豊田地区・現存
行興寺
ぎょうこうじ
行興寺(ぎょうこうじ)は、磐田市池田にある時宗の寺院です。平安時代末期に池田で生まれ、平宗盛の寵愛を受けた熊野御前(ゆやごぜん)ゆかりの寺として知られ、熊野御前が手植えしたと伝わる国指定天然記念物「熊野の長フジ」と、熊野御前とその母の墓所を境内に守り伝えています。
別称・関連名称熊野の長藤の寺
- 寺院名
- 行興寺
- 地区
- 豊田
- 住所
- 静岡県磐田市池田330番地
- 宗派
- 時宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 行興寺
- 読み方
- ぎょうこうじ
- 地区
- 豊田
- 宗派
- 時宗
- ご本尊(資料上)
- 十一面観世音菩薩
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市池田330番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 国指定天然記念物「熊野の長フジ」(境内、1932年指定)および静岡県指定天然記念物「熊野の長藤」5株(1972年指定)
- 最終確認日
- 2026.07.12
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 行興寺
- 宗派
- 時宗
- 本尊
- 十一面観世音菩薩
- 創建
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市池田330番地
- 地区
- 豊田
Database 02
沿革
池田荘と熊野御前
行興寺のある池田は、平安時代には京都・松尾大社領の荘園(池田荘)で、宿場「池田宿」として栄えた土地です。熊野御前は平安時代末期、この池田で池田荘の庄司・藤原重徳の娘として生まれたと伝えられます。治承4年(1180年)ごろ京へ上り、平清盛の三男・平宗盛に仕えてその寵愛を受けましたが、故郷の母の重病の報せを受け、花見の宴で雨に散る桜に母の病状を重ねた歌を詠んだところ、宗盛が心を動かされて帰郷を許したと伝えられています。この物語は能楽の『熊野』として今日まで演じ継がれ、「熊野・松風は米の飯」と並び称される名曲の題材となりました。磐田市文化協会の解説によれば、熊野御前は能楽の登場人物であると同時に実在した人物とされ、宗盛の死を知った後は尼となり、33歳でその生涯を閉じたと伝わります。
正応3年の開山と時宗の寺へ
池田まちづくり協議会の資料によれば、行興寺は熊野御前が母の死後に一宇を建立し、念仏三昧に暮らした場所であり、熊野御前の死後、正応3年(1290年)に時宗遊行派の寺として開山したと伝えられます。一遍上人が遊行の旅で諸国に念仏を広めた時代にあたり、天竜川の渡しを控えた交通の要地・池田に念仏の寺が根づいたことがうかがえます。寺宝として、謡曲『熊野』の原本、熊野自画像、硯煙草盆一式、熊野御前正装絵巻物が伝わると同資料は記しています。境内の熊野御前と母の墓所には、婦人病の平癒を祈願する参詣者が赤糸を奉る風習があり、女性の守り仏としての信仰が近年まで続いてきました。
中世の石造物と鎌倉仏
境内には、熊野御前とその母の墓石と伝えられる宝篋印塔があります。形式から14世紀末(南北朝時代)の製作と考えられ、静岡県内でも極めて古い宝篋印塔として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定史跡となりました。磐田市の文化財保存活用地域計画にも「行興寺の宝篋印塔(熊野とその母の墓石)」として主要な市指定文化財に挙げられています。また当寺に伝わる木造十一面観音菩薩坐像は鎌倉時代の作で、豊田地区唯一の鎌倉時代の仏像として同日に磐田市指定文化財(彫刻)に指定されています。この像には熊野御前の持仏という伝承があり、伝承の当否はともかく、中世にさかのぼる信仰の器が当寺に確かに伝えられてきたことを物語ります。
池田の渡しと行興寺文書
池田は天竜川の渡船場として栄えた集落で、磐田市の池田の渡し歴史風景館は、池田の渡しを「1000年も前から続いていたと記録される」渡船と紹介し、徳川家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカを展示しています。行興寺には、永禄12年(1569年)前後に発給された池田の渡船に関わる文書群「行興寺文書」が伝わり、徳川家康による渡船統制を示す史料として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(古文書)となりました。渡船をめぐる権利の文書が寺に託されてきたことは、当寺が池田の渡船集落の精神的な拠り所であったことを示しています。江戸時代の正保郷帳には朱印寺領として行興寺領16石がみえ、幕府から寺領を認められた寺格であったことが知られます。
近代以降―天然記念物指定と熊野絵巻
明治42年(1909年)には境内に熊野御前歌碑(高さ143センチメートル、幅57センチメートル)が建てられ、帰郷の逸話を伝える歌が刻まれました。昭和7年(1932年)7月25日、熊野御前手植えと伝わる藤の古木が「熊野の長フジ」として国の天然記念物に指定されます。文化庁の国指定台帳の指定説明には「幹ハ根本ヨリ二分シテ二支幹トナル 根元ノ周囲約一.八メートル花總ハ長一.五メートルニ達ス 藤ノ巨樹トシテ有數ノモノナリ」と記されています。昭和47年(1972年)9月26日には境内の同種の老木5株が「熊野の長藤」として静岡県指定天然記念物となりました。さらに令和2年(2020年)12月8日、謡曲『熊野』を絵画化した室町時代後期の絵巻「熊野絵巻」が静岡県指定有形文化財(絵画)に指定され、謡曲を絵巻化した全国的にも早い例と評価されています。国・県・市の指定文化財が重層する寺として、熊野御前の記憶は制度のうえでも守られることになりました。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 十一面観世音菩薩
- 宗教的意味
- 行興寺は時宗の寺院で、宗門公式の寺院一覧に第17教区の寺院として掲載されています。池田まちづくり協議会の資料は、熊野御前の死後の正応3年(1290年)に時宗遊行派として開山したと伝え、本尊は阿弥陀如来像と記しています。念仏をとなえて母娘の菩提を弔った熊野御前の伝承は、南無阿弥陀仏の名号に生きる時宗の教えとまさに重なります。なお霊場資料には札所本尊を十一面観世音菩薩とするものもあり、堂内には熊野御前が信仰したと伝わる十一面観音(磐田市指定文化財)が保存されています。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
熊野の長フジ
熊野御前が手植えしたと伝わる藤の古木で、昭和7年(1932年)7月25日に国の天然記念物に指定されました。樹齢は800年から850年と推定され、文化庁の指定説明には、幹が根本から2支幹に分かれ、根元の周囲約1.8メートル、花房は長さ1.5メートルに達する「藤ノ巨樹トシテ有數ノモノ」と記されています。例年4月中旬から下旬に見頃を迎え、開花に合わせて熊野御前の供養が行われてきました。
熊野の長藤
境内にある国指定株と同種の藤の老木5株で、昭和47年(1972年)9月26日に静岡県指定天然記念物となりました。樹齢はおよそ250年とされ、所有者は行興寺です。国指定の1本とともに境内の藤棚を形成し、花房は1メートルから1.5メートルに達します。
熊野絵巻
謡曲『熊野』を絵画化した室町時代後期の絵巻で、23紙を継いでいます。謡曲を絵巻化した全国的にも早い例とされ、令和2年(2020年)12月8日に静岡県指定有形文化財(絵画)に指定されました。熊野御前の物語を絵画として伝える、当寺の性格を象徴する文化財です。
木造十一面観音菩薩坐像
鎌倉時代の作とされる坐像で、豊田地区唯一の鎌倉時代の仏像として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(彫刻)となりました。熊野御前の持仏という伝承があり、婦人の守り仏として信仰されてきました。
行興寺の宝篋印塔
熊野御前とその母の墓石と伝えられる宝篋印塔です。形式から14世紀末(南北朝時代)の製作と考えられ、県内でも極めて古い宝篋印塔として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定史跡となりました。本堂左手に熊野御前と母の墓所として並んで保存され、参詣者が赤糸を奉って婦人病の平癒を祈る風習が伝わります。
行興寺文書
永禄12年(1569年)前後に発給された池田の渡船に関わる文書群で、徳川家康による渡船統制を示す史料として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(古文書)となりました。天竜川の渡船場として栄えた池田の歴史を伝える第一級の史料です。
Database 06
年中法要
- 熊野御前供養祭5月3日
熊野御前の命日とされる日に行われる供養祭。アーツカウンシルしずおかの文化資源データベースによる
- 池田熊野の長藤まつり4月下旬から5月上旬
熊野の長フジの開花に合わせて行われ、期間中は熊野御前の供養も行われる。磐田市文化協会・観光協会の資料による
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
行興寺のある池田は、磐田市の文化財保存活用地域計画が「家康をたすけたまち 願いをかなえる観音さまから渡船場へ」と特徴づける富岡・池田・井通地区の中心集落のひとつです。同計画によれば、この地域は大半が天竜川によって作られた平野に位置し、平安時代には京都・松尾大社領の荘園で、池田宿として栄えました。戦国時代には徳川・武田の抗争の舞台となって徳川家康の敗走伝説が多く残り、池田地区は家康への援助の返礼として、江戸時代に渡船場として栄えたと記されています。行興寺はこの池田宿・池田の渡しの歴史のただ中にあって、熊野御前の伝承と渡船の文書を守り継いできました。
池田の夏の行事「池田やかた祭り」は、江戸時代から続くと伝わる天竜川での川供養の行事で、磐田市指定無形民俗文化財として毎年8月第1日曜に行われています。渡船で生きた集落らしい水辺の供養の民俗が、寺の施餓鬼や盆供養と同じ季節に営まれてきました。また春の「熊野の長藤まつり」では、開花情報の発信や無料シャトルバスの運行などの運営に地元組織の池田まちづくり協議会が関わっており、藤の世話と熊野御前の供養は、寺と地域が一体となって受け継ぐ営みとなっています。
熊野御前の命日とされる5月3日に行われる熊野御前供養祭は、単なる花の行事ではなく、池田に生まれた一人の女性の孝心と信仰を偲ぶ法要です。境内の墓所に赤糸を奉って婦人病平癒を祈る風習とあわせて、行興寺は地域の女性たちの祈りを何代にもわたって預かってきた寺であり、その記憶は今も檀家と池田の人びとによって守られています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9284
- 行政・公的資料行興寺/熊野の長藤(磐田市観光協会)
所在地(池田330)、熊野御前手植え伝承、1932年国天然記念物指定、県指定5株、樹齢850年超、見頃を確認
- 行政・公的資料熊野の長フジ(磐田市公式ウェブサイト・国指定文化財)
国指定天然記念物1本・県指定天然記念物5本が池田の行興寺に所在すること、熊野御前(平宗盛に仕えた)ゆかりの藤であることを確認
- 民間二次情報熊野の長フジ(Wikipedia)
国指定1932年7月25日・県指定1972年9月26日の指定年月日、樹齢800〜850年、熊野御前が藤原重徳の娘で1180年上洛の伝承、本堂左側の熊野御前と母の墓所を確認
- 民間二次情報ニッポンの霊場 豊田郡三十三観音霊場
第25番=摂取山行興寺(時宗・池田330・十一面観世音菩薩、熊野の長藤で著名)を確認。寺名・宗派・住所がDBと一致。
- 宗派公式資料時宗公式ページ 時宗寺院一覧(時宗宗務所)
一覧掲載のみ。第17教区に「行興寺(ギョウコウジ)〒438-0805 静岡県磐田市池田330」として掲載。由緒・本尊・行事の記載はない。
- 行政・公的資料市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
分類・時代・所在地・所有者を一覧表で確認
- 行政・公的資料県指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
県指定文化財の分類・指定日・所有者を一覧表で確認
- 行政・公的資料磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)
磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合
- 文化財データベース国指定文化財等データベース 熊野の長フジ
文化庁の国指定台帳。天然記念物、指定日昭和7年7月25日、指定説明原文を確認。
- 文化財データベースしずおか文化財ナビ 熊野の長フジ(磐田市 国指定)
所在地池田330、所有者行興寺であることを確認。
- 文化財データベースしずおか文化財ナビ 熊野の長フジ(磐田市 県指定)
県指定天然記念物5本、指定日1972年9月26日、所有者行興寺を確認。
- 文化財データベースしずおか文化財ナビ 熊野絵巻
県指定有形文化財(絵画)、指定日2020年12月8日、室町後期・23紙、謡曲絵巻化の早例との解説を確認。
- 民間二次情報熊野の長藤について|磐田市観光協会
熊野の長藤まつりの開花情報発信・シャトルバス運行に池田まちづくり協議会が関わっている旨の記載
- 民間二次情報池田まちづくり協議会
地元地域組織の存在確認(行興寺固有の詳細記載は未確認)
- 行政・公的資料磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)
p.52 C富岡・池田・井通地区「行興寺の宝篋印塔(熊野とその母の墓石)」
最終更新日 2026.07.19
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この寺院について
行興寺は磐田市池田330番地、天竜川東岸の池田の集落に所在する時宗の寺院です。時宗の宗門公式の寺院一覧には第17教区の寺院として掲載されています。池田地区の歴史をまとめた池田まちづくり協議会の資料では山号は摂取山とされ、本尊は阿弥陀如来像、あわせて熊野御前が信仰したと伝わる十一面観音(磐田市指定文化財)も保存されていると記されています。一方、豊田郡三十三観音霊場の資料は札所本尊を十一面観世音菩薩としており、本尊の表記は資料により異なります。
当寺を語るうえで欠かせないのが、能楽の演目『熊野』の主人公として知られる熊野御前の伝承です。熊野御前が母の菩提を弔った庵が当寺の起こりとされ、境内には熊野御前とその母の墓と伝わる宝篋印塔(磐田市指定史跡)が並び、熊野御前手植えと伝わる樹齢800年を超える藤の古木「熊野の長フジ」が昭和7年(1932年)に国の天然記念物に指定されています。
藤の開花期には「熊野の長藤まつり」が営まれ、熊野御前の命日とされる5月3日には供養祭が行われるなど、当寺は800年を超えて熊野御前の記憶を受け継ぐ、池田の信仰と伝承の中心であり続けています。享保年間に開かれた歴史的霊場である豊田郡三十三観音霊場の第25番札所でもありました。
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歴史と背景
池田荘と熊野御前
行興寺のある池田は、平安時代には京都・松尾大社領の荘園(池田荘)で、宿場「池田宿」として栄えた土地です。熊野御前は平安時代末期、この池田で池田荘の庄司・藤原重徳の娘として生まれたと伝えられます。治承4年(1180年)ごろ京へ上り、平清盛の三男・平宗盛に仕えてその寵愛を受けましたが、故郷の母の重病の報せを受け、花見の宴で雨に散る桜に母の病状を重ねた歌を詠んだところ、宗盛が心を動かされて帰郷を許したと伝えられています。この物語は能楽の『熊野』として今日まで演じ継がれ、「熊野・松風は米の飯」と並び称される名曲の題材となりました。磐田市文化協会の解説によれば、熊野御前は能楽の登場人物であると同時に実在した人物とされ、宗盛の死を知った後は尼となり、33歳でその生涯を閉じたと伝わります。
正応3年の開山と時宗の寺へ
池田まちづくり協議会の資料によれば、行興寺は熊野御前が母の死後に一宇を建立し、念仏三昧に暮らした場所であり、熊野御前の死後、正応3年(1290年)に時宗遊行派の寺として開山したと伝えられます。一遍上人が遊行の旅で諸国に念仏を広めた時代にあたり、天竜川の渡しを控えた交通の要地・池田に念仏の寺が根づいたことがうかがえます。寺宝として、謡曲『熊野』の原本、熊野自画像、硯煙草盆一式、熊野御前正装絵巻物が伝わると同資料は記しています。境内の熊野御前と母の墓所には、婦人病の平癒を祈願する参詣者が赤糸を奉る風習があり、女性の守り仏としての信仰が近年まで続いてきました。
中世の石造物と鎌倉仏
境内には、熊野御前とその母の墓石と伝えられる宝篋印塔があります。形式から14世紀末(南北朝時代)の製作と考えられ、静岡県内でも極めて古い宝篋印塔として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定史跡となりました。磐田市の文化財保存活用地域計画にも「行興寺の宝篋印塔(熊野とその母の墓石)」として主要な市指定文化財に挙げられています。また当寺に伝わる木造十一面観音菩薩坐像は鎌倉時代の作で、豊田地区唯一の鎌倉時代の仏像として同日に磐田市指定文化財(彫刻)に指定されています。この像には熊野御前の持仏という伝承があり、伝承の当否はともかく、中世にさかのぼる信仰の器が当寺に確かに伝えられてきたことを物語ります。
池田の渡しと行興寺文書
池田は天竜川の渡船場として栄えた集落で、磐田市の池田の渡し歴史風景館は、池田の渡しを「1000年も前から続いていたと記録される」渡船と紹介し、徳川家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカを展示しています。行興寺には、永禄12年(1569年)前後に発給された池田の渡船に関わる文書群「行興寺文書」が伝わり、徳川家康による渡船統制を示す史料として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(古文書)となりました。渡船をめぐる権利の文書が寺に託されてきたことは、当寺が池田の渡船集落の精神的な拠り所であったことを示しています。江戸時代の正保郷帳には朱印寺領として行興寺領16石がみえ、幕府から寺領を認められた寺格であったことが知られます。
近代以降―天然記念物指定と熊野絵巻
明治42年(1909年)には境内に熊野御前歌碑(高さ143センチメートル、幅57センチメートル)が建てられ、帰郷の逸話を伝える歌が刻まれました。昭和7年(1932年)7月25日、熊野御前手植えと伝わる藤の古木が「熊野の長フジ」として国の天然記念物に指定されます。文化庁の国指定台帳の指定説明には「幹ハ根本ヨリ二分シテ二支幹トナル 根元ノ周囲約一.八メートル花總ハ長一.五メートルニ達ス 藤ノ巨樹トシテ有數ノモノナリ」と記されています。昭和47年(1972年)9月26日には境内の同種の老木5株が「熊野の長藤」として静岡県指定天然記念物となりました。さらに令和2年(2020年)12月8日、謡曲『熊野』を絵画化した室町時代後期の絵巻「熊野絵巻」が静岡県指定有形文化財(絵画)に指定され、謡曲を絵巻化した全国的にも早い例と評価されています。国・県・市の指定文化財が重層する寺として、熊野御前の記憶は制度のうえでも守られることになりました。
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文化財・見どころ
熊野の長フジ
熊野御前が手植えしたと伝わる藤の古木で、昭和7年(1932年)7月25日に国の天然記念物に指定されました。樹齢は800年から850年と推定され、文化庁の指定説明には、幹が根本から2支幹に分かれ、根元の周囲約1.8メートル、花房は長さ1.5メートルに達する「藤ノ巨樹トシテ有數ノモノ」と記されています。例年4月中旬から下旬に見頃を迎え、開花に合わせて熊野御前の供養が行われてきました。
熊野の長藤
境内にある国指定株と同種の藤の老木5株で、昭和47年(1972年)9月26日に静岡県指定天然記念物となりました。樹齢はおよそ250年とされ、所有者は行興寺です。国指定の1本とともに境内の藤棚を形成し、花房は1メートルから1.5メートルに達します。
熊野絵巻
謡曲『熊野』を絵画化した室町時代後期の絵巻で、23紙を継いでいます。謡曲を絵巻化した全国的にも早い例とされ、令和2年(2020年)12月8日に静岡県指定有形文化財(絵画)に指定されました。熊野御前の物語を絵画として伝える、当寺の性格を象徴する文化財です。
木造十一面観音菩薩坐像
鎌倉時代の作とされる坐像で、豊田地区唯一の鎌倉時代の仏像として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(彫刻)となりました。熊野御前の持仏という伝承があり、婦人の守り仏として信仰されてきました。
行興寺の宝篋印塔
熊野御前とその母の墓石と伝えられる宝篋印塔です。形式から14世紀末(南北朝時代)の製作と考えられ、県内でも極めて古い宝篋印塔として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定史跡となりました。本堂左手に熊野御前と母の墓所として並んで保存され、参詣者が赤糸を奉って婦人病の平癒を祈る風習が伝わります。
行興寺文書
永禄12年(1569年)前後に発給された池田の渡船に関わる文書群で、徳川家康による渡船統制を示す史料として平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(古文書)となりました。天竜川の渡船場として栄えた池田の歴史を伝える第一級の史料です。
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宗派と本尊を知る
行興寺は時宗の寺院で、宗門公式の寺院一覧に第17教区の寺院として掲載されています。池田まちづくり協議会の資料は、熊野御前の死後の正応3年(1290年)に時宗遊行派として開山したと伝え、本尊は阿弥陀如来像と記しています。念仏をとなえて母娘の菩提を弔った熊野御前の伝承は、南無阿弥陀仏の名号に生きる時宗の教えとまさに重なります。なお霊場資料には札所本尊を十一面観世音菩薩とするものもあり、堂内には熊野御前が信仰したと伝わる十一面観音(磐田市指定文化財)が保存されています。
時宗とは
時宗は、鎌倉時代の一遍上人(1239年〜1289年)を宗祖とする念仏の宗派です。一遍上人は伊予国(現在の愛媛県)の豪族・河野氏の出身で、生涯にわたり全国を歩いて「南無阿弥陀仏」の念仏の札を配り、鉦や太鼓に合わせて念仏する「踊り念仏」によって教えを広めたことから、「遊行上人」とも呼ばれました。念仏の札を配るこの営みは「賦算」と呼ばれます。
総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺で、正中2年(1325年)に4代呑海上人によって開かれました。遊行を終えた歴代の上人がこの寺に住したことから「遊行寺」と呼ばれるようになったと伝えられ、以来、時宗の中心道場となってきました。
教えの核心は、信じる・信じないの分別をも超えて、称える念仏そのものに救いがあるという徹底した念仏観にあります。檀家の法要も称名念仏を中心に営まれ、お盆や年回の法要ではともにお念仏を称えることが供養の中心となります。踊り念仏の伝統は、盆踊りの源流のひとつともいわれています。
阿弥陀如来という仏さま
阿弥陀如来の「阿弥陀」は「量りしれない」という意味で、限りない光(無量光)と限りない命(無量寿)を備えた仏さまであることを表します。西方の極楽浄土の教主で、はるか昔、法蔵菩薩として修行していた時に48の願を立て、なかでも第18願では、念仏する者を必ず浄土に迎え取ると誓われたと経典に説かれています。
この誓いを頼りとして「南無阿弥陀仏」と称えるのがお念仏です。浄土宗や浄土真宗など念仏の教えに立つ宗派では阿弥陀如来を本尊と仰ぎ、仏壇の中央に絵像や木像でお迎えして、朝夕のお勤めで手を合わせます。本尊のお姿は、目に見えない救いのはたらきを、私たちに受け取りやすいよう姿かたちで表したものと受け止められています。
葬儀や年忌法要、お彼岸やお盆など、亡き人を偲ぶ場面で最も身近な仏さまでもあります。亡き人を浄土に迎え取り、残された私たちをも光の中で照らし続けてくださる。そのはたらきへの感謝とともに称えるのがお念仏だと受け止められています。
参考: よくあるご質問(浄土宗 公式サイト)/ご本尊をお迎えする(真宗大谷派・東本願寺 公式サイト)/阿弥陀如来の四十八願について(浄土宗 善想寺)
05
地域とのつながり
行興寺のある池田は、磐田市の文化財保存活用地域計画が「家康をたすけたまち 願いをかなえる観音さまから渡船場へ」と特徴づける富岡・池田・井通地区の中心集落のひとつです。同計画によれば、この地域は大半が天竜川によって作られた平野に位置し、平安時代には京都・松尾大社領の荘園で、池田宿として栄えました。戦国時代には徳川・武田の抗争の舞台となって徳川家康の敗走伝説が多く残り、池田地区は家康への援助の返礼として、江戸時代に渡船場として栄えたと記されています。行興寺はこの池田宿・池田の渡しの歴史のただ中にあって、熊野御前の伝承と渡船の文書を守り継いできました。
池田の夏の行事「池田やかた祭り」は、江戸時代から続くと伝わる天竜川での川供養の行事で、磐田市指定無形民俗文化財として毎年8月第1日曜に行われています。渡船で生きた集落らしい水辺の供養の民俗が、寺の施餓鬼や盆供養と同じ季節に営まれてきました。また春の「熊野の長藤まつり」では、開花情報の発信や無料シャトルバスの運行などの運営に地元組織の池田まちづくり協議会が関わっており、藤の世話と熊野御前の供養は、寺と地域が一体となって受け継ぐ営みとなっています。
熊野御前の命日とされる5月3日に行われる熊野御前供養祭は、単なる花の行事ではなく、池田に生まれた一人の女性の孝心と信仰を偲ぶ法要です。境内の墓所に赤糸を奉って婦人病平癒を祈る風習とあわせて、行興寺は地域の女性たちの祈りを何代にもわたって預かってきた寺であり、その記憶は今も檀家と池田の人びとによって守られています。
06
年中行事・参拝の手引き
年中行事・法要
- 熊野御前供養祭(5月3日)
熊野御前の命日とされる日に行われる供養祭。アーツカウンシルしずおかの文化資源データベースによる
- 池田熊野の長藤まつり(4月下旬から5月上旬)
熊野の長フジの開花に合わせて行われ、期間中は熊野御前の供養も行われる。磐田市文化協会・観光協会の資料による
参拝・法要で訪れる方へ
藤の開花期(4月中旬から5月上旬)は多くの来訪者があり、無料シャトルバスが運行されるなど周辺の交通事情が平常時と異なります。この時期に法要やお墓参りで訪れる際は、磐田市観光協会や池田まちづくり協議会の最新の案内を確認してください。
境内の藤棚は国・県指定の天然記念物です。根元や枝に触れないよう、静かに参拝してください。
熊野御前と母の墓所(宝篋印塔)は市指定史跡です。赤糸を奉る風習など古くからの参り方が伝わる場所ですので、丁重にお参りください。
- 施餓鬼会・彼岸会など檀家向けの年中行事の実施時期
- 墓地・永代供養等の受け入れの有無
- 護持会・世話人会等の檀家組織の有無
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
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よくある質問
- 行興寺の読み方と山号は?
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「ぎょうこうじ」と読みます。池田まちづくり協議会の資料では山号は摂取山とされ、「熊野の長藤の寺」として親しまれています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
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時宗の寺院で、宗門公式の寺院一覧に第17教区の寺院として掲載されています。本尊は池田まちづくり協議会の資料では阿弥陀如来像とされ、霊場資料には十一面観世音菩薩とするものもあります。熊野御前が信仰したと伝わる十一面観音(市指定文化財)も保存されています。
本文「宗派と本尊」を読む - 熊野御前とはどんな人ですか?
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平安時代末期に池田で生まれ、池田荘の庄司・藤原重徳の娘と伝わる女性です。京で平宗盛の寵愛を受けましたが、母の病の報せに歌を詠んで帰郷を許され、能楽『熊野』の主人公として知られます。宗盛の死後は尼となり、33歳で生涯を閉じたと伝えられます。
本文「歴史と背景」を読む - いつ開かれたお寺ですか?
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熊野御前が母の死後に一宇を建立して念仏三昧に暮らした場所と伝わり、熊野御前の死後の正応3年(1290年)に時宗遊行派の寺として開山したと池田まちづくり協議会の資料に記されています。
本文「歴史と背景」を読む - 熊野の長フジとは何ですか?
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熊野御前が手植えしたと伝わる境内の藤の古木で、樹齢800年から850年と推定されます。昭和7年(1932年)に国の天然記念物に指定され、ほかに県指定天然記念物の老木5株があります。花房は1メートルから1.5メートルに達します。
本文「文化財・見どころ」を読む - 熊野御前のお墓はありますか?
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本堂左手に熊野御前とその母の墓と伝わる宝篋印塔(市指定史跡)が並んでいます。14世紀末(南北朝時代)の製作と考えられる県内でも極めて古い宝篋印塔で、婦人病の平癒を祈って赤糸を奉る風習が伝わります。
本文「文化財・見どころ」を読む - 行興寺文書とは何ですか?
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永禄12年(1569年)前後に発給された池田の渡船に関わる文書群で、徳川家康による渡船統制を示す市指定文化財(古文書)です。天竜川の渡船場として栄えた池田の歴史を伝えています。
本文「歴史と背景」を読む - 熊野御前の供養は今も行われていますか?
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熊野御前の命日とされる5月3日に熊野御前供養祭が行われています。また藤の開花に合わせた熊野の長藤まつりの期間中にも供養が行われ、地元の池田まちづくり協議会が運営に関わっています。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
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写真で見る境内
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出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9284。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 行政・公的資料 行興寺/熊野の長藤(磐田市観光協会)
所在地(池田330)、熊野御前手植え伝承、1932年国天然記念物指定、県指定5株、樹齢850年超、4月中旬から下旬の見頃を確認
- 行政・公的資料 熊野の長フジ(磐田市公式ウェブサイト・国指定文化財)
国指定天然記念物1本・県指定天然記念物5本が池田の行興寺に所在すること、熊野御前(平宗盛に仕えた)ゆかりの藤であることを確認
- 民間二次情報 熊野の長フジ(Wikipedia)
国指定1932年7月25日・県指定1972年9月26日の指定年月日、樹齢800〜850年、熊野御前が藤原重徳の娘で1180年上洛の伝承、本堂左側の熊野御前と母の墓所を確認(発見用。事実は行政資料で裏取り)
- 民間二次情報 ニッポンの霊場 豊田郡三十三観音霊場
第25番=摂取山行興寺(時宗・池田330・十一面観世音菩薩、熊野の長藤で著名)を確認。寺名・宗派・住所がDBと一致
- 宗派公式資料 時宗公式ページ 時宗寺院一覧(時宗宗務所)
第17教区に「行興寺(ギョウコウジ)〒438-0805 静岡県磐田市池田330」として掲載。由緒・本尊・行事の記載はない
- 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
木造十一面観音菩薩坐像(彫刻)・行興寺の宝篋印塔(史跡)・行興寺文書(古文書)の平成17年11月21日指定を一覧表で確認
- 行政・公的資料 県指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
県指定文化財の分類・指定日・所有者を一覧表で確認
- 行政・公的資料 磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)
磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合
- 文化財データベース 国指定文化財等データベース 熊野の長フジ
文化庁の国指定台帳。天然記念物、指定日昭和7年7月25日、指定説明原文(幹は根本より二分・根元周囲約1.8メートル・花房1.5メートル)を確認
- 文化財データベース しずおか文化財ナビ 熊野の長フジ(磐田市 国指定)
所在地池田330、所有者行興寺であることを確認
- 文化財データベース しずおか文化財ナビ 熊野の長フジ(磐田市 県指定)
県指定天然記念物5本、指定日1972年9月26日、所有者行興寺を確認
- 文化財データベース しずおか文化財ナビ 熊野絵巻
県指定有形文化財(絵画)、指定日2020年12月8日、室町後期・23紙、謡曲絵巻化の早例との解説を確認
- 民間二次情報 熊野の長藤について|磐田市観光協会
熊野の長藤まつりの開花情報発信・無料シャトルバス運行に池田まちづくり協議会が関わっている旨の記載を確認
- 郷土資料 池田まちづくり協議会
地元地域組織の存在と池田地区の歴史コンテンツの所在を確認
- 行政・公的資料 磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)
p.44「C富岡・池田・井通地区」の地域特徴(松尾大社領荘園・池田宿・家康援助の返礼としての渡船場・東海道と池田近道)、主要市指定文化財としての行興寺の宝篋印塔(熊野とその母の墓石)・池田やかた祭り・加茂大念仏の記載を確認
- 郷土資料 【1】行興寺|池田まちづくり協議会
「摂取山行興寺は、熊野御前が母の死後一字を建立し念仏三昧に暮らした場所であり、熊野の死後正応3年(1290年)時宗遊行派として開山した。本尊は阿弥陀如来像で寺宝に謡曲熊野の原本・熊野自画像・硯煙草盆一式・熊野御前正装絵巻物がある」「熊野御前が信仰した本尊十一面観音も保存」「熊野御前と母親の墓があり、婦人病の平癒を祈願する参詣者が赤糸を奉っている。新四国八十八ヵ所第十番札所」を本文で確認
- 郷土資料 熊野御前歌碑|磐田市文化協会
行興寺境内の熊野御前歌碑が明治42年(1909年)制作・高さ143センチメートル幅57センチメートルであること、雨に散る桜に母の病状を重ねた歌で帰郷を許された逸話、熊野御前が実在の人物とされ宗盛の死後尼となり33歳で没した伝承、長藤まつりの際に熊野の供養が行われることを確認
- 行政・公的資料 アーツカウンシルしずおか 文化資源データベース「池田・熊野の長藤まつり」
熊野御前の命日とされる5月3日に行興寺で熊野御前供養祭が行われること、まつり期間中の能舞台での行事・池田の渡船の再現・屋台の引き回し、花房約1.5メートルの記載を確認
- 行政・公的資料 池田の渡し歴史風景館|磐田市観光協会
池田の渡しが「1000年も前から続いていたと記録される」渡船であること、徳川家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカが展示されていることを確認
- 行政・公的資料 無形民俗文化財|磐田市公式ウェブサイト
市指定無形民俗文化財「池田やかた祭り」が毎年8月第1日曜に行われる江戸時代から継続する天竜川での川供養行事であることを確認
- 郷土資料 コトバンク「池田村」(日本歴史地名大系)
正保郷帳の朱印寺領として行興寺領16石がみえることを確認
- 現地確認 現地確認(2026年7月、ATAWI TEMPLE編集部)
境内・藤棚・墓所等の現地写真を確認
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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