御厨地区・現存

醫王寺

いおうじ

ページ充実度 充実 最終確認 2026.07.19

醫王寺(いおうじ)は、磐田市鎌田にある真言宗智山派の寺院で、正式には鎌田山金剛院醫王寺と称します。天平年間に行基菩薩が薬師如来を刻んで祀ったと伝わる古刹で、「鎌田薬師」の名で親しまれ、磐田市指定名勝「医王寺庭園及び参道」をはじめ複数の市指定文化財を今に伝えています。

別称・関連名称鎌田山医王寺/鎌田山金剛院医王寺/医王寺/鎌田の薬師様/鎌田薬師/鎌田山金剛院醫王寺

寺院名
醫王寺
地区
御厨
住所
静岡県磐田市鎌田2065番地の1
宗派
真言宗智山派

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
醫王寺
読み方
いおうじ
地区
御厨
宗派
真言宗智山派
ご本尊(資料上)
薬師如来(行基菩薩が山内の名木で一刃三礼のもとに敬刻したと伝わる)
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市鎌田2065番地の1
Googleマップ
Googleマップで開く
寺院公式サイト
公式サイトあり
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
4件の年中行事・法要情報を掲載
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
磐田市指定文化財あり(名勝「医王寺庭園及び参道」ほか古文書・書跡・歴史資料など複数)
最終確認日
2026.07.15

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

医王寺の山門正面
現地写真・入口・石標
緑青色の屋根をもつ医王寺本堂正面
本堂・堂宇
山門から参道を振り返る景観
境内全景
山門の扉越しに見る医王寺境内
境内全景
鎌田山医王寺の寺号柱と掲示板
説明板・案内板
樹木に囲まれた医王寺参道
境内全景
宗派真言宗智山派
創建・年代天平6年〜20年(734〜748年)、聖武天皇の勅命を奉じた行基菩薩の開基と伝わる
本尊薬師如来(行基菩薩が山内の名木で一刃三礼のもとに敬刻したと伝わる)
墓地調査中
文化財・史跡磐田市指定文化財あり(名勝「医王寺庭園及び参道」ほか古文書・書跡・歴史資料など複数)
所在地御厨・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
醫王寺
宗派
真言宗智山派
本尊
薬師如来(行基菩薩が山内の名木で一刃三礼のもとに敬刻したと伝わる)
創建
天平6年〜20年(734〜748年)、聖武天皇の勅命を奉じた行基菩薩の開基と伝わる
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市鎌田2065番地の1
地区
御厨

Database 02

沿革

行基開基と真言密教の根本道場

寺伝によれば、天平6年から20年(734年から748年)にかけて、聖武天皇の勅命を奉じた行基菩薩が当地を訪れ、この地に薬師如来の霊験ありとして、山内の名木で薬師如来の尊像を一刃三礼のもとに刻み、本尊として祀ったのが始まりとされます。平安時代の弘仁年間(810年から822年)には嵯峨天皇の厚い帰依を受けて七堂伽藍が整い、真言密教の根本道場となったと伝わります。当時は広大な境内に本堂・金堂・講堂・五重塔・三重塔・鐘楼堂・仁王門が立ち並び、36ヶ坊の末寺が配置されていたと寺院公式サイトは記しています。坊のあった一帯は今も「坊中」の地名で呼ばれ、往時の寺勢をしのばせます。

武田の兵火と徳川家の庇護

元亀3年(1572年)、武田信玄勢の兵火により寺塔はことごとく灰燼に帰しました。寺に伝わる市指定文化財「医王寺文書」には、武田方の武将・穴山信君が寺領内での乱暴狼藉・竹木伐採・陣取の3点を禁じた禁制が含まれており、戦国期の当寺が戦乱の渦中にあったことを物語ります。天正12年(1584年)には徳川家康が自ら浄財を出して再興を援助し、慶長9年(1604年)の失火の後も徳川幕府の寄進を受けて復興を遂げました。磐田市観光協会の紹介記事には、家康が当寺で1ヶ月にわたり幕府の隆盛を祈願したと伝わるという逸話も収められています。

朱印135石と「鎌田薬師」の隆盛

寛永12年(1635年)には3代将軍徳川家光が、祖父家康の与えた黒印を改めて135石の朱印を与え、以後江戸時代末期まで代々135石の朱印高を領して栄えました。当時の隆盛をしのぶ大名駕籠が現存すると寺院公式サイトは伝えています。江戸時代前期には、幕臣の松平右衛門太夫正綱から大般若経600巻が鎌田山薬師堂へ寄進され、安永8年(1779年)3月には長江村の江塚平兵衛時之が和算額を奉納するなど、武家から庶民まで幅広い信仰と学芸の場となっていました。金剛院を本寺として多くの塔頭を擁した「鎌田薬師」は、遠江における真言宗の有力寺院として近世を通じて存続しました。

明治の再興と智山派入り

明治維新の神仏分離・廃仏毀釈により本寺の金剛院の寺運が揺らいだため、明治8年(1875年)に塔頭であった醫王寺を再興する形で法灯が守られました。この過程で36ヶ坊のほとんどが廃寺となっています。明治27年(1894年)には京都東山七条の智積院の末寺となり、真言宗智山派の寺院として今日に至ります(それ以前は報恩院の末寺でした)。明治5年(1872年)には教部省の民衆教化施策に関わる「中教院」の扁額が伝えられ、書院・客殿正面に掲げられています。この扁額は浜松の五社神社境内に設置されていた浜松県中教院に由来するもので、明治初期の宗教行政を伝える市指定歴史資料です。

坊中学校と地域教育への貢献

境内には「坊中学校の跡」の説明板と石碑が立っています。明治5年(1872年)に学制が公布されると、医王寺の住職・伊藤淳岳は翌明治6年(1873年)に寺の本堂で学校を開きました。淳岳の遺志を継いだ次の住職・松村淳高は私財を投じて校舎を建設し、明治8年(1875年)4月12日に医王寺境内で坊中学校が開校しました。白壁とテラスを備えた西洋風校舎は、見付学校・西之島学校とともに「遠州三大学校」と称されましたが、明治42年(1909年)に火災で焼失しました。現在も毎年4月12日に淳高の功績を称える頌徳祭が行われると説明板は伝えており、当寺が地域の教育史に深く関わった場所であることを示しています。

昭和から現代へ

昭和19年(1944年)には、太平洋戦争の学童疎開により東京の蒲田国民学校の児童108名を受け入れました。これは1ヶ寺の受け入れ人数として磐田市内最大であったと寺院公式サイトは記しています。戦後は昭和61年(1986年)に本堂屋根の銅板への葺き替えが行われました。平成17年(2005年)11月21日には庭園及び参道・三十六歌仙図・大般若経・和算額が磐田市の文化財に一括指定され、境内の忠霊塔では毎年10月中旬に戦没者慰霊法要が営まれるなど、文化財の寺として、また地域の記憶を伝える場として歩みを続けています。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
薬師如来(行基菩薩が山内の名木で一刃三礼のもとに敬刻したと伝わる)
宗教的意味
醫王寺は明治27年(1894年)から京都・智積院を総本山とする真言宗智山派に属しています。本尊の薬師如来は、行基菩薩が山内の名木で一刃三礼のもとに刻んだと伝わる尊像で、「鎌田薬師」の名の由来です。遠州四十九薬師霊場の第46番札所であり、毎月8日の薬師如来縁日には大護摩供が営まれるなど、寺号「醫王寺」(医王=薬師如来の異称)のとおり、薬師信仰が寺の歴史の中心にあり続けています。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

磐田市指定文化財(名勝)

医王寺庭園及び参道

約1,000平方メートルに及ぶ枯山水の古庭園と、山門へ続く参道です。江戸時代初期の作庭とされ、築山を巧みに配置した芸術的・歴史的に極めて価値の高い庭園として、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定名勝となりました。市指定の名勝は市内でこの1件のみです。磐田市観光協会や寺院の案内では、小堀遠州の作庭と伝えられると紹介されていますが、確実な作者は明らかでありません。苔に覆われた参道の景観から「東海の苔寺」の呼び名もあります。

磐田市指定文化財(絵画)

紙本金地著色三十六歌仙図

江戸時代前期に狩野派の絵師が描いた三十六歌仙の図で、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(有形文化財・絵画)となりました。金地に三十六歌仙それぞれの表情が豊かに色鮮やかに描かれ、美術的に価値が高いと磐田市は解説しています。

磐田市指定文化財(書跡)

大般若経六百巻

江戸時代前期の正保2年(1645年)、松平右衛門太夫正綱(1576年から1648年)から鎌田山薬師堂へ寄進された大般若経600巻です。木活字版の印刷経典として珍しく、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(有形文化財・書跡)となりました。寺院公式サイトは天海版の初版にあたると解説しています。

磐田市指定文化財(歴史資料)

和算額

安永8年(1779年)3月、長江村の江塚平兵衛時之が奉納した算額です。数学の問題や解法を記して社寺に奉納したもので、地方における和算など学問普及の状況を伝える資料として、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財となりました。

磐田市指定文化財(歴史資料)

中教院扁額

明治5年(1872年)の教部省による教導職制度・民衆教化施策に関わる「中教院」の扁額で、書院・客殿の正面に掲げられています。浜松の五社神社境内に置かれていた浜松県中教院に由来し、明治初期の宗教行政を今に伝える市指定歴史資料です。

磐田市指定文化財(古文書)

医王寺文書

戦国期から近世への移行期の文書群で、磐田市指定文化財(有形文化財・古文書)です。武田信玄の甥にあたる武将・穴山信君が、寺領内での乱暴狼藉・竹木伐採・陣取の3点を禁じた禁制を含み、寺院公式サイトは天正3年(1575年)以前のものと解説しています。戦国期の当寺と武田氏との関わりを示す第一級の史料です。

Database 06

年中法要

  • 元旦特別大護摩供1月1日

    寺院公式サイトによる

  • 節分大般若厄除御祈祷2月3日

    寺院公式サイトによる

  • 涅槃会2月15日

    釈迦の命日の法要。寺院公式サイトによる

  • お彼岸醫王寺会春分の日・秋分の日

    落語会等をあわせて実施。寺院公式サイトは檀家以外も参加できると案内している

  • 花まつり4月8日

    寺院公式サイトによる

  • 大師堂御供養4月12日

    寺院公式サイトによる

  • 盆寺施餓鬼供養7月13日・8月13日

    寺院公式サイトによる

  • 地蔵盆供養8月24日

    寺院公式サイトによる

  • 戦没者慰霊法要10月中旬

    境内の忠霊塔にて実施。寺院公式サイトによる

  • 薬師堂御供養12月12日

    寺院公式サイトによる

  • 薬師如来縁日 大護摩供毎月8日

    寺院公式サイトによる

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墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

醫王寺のある鎌田の地は、平安時代以来、伊勢神宮の御厨(神領)「鎌田御厨」として知られた土地です。鎌田御厨の総鎮守とされる鎌田神明宮の社伝によれば、寛平2年(890年)に伊勢神宮の領地として寄進され、19の村々から神宮へ貢納が行われたと伝えられます。現在の地区名「御厨」も、JR東海道本線の御厨駅の駅名も、この中世以来の由緒に由来しています。磐田市観光協会の案内によれば、醫王寺は御厨駅から徒歩約5分の距離にあり、伊勢信仰とともに歩んだこの御厨の地に伽藍を構えた「鎌田薬師」として、平安以来の鎌田御厨の歴史とともに地域の信仰を集めてきました。

寺の周囲には、往時の36ヶ坊に由来する「坊中」の地名が今も残り、明治期には境内の坊中学校が地域の子どもたちの学び舎となりました。毎年4月12日の頌徳祭で坊中学校を建てた住職・松村淳高の遺徳が偲ばれていると説明板は伝えます。また昭和19年(1944年)の学童疎開では東京・蒲田の児童108名を受け入れ、境内の忠霊塔では毎年10月中旬に戦没者慰霊法要が営まれるなど、当寺は信仰の場であると同時に、教育・慰霊を通じて地域の記憶を預かる場でもあります。彼岸の「お彼岸醫王寺会」は落語会などをあわせて催され、檀家以外も参加できると寺院公式サイトは案内しています。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9055

  2. 寺院公式情報真言宗智山派 鎌田山医王寺 公式サイト「医王寺の歴史について」

    山号寺号(鎌田山金剛院医王寺)、本尊薬師如来、行基開山伝承、嵯峨天皇帰依、武田兵火、家康援助、家光朱印状、明治の再興、智山派所属、遠州四十九薬師第46番を確認

  3. 寺院公式情報鎌田山医王寺 公式サイト「磐田市 重要指定文化財」

    三十六歌仙図・和算額・中教院扁額・大般若経六百巻・医王寺文書・庭園及び参道の6件の解説を確認

  4. 行政・公的資料磐田市公式ウェブサイト「市指定文化財」

    医王寺文書(古文書・鎌田)、大般若経(書跡・鎌田)、和算額(書跡・鎌田)、中教院扁額(歴史資料・鎌田)、医王寺庭園及び参道(名勝・鎌田)の市指定を確認

  5. 民間二次情報日本各地の巡礼・巡拝霊場の紹介「遠江四十九薬師霊場」

    第46番「鎌田山 金剛院 医王寺(薬師如来・真言宗智山派・磐田市鎌田)」の記載を確認(寺院公式サイトの記載とも一致)

  6. 寺院公式サイト鎌田山医王寺 公式サイト「年間行事・イベント」

    年中行事一覧を確認。サイト内に「遠州四十九薬師 第四十六番札所」「医王寺の宝物」(市指定文化財)ページあり

  7. 宗派公式資料真言宗智山派 総本山智積院 公式サイト

    2026年7月時点でサイト全体がメンテナンス中のため、宗派公式の寺院一覧(/chishakuin/matsuji/)は確認不可

  8. 寺院公式情報真言宗智山派 鎌田山医王寺 公式サイト

    由緒等を確認

  9. 寺院公式情報年間行事・イベント

    年中行事の日程・檀家以外参加可の案内を確認

  10. 民間二次情報醫王寺(静岡県磐田市)の永代供養墓・樹木葬・納骨堂

    永代供養墓等の取扱いカテゴリのみ確認。詳細未確認のため参考情報にとどめた

  11. 現地確認現地確認(2026年7月15日、ATAWI TEMPLE編集部)

    山門、本堂、薬師堂、庭園及び参道、坊中学校の跡説明板、忠霊塔、手水舎、石灯籠等を確認し、現地写真を追加。

最終更新日 2026.07.19

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この寺院について

醫王寺は磐田市鎌田2065番地の1、御厨地区に所在する真言宗智山派の寺院です。山号は鎌田山、院号は金剛院で、本尊は薬師如来です。寺号は「醫王寺」「医王寺」の両表記が用いられ、磐田市の文化財台帳では新字体の「医王寺」と表記されています。地域では古くから「鎌田薬師」「鎌田の薬師様」と呼ばれ、遠州四十九薬師霊場(遠江四十九薬師霊場)の第46番札所として、薬師信仰の拠点であり続けてきました。

境内には約1,000平方メートルの枯山水庭園が広がり、参道とあわせて磐田市指定名勝「医王寺庭園及び参道」となっています。苔に覆われた参道の美しさから「東海の苔寺」とも呼ばれ、4月上旬から5月上旬にかけては境内が胡蝶花(シャガ)の花に覆われると磐田市観光協会が紹介しています。このほか紙本金地著色三十六歌仙図、大般若経六百巻、和算額、中教院扁額、医王寺文書と、市指定文化財を多数所蔵する、磐田市を代表する文化財の寺です。

檀家に向けては、彼岸の「お彼岸醫王寺会」や盆の施餓鬼供養、毎月8日の薬師如来縁日の大護摩供など、年間を通じて法要・行事が営まれています。寺院公式サイトが開設されており、行事案内や文化財の解説が公開されています。

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歴史と背景

行基開基と真言密教の根本道場

寺伝によれば、天平6年から20年(734年から748年)にかけて、聖武天皇の勅命を奉じた行基菩薩が当地を訪れ、この地に薬師如来の霊験ありとして、山内の名木で薬師如来の尊像を一刃三礼のもとに刻み、本尊として祀ったのが始まりとされます。平安時代の弘仁年間(810年から822年)には嵯峨天皇の厚い帰依を受けて七堂伽藍が整い、真言密教の根本道場となったと伝わります。当時は広大な境内に本堂・金堂・講堂・五重塔・三重塔・鐘楼堂・仁王門が立ち並び、36ヶ坊の末寺が配置されていたと寺院公式サイトは記しています。坊のあった一帯は今も「坊中」の地名で呼ばれ、往時の寺勢をしのばせます。

武田の兵火と徳川家の庇護

元亀3年(1572年)、武田信玄勢の兵火により寺塔はことごとく灰燼に帰しました。寺に伝わる市指定文化財「医王寺文書」には、武田方の武将・穴山信君が寺領内での乱暴狼藉・竹木伐採・陣取の3点を禁じた禁制が含まれており、戦国期の当寺が戦乱の渦中にあったことを物語ります。天正12年(1584年)には徳川家康が自ら浄財を出して再興を援助し、慶長9年(1604年)の失火の後も徳川幕府の寄進を受けて復興を遂げました。磐田市観光協会の紹介記事には、家康が当寺で1ヶ月にわたり幕府の隆盛を祈願したと伝わるという逸話も収められています。

朱印135石と「鎌田薬師」の隆盛

寛永12年(1635年)には3代将軍徳川家光が、祖父家康の与えた黒印を改めて135石の朱印を与え、以後江戸時代末期まで代々135石の朱印高を領して栄えました。当時の隆盛をしのぶ大名駕籠が現存すると寺院公式サイトは伝えています。江戸時代前期には、幕臣の松平右衛門太夫正綱から大般若経600巻が鎌田山薬師堂へ寄進され、安永8年(1779年)3月には長江村の江塚平兵衛時之が和算額を奉納するなど、武家から庶民まで幅広い信仰と学芸の場となっていました。金剛院を本寺として多くの塔頭を擁した「鎌田薬師」は、遠江における真言宗の有力寺院として近世を通じて存続しました。

明治の再興と智山派入り

明治維新の神仏分離・廃仏毀釈により本寺の金剛院の寺運が揺らいだため、明治8年(1875年)に塔頭であった醫王寺を再興する形で法灯が守られました。この過程で36ヶ坊のほとんどが廃寺となっています。明治27年(1894年)には京都東山七条の智積院の末寺となり、真言宗智山派の寺院として今日に至ります(それ以前は報恩院の末寺でした)。明治5年(1872年)には教部省の民衆教化施策に関わる「中教院」の扁額が伝えられ、書院・客殿正面に掲げられています。この扁額は浜松の五社神社境内に設置されていた浜松県中教院に由来するもので、明治初期の宗教行政を伝える市指定歴史資料です。

坊中学校と地域教育への貢献

境内には「坊中学校の跡」の説明板と石碑が立っています。明治5年(1872年)に学制が公布されると、医王寺の住職・伊藤淳岳は翌明治6年(1873年)に寺の本堂で学校を開きました。淳岳の遺志を継いだ次の住職・松村淳高は私財を投じて校舎を建設し、明治8年(1875年)4月12日に医王寺境内で坊中学校が開校しました。白壁とテラスを備えた西洋風校舎は、見付学校・西之島学校とともに「遠州三大学校」と称されましたが、明治42年(1909年)に火災で焼失しました。現在も毎年4月12日に淳高の功績を称える頌徳祭が行われると説明板は伝えており、当寺が地域の教育史に深く関わった場所であることを示しています。

昭和から現代へ

昭和19年(1944年)には、太平洋戦争の学童疎開により東京の蒲田国民学校の児童108名を受け入れました。これは1ヶ寺の受け入れ人数として磐田市内最大であったと寺院公式サイトは記しています。戦後は昭和61年(1986年)に本堂屋根の銅板への葺き替えが行われました。平成17年(2005年)11月21日には庭園及び参道・三十六歌仙図・大般若経・和算額が磐田市の文化財に一括指定され、境内の忠霊塔では毎年10月中旬に戦没者慰霊法要が営まれるなど、文化財の寺として、また地域の記憶を伝える場として歩みを続けています。

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文化財・見どころ

磐田市指定文化財(名勝)

医王寺庭園及び参道

約1,000平方メートルに及ぶ枯山水の古庭園と、山門へ続く参道です。江戸時代初期の作庭とされ、築山を巧みに配置した芸術的・歴史的に極めて価値の高い庭園として、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定名勝となりました。市指定の名勝は市内でこの1件のみです。磐田市観光協会や寺院の案内では、小堀遠州の作庭と伝えられると紹介されていますが、確実な作者は明らかでありません。苔に覆われた参道の景観から「東海の苔寺」の呼び名もあります。

磐田市指定文化財(絵画)

紙本金地著色三十六歌仙図

江戸時代前期に狩野派の絵師が描いた三十六歌仙の図で、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(有形文化財・絵画)となりました。金地に三十六歌仙それぞれの表情が豊かに色鮮やかに描かれ、美術的に価値が高いと磐田市は解説しています。

磐田市指定文化財(書跡)

大般若経六百巻

江戸時代前期の正保2年(1645年)、松平右衛門太夫正綱(1576年から1648年)から鎌田山薬師堂へ寄進された大般若経600巻です。木活字版の印刷経典として珍しく、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(有形文化財・書跡)となりました。寺院公式サイトは天海版の初版にあたると解説しています。

磐田市指定文化財(歴史資料)

和算額

安永8年(1779年)3月、長江村の江塚平兵衛時之が奉納した算額です。数学の問題や解法を記して社寺に奉納したもので、地方における和算など学問普及の状況を伝える資料として、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財となりました。

磐田市指定文化財(歴史資料)

中教院扁額

明治5年(1872年)の教部省による教導職制度・民衆教化施策に関わる「中教院」の扁額で、書院・客殿の正面に掲げられています。浜松の五社神社境内に置かれていた浜松県中教院に由来し、明治初期の宗教行政を今に伝える市指定歴史資料です。

磐田市指定文化財(古文書)

医王寺文書

戦国期から近世への移行期の文書群で、磐田市指定文化財(有形文化財・古文書)です。武田信玄の甥にあたる武将・穴山信君が、寺領内での乱暴狼藉・竹木伐採・陣取の3点を禁じた禁制を含み、寺院公式サイトは天正3年(1575年)以前のものと解説しています。戦国期の当寺と武田氏との関わりを示す第一級の史料です。

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宗派と本尊を知る

醫王寺は明治27年(1894年)から京都・智積院を総本山とする真言宗智山派に属しています。本尊の薬師如来は、行基菩薩が山内の名木で一刃三礼のもとに刻んだと伝わる尊像で、「鎌田薬師」の名の由来です。遠州四十九薬師霊場の第46番札所であり、毎月8日の薬師如来縁日には大護摩供が営まれるなど、寺号「醫王寺」(医王=薬師如来の異称)のとおり、薬師信仰が寺の歴史の中心にあり続けています。

真言宗智山派とは

真言宗智山派は、弘法大師空海を宗祖とし、興教大師覚鑁の流れをくむ新義真言宗系の宗派で、総本山は京都市東山区の智積院です。智積院はもと紀州根来山の寺院でしたが、天正13年(1585年)の兵火で根来山が焼失した際、住職(能化)の玄宥僧正が法灯を守って難を逃れ、慶長6年(1601年)に徳川家康から京都東山の寺地を与えられて再興されました。以来、新義真言宗の教学を伝える拠点となりました。

教えは大日如来を中心とする密教で、教学(学問)を重んじる伝統を持つことが特色です。成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院といった関東の著名寺院を大本山とすることでも知られ、智積院は今も僧侶の学びの場としての伝統を受け継いでいます。

檀家の法要では、護摩祈祷や光明真言の念誦など密教の作法が営まれ、「南無大師遍照金剛」の御宝号とともに弘法大師への信仰が受け継がれています。年回法要でも読経と真言の響きに包まれる、密教らしい荘厳な雰囲気が智山派の持ち味です。

参考: 真言宗智山派について(真言宗智山派 総本山智積院)文化デジタルライブラリー「真言宗智山派 総本山 智積院」(日本芸術文化振興会)

薬師如来という仏さま

薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来といい、東方の浄瑠璃世界と呼ばれる浄土の教主とされる仏さまです。菩薩として修行していた時代に12の大願を立て、その中で人びとの病を取り除き、心身を安らかにすることを誓ったと経典に説かれています。誓いには、飢えや渇きに苦しむ人を救い、衣類の乏しい人に衣を施すことも含まれ、心と身体の両面から人びとを支える仏さまです。左手に薬壺を持つ姿が広く知られ、古くから「お薬師さま」の呼び名で親しまれてきました。

来世の救いを担う阿弥陀如来に対して、薬師如来は現世で救いの手を差し伸べる仏とされ、奈良時代(8世紀)から病気平癒や健康長寿を願う現世利益の信仰を集めてきました。脇には日光菩薩と月光菩薩が控え、昼も夜も絶え間なく人びとを見守ってくださると伝えられます。

薬師如来を本尊とする寺院では、家族の病気平癒や無病息災、厄除けの祈願が折々に営まれ、暮らしに寄り添う仏として大切にされてきました。お参りの際には、日々を健やかに送れることへの感謝を込めて手を合わせたいものです。

参考: お薬師様の十二大願(奈良薬師寺 公式サイト)ご本尊・薬師如来(薬師寺東京別院 公式サイト)薬師如来(新薬師寺 公式ホームページ)

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地域とのつながり

醫王寺のある鎌田の地は、平安時代以来、伊勢神宮の御厨(神領)「鎌田御厨」として知られた土地です。鎌田御厨の総鎮守とされる鎌田神明宮の社伝によれば、寛平2年(890年)に伊勢神宮の領地として寄進され、19の村々から神宮へ貢納が行われたと伝えられます。現在の地区名「御厨」も、JR東海道本線の御厨駅の駅名も、この中世以来の由緒に由来しています。磐田市観光協会の案内によれば、醫王寺は御厨駅から徒歩約5分の距離にあり、伊勢信仰とともに歩んだこの御厨の地に伽藍を構えた「鎌田薬師」として、平安以来の鎌田御厨の歴史とともに地域の信仰を集めてきました。

寺の周囲には、往時の36ヶ坊に由来する「坊中」の地名が今も残り、明治期には境内の坊中学校が地域の子どもたちの学び舎となりました。毎年4月12日の頌徳祭で坊中学校を建てた住職・松村淳高の遺徳が偲ばれていると説明板は伝えます。また昭和19年(1944年)の学童疎開では東京・蒲田の児童108名を受け入れ、境内の忠霊塔では毎年10月中旬に戦没者慰霊法要が営まれるなど、当寺は信仰の場であると同時に、教育・慰霊を通じて地域の記憶を預かる場でもあります。彼岸の「お彼岸醫王寺会」は落語会などをあわせて催され、檀家以外も参加できると寺院公式サイトは案内しています。

磐田物語で読む

この寺院やゆかりの土地の歴史を、姉妹サイト「磐田物語」の読み物でご覧いただけます。

06

年中行事・参拝の手引き

年中行事・法要

  • 元旦特別大護摩供(1月1日)

    寺院公式サイトによる

  • 節分大般若厄除御祈祷(2月3日)

    寺院公式サイトによる

  • 涅槃会(2月15日)

    釈迦の命日の法要。寺院公式サイトによる

  • お彼岸醫王寺会(春分の日・秋分の日)

    落語会等をあわせて実施。寺院公式サイトは檀家以外も参加できると案内している

  • 花まつり(4月8日)

    寺院公式サイトによる

  • 大師堂御供養(4月12日)

    寺院公式サイトによる

  • 盆寺施餓鬼供養(7月13日・8月13日)

    寺院公式サイトによる

  • 地蔵盆供養(8月24日)

    寺院公式サイトによる

  • 戦没者慰霊法要(10月中旬)

    境内の忠霊塔にて実施。寺院公式サイトによる

  • 薬師堂御供養(12月12日)

    寺院公式サイトによる

  • 薬師如来縁日 大護摩供(毎月8日)

    寺院公式サイトによる

参拝・法要で訪れる方へ

墓地は家庭の状況に合わせて3種類が用意され、生前予約を受け付けていると寺院の公式情報サイトが案内しています。詳細は寺院へ直接確認してください。

境内は磐田市指定名勝の庭園・参道を含みます。法要やお墓参りで訪れる際は、苔や庭園を傷めないよう参道を歩いてください。

行事の日時・内容は年により変わることがあります。参列を予定する際は、寺院公式サイトの最新の案内で確認してください。

調査中の項目
  • 永代供養墓・樹木葬・納骨堂の具体的な形態・条件(民間検索サイトに取扱いの記載があるが、寺院公式の詳細は未確認)
  • 護持会など檀家組織の有無・活動内容

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

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よくある質問

醫王寺の読み方と正式名称は?

「いおうじ」と読みます。正式には鎌田山金剛院醫王寺と称し、文化財関係の資料では新字体の「医王寺」とも表記されます。地域では「鎌田薬師」「鎌田の薬師様」の名で親しまれてきました。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

京都・智積院を総本山とする真言宗智山派で、明治27年(1894年)から同派に属しています。本尊は薬師如来で、行基菩薩が山内の名木で刻んだと伝わります。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ誰が開いたお寺ですか?

寺伝では、天平6年から20年(734年から748年)に聖武天皇の勅命を奉じた行基菩薩が薬師如来像を刻んで祀ったのが始まりと伝えられます。平安時代には嵯峨天皇の帰依を受けて七堂伽藍が整ったとされます。

本文「歴史と背景」を読む
徳川家とはどんな関わりがありますか?

元亀3年(1572年)の武田勢の兵火で焼失した後、天正12年(1584年)に徳川家康の援助で再興され、寛永12年(1635年)には3代将軍家光から135石の朱印を与えられ、幕末まで代々135石を領しました。

本文「歴史と背景」を読む
どんな文化財がありますか?

磐田市指定名勝「医王寺庭園及び参道」のほか、紙本金地著色三十六歌仙図・大般若経六百巻・和算額・中教院扁額・医王寺文書が磐田市指定文化財となっています。市指定の名勝は市内で当寺の庭園及び参道1件のみです。

本文「文化財・見どころ」を読む
庭園は誰が作ったのですか?

江戸時代初期の作庭とされる約1,000平方メートルの枯山水庭園で、小堀遠州の作庭と伝えられていますが、確実な作者は明らかでありません。平成17年(2005年)に磐田市指定名勝となりました。

本文「文化財・見どころ」を読む
坊中学校とは何ですか?

明治8年(1875年)に住職・松村淳高が私財を投じて医王寺境内に建てた小学校です。西洋風校舎は見付学校・西之島学校とともに遠州三大学校と称されましたが、明治42年(1909年)に焼失しました。境内に跡の説明板が立っています。

本文「地域とのつながり」を読む
札所になっていますか?

遠州四十九薬師霊場(遠江四十九薬師霊場)の第46番札所です。毎月8日の薬師如来縁日には大護摩供が営まれています。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む

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写真で見る境内

医王寺の山門正面
入口・石標 医王寺の山門正面。緑に包まれた参道の入口から境内を望む。
緑青色の屋根をもつ医王寺本堂正面
本堂・堂宇 医王寺本堂の正面。緑青色の屋根と庭園の植栽を含めて記録。
山門から参道を振り返る景観
境内全景 山門から参道を振り返る。市指定名勝「医王寺庭園及び参道」の入口部を示す。
山門の扉越しに見る医王寺境内
境内全景 山門の扉越しに見る境内。苔庭、石畳、堂宇の配置が分かる。
鎌田山医王寺の寺号柱と掲示板
説明板・案内板 「真言宗智山派 鎌田山 医王寺」の寺号柱と掲示板。毎月8日の薬師如来縁日や写経会の案内が掲示されている。
樹木に囲まれた医王寺参道
境内全景 樹木に囲まれた参道。名勝指定を受ける参道景観の一部として記録。
医王寺の薬師如来を祀る堂宇正面
本堂・堂宇 薬師如来を祀る堂宇正面。遠州四十九薬師第46番札所ののぼりが立つ。
薬師堂内の薬師如来像と納経所案内
本堂・堂宇 堂内の薬師如来像と納経所案内。札所としての現在の信仰を伝える。
鎌田山医王寺の寺号柱と参道入口
入口・石標 鎌田山医王寺の寺号柱と参道入口。門前から境内林へ続く景観。
坊中学校の跡案内板と石碑周辺
説明板・案内板 坊中学校の跡案内板と忠霊塔周辺。明治期の地域教育史を伝える場所。
医王寺庭園内の石畳と植栽
境内全景 庭園内の石畳と植栽。枯山水庭園と参道の落ち着いた景観。
石積みの間を進む医王寺参道
境内全景 石積みの間を進む参道と中門。境内奥へ向かう導線を記録。
磐田市文化財課による坊中学校の跡説明板
説明板・案内板 磐田市文化財課による「坊中学校の跡」説明板。医王寺住職が開いた学校の歴史を伝える。
医王寺庭園の苔と石畳
境内全景 苔の庭と石畳。庭園の石組み、参道、植栽を近くから記録。
医王寺の手水舎内部
境内全景 手水舎内部。手水鉢と休憩できる空間が残る。
医王寺境内の石灯籠
石造物・手水 境内の石灯籠。参道脇の石造物として記録。
本堂と庭園を側面から見る景観
境内全景 本堂と庭園を側面から見る。石造物とソテツを含む境内構成が分かる。
大木の下を進む医王寺の側参道
境内全景 大木の下を進む側参道。境内林と墓域、堂宇の位置関係が分かる。
階段上から見る医王寺庭園参道
境内全景 階段上から見る庭園参道。樹木に囲まれた名勝の参道景観。
庭園越しに見る医王寺本堂
境内全景 庭園越しに見る本堂。苔、石畳、植栽、堂宇を広く記録。
医王寺境内の忠霊塔
石造物・手水 境内の忠霊塔。医王寺の年中行事にも戦没者慰霊法要が伝えられる。
石積みと地蔵像のある医王寺境内
石造物・手水 石積みと地蔵像。庭園内に残る石仏と祈りの場を記録。
木陰の医王寺裏参道
境内全景 木陰の参道。境内奥へ続く静かな導線を記録。

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出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9055(県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照)

  2. 寺院公式情報 真言宗智山派 鎌田山医王寺 公式サイト「医王寺の歴史について」

    山号寺号(鎌田山金剛院医王寺)、本尊薬師如来、行基開山伝承、嵯峨天皇帰依、武田兵火、家康援助、家光朱印135石、明治の再興、智山派所属、昭和19年学童疎開、昭和61年銅板葺き替えを確認

  3. 寺院公式情報 鎌田山医王寺 公式サイト「磐田市 重要指定文化財」

    三十六歌仙図・和算額・中教院扁額・大般若経六百巻(正保2年・松平正綱寄進・天海版初版)・医王寺文書(穴山信君禁制)・庭園及び参道の6件の解説を確認

  4. 行政・公的資料 磐田市公式ウェブサイト「市指定文化財」

    三十六歌仙図(絵画)・大般若経(書跡)・医王寺庭園及び参道(名勝)・和算額の平成17年11月21日指定、および和算額の安永8年3月・長江村江塚平兵衛時之奉納、医王寺文書・中教院扁額の市指定を確認

  5. 民間二次情報 日本各地の巡礼・巡拝霊場の紹介「遠江四十九薬師霊場」

    第46番「鎌田山 金剛院 医王寺(薬師如来・真言宗智山派・磐田市鎌田)」の記載を確認(寺院公式サイトの記載とも一致)

  6. 寺院公式情報 鎌田山医王寺 公式サイト「年間行事・イベント」

    元旦大護摩供から薬師堂御供養までの年中行事一覧、毎月8日の薬師如来縁日大護摩供、お彼岸醫王寺会の檀家以外参加可の案内を確認

  7. 宗派公式資料 真言宗智山派 総本山智積院 公式サイト

    2026年7月時点でサイト全体がメンテナンス中のため、宗派公式の寺院一覧は確認不可

  8. 寺院公式情報 真言宗智山派 鎌田山医王寺 公式サイト

    由緒・行事・文化財の全体を確認

  9. 寺院公式情報 医王寺 公式情報サイト(iouji-iwata.info)

    真言宗智山派・総本山智積院、小堀遠州作庭と伝わる枯山水庭園、苔の参道、墓地3種類・生前予約受付の案内を確認

  10. 行政・公的資料 磐田市観光協会「医王寺(胡蝶花)」

    「東海の苔寺」の呼称、4月上旬から5月上旬の胡蝶花(シャガ)、小堀遠州作と伝わる枯山水庭園、家康が1ヶ月幕府隆盛を祈願したと伝わる逸話を確認

  11. 神社公式情報 鎌田神明宮 公式サイト「御由緒」

    鎌田御厨が寛平2年(890年)に伊勢神宮の領地として寄進されたとする社伝、19の村々からの貢納、鎌田神明宮が御厨の総鎮守であることを確認(鎌田地区の歴史文脈として使用)

  12. 民間二次情報 醫王寺(静岡県磐田市)の永代供養墓・樹木葬・納骨堂

    永代供養墓等の取扱いカテゴリのみ確認。詳細未確認のため参考情報にとどめた

  13. 現地確認 現地確認(2026年7月15日、ATAWI TEMPLE編集部)

    山門、本堂、薬師堂、庭園及び参道、坊中学校の跡説明板(伊藤淳岳・松村淳高・遠州三大学校・明治42年焼失・頌徳祭の記述)、忠霊塔、手水舎、石灯籠等を確認し、現地写真を追加

For Families

このお寺が菩提寺のご家族へ

菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
  • 位牌の有無
  • お寺からの連絡を受ける人
  • お寺の連絡先
  • 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
  • 実家の名義
  • 実家を今後誰が管理するか
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