竜洋地区・現存
寶珠院
ほうじゅいん
寶珠院(ほうじゅいん)は、磐田市十郎島(旧磐田郡竜洋町域)にある臨済宗方広寺派の寺院です。『静岡県磐田郡誌』によれば如意山と号し、本尊は高王観世音菩薩で、慶長元年(1596年)3月に心叟の開山により開かれ、慶長5年(1600年)7月に分派して一寺となった、掛塚輪中の村・十郎島の菩提寺です。
別称・関連名称宝珠院/如意山宝珠院
- 寺院名
- 寶珠院
- 地区
- 竜洋
- 住所
- 静岡県磐田市十郎島26番地ノ1
- 宗派
- 臨済宗方広寺派
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 寶珠院
- 読み方
- ほうじゅいん
- 地区
- 竜洋
- 宗派
- 臨済宗方広寺派
- ご本尊(資料上)
- 高王観世音菩薩
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市十郎島26番地ノ1
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
- 最終確認日
- 2026.07.11
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 寶珠院
- 宗派
- 臨済宗方広寺派
- 本尊
- 高王観世音菩薩
- 創建
- 慶長元年(1596年)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市十郎島26番地ノ1
- 地区
- 竜洋
Database 02
沿革
慶長元年(1596年)の開山と慶長5年の分派
『静岡県磐田郡誌』の由緒によれば、寶珠院は慶長元年(1596年)3月に心叟の開山により開かれ、慶長5年(1600年)7月に分派して一寺となりました。慶長5年(1600年)は関ヶ原の戦いの年にあたります。同じころの天竜川下流域では、川袋の潜龍寺が慶長元年(1596年)に金叔和尚により中興されるなど、方広寺派の寺院の創立・再興が相次いでおり、寶珠院の成立も戦国末期から近世初頭にかけて掛塚輪中の村々に禅宗が根を下ろしていった動きの中に位置付けられます。なお開山心叟の法系や分派元の寺院名は郡誌に明記されておらず、確認できていません。
本尊・高王観世音菩薩
『静岡県磐田郡誌』は寶珠院の本尊を高王観世音菩薩と記しています。高王観世音菩薩は『高王観世音経』を称える信仰に基づく観音さまの尊名で、寺院の本尊としては比較的珍しいものです。山号の如意山も、観音さまの持物である如意宝珠を思わせる寺号「寶珠院」と響き合う名です。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)編纂時点のもので、本尊像の現況や伝来については現時点では確認できていません。
掛塚輪中の村・十郎島
『日本歴史地名大系』の十郎島村の項によれば、十郎島は天正19年(1591年)の四拾七村惣高辻書上(横山家文書)に「拾良嶋」高53石余とみえる小さな村で、掛塚輪中の中央西側に位置します。天竜川の流路の変化に伴い、村だけで中洲になったこともあると伝えられる低地の村で、洪水と隣り合わせの暮らしが続きました。寶珠院の由緒にみえる字名「居村」は、集落の中心を示す地名で、寺が村人の暮らしのただ中に建てられていたことをうかがわせます。掛塚輪中には十郎島のほか掛塚・白羽・川袋・豊岡などの村々が含まれ、それぞれが堤防とともに洪水と向き合いながら暮らしを営んできました。
近代の歩みと現在
明治22年(1889年)に十郎島は掛塚町の大字となりました。同年の東海道線開通で掛塚湊の舟運は衰えに向かい、輪中の村々の暮らしも農業を中心とするものへ変わっていきます。昭和30年(1955年)の竜洋町発足、平成17年(2005年)の磐田市への合併を経て現在に至ります。寶珠院は現在も大本山方広寺の公式末寺一覧に十郎島の寺院として掲載されていますが、一覧には連絡先や墓地対応の記載がなく、住職の常駐・兼務の状況は確認できていません。なお愛知県新城市には同名・同派の宝珠院(山号神龍山)があり、Web検索ではその情報が上位に出やすいため、当ページでは磐田市十郎島の寺院に関する資料のみを採用しています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 高王観世音菩薩
- 宗教的意味
- 寶珠院は、奥山半僧坊で知られる大本山方広寺を本山と仰ぐ臨済宗方広寺派の寺院です。『静岡県磐田郡誌』が記す本尊の高王観世音菩薩は『高王観世音経』の信仰に基づく観音さまの尊名で、本尊としては珍しく、水害と隣り合わせだった輪中の村で観音さまの救いを求めた人々の祈りがうかがえます。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
寶珠院のある十郎島を含む旧竜洋町域は、天竜川左岸の河口部に広がる低地です。天竜川河口の掛塚湊は、江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと伝えられます。掛塚は大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地でもあり、貴船神社の境内には大正13年(1924年)建立の掛塚港廻船之碑が残ります。十郎島の村人たちも、この湊町の経済圏の中で農業とともに暮らしてきました。
掛塚の貴船神社の例祭「掛塚まつり」では、静岡県指定無形民俗文化財の掛塚祭屋台囃子とともに豪華な屋台が曳き回されます。この囃子には、延元3年(1338年)に後醍醐天皇の皇子・宗良親王の船団が遠州沖の暴風雨で白羽に漂着し、貴船神社の大祭で随員から囃子が伝授されたという南北朝時代以来の伝承が残ります。湊の暮らしの記憶は、廻船の絵馬が白羽神社に奉納されるなど、寺社の奉納物にも刻まれています。
明治22年(1889年)の東海道線開通とともに舟運は衰えましたが、現在の竜洋地区は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地する町となり、天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われています。掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館もこの地区にあり、寶珠院をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた竜洋の歴史を伝えています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9304
- 宗派公式資料方広寺派末寺一覧(磐田市・袋井市)|臨済宗方広寺派大本山方広寺
本山公式の末寺一覧に「宝珠院(十郎島)〒438-0236 磐田市十郎島26-1」として掲載されていることを本文で確認。
- 民間二次情報縁起 - 宝珠院(愛知県新城市)
検索で上位に出る同名寺院サイト。トップページで所在地が愛知県新城市井代大貝津81と確認できたため、磐田市十郎島の寶珠院とは別寺院。同サイトの創建・縁起情報を当寺に転用しないこと(混同防止のための記録)。
- 民間二次情報竜洋町 - Wikipedia
十郎島を含む旧竜洋町の沿革(1955年発足、2005年合併)を本文で確認。
- 郷土資料静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(1921年)コマ435「寳珠院(掛塚町)」
国立国会図書館デジタルコレクション(全文検索で本文確認)
- 郷土資料コトバンク「十郎島村」(日本歴史地名大系)
天正19年の「拾良嶋」高53石余、掛塚輪中内の村況
- 宗派公式資料大本山方広寺 末寺のご案内(磐田市・袋井市)
一覧掲載のみ。「磐田市十郎島 宝珠院 〒438-0236 磐田市十郎島26-1」として掲載(新字表記)。連絡先・墓地サービスの掲載なし。由緒・本尊の記載はない。
最終更新日 2026.07.19
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01
この寺院について
寶珠院は磐田市十郎島26番地の1に所在する臨済宗方広寺派の寺院で、大本山方広寺(浜松市浜名区引佐町奥山)の公式末寺一覧に「宝珠院(十郎島)」として掲載されています(本山の一覧では新字の「宝珠院」表記)。静岡県知事所轄宗教法人名簿にも磐田市内の宗教法人として掲載されており、宗門・行政の両方の名簿でその存在が確認できます。臨済宗方広寺派は静岡県内の方広寺を大本山とする臨済宗の一派で、旧竜洋町域には同派の寺院が多く分布します。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』の由緒には「掛塚町十郞島字居村に在り。奧山方廣寺派如意山と號す。本尊は、高王觀世音菩薩なり。慶長元年三月、心叟の開山に係り同五年七月分派せらる」とあります。慶長元年(1596年)に心叟が開山し、慶長5年(1600年)に本寺から分かれて一寺となった、関ヶ原の戦い前後の時期に成立した寺院です。同じ郡誌の掛塚町の部には潜龍寺・香集寺・龍泉寺など臨済宗の寺々が並んで立項されており、寶珠院もその1つとして記録されています。
所在地の十郎島は、天竜川河口の掛塚輪中の中央西側に位置する旧十郎島村の区域です。十郎島村は明治22年(1889年)に掛塚村・白羽村・豊岡村・川袋村とともに合併して掛塚町となり、昭和30年(1955年)の竜洋町発足、平成17年(2005年)の合併を経て磐田市十郎島(郵便番号438-0236)となりました。
02
歴史と背景
慶長元年(1596年)の開山と慶長5年の分派
『静岡県磐田郡誌』の由緒によれば、寶珠院は慶長元年(1596年)3月に心叟の開山により開かれ、慶長5年(1600年)7月に分派して一寺となりました。慶長5年(1600年)は関ヶ原の戦いの年にあたります。同じころの天竜川下流域では、川袋の潜龍寺が慶長元年(1596年)に金叔和尚により中興されるなど、方広寺派の寺院の創立・再興が相次いでおり、寶珠院の成立も戦国末期から近世初頭にかけて掛塚輪中の村々に禅宗が根を下ろしていった動きの中に位置付けられます。なお開山心叟の法系や分派元の寺院名は郡誌に明記されておらず、確認できていません。
本尊・高王観世音菩薩
『静岡県磐田郡誌』は寶珠院の本尊を高王観世音菩薩と記しています。高王観世音菩薩は『高王観世音経』を称える信仰に基づく観音さまの尊名で、寺院の本尊としては比較的珍しいものです。山号の如意山も、観音さまの持物である如意宝珠を思わせる寺号「寶珠院」と響き合う名です。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)編纂時点のもので、本尊像の現況や伝来については現時点では確認できていません。
掛塚輪中の村・十郎島
『日本歴史地名大系』の十郎島村の項によれば、十郎島は天正19年(1591年)の四拾七村惣高辻書上(横山家文書)に「拾良嶋」高53石余とみえる小さな村で、掛塚輪中の中央西側に位置します。天竜川の流路の変化に伴い、村だけで中洲になったこともあると伝えられる低地の村で、洪水と隣り合わせの暮らしが続きました。寶珠院の由緒にみえる字名「居村」は、集落の中心を示す地名で、寺が村人の暮らしのただ中に建てられていたことをうかがわせます。掛塚輪中には十郎島のほか掛塚・白羽・川袋・豊岡などの村々が含まれ、それぞれが堤防とともに洪水と向き合いながら暮らしを営んできました。
近代の歩みと現在
明治22年(1889年)に十郎島は掛塚町の大字となりました。同年の東海道線開通で掛塚湊の舟運は衰えに向かい、輪中の村々の暮らしも農業を中心とするものへ変わっていきます。昭和30年(1955年)の竜洋町発足、平成17年(2005年)の磐田市への合併を経て現在に至ります。寶珠院は現在も大本山方広寺の公式末寺一覧に十郎島の寺院として掲載されていますが、一覧には連絡先や墓地対応の記載がなく、住職の常駐・兼務の状況は確認できていません。なお愛知県新城市には同名・同派の宝珠院(山号神龍山)があり、Web検索ではその情報が上位に出やすいため、当ページでは磐田市十郎島の寺院に関する資料のみを採用しています。
03
宗派と本尊を知る
寶珠院は、奥山半僧坊で知られる大本山方広寺を本山と仰ぐ臨済宗方広寺派の寺院です。『静岡県磐田郡誌』が記す本尊の高王観世音菩薩は『高王観世音経』の信仰に基づく観音さまの尊名で、本尊としては珍しく、水害と隣り合わせだった輪中の村で観音さまの救いを求めた人々の祈りがうかがえます。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
臨済宗方広寺派とは
臨済宗方広寺派は、静岡県浜松市浜名区引佐町奥山の方広寺を大本山とする臨済宗の一派です。方広寺は建徳2年(1371年)、後醍醐天皇の皇子である無文元選禅師によって開かれ、禅師が修行した中国・天台山方広寺に山水の趣が似ていることから、その名が付けられたと伝えられます。60ヘクタールに及ぶ境内には多くの堂宇が建ち並び、その多くが国の登録有形文化財となっています。
境内の鎮守として祀られる半僧坊大権現は、無文元選禅師の帰国の船を海難から守ったという故事に由来し、「奥山半僧坊」として厄除けの信仰を広く集めてきました。磐田市の寺院にとっては、県内にある最も身近な大本山のひとつです。
修行の中心は坐禅で、檀家の法要では「般若心経」などの読誦が親しまれ、葬儀や年回法要は臨済宗の伝統に沿って営まれます。本山が地理的に近いことから、本山への参詣や坐禅の体験を通じて、菩提寺と本山のつながりを実感しやすい宗派といえます。
観音菩薩という仏さま
観音菩薩は、正式には観世音菩薩といい、世の人びとの苦しみの声を観じて、ただちに救いに赴くとされる菩薩です。『法華経』の観世音菩薩普門品(観音経)には、相手に応じて33の姿に身を変えて救うと説かれています。その姿は、老人や子ども、僧侶や天女など、救う相手に最もふさわしいものへと臨機応変に変わるとされ、この教えから観音さまは古くから最も広く信仰を集めてきました。
基本の姿である聖観音のほか、あらゆる方向に顔を向けて見守る十一面観音、千の手と眼で漏れなく救いの手を差し伸べる千手観音、憤怒の形相をとる馬頭観音など、多彩な変化観音が生み出され、それぞれの姿で人びとのさまざまな願いに応えてきました。
病気平癒や家内安全など現世のご利益を願う信仰に加え、観音霊場を順に巡る三十三所の巡礼も各地で育まれてきました。地域の観音堂や観音講を通じて、身近な悩みを聞き届けてくださる仏さまとして、今も厚く親しまれています。
04
地域とのつながり
寶珠院のある十郎島を含む旧竜洋町域は、天竜川左岸の河口部に広がる低地です。天竜川河口の掛塚湊は、江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと伝えられます。掛塚は大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地でもあり、貴船神社の境内には大正13年(1924年)建立の掛塚港廻船之碑が残ります。十郎島の村人たちも、この湊町の経済圏の中で農業とともに暮らしてきました。
掛塚の貴船神社の例祭「掛塚まつり」では、静岡県指定無形民俗文化財の掛塚祭屋台囃子とともに豪華な屋台が曳き回されます。この囃子には、延元3年(1338年)に後醍醐天皇の皇子・宗良親王の船団が遠州沖の暴風雨で白羽に漂着し、貴船神社の大祭で随員から囃子が伝授されたという南北朝時代以来の伝承が残ります。湊の暮らしの記憶は、廻船の絵馬が白羽神社に奉納されるなど、寺社の奉納物にも刻まれています。
明治22年(1889年)の東海道線開通とともに舟運は衰えましたが、現在の竜洋地区は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地する町となり、天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われています。掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館もこの地区にあり、寶珠院をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた竜洋の歴史を伝えています。
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年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
大本山方広寺の末寺一覧には当寺の連絡先や墓地対応の記載がありません。法要・お墓の相談窓口は確認できていないため、地区の檀家組織や本山を通じた確認をおすすめします。
- 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要など)の有無・日程は未確認
- 現在の本尊・伽藍の様子(郡誌の記載は1921年時点)は未確認
- 住職の常駐・兼務の状況は未確認(本山公式一覧に連絡先の記載がない)
- 遠江四十九薬師霊場・遠州三十三観音等の札所該当の有無は未確認
- 檀家組織・護持会の有無は未確認
- 山号「如意山」の現行表記(山号額等)は未確認
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
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よくある質問
- 寶珠院の読み方と表記は?
-
「ほうじゅいん」と読みます。『静岡県磐田郡誌』は旧字で「寳珠院」、大本山方広寺の末寺一覧は新字で「宝珠院」と表記しており、当ページでは寺院名簿の表記に従い「寶珠院」を用いています。正式な表記は寺院側資料での確認を進めています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本山は?
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臨済宗方広寺派で、本山は浜松市浜名区引佐町奥山の大本山方広寺(奥山半僧坊で知られる寺院)です。建徳2年(1371年)に無文元選禅師が開いた禅寺です。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ誰が開いたお寺ですか?
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『静岡県磐田郡誌』によれば慶長元年(1596年)3月に心叟の開山により開かれ、慶長5年(1600年)7月に分派して一寺となりました。慶長5年は関ヶ原の戦いの年にあたり、戦国から江戸へ移る時代の節目に独立した寺院です。
本文「歴史と背景」を読む - 本尊の高王観世音菩薩とはどんな仏さまですか?
-
『高王観世音経』を称える信仰に基づく観音さまの尊名で、寺院の本尊としては比較的珍しいものです。『静岡県磐田郡誌』が当寺の本尊として記していますが、本尊像の現況は確認できていません。
本文「宗派と本尊」を読む - 愛知県新城市の宝珠院と同じお寺ですか?
-
別の寺院です。新城市の宝珠院(山号神龍山)は同名・同派のためWeb検索で情報が混ざりやすく、当ページでは磐田市十郎島の寺院に関する資料のみを採用しています。
本文「この寺院について」を読む - 十郎島とはどんな土地ですか?
-
天竜川河口の掛塚輪中の中にある旧十郎島村の区域です。天正19年(1591年)の記録に「拾良嶋」高53石余とみえる小さな村で、天竜川の流路の変化で村ごと中洲になったこともあると伝えられます。
本文「地域とのつながり」を読む - 近くの方広寺派の寺院との関係はありますか?
-
旧竜洋町域には寶珠院のほか、川袋の潜龍寺・松林寺、堀之内の常楽寺・東福寺、白羽の龍泉寺など方広寺派の寺院が集中しています。県内にある大本山方広寺との地理的な近さを背景に教線が広がったものですが、各寺との本末・兼務関係の詳細は確認できていません。
本文「地域とのつながり」を読む - 法要やお墓の相談はどこにすればよいですか?
-
本山公式の末寺一覧に当寺の連絡先の記載がなく、相談窓口は確認できていません。地区の檀家組織や大本山方広寺を通じた確認をおすすめします。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
07
写真で見る境内
08
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載(参照行: L9304)。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 宗派公式資料 方広寺派末寺一覧(磐田市・袋井市)|臨済宗方広寺派大本山方広寺
本山公式の末寺一覧に「宝珠院(十郎島)〒438-0236 磐田市十郎島26-1」として掲載(新字表記)。連絡先・墓地対応欄の記載がないことを確認。由緒・本尊の記載はない
- 郷土資料 静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(1921年)コマ435「寳珠院(掛塚町)」
国立国会図書館デジタルコレクション。掛塚町十郎島字居村・如意山・本尊高王観世音菩薩・慶長元年3月心叟開山・慶長5年7月分派の由緒を確認
- 郷土資料 コトバンク「十郎島村」(日本歴史地名大系)
天正19年(1591年)の四拾七村惣高辻書上(横山家文書)にみえる「拾良嶋」高53石余、掛塚輪中内の村況、天竜川の流路の変化で村ごと中洲になったこともあるとの記載を確認
- 民間二次情報 縁起 - 宝珠院(愛知県新城市)
検索上位に出る同名・同派の寺院サイト。所在地が愛知県新城市井代であることを確認し、磐田市十郎島の寶珠院とは別寺院と判明。混同防止のための記録
- 宗派公式資料 方広寺について(臨済宗方広寺派大本山 方広寺)
大本山方広寺が建徳2年(1371年)に後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師により開かれたこと、奥山半僧坊信仰の由来を確認
- 民間二次情報 コトバンク「竜洋」(日本大百科全書ほか)
昭和30年(1955年)の竜洋町発足と平成17年(2005年)の磐田市への合併、掛塚港が明治22年(1889年)の東海道線開通期まで天竜木材の集積地として栄えたこと、現在の農業・工業の概況を確認
- 行政・公的資料 磐田市公式サイト「施設ガイド 竜洋郷土資料館」
掛塚湊が木材等諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したとの記述、掛塚祭や竜洋地区の暮らしに関する資料を収蔵する同館の展示概要を確認
- 行政・公的資料 磐田市観光協会「掛塚湊の碑(竜洋海洋公園内)」
掛塚地区が大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地・天竜川舟運の湊として繁栄したこと、貴船神社境内の掛塚港廻船之碑(大正13年建立)を確認
- 行政・公的資料 磐田市公式サイト「掛塚祭屋台囃子」(県指定無形民俗文化財)
貴船神社の祭典の屋台囃子が静岡県指定無形民俗文化財であること、延元3年(1338年)に宗良親王の船団が白羽に漂着し随員から囃子が伝授されたという伝承を確認
- 行政資料 磐田市公式サイト「旧竜洋町の住所表示」
竜洋町十郎島→磐田市十郎島(438-0236)の住所変更を確認
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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