竜洋地区・現存

蓮覚寺

れんがくじ

ページ充実度 充実 最終確認 2026.07.19

蓮覚寺(れんがくじ)は、磐田市竜洋中島にある曹洞宗の寺院です。平清盛の長男・平重盛が建てたと磐田市の文化財解説に記される古い由緒を持ち、磐田市二之宮の連福寺・新貝の連城寺とともに「遠州三連寺」に数えられてきました。天保13年(1842年)建造の山門は「竜洋地区最古最大の山門」として磐田市指定有形文化財となっています。

別称・関連名称瑞嶽山蓮覚寺/連覚寺(表記)

寺院名
蓮覚寺
地区
竜洋
住所
静岡県磐田市竜洋中島689番地の1
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
蓮覚寺
読み方
れんがくじ
地区
竜洋
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
調査中・加筆待ち
ご本尊の現在の確認状況
未確認
住所
静岡県磐田市竜洋中島689番地の1
Googleマップ
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寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
磐田市指定文化財あり(蓮覚寺山門・有形文化財【建造物】)
最終確認日
2026.07.12

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

蓮覚寺の現地写真 1
現地写真・本堂・堂宇
蓮覚寺の現地写真 2
入口・石標
蓮覚寺の現地写真 3
境内全景
蓮覚寺の現地写真 4
石造物・手水
蓮覚寺の現地写真 5
説明板・案内板
蓮覚寺の現地写真 6
その他
宗派曹洞宗
創建・年代寺伝では安元元年(1175年)頃、平重盛が遠州三連寺の一つとして創建したと伝わる
本尊調査中・加筆待ち
墓地調査中
文化財・史跡磐田市指定文化財あり(蓮覚寺山門・有形文化財【建造物】)
所在地竜洋・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
蓮覚寺
宗派
曹洞宗
本尊
未確認
創建
寺伝では安元元年(1175年)頃、平重盛が遠州三連寺の一つとして創建したと伝わる
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市竜洋中島689番地の1
地区
竜洋

Database 02

沿革

平重盛と遠州三連寺の伝承

寺伝によれば、蓮覚寺は安元元年(1175年)頃、遠江守であった平重盛の創建と伝えられます。磐田市内には重盛ゆかりと伝わる「連」の字を冠する寺が3か寺あり、二之宮の連福寺、新貝の連城寺、そして竜洋中島の蓮覚寺(連覚寺)を合わせて「遠州三連寺」と呼び習わされてきました。同じ三連寺の連城寺の公式サイトは、重盛が父・清盛の専制による人々の恨みが子孫に及ぶことを恐れ、諸国に寺院を建立したという伝承を紹介しており、連城寺は治承3年(1179年)の建立と伝えられます。蓮覚寺の創建伝承もこの三連寺伝承の一角をなすもので、磐田市指定文化財の解説文にも「平清盛の長子・重盛が建てた連覚寺の表門」と明記されています。ただし平安時代末期の創建を裏づける同時代史料は確認されておらず、あくまで寺伝・伝承として受け継がれてきたものです。創建当時の宗旨や、後に曹洞宗へ改まった時期についても、現時点では確認できていません。

天保13年建造の山門

現在の蓮覚寺を象徴するのが、天保13年(1842年)建造の山門です。形式は薬医門で、本柱2本と控柱2本で切妻屋根を支える構えを持ちます。磐田市の文化財解説は「天保13年(1842)建造の薬医門で、竜洋地区最古最大の山門である」と記しており、江戸時代後期の建築が数多く失われてきた天竜川下流域にあって、当時の姿を伝える貴重な建造物です。平成17年(2005年)11月21日、磐田市指定有形文化財(建造物)に指定されました。この指定日は、旧竜洋町など4町村と旧磐田市が合併して現在の磐田市が発足した年にあたり、新市の文化財として旧市町村の文化財が改めて位置づけられた時期のものです。磐田市の市指定文化財一覧では、鎌田の医王寺庭園及び参道(名勝)などと同じ平成17年(2005年)11月21日付けの指定として掲載されており、蓮覚寺山門は竜洋地区を代表する指定建造物となっています。天保13年(1842年)という建造年は、安政東海地震(嘉永7年=1854年)のわずか12年前にあたり、大地震の前に建てられた建築が指定文化財として現存していること自体が、この地域では貴重なことといえます。

地震と山門の変遷

民間の探訪記録によれば、山門は当初、本堂の正面に向かう位置に建立されましたが、安政期の地震で倒れた後に起こし直され、明治10年(1877年)に旧裏門の北へ東向きに移されたと紹介されています。同記録では、明治20年(1887年)に瓦の葺き替えが行われ、昭和19年(1944年)の地震(昭和東南海地震)では西側へ大きく傾いたものの倒壊を免れ、両袖の塀は昭和35年(1960年)頃に板塀から土塀風に改められたとされています。嘉永7年=安政元年(1854年)11月4日の安政東海地震について、歴史地震研究会の会誌『歴史地震』第21号に掲載された寺院被害の研究は、天竜川河口付近東岸の掛塚で全壊被害を受けた寺院が集中していたことを指摘し、河口部の後背湿地にあたるため強い揺れになったと推定しています。同研究が引く先行研究では、磐田市掛塚は震度7の揺れであったと報告されており、竜洋地区の寺院の多くが本堂や堂宇の倒壊を経験しました。蓮覚寺そのものは同研究の寺院被害一覧に採録されていませんが、山門の被災伝承は、地震と向き合い続けたこの地域の歴史と重なります。なお、これらの山門の変遷は個人の記録に基づくもので、市史・寺院資料による裏づけは今後の課題です。

学制発布と中島分校

民間の探訪記録によれば、明治5年(1872年)の学制発布を受けて、明治6年(1873年)に西之島学校の中島分校が蓮覚寺の本堂を利用して開かれたと紹介されています。この分校は、現在の磐田市立竜洋北小学校の前身にあたるとされています。明治初期の遠州では、校舎が整うまでの間、寺院の本堂が学びの場として使われた例が各地にあり、旧竜洋町域でも海老島の心月寺を仮校舎として海老島小学校が開かれるなど、寺が地域の近代教育の出発点となりました。蓮覚寺の中島分校についても同様の歩みを伝えるものですが、学校沿革史や市史による裏づけは現時点では確認できておらず、今後の調査課題です。

近現代の蓮覚寺

蓮覚寺は、静岡県知事所轄の宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人として登載され、曹洞宗の公式寺院ポータル「曹洞禅ナビ」にも磐田市竜洋中島689-1の寺院として掲載されています。所在地の中島は、江戸時代には天竜川下流東岸の村で、明治以降は町村制の変遷を経て、昭和30年(1955年)発足の磐田郡竜洋町の大字となり、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となりました。合併に伴う住所表示の変更では、他地区の「中島」との重複を避けて「竜洋町中島」が「磐田市竜洋中島」と改められています。平成17年(2005年)の山門の市文化財指定以降は、竜洋地区の歴史を伝える文化財の寺として、その名が市の公式資料に記され続けています。なお、旧竜洋町域の曹洞宗寺院には、文明10年(1478年)開創の岡の聖寿寺を本寺として開かれた寺が多く(豊岡の守増寺、平間の願成寺、駒場の慈慶庵など)、海老島の心月寺も小島の正眼院の末寺でしたが、蓮覚寺がどの寺の法系に連なるのかは現時点では確認できていません。平安期創建の伝承を持つ寺として、周辺の戦国期開創の寺々とは異なる来歴が伝えられている点も、当寺の特色といえます。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
未確認
宗教的意味
蓮覚寺は曹洞宗に属し、曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」にも登載されています。寺伝の創建は平安時代末期とされるため、後の時代に禅宗・曹洞宗へ改まったと考えられますが、改宗の時期や本末関係は確認できていません。本尊は民間の探訪記録で延命地蔵菩薩と紹介されていますが、寺院公式の情報では未確認のため、確認でき次第この欄を更新します。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

磐田市指定有形文化財(建造物)

蓮覚寺山門

天保13年(1842年)建造の薬医門で、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定有形文化財(建造物)となりました。磐田市の解説には「平清盛の長子・重盛が建てた連覚寺の表門。天保13年(1842)建造の薬医門で、竜洋地区最古最大の山門である」と記されています。民間の探訪記録では、安政期の地震での倒壊と再建、明治10年(1877年)の移設、昭和19年(1944年)の地震での傾きなど、たび重なる災害を耐え抜いてきた変遷が紹介されており、天竜川下流域の歴史の証人ともいえる建造物です。

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

蓮覚寺のある竜洋中島は、天竜川が形づくったデルタ地帯に位置します。『日本歴史地名大系』は旧竜洋町域を「磐田郡の南西端、天竜川河口東側に位置する」と記し、古くは海岸線が現在より3キロメートルほど北にあり、河川敷からは奈良・平安時代の遺跡も見つかっているなど、天竜川と共に土地そのものが育ってきた歴史を伝えています。天竜川河口の掛塚には、江戸から明治にかけて大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地・掛塚湊が栄え、天竜川の舟運で運ばれた上流の木材の積み出しで賑わいました。文明17年(1485年)には禅僧万里集九が紀行詩文集『梅花無尽蔵』に掛塚の湊を書き留めており、その歴史は室町時代にさかのぼります。中島の集落も、こうした天竜川の水運と洪水の両方と向き合いながら歴史を重ねてきた土地であり、蓮覚寺の山門が安政の地震や昭和19年(1944年)の地震をくぐり抜けてきた歩みは、災害と共に生きたこの地域の記憶そのものです。

明治6年(1873年)に西之島学校の中島分校が蓮覚寺の本堂で開かれたと伝えられることは、寺が檀家の法要の場であると同時に、集落の子どもたちの学び舎でもあったことを物語ります。昭和30年(1955年)に掛塚町・十束村・袖浦村が合併して竜洋町が生まれ、平成17年(2005年)の合併で磐田市となった後も、「竜洋中島」の地名には旧町の名が残されました。天保13年(1842年)建造の山門は、いまも集落でお参りの人々を迎え続けており、竜洋地区の歴史を伝える文化財として地域の誇りとなっています。駒場の竜洋海洋公園内には掛塚湊の繁栄を記念する「掛塚湊の碑」が立ち、貴船神社境内には大正13年(1924年)建立の「掛塚港廻船之碑」が残るなど、旧竜洋町域には湊とともに生きた時代の記憶が各所に伝えられており、平重盛伝承と江戸期の山門を持つ蓮覚寺も、その歴史の連なりの中に位置しています。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9334

  2. 行政・公的資料市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト

    蓮覚寺山門=有形文化財【建造物】、指定年月日 平成17年11月21日、年代 江戸時代、所在地 竜洋中島、所有者 連覚寺、解説「平清盛の長子・重盛が建てた連覚寺の表門。天保13年(1842)建造の薬医門で、竜洋地区最古最大の山門である」を本文で確認。

  3. 宗派公式資料蓮覚寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式 寺院ポータルサイト)

    曹洞宗公式ポータルで所在地(磐田市竜洋中島689-1)を確認。

  4. 民間二次情報蓮覚寺 山門(花*畑 歳時記)

    山号 瑞嶽山、本尊 延命地蔵菩薩、安元元年(1175年と推定)平重盛が遠州三連寺の一つとして創建と伝わる、山門の変遷(安政地震倒壊・明治10年移設・明治20年瓦葺替・昭和19年地震・昭和35年頃塀改装)、明治6年西之島学校中島分校開校(竜洋北小前身)の記述を本文で確認。個人サイトのため伝承・沿革は要裏取り。

  5. 寺院公式情報平重盛について - 曹洞宗 三白山 連城寺(磐田市)公式サイト

    三連寺の一つ連城寺の公式サイトで、平重盛が父・清盛の恨みが子に及ぶことを恐れて諸国に寺院を建立したという伝承、連城寺が1179年建立と伝わることを確認(蓮覚寺への直接言及はなし)。

  6. 民間二次情報卍蓮覚寺|静岡県磐田市 - 八百万の神

    宗派=曹洞宗、所在地=磐田市竜洋中島689-1を確認。

  7. 民間二次情報蓮覚寺(静岡県磐田市)の永代供養墓・樹木葬・納骨堂

    永代供養墓・樹木葬・納骨堂・一般墓の取り扱いありとの記載。民間仲介事業者の情報のため裏取り必要。

  8. 民間二次情報蓮覚寺 - 磐田市/静岡県 | Omairi

    本文アクセス不可(403)で詳細未取得。

最終更新日 2026.07.19

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この寺院について

蓮覚寺は磐田市竜洋中島689番地の1、天竜川下流東岸の旧竜洋町域に所在する曹洞宗の寺院です。旧竜洋町には請負新田から浜新田まで25の大字があり、中島はそのうちの一つで、平成17年(2005年)の合併に伴う住所表示の変更で「竜洋町中島」から「磐田市竜洋中島」となりました。静岡県知事所轄の宗教法人名簿には「蓮覚寺」として登載されていますが、磐田市の文化財台帳では所有者名が「連覚寺」と表記されており、「蓮覚寺」「連覚寺」の両表記が公的資料に見られます。民間の寺院紹介資料では山号を瑞嶽山と伝えています。

寺伝では、遠江守であった平重盛(平清盛の長男)が安元元年(1175年)頃に創建したと伝えられ、磐田市二之宮の連福寺、新貝の連城寺とともに「遠州三連寺」の一つに数えられます。磐田市指定文化財の解説にも「平清盛の長子・重盛が建てた連覚寺の表門」と記されており、市の公式資料でも重盛創建の伝承が紹介されています。

境内正面に立つ山門は天保13年(1842年)建造の薬医門で、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定有形文化財(建造物)に指定されました。市の解説に「竜洋地区最古最大の山門」と記される、旧竜洋町域を代表する古建築です。本尊は民間の探訪記録で延命地蔵菩薩と紹介されていますが、寺院や宗派の公式資料では確認できていません。

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歴史と背景

平重盛と遠州三連寺の伝承

寺伝によれば、蓮覚寺は安元元年(1175年)頃、遠江守であった平重盛の創建と伝えられます。磐田市内には重盛ゆかりと伝わる「連」の字を冠する寺が3か寺あり、二之宮の連福寺、新貝の連城寺、そして竜洋中島の蓮覚寺(連覚寺)を合わせて「遠州三連寺」と呼び習わされてきました。同じ三連寺の連城寺の公式サイトは、重盛が父・清盛の専制による人々の恨みが子孫に及ぶことを恐れ、諸国に寺院を建立したという伝承を紹介しており、連城寺は治承3年(1179年)の建立と伝えられます。蓮覚寺の創建伝承もこの三連寺伝承の一角をなすもので、磐田市指定文化財の解説文にも「平清盛の長子・重盛が建てた連覚寺の表門」と明記されています。ただし平安時代末期の創建を裏づける同時代史料は確認されておらず、あくまで寺伝・伝承として受け継がれてきたものです。創建当時の宗旨や、後に曹洞宗へ改まった時期についても、現時点では確認できていません。

天保13年建造の山門

現在の蓮覚寺を象徴するのが、天保13年(1842年)建造の山門です。形式は薬医門で、本柱2本と控柱2本で切妻屋根を支える構えを持ちます。磐田市の文化財解説は「天保13年(1842)建造の薬医門で、竜洋地区最古最大の山門である」と記しており、江戸時代後期の建築が数多く失われてきた天竜川下流域にあって、当時の姿を伝える貴重な建造物です。平成17年(2005年)11月21日、磐田市指定有形文化財(建造物)に指定されました。この指定日は、旧竜洋町など4町村と旧磐田市が合併して現在の磐田市が発足した年にあたり、新市の文化財として旧市町村の文化財が改めて位置づけられた時期のものです。磐田市の市指定文化財一覧では、鎌田の医王寺庭園及び参道(名勝)などと同じ平成17年(2005年)11月21日付けの指定として掲載されており、蓮覚寺山門は竜洋地区を代表する指定建造物となっています。天保13年(1842年)という建造年は、安政東海地震(嘉永7年=1854年)のわずか12年前にあたり、大地震の前に建てられた建築が指定文化財として現存していること自体が、この地域では貴重なことといえます。

地震と山門の変遷

民間の探訪記録によれば、山門は当初、本堂の正面に向かう位置に建立されましたが、安政期の地震で倒れた後に起こし直され、明治10年(1877年)に旧裏門の北へ東向きに移されたと紹介されています。同記録では、明治20年(1887年)に瓦の葺き替えが行われ、昭和19年(1944年)の地震(昭和東南海地震)では西側へ大きく傾いたものの倒壊を免れ、両袖の塀は昭和35年(1960年)頃に板塀から土塀風に改められたとされています。嘉永7年=安政元年(1854年)11月4日の安政東海地震について、歴史地震研究会の会誌『歴史地震』第21号に掲載された寺院被害の研究は、天竜川河口付近東岸の掛塚で全壊被害を受けた寺院が集中していたことを指摘し、河口部の後背湿地にあたるため強い揺れになったと推定しています。同研究が引く先行研究では、磐田市掛塚は震度7の揺れであったと報告されており、竜洋地区の寺院の多くが本堂や堂宇の倒壊を経験しました。蓮覚寺そのものは同研究の寺院被害一覧に採録されていませんが、山門の被災伝承は、地震と向き合い続けたこの地域の歴史と重なります。なお、これらの山門の変遷は個人の記録に基づくもので、市史・寺院資料による裏づけは今後の課題です。

学制発布と中島分校

民間の探訪記録によれば、明治5年(1872年)の学制発布を受けて、明治6年(1873年)に西之島学校の中島分校が蓮覚寺の本堂を利用して開かれたと紹介されています。この分校は、現在の磐田市立竜洋北小学校の前身にあたるとされています。明治初期の遠州では、校舎が整うまでの間、寺院の本堂が学びの場として使われた例が各地にあり、旧竜洋町域でも海老島の心月寺を仮校舎として海老島小学校が開かれるなど、寺が地域の近代教育の出発点となりました。蓮覚寺の中島分校についても同様の歩みを伝えるものですが、学校沿革史や市史による裏づけは現時点では確認できておらず、今後の調査課題です。

近現代の蓮覚寺

蓮覚寺は、静岡県知事所轄の宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人として登載され、曹洞宗の公式寺院ポータル「曹洞禅ナビ」にも磐田市竜洋中島689-1の寺院として掲載されています。所在地の中島は、江戸時代には天竜川下流東岸の村で、明治以降は町村制の変遷を経て、昭和30年(1955年)発足の磐田郡竜洋町の大字となり、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となりました。合併に伴う住所表示の変更では、他地区の「中島」との重複を避けて「竜洋町中島」が「磐田市竜洋中島」と改められています。平成17年(2005年)の山門の市文化財指定以降は、竜洋地区の歴史を伝える文化財の寺として、その名が市の公式資料に記され続けています。なお、旧竜洋町域の曹洞宗寺院には、文明10年(1478年)開創の岡の聖寿寺を本寺として開かれた寺が多く(豊岡の守増寺、平間の願成寺、駒場の慈慶庵など)、海老島の心月寺も小島の正眼院の末寺でしたが、蓮覚寺がどの寺の法系に連なるのかは現時点では確認できていません。平安期創建の伝承を持つ寺として、周辺の戦国期開創の寺々とは異なる来歴が伝えられている点も、当寺の特色といえます。

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文化財・見どころ

磐田市指定有形文化財(建造物)

蓮覚寺山門

天保13年(1842年)建造の薬医門で、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定有形文化財(建造物)となりました。磐田市の解説には「平清盛の長子・重盛が建てた連覚寺の表門。天保13年(1842)建造の薬医門で、竜洋地区最古最大の山門である」と記されています。民間の探訪記録では、安政期の地震での倒壊と再建、明治10年(1877年)の移設、昭和19年(1944年)の地震での傾きなど、たび重なる災害を耐え抜いてきた変遷が紹介されており、天竜川下流域の歴史の証人ともいえる建造物です。

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宗派と本尊を知る

蓮覚寺は曹洞宗に属し、曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」にも登載されています。寺伝の創建は平安時代末期とされるため、後の時代に禅宗・曹洞宗へ改まったと考えられますが、改宗の時期や本末関係は確認できていません。本尊は民間の探訪記録で延命地蔵菩薩と紹介されていますが、寺院公式の情報では未確認のため、確認でき次第この欄を更新します。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

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地域とのつながり

蓮覚寺のある竜洋中島は、天竜川が形づくったデルタ地帯に位置します。『日本歴史地名大系』は旧竜洋町域を「磐田郡の南西端、天竜川河口東側に位置する」と記し、古くは海岸線が現在より3キロメートルほど北にあり、河川敷からは奈良・平安時代の遺跡も見つかっているなど、天竜川と共に土地そのものが育ってきた歴史を伝えています。天竜川河口の掛塚には、江戸から明治にかけて大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地・掛塚湊が栄え、天竜川の舟運で運ばれた上流の木材の積み出しで賑わいました。文明17年(1485年)には禅僧万里集九が紀行詩文集『梅花無尽蔵』に掛塚の湊を書き留めており、その歴史は室町時代にさかのぼります。中島の集落も、こうした天竜川の水運と洪水の両方と向き合いながら歴史を重ねてきた土地であり、蓮覚寺の山門が安政の地震や昭和19年(1944年)の地震をくぐり抜けてきた歩みは、災害と共に生きたこの地域の記憶そのものです。

明治6年(1873年)に西之島学校の中島分校が蓮覚寺の本堂で開かれたと伝えられることは、寺が檀家の法要の場であると同時に、集落の子どもたちの学び舎でもあったことを物語ります。昭和30年(1955年)に掛塚町・十束村・袖浦村が合併して竜洋町が生まれ、平成17年(2005年)の合併で磐田市となった後も、「竜洋中島」の地名には旧町の名が残されました。天保13年(1842年)建造の山門は、いまも集落でお参りの人々を迎え続けており、竜洋地区の歴史を伝える文化財として地域の誇りとなっています。駒場の竜洋海洋公園内には掛塚湊の繁栄を記念する「掛塚湊の碑」が立ち、貴船神社境内には大正13年(1924年)建立の「掛塚港廻船之碑」が残るなど、旧竜洋町域には湊とともに生きた時代の記憶が各所に伝えられており、平重盛伝承と江戸期の山門を持つ蓮覚寺も、その歴史の連なりの中に位置しています。

06

年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

山門は天保13年(1842年)建造の磐田市指定有形文化財です。法要やお墓参りで通る際は、扉や柱に触れて傷めることのないよう静かに通行してください。

住職の常駐状況や法要の受け付けについては公開情報で確認できていないため、法事などの相談は事前に寺院へ直接連絡することをおすすめします。

年中行事の有無や日程は公開情報では確認できていません。彼岸や盆の墓参の際の作法・時間帯なども含め、檀家の方は寺院からの案内に従ってください。

調査中の項目
  • 施餓鬼会・彼岸会など年中行事の時期と檀家の参列可否
  • 永代供養墓・樹木葬・納骨堂の有無(民間の墓地紹介サイトに取り扱いの記載があるが、寺院公式の確認が取れていない)
  • 護持会・世話人会など檀家組織の有無
  • 法事参列者向けの駐車場情報

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

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よくある質問

蓮覚寺の読み方は?「連覚寺」とどちらが正しいのですか?

「れんがくじ」と読みます。静岡県の宗教法人名簿では「蓮覚寺」、磐田市の文化財台帳では「連覚寺」と表記されており、公的資料でも両方の字が使われています。正式表記の確認は今後の課題です。

本文「この寺院について」を読む
いつ誰が建てたお寺ですか?

寺伝では、安元元年(1175年)頃に遠江守であった平重盛(平清盛の長男)が創建したと伝えられます。磐田市の文化財解説にも重盛が建てた寺と記されていますが、平安時代末期の創建を裏づける同時代史料は確認されておらず、寺伝・伝承として受け継がれてきたものです。

本文「歴史と背景」を読む
遠州三連寺とは何ですか?

平重盛ゆかりと伝わる磐田市内の3か寺、二之宮の連福寺・新貝の連城寺・竜洋中島の蓮覚寺の総称です。いずれも寺名に「連」の字を持ち、重盛が父・清盛の専制による恨みが子孫に及ぶことを恐れて諸国に寺院を建立したという伝承を分かち合っています。連城寺は治承3年(1179年)の建立と伝えられます。

本文「歴史と背景」を読む
宗派は何宗ですか?本尊は何ですか?

曹洞宗です。曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」に磐田市竜洋中島の寺院として掲載されています。寺伝の創建は平安時代末期のため、後に曹洞宗へ改まったと考えられますが、その時期は確認できていません。本尊は民間の探訪記録で延命地蔵菩薩と紹介されていますが、公式情報での確認は取れていません。

本文「宗派と本尊」を読む
山門はどんな文化財ですか?

天保13年(1842年)建造の薬医門で、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定有形文化財(建造物)となりました。磐田市の解説では「竜洋地区最古最大の山門」と記されています。薬医門は本柱と控柱で切妻屋根を支える門の形式で、江戸時代の寺院や邸宅の門に広く用いられました。

本文「文化財・見どころ」を読む
山門は地震で倒れたことがあるのですか?

民間の探訪記録では、安政期の地震で倒れた後に起こし直され、明治10年(1877年)に現在の位置へ移されたと紹介されています。昭和19年(1944年)の地震でも大きく傾いたものの持ちこたえたと伝えられます。

本文「文化財・見どころ」を読む
学校として使われたことがあると聞きましたが本当ですか?

民間の探訪記録によれば、明治6年(1873年)に西之島学校の中島分校が本堂を利用して開かれ、現在の磐田市立竜洋北小学校の前身にあたるとされています。市史・学校沿革史による裏づけは今後の課題です。

本文「地域とのつながり」を読む
年中行事やお墓のことを知りたいのですが。

年中行事や墓地・永代供養の公式情報は現時点では確認できていません。民間の墓地紹介サイトには永代供養墓・樹木葬・納骨堂などの取り扱いの記載がありますが、寺院公式の発表ではないため、正確な内容は寺院へ直接確認することをおすすめします。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む

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写真で見る境内

蓮覚寺の現地写真 1
本堂・堂宇 蓮覚寺の現地写真 1
蓮覚寺の現地写真 2
入口・石標 蓮覚寺の現地写真 2
蓮覚寺の現地写真 3
境内全景 蓮覚寺の現地写真 3
蓮覚寺の現地写真 4
石造物・手水 蓮覚寺の現地写真 4
蓮覚寺の現地写真 5
説明板・案内板 蓮覚寺の現地写真 5
蓮覚寺の現地写真 6
その他 蓮覚寺の現地写真 6
蓮覚寺の現地写真 7
本堂・堂宇 蓮覚寺の現地写真 7
蓮覚寺の現地写真 8
入口・石標 蓮覚寺の現地写真 8
蓮覚寺の現地写真 9
境内全景 蓮覚寺の現地写真 9
蓮覚寺の現地写真 10
石造物・手水 蓮覚寺の現地写真 10
蓮覚寺の現地写真 11
説明板・案内板 蓮覚寺の現地写真 11
蓮覚寺の現地写真 12
その他 蓮覚寺の現地写真 12
蓮覚寺の現地写真 13
本堂・堂宇 蓮覚寺の現地写真 13

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出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9334。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト

    蓮覚寺山門=有形文化財【建造物】、指定年月日 平成17年11月21日、年代 江戸時代、所在地 竜洋中島、所有者 連覚寺、解説「平清盛の長子・重盛が建てた連覚寺の表門。天保13年(1842)建造の薬医門で、竜洋地区最古最大の山門である」を本文で確認。

  3. 宗派公式資料 蓮覚寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式 寺院ポータルサイト)

    曹洞宗公式ポータルで所在地(磐田市竜洋中島689-1)を確認。

  4. 民間二次情報 蓮覚寺 山門(花*畑 歳時記)

    山号 瑞嶽山、本尊 延命地蔵菩薩、安元元年(1175年と推定)平重盛が遠州三連寺の一つとして創建と伝わる、山門の変遷(安政地震倒壊・明治10年移設・明治20年瓦葺替・昭和19年地震・昭和35年頃塀改装)、明治6年西之島学校中島分校開校(竜洋北小前身)の記述を本文で確認。個人サイトのため伝承・沿革は要裏取り。

  5. 寺院公式情報 平重盛について - 曹洞宗 三白山 連城寺(磐田市)公式サイト

    三連寺の一つ連城寺の公式サイトで、平重盛が父・清盛の恨みが子に及ぶことを恐れて諸国に寺院を建立したという伝承、連城寺が1179年建立と伝わることを確認(蓮覚寺への直接言及はなし)。

  6. 民間二次情報 卍蓮覚寺|静岡県磐田市 - 八百万の神

    宗派=曹洞宗、所在地=磐田市竜洋中島689-1を確認。

  7. 民間二次情報 蓮覚寺(静岡県磐田市)の永代供養墓・樹木葬・納骨堂

    永代供養墓・樹木葬・納骨堂・一般墓の取り扱いありとの記載。民間の墓地紹介事業者の情報のため裏取り必要。

  8. 民間二次情報 蓮覚寺 - 磐田市/静岡県 | Omairi

    本文アクセス不可(403)で詳細未取得。

  9. 郷土資料 日本歴史地名大系「竜洋町」(コトバンク)

    旧竜洋町域が磐田郡の南西端・天竜川河口東側に位置し、天竜川のデルタ地帯に立地することを確認(地域文脈として使用)。

  10. 行政・公的資料 旧竜洋町の住所表示|磐田市公式ウェブサイト

    平成17年合併に伴い「竜洋町中島」が「磐田市竜洋中島」と改められたこと、旧竜洋町25大字の住所表示を確認。

  11. 行政・公的資料 掛塚湊の碑(竜洋海洋公園内)|磐田市観光協会

    掛塚が大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地・天竜川舟運の荷降ろしの湊として栄えたこと、駒場の海洋公園内に掛塚湊の碑があることを確認(地域文脈として使用)。

  12. 学術資料 行谷佑一・都司嘉宣「寺院の被害記録から見た安政東海地震(1854)の静岡県内の震度分布」『歴史地震』第21号(2006年)

    天竜川河口付近東岸の掛塚で全壊被害を受けた寺院が集中し後背湿地のため強い揺れになったと推定されること、先行研究で磐田市掛塚が震度7と報告されていることを確認。同論文の寺院被害一覧(付表)に蓮覚寺の採録はないことも確認。

  13. 学術資料 小杉達「掛塚港の『みなと文化』」(みなと総合研究財団・港別みなと文化アーカイブス)

    天竜川上流の木材が筏で河口へ運ばれ掛塚湊から廻船で江戸方面へ積み出されたこと、文明17年(1485)の万里集九『梅花無尽蔵』に掛塚湊の早い記録があることを確認(地域文脈として使用)。

For Families

このお寺が菩提寺のご家族へ

菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
  • 位牌の有無
  • お寺からの連絡を受ける人
  • お寺の連絡先
  • 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
  • 実家の名義
  • 実家を今後誰が管理するか
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