豊田地区・現存
妙法寺
みょうほうじ
妙法寺(みょうほうじ)は、磐田市池田にある曹洞宗の寺院です。山号は瑞雲山、本尊は薬師如来。応永19年(1412年)の草創と伝えられ、慶長7年(1602年)に袋井の可睡斎から中興開山を迎えて曹洞宗となりました。天竜川の渡船場として栄えた池田の集落で、江戸時代には妙法寺領3石を認められた歴史を持つ寺です。
別称・関連名称瑞雲山
- 寺院名
- 妙法寺
- 地区
- 豊田
- 住所
- 静岡県磐田市池田743番地
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 妙法寺
- 読み方
- みょうほうじ
- 地区
- 豊田
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 薬師如来
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市池田743番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 地蔵尊・稲荷堂
- 最終確認日
- 2026.07.12
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 妙法寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 薬師如来
- 創建
- 応永19年(1412年)に日蓮宗寺院として草創、慶長7年(1602年)に曹洞宗へ改宗と伝わる
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市池田743番地
- 地区
- 豊田
Database 02
沿革
応永19年の草創と草創期の宗旨
『静岡県磐田郡誌』(1921年)は当寺を「140 妙法寺(池田村)」として立項し、「池田村字宿に在り。瑞雲山と號す。當國周智郡久努西村可睡齋の末寺にして、本尊は藥師如來なり。應永十九年三月、桐林の草創に係る。五世を經て中ころ絶えたりしが、慶長七年三月、可睡齋第十四世惠策を請じて中興開山となし、曹洞宗に改め、可睡齋末に歸屬せり」と記しています。一方、池田地区の歴史をまとめた池田まちづくり協議会の資料は「瑞雲山妙法寺は、応永19年(1412年)に日蓮宗として草創。慶長7年(1602年)に曹洞宗に改宗し現在に至る」と伝えます。草創年は両資料で一致しており、「妙法寺」という寺号も日蓮宗系の寺院に多い名称であることから、草創時の宗旨の名残と考えられますが、郡誌自体は旧宗派を明記していません。
慶長7年の中興と可睡斎の法系
郡誌によれば、当寺は5世までを数えたのち一時法灯が途絶え、慶長7年(1602年)3月、可睡斎14世の惠策を中興開山に迎えて曹洞宗の寺として再出発し、可睡斎の末寺となりました。可睡斎は袋井市久能にある曹洞宗の名刹で、公式サイトによれば応永8年(1401年)に如仲天誾禅師が開山し、徳川家康との故事により「可睡斎」と称されるようになったと伝えられています。関ヶ原の戦い直後という時期に、徳川ゆかりの可睡斎の法系へ連なったことは、池田が徳川氏から渡船の特権を認められた集落であったことと考え合わせると興味深い符合です。同じ池田の誓渡院も可睡斎の末寺であり、池田の曹洞宗寺院群はいずれも可睡斎の法系に属していました。
江戸時代の池田村と妙法寺領3石
『日本歴史地名大系』の池田村の項によれば、池田は中世に「池田庄」と呼ばれた天竜川左岸の要地で、江戸時代には東海道の見付宿と浜松宿の間で天竜川を渡る渡船の村として栄えました。渡船場は3か所が水流の速さによって使い分けられ、村は渡船方と地方に分かれ、延享元年(1744年)には家数216を数えたと記されています。同項の正保郷帳の記載には「行興寺領一六石・妙法寺領三石・大明神領二石」がみえ、妙法寺が江戸時代前期から3石の寺領を認められていたことが確認できます。なお当寺の所在地の字名は「宿」で、磐田市公式サイトが平安時代末期の熊野御前を「池田宿に生まれ育ち」と紹介するように、池田は渡船の村であるとともに、中世には宿としての性格を持った集落でした。渡船とともに生きた池田の村で、当寺は行興寺・誓渡院と並ぶ寺院として位置を占めていました。
札所と境内
池田まちづくり協議会の資料によれば、妙法寺は新四国八十八ヵ所第14番札所、遠江四十九薬師めぐり第7番札所、観世音菩薩三十三所霊場第10番を兼ねています。遠江四十九薬師霊場については民間の霊場資料でも第7番が瑞雲山妙法寺(曹洞宗・池田・本尊薬師如来)とされ、観世音菩薩三十三所霊場第10番は、番号が一致することから磐田郡三十三観音霊場第10番を指すとみられます。境内には地蔵尊や稲荷堂があると同協議会の資料に記されており、本尊の薬師如来とあわせて、村の人びとのさまざまな祈りを受けとめてきた境内の姿がうかがえます。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 薬師如来
- 宗教的意味
- 妙法寺は曹洞宗に属し、袋井の可睡斎の法系に連なる寺院です。本尊は薬師如来で、『磐田郡誌』と池田まちづくり協議会の資料の双方に記され、遠江四十九薬師霊場第7番の札所本尊ともなっています。日蓮宗系と伝わる草創から曹洞宗への改宗を経てなお、病気平癒・現世安穏を願う薬師信仰が本尊として受け継がれてきたところに、渡船の村の寺としての歩みが映し出されています。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
地蔵尊・稲荷堂
池田まちづくり協議会の資料によれば、境内には地蔵尊と稲荷堂があります。本尊の薬師如来、札所本尊としての観音信仰とあわせて、渡船の村・池田の人びとの暮らしに寄り添った多様な信仰の姿を今に伝えています。由来の詳細は現時点では確認できていません。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
妙法寺のある池田は、天竜川左岸の渡船場として栄えた集落です。東海道は見付宿と浜松宿の間で天竜川を渡る必要があり、『日本歴史地名大系』によれば池田には3か所の渡船場が水流に応じて使い分けられ、村自体が渡船方と地方に分かれて渡しを支えていました。池田が徳川家康から天竜川渡船の朱印状を与えられ、渡船場として賑わったことは池田地区の紹介資料にも記されています。妙法寺の字名「宿」も、中世に宿場として栄えた池田の歴史を思わせる地名です。
池田は寺の記憶が幾重にも重なる土地です。磐田市公式サイトによれば、平安時代末期に池田宿に生まれ育ち平宗盛に仕えた熊野御前ゆかりのフジが行興寺に伝わり、「熊野の長フジ」として1本が国の天然記念物、5本が県の天然記念物に指定されています。毎年4月には1メートルを超える花房が咲き、池田の春を彩ります。また同じ池田の誓渡院は、渡船の船玉大明神を本堂に祀る寺と伝えられています。妙法寺を含めたこれらの寺院群が、渡船の村の信仰を分かち合ってきました。正保郷帳にみえる行興寺領16石・妙法寺領3石という寺領の記載は、江戸幕府がこの渡船の村の寺々を保護していたことを物語ります。明治以降、橋の時代となって渡船は姿を消しましたが、池田まちづくり協議会が寺社の由緒を調べて発信するなど、地域ぐるみで歴史を伝える営みが続いており、妙法寺もその中で池田の記憶を受け継ぐ寺となっています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9372
- 郷土資料【3】妙法寺|池田まちづくり協議会
「瑞雲山妙法寺は、応永19年(1412年)に日蓮宗として草創。慶長七年(1602年)に曹洞宗に改宗し現在に至る。本尊は薬師如来」「新四国八十八ヵ所第十四番札所、遠江四十九薬師めぐり第七番札所、観世音菩薩三十三所霊場第十番」を本文で確認。
- 宗派公式資料妙法寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータル)
磐田市池田743の曹洞宗寺院としての登載を本文で確認。
- 民間二次情報池田 (磐田市) - Wikipedia
池田地区の施設として妙法寺・誓渡院が挙げられていること、池田が徳川家康から天竜川渡船の朱印状を与えられ渡船場として賑わったことを確認。
- 民間二次情報ニッポンの霊場 遠江四十九薬師霊場
第7番=瑞雲山妙法寺(曹洞宗・池田・御本尊薬師如来)を確認(既存注記どおり)。
- 民間二次情報ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
第10番=瑞雲山妙法寺(池田743)を確認。既存注記の「観世音菩薩三十三所霊場第10番(池田まちづくり協議会資料)」は、番号が一致するため磐田郡三十三観音霊場第10番を指すとみられる。新四国八十八ヵ所第14番は既存注記(池田まちづくり協議会資料)を踏襲。
最終更新日 2026.07.19
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01
この寺院について
妙法寺は磐田市池田743番地に所在する曹洞宗の寺院です。静岡県知事所轄宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人として掲載され、曹洞宗の公式ポータル「曹洞禅ナビ」にも磐田市池田743の寺院として登載されています。山号は瑞雲山、本尊は薬師如来です。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば、当寺は池田村字宿にあり、応永19年(1412年)3月の草創と伝え、いったん法灯が途絶えたのち、慶長7年(1602年)3月に袋井の可睡斎から14世惠策を請じて中興開山とし、曹洞宗の寺として再興されました。池田地区の郷土資料では、草創時は日蓮宗であったと伝えられています。
寺のある池田は、天竜川左岸の渡船場「池田の渡し」で知られた集落です。妙法寺は、同じ池田の誓渡院や、熊野御前ゆかりの行興寺とともに池田の寺院群を構成し、遠江四十九薬師霊場第7番など複数の札所を兼ねながら、渡船の村の暮らしとともに歩んできました。江戸時代の正保郷帳には妙法寺領3石がみえ、幕府から寺領を認められた寺であったことも確認できます。
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歴史と背景
応永19年の草創と草創期の宗旨
『静岡県磐田郡誌』(1921年)は当寺を「140 妙法寺(池田村)」として立項し、「池田村字宿に在り。瑞雲山と號す。當國周智郡久努西村可睡齋の末寺にして、本尊は藥師如來なり。應永十九年三月、桐林の草創に係る。五世を經て中ころ絶えたりしが、慶長七年三月、可睡齋第十四世惠策を請じて中興開山となし、曹洞宗に改め、可睡齋末に歸屬せり」と記しています。一方、池田地区の歴史をまとめた池田まちづくり協議会の資料は「瑞雲山妙法寺は、応永19年(1412年)に日蓮宗として草創。慶長7年(1602年)に曹洞宗に改宗し現在に至る」と伝えます。草創年は両資料で一致しており、「妙法寺」という寺号も日蓮宗系の寺院に多い名称であることから、草創時の宗旨の名残と考えられますが、郡誌自体は旧宗派を明記していません。
慶長7年の中興と可睡斎の法系
郡誌によれば、当寺は5世までを数えたのち一時法灯が途絶え、慶長7年(1602年)3月、可睡斎14世の惠策を中興開山に迎えて曹洞宗の寺として再出発し、可睡斎の末寺となりました。可睡斎は袋井市久能にある曹洞宗の名刹で、公式サイトによれば応永8年(1401年)に如仲天誾禅師が開山し、徳川家康との故事により「可睡斎」と称されるようになったと伝えられています。関ヶ原の戦い直後という時期に、徳川ゆかりの可睡斎の法系へ連なったことは、池田が徳川氏から渡船の特権を認められた集落であったことと考え合わせると興味深い符合です。同じ池田の誓渡院も可睡斎の末寺であり、池田の曹洞宗寺院群はいずれも可睡斎の法系に属していました。
江戸時代の池田村と妙法寺領3石
『日本歴史地名大系』の池田村の項によれば、池田は中世に「池田庄」と呼ばれた天竜川左岸の要地で、江戸時代には東海道の見付宿と浜松宿の間で天竜川を渡る渡船の村として栄えました。渡船場は3か所が水流の速さによって使い分けられ、村は渡船方と地方に分かれ、延享元年(1744年)には家数216を数えたと記されています。同項の正保郷帳の記載には「行興寺領一六石・妙法寺領三石・大明神領二石」がみえ、妙法寺が江戸時代前期から3石の寺領を認められていたことが確認できます。なお当寺の所在地の字名は「宿」で、磐田市公式サイトが平安時代末期の熊野御前を「池田宿に生まれ育ち」と紹介するように、池田は渡船の村であるとともに、中世には宿としての性格を持った集落でした。渡船とともに生きた池田の村で、当寺は行興寺・誓渡院と並ぶ寺院として位置を占めていました。
札所と境内
池田まちづくり協議会の資料によれば、妙法寺は新四国八十八ヵ所第14番札所、遠江四十九薬師めぐり第7番札所、観世音菩薩三十三所霊場第10番を兼ねています。遠江四十九薬師霊場については民間の霊場資料でも第7番が瑞雲山妙法寺(曹洞宗・池田・本尊薬師如来)とされ、観世音菩薩三十三所霊場第10番は、番号が一致することから磐田郡三十三観音霊場第10番を指すとみられます。境内には地蔵尊や稲荷堂があると同協議会の資料に記されており、本尊の薬師如来とあわせて、村の人びとのさまざまな祈りを受けとめてきた境内の姿がうかがえます。
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文化財・見どころ
地蔵尊・稲荷堂
池田まちづくり協議会の資料によれば、境内には地蔵尊と稲荷堂があります。本尊の薬師如来、札所本尊としての観音信仰とあわせて、渡船の村・池田の人びとの暮らしに寄り添った多様な信仰の姿を今に伝えています。由来の詳細は現時点では確認できていません。
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宗派と本尊を知る
妙法寺は曹洞宗に属し、袋井の可睡斎の法系に連なる寺院です。本尊は薬師如来で、『磐田郡誌』と池田まちづくり協議会の資料の双方に記され、遠江四十九薬師霊場第7番の札所本尊ともなっています。日蓮宗系と伝わる草創から曹洞宗への改宗を経てなお、病気平癒・現世安穏を願う薬師信仰が本尊として受け継がれてきたところに、渡船の村の寺としての歩みが映し出されています。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
薬師如来という仏さま
薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来といい、東方の浄瑠璃世界と呼ばれる浄土の教主とされる仏さまです。菩薩として修行していた時代に12の大願を立て、その中で人びとの病を取り除き、心身を安らかにすることを誓ったと経典に説かれています。誓いには、飢えや渇きに苦しむ人を救い、衣類の乏しい人に衣を施すことも含まれ、心と身体の両面から人びとを支える仏さまです。左手に薬壺を持つ姿が広く知られ、古くから「お薬師さま」の呼び名で親しまれてきました。
来世の救いを担う阿弥陀如来に対して、薬師如来は現世で救いの手を差し伸べる仏とされ、奈良時代(8世紀)から病気平癒や健康長寿を願う現世利益の信仰を集めてきました。脇には日光菩薩と月光菩薩が控え、昼も夜も絶え間なく人びとを見守ってくださると伝えられます。
薬師如来を本尊とする寺院では、家族の病気平癒や無病息災、厄除けの祈願が折々に営まれ、暮らしに寄り添う仏として大切にされてきました。お参りの際には、日々を健やかに送れることへの感謝を込めて手を合わせたいものです。
参考: お薬師様の十二大願(奈良薬師寺 公式サイト)/ご本尊・薬師如来(薬師寺東京別院 公式サイト)/薬師如来(新薬師寺 公式ホームページ)
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地域とのつながり
妙法寺のある池田は、天竜川左岸の渡船場として栄えた集落です。東海道は見付宿と浜松宿の間で天竜川を渡る必要があり、『日本歴史地名大系』によれば池田には3か所の渡船場が水流に応じて使い分けられ、村自体が渡船方と地方に分かれて渡しを支えていました。池田が徳川家康から天竜川渡船の朱印状を与えられ、渡船場として賑わったことは池田地区の紹介資料にも記されています。妙法寺の字名「宿」も、中世に宿場として栄えた池田の歴史を思わせる地名です。
池田は寺の記憶が幾重にも重なる土地です。磐田市公式サイトによれば、平安時代末期に池田宿に生まれ育ち平宗盛に仕えた熊野御前ゆかりのフジが行興寺に伝わり、「熊野の長フジ」として1本が国の天然記念物、5本が県の天然記念物に指定されています。毎年4月には1メートルを超える花房が咲き、池田の春を彩ります。また同じ池田の誓渡院は、渡船の船玉大明神を本堂に祀る寺と伝えられています。妙法寺を含めたこれらの寺院群が、渡船の村の信仰を分かち合ってきました。正保郷帳にみえる行興寺領16石・妙法寺領3石という寺領の記載は、江戸幕府がこの渡船の村の寺々を保護していたことを物語ります。明治以降、橋の時代となって渡船は姿を消しましたが、池田まちづくり協議会が寺社の由緒を調べて発信するなど、地域ぐるみで歴史を伝える営みが続いており、妙法寺もその中で池田の記憶を受け継ぐ寺となっています。
06
年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
寺院の公開情報が限られているため、法要・供養・お墓参りに関する相談は、曹洞禅ナビ掲載の連絡先を通じて寺院へ直接確認してください。
- 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要など)の有無・日程は未確認
- 墓地・永代供養・護持会等の取扱いは未確認
- 境内の地蔵尊・稲荷堂の由来は未確認
- 現在の伽藍の様子(本堂・山門等の建立年代)は未確認で、現地確認が必要
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 妙法寺の読み方は?
-
「みょうほうじ」と読みます。山号は瑞雲山(ずいうんざん)です。所在地は磐田市池田743番地で、字名は「宿」と伝えられています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗の寺院で、袋井の可睡斎の法系に連なります。本尊は薬師如来で、大正10年(1921年)刊の『磐田郡誌』と池田まちづくり協議会の資料の双方に記されています。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ開かれたお寺ですか?
-
応永19年(1412年)3月の草創と伝えられます。いったん法灯が途絶えたのち、慶長7年(1602年)3月に可睡斎14世惠策を中興開山に迎えて曹洞宗として再興されました。
本文「歴史と背景」を読む - もとは日蓮宗だったのですか?
-
池田まちづくり協議会の資料は日蓮宗として草創されたと伝えています。『磐田郡誌』は旧宗派を明記していませんが、「妙法寺」という寺号は日蓮宗系寺院に多い名称です。
本文「歴史と背景」を読む - どんな札所になっていますか?
-
新四国八十八ヵ所第14番、遠江四十九薬師めぐり第7番、観世音菩薩三十三所霊場第10番(磐田郡三十三観音霊場第10番とみられます)を兼ねると伝えられています。
本文「歴史と背景」を読む - 池田の渡しとお寺は関係がありますか?
-
池田は徳川家康から渡船の朱印状を与えられた渡船場の村で、正保郷帳には妙法寺領3石がみえます。渡船の村の寺として、行興寺・誓渡院とともに歩んできました。
本文「地域とのつながり」を読む - 本寺の可睡斎とはどんなお寺ですか?
-
袋井市久能にある曹洞宗の名刹で、応永8年(1401年)に如仲天誾禅師が開山し、徳川家康との故事により「可睡斎」と称されると伝えられています。妙法寺は慶長7年(1602年)以来その法系に連なります。
本文「歴史と背景」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9372。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「140 妙法寺(池田村)」p.702
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ460)。池田村字宿・瑞雲山・可睡斎末・本尊薬師如来・応永19年3月桐林草創・5世ののち中絶・慶長7年3月可睡斎14世惠策中興開山・曹洞宗改宗の由緒全文を原本画像で確認
- 郷土資料 【3】妙法寺|池田まちづくり協議会
「瑞雲山妙法寺は、応永19年(1412年)に日蓮宗として草創。慶長七年(1602年)に曹洞宗に改宗し現在に至る。本尊は薬師如来」「新四国八十八ヵ所第十四番札所、遠江四十九薬師めぐり第七番札所、観世音菩薩三十三所霊場第十番」、境内の地蔵尊・稲荷堂を本文で確認
- 郷土資料 コトバンク「池田村」(日本歴史地名大系)
中世の池田庄、渡船場3か所を水流で使い分けたこと、渡船方と地方の村組織、延享元年の家数216、正保郷帳の「行興寺領一六石・妙法寺領三石・大明神領二石」を本文で確認
- 宗派公式資料 可睡斎 公式サイト「可睡斎について」
可睡斎(袋井市久能2915-1)が応永8年(1401年)如仲天誾禅師の開山であること、本尊聖観世音菩薩、徳川家康との故事により「可睡斎」と称されることを本文で確認
- 宗派公式資料 妙法寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータル)
磐田市池田743の曹洞宗寺院としての登載を本文で確認(既存出典の引き継ぎ)
- 民間二次情報 池田 (磐田市) - Wikipedia
池田地区の施設として妙法寺・誓渡院が挙げられていること、池田が徳川家康から天竜川渡船の朱印状を与えられ渡船場として賑わったことを確認(発見用の補助情報。既存出典の引き継ぎ)
- 民間二次情報 ニッポンの霊場 遠江四十九薬師霊場
第7番=瑞雲山妙法寺(曹洞宗・池田・御本尊薬師如来)を確認(既存出典の引き継ぎ)
- 行政・公的資料 熊野の長フジ|磐田市公式ウェブサイト
池田の行興寺の長フジ1本が国指定・5本が県指定の天然記念物であること、平安時代末期に池田宿に生まれ育ち平宗盛に仕えた熊野御前ゆかりのフジであること、毎年4月中旬から下旬に開花し花房が1メートル以上になることを本文で確認
- 民間二次情報 ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
第10番=瑞雲山妙法寺(池田743)を確認。協議会資料の「観世音菩薩三十三所霊場第十番」は番号が一致するため磐田郡三十三観音霊場第10番を指すとみられる(既存出典の引き継ぎ)
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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