豊田地区・現存
誓渡院
せいどいん
誓渡院(せいどいん)は、磐田市池田にある曹洞宗の寺院で、山号は済縁山、本尊は地蔵菩薩です。永正元年(1504年)の創立で当初は誓渡庵と号し、正徳2年(1712年)に可睡斎18世を中興開山に迎えて誓渡院と改称しました。本堂には天竜川の池田渡船を守った船玉大明神が祀られていると伝わります。
別称・関連名称済縁山/誓渡庵
- 寺院名
- 誓渡院
- 地区
- 豊田
- 住所
- 静岡県磐田市池田356番地
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 誓渡院
- 読み方
- せいどいん
- 地区
- 豊田
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 地蔵菩薩
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市池田356番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 池田渡船の船玉大明神/護法の帝釈天
- 最終確認日
- 2026.07.12
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 誓渡院
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 地蔵菩薩
- 創建
- 永正元年(1504年)8月20日創立(当時は誓渡庵と号した。正徳2年(1712年)に誓渡院と改称)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市池田356番地
- 地区
- 豊田
Database 02
沿革
永正元年の開創と池田の集落
池田地区の歴史をまとめた池田まちづくり協議会の資料には、済縁山誓渡院は永正元年(1504年)の開創で、当時は誓渡庵と号したと記されています。戦国時代の初頭、天竜川の渡し場として人と物の行き交う池田の集落に、小さな庵として開かれたのが始まりです。池田は平安時代には京都・松尾大社領の荘園で、宿場「池田宿」として栄えた土地であり、中世を通じて東西交通の要地でした。誓渡庵は、そうした往来の絶えない集落の中で、旅人と村人の無事を祈る庵として歩み始めたと考えられます。
正徳2年の中興と誓渡院への改称
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、当寺を「誓渡院(池田村)」として立項し、「池田村字北浦に在り。濟緣山と號す。周智郡久努西村可睡齋の末寺にして、本尊は地藏菩薩なり。永正元年甲子八月二十日の創立にして、當時は誓渡庵と號せり。後正德二年壬辰八月十六日、可睡齋第十八世東州眞海を請じて中興開山となし、誓渡院と改稱す。それより綸旨拜戴、色衣着用を許さる」と記しています。遠州曹洞宗の中心寺院である可睡斎から中興開山を迎えて庵から院へと寺格を高め、綸旨拝戴・色衣着用という格式を認められたことは、江戸中期の当寺が池田の集落で確かな地歩を築いていたことを示します。
『遠江国風土記伝』にみえる江戸期の姿
江戸中期の地誌『遠江国風土記伝』(内山真龍著)の池田村の項には、誓渡院は「(寺中除地)曹洞宗可睡齋末、眞巖派」で末寺1宇を有すとみえ、その末寺として「觀藏寺、曹洞宗誓渡院末」が挙げられています。境内地が除地(年貢免除地)として扱われ、末寺を持つ寺格であったことがわかります。また正保郷帳に基づく『日本歴史地名大系』の池田村の項には、朱印寺領として行興寺領16石・妙法寺領3石がみえます。同じ池田村には可睡斎末の曹洞宗寺院として瑞雲山妙法寺(応永19年=1412年草創、慶長7年=1602年に可睡斎14世恵策により中興)があり、誓渡院とともに池田渡の集落の曹洞宗寺院群を構成していました。大正2年(1913年)刊『曹洞宗寺院名鑒』の磐田郡の部にも誓渡院の名がみえます。
船玉大明神と池田渡船の記憶
池田の渡しは、磐田市の池田の渡し歴史風景館が「1000年も前から続いていたと記録される」と紹介する天竜川の渡船で、徳川家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカが同館に展示されています。池田まちづくり協議会の資料によれば、誓渡院の本堂には池田渡船の船玉大明神が祀られており、渡船という危険と隣り合わせの生業を守る神が、集落の菩提寺に奉安されてきました。渡船は明治期の架橋によって役目を終えましたが、船玉大明神の祭祀は、川とともに生きた池田の人びとの記憶を今に伝えています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 地蔵菩薩
- 宗教的意味
- 誓渡院は袋井の可睡斎の末寺で、正徳2年(1712年)に可睡斎18世東州真海を中興開山に迎えて以来、遠州曹洞宗の法系に連なってきました。本尊の地蔵菩薩は旅人と子どもの守り仏として広く信仰される仏さまで、天竜川の渡しを控えた池田の集落で、川を渡る人びとと村の子どもたちを見守る本尊として祀られてきたことは、この土地の暮らしとよく響き合っています。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
池田渡船の船玉大明神
池田まちづくり協議会の資料によれば、本堂には池田渡船の船玉大明神が祀られています。船玉(船霊)は舟の守り神で、天竜川の渡船場として栄えた池田ならではの信仰です。渡船で生計を立てた集落の人びとが、舟の無事と水難除けを寺に祈ってきた歴史を物語ります。
護法の帝釈天
同じく池田まちづくり協議会の資料に、本堂には護法の帝釈天が奉られていると記されています。帝釈天は仏法を守護する天部の神で、本尊の地蔵菩薩とともに堂内に祀られています。資料の表記に不明瞭な箇所があるため、正確な尊名・由来は確認を続けています。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
誓渡院のある池田は、磐田市の文化財保存活用地域計画が「家康をたすけたまち 願いをかなえる観音さまから渡船場へ」と特徴づける富岡・池田・井通地区の中心集落のひとつです。同計画によれば、この地域は大半が天竜川によって作られた平野に位置し、平安時代には京都・松尾大社領の荘園で池田宿として栄え、戦国時代には徳川・武田の抗争の舞台となって家康の敗走伝説が多く残り、池田地区は家康への援助の返礼として江戸時代に渡船場として栄えました。誓渡院はこの渡船集落の只中で、船玉大明神の祭祀を通じて川の暮らしと結びついてきた寺です。
池田では、江戸時代から続くと伝わる天竜川での川供養の行事「池田やかた祭り」(磐田市指定無形民俗文化財)が毎年8月第1日曜に行われ、春には行興寺の熊野の長藤まつりが池田まちづくり協議会の関与のもとで営まれています。誓渡院はこうした川と藤の記憶を持つ集落の一員として、行興寺・妙法寺とともに池田の寺院群を形づくり、檀家の法要と先祖供養を担い続けています。渡船が姿を消した今も、寺に祀られた船玉大明神と地蔵菩薩は、川とともに生きた池田の人びとの祈りのかたちを静かに伝えています。永正元年(1504年)の開創から数えて500年余り、庵から院へと歩みを重ねた誓渡院の歴史は、渡し場の集落・池田がたどった歴史そのものと重なっています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9374
- 郷土資料【2】誓渡院|池田まちづくり協議会
「済縁山誓渡院は永正元年(1504年)の開創で、当時は誓渡庵と号した。曹洞宗である本尊は地蔵菩薩。本堂には護法拈茎帝釈天、池田渡船船玉大明神を奉っている。新四国八十八ヵ所第五番札所である」を本文で確認。
- 民間二次情報池田 (磐田市) - Wikipedia
池田地区の施設として誓渡院が挙げられていることを確認。
- 民間二次情報誓渡院|磐田市池田|曹洞宗(お寺一覧ナビ)
磐田市池田356・曹洞宗であることを本文で確認。
- 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「141 誓渡院(池田村)」p.702
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ460)。原本画像で由緒全文を確認
- 郷土資料『遠江国風土記伝』内山真龍著(郁文舎、1900年)池田村の項
可睡斎末・真巌派・寺中除地・末寺観蔵寺の記載
- 郷土資料コトバンク「池田村」(日本歴史地名大系)
正保郷帳の行興寺領16石・妙法寺領3石
- 宗派公式資料曹洞禅ナビ 寺院検索「誓渡院」
住所(磐田市池田356)・フリガナ(セイドイン)を照合し当該寺院と確認。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄
最終更新日 2026.07.19
Uploaded Photos
保存済み写真
01
この寺院について
誓渡院は磐田市池田356番地、天竜川東岸の池田の集落に所在する曹洞宗の寺院です。山号は済縁山、本尊は地蔵菩薩で、袋井の可睡斎(周智郡久努西村)の末寺という寺格を持ちます。『静岡県磐田郡誌』によれば永正元年(1504年)8月20日の創立で、当時は誓渡庵と号し、正徳2年(1712年)8月16日に可睡斎18世東州真海を請じて中興開山として誓渡院と改称、以後綸旨を拝戴し色衣の着用を許されたと記されています。
池田は古くから天竜川の渡船場として栄えた集落で、池田まちづくり協議会の資料によれば、誓渡院の本堂には護法の帝釈天とともに池田渡船の船玉大明神が祀られています。船玉大明神は舟の守り神であり、渡船で生きた池田の人びとの信仰が寺に託されてきたことを物語ります。同資料によれば、当寺は新四国八十八ヵ所第5番札所でもあります。
熊野御前ゆかりの行興寺(時宗)、可睡斎末の妙法寺とともに、池田の渡しの集落に軒を連ねる寺院群のひとつとして、500年以上にわたり池田の檀家の菩提を守り続けています。
02
歴史と背景
永正元年の開創と池田の集落
池田地区の歴史をまとめた池田まちづくり協議会の資料には、済縁山誓渡院は永正元年(1504年)の開創で、当時は誓渡庵と号したと記されています。戦国時代の初頭、天竜川の渡し場として人と物の行き交う池田の集落に、小さな庵として開かれたのが始まりです。池田は平安時代には京都・松尾大社領の荘園で、宿場「池田宿」として栄えた土地であり、中世を通じて東西交通の要地でした。誓渡庵は、そうした往来の絶えない集落の中で、旅人と村人の無事を祈る庵として歩み始めたと考えられます。
正徳2年の中興と誓渡院への改称
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、当寺を「誓渡院(池田村)」として立項し、「池田村字北浦に在り。濟緣山と號す。周智郡久努西村可睡齋の末寺にして、本尊は地藏菩薩なり。永正元年甲子八月二十日の創立にして、當時は誓渡庵と號せり。後正德二年壬辰八月十六日、可睡齋第十八世東州眞海を請じて中興開山となし、誓渡院と改稱す。それより綸旨拜戴、色衣着用を許さる」と記しています。遠州曹洞宗の中心寺院である可睡斎から中興開山を迎えて庵から院へと寺格を高め、綸旨拝戴・色衣着用という格式を認められたことは、江戸中期の当寺が池田の集落で確かな地歩を築いていたことを示します。
『遠江国風土記伝』にみえる江戸期の姿
江戸中期の地誌『遠江国風土記伝』(内山真龍著)の池田村の項には、誓渡院は「(寺中除地)曹洞宗可睡齋末、眞巖派」で末寺1宇を有すとみえ、その末寺として「觀藏寺、曹洞宗誓渡院末」が挙げられています。境内地が除地(年貢免除地)として扱われ、末寺を持つ寺格であったことがわかります。また正保郷帳に基づく『日本歴史地名大系』の池田村の項には、朱印寺領として行興寺領16石・妙法寺領3石がみえます。同じ池田村には可睡斎末の曹洞宗寺院として瑞雲山妙法寺(応永19年=1412年草創、慶長7年=1602年に可睡斎14世恵策により中興)があり、誓渡院とともに池田渡の集落の曹洞宗寺院群を構成していました。大正2年(1913年)刊『曹洞宗寺院名鑒』の磐田郡の部にも誓渡院の名がみえます。
船玉大明神と池田渡船の記憶
池田の渡しは、磐田市の池田の渡し歴史風景館が「1000年も前から続いていたと記録される」と紹介する天竜川の渡船で、徳川家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカが同館に展示されています。池田まちづくり協議会の資料によれば、誓渡院の本堂には池田渡船の船玉大明神が祀られており、渡船という危険と隣り合わせの生業を守る神が、集落の菩提寺に奉安されてきました。渡船は明治期の架橋によって役目を終えましたが、船玉大明神の祭祀は、川とともに生きた池田の人びとの記憶を今に伝えています。
03
文化財・見どころ
池田渡船の船玉大明神
池田まちづくり協議会の資料によれば、本堂には池田渡船の船玉大明神が祀られています。船玉(船霊)は舟の守り神で、天竜川の渡船場として栄えた池田ならではの信仰です。渡船で生計を立てた集落の人びとが、舟の無事と水難除けを寺に祈ってきた歴史を物語ります。
護法の帝釈天
同じく池田まちづくり協議会の資料に、本堂には護法の帝釈天が奉られていると記されています。帝釈天は仏法を守護する天部の神で、本尊の地蔵菩薩とともに堂内に祀られています。資料の表記に不明瞭な箇所があるため、正確な尊名・由来は確認を続けています。
04
宗派と本尊を知る
誓渡院は袋井の可睡斎の末寺で、正徳2年(1712年)に可睡斎18世東州真海を中興開山に迎えて以来、遠州曹洞宗の法系に連なってきました。本尊の地蔵菩薩は旅人と子どもの守り仏として広く信仰される仏さまで、天竜川の渡しを控えた池田の集落で、川を渡る人びとと村の子どもたちを見守る本尊として祀られてきたことは、この土地の暮らしとよく響き合っています。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
地蔵菩薩という仏さま
地蔵菩薩は、お釈迦さまが入滅してから弥勒菩薩がこの世に現れるまでの間、仏のいない世にあって人びとを救い続けると信じられてきた菩薩です。経典ではその間は56億7000万年に及ぶとも説かれ、地獄をはじめとする六道のすべてをめぐって、苦しむ者に寄り添うと伝えられます。
菩薩でありながら僧侶のような親しみやすい姿で表されるのが特徴で、特に子どもを守る仏として信仰が厚く、京都では江戸時代の初めから、町内ごとにお地蔵さまを囲んで子どもの成長を願う地蔵盆が営まれてきました。この地蔵盆は今も子どもが主役の夏の行事として受け継がれ、2014(平成26)年には「京都をつなぐ無形文化遺産」にも選定されています。
道端や寺の境内にたたずむ石のお地蔵さまに、花や前掛けが供えられている光景は、日本で最も身近な信仰のかたちのひとつでしょう。子育てや子どもの健康、亡き子の供養など、家族の切実な願いを受け止めてくださる仏さまです。
参考: 京都に伝わる地蔵信仰(浄土宗総本山知恩院 公式サイト)/弥勒菩薩の56億7千万年後の救済の出典(レファレンス協同データベース・国立国会図書館)
05
地域とのつながり
誓渡院のある池田は、磐田市の文化財保存活用地域計画が「家康をたすけたまち 願いをかなえる観音さまから渡船場へ」と特徴づける富岡・池田・井通地区の中心集落のひとつです。同計画によれば、この地域は大半が天竜川によって作られた平野に位置し、平安時代には京都・松尾大社領の荘園で池田宿として栄え、戦国時代には徳川・武田の抗争の舞台となって家康の敗走伝説が多く残り、池田地区は家康への援助の返礼として江戸時代に渡船場として栄えました。誓渡院はこの渡船集落の只中で、船玉大明神の祭祀を通じて川の暮らしと結びついてきた寺です。
池田では、江戸時代から続くと伝わる天竜川での川供養の行事「池田やかた祭り」(磐田市指定無形民俗文化財)が毎年8月第1日曜に行われ、春には行興寺の熊野の長藤まつりが池田まちづくり協議会の関与のもとで営まれています。誓渡院はこうした川と藤の記憶を持つ集落の一員として、行興寺・妙法寺とともに池田の寺院群を形づくり、檀家の法要と先祖供養を担い続けています。渡船が姿を消した今も、寺に祀られた船玉大明神と地蔵菩薩は、川とともに生きた池田の人びとの祈りのかたちを静かに伝えています。永正元年(1504年)の開創から数えて500年余り、庵から院へと歩みを重ねた誓渡院の歴史は、渡し場の集落・池田がたどった歴史そのものと重なっています。
06
年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
行事・法要の日程についての公開情報は確認できていません。参列や法要の相談は寺院へ直接確認してください。
境内は池田の集落内にあります。お盆の時期は池田やかた祭り(8月第1日曜)と重なることがあるため、車で訪れる際は周辺の交通に注意してください。
春の藤の開花期(4月中旬から5月上旬)は隣接する行興寺周辺に多くの来訪者があり、交通事情が平常時と異なります。この時期の墓参は時間に余裕を持ってお参りください。
- 施餓鬼会・彼岸会など年中行事の実施時期
- 墓地・永代供養等の受け入れの有無
- 護持会・世話人会等の檀家組織の有無
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 誓渡院の読み方と山号は?
-
「せいどいん」と読みます。山号は済縁山で、永正元年(1504年)の創立から正徳2年(1712年)の中興までは誓渡庵と号していました。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗で、袋井の可睡斎の末寺という寺格を持ちます。本尊は地蔵菩薩です。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ開かれたお寺ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』によれば永正元年(1504年)8月20日の創立で、当時は誓渡庵と号しました。正徳2年(1712年)に可睡斎18世東州真海を中興開山に迎えて誓渡院と改称しています。
本文「歴史と背景」を読む - 船玉大明神とは何ですか?
-
舟の守り神で、池田まちづくり協議会の資料によれば本堂に池田渡船の船玉大明神が祀られています。天竜川の渡船場として栄えた池田の生業を守った神さまです。
本文「文化財・見どころ」を読む - 札所になっていますか?
-
池田まちづくり協議会の資料によれば、新四国八十八ヵ所第5番札所です。霊場の現在の活動状況は確認できていません。
本文「この寺院について」を読む - 池田には他にどんなお寺がありますか?
-
熊野御前ゆかりの行興寺(時宗)と、可睡斎末の妙法寺(曹洞宗)があります。誓渡院を含めた寺院群が、天竜川の渡船場として栄えた池田の集落の信仰を支えてきました。
本文「地域とのつながり」を読む - 「綸旨拝戴・色衣着用」とはどういう意味ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』に、正徳2年(1712年)の中興以後「綸旨拝戴、色衣着用を許さる」と記されています。朝廷の文書(綸旨)を受け、住職が色付きの法衣を着ることを許されたという意味で、江戸中期の当寺が一定の寺格を認められていたことを示します。
本文「歴史と背景」を読む - 法要やお墓参りの相談はできますか?
-
行事・法要の日程や墓地についての公開情報は現時点では確認できていません。法要やお墓のご相談は寺院へ直接お問い合わせください。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9374。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 郷土資料 【2】誓渡院|池田まちづくり協議会
「済縁山誓渡院は永正元年(1504年)の開創で、当時は誓渡庵と号した。曹洞宗である本尊は地蔵菩薩。本堂には護法拈茎帝釈天、池田渡船船玉大明神を奉っている。新四国八十八ヵ所第五番札所である」を本文で確認
- 民間二次情報 池田 (磐田市) - Wikipedia
池田地区の施設として誓渡院が挙げられていることを確認(発見用)
- 民間二次情報 誓渡院|磐田市池田|曹洞宗(お寺一覧ナビ)
磐田市池田356・曹洞宗であることを本文で確認
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「141 誓渡院(池田村)」p.702
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ460)。原本画像で由緒全文(済縁山・可睡斎末・本尊地蔵菩薩・永正元年創立・誓渡庵・正徳2年中興・東州真海・綸旨拝戴・色衣着用)を確認
- 郷土資料 『遠江国風土記伝』内山真龍著(郁文舎、1900年)池田村の項
可睡斎末・真巌派・寺中除地・末寺観蔵寺の記載を確認
- 郷土資料 コトバンク「池田村」(日本歴史地名大系)
正保郷帳の行興寺領16石・妙法寺領3石の記載を確認
- 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 寺院検索「誓渡院」
住所(磐田市池田356)・フリガナ(セイドイン)を照合し当該寺院と確認。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄
- 行政・公的資料 磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)
p.44「C富岡・池田・井通地区」の地域特徴(松尾大社領荘園・池田宿・家康援助の返礼としての渡船場・池田やかた祭り)を確認
- 行政・公的資料 無形民俗文化財|磐田市公式ウェブサイト
市指定無形民俗文化財「池田やかた祭り」が毎年8月第1日曜に行われる江戸時代から継続する天竜川での川供養行事であることを確認
- 行政・公的資料 池田の渡し歴史風景館|磐田市観光協会
池田の渡しが「1000年も前から続いていたと記録される」渡船であること、徳川家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカが展示されていることを確認
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
Same Area
同じ地区の寺院
Same Sect