と永安寺はどんな関係ですか?
-
磐田市指定史跡「岩室廃寺跡(観音堂)」の所有者が永安寺です。岩室廃寺は古くは石室寺と呼ばれた山岳寺院で、経塚から大治元年(1126年)銘の銅製経筒が出土しています。
本文「文化財・見どころ」を読む - 現在もお参りできますか?
-
現地の状況が確認できていないため、当ページでは案内していません。宗教法人としては県の名簿に掲載されていますが、堂宇の現況・法要受付の有無は不明です。
本文「地域とのつながり」を読む
07
写真で見る境内
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出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9298。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 民間二次情報 敷地 (磐田市)(Wikipedia)
地区の施設として「臨済宗妙心寺派 永安寺」が記載されていることを確認(発見用の手掛かりとして参照)
- 民間二次情報 サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院・御堂一覧
永安寺が臨済宗妙心寺派・磐田市敷地1035番地の宗教法人として登載されていることを確認(〒438-0106)
- 郷土資料 静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(1921年)コマ436「永安寺(敷地村)」
国立国会図書館デジタルコレクション。龍壽山・妙心寺末・中本寺・本尊釈迦牟尼如来・寂室草創・立峰中興・朱印12石・紫衣勅許・慶安元年寺領文書の由緒を確認
- 郷土資料 太田亮『遠江』(磯部甲陽堂、1927年)コマ178-179「永安寺(野邊郷敷地村)臨濟宗、拾貳石。開山寂室禪師」
国立国会図書館デジタルコレクション。名刹の節の記載で朱印高12石・開山寂室を確認
- 郷土資料 コトバンク「岩室村」(日本歴史地名大系)
天保7年(1836年)の岩室村家数12を「永安寺賄帳」により記載していることを確認
- 民間二次情報 ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
第16番=龍寿山永安寺(臨済宗妙心寺派・敷地1035)を確認。同じ敷地地区の永明寺(別寺院)ではないことを寺名・番地で確認
- 宗派公式資料 臨黄ネット 寺院検索(静岡県磐田市・妙心寺派)
一覧掲載のみ。寺名「永安寺(えいあんじ)」・住所「敷地1035」を確認(台帳と一致)。本尊・由緒・行事欄は空欄
- 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
岩室廃寺跡(観音堂)の分類・時代・所在地・所有者(永安寺)を一覧表で確認
- 行政・公的資料 磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)
磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合
- 文化財データベース 文化遺産オンライン 経筒(石室寺経塚出土)
磐田市岩室廃寺出土の銅製経筒。大治元年(1126年)銘の全文と東京国立博物館所蔵であることを確認
- 文化財データベース 文化遺産オンライン 石室寺経塚出土品(白磁合子)
磐田市岩室廃寺出土の白磁合子(中国製、12世紀)。東京国立博物館所蔵を確認
- 行政・公的資料 磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)
p.37-38 岩室廃寺と山岳信仰・国分寺僧修行道場説、p.50 主要市指定文化財一覧、p.68-69 岩室廃寺遺跡測量調査計画を確認
- 行政・公的資料 いわた文化財だより第250号(磐田市教育委員会文化財課、令和8年1月5日発行)
p.3-4「岩室中世墳墓群遺跡」平成17年度発掘調査の内容(集石墓12基・骨蔵器出土等)を確認
- 学術資料 岩室廃寺(豊岡村教育委員会、1987年3月31日発行、鷲見昌治・前田庄一編著)
副題「集落近郊林整備事業に伴う緊急発掘調査概報」。1986年7月1日〜30日調査、調査面積168平方メートル。遺構: 基壇・礎石・柱穴。遺物: 陶器・土師器・かわらけ・瓦を確認
- 民間二次情報 敷地|天浜線(天竜浜名湖鉄道株式会社)駅紹介
敷地駅周辺が次郎柿・ころ柿の特産地であること、駅名がかつての天竜川の河川敷の地に由来すると伝えられること、獅子ヶ鼻公園ハイキングの起点駅であることを確認(2026年7月19日参照)
- 行政・公的資料 獅子ヶ鼻公園|磐田市観光協会
岩室地内の獅子ヶ鼻公園に弘法大師の開山伝説と「天空の宗教都市」の面影が伝わることを確認(2026年7月19日参照)
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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