福田地区・現存

正眼院

しょうげんいん

ページ充実度 標準 最終確認 2026.07.19

正眼院(しょうげんいん)は、磐田市小島にある曹洞宗の寺院で、拈華山と号し、本尊は千手観世音菩薩です。寺伝では治承年中(1177年から1181年)に平家の侍大将・平景清を開基として建立されたと伝わり、永正12年(1515年)に森町の雲林寺8世孤山堯隣和尚を迎えて曹洞宗寺院として再興されました。

別称・関連名称拈華山

寺院名
正眼院
地区
福田
住所
静岡県磐田市小島738番地
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
正眼院
読み方
しょうげんいん
地区
福田
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
千手観世音菩薩
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市小島738番地
Googleマップ
Googleマップで開く
寺院公式サイト
公式サイトあり
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
3件の年中行事・法要情報を掲載
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
山門と拈華山扁額/由緒板と境内の石造物
最終確認日
2026.07.18

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

正眼院の本堂正面と参道
現地写真・本堂・堂宇
正眼院本堂の正面
本堂・堂宇
正眼院の山門
入口・石標
正眼院本堂の階段と拈華山扁額
本堂・堂宇
正眼院本堂の拈華山扁額
説明板・案内板
拈華山扁額の近景
説明板・案内板
宗派曹洞宗
創建・年代治承年中(1177〜1181年)の開創と伝わる
本尊千手観世音菩薩
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地福田・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
正眼院
宗派
曹洞宗
本尊
千手観世音菩薩
創建
治承年中(1177〜1181年)の開創と伝わる
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市小島738番地
地区
福田

Database 02

沿革

平景清開基の伝承と真言宗時代

曹洞禅ナビに掲載された由緒によれば、正眼院は治承年中(1177年から1181年)、平家の侍大将・平悪七兵衛景清を開基として開創されたと伝えられます。平景清は屋島の合戦で源氏方の武者の兜の錣を引きちぎった豪勇の逸話で知られ、後世には謡曲「景清」や近松門左衛門の浄瑠璃「出世景清」の題材となり、全国各地に伝説を残した武将です。当初の正眼院は真言宗に属し、10町四方の境内に数十の坊舎が立ち並び、寺領も95石を数えたと伝わりますが、平家滅亡後に寺領は没収され、寺は衰退したとされます。平安末期の開基伝承を史料で裏付けることはできませんが、往時の規模を伝える寺伝は、小島の地に古くから大きな信仰の場があったという記憶を今に伝えています。

永正12年(1515年)の曹洞宗再興

由緒によれば、永正12年(1515年)、雲林寺(静岡県周智郡森町)8世の孤山堯隣和尚を請して古跡地を開墾し、7町余りを境内と定めて曹洞宗寺院として再興されたと伝えられます。以来、正眼院は雲林寺の末寺となり、かつては末寺11か寺を統括していたとされます。戦国期の遠州では、森町の雲林寺や大洞院といった曹洞宗の有力寺院の門流が各地の古寺を再興しながら教線を広げており、正眼院の再興もその流れの中に位置づけられます。

近世の小島村と寺領20石

『日本歴史地名大系』の小島村(豊田郡、現磐田市小島)の項によれば、小島村は慶長9年(1604年)に伊奈忠次の検地を受け、正保郷帳では高653石余の幕府領のうち「正眼院領二〇石」が記されています。周辺の寺院では蛭池村の寿正寺領が4石、南島村の宗次寺(宗寿寺)領が2石であったことと比べると、正眼院の20石は突出しており、近世の当寺が旧南御厨一帯で有数の寺格を保っていたことがうかがえます。小島村はその後、寛文12年(1672年)の検地で856石余に改高され、浜松藩領と旗本北条氏知行分(上小島村)に分かれました。

近代から現在へ

小島は明治22年(1889年)以降は磐田郡南御厨村の大字となり、昭和30年(1955年)1月1日の南御厨村分割で南島・蛭池とともに福田町へ編入され、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となりました。正眼院は現在も曹洞宗の寺院として法灯を継ぎ、月1回の坐禅会や法話会の開催が曹洞宗公式ポータルに記載されています。寺院公式サイトは2026年7月時点で閲覧できない状態が続いており、行事の現況は寺院への直接確認が必要です。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
千手観世音菩薩
宗教的意味
正眼院は坐禅の教えを受け継ぐ曹洞宗に属し、森町の名刹雲林寺の末寺として永正12年(1515年)に再興されました。本尊の千手観世音菩薩は、千の手と眼であらゆる人を漏れなく救うとされる観音さまです。磐田郡三十三観音霊場第3番札所、そして当院の隠居が始めたと伝わる豊田郡三十三観音霊場の第15番札所として、観音信仰の拠点であり続けてきました。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

現地確認

山門と拈華山扁額

2026年7月18日の現地写真で、山門と、山号「拈華山」の扁額を確認しました。拈華とは、釈尊が霊鷲山で花を拈じて示し、迦葉尊者だけが微笑してその心を受け取ったという禅の根本を語る故事「拈華微笑」に由来する山号で、禅寺としての当院の性格をよく表しています。

現地確認

由緒板と境内の石造物

境内には由緒板が立てられ、石灯籠や小堂、境内像を現地写真で確認できます。石造物の銘文や造立年代の判読は今後の課題ですが、平景清開基伝承から曹洞宗再興に至る寺の歩みを現地で伝える要素として記録します。

Database 06

年中法要

  • 坐禅会月1回

    曹洞禅ナビに月例開催の記載。新型コロナウイルス対策で一時休止していたとする情報もあり、現況は寺院へ要確認

  • 法話会不定期

    曹洞禅ナビに開催の記載があるが、具体的な時期・頻度は確認できていない

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

正眼院のある小島は、太田川下流域に開けた旧南御厨村の集落です。小島・南島・蛭池の3か村は近世には見付宿の助郷などを通じて結び付き、明治22年(1889年)に南御厨村としてまとまり、昭和30年(1955年)の分村合併でそろって福田町域に加わりました。この一帯には、蛭池の寿正寺、南島の宗次寺と、戦国末期から江戸初期に再興された曹洞宗寺院が並びますが、正眼院はそのなかで最も古い開基伝承を持ち、近世の寺領も20石と最大でした。平家の武将景清を開基と伝える寺が、村の暮らしの中で祖霊供養の場として受け継がれてきたことは、この土地の歴史の重層を物語っています。

旧福田町域は、福田漁港のしらす漁と別珍・コーデュロイ織物のまちとして知られ、小島の集落もその生活圏の中にあります。磐田郡三十三観音霊場の第3番札所として、また豊田郡三十三観音霊場を生んだ寺として、正眼院は農業に生きた小島の人びとの観音参りと講の記憶を今にとどめています。坐禅会や法話会が開かれてきたことも、寺が檀家だけでなく地域に開かれた学びの場であろうとしてきたことを示しています。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9111

  2. 宗派公式資料正眼院(曹洞禅ナビ・曹洞宗公式寺院ポータルサイト)

    拈華山正眼院・磐田市小島738・曹洞宗・本尊千手観世音菩薩、治承年中の平景清開基伝承、真言宗寺院(十町四方・坊舎数十・寺領95石)からの改宗、永正12年(1515)雲林寺8世孤山堯隣和尚による再興、坐禅会・法話会の開催を確認。

  3. 民間二次情報サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院一覧

    正眼院=磐田市小島738番地・曹洞宗であることを確認。

  4. 民間二次情報ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場

    第3番=拈華山正眼院(曹洞宗・小島738・千手観世音菩薩)を確認。

  5. 民間二次情報ニッポンの霊場 豊田郡三十三観音霊場

    豊田郡三十三観音第15番=正眼院を確認。同霊場は正眼院の隠居が始めたと伝わる。

  6. 宗派公式資料曹洞禅ナビ 正眼院(2023年8月11日時点アーカイブ)

    本尊・山号・開創(治承年中、平景清開基)・旧真言宗(坊舎数十・寺領95石)・雲林寺末(開山は雲林寺8世孤山堯隣和尚)・坐禅会月1回・公式HPリンクを確認。調査時は本体サイトがサーバー障害のためWayback Machineのスナップショットを使用

  7. 寺院公式情報正眼院 公式サイト

    曹洞禅ナビ経由で坐禅会・法話会・墓地/納骨堂案内の記載を確認

  8. 寺院公式情報正眼院 磐田市 曹洞宗(Facebook)

    寺院公式Facebookページの存在を確認(投稿内容の詳細確認には至らず)

最終更新日 2026.07.19

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この寺院について

正眼院は磐田市小島738番地に所在する曹洞宗の寺院です。山号は拈華山(ねんげさん)で、本尊は千手観世音菩薩です。曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」に掲載された由緒によれば、治承年中(1177年から1181年)に平家の侍大将・平悪七兵衛景清を開基として建立されたと伝えられ、当初は真言宗の寺院でした。

永正12年(1515年)に遠江の名刹・雲林寺(周智郡森町)8世の孤山堯隣和尚を迎えて曹洞宗寺院として再興され、雲林寺の末寺となりました。かつては末寺11か寺を統括していたと伝えられます。磐田郡三十三観音霊場の第3番札所であり、豊田郡三十三観音霊場の第15番札所でもあります。豊田郡三十三観音霊場は正眼院の隠居が始めたと伝わる享保年間開創の歴史的霊場です。

月1回の坐禅会や法話会が開かれてきたことが曹洞禅ナビに記載されています。2026年7月18日の現地写真では、本堂正面、山門、扁額「拈華山」、由緒板、境内像、石灯籠、小堂を確認しています。

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歴史と背景

平景清開基の伝承と真言宗時代

曹洞禅ナビに掲載された由緒によれば、正眼院は治承年中(1177年から1181年)、平家の侍大将・平悪七兵衛景清を開基として開創されたと伝えられます。平景清は屋島の合戦で源氏方の武者の兜の錣を引きちぎった豪勇の逸話で知られ、後世には謡曲「景清」や近松門左衛門の浄瑠璃「出世景清」の題材となり、全国各地に伝説を残した武将です。当初の正眼院は真言宗に属し、10町四方の境内に数十の坊舎が立ち並び、寺領も95石を数えたと伝わりますが、平家滅亡後に寺領は没収され、寺は衰退したとされます。平安末期の開基伝承を史料で裏付けることはできませんが、往時の規模を伝える寺伝は、小島の地に古くから大きな信仰の場があったという記憶を今に伝えています。

永正12年(1515年)の曹洞宗再興

由緒によれば、永正12年(1515年)、雲林寺(静岡県周智郡森町)8世の孤山堯隣和尚を請して古跡地を開墾し、7町余りを境内と定めて曹洞宗寺院として再興されたと伝えられます。以来、正眼院は雲林寺の末寺となり、かつては末寺11か寺を統括していたとされます。戦国期の遠州では、森町の雲林寺や大洞院といった曹洞宗の有力寺院の門流が各地の古寺を再興しながら教線を広げており、正眼院の再興もその流れの中に位置づけられます。

近世の小島村と寺領20石

『日本歴史地名大系』の小島村(豊田郡、現磐田市小島)の項によれば、小島村は慶長9年(1604年)に伊奈忠次の検地を受け、正保郷帳では高653石余の幕府領のうち「正眼院領二〇石」が記されています。周辺の寺院では蛭池村の寿正寺領が4石、南島村の宗次寺(宗寿寺)領が2石であったことと比べると、正眼院の20石は突出しており、近世の当寺が旧南御厨一帯で有数の寺格を保っていたことがうかがえます。小島村はその後、寛文12年(1672年)の検地で856石余に改高され、浜松藩領と旗本北条氏知行分(上小島村)に分かれました。

近代から現在へ

小島は明治22年(1889年)以降は磐田郡南御厨村の大字となり、昭和30年(1955年)1月1日の南御厨村分割で南島・蛭池とともに福田町へ編入され、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となりました。正眼院は現在も曹洞宗の寺院として法灯を継ぎ、月1回の坐禅会や法話会の開催が曹洞宗公式ポータルに記載されています。寺院公式サイトは2026年7月時点で閲覧できない状態が続いており、行事の現況は寺院への直接確認が必要です。

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文化財・見どころ

現地確認

山門と拈華山扁額

2026年7月18日の現地写真で、山門と、山号「拈華山」の扁額を確認しました。拈華とは、釈尊が霊鷲山で花を拈じて示し、迦葉尊者だけが微笑してその心を受け取ったという禅の根本を語る故事「拈華微笑」に由来する山号で、禅寺としての当院の性格をよく表しています。

現地確認

由緒板と境内の石造物

境内には由緒板が立てられ、石灯籠や小堂、境内像を現地写真で確認できます。石造物の銘文や造立年代の判読は今後の課題ですが、平景清開基伝承から曹洞宗再興に至る寺の歩みを現地で伝える要素として記録します。

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宗派と本尊を知る

正眼院は坐禅の教えを受け継ぐ曹洞宗に属し、森町の名刹雲林寺の末寺として永正12年(1515年)に再興されました。本尊の千手観世音菩薩は、千の手と眼であらゆる人を漏れなく救うとされる観音さまです。磐田郡三十三観音霊場第3番札所、そして当院の隠居が始めたと伝わる豊田郡三十三観音霊場の第15番札所として、観音信仰の拠点であり続けてきました。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

観音菩薩という仏さま

観音菩薩は、正式には観世音菩薩といい、世の人びとの苦しみの声を観じて、ただちに救いに赴くとされる菩薩です。『法華経』の観世音菩薩普門品(観音経)には、相手に応じて33の姿に身を変えて救うと説かれています。その姿は、老人や子ども、僧侶や天女など、救う相手に最もふさわしいものへと臨機応変に変わるとされ、この教えから観音さまは古くから最も広く信仰を集めてきました。

基本の姿である聖観音のほか、あらゆる方向に顔を向けて見守る十一面観音、千の手と眼で漏れなく救いの手を差し伸べる千手観音、憤怒の形相をとる馬頭観音など、多彩な変化観音が生み出され、それぞれの姿で人びとのさまざまな願いに応えてきました。

病気平癒や家内安全など現世のご利益を願う信仰に加え、観音霊場を順に巡る三十三所の巡礼も各地で育まれてきました。地域の観音堂や観音講を通じて、身近な悩みを聞き届けてくださる仏さまとして、今も厚く親しまれています。

参考: 観音様を知ろう(日本遺産「会津の三十三観音めぐり」公式サイト)e国宝 十一面観音像(国立文化財機構)

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地域とのつながり

正眼院のある小島は、太田川下流域に開けた旧南御厨村の集落です。小島・南島・蛭池の3か村は近世には見付宿の助郷などを通じて結び付き、明治22年(1889年)に南御厨村としてまとまり、昭和30年(1955年)の分村合併でそろって福田町域に加わりました。この一帯には、蛭池の寿正寺、南島の宗次寺と、戦国末期から江戸初期に再興された曹洞宗寺院が並びますが、正眼院はそのなかで最も古い開基伝承を持ち、近世の寺領も20石と最大でした。平家の武将景清を開基と伝える寺が、村の暮らしの中で祖霊供養の場として受け継がれてきたことは、この土地の歴史の重層を物語っています。

旧福田町域は、福田漁港のしらす漁と別珍・コーデュロイ織物のまちとして知られ、小島の集落もその生活圏の中にあります。磐田郡三十三観音霊場の第3番札所として、また豊田郡三十三観音霊場を生んだ寺として、正眼院は農業に生きた小島の人びとの観音参りと講の記憶を今にとどめています。坐禅会や法話会が開かれてきたことも、寺が檀家だけでなく地域に開かれた学びの場であろうとしてきたことを示しています。

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年中行事・参拝の手引き

年中行事・法要

  • 坐禅会(月1回)

    曹洞禅ナビに月例開催の記載。新型コロナウイルス対策で一時休止していたとする情報もあり、現況は寺院へ要確認

  • 法話会(不定期)

    曹洞禅ナビに開催の記載があるが、具体的な時期・頻度は確認できていない

参拝・法要で訪れる方へ

寺院公式サイトは2026年7月時点で閲覧できない状態のため、行事や法要の受付は寺院へ直接確認してください。

磐田郡三十三観音霊場・豊田郡三十三観音霊場の札所参りで訪れる場合も、法要中は檀家の供養が優先されます。境内では静粛にお参りください。

行事の日時・内容は年により変わることがあります。参列を予定する際は事前に寺院へ確認してください。

墓地・納骨堂について相談を受け付ける旨の記載が公式サイトにあったことを確認していますが、現在の受付状況は要確認です。

調査中の項目
  • 坐禅会・法話会の現在の開催状況
  • 施餓鬼会・彼岸会等の年中行事の時期・檀家参列可否
  • 墓地・納骨堂の受付状況の詳細
  • 護持会・世話人会等の檀家組織の有無
  • 法事参列者向け駐車場の有無と台数
  • 公式サイト閉鎖後の公式情報の発信元(後継サイト・SNS等)

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

07

よくある質問

正眼院の読み方と山号は?

「しょうげんいん」と読みます。山号は拈華山(ねんげさん)で、釈尊が花を拈じ迦葉尊者が微笑したという禅の故事「拈華微笑」に由来します。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

曹洞宗で、森町の雲林寺の末寺です。本尊は千手観世音菩薩で、千の手と眼で人びとを漏れなく救うとされる観音さまです。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ誰が開いたお寺ですか?

寺伝では治承年中(1177年から1181年)に平家の侍大将・平景清を開基として建立されたと伝わります。当初は真言宗で、永正12年(1515年)に雲林寺8世孤山堯隣和尚を迎えて曹洞宗寺院として再興されました。

本文「歴史と背景」を読む
平景清とはどんな人物ですか?

平安末期の平家方の武将で、悪七兵衛の異名で知られます。屋島の合戦の錣引きの逸話が有名で、謡曲や浄瑠璃の題材となり全国に伝説を残しました。当院の開基伝承もそのひとつです。

本文「歴史と背景」を読む
昔はどれほど大きなお寺だったのですか?

寺伝では真言宗時代に10町四方の境内に数十の坊舎が並び、寺領95石を数えたと伝わります。近世にも正保郷帳に正眼院領20石が記録され、周辺寺院の中で突出した寺領を保っていました。

本文「歴史と背景」を読む
札所になっていますか?

磐田郡三十三観音霊場の第3番札所です。また、当院の隠居が始めたと伝わる豊田郡三十三観音霊場(享保年間開創・現在は活動していない歴史的霊場)の第15番札所でもあります。

本文「宗派と本尊」を読む
坐禅会に参加できますか?

曹洞宗公式ポータルに月1回の坐禅会と法話会の記載がありますが、一時休止していたとする情報もあり、現在の開催状況は寺院へ直接確認してください。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
本寺の雲林寺はどんなお寺ですか?

静岡県周智郡森町にある遠江の名刹で、曹洞宗の寺院です。正眼院は永正12年(1515年)にその8世孤山堯隣和尚を迎えて再興されて以来、雲林寺の末寺となり、かつては自らも末寺11か寺を統括していたと伝わります。

本文「歴史と背景」を読む

08

写真で見る境内

正眼院の本堂正面と参道
本堂・堂宇 正眼院の参道正面から本堂を望む主写真。
正眼院本堂の正面
本堂・堂宇 本堂正面をやや近くから記録。
正眼院の山門
入口・石標 参道入口に立つ山門を正面から見る。
正眼院本堂の階段と拈華山扁額
本堂・堂宇 本堂階段と正面の扁額を記録。
正眼院本堂の拈華山扁額
説明板・案内板 本堂正面に掲げられた「拈華山」の扁額。
拈華山扁額の近景
説明板・案内板 「拈華山」の扁額を近くから記録。
正眼院境内の像と石灯籠
石造物・手水 境内に立つ像と石灯籠、庭石を記録。
正眼院本堂側面と庫裏
本堂・堂宇 本堂側面から庫裏方向を見る。
正眼院本堂の定礎板
説明板・案内板 本堂壁面の定礎板を記録。
正眼院の参道と山門
境内全景 参道から山門方向を望む境内景観。
正眼院の山門と由緒板
説明板・案内板 山門脇に掲げられた由緒板と周辺の様子。
正眼院の道路側入口
入口・石標 道路側から見た正眼院入口と門柱。
正眼院境内の小堂
本堂・堂宇 境内に建つ小堂を記録。
正眼院由緒板の近景
説明板・案内板 正眼院の由緒を記した現地説明板。
正眼院本堂脇の庭木
境内全景 本堂脇の庭木と石組みを記録。
正眼院由緒板と山門
説明板・案内板 山門脇の由緒板を広く収めた写真。
正眼院本堂側面
本堂・堂宇 本堂側面と隣接建物を記録。

09

出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9111。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 宗派公式資料 正眼院(曹洞禅ナビ・曹洞宗公式寺院ポータルサイト)

    拈華山正眼院・磐田市小島738・曹洞宗・本尊千手観世音菩薩、治承年中の平景清開基伝承、真言宗寺院(十町四方・坊舎数十・寺領95石)からの改宗、永正12年(1515年)雲林寺8世孤山堯隣和尚による再興、坐禅会・法話会の開催を確認(既存出典を引き継ぎ。2026年7月19日時点でサイト接続不可のため再確認は未了)

  3. 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 正眼院(2023年8月11日時点アーカイブ)

    本尊・山号・開創(治承年中、平景清開基)・旧真言宗(坊舎数十・寺領95石)・雲林寺末(開山は雲林寺8世孤山堯隣和尚)・坐禅会月1回を確認したアーカイブ版(既存出典を引き継ぎ)

  4. 郷土資料 『日本歴史地名大系』小島村の項(コトバンク)

    豊田郡小島村(現磐田市小島)について、慶長9年(1604年)伊奈忠次検地、正保郷帳の高653石余・幕府領のうち正眼院領20石、寛文12年の改高、浜松藩領・旗本北条氏知行分(上小島村)への分割を確認

  5. 民間二次情報 サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院一覧

    正眼院=磐田市小島738番地・曹洞宗であることを確認(既存出典を引き継ぎ)

  6. 民間二次情報 ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場

    第3番=拈華山正眼院(曹洞宗・小島738・千手観世音菩薩)を確認(既存出典を引き継ぎ)

  7. 民間二次情報 ニッポンの霊場 豊田郡三十三観音霊場

    豊田郡三十三観音第15番=正眼院を確認。同霊場は正眼院の隠居が始めたと伝わり、享保年間開創・現在は活動していない歴史的霊場(既存出典を引き継ぎ)

  8. 郷土資料 『大辞泉』ほか「平景清」の項(コトバンク)

    平景清(悪七兵衛)の生涯(屋島の錣引きの逸話、建久7年=1196年没とされること)と、謡曲「景清」・浄瑠璃「出世景清」など後世の文芸・各地の伝承への展開を確認(開基伝承の人物解説として使用)

  9. 寺院公式情報 正眼院 公式サイト

    曹洞禅ナビ経由で坐禅会・法話会・墓地/納骨堂案内の記載を確認(既存出典を引き継ぎ。2026年7月時点で404となっており閉鎖の可能性あり)(県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照)

  10. 寺院公式情報 正眼院 磐田市 曹洞宗(Facebook)

    寺院公式Facebookページの存在を確認(既存出典を引き継ぎ。投稿内容の詳細確認には至らず)

  11. 民間二次情報 Wikipedia「福田町 (静岡県)」

    昭和30年(1955年)1月1日の南御厨村分割による大字南島・小島・蛭池の福田町編入の確認に使用(発見用として参照)

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菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
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