豊田地区・現存

智恩齋

ちおんさい

ページ充実度 標準 最終確認 2026.07.19

智恩齋(ちおんさい)は、磐田市一言にある曹洞宗の寺院です。大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば山号は一言山、本尊は虚空蔵菩薩で、山門脇の観音堂には、元亀3年(1572年)の一言坂の戦いの際に徳川家康が祈願したと伝わる「一言観音」が安置されています。地名「一言」の由来とも伝えられる観音様とともに歩んできた寺です。

別称・関連名称智恩斎/一言観音

寺院名
智恩齋
地区
豊田
住所
静岡県磐田市一言797番地
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
智恩齋
読み方
ちおんさい
地区
豊田
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
調査中・加筆待ち
ご本尊の現在の確認状況
未確認
住所
静岡県磐田市一言797番地
Googleマップ
Googleマップで開く
寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
一言観音堂
最終確認日
2026.07.16

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

智恩齋本堂の正面
現地写真・本堂・堂宇
智恩齋の山門
入口・石標
一言観音堂の外観
その他
智恩齋境内の小堂
境内全景
智恩齋境内の観音像
その他
智恩齋の観音堂と境内
境内全景
宗派曹洞宗
創建・年代調査中
本尊調査中・加筆待ち
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地豊田・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
智恩齋
宗派
曹洞宗
本尊
未確認
創建
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市一言797番地
地区
豊田

Database 02

沿革

『磐田郡誌』にみえる由緒

『静岡県磐田郡誌』(1921年)は当寺を「139 智恩齋(井通村)」として立項し、「井通村一言字北浦に在り。一言山と號す。當國元豐田郡三倉村榮泉寺の末にして、本尊は虚空藏菩薩なり。創立の年代詳かならず。往古は一小寺にして、佛陀山智恩齋と稱す」と記しています。続けて、寛永18年(1641年)に栄泉寺10世の宗澤を請じて伝法開祖とし、翌寛永19年(1642年)2月15日に法地格(住職が代々法を継ぐ寺格)に列したこと、宝暦10年(1760年)に8世單提の代に山号を佛陀山から一言山へ改めたことが記されています。創立そのものの年代は郡誌の時点で既に不詳とされており、草創期の姿は今後の調査課題です。

本寺・栄泉寺と曹洞宗の法系

『磐田郡誌』が本寺と記す「元豊田郡三倉村の栄泉寺」は、現在の周智郡森町三倉にある曹洞宗栄泉寺にあたるとみられます。『日本歴史地名大系』によれば、栄泉寺は太平山と号し本尊は釈迦如来で、寺伝では古くは天台宗でしたが文正元年(1466年)に曹洞宗へ改宗し、山号「太平山」は徳川家康から拝領したと伝えられています。智恩齋が寛永18年(1641年)にこの栄泉寺から10世宗澤を迎えて伝法開祖としたことは、江戸時代前期に遠江の山間部から平野部へ広がった曹洞宗の法系の中に当寺が位置付けられることを示しています。

一言坂の戦いと一言観音の伝承

元亀3年(1572年)、武田信玄の軍勢に追われて浜松城へ退却する徳川軍は、磐田原台地の西のはずれ、一言坂で武田軍に追いつかれました。中遠地域のサイト「中遠昔ばなし」第68話(出典は『豊田町誌 別編 民俗文化史』)によれば、戦況不利とみた家康は、一生に一度一言だけ願いを聞いてくださるという観音様に「どうかこの戦いに勝たせてください」と祈願し、殿軍を務めた本多平八郎忠勝の奮戦もあって、徳川軍は無事撤退できたと伝えられます。このとき敵の武田方から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と讃えられた逸話は、磐田市観光協会の一言坂の戦跡の案内にも紹介されています。以来この観音様は「一言観音」と呼ばれ、観音様のある村を一言村と呼ぶようになったと伝えられています。

観音堂の移転と信仰の系譜

全国家康公ネットワーク(静岡商工会議所)のサイトでは「一言坂の戦跡・一言観音」として磐田市一言797、すなわち智恩齋の所在地が案内されています。また郷土史研究者のブログによれば、一言観音堂はもとは本坂道(姫街道)沿いの台地にあり、のちに智恩齋の前へ移されたと伝わり、その信仰は奈良・興福寺南円堂の一言観音信仰が遠江国へ伝わったものとされています(民間二次情報)。磐田市観光協会などが関わる「いわたスペシャリスト認定試験」でも一言観音の安置先を問う設問が出題されており、地域学習の題材として今も取り上げられています。

江戸時代の一言村と寺領

『日本歴史地名大系』の一言村の項によれば、一言村は磐田原台地の南西部と天竜川左岸の沖積平野にまたがる村で、東海道が村の南端を横断していました。江戸時代の正保郷帳には「法泉庵領・知恩寺領三石」がみえ、この知恩寺は当寺(智恩齋)にあたる可能性がありますが、表記が異なるため断定はできません。村は幕府領ののち元禄11年(1698年)から幕末まで旗本皆川家の知行地となり、村内には皆川氏の陣屋が置かれていました。こうした村の歩みの中で、智恩齋は一言の集落の寺として法灯を守ってきました。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
未確認
宗教的意味
智恩齋は曹洞宗に属し、坐禅を宗旨の中心とする禅寺でありながら、『静岡県磐田郡誌』(1921年)は本尊を虚空蔵菩薩と記しています。広大な智慧と福徳を蔵する虚空蔵菩薩を本尊に仰ぎ、山門脇には一言観音を祀るという構成は、禅の教えと観音・虚空蔵への民間信仰が一つの境内に重なり合ってきた当寺の歩みを物語ります。なお郡誌の記載は大正10年時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

境内の見どころ

一言観音堂

山門脇に建つ観音堂で、一生に一度、一言だけの願いを聞いてくださると伝わる一言観音を安置しています。元亀3年(1572年)の一言坂の戦いの折に徳川家康が祈願したという伝承で知られ、「一言」の地名の由来とも伝えられます。堂はもと本坂道(姫街道)沿いの台地にあり、のちに現在地へ移されたと伝わります(民間二次情報)。

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

智恩齋のある一言は、磐田原台地の南西縁から天竜川左岸の平野部へ下る境目に位置する集落です。『日本歴史地名大系』によれば、旧一言村には東海道が村の南端を横断し、祝川と寺谷用水の幹線が南へ流れていました。台地を下る東海道の坂が一言坂であり、元亀3年(1572年)の一言坂の戦いの舞台として、磐田市観光協会の案内などで今も戦跡が紹介されています。街道と坂、そして観音堂が、この集落の記憶の核になってきました。

一言は明治期には井通村の大字となり、昭和30年(1955年)以降は豊田村・豊田町を経て、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となった旧豊田町域の集落です。江戸時代には旗本皆川氏の陣屋が置かれた村でもあり、農業とともに街道筋の往来に触れて暮らしてきました。智恩齋の一言観音は「一言」の地名由来として語り継がれ、家康祈願の伝承とともに、豊田地区の地域学習や史跡めぐりの中で受け継がれています。天竜川の治水と用水開発によって拓かれた平野部の村々と、台地上を走る街道筋との接点にあるこの土地で、檀家にとっては、菩提寺の境内そのものが戦国の記憶と地名の由来を今に伝える場となっています。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9356

  2. 行政・公的資料中遠昔ばなし 第68話「一言観音(豊田町)」

    智恩斎の山門脇に一言観音が安置されていること、一言坂の戦いでの家康祈願の言い伝え、一言村の地名由来を本文で確認。出典は『豊田町誌 別編 民俗文化史』と明記。

  3. 郷土資料一言坂の戦跡・一言観音(全国家康公ネットワーク・静岡商工会議所)

    「一言坂の戦跡・一言観音」の所在地が磐田市一言797(智恩斎)であること、家康の勝利祈願伝承を本文で確認。

  4. 民間二次情報岡部英一ブログ「(19) 一言観音堂」

    一言観音堂がもとは本坂道(姫街道)沿いの台地にあり後に智恩斎の前に移されたと伝わること、興福寺南円堂の一言観音信仰との関係を本文で確認。

  5. 郷土資料いわたスペシャリスト認定試験 問題(磐田おんぱく掲載PDF)

    問49で一言坂の戦い・一言観音の伝承が取り上げられ、安置先を問う選択肢に智恩斎が含まれることを本文で確認(設問のため断定根拠には使用せず補助情報)。

  6. 宗派公式資料曹洞禅ナビ 寺院検索「智恩齋」

    住所(磐田市一言797)・フリガナ(チオンサイ)を照合し当該寺院と確認。公式表記は「智恩齋」。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄

最終更新日 2026.07.19

01

この寺院について

智恩齋は磐田市一言797番地に所在する曹洞宗の寺院です。静岡県知事所轄宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人として掲載され、曹洞宗の公式ポータル「曹洞禅ナビ」にも磐田市一言797の寺院として登載されています。公式の登録表記は旧字の「智恩齋」で、読み仮名は「チオンサイ」、一般には「智恩斎」とも書かれます。

大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、当時の井通村一言字北浦に在る寺として当寺を立項し、山号は一言山、本尊は虚空蔵菩薩と記しています。同書によれば、古くは「佛陀山智恩齋」と称する一小寺で、創立の年代は分かっていません。本寺は旧豊田郡三倉村(現在の周智郡森町三倉にあたるとみられます)の栄泉寺です。

当寺の名を地域に知らしめてきたのは、山門脇の観音堂に安置される「一言観音」です。一生に一度、一言だけの願いを聞いてくださると伝えられ、元亀3年(1572年)の一言坂の戦いで徳川家康が勝利を祈願したという言い伝えとともに、旧豊田町域の人びとに親しまれてきました。「一言」という地名自体がこの観音様に由来すると伝えられています。

02

歴史と背景

『磐田郡誌』にみえる由緒

『静岡県磐田郡誌』(1921年)は当寺を「139 智恩齋(井通村)」として立項し、「井通村一言字北浦に在り。一言山と號す。當國元豐田郡三倉村榮泉寺の末にして、本尊は虚空藏菩薩なり。創立の年代詳かならず。往古は一小寺にして、佛陀山智恩齋と稱す」と記しています。続けて、寛永18年(1641年)に栄泉寺10世の宗澤を請じて伝法開祖とし、翌寛永19年(1642年)2月15日に法地格(住職が代々法を継ぐ寺格)に列したこと、宝暦10年(1760年)に8世單提の代に山号を佛陀山から一言山へ改めたことが記されています。創立そのものの年代は郡誌の時点で既に不詳とされており、草創期の姿は今後の調査課題です。

本寺・栄泉寺と曹洞宗の法系

『磐田郡誌』が本寺と記す「元豊田郡三倉村の栄泉寺」は、現在の周智郡森町三倉にある曹洞宗栄泉寺にあたるとみられます。『日本歴史地名大系』によれば、栄泉寺は太平山と号し本尊は釈迦如来で、寺伝では古くは天台宗でしたが文正元年(1466年)に曹洞宗へ改宗し、山号「太平山」は徳川家康から拝領したと伝えられています。智恩齋が寛永18年(1641年)にこの栄泉寺から10世宗澤を迎えて伝法開祖としたことは、江戸時代前期に遠江の山間部から平野部へ広がった曹洞宗の法系の中に当寺が位置付けられることを示しています。

一言坂の戦いと一言観音の伝承

元亀3年(1572年)、武田信玄の軍勢に追われて浜松城へ退却する徳川軍は、磐田原台地の西のはずれ、一言坂で武田軍に追いつかれました。中遠地域のサイト「中遠昔ばなし」第68話(出典は『豊田町誌 別編 民俗文化史』)によれば、戦況不利とみた家康は、一生に一度一言だけ願いを聞いてくださるという観音様に「どうかこの戦いに勝たせてください」と祈願し、殿軍を務めた本多平八郎忠勝の奮戦もあって、徳川軍は無事撤退できたと伝えられます。このとき敵の武田方から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と讃えられた逸話は、磐田市観光協会の一言坂の戦跡の案内にも紹介されています。以来この観音様は「一言観音」と呼ばれ、観音様のある村を一言村と呼ぶようになったと伝えられています。

観音堂の移転と信仰の系譜

全国家康公ネットワーク(静岡商工会議所)のサイトでは「一言坂の戦跡・一言観音」として磐田市一言797、すなわち智恩齋の所在地が案内されています。また郷土史研究者のブログによれば、一言観音堂はもとは本坂道(姫街道)沿いの台地にあり、のちに智恩齋の前へ移されたと伝わり、その信仰は奈良・興福寺南円堂の一言観音信仰が遠江国へ伝わったものとされています(民間二次情報)。磐田市観光協会などが関わる「いわたスペシャリスト認定試験」でも一言観音の安置先を問う設問が出題されており、地域学習の題材として今も取り上げられています。

江戸時代の一言村と寺領

『日本歴史地名大系』の一言村の項によれば、一言村は磐田原台地の南西部と天竜川左岸の沖積平野にまたがる村で、東海道が村の南端を横断していました。江戸時代の正保郷帳には「法泉庵領・知恩寺領三石」がみえ、この知恩寺は当寺(智恩齋)にあたる可能性がありますが、表記が異なるため断定はできません。村は幕府領ののち元禄11年(1698年)から幕末まで旗本皆川家の知行地となり、村内には皆川氏の陣屋が置かれていました。こうした村の歩みの中で、智恩齋は一言の集落の寺として法灯を守ってきました。

03

文化財・見どころ

境内の見どころ

一言観音堂

山門脇に建つ観音堂で、一生に一度、一言だけの願いを聞いてくださると伝わる一言観音を安置しています。元亀3年(1572年)の一言坂の戦いの折に徳川家康が祈願したという伝承で知られ、「一言」の地名の由来とも伝えられます。堂はもと本坂道(姫街道)沿いの台地にあり、のちに現在地へ移されたと伝わります(民間二次情報)。

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宗派と本尊を知る

智恩齋は曹洞宗に属し、坐禅を宗旨の中心とする禅寺でありながら、『静岡県磐田郡誌』(1921年)は本尊を虚空蔵菩薩と記しています。広大な智慧と福徳を蔵する虚空蔵菩薩を本尊に仰ぎ、山門脇には一言観音を祀るという構成は、禅の教えと観音・虚空蔵への民間信仰が一つの境内に重なり合ってきた当寺の歩みを物語ります。なお郡誌の記載は大正10年時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

虚空蔵菩薩という仏さま

虚空蔵菩薩は、何ものにも妨げられない大空(虚空)がすべてを包み込むように、無限の智恵と福徳を蔵する菩薩です。虚空が光や熱、雨や水といった自然の恵みを絶えず与えてくれるように、その恵みは尽きることがないと説かれます。求める人に応じてその蔵から智恵と福徳を取り出して与えてくださると信じられ、記憶力と智恵を授かることを祈る虚空蔵求聞持法という修行の本尊としても知られています。

この仏さまを語るうえで欠かせないのが「十三まいり」です。数え年13歳を迎えた子どもが智恵と福徳を授かりに参拝する習わしで、本尊とする京都・嵐山の法輪寺では毎年4月13日を中心に営まれ、大人への入り口に立つ子どもの成長の節目として親しまれてきました。

法輪寺の本尊は、智恵や福徳だけでなく芸道の上達をも約束する誓いを立てたと伝えられ、学業成就や技芸の上達を願う人びとの信仰を集めています。子や孫の成長の節目に、智恵を授けてくださる仏さまとして手を合わせたいものです。

参考: 法輪寺の歴史・由緒・御本尊(嵐山 虚空蔵法輪寺 公式サイト)春の十三まいり【虚空蔵法輪寺】(京都市公式 京都観光Navi)

05

地域とのつながり

智恩齋のある一言は、磐田原台地の南西縁から天竜川左岸の平野部へ下る境目に位置する集落です。『日本歴史地名大系』によれば、旧一言村には東海道が村の南端を横断し、祝川と寺谷用水の幹線が南へ流れていました。台地を下る東海道の坂が一言坂であり、元亀3年(1572年)の一言坂の戦いの舞台として、磐田市観光協会の案内などで今も戦跡が紹介されています。街道と坂、そして観音堂が、この集落の記憶の核になってきました。

一言は明治期には井通村の大字となり、昭和30年(1955年)以降は豊田村・豊田町を経て、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となった旧豊田町域の集落です。江戸時代には旗本皆川氏の陣屋が置かれた村でもあり、農業とともに街道筋の往来に触れて暮らしてきました。智恩齋の一言観音は「一言」の地名由来として語り継がれ、家康祈願の伝承とともに、豊田地区の地域学習や史跡めぐりの中で受け継がれています。天竜川の治水と用水開発によって拓かれた平野部の村々と、台地上を走る街道筋との接点にあるこの土地で、檀家にとっては、菩提寺の境内そのものが戦国の記憶と地名の由来を今に伝える場となっています。

06

年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

寺院の公開情報が限られているため、法要・供養の相談は曹洞禅ナビ掲載の連絡先を通じて寺院へ直接確認してください。

一言観音の観音堂は山門脇にあります。お墓参りの折には、地名の由来と伝わる観音様にも手を合わせたいものです。

調査中の項目
  • 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要など)の有無・日程は未確認
  • 墓地・永代供養の取扱いは未確認
  • 現在の本尊・伽藍の様子(郡誌の記載は1921年時点)は未確認
  • 観音堂の現況(堂宇・案内板の有無)と一言観音の像容・開帳の有無は現地確認が必要

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

07

よくある質問

智恩齋の読み方は?

「ちおんさい」と読みます。曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」の登録表記は旧字の「智恩齋」で、一般には「智恩斎」とも書かれます。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

曹洞宗の寺院です。大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、山号を一言山、本尊を虚空蔵菩薩と記しています。現在の本尊の様子は確認できていません。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ開かれたお寺ですか?

創立の年代は『磐田郡誌』の時点で既に不詳とされています。古くは佛陀山智恩齋と称する一小寺で、寛永18年(1641年)に栄泉寺10世宗澤を伝法開祖に迎え、翌年法地格に列しました。

本文「歴史と背景」を読む
一言観音とはどんな観音様ですか?

一生に一度、一言だけの願いを聞いてくださると伝わる観音様で、山門脇の観音堂に安置されています。元亀3年(1572年)の一言坂の戦いで徳川家康が勝利を祈願したと伝えられています。

本文「歴史と背景」を読む
地名の「一言」とお寺は関係がありますか?

「中遠昔ばなし」(出典は『豊田町誌 別編 民俗文化史』)によれば、一言観音のある村を一言村と呼ぶようになったと伝えられ、地名の由来とされています。

本文「地域とのつながり」を読む
山号はなぜ「一言山」なのですか?

『磐田郡誌』によれば、もとの山号は佛陀山でしたが、宝暦10年(1760年)、8世單提の代に一言観音にちなむ一言山へ改められました。

本文「歴史と背景」を読む

08

写真で見る境内

智恩齋本堂の正面
本堂・堂宇 智恩齋本堂を正面から記録した代表写真。
智恩齋の山門
入口・石標 智恩齋の山門と参道。門の向こうに境内の堂宇が見える。
一言観音堂の外観
その他 一言観音に関する案内と奉納幕が見える観音堂の外観。
智恩齋境内の小堂
境内全景 境内にある瓦屋根の小堂と履物棚。
智恩齋境内の観音像
その他 植栽に囲まれた観音像と小堂。
智恩齋の観音堂と境内
境内全景 観音堂と観音像、境内の植栽を含む全景。
智恩齋本堂へ続く参道
境内全景 生垣に囲まれた智恩齋本堂への参道。
智恩齋山門から見た境内
入口・石標 山門の内側から本堂方向を見た境内の景観。
智恩齋境内の全景
境内全景 本堂と境内の建物、履物棚を含む境内全景。
松と智恩齋本堂
本堂・堂宇 松と生垣越しに見た智恩齋本堂。
智恩齋山門の外観
入口・石標 道路側から見た智恩齋山門の外観。
智恩齋本堂の扁額
本堂・堂宇 本堂正面に掲げられた「智恩齋」の扁額。
智恩齋本堂と境内建物
本堂・堂宇 本堂正面と隣接する境内建物を斜めから記録。
智恩齋の扁額の細部
その他 本堂に掲げられた智恩齋の扁額の細部。

09

出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9356。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 寺院検索「智恩齋」

    住所(磐田市一言797)・フリガナ(チオンサイ)を照合し当該寺院と確認。公式表記は「智恩齋」。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄

  3. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「139 智恩齋(井通村)」p.702

    国立国会図書館デジタルコレクション(コマ460)。一言山(旧・佛陀山)・栄泉寺末・本尊虚空蔵菩薩・創立年代不詳・寛永18年宗澤伝法開祖・寛永19年2月15日法地格・宝暦10年山号改称の由緒全文を原本画像で確認

  4. 行政・公的資料 中遠昔ばなし 第68話「一言観音(豊田町)」

    智恩斎の山門脇に一言観音が安置されていること、一言坂の戦いでの家康祈願の言い伝え、一言村の地名由来を本文で確認。出典は『豊田町誌 別編 民俗文化史』と明記

  5. 郷土資料 一言坂の戦跡・一言観音(全国家康公ネットワーク・静岡商工会議所)

    「一言坂の戦跡・一言観音」の所在地が磐田市一言797(智恩斎)であること、家康の勝利祈願伝承を本文で確認

  6. 行政・公的資料 一言坂の戦跡(古戦場)|磐田市観光協会

    元亀3年(1572年)に浜松城へ退却する徳川軍が一言坂で武田軍に追いつかれたこと、本多忠勝の防戦により一騎も欠けず脱出したこと、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」の逸話を本文で確認

  7. 郷土資料 コトバンク「一言村」(日本歴史地名大系)

    磐田原南西部台地と天竜川左岸平野にまたがる村域、東海道が南端を横断、祝川・寺谷用水、正保郷帳の「法泉庵領・知恩寺領三石」、元禄11年以降の旗本皆川家領と陣屋を本文で確認

  8. 郷土資料 コトバンク「栄泉寺」(日本歴史地名大系)

    周智郡森町三倉の曹洞宗栄泉寺(太平山・本尊釈迦如来・文正元年に天台宗から改宗・山号は徳川家康から拝領と伝える)を確認。『磐田郡誌』が智恩齋の本寺と記す「元豊田郡三倉村栄泉寺」に相当するとみられる

  9. 民間二次情報 岡部英一ブログ「(19) 一言観音堂」

    一言観音堂がもとは本坂道(姫街道)沿いの台地にあり後に智恩斎の前に移されたと伝わること、興福寺南円堂の一言観音信仰との関係を本文で確認(既存出典の引き継ぎ)

  10. 郷土資料 いわたスペシャリスト認定試験 問題(磐田おんぱく掲載PDF)

    問49で一言坂の戦い・一言観音の伝承が取り上げられ、安置先を問う選択肢に智恩斎が含まれることを本文で確認(設問のため断定根拠には使用せず補助情報)

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このお寺が菩提寺のご家族へ

菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
  • 位牌の有無
  • お寺からの連絡を受ける人
  • お寺の連絡先
  • 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
  • 実家の名義
  • 実家を今後誰が管理するか
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Next Step

次に確認しておきたいこと

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