豊田地区・現存

智恩齋

ちおんさい

ページ充実度 基礎情報・調査中 最終確認 2026.07.11

智恩齋(智恩斎)は磐田市一言にある曹洞宗の寺院です。山門脇には「一言観音」と呼ばれる観音像を安置する観音堂があり、元亀3年(1572年)の一言坂の戦いの際に徳川家康が祈願したという伝承で知られます。「一言」という地名自体がこの観音に由来すると伝えられています。

別称・関連名称智恩斎/一言観音

写真を準備しています 現地訪問後に、本堂・境内・入口・説明板の写真を掲載します。
宗派曹洞宗
創建・年代調査中
文化財・史跡調査中
所在地豊田・磐田市

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この寺院について

智恩齋(智恩斎)は磐田市一言にある曹洞宗の寺院です。山門脇には「一言観音」と呼ばれる観音像を安置する観音堂があり、元亀3年(1572年)の一言坂の戦いの際に徳川家康が祈願したという伝承で知られます。「一言」という地名自体がこの観音に由来すると伝えられています。

ご本尊調査中・加筆待ち寺院資料・現地聞き取りで確認予定

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歴史と背景

一言観音の伝承

中遠地域広域行政事務組合系サイトの「中遠昔ばなし」第68話(出典は『豊田町誌 別編 民俗文化史』)によれば、豊田町一言(現磐田市一言)の智恩斎の山門脇に安置されている観音様には次のような言い伝えがあります。武田信玄の軍勢に追われた徳川家康の軍は磐田原台地の西のはずれで追いつかれ、戦況不利とみた家康は、一生に一度一言だけ願いを聞いてくださるという観音様に「どうかこの戦いに勝たせてください」と祈願しました。殿軍を守る本多平八郎忠勝の奮戦もあり、徳川軍は無事浜松城へ撤退できたと伝えられます。その後この観音様は「一言観音」と呼ばれるようになり、観音様のある村を一言村と呼ぶようになったということです。

一言坂の戦いと観音堂

全国家康公ネットワーク(静岡商工会議所)のサイトでは、「一言坂の戦跡・一言観音」として磐田市一言797(智恩斎の所在地)が案内されており、三方ヶ原合戦の前哨戦で敗走する徳川軍と追撃する武田軍が再び合戦になった地が一言坂であること、家康公が一言観音に立ち寄り勝利を祈願したと伝えられることが記されています。また郷土史研究者のブログによれば、一言観音堂はもとは本坂道(姫街道)沿いの台地にあり、のちに智恩斎の前に移されたと伝わり、その信仰の起源は奈良・興福寺南円堂の一言観音信仰が遠江国に伝わったものとされています(民間二次情報)。磐田市観光協会が関わる「いわたスペシャリスト認定試験」の問題(2025年度)でも、一言観音が現在安置される寺を問う設問が出題されています。

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文化財・見どころ

文化財・寺宝は加筆待ちです

指定文化財、建築、仏像、石造物、古文書、境内の見どころを調査します。

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写真で見る境内

現地写真を準備しています

初回訪問後に掲載します。

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出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9356

  2. 行政・公的資料 中遠昔ばなし 第68話「一言観音(豊田町)」

    智恩斎の山門脇に一言観音が安置されていること、一言坂の戦いでの家康祈願の言い伝え、一言村の地名由来を本文で確認。出典は『豊田町誌 別編 民俗文化史』と明記。

  3. 郷土資料 一言坂の戦跡・一言観音(全国家康公ネットワーク・静岡商工会議所)

    「一言坂の戦跡・一言観音」の所在地が磐田市一言797(智恩斎)であること、家康の勝利祈願伝承を本文で確認。

  4. 民間二次情報 岡部英一ブログ「(19) 一言観音堂」

    一言観音堂がもとは本坂道(姫街道)沿いの台地にあり後に智恩斎の前に移されたと伝わること、興福寺南円堂の一言観音信仰との関係を本文で確認。

  5. 郷土資料 いわたスペシャリスト認定試験 問題(磐田おんぱく掲載PDF)

    問49で一言坂の戦い・一言観音の伝承が取り上げられ、安置先を問う選択肢に智恩斎が含まれることを本文で確認(設問のため断定根拠には使用せず補助情報)。