見付地区・現存

玄妙寺

げんみょうじ

ページ充実度 充実 最終確認 2026.07.19

玄妙寺(げんみょうじ)は、磐田市見付にある日蓮宗の本山(由緒寺院)で、山号は本立山(ほんりゅうざん)です。元中2年・北朝至徳2年(1385年)、日什門流の開祖・玄妙阿闍梨日什上人が自らの名を寺号として建立した「得道の寺」であり、毎年11月12日の御命講は子育て草履の祈祷で近郷近在の人々に親しまれてきました。

別称・関連名称本立山/本立山玄妙寺/得道の寺

寺院名
玄妙寺
地区
見付
住所
静岡県磐田市見付2440番地の1
宗派
日蓮宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
玄妙寺
読み方
げんみょうじ
地区
見付
宗派
日蓮宗
ご本尊(資料上)
調査中・加筆待ち
ご本尊の現在の確認状況
未確認
住所
静岡県磐田市見付2440番地の1
Googleマップ
Googleマップで開く
寺院公式サイト
公式サイトあり
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
2件の年中行事・法要情報を掲載
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
国登録有形文化財あり(玄妙寺経蔵、玄妙寺門柱及び塀)
最終確認日
2026.07.12

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

玄妙寺本堂正面「本立山」
現地写真・本堂・堂宇
玄妙寺山門
入口・石標
玄妙寺通用門の石柱と案内板
入口・石標
国登録有形文化財「経蔵」
その他
経蔵の鉄扉
その他
山門から本堂を望む
境内全景
宗派日蓮宗
創建・年代室町時代の元中2年・北朝至徳2年(1385年)、日什門流の開祖・玄妙阿闍梨日什上人による建立
本尊調査中・加筆待ち
墓地調査中
文化財・史跡国登録有形文化財あり(玄妙寺経蔵、玄妙寺門柱及び塀)
所在地見付・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
玄妙寺
宗派
日蓮宗
本尊
未確認
創建
室町時代の元中2年・北朝至徳2年(1385年)、日什門流の開祖・玄妙阿闍梨日什上人による建立
開山
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開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市見付2440番地の1
地区
見付

Database 02

沿革

日什上人の生涯と玄妙寺開創

開山の日什上人(1314年から1392年)は、寺院公式サイトの略伝によれば、正和3年(1314年)4月28日に奥州会津郡黒川(現在の福島県会津若松市)で生まれました。19歳で出家して比叡山横川の慈遍僧正のもとに入り、名を玄妙と改め、38歳で比叡山学頭に抜擢されて「玄妙能化」として名声を博した天台の学僧でした。58歳で故郷会津に帰り羽黒山東光寺の山主となりますが、天授5年・北朝康暦元年(1379年)、66歳の時に日蓮大聖人の「開目抄」「如説修行抄」に接して確然と名を「日什」と改め、67歳で日蓮宗の門に入りました。その後、京都で天皇への奏聞を重ねて洛中弘通の綸旨を賜り、二位の僧都に叙せられ、鎌倉では関東管領足利氏満に宗義を直訴するなど、精力的な弘教を続けました。そして元中2年・北朝至徳2年(1385年)、72歳の時に遠州府中見付に玄妙寺を建立し、遠州見付府内に初めてお題目が根付いたと伝えられます。翌年には同じ府内の吉美(現在の湖西市)に妙立寺を建立しています。

置文と「本寺」の地位

日什上人は75歳の時、玄妙寺第1世日妙上人(大蔵阿闍梨日妙)の一周忌を営んで「諷誦章」を認め、その脇に「日什門徒存知スベキ事」の置文を記しました。置文には「此ノ大曼荼羅所持ノ寺ヲ本立山玄妙寺ト号スル者ナリ。開山ハ日什、第一ノ貫主ハ大蔵阿闍梨日妙云々。此ノ寺ヲ以テ此ノ門徒ノ本寺ト定ムル処ナリ」とあり、玄妙寺を門徒の本寺と定めて真間弘法寺からの独立を宣言し、「直チニ仰イデ日蓮大聖人ニ帰スル処ナリ」という「直授日蓮」の教風を打ち立てました。日什上人は元中9年・北朝明徳3年(1392年)正月20日、同じ内容の「一旨三通の置文」を認めて見付の玄妙寺・京都の妙満寺・会津の妙法寺に残し置くよう遺言し、同年2月28日に79歳で入寂しました。玄妙寺が什門において特別の地位を占めてきたことを示す故事です。

今井浦感得の三種の霊宝と什宝

寺院公式サイトによれば、日什上人が68歳の時、遠州見付府内の今井浦(当時は海で、現在は今之浦の地名が残ります)で祈祷をしたところ、海から龍王が現れ、小鰐口・七合鍋・和布の杓子を献上したと伝えられます。これが「日什上人今井浦感得の三個の霊宝」の故事で、その謂れを伝える什祖御祈祷像が祀られています。什物としては伝什祖御曼荼羅1幅・日乗上人御曼荼羅1幅・日宏上人御曼荼羅1幅・大涅槃図などが格護され、本堂の山号扁額は本多日生上人の揮毫によるものです。奉安される宗祖日蓮大聖人の御尊像は元和9年(1623年)開眼の御木像、開山日什上人像は寛永17年(1640年)7月13日開眼の御木像で、いずれも日蓮宗の准宗宝とされています。

顕本法華宗本山から日蓮宗由緒寺院へ

玄妙寺は近代には什門の流れをくむ顕本法華宗の本山でした。昭和16年(1941年)、政府の宗教政策のもとで顕本法華宗は日蓮宗と合同し、戦後は日蓮宗に残留した妙國寺・本興寺・玄妙寺・妙立寺が「什門四本山」と呼ばれるようになったとされます(この経緯は二次情報によるもので、詳細は宗門史資料での確認が望まれます)。このうち妙立寺は、日什上人が玄妙寺建立の翌年に遠州府内の吉美(現在の湖西市)に建立した寺で、遠州には日什上人直建の寺が2か寺並び立つことになります。現在の玄妙寺は日蓮宗の由緒寺院に指定されて「本山」の称号を許され、令和元年(2019年)10月28日には第57世渡邉日祥貫首の法燈継承晋山式が行われました。歴代貫首の法燈は開創以来630年を超えて受け継がれています。

御命講の伝統と民俗

「御命講」という言葉は、宗祖日蓮大聖人の忌日に営まれる報恩の法会(御会式)の古い呼び名で、御影供(みえいく)から御影講を経て転訛したものと言われています。寺院公式サイトの寺報は、松尾芭蕉が「御命講や油のような酒五升」と詠んだように江戸時代には広く使われた言葉であり、現代では御会式の呼称が一般的になるなか、古い呼び名の御命講が続いている寺が見付の玄妙寺であると紹介しています。玄妙寺の御命講は月遅れの11月12日に奉修され、同じ日に子育ての神・母形鬼子母神の大祭もあわせて行われます。仏前から授与される小さなわら草履は、この子が早く歩けるように、無事にすこやかに育つようにとの願いを込めて持ち帰り、丸1年経った御命講の日に感謝の気持ちでお礼参りをするという風習で、江戸時代(年代不詳)に始まり今日まで続いています。この子育て草履は民俗学者・柳田国男の著書にも紹介されていると寺院公式サイトは伝えています。また、草履とともに授与される小さな着物には、子宝に恵まれない夫婦が御祈祷を受けてこの着物を頂き夜具の下に敷いておくと子宝に恵まれる、という言い伝えもあります。

経蔵・門柱及び塀の文化財登録

境内南側の経蔵は昭和9年(1934年)建設の鉄筋コンクリート造平屋建(建築面積13平方メートル)で、屋根から土台までコンクリートで造られ、出入口には厚い鉄製観音開きの扉を備えます。火災から経典を守るために建てられた耐火建築で、当初の姿を保つ戦前のコンクリート造経蔵として希少と評価されています。境内西側の門柱及び塀は、小砂利・赤土・消石灰にニガリを加えて突き固めた三和土(たたき)ブロックを、門柱は5段積、土塀(延長16メートル)は版築基礎上に4段布積とした左官技法の建造物です。両者は平成26年(2014年)12月19日、国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。寺院公式サイトは、磐田市からの申請が文化審議会の答申を得たもので、見付の文化向上にも意義があると当時の貫首の談話を伝えています。

Database 03

歴代住職

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Database 04

本尊

本尊名
未確認
宗教的意味
玄妙寺は日蓮宗の由緒寺院(本山)です。開山の日什上人は比叡山学頭まで務めた天台の碩学から66歳で日蓮門下に転じた人物で、特定の師系によらず「直チニ仰イデ日蓮大聖人ニ帰スル」という「直授日蓮」の教風を玄妙寺の置文で打ち立てました。本堂には元和9年(1623年)開眼の宗祖日蓮大聖人御木像と寛永17年(1640年)開眼の開山日什上人像が奉安され、鬼子母神像や子育・水かけ地蔵も祀られています。毎年11月12日の御命講(宗祖御会式)と子育て母形鬼子母神の大祭は、この寺のお題目信仰が地域の暮らしに根付いてきたことを物語る行事です。
由来
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安置場所
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Database 05

寺宝・文化財

国登録有形文化財(建造物)

玄妙寺経蔵

昭和9年(1934年)建設の鉄筋コンクリート造平屋建の経蔵です。切妻造セメント瓦葺、建築面積13平方メートルで、外壁は人造石洗出しにより石造風に仕上げられています。屋根瓦もコンクリートブロックで、出窓と出入口の扉は厚さ15センチメートルほどの鉄製観音開きです。耐火性を重視した戦前のコンクリート造経蔵の好例として、平成26年(2014年)12月19日に国の登録有形文化財に登録されました。

国登録有形文化財(建造物)

玄妙寺門柱及び塀

境内西辺を区切る門柱と土塀です。モルタル製の三和土ブロックを門柱は5段積、土塀(延長16メートル)は版築基礎上に4段布積とした、左官技法を駆使した独特な構造で、文化遺産オンラインは昭和前期の建設とし、寺院公式サイトは大正初期に建てられたと紹介しています。再現が困難な建築技法を伝える貴重な例として、経蔵と同日の平成26年(2014年)12月19日に国の登録有形文化財に登録されました。

Database 06

年中法要

  • 御命講(宗祖御会式・子育て母形鬼子母神大祭)11月12日(12日夜が最も賑わう)

    子育て草履の授与と御祈祷、鰐口の打ち鳴らし。寺院公式サイトによる

Database 07

墓地情報

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一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

玄妙寺のある見付は、奈良時代に遠江国府と遠江国分寺が置かれた遠江国の中心地で、近世には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿として栄えた町です。磐田市観光協会は、見付が十七小路をはじめ寺院や神社、史跡、蔵などが点在する東海道屈指の規模を誇った宿場町であったと紹介しています。寺院公式サイトの案内によれば、玄妙寺の東側約150メートルには明治8年(1875年)建築で現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎・旧見付学校(国指定史跡)があり、南南西約1キロメートルには遠江国分寺跡が公園として保存されています。日什上人が「遠州府中見付」と呼ばれたこの地に玄妙寺を建立して遠州見付府内に初めてお題目を根付かせたのは、見付が遠江の府中、すなわち国府の町として人と物の集まる要地だったことと切り離せません。日什上人の今井浦感得の故事に登場する今井浦も、かつて見付の南に広がっていた入江で、今之浦の地名にその名残をとどめています。

毎年11月12日の御命講は、見付の町の季節の風物詩として続いてきました。生まれて間もない赤ちゃんを連れた家族が参詣して仏前から小さな草履を頂き、翌年に二足にして返すという風習は江戸時代に始まると伝えられ、近郷近在の人々に「お命講のおぞうり」として親しまれています。御命講の日には、三種の霊宝に縁のある鰐口を本堂前に掛け下げ、参詣者が打ち鳴らして所願成就を祈る習わしも行われています。宗派を越えて地域の親子の無事成長を祈るこの行事は、見付宿の時代から続く庶民信仰の記憶を今に伝えています。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9126

  2. 宗派公式資料本立山 玄妙寺|日蓮宗ポータルサイト 寺院ページ

    山号本立山、所在地(磐田市見付2440-1)、元中2年(1385年)開創、開山日什、什門三本山の呼称、日蓮宗由緒寺院(本山)であることを確認。

  3. 民間二次情報玄妙寺 - Wikipedia

    元中2年(1385年)開創、顕本法華宗本山であったこと、1941年の日蓮宗との合同、什門四本山、御命講(11月12〜13日)、経蔵・門柱及び塀の登録有形文化財登録を確認。

  4. 行政・公的資料国登録有形文化財|磐田市公式ウェブサイト

    「玄妙寺経蔵・門柱及び塀」が平成26年12月19日登録、所在地見付、所有者玄妙寺であることを確認。

  5. 文化財データベース玄妙寺経蔵 - 文化遺産オンライン

    経蔵の建設年代(1934年)、構造(鉄筋コンクリート造平屋建・瓦葺・建築面積13㎡)、意匠、登録年月日(2014年12月19日)を確認。

  6. 寺院公式サイト本立山玄妙寺 公式サイト「玄妙寺縁起」

    置文・三種の霊宝の故事・什物・准宗宝の御木像・山号扁額(本多日生上人揮毫)を確認。トップページで経蔵等の国登録有形文化財登録(平成28年)も確認

  7. 寺院公式サイト本立山玄妙寺 公式サイト「御命講と玄妙寺」

    御命講(11月12日)の内容・子育て草履祈祷・鰐口打ち鳴らしを確認

  8. 文化財データベース文化遺産オンライン 玄妙寺門柱及び塀

    登録有形文化財(建造物)、昭和前期、土塀延長16メートル、三和土ブロック構造、登録日2014年12月19日を確認。

  9. 寺院公式情報本立山 玄妙寺(公式サイト)

    由緒・年中行事・寺報等のページ構成を確認

  10. 寺院公式情報御命講と玄妙寺

    御命講の由来と檀家参列について

  11. 民間二次情報玄妙寺(静岡県磐田市)の永代供養墓・樹木葬・納骨堂

    供養・墓地・駐車場に関する記載。公式サイトのページ構成と整合するため採用

  12. 行政・公的資料いわた文化財だより第226号

    令和6年1月4日発行。国登録有形文化財の紹介記事中で「玄妙寺経蔵」を昭和9年建築のコンクリート造経蔵として紹介(非公開)。

最終更新日 2026.07.19

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この寺院について

玄妙寺は磐田市見付2440番地の1、旧東海道見付宿の一角に所在する日蓮宗の寺院です。山号は本立山で、日蓮宗の由緒寺院に指定され、「本山」の称号を許されています。元中2年・北朝至徳2年(1385年)に日什門流の開祖・玄妙阿闍梨日什上人が建立した寺で、「師ノ本名ヲ以ッテ寺号トナス」と伝えられるとおり、日什上人が自身の名「玄妙」をもって寺号としました。

日什上人が法華弘通の生涯で最初に建立した法城であることから「得道の寺」と呼ばれ、「転法輪の寺」京都妙満寺、「涅槃の寺」会津妙法寺とともに「什門の三本山」と称されます。境内には昭和9年(1934年)建設の鉄筋コンクリート造の経蔵と、三和土ブロック造の門柱及び塀があり、いずれも国の登録有形文化財に登録されています。

檀家・信徒に向けては、毎年11月12日に宗祖日蓮大聖人の御会式である御命講が営まれ、あわせて子育て母形鬼子母神の大祭が行われます。仏前から小さな「子育て草履」を頂いて赤ちゃんに履かせ、翌年お礼参りをする風習が江戸時代から続いており、寺院公式サイトによれば民俗学者・柳田国男の著書にも紹介されています。

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歴史と背景

日什上人の生涯と玄妙寺開創

開山の日什上人(1314年から1392年)は、寺院公式サイトの略伝によれば、正和3年(1314年)4月28日に奥州会津郡黒川(現在の福島県会津若松市)で生まれました。19歳で出家して比叡山横川の慈遍僧正のもとに入り、名を玄妙と改め、38歳で比叡山学頭に抜擢されて「玄妙能化」として名声を博した天台の学僧でした。58歳で故郷会津に帰り羽黒山東光寺の山主となりますが、天授5年・北朝康暦元年(1379年)、66歳の時に日蓮大聖人の「開目抄」「如説修行抄」に接して確然と名を「日什」と改め、67歳で日蓮宗の門に入りました。その後、京都で天皇への奏聞を重ねて洛中弘通の綸旨を賜り、二位の僧都に叙せられ、鎌倉では関東管領足利氏満に宗義を直訴するなど、精力的な弘教を続けました。そして元中2年・北朝至徳2年(1385年)、72歳の時に遠州府中見付に玄妙寺を建立し、遠州見付府内に初めてお題目が根付いたと伝えられます。翌年には同じ府内の吉美(現在の湖西市)に妙立寺を建立しています。

置文と「本寺」の地位

日什上人は75歳の時、玄妙寺第1世日妙上人(大蔵阿闍梨日妙)の一周忌を営んで「諷誦章」を認め、その脇に「日什門徒存知スベキ事」の置文を記しました。置文には「此ノ大曼荼羅所持ノ寺ヲ本立山玄妙寺ト号スル者ナリ。開山ハ日什、第一ノ貫主ハ大蔵阿闍梨日妙云々。此ノ寺ヲ以テ此ノ門徒ノ本寺ト定ムル処ナリ」とあり、玄妙寺を門徒の本寺と定めて真間弘法寺からの独立を宣言し、「直チニ仰イデ日蓮大聖人ニ帰スル処ナリ」という「直授日蓮」の教風を打ち立てました。日什上人は元中9年・北朝明徳3年(1392年)正月20日、同じ内容の「一旨三通の置文」を認めて見付の玄妙寺・京都の妙満寺・会津の妙法寺に残し置くよう遺言し、同年2月28日に79歳で入寂しました。玄妙寺が什門において特別の地位を占めてきたことを示す故事です。

今井浦感得の三種の霊宝と什宝

寺院公式サイトによれば、日什上人が68歳の時、遠州見付府内の今井浦(当時は海で、現在は今之浦の地名が残ります)で祈祷をしたところ、海から龍王が現れ、小鰐口・七合鍋・和布の杓子を献上したと伝えられます。これが「日什上人今井浦感得の三個の霊宝」の故事で、その謂れを伝える什祖御祈祷像が祀られています。什物としては伝什祖御曼荼羅1幅・日乗上人御曼荼羅1幅・日宏上人御曼荼羅1幅・大涅槃図などが格護され、本堂の山号扁額は本多日生上人の揮毫によるものです。奉安される宗祖日蓮大聖人の御尊像は元和9年(1623年)開眼の御木像、開山日什上人像は寛永17年(1640年)7月13日開眼の御木像で、いずれも日蓮宗の准宗宝とされています。

顕本法華宗本山から日蓮宗由緒寺院へ

玄妙寺は近代には什門の流れをくむ顕本法華宗の本山でした。昭和16年(1941年)、政府の宗教政策のもとで顕本法華宗は日蓮宗と合同し、戦後は日蓮宗に残留した妙國寺・本興寺・玄妙寺・妙立寺が「什門四本山」と呼ばれるようになったとされます(この経緯は二次情報によるもので、詳細は宗門史資料での確認が望まれます)。このうち妙立寺は、日什上人が玄妙寺建立の翌年に遠州府内の吉美(現在の湖西市)に建立した寺で、遠州には日什上人直建の寺が2か寺並び立つことになります。現在の玄妙寺は日蓮宗の由緒寺院に指定されて「本山」の称号を許され、令和元年(2019年)10月28日には第57世渡邉日祥貫首の法燈継承晋山式が行われました。歴代貫首の法燈は開創以来630年を超えて受け継がれています。

御命講の伝統と民俗

「御命講」という言葉は、宗祖日蓮大聖人の忌日に営まれる報恩の法会(御会式)の古い呼び名で、御影供(みえいく)から御影講を経て転訛したものと言われています。寺院公式サイトの寺報は、松尾芭蕉が「御命講や油のような酒五升」と詠んだように江戸時代には広く使われた言葉であり、現代では御会式の呼称が一般的になるなか、古い呼び名の御命講が続いている寺が見付の玄妙寺であると紹介しています。玄妙寺の御命講は月遅れの11月12日に奉修され、同じ日に子育ての神・母形鬼子母神の大祭もあわせて行われます。仏前から授与される小さなわら草履は、この子が早く歩けるように、無事にすこやかに育つようにとの願いを込めて持ち帰り、丸1年経った御命講の日に感謝の気持ちでお礼参りをするという風習で、江戸時代(年代不詳)に始まり今日まで続いています。この子育て草履は民俗学者・柳田国男の著書にも紹介されていると寺院公式サイトは伝えています。また、草履とともに授与される小さな着物には、子宝に恵まれない夫婦が御祈祷を受けてこの着物を頂き夜具の下に敷いておくと子宝に恵まれる、という言い伝えもあります。

経蔵・門柱及び塀の文化財登録

境内南側の経蔵は昭和9年(1934年)建設の鉄筋コンクリート造平屋建(建築面積13平方メートル)で、屋根から土台までコンクリートで造られ、出入口には厚い鉄製観音開きの扉を備えます。火災から経典を守るために建てられた耐火建築で、当初の姿を保つ戦前のコンクリート造経蔵として希少と評価されています。境内西側の門柱及び塀は、小砂利・赤土・消石灰にニガリを加えて突き固めた三和土(たたき)ブロックを、門柱は5段積、土塀(延長16メートル)は版築基礎上に4段布積とした左官技法の建造物です。両者は平成26年(2014年)12月19日、国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。寺院公式サイトは、磐田市からの申請が文化審議会の答申を得たもので、見付の文化向上にも意義があると当時の貫首の談話を伝えています。

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文化財・見どころ

国登録有形文化財(建造物)

玄妙寺経蔵

昭和9年(1934年)建設の鉄筋コンクリート造平屋建の経蔵です。切妻造セメント瓦葺、建築面積13平方メートルで、外壁は人造石洗出しにより石造風に仕上げられています。屋根瓦もコンクリートブロックで、出窓と出入口の扉は厚さ15センチメートルほどの鉄製観音開きです。耐火性を重視した戦前のコンクリート造経蔵の好例として、平成26年(2014年)12月19日に国の登録有形文化財に登録されました。

国登録有形文化財(建造物)

玄妙寺門柱及び塀

境内西辺を区切る門柱と土塀です。モルタル製の三和土ブロックを門柱は5段積、土塀(延長16メートル)は版築基礎上に4段布積とした、左官技法を駆使した独特な構造で、文化遺産オンラインは昭和前期の建設とし、寺院公式サイトは大正初期に建てられたと紹介しています。再現が困難な建築技法を伝える貴重な例として、経蔵と同日の平成26年(2014年)12月19日に国の登録有形文化財に登録されました。

04

宗派と本尊を知る

玄妙寺は日蓮宗の由緒寺院(本山)です。開山の日什上人は比叡山学頭まで務めた天台の碩学から66歳で日蓮門下に転じた人物で、特定の師系によらず「直チニ仰イデ日蓮大聖人ニ帰スル」という「直授日蓮」の教風を玄妙寺の置文で打ち立てました。本堂には元和9年(1623年)開眼の宗祖日蓮大聖人御木像と寛永17年(1640年)開眼の開山日什上人像が奉安され、鬼子母神像や子育・水かけ地蔵も祀られています。毎年11月12日の御命講(宗祖御会式)と子育て母形鬼子母神の大祭は、この寺のお題目信仰が地域の暮らしに根付いてきたことを物語る行事です。

日蓮宗とは

日蓮宗は、日蓮聖人(1222年〜1282年)を宗祖とする宗派です。建長5年(1253年)4月28日、日蓮聖人が「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えて立教開宗されたことに始まります。総本山は山梨県身延町の身延山久遠寺で、文永11年(1274年)に聖人が入山して晩年を過ごされた霊跡です。

教えの中心は、法華経こそお釈迦さまの真意を説いた経典であるという確信にあります。「南無妙法蓮華経」の7文字のお題目に法華経のすべてが込められていると説き、お題目を唱えることで誰もがその功徳にあずかれるとします。日蓮聖人は「立正安国論」を著して幕府に諫言するなど、教えを社会に生かすことを重んじました。

檀家の法要では、太鼓や木鉦の音に合わせて参列者もお題目を唱和するのが日蓮宗らしい光景です。塔婆にお題目を記して供養する習わしも受け継がれています。日蓮聖人のご命日に営まれる「お会式」は宗門で大切にされる行事のひとつで、菩提寺でも毎年の法要として受け継がれています。

参考: 身延山 久遠寺(日蓮宗ポータルサイト)久遠寺の歴史(身延山久遠寺 公式サイト)

05

地域とのつながり

玄妙寺のある見付は、奈良時代に遠江国府と遠江国分寺が置かれた遠江国の中心地で、近世には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿として栄えた町です。磐田市観光協会は、見付が十七小路をはじめ寺院や神社、史跡、蔵などが点在する東海道屈指の規模を誇った宿場町であったと紹介しています。寺院公式サイトの案内によれば、玄妙寺の東側約150メートルには明治8年(1875年)建築で現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎・旧見付学校(国指定史跡)があり、南南西約1キロメートルには遠江国分寺跡が公園として保存されています。日什上人が「遠州府中見付」と呼ばれたこの地に玄妙寺を建立して遠州見付府内に初めてお題目を根付かせたのは、見付が遠江の府中、すなわち国府の町として人と物の集まる要地だったことと切り離せません。日什上人の今井浦感得の故事に登場する今井浦も、かつて見付の南に広がっていた入江で、今之浦の地名にその名残をとどめています。

毎年11月12日の御命講は、見付の町の季節の風物詩として続いてきました。生まれて間もない赤ちゃんを連れた家族が参詣して仏前から小さな草履を頂き、翌年に二足にして返すという風習は江戸時代に始まると伝えられ、近郷近在の人々に「お命講のおぞうり」として親しまれています。御命講の日には、三種の霊宝に縁のある鰐口を本堂前に掛け下げ、参詣者が打ち鳴らして所願成就を祈る習わしも行われています。宗派を越えて地域の親子の無事成長を祈るこの行事は、見付宿の時代から続く庶民信仰の記憶を今に伝えています。

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年中行事・参拝の手引き

年中行事・法要

  • 御命講(宗祖御会式・子育て母形鬼子母神大祭)(11月12日(12日夜が最も賑わう))

    子育て草履の授与と御祈祷、鰐口の打ち鳴らし。寺院公式サイトによる

参拝・法要で訪れる方へ

御命講で頂いた子育て草履は、丸1年経った翌年の御命講の日に二足にして感謝のお礼参りをする風習と寺院公式サイトは案内しています。

駐車場は乗用車10台まで(大型バス1台駐車可)と日蓮宗ポータルサイトの寺院ページに記載されています。

行事の日時・内容は年により変わることがあります。法要や墓参で訪れる際も含め、最新の案内は寺院へ直接確認してください。

調査中の項目
  • 御命講以外の年中行事(彼岸会・施餓鬼会等)の日程
  • 永代供養墓・納骨堂の具体的な形態・条件(民間検索サイトに取扱いの記載があるが、寺院公式の詳細は未確認)
  • 護持会など檀家組織の有無・活動内容

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

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よくある質問

玄妙寺の読み方と山号は?

「げんみょうじ」と読みます。山号は本立山(ほんりゅうざん)で、開山の日什上人が自身の名「玄妙」をもって寺号とした寺です。

本文「この寺院について」を読む
宗派は何ですか?

日蓮宗で、由緒寺院として「本山」の称号を許されています。戦前は什門の流れをくむ顕本法華宗の本山で、昭和16年(1941年)の合同を経て日蓮宗に属しました。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ誰が開いたお寺ですか?

元中2年・北朝至徳2年(1385年)、日什門流の開祖・玄妙阿闍梨日什上人が72歳の時に建立しました。日什上人が生涯で最初に建立した法城であることから「得道の寺」と呼ばれます。

本文「歴史と背景」を読む
「什門の三本山」とは何ですか?

日什上人ゆかりの3つの本山の呼称で、「得道の寺」玄妙寺、「転法輪の寺」京都妙満寺、「涅槃の寺」会津妙法寺を指します。日什上人は「日什門徒存知スベキ事」の置文で玄妙寺を門徒の本寺と定め、元中9年(1392年)の遺言では同じ内容の置文を玄妙寺・妙満寺・妙法寺の3か寺に残し置くよう命じました。

本文「歴史と背景」を読む
三種の霊宝とは何ですか?

日什上人が68歳の時に見付の今井浦で祈祷をした際、海から現れた龍王が献上したと伝わる小鰐口・七合鍋・和布の杓子のことです。御命講の日にはこの故事に縁のある鰐口の打ち鳴らしが行われます。

本文「歴史と背景」を読む
御命講とはどんな行事ですか?

毎年11月12日に営まれる宗祖日蓮大聖人の御会式で、子育て母形鬼子母神の大祭をあわせて行います。赤ちゃんの健やかな成長を祈って小さな子育て草履を頂き、翌年お礼参りをする風習が江戸時代から続いています。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
どんな文化財がありますか?

昭和9年(1934年)建設の鉄筋コンクリート造の経蔵と、三和土ブロック造の門柱及び塀が、平成26年(2014年)12月19日に国の登録有形文化財に登録されています。

本文「文化財・見どころ」を読む
本尊は何ですか?

現時点では本尊の奉安形式は確認できていません。宗祖日蓮大聖人の御尊像(元和9年〈1623年〉開眼)と開山日什上人像(寛永17年〈1640年〉開眼)が奉安され、いずれも准宗宝とされています。

本文「この寺院について」を読む
近くにはどんな史跡がありますか?

寺の東側約150メートルに国指定史跡の旧見付学校(明治8年〈1875年〉建築、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎)があり、南南西約1キロメートルには遠江国分寺跡が公園として保存されています。玄妙寺は旧東海道見付宿の歴史の残る一角に位置しています。

本文「地域とのつながり」を読む

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写真で見る境内

玄妙寺本堂正面「本立山」
本堂・堂宇 「本立山」の扁額を掲げる本堂正面。一対の大香炉が置かれている。
玄妙寺山門
入口・石標 瓦屋根の山門。石柱には寺号が刻まれている。
玄妙寺通用門の石柱と案内板
入口・石標 「玄妙寺通用門」と刻まれた石柱と、「日蓮宗本山玄妙寺」の案内板。子宝・子育ての「母形児子母神」への案内も添えられている。
国登録有形文化財「経蔵」
その他 文化庁の登録有形文化財に指定されている経蔵。重厚な石造りの土蔵に鉄扉が構える。
経蔵の鉄扉
その他 経蔵の重厚な鉄扉を別角度から見る。
山門から本堂を望む
境内全景 「日蓮宗本山 玄妙寺」の扁額が掲げられた山門の内側から本堂を望む。
玄妙寺の由緒案内板
説明板・案内板 宗派・本尊・開山の由緒を記した案内板。元中2年(1385)に日什上人により開創され、日蓮上人の改名前の名「玄妙」を寺号としたことなどが記されている。
境内の大クスノキ
境内全景 本堂脇にそびえる大きなクスノキ。

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出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9126。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 宗派公式資料 本立山 玄妙寺|日蓮宗ポータルサイト 寺院ページ

    山号本立山、所在地(磐田市見付2440-1)、元中2年(1385年)開創、開山日什、什門三本山の呼称、日蓮宗由緒寺院(本山)、駐車場10台を確認

  3. 寺院公式情報 本立山玄妙寺 公式サイト「玄妙寺縁起」

    元中2年(1385年)建立、寺号の由来(師の本名を以って寺号となす)、置文「日什門徒存知スベキ事」の本文、第一の貫主大蔵阿闍梨日妙、什門三本山、三種の霊宝の故事、什物、山号扁額(本多日生上人揮毫)、宗祖御木像(元和9年開眼)を確認

  4. 寺院公式情報 本立山玄妙寺 公式サイト「日什大正師略伝」

    日什上人の生涯(正和3年会津生まれ、比叡山学頭、66歳で開目抄感得・改名、綸旨と二位僧都、72歳で玄妙寺建立、諷誦章と置文、一旨三通の置文、元中9年2月28日79歳入寂、御廟所会津妙国寺)を確認

  5. 寺院公式情報 本立山玄妙寺 公式サイト「交通のご案内」

    所在地・電話、付近の見どころとして旧見付学校(当山東側150メートル・明治8年建築)と遠江国分寺跡(南南西約1キロメートル)の記載を確認

  6. 寺院公式情報 本立山玄妙寺 公式サイト「御命講と玄妙寺」

    御命講(11月12日)の内容、子育て母形鬼子母神大祭、子育て草履の御祈祷、鰐口の打ち鳴らしと三種の霊宝の故事を確認

  7. 寺院公式情報 本立山玄妙寺 公式サイト「寺報(御命講の紹介)」

    御命講の由来(御影供からの転訛)、子育て草履の風習が江戸時代に始まり翌年二足にして返すこと、柳田国男の著書に紹介されていること、近郷近在の参詣の様子を確認

  8. 寺院公式情報 本立山玄妙寺 公式サイト「行事のご案内」

    経蔵(昭和9年建設・鉄筋コンクリート造・鉄製観音開き扉)と門柱及び塀(三和土ブロック造・大正初期)の登録有形文化財登録の経緯、令和元年10月28日の第57世渡邉日祥貫首晋山式を確認

  9. 寺院公式情報 本立山玄妙寺 公式サイト「玄妙寺紹介」

    宗祖御木像(元和9年開眼・准宗宝)、開山日什上人像(寛永17年7月13日開眼・准宗宝)、日什上人御祈祷像、鬼子母神像、子育・水かけ地蔵の奉安を確認

  10. 行政・公的資料 国登録有形文化財|磐田市公式ウェブサイト

    「玄妙寺経蔵・門柱及び塀」が平成26年12月19日登録、所在地見付、所有者玄妙寺であることを確認

  11. 文化財データベース 玄妙寺経蔵 - 文化遺産オンライン

    経蔵の建設年代(1934年)、構造(鉄筋コンクリート造平屋建・瓦葺・建築面積13平方メートル)、意匠、登録年月日(2014年12月19日)を確認

  12. 文化財データベース 玄妙寺門柱及び塀 - 文化遺産オンライン

    登録有形文化財(建造物)、昭和前期、土塀延長16メートル、三和土ブロック構造(門柱5段積・塀4段布積)、登録日2014年12月19日を確認

  13. 民間二次情報 玄妙寺 - Wikipedia

    顕本法華宗本山であったこと、昭和16年(1941年)の日蓮宗との合同、什門四本山の呼称を確認(発見用の二次情報として参照)

  14. 行政・公的資料 いわた文化財だより第226号

    令和6年1月4日発行。国登録有形文化財の紹介記事中で「玄妙寺経蔵」を昭和9年建築のコンクリート造経蔵として紹介(県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照)

  15. 行政・公的資料 旧見付学校附磐田文庫(旧見付学校)|磐田市公式ウェブサイト

    旧見付学校が明治8年(1875年)建築で現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎であり国指定史跡であることを確認(見付地区の歴史文脈として使用)

For Families

このお寺が菩提寺のご家族へ

菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
  • 位牌の有無
  • お寺からの連絡を受ける人
  • お寺の連絡先
  • 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
  • 実家の名義
  • 実家を今後誰が管理するか
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