豊田地区・現存
豊田院
ほうでんいん
豊田院(ほうでんいん)は、磐田市気子島にある曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は万年山、本尊は地蔵菩薩で、下万能の正医寺の末寺として、慶長元年(1596年)5月18日に正医寺2世の徒弟によって開かれたと伝えられます。江戸時代の初めから400年余り、気子島の集落の菩提寺として歩んできました。
別称・関連名称万年山
- 寺院名
- 豊田院
- 地区
- 豊田
- 住所
- 静岡県磐田市気子島324番地
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 豊田院
- 読み方
- ほうでんいん
- 地区
- 豊田
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 地蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市気子島324番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 堂宇と寺名扁額/境内の鳥居と小祠
- 最終確認日
- 2026.07.18
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 豊田院
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 地蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
- 創建
- 慶長元年(1596年)5月18日開創(『静岡県磐田郡誌』による)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市気子島324番地
- 地区
- 豊田
Database 02
沿革
『静岡県磐田郡誌』にみえる由緒
『静岡県磐田郡誌』は、当寺を「豊田院(井通村)」として立項し、「井通村氣子島字宮前に在り。萬年山と號す。當村正醫寺の末寺にして、本尊は地藏菩薩なり。慶長元年五月十八日、本寺第二世の徒弟齡嫩の開創に係る」と記しています(開創者の僧名は同誌の活字で「齢嫩」と判読されます)。慶長元年(1596年)は豊臣秀吉の晩年、徳川家康の関東移封後にあたり、遠州の村々で検地が進み近世の村が形づくられていく時代でした。天竜川東岸の農村・気子島に、村の菩提寺として院号を持つ寺が開かれたのはこの頃のことです。
本寺・正医寺と末寺群
本寺の正医寺(東光山、下万能)は、寺伝では延暦元年(782年)の草創と伝わる古寺で、慶長5年(1600年)に巨山宗鯨大和尚により曹洞宗寺院として開山され、掛川の真如寺の法系に連なって末寺9か寺を有した寺院です。『静岡県磐田郡誌』には、同じ気子島の字宮前に慶長6年(1601年)創建の海円寺(青林山・本尊地蔵菩薩)、字上川田に慶長8年(1603年)創建の伝心寺(高野山・本尊虚空蔵菩薩)も正医寺末として立項されており、江戸初期の気子島には正医寺の末寺が相次いで開かれたことがわかります。なお郡誌の記載では、豊田院の開創(慶長元年)が正医寺の曹洞宗開山(慶長5年)に先立つ形になっており、この前後関係については資料の記載のまま示し、確認を続けています。
中世の気子島と仏教活動
『日本歴史地名大系』の気子島村の項には、明応2年(1493年)に「池田庄気子島」の住僧周勢が大般若波羅蜜多経を書写した記録(日枝神社蔵)がみえます。豊田院の開創より100年ほど前、中世末のこの集落にすでに僧侶が住み、大部の経典を書写するだけの仏教活動があったことが知られます。気子島が中世には池田庄に属したことも、この記録からうかがえます。周勢と豊田院との直接の関係は確認できていませんが、豊田院が開かれる土壌として、集落に根づいていた仏教信仰の伝統を示す貴重な記録です。
気子島の歴史環境と徳川七カ条定書
気子島には、磐田市指定文化財(古文書)として個人所有の「徳川七カ条定書」が伝来しています。徳川家康が三遠駿甲信の領地に出した農民支配に関わる文書で、『静岡県史料』第5輯には天正17年(1589年)9月17日付で家康の代官・伊奈熊蔵家次が「氣子嶋惣領方百姓中」に奉じた文書として収録されています。豊田院の開創前夜、気子島の百姓たちが徳川氏の支配のもとで村を営んでいたことを示す史料であり、その数年後に村の菩提寺として豊田院が開かれることになります。文書と豊田院との直接の関係は確認できていませんが、寺の草創期の村の姿を伝える背景史料です。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 地蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
- 宗教的意味
- 豊田院は、下万能の正医寺を本寺とする曹洞宗の寺院で、掛川の真如寺から正医寺へと連なる遠州曹洞宗の法系に属します。本尊の地蔵菩薩は、村人にもっとも身近な仏さまとして親しまれてきた菩薩で、同じ気子島に開かれた正医寺末の海円寺も地蔵菩薩を本尊としていました。江戸初頭の新しい村づくりの時代に、子どもと旅人、そして亡き人を守る地蔵菩薩を本尊として迎えたことは、この寺が村の暮らしのための寺として開かれたことを物語っています。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
堂宇と寺名扁額
2026年7月18日の現地確認では、豊田院の堂宇正面と寺名の扁額、入口の石柱、堂宇の側面を確認しています。天竜川東岸の平野の集落にひっそりと堂を構える、村の菩提寺らしい落ち着いたたたずまいです。
境内の鳥居と小祠
境内には鳥居を構えた小祠があることを現地写真で確認しています。寺と社が一つの境内に同居する姿は、神仏が分かちがたく結びついていた村の信仰のかたちを伝えるものです。祭神・由来は現時点では確認できていません。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
豊田院のある気子島は、磐田市の文化財保存活用地域計画が「家康をたすけたまち 願いをかなえる観音さまから渡船場へ」と特徴づける富岡・池田・井通地区に属します。同計画によれば、この地域は大半が天竜川によって作られた平野に位置し、平安時代には京都・松尾大社領の荘園で池田宿として栄え、戦国時代には徳川・武田の抗争の舞台となりました。地区内を東西に東海道と池田近道(姫街道)が通り、南北には寺谷用水が流れ、天竜川の水とともに生きる農村地帯として歴史を重ねてきました。中世の気子島が「池田庄」に属したことは大般若経の書写記録からも知られ、豊田院はこの池田庄以来の土地の記憶の上に建つ寺です。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』の当時、気子島は井通村に属し、豊田院は「井通村氣子島字宮前」の寺として立項されていました。井通村はのちの豊田村・豊田町を経て、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となっています。慶長の開創から400年余り、検地帳の時代から区画整理の時代まで、村のかたちが幾度変わっても、豊田院は気子島の人びとの葬送と先祖供養を担う場であり続けてきました。同じ字宮前に開かれた海円寺、字上川田の伝心寺という正医寺末の姉妹寺院の記憶とともに、境内に祀られた小祠とあわせて、村の祈りのかたちを今に伝えています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9360
- 宗派公式資料曹洞禅ナビ 豊田院
曹洞宗公式ポータルに磐田市気子島324の寺院として掲載。フリガナ「ホウデンイン」を本文で確認。山号・本尊・由緒の記載はなし。
- 行政・公的資料市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
気子島所在の市指定文化財「徳川七カ条定書」(所有者は個人)を本文で確認。豊田院所有の指定文化財は記載なし。
- 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「135 豊田院(井通村)」p.700-701
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ459)。原本画像で由緒全文を確認
- 郷土資料コトバンク「気子島村」(日本歴史地名大系)
明応2年の大般若経書写の記録
最終更新日 2026.07.19
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保存済み写真
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この寺院について
豊田院は磐田市気子島324番地、天竜川東岸の平野に開けた気子島の集落に所在する曹洞宗の寺院です。曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」にはフリガナ「ホウデンイン」として掲載されており、全国寺院データベースでも磐田市気子島324の曹洞宗寺院として確認できます。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば、山号は万年山、本尊は地蔵菩薩で、同じ井通村の正医寺(東光山・下万能)の末寺です。慶長元年(1596年)5月18日、正医寺2世の徒弟によって開創されたと記されており、江戸時代初頭に正医寺の末寺群のひとつとして開かれた寺であることがわかります。
気子島には中世末から僧侶の活動が知られ、徳川家康の文書が伝来するなど、近世初期からの歴史を重ねてきた集落です。豊田院はその集落の字宮前にあって、検地や新田開発とともに村が形を整えていく時代から、村人の葬送と先祖供養を担い続けてきました。指定文化財こそ持ちませんが、郡誌に立項された由緒と現地に残る堂宇が、江戸初頭以来の村の菩提寺の歴史を静かに伝えています。
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歴史と背景
『静岡県磐田郡誌』にみえる由緒
『静岡県磐田郡誌』は、当寺を「豊田院(井通村)」として立項し、「井通村氣子島字宮前に在り。萬年山と號す。當村正醫寺の末寺にして、本尊は地藏菩薩なり。慶長元年五月十八日、本寺第二世の徒弟齡嫩の開創に係る」と記しています(開創者の僧名は同誌の活字で「齢嫩」と判読されます)。慶長元年(1596年)は豊臣秀吉の晩年、徳川家康の関東移封後にあたり、遠州の村々で検地が進み近世の村が形づくられていく時代でした。天竜川東岸の農村・気子島に、村の菩提寺として院号を持つ寺が開かれたのはこの頃のことです。
本寺・正医寺と末寺群
本寺の正医寺(東光山、下万能)は、寺伝では延暦元年(782年)の草創と伝わる古寺で、慶長5年(1600年)に巨山宗鯨大和尚により曹洞宗寺院として開山され、掛川の真如寺の法系に連なって末寺9か寺を有した寺院です。『静岡県磐田郡誌』には、同じ気子島の字宮前に慶長6年(1601年)創建の海円寺(青林山・本尊地蔵菩薩)、字上川田に慶長8年(1603年)創建の伝心寺(高野山・本尊虚空蔵菩薩)も正医寺末として立項されており、江戸初期の気子島には正医寺の末寺が相次いで開かれたことがわかります。なお郡誌の記載では、豊田院の開創(慶長元年)が正医寺の曹洞宗開山(慶長5年)に先立つ形になっており、この前後関係については資料の記載のまま示し、確認を続けています。
中世の気子島と仏教活動
『日本歴史地名大系』の気子島村の項には、明応2年(1493年)に「池田庄気子島」の住僧周勢が大般若波羅蜜多経を書写した記録(日枝神社蔵)がみえます。豊田院の開創より100年ほど前、中世末のこの集落にすでに僧侶が住み、大部の経典を書写するだけの仏教活動があったことが知られます。気子島が中世には池田庄に属したことも、この記録からうかがえます。周勢と豊田院との直接の関係は確認できていませんが、豊田院が開かれる土壌として、集落に根づいていた仏教信仰の伝統を示す貴重な記録です。
気子島の歴史環境と徳川七カ条定書
気子島には、磐田市指定文化財(古文書)として個人所有の「徳川七カ条定書」が伝来しています。徳川家康が三遠駿甲信の領地に出した農民支配に関わる文書で、『静岡県史料』第5輯には天正17年(1589年)9月17日付で家康の代官・伊奈熊蔵家次が「氣子嶋惣領方百姓中」に奉じた文書として収録されています。豊田院の開創前夜、気子島の百姓たちが徳川氏の支配のもとで村を営んでいたことを示す史料であり、その数年後に村の菩提寺として豊田院が開かれることになります。文書と豊田院との直接の関係は確認できていませんが、寺の草創期の村の姿を伝える背景史料です。
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文化財・見どころ
堂宇と寺名扁額
2026年7月18日の現地確認では、豊田院の堂宇正面と寺名の扁額、入口の石柱、堂宇の側面を確認しています。天竜川東岸の平野の集落にひっそりと堂を構える、村の菩提寺らしい落ち着いたたたずまいです。
境内の鳥居と小祠
境内には鳥居を構えた小祠があることを現地写真で確認しています。寺と社が一つの境内に同居する姿は、神仏が分かちがたく結びついていた村の信仰のかたちを伝えるものです。祭神・由来は現時点では確認できていません。
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宗派と本尊を知る
豊田院は、下万能の正医寺を本寺とする曹洞宗の寺院で、掛川の真如寺から正医寺へと連なる遠州曹洞宗の法系に属します。本尊の地蔵菩薩は、村人にもっとも身近な仏さまとして親しまれてきた菩薩で、同じ気子島に開かれた正医寺末の海円寺も地蔵菩薩を本尊としていました。江戸初頭の新しい村づくりの時代に、子どもと旅人、そして亡き人を守る地蔵菩薩を本尊として迎えたことは、この寺が村の暮らしのための寺として開かれたことを物語っています。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
地蔵菩薩という仏さま
地蔵菩薩は、お釈迦さまが入滅してから弥勒菩薩がこの世に現れるまでの間、仏のいない世にあって人びとを救い続けると信じられてきた菩薩です。経典ではその間は56億7000万年に及ぶとも説かれ、地獄をはじめとする六道のすべてをめぐって、苦しむ者に寄り添うと伝えられます。
菩薩でありながら僧侶のような親しみやすい姿で表されるのが特徴で、特に子どもを守る仏として信仰が厚く、京都では江戸時代の初めから、町内ごとにお地蔵さまを囲んで子どもの成長を願う地蔵盆が営まれてきました。この地蔵盆は今も子どもが主役の夏の行事として受け継がれ、2014(平成26)年には「京都をつなぐ無形文化遺産」にも選定されています。
道端や寺の境内にたたずむ石のお地蔵さまに、花や前掛けが供えられている光景は、日本で最も身近な信仰のかたちのひとつでしょう。子育てや子どもの健康、亡き子の供養など、家族の切実な願いを受け止めてくださる仏さまです。
参考: 京都に伝わる地蔵信仰(浄土宗総本山知恩院 公式サイト)/弥勒菩薩の56億7千万年後の救済の出典(レファレンス協同データベース・国立国会図書館)
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地域とのつながり
豊田院のある気子島は、磐田市の文化財保存活用地域計画が「家康をたすけたまち 願いをかなえる観音さまから渡船場へ」と特徴づける富岡・池田・井通地区に属します。同計画によれば、この地域は大半が天竜川によって作られた平野に位置し、平安時代には京都・松尾大社領の荘園で池田宿として栄え、戦国時代には徳川・武田の抗争の舞台となりました。地区内を東西に東海道と池田近道(姫街道)が通り、南北には寺谷用水が流れ、天竜川の水とともに生きる農村地帯として歴史を重ねてきました。中世の気子島が「池田庄」に属したことは大般若経の書写記録からも知られ、豊田院はこの池田庄以来の土地の記憶の上に建つ寺です。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』の当時、気子島は井通村に属し、豊田院は「井通村氣子島字宮前」の寺として立項されていました。井通村はのちの豊田村・豊田町を経て、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となっています。慶長の開創から400年余り、検地帳の時代から区画整理の時代まで、村のかたちが幾度変わっても、豊田院は気子島の人びとの葬送と先祖供養を担う場であり続けてきました。同じ字宮前に開かれた海円寺、字上川田の伝心寺という正医寺末の姉妹寺院の記憶とともに、境内に祀られた小祠とあわせて、村の祈りのかたちを今に伝えています。
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年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
行事・法要の日程についての公開情報は確認できていません。施餓鬼会・彼岸会などの実施時期を含め、法要やお墓のご相談は寺院へ直接確認してください。
読み仮名は曹洞宗公式ポータルの表記により「ほうでんいん」としていますが、地元での呼び方を含め確認を続けています。
- 施餓鬼会・彼岸会など年中行事の実施時期
- 墓地・永代供養等の受け入れの有無
- 護持会・世話人会等の檀家組織の有無と活動内容
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
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よくある質問
- 豊田院の読み方と山号は?
-
曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」のフリガナでは「ホウデンイン」と表記されています。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は万年山です。地元での呼び方を含め、読みの確認を続けています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗で、下万能の正医寺の末寺という寺格を持ちます。本尊は『静岡県磐田郡誌』によれば地蔵菩薩です。ただし郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の安置状況は確認を続けています。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ開かれたお寺ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』によれば、慶長元年(1596年)5月18日に本寺・正医寺の2世の徒弟によって開創されました。江戸時代の初めに気子島の菩提寺として開かれた寺です。
本文「歴史と背景」を読む - 気子島にはほかにもお寺があったのですか?
-
『静岡県磐田郡誌』には、同じ気子島に慶長6年(1601年)創建の海円寺と慶長8年(1603年)創建の伝心寺が正医寺末として立項されています。両寺のその後(現存か廃寺か)は確認を続けています。
本文「歴史と背景」を読む - 徳川七カ条定書とはどんな文書ですか?
-
徳川家康が領地の農民支配に関して出した文書で、気子島に個人所有として伝来し、磐田市指定文化財(古文書)となっています。天正17年(1589年)に家康の代官が気子島の百姓中に宛てた文書が『静岡県史料』に収録されています。豊田院との直接の関係は確認されていません。
本文「地域とのつながり」を読む - 法要やお墓参りの相談はできますか?
-
行事・法要の日程や墓地についての公開情報は現時点では確認できていません。法要やお墓のご相談は寺院へ直接お問い合わせください。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む - 本寺の正医寺とはどんなお寺ですか?
-
東光山正医寺は下万能の曹洞宗寺院で、寺伝では延暦元年(782年)の草創と伝わり、慶長5年(1600年)に巨山宗鯨大和尚により曹洞宗寺院として開山されました。遠州三十三観音霊場第19番札所としても知られ、豊田院はその末寺群のひとつです。
本文「歴史と背景」を読む
08
写真で見る境内
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出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9360。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 豊田院
曹洞宗公式ポータルに磐田市気子島324の寺院として掲載。フリガナ「ホウデンイン」を本文で確認。山号・本尊・由緒の記載はなし
- 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
気子島所在の市指定文化財「徳川七カ条定書」(古文書・所有者は個人)を本文で確認。豊田院所有の指定文化財は記載なし
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「135 豊田院(井通村)」p.700-701
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ459)。原本画像で由緒全文(万年山・正医寺末・本尊地蔵菩薩・慶長元年5月18日開創・開創者「齢嫩」)を確認。気子島の海円寺・伝心寺の立項もあわせて確認
- 郷土資料 コトバンク「気子島村」(日本歴史地名大系)
明応2年(1493年)の「池田庄気子島」住僧周勢による大般若経書写の記録(日枝神社蔵)を確認
- 民間二次情報 静岡県磐田市の寺院・御堂一覧(サーチ寺院)
磐田市気子島324・曹洞宗の豊田院の登載を本文で確認
- 宗派公式資料 遠州三十三観音霊場めぐり「正醫寺(磐田市下万能・19番札所)」
本寺・正医寺の沿革(延暦元年草創の寺伝、慶長5年3月10日巨山宗鯨大和尚開山・曹洞宗改宗)を霊場会公式サイトで確認(本寺の記述の裏取りに使用)
- 行政・公的資料 磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)
p.44「C富岡・池田・井通地区」の地域特徴(天竜川の平野・松尾大社領荘園・池田宿・東海道と池田近道・寺谷用水)を確認
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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