福田地区・現存
多聞寺
たもんじ
多聞寺(たもんじ)は、磐田市中野にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は吉祥山と伝わります。『静岡県磐田郡誌』は天文22年(1553年)の開山と記し、本尊の毘沙門天(多聞天)が寺号の由来と考えられます。徳川氏の代官頭・伊奈忠次から寺領の寄進を受けた記録も残る、中野の歴史とともに歩んできた寺院です。
別称・関連名称吉祥山多聞寺
- 寺院名
- 多聞寺
- 地区
- 福田
- 住所
- 静岡県磐田市中野532番地の1
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 多聞寺
- 読み方
- たもんじ
- 地区
- 福田
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
- ご本尊(資料上)
- 毘沙門天(聖徳太子の御作と伝える。『静岡県磐田郡誌』による)
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市中野532番地の1
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 地蔵堂(伝弘法大師作の地蔵尊)/梵鐘
- 最終確認日
- 2026.07.18
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 多聞寺
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
- 本尊
- 毘沙門天(聖徳太子の御作と伝える。『静岡県磐田郡誌』による)
- 創建
- 天文22年(1553年)9月3日、黙宗の分派開山(『静岡県磐田郡誌』による)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市中野532番地の1
- 地区
- 福田
Database 02
沿革
天文22年(1553年)の開山と戦国期の中野
『静岡県磐田郡誌』の由緒によれば、多聞寺の開山は天文22年(1553年)9月3日、黙宗による分派で、覚仙が住職となりました。本寺の見性寺は見付にある臨済宗妙心寺派の寺院(山号は瑞雲山)で、不動三尊立像・刺繍十六羅漢図・五鈷鈴の3件の磐田市指定文化財を今に所蔵する古刹です。多聞寺はその末寺として開かれています。同時代の中野村については、天正17年(1589年)9月13日付の徳川家七ヵ条定書が「中野村」宛てに発せられたことが『日本歴史地名大系』に見えており、開山から間もない戦国末期の中野が、徳川氏の支配下で村としてのまとまりを持っていたことが分かります。多聞寺は、こうした戦国末期の村の営みの中で法灯を伝え始めた寺院です。
伊奈忠次の寺領寄進と正保郷帳
『日本歴史地名大系』の中野村の項によれば、慶長6年(1601年)2月、徳川氏の代官頭・伊奈忠次が「中能」の多聞寺宛てに寺領1石余を寄進する手形を発給し、同年7月には「中野村八幡社」宛てに社領1石を寄進しています。伊奈忠次(1550年から1610年)は、検地の施行や新田開発、河川の修治とともに寺社領の寄進を担った徳川氏の代官頭で、その手法はのちの幕府農政の基本になったとされる人物です。関ヶ原合戦の翌年にあたるこの寄進は、徳川氏による遠江の寺社政策の一端を示すものといえます。江戸時代前期の正保郷帳では、中野村の村高233石余(田方144石余・畑方86石余)のうちに多聞寺領1石余と八幡領1石が含まれており、この寺社領が江戸時代を通じて維持されたことが分かります。
天保の再建と安政の地震
『静岡県磐田郡誌』の由緒は、天保4年(1833年)9月に第12世の天祐が堂宇を再建したこと、その後の安政元年(1854年)の地震により堂宇倒壊の被害を受けたことを記しています。江戸時代後期の再建から間もない被災でしたが、大正10年(1921年)刊の同誌に境内593坪の寺院として収録されていることから、地震の後も寺が村の中で維持されてきたことがうかがえます。12世という世代の重なりは、開山以来、住職が代々法灯を継いできたことを物語ります。
中野村から磐田市中野へ
中野村は、明治22年(1889年)4月1日の町村制施行で発足した天竜村の大字となりました。『静岡県磐田郡誌』が多聞寺の所在を「天龍村中野字村西」と記すのはこのためです。天竜村は昭和15年(1940年)11月1日に磐田町の一部となり、磐田町は昭和23年(1948年)4月1日の市制施行で磐田市となりました。以来、当寺の所在地は磐田市中野です。なお、平成17年(2005年)4月1日の合併では、旧福田町の「福田町中野」が「磐田市豊浜中野」に改称されており、当寺のある「磐田市中野」とは別の大字として区別されています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 毘沙門天(聖徳太子の御作と伝える。『静岡県磐田郡誌』による)
- 宗教的意味
- 多聞寺は、見付の見性寺を本寺とする臨済宗妙心寺派の寺院です。本尊の毘沙門天は、四天王の一員としては多聞天と呼ばれる護法の神で、寺号「多聞寺」はこの本尊に対応しています。『静岡県磐田郡誌』は本尊を聖徳太子の御作と伝えると記しており、戦国期に開かれた禅寺が、村を守る毘沙門天への信仰とともに歩んできたことを示しています。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
地蔵堂(伝弘法大師作の地蔵尊)
『静岡県磐田郡誌』は、境内に仏堂1宇があって地蔵尊を安置し、弘法大師の作との伝説があるものの創立年代は不詳と記しています。禅宗寺院の境内に大師伝説を持つ地蔵尊が祀られてきたことは、宗派の枠を越えて村の信仰を受け止めてきた当寺の歩みを示しています。現存の状況は現地での確認が必要です。
梵鐘
2026年7月18日の現地確認で、境内に梵鐘があることが確認されています。鋳造年代や銘文などの詳細は現時点では確認できておらず、今後の調査課題です。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
多聞寺のある中野は、正保郷帳に村高233石余(田方144石余・畑方86石余)と記録された、田畑の広がる農村でした。村内には鎮守の八幡社があり、慶長6年(1601年)には多聞寺への寺領1石余と八幡社への社領1石がそろって寄進され、正保郷帳でも両者の領地が村高の内に数えられています。寺と社がともに村の暮らしの核として位置づけられ、江戸時代を通じてそれが保たれてきたことが、記録の上からうかがえます。
『静岡県磐田郡誌』には、見性寺の末寺として当寺のほかにも上岡田の大蔵寺や豊島の天正寺などが記されており、見付の本寺と周辺の村々の末寺を結ぶ関係の中に、中野の多聞寺も位置づけられていました。天保4年(1833年)の再建も、安政元年(1854年)の震災からの復興も、村の檀家が寺を支え続けたからこそ可能だったはずです。中野村はその後、天竜村の大字、磐田町を経て磐田市中野となりましたが、開山と伝わる天文22年(1553年)から数えて470年余り、多聞寺は行政区分の変遷を越えて中野の集落とともにあり続けてきました。2026年7月18日の現地確認でも、参道や梵鐘を備えた境内の姿が確認されており、村の記憶を受け継ぐ場であり続けています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9083
- 郷土資料『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)434コマ・414コマ
国立国会図書館デジタルコレクション。由緒(434コマ)に本尊毘沙門天・天文22年黙宗分派開山・天保4年再建・安政地震被災、一覧表(414コマ)に山号吉祥山・境内593坪
- 郷土資料『日本歴史地名大系』中野村(遠江国豊田郡)の項(コトバンク)
慶長6年の伊奈忠次による多聞寺への寺領1石余寄進手形、正保郷帳の多聞寺領1石余の記録
- 宗派公式資料臨黄ネット 寺院検索(静岡県磐田市・妙心寺派)
一覧掲載のみ。寺名「多聞寺(たもんじ)」・住所「中野532-1」を確認(台帳と一致)。本尊・由緒・行事欄は空欄。
最終更新日 2026.07.19
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この寺院について
多聞寺は、静岡県磐田市中野532番地の1に所在する臨済宗妙心寺派の寺院です。静岡県知事所轄宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人として掲載され、臨済宗・黄檗宗公式の寺院検索(臨黄ネット)にも「多聞寺(たもんじ)」として収録されています。2026年7月18日の現地確認では、堂宇の正面、境内、参道、梵鐘が確認されており、現在も伽藍を構える現存寺院です。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば、山号は吉祥山、見付の見性寺の末寺で、本尊は毘沙門天を安置し、聖徳太子の御作と伝えられていました。毘沙門天は仏法を守る四天王の一・多聞天と同体であり、寺号「多聞寺」は本尊と対応しています。同誌の一覧表によれば、1921年当時の境内地は593坪でした。境内には地蔵尊を安置する仏堂1宇があり、弘法大師の作との伝説が記されています。
当寺は公開されている情報が少ない寺院でもあります。臨黄ネットの寺院検索でも掲載は寺名と住所のみで、本尊・由緒・行事の欄は空欄となっており、寺史の骨格は『静岡県磐田郡誌』と『日本歴史地名大系』の記録によって知ることができます。また、多聞寺という寺号の寺院は全国に多くあり、磐田市内には当寺の所在地「磐田市中野」とは別に、旧福田町域の「磐田市豊浜中野」という大字もあるため、当寺について調べる際は、磐田市中野532番地の1・臨済宗妙心寺派であることの確認が欠かせません。
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歴史と背景
天文22年(1553年)の開山と戦国期の中野
『静岡県磐田郡誌』の由緒によれば、多聞寺の開山は天文22年(1553年)9月3日、黙宗による分派で、覚仙が住職となりました。本寺の見性寺は見付にある臨済宗妙心寺派の寺院(山号は瑞雲山)で、不動三尊立像・刺繍十六羅漢図・五鈷鈴の3件の磐田市指定文化財を今に所蔵する古刹です。多聞寺はその末寺として開かれています。同時代の中野村については、天正17年(1589年)9月13日付の徳川家七ヵ条定書が「中野村」宛てに発せられたことが『日本歴史地名大系』に見えており、開山から間もない戦国末期の中野が、徳川氏の支配下で村としてのまとまりを持っていたことが分かります。多聞寺は、こうした戦国末期の村の営みの中で法灯を伝え始めた寺院です。
伊奈忠次の寺領寄進と正保郷帳
『日本歴史地名大系』の中野村の項によれば、慶長6年(1601年)2月、徳川氏の代官頭・伊奈忠次が「中能」の多聞寺宛てに寺領1石余を寄進する手形を発給し、同年7月には「中野村八幡社」宛てに社領1石を寄進しています。伊奈忠次(1550年から1610年)は、検地の施行や新田開発、河川の修治とともに寺社領の寄進を担った徳川氏の代官頭で、その手法はのちの幕府農政の基本になったとされる人物です。関ヶ原合戦の翌年にあたるこの寄進は、徳川氏による遠江の寺社政策の一端を示すものといえます。江戸時代前期の正保郷帳では、中野村の村高233石余(田方144石余・畑方86石余)のうちに多聞寺領1石余と八幡領1石が含まれており、この寺社領が江戸時代を通じて維持されたことが分かります。
天保の再建と安政の地震
『静岡県磐田郡誌』の由緒は、天保4年(1833年)9月に第12世の天祐が堂宇を再建したこと、その後の安政元年(1854年)の地震により堂宇倒壊の被害を受けたことを記しています。江戸時代後期の再建から間もない被災でしたが、大正10年(1921年)刊の同誌に境内593坪の寺院として収録されていることから、地震の後も寺が村の中で維持されてきたことがうかがえます。12世という世代の重なりは、開山以来、住職が代々法灯を継いできたことを物語ります。
中野村から磐田市中野へ
中野村は、明治22年(1889年)4月1日の町村制施行で発足した天竜村の大字となりました。『静岡県磐田郡誌』が多聞寺の所在を「天龍村中野字村西」と記すのはこのためです。天竜村は昭和15年(1940年)11月1日に磐田町の一部となり、磐田町は昭和23年(1948年)4月1日の市制施行で磐田市となりました。以来、当寺の所在地は磐田市中野です。なお、平成17年(2005年)4月1日の合併では、旧福田町の「福田町中野」が「磐田市豊浜中野」に改称されており、当寺のある「磐田市中野」とは別の大字として区別されています。
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文化財・見どころ
地蔵堂(伝弘法大師作の地蔵尊)
『静岡県磐田郡誌』は、境内に仏堂1宇があって地蔵尊を安置し、弘法大師の作との伝説があるものの創立年代は不詳と記しています。禅宗寺院の境内に大師伝説を持つ地蔵尊が祀られてきたことは、宗派の枠を越えて村の信仰を受け止めてきた当寺の歩みを示しています。現存の状況は現地での確認が必要です。
梵鐘
2026年7月18日の現地確認で、境内に梵鐘があることが確認されています。鋳造年代や銘文などの詳細は現時点では確認できておらず、今後の調査課題です。
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宗派と本尊を知る
多聞寺は、見付の見性寺を本寺とする臨済宗妙心寺派の寺院です。本尊の毘沙門天は、四天王の一員としては多聞天と呼ばれる護法の神で、寺号「多聞寺」はこの本尊に対応しています。『静岡県磐田郡誌』は本尊を聖徳太子の御作と伝えると記しており、戦国期に開かれた禅寺が、村を守る毘沙門天への信仰とともに歩んできたことを示しています。
臨済宗妙心寺派とは
臨済宗妙心寺派は、坐禅によって自らの本性に目覚めることを目指す臨済宗の一派で、大本山は京都市右京区花園の妙心寺です。建武4年(1337年)、花園法皇が離宮を禅寺に改めることを発願し、関山慧玄禅師を開山に迎えて開創されました。「正法山妙心寺」の寺名は、開山に先立ち宗峰妙超禅師によって名づけられたものです。末寺はおよそ3400か寺を数え、臨済宗では最大の宗派です。ご本尊として釈迦牟尼仏を安置する寺院が多いのも臨済宗の特徴です。
修行の中心は坐禅で、師から与えられる問い(公案)に取り組みながら自己を見つめ、日々の作務や生活そのものを修行とする禅風が特色です。生活の中で心を調えることが、そのまま禅の実践につながると説かれます。
檀家の法要では「般若心経」や「観音経」などが読誦され、葬儀では導師が故人を仏の世界へ導く引導の作法に禅宗らしさが表れます。菩提寺で坐禅会が開かれることも多く、暮らしの中で禅に親しむ機会が身近にある宗派です。
毘沙門天という仏さま
毘沙門天は、仏の世界を東西南北から守る四天王の一尊で、四天王として祀られる時は多聞天、単独で祀られる時は毘沙門天と呼ばれ、北方の守護を受け持ちます。インド神話の財宝の神クベーラを前身とし、仏法とそれを信じる人びとを守る勇ましい護法の神とされてきました。
武運や必勝を祈る神であると同時に、七福神の一柱に数えられる福の神でもあり、除災招福や商売繁盛、家内安全など幅広いご利益で庶民に親しまれてきました。毘沙門天信仰の総本山とされる奈良の信貴山朝護孫子寺では「福徳随一」とたたえられています。
寺院では本尊として祀られるほか、護法の神としてお堂や山門に安置されることもあります。信貴山では、親孝行や善い行い、世の中への貢献といった日々の心がけを大切にするよう説かれており、福はそうした暮らしの姿勢とともに授かるものとされています。厄を払い、福を招く力強い守り神として、新しい年の平安や商売の繁盛を祈る参拝を通じ、地域の暮らしに根づいてきた仏さまです。
参考: ご本尊 毘沙門天王(信貴山朝護孫子寺 公式サイト)/毘沙門天(多聞天)についての説明(大岩山毘沙門天 公式サイト)
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地域とのつながり
多聞寺のある中野は、正保郷帳に村高233石余(田方144石余・畑方86石余)と記録された、田畑の広がる農村でした。村内には鎮守の八幡社があり、慶長6年(1601年)には多聞寺への寺領1石余と八幡社への社領1石がそろって寄進され、正保郷帳でも両者の領地が村高の内に数えられています。寺と社がともに村の暮らしの核として位置づけられ、江戸時代を通じてそれが保たれてきたことが、記録の上からうかがえます。
『静岡県磐田郡誌』には、見性寺の末寺として当寺のほかにも上岡田の大蔵寺や豊島の天正寺などが記されており、見付の本寺と周辺の村々の末寺を結ぶ関係の中に、中野の多聞寺も位置づけられていました。天保4年(1833年)の再建も、安政元年(1854年)の震災からの復興も、村の檀家が寺を支え続けたからこそ可能だったはずです。中野村はその後、天竜村の大字、磐田町を経て磐田市中野となりましたが、開山と伝わる天文22年(1553年)から数えて470年余り、多聞寺は行政区分の変遷を越えて中野の集落とともにあり続けてきました。2026年7月18日の現地確認でも、参道や梵鐘を備えた境内の姿が確認されており、村の記憶を受け継ぐ場であり続けています。
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年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
年中行事や法要の日程について公開されている情報は、現時点では確認できていません。法要・お墓参りなどで訪れる際は、寺院へ直接確認してください。
磐田市内には「磐田市豊浜中野」(旧福田町域)という別の大字もあります。地図や住所で調べる際は「磐田市中野532番地の1」であることを確認してください。
- 施餓鬼会・彼岸会など年中行事の有無と日程
- 墓地・永代供養の取扱い
- 護持会など檀家組織の有無・活動内容
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
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よくある質問
- 多聞寺の読み方は?
-
「たもんじ」と読みます。臨済宗・黄檗宗公式の寺院検索(臨黄ネット)に「多聞寺(たもんじ)」として登録されています。山号は吉祥山と『静岡県磐田郡誌』に記されています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本寺は?
-
臨済宗妙心寺派です。『静岡県磐田郡誌』によれば、見付の見性寺の末寺として開かれました。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ開かれたお寺ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』の由緒によれば、天文22年(1553年)9月3日、黙宗による分派で開山し、覚仙が住職となりました。戦国時代の開山から数えて470年余りの歴史を持ちます。
本文「歴史と背景」を読む - 本尊は何ですか?寺号との関係は?
-
本尊は毘沙門天で、聖徳太子の御作と伝えられると『静岡県磐田郡誌』に記されています。毘沙門天は四天王の一員としては多聞天と呼ばれ、寺号「多聞寺」はこの本尊に対応しています。
本文「宗派と本尊」を読む - 徳川氏との関わりはありますか?
-
慶長6年(1601年)2月、徳川氏の代官頭・伊奈忠次から寺領1石余の寄進を受けました。この寺領は江戸時代前期の正保郷帳でも中野村の村高のうちに数えられており、江戸時代を通じて維持されました。
本文「歴史と背景」を読む - 法要やお墓のことを相談できますか?
-
年中行事・墓地・檀家組織について公開されている情報は、現時点では確認できていません。法要やお墓参り、供養の相談で訪れる際は、寺院へ直接確認してください。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む - 磐田市豊浜中野の大泉寺・西福寺と同じ「中野」にあるお寺ですか?
-
別の場所です。当寺の所在地は「磐田市中野」で、旧福田町域の「磐田市豊浜中野」(平成17年の合併前は福田町中野)とは異なる大字です。同名の地名のため、混同に注意が必要です。
本文「この寺院について」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9083。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)434コマ(由緒)
国立国会図書館デジタルコレクション。由緒に所在(天龍村中野字村西)・見性寺末・本尊毘沙門天(聖徳太子御作の伝)・天文22年9月3日の黙宗分派開山と覚仙住職・地蔵堂(伝弘法大師作・創立年代不詳)・天保4年9月の12世天祐による再建・安政元年の地震による堂宇倒壊を確認
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)414コマ(臨済宗寺院一覧表)
国立国会図書館デジタルコレクション。一覧表に山号吉祥山・境内593坪を確認
- 郷土資料 『日本歴史地名大系』中野村(遠江国豊田郡)の項(コトバンク)
現磐田市中野にあたること、天正17年9月13日の徳川家七ヵ条定書、慶長6年2月の伊奈忠次による多聞寺への寺領1石余寄進と同年7月の八幡社への社領1石寄進、正保郷帳の村高233石余(田方144石余・畑方86石余)と多聞寺領1石余・八幡領1石を本文で確認
- 郷土資料 伊奈忠次(コトバンク)
生没年(1550年〜1610年)、徳川氏の代官頭として検地・新田開発・河川修治・寺社領寄進を担い、その手法がのちの幕府農政の基本となったことを本文で確認
- 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
本寺・見性寺が所蔵する市指定文化財3件(不動三尊立像・刺繍十六羅漢図・五鈷鈴、いずれも平成17年11月21日指定)を一覧本文で確認(本寺の紹介の根拠として使用)
- 宗派公式資料 臨黄ネット 寺院検索(静岡県磐田市・妙心寺派)
一覧掲載のみ。寺名「多聞寺(たもんじ)」・住所「中野532-1」を確認(名簿と一致)。本尊・由緒・行事欄は空欄。
- 行政・公的資料 歴史的行政区域データセットβ版「静岡県磐田郡天竜村」(国立情報学研究所)
天竜村が1889年4月1日成立・1940年11月1日廃止で磐田郡磐田町に統合されたことを確認
- 行政・公的資料 歴史的行政区域データセットβ版「静岡県磐田郡磐田町」(国立情報学研究所)
磐田町の有効期間が1940年11月1日〜1948年4月1日で、領域が現在の磐田市に引き継がれたこと(1948年の市制施行)を確認
- 行政・公的資料 旧福田町の住所表示|磐田市公式ウェブサイト
平成17年(2005年)の合併に伴い旧福田町の「福田町中野」が「磐田市豊浜中野」に変更されたことを一覧表で確認(当寺所在地の「磐田市中野」とは別の大字であることの根拠)。
- 現地確認 現地確認(2026年7月18日、ATAWI TEMPLE編集部)
多聞寺の堂宇正面、境内、参道、梵鐘を現地写真で確認
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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