福田地区・現存

慶昌寺

けいしょうじ

ページ充実度 標準 最終確認 2026.07.19

慶昌寺(けいしょうじ)は、磐田市福田にある曹洞宗の寺院で、円福山と号します。大正10年(1921年)刊『静岡県磐田郡誌』によれば、享保8年(1723年)に松秀寺10世慈眼詳雲を開山に請じて開かれ、本尊は馬頭観世音菩薩と伝わります。磐田郡三十三観音霊場の第32番札所です。

別称・関連名称円福山慶昌寺

寺院名
慶昌寺
地区
福田
住所
静岡県磐田市福田1834番地
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
慶昌寺
読み方
けいしょうじ
地区
福田
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
馬頭観世音菩薩(大正10年刊『静岡県磐田郡誌』による)
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市福田1834番地
Googleマップ
Googleマップで開く
寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
本堂・山門と寺号額/石仏堂と境内の蓮
最終確認日
2026.07.18

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

慶昌寺の本堂正面
現地写真・本堂・堂宇
慶昌寺本堂の入口
本堂・堂宇
慶昌寺の山門正面
入口・石標
慶昌寺山門の寺名表示
入口・石標
慶昌寺本堂の寺号額
説明板・案内板
慶昌寺の山号石柱
入口・石標
宗派曹洞宗
創建・年代享保8年(1723年)
本尊馬頭観世音菩薩(大正10年刊『静岡県磐田郡誌』による)
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地福田・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
慶昌寺
宗派
曹洞宗
本尊
馬頭観世音菩薩(大正10年刊『静岡県磐田郡誌』による)
創建
享保8年(1723年)
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市福田1834番地
地区
福田

Database 02

沿革

享保8年(1723年)の開山

『静岡県磐田郡誌』(大正10年=1921年刊)の曹洞宗寺院の部は、慶昌寺について円福山と号し、西浅羽村松秀寺の末寺で、本尊は馬頭観世音菩薩と記しています。享保8年(1723年)2月、松秀寺10世の慈眼詳雲を請じて開山とした、と同誌は伝えます。本寺の松秀寺は文亀元年(1501年)創建と伝わる曹洞宗の古刹で、慶長2年(1597年)に徳川家康から朱印12石を拝領した、遠州南部に多くの末寺を持つ寺院です。福田・豊浜地区の松秀寺末寺のうち、竜雲寺(天正6年=1578年)や西福寺(慶長10年=1605年)が戦国末期から江戸時代初頭の創建と伝わるのに対し、慶昌寺は江戸時代中期の享保年間の創建で、この一帯の松秀寺末としては新しい寺院にあたります。

明治14年(1881年)の法地昇格

『静岡県磐田郡誌』によれば、慶昌寺は明治14年(1881年)9月に法地となりました。法地とは、住職が代々住持する寺格を指し、開創から約160年を経て寺の基盤が固まったことを示す記録です。福田を含む一帯は明治22年(1889年)に山名郡福島村となり、大正15年(1926年)10月31日の町制施行で福田町と改称、平成17年(2005年)4月1日の合併で現在の磐田市の一部となりました。慶昌寺はこの間、福田のまちなかの寺として歩みを続けています。なお、兵庫県川西市にも同名の曹洞宗「定林山慶昌寺」が存在しますが、これは別の寺院であり、Web上の情報を参照する際には混同に注意が必要です。

馬頭観音を本尊とする寺

慶昌寺の本尊として『静岡県磐田郡誌』が記す馬頭観世音菩薩は、観音菩薩の変化身のひとつで、憤怒の形相によって災いを打ち砕くとされる尊格です。福田・豊浜地区の寺院では、竜雲寺・西福寺・観音寺などが釈迦牟尼如来や聖観世音菩薩を本尊とするなか、馬頭観世音菩薩を本尊とする点は当寺の特色です。馬頭観音は農耕馬や運搬馬の守り仏として近世の農村で広く信仰された尊格でもあり、農業と舟運で栄えた福田の土地柄との関わりがうかがえますが、当寺の本尊がいつどのような経緯で迎えられたかを伝える資料は現時点では確認できていません。現在の本尊の安置状況が郡誌の記載と同一かどうかも、寺院側資料での確認が今後の課題です。

磐田郡三十三観音霊場の札所として

慶昌寺は磐田郡三十三観音霊場の第32番札所です。この霊場は旧磐田郡域の観音霊場を巡る札所網で、第1番は同じ福田の観音寺、結願の第33番は南島の宗次寺とされており、慶昌寺は巡礼の終盤、結願を目前にした札所にあたります。福田のまちなかから南島へと続く札所の並びは、旧福田町域の観音信仰の広がりを示すものであり、慶昌寺もその一角として、農漁業と織物業に生きた地域の人びとの観音参りを受け止めてきました。霊場としての現在の巡拝実態や札所本尊の安置状況は、寺院・霊場関係者への確認が今後の課題です。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
馬頭観世音菩薩(大正10年刊『静岡県磐田郡誌』による)
宗教的意味
慶昌寺は坐禅の教えを受け継ぐ曹洞宗に属し、袋井市の松秀寺を本寺とする末寺として開かれました。『静岡県磐田郡誌』が記す本尊の馬頭観世音菩薩は、観音菩薩が憤怒の姿をとった変化身で、馬が草を食むように人びとの煩悩や災いを食い尽くすと信じられてきた仏さまです。磐田郡三十三観音霊場第32番札所として、福田の観音信仰の系譜に連なっています。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

現地確認

本堂・山門と寺号額

2026年7月18日の現地写真で、本堂正面と寺号額、山門、門前の石標を確認しました。指定文化財ではありませんが、福田のまちなかに堂宇を構える寺院の現況を伝える境内景観です。建立年代など建造物の来歴は今後の調査課題です。

現地確認

石仏堂と境内の蓮

境内には石仏を納めた小堂があり、夏には蓮が花を咲かせます。石仏の尊名や造立年代の判読は今後の課題ですが、檀家や近隣の人びとの日々の祈りを受け止めてきた境内の要素として記録します。

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

慶昌寺のある福田は、遠州灘に面した旧福田町の中心集落です。『日本歴史地名大系』によれば、福田を含む旧福田町域は太田川が南流して町を東西に分け、今之浦川・僧川が流れる低地で、16世紀には舟運による物資の集散地として栄えた土地でした。近代以降の福田は、福田漁港のしらす漁と繊維産業のまちとして知られます。福田漁港では2隻の船で1つの網を曳く船曳網漁法によるしらす漁が盛んで、水揚げの大部分をしらすが占めています。また福田を含む天龍社産地は別珍・コーデュロイの国内生産の95%を担う産地とされ、慶昌寺の建つまちなかは、機屋の織機の音とともに歩んできました。

字村中という地名が示すとおり、慶昌寺は村の中心部に位置し、同じ字内の観音寺とともにまちの信仰を支えてきました。磐田郡三十三観音霊場の札所として、農漁業と織物業に生きた福田の人びとの観音参りを受け止めてきた歴史は、この寺が地域の記憶の中に根を下ろしていることを示しています。現在、福田の海岸部では南海トラフ巨大地震に備えた高さ14メートル・延長11キロメートルの海岸防潮堤の整備が進むなど、まちの姿は変わりつつありますが、慶昌寺は檀家の法要と供養の場として今も福田のまちなかにあり続けています。なお、磐田市が公開する福田地区の指定避難所一覧に慶昌寺は含まれておらず、災害時の避難先としては別途市の指定施設を確認する必要があります。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9322

  2. 宗派公式資料慶昌寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式 寺院ポータルサイト)

    曹洞宗公式ポータルに磐田市福田1834の寺院として掲載されていることを本文で確認。山号・由緒の記載はなし。

  3. 民間二次情報卍慶昌寺|静岡県磐田市 - 八百万の神

    宗派=曹洞宗、所在地=磐田市福田1834を確認。本尊欄は宗派標準(釈迦牟尼仏)の機械的表示のため採用せず。

  4. 郷土資料静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(大正10年刊)684〜685頁(コマ451)

    国立国会図書館デジタルコレクション。曹洞宗寺院の部「71 慶昌寺(福島村)」。円福山・松秀寺末・享保8年開山・馬頭観世音菩薩・明治14年法地を確認

  5. 民間二次情報Wikipedia「福田町 (静岡県)」

    明治22年(1889年)福島村成立、大正15年(1926年)10月31日町制施行・福田町改称を確認

  6. 民間二次情報ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場

    第32番=円福山慶昌寺(曹洞宗・福田1834)を確認。寺名・宗派・住所がDBと一致。

  7. 民間二次情報慶昌寺(静岡県磐田市)の永代供養墓・樹木葬・納骨堂

    永代供養サービス紹介ページ。寺院自身の発信ではなく仲介サイト。

  8. 行政・公的資料指定避難所一覧 福田地区|磐田市公式ウェブサイト

    福田地区の指定避難所5施設に慶昌寺は含まれないことを確認。

最終更新日 2026.07.19

01

この寺院について

慶昌寺は磐田市福田1834番地、旧福田町の中心市街に所在する曹洞宗の寺院です。山号は円福山で、西浅羽村松秀寺(現在の袋井市富里にある曹洞宗寺院)の末寺でした。『静岡県磐田郡誌』は本尊を馬頭観世音菩薩と記しています。曹洞宗公式の寺院検索サイト「曹洞禅ナビ」にも磐田市福田の寺院として登録されています。

『静岡県磐田郡誌』は所在を「福島村福田字村中」と記します。同じ字村中には、遠州三十三観音霊場第21番札所の観音寺(永禄2年=1559年草創と伝わる曹洞宗寺院)が所在し、慶昌寺と観音寺はいずれも磐田郡三十三観音霊場の札所として、福田のまちなかで観音信仰を受け継いできました。

2026年7月18日の現地写真では、本堂正面、寺号額、山門、石標、石仏堂、境内の蓮と庭木を確認しています。年中行事や檀家組織などの現況は公開資料からは確認できておらず、今後の調査課題です。

02

歴史と背景

享保8年(1723年)の開山

『静岡県磐田郡誌』(大正10年=1921年刊)の曹洞宗寺院の部は、慶昌寺について円福山と号し、西浅羽村松秀寺の末寺で、本尊は馬頭観世音菩薩と記しています。享保8年(1723年)2月、松秀寺10世の慈眼詳雲を請じて開山とした、と同誌は伝えます。本寺の松秀寺は文亀元年(1501年)創建と伝わる曹洞宗の古刹で、慶長2年(1597年)に徳川家康から朱印12石を拝領した、遠州南部に多くの末寺を持つ寺院です。福田・豊浜地区の松秀寺末寺のうち、竜雲寺(天正6年=1578年)や西福寺(慶長10年=1605年)が戦国末期から江戸時代初頭の創建と伝わるのに対し、慶昌寺は江戸時代中期の享保年間の創建で、この一帯の松秀寺末としては新しい寺院にあたります。

明治14年(1881年)の法地昇格

『静岡県磐田郡誌』によれば、慶昌寺は明治14年(1881年)9月に法地となりました。法地とは、住職が代々住持する寺格を指し、開創から約160年を経て寺の基盤が固まったことを示す記録です。福田を含む一帯は明治22年(1889年)に山名郡福島村となり、大正15年(1926年)10月31日の町制施行で福田町と改称、平成17年(2005年)4月1日の合併で現在の磐田市の一部となりました。慶昌寺はこの間、福田のまちなかの寺として歩みを続けています。なお、兵庫県川西市にも同名の曹洞宗「定林山慶昌寺」が存在しますが、これは別の寺院であり、Web上の情報を参照する際には混同に注意が必要です。

馬頭観音を本尊とする寺

慶昌寺の本尊として『静岡県磐田郡誌』が記す馬頭観世音菩薩は、観音菩薩の変化身のひとつで、憤怒の形相によって災いを打ち砕くとされる尊格です。福田・豊浜地区の寺院では、竜雲寺・西福寺・観音寺などが釈迦牟尼如来や聖観世音菩薩を本尊とするなか、馬頭観世音菩薩を本尊とする点は当寺の特色です。馬頭観音は農耕馬や運搬馬の守り仏として近世の農村で広く信仰された尊格でもあり、農業と舟運で栄えた福田の土地柄との関わりがうかがえますが、当寺の本尊がいつどのような経緯で迎えられたかを伝える資料は現時点では確認できていません。現在の本尊の安置状況が郡誌の記載と同一かどうかも、寺院側資料での確認が今後の課題です。

磐田郡三十三観音霊場の札所として

慶昌寺は磐田郡三十三観音霊場の第32番札所です。この霊場は旧磐田郡域の観音霊場を巡る札所網で、第1番は同じ福田の観音寺、結願の第33番は南島の宗次寺とされており、慶昌寺は巡礼の終盤、結願を目前にした札所にあたります。福田のまちなかから南島へと続く札所の並びは、旧福田町域の観音信仰の広がりを示すものであり、慶昌寺もその一角として、農漁業と織物業に生きた地域の人びとの観音参りを受け止めてきました。霊場としての現在の巡拝実態や札所本尊の安置状況は、寺院・霊場関係者への確認が今後の課題です。

03

文化財・見どころ

現地確認

本堂・山門と寺号額

2026年7月18日の現地写真で、本堂正面と寺号額、山門、門前の石標を確認しました。指定文化財ではありませんが、福田のまちなかに堂宇を構える寺院の現況を伝える境内景観です。建立年代など建造物の来歴は今後の調査課題です。

現地確認

石仏堂と境内の蓮

境内には石仏を納めた小堂があり、夏には蓮が花を咲かせます。石仏の尊名や造立年代の判読は今後の課題ですが、檀家や近隣の人びとの日々の祈りを受け止めてきた境内の要素として記録します。

04

宗派と本尊を知る

慶昌寺は坐禅の教えを受け継ぐ曹洞宗に属し、袋井市の松秀寺を本寺とする末寺として開かれました。『静岡県磐田郡誌』が記す本尊の馬頭観世音菩薩は、観音菩薩が憤怒の姿をとった変化身で、馬が草を食むように人びとの煩悩や災いを食い尽くすと信じられてきた仏さまです。磐田郡三十三観音霊場第32番札所として、福田の観音信仰の系譜に連なっています。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

観音菩薩という仏さま

観音菩薩は、正式には観世音菩薩といい、世の人びとの苦しみの声を観じて、ただちに救いに赴くとされる菩薩です。『法華経』の観世音菩薩普門品(観音経)には、相手に応じて33の姿に身を変えて救うと説かれています。その姿は、老人や子ども、僧侶や天女など、救う相手に最もふさわしいものへと臨機応変に変わるとされ、この教えから観音さまは古くから最も広く信仰を集めてきました。

基本の姿である聖観音のほか、あらゆる方向に顔を向けて見守る十一面観音、千の手と眼で漏れなく救いの手を差し伸べる千手観音、憤怒の形相をとる馬頭観音など、多彩な変化観音が生み出され、それぞれの姿で人びとのさまざまな願いに応えてきました。

病気平癒や家内安全など現世のご利益を願う信仰に加え、観音霊場を順に巡る三十三所の巡礼も各地で育まれてきました。地域の観音堂や観音講を通じて、身近な悩みを聞き届けてくださる仏さまとして、今も厚く親しまれています。

参考: 観音様を知ろう(日本遺産「会津の三十三観音めぐり」公式サイト)e国宝 十一面観音像(国立文化財機構)

05

地域とのつながり

慶昌寺のある福田は、遠州灘に面した旧福田町の中心集落です。『日本歴史地名大系』によれば、福田を含む旧福田町域は太田川が南流して町を東西に分け、今之浦川・僧川が流れる低地で、16世紀には舟運による物資の集散地として栄えた土地でした。近代以降の福田は、福田漁港のしらす漁と繊維産業のまちとして知られます。福田漁港では2隻の船で1つの網を曳く船曳網漁法によるしらす漁が盛んで、水揚げの大部分をしらすが占めています。また福田を含む天龍社産地は別珍・コーデュロイの国内生産の95%を担う産地とされ、慶昌寺の建つまちなかは、機屋の織機の音とともに歩んできました。

字村中という地名が示すとおり、慶昌寺は村の中心部に位置し、同じ字内の観音寺とともにまちの信仰を支えてきました。磐田郡三十三観音霊場の札所として、農漁業と織物業に生きた福田の人びとの観音参りを受け止めてきた歴史は、この寺が地域の記憶の中に根を下ろしていることを示しています。現在、福田の海岸部では南海トラフ巨大地震に備えた高さ14メートル・延長11キロメートルの海岸防潮堤の整備が進むなど、まちの姿は変わりつつありますが、慶昌寺は檀家の法要と供養の場として今も福田のまちなかにあり続けています。なお、磐田市が公開する福田地区の指定避難所一覧に慶昌寺は含まれておらず、災害時の避難先としては別途市の指定施設を確認する必要があります。

06

年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

年中行事の日程や法要の受付については、公開資料で確認できる情報がないため、寺院へ直接確認してください。

磐田郡三十三観音霊場の札所巡りで訪れる場合も、法要中は檀家の供養が優先されます。境内では静粛にお参りください。

境内は福田のまちなかの住宅地に接しています。法要やお墓参りで訪れる際は、近隣への配慮をお願いします。

調査中の項目
  • 施餓鬼会・彼岸会等の年中行事の時期・檀家参列可否
  • 永代供養墓・樹木葬・納骨堂の有無と内容(民間の霊園紹介サイトに取扱いの記載があるが、寺院公式の裏付けは未確認)
  • 護持会・世話人会等の檀家組織の有無
  • 法事参列者向け駐車場の有無

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

07

よくある質問

慶昌寺の読み方と山号は?

「けいしょうじ」と読みます。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は円福山です。兵庫県川西市の同名寺院「定林山慶昌寺」とは別の寺院です。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

曹洞宗で、袋井市の松秀寺を本寺とする末寺でした。『静岡県磐田郡誌』は本尊を馬頭観世音菩薩と記しています。現在の安置状況は寺院側資料での確認が課題です。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ誰が開いたお寺ですか?

『静岡県磐田郡誌』によれば、享保8年(1723年)2月に松秀寺10世の慈眼詳雲を開山に請じて開かれました。周辺の松秀寺末寺の中では新しい、江戸時代中期の創建です。

本文「歴史と背景」を読む
札所になっていますか?

磐田郡三十三観音霊場の第32番札所です。第1番の観音寺(福田)から第33番の宗次寺(南島)に至る札所網の一角にあたります。

本文「宗派と本尊」を読む
法地とは何ですか?

住職が代々住持する寺格のことです。『静岡県磐田郡誌』によれば、慶昌寺は明治14年(1881年)9月に法地となりました。

本文「歴史と背景」を読む
同じ福田の観音寺とはどんな関係ですか?

慶昌寺と観音寺は、『静岡県磐田郡誌』が記す旧地名でいずれも「福島村福田字村中」に所在した曹洞宗寺院です。本末関係などの直接のつながりを示す資料は確認できていませんが、ともに磐田郡三十三観音霊場の札所として福田の観音信仰を支えてきました。

本文「地域とのつながり」を読む
本寺の松秀寺はどんなお寺ですか?

袋井市富里にある曹洞宗の古刹で、文亀元年(1501年)の創建と伝わり、慶長2年(1597年)に徳川家康から朱印12石を拝領しました。福田・豊浜地区には竜雲寺・西福寺など松秀寺を本寺とする末寺が複数ありました。

本文「歴史と背景」を読む
永代供養やお墓の相談はできますか?

民間の霊園紹介サイトに永代供養墓等の取扱いの記載がありますが、寺院公式の情報は確認できていません。詳細は寺院へ直接確認してください。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む

08

写真で見る境内

慶昌寺の本堂正面
本堂・堂宇 慶昌寺の本堂正面。参道から堂宇全体を望む主写真。
慶昌寺本堂の入口
本堂・堂宇 本堂正面の入口と「慶昌寺」の寺号額。
慶昌寺の山門正面
入口・石標 慶昌寺の山門正面。門柱に寺名表示を確認できる。
慶昌寺山門の寺名表示
入口・石標 山門脇に掲げられた「慶昌寺」の寺名表示。
慶昌寺本堂の寺号額
説明板・案内板 本堂正面に掲げられた「慶昌寺」の寺号額。
慶昌寺の山号石柱
入口・石標 「岡福山」と刻まれた石柱。山号を確認できる現地写真。
慶昌寺の寺名石柱
入口・石標 「慶昌寺」と刻まれた石柱。
慶昌寺境内の石造物
石造物・手水 境内に祀られた石造物と供花を記録。
慶昌寺境内の庭木
境内全景 本堂前の庭木と境内景観。
慶昌寺境内の石灯籠
石造物・手水 庭木の間に立つ石灯籠と本堂周辺。
慶昌寺境内の松
境内全景 境内に広がる松の枝と参道周辺。
慶昌寺境内の蓮
境内全景 境内の鉢に咲く蓮の花。
慶昌寺境内の地蔵堂
石造物・手水 境内に立つ地蔵堂と石仏。
慶昌寺境内の蓮鉢
境内全景 参道脇に置かれた蓮鉢。

09

出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9322。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 郷土資料 静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(大正10年刊)684〜685頁(コマ451)

    国立国会図書館デジタルコレクション。曹洞宗寺院の部「71 慶昌寺(福島村)」。円福山・松秀寺末・享保8年開山・本尊馬頭観世音菩薩・明治14年法地を確認

  3. 宗派公式資料 慶昌寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式 寺院ポータルサイト)

    曹洞宗公式ポータルに磐田市福田1834の寺院として掲載されていることを確認(既存出典を引き継ぎ。2026年7月19日時点でサイト接続不可のため再確認は未了)

  4. 民間二次情報 卍慶昌寺|静岡県磐田市 - 八百万の神

    宗派=曹洞宗、所在地=磐田市福田1834を確認(既存出典を引き継ぎ)

  5. 民間二次情報 Wikipedia「福田町 (静岡県)」

    明治22年(1889年)福島村成立、大正15年(1926年)10月31日町制施行・福田町改称の確認に使用(発見用の既存出典を引き継ぎ)

  6. 民間二次情報 ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場

    第32番=円福山慶昌寺(曹洞宗・福田1834)を確認。寺名・宗派・住所がDBと一致(既存出典を引き継ぎ)

  7. 宗派公式資料 松秀寺(袋井市富里・16番札所)| 遠州三十三観音霊場めぐり

    本寺松秀寺について、曹洞宗・文亀元年(1501年)創建・慶長2年(1597年)家康朱印12石拝領・袋井市富里453の所在を確認(本寺の文脈として使用)

  8. 行政・公的資料 シラス|磐田市公式ウェブサイト

    福田漁港の船曳網漁法によるしらす漁と、水揚げの大部分をしらすが占めることを確認(地区の文脈として使用)

  9. 郷土資料 『日本歴史地名大系』福田町の項(コトバンク)

    旧福田町域の地理(太田川・今之浦川・僧川)と、16世紀に舟運による物資の集散地として栄えたことを確認(地区の文脈として使用)

  10. 民間二次情報 コーデュロイ・別珍の静岡・天龍社産地|繊研新聞

    磐田市(福田)を含む天龍社産地が別珍・コーデュロイの国内生産の95%を占めることを確認(地区の文脈として使用)

  11. 行政・公的資料 海岸防潮堤整備事業|磐田市公式ウェブサイト

    福田・豊浜の海岸部で高さ14メートル・延長11キロメートルの防潮堤整備が進められていることを確認(地区の現況として使用)

  12. 行政・公的資料 指定避難所一覧 福田地区|磐田市公式ウェブサイト

    福田地区の指定避難所5施設に慶昌寺は含まれないことを確認(既存出典を引き継ぎ)

For Families

このお寺が菩提寺のご家族へ

菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
  • 位牌の有無
  • お寺からの連絡を受ける人
  • お寺の連絡先
  • 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
  • 実家の名義
  • 実家を今後誰が管理するか
家族で確認しておきたいことを見る →

Next Step

次に確認しておきたいこと

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