竜洋地区・現存
福生寺
ふくしょうじ
福生寺(ふくしょうじ)は、磐田市西平松(旧磐田郡竜洋町域)にある曹洞宗の寺院で、山号は徳用山です。『静岡県磐田郡誌』によれば本尊は虚空蔵菩薩で、天正10年(1582年)4月1日に一宇を新築し、岡の聖寿寺5世恵才の徒弟・宣存を開山に請じて開かれた、旧西平松村の菩提寺です。
別称・関連名称徳用山福生寺
- 寺院名
- 福生寺
- 地区
- 竜洋
- 住所
- 静岡県磐田市西平松22番地
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 福生寺
- 読み方
- ふくしょうじ
- 地区
- 竜洋
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 虚空蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』大正10年による。現況は要確認)
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市西平松22番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
- 最終確認日
- 2026.07.11
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 福生寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 虚空蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』大正10年による。現況は要確認)
- 創建
- 天正10年(1582年)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市西平松22番地
- 地区
- 竜洋
Database 02
沿革
天正10年(1582年)の草創と開山・宣存
『静岡県磐田郡誌』の寺院各説は当寺を「福生寺(袖浦村)」として立項し、「袖浦村西平松字西中に在り。徳用山と号す。当村岡聖寿寺の末にして、本尊は虚空蔵菩薩なり。天正十年四月一日、一宇を新築し聖寿寺第五世恵才の徒弟宣存を請じて開山とす」と記しています。天正10年(1582年)は本能寺の変が起きた年で、遠江が徳川家康の支配のもとで安定に向かう時期にあたります。恵才の門下からは平間の願成寺を開いた明堂も出ており、聖寿寺5世恵才の一門が袖浦の村々に寺院を広げていった様子がうかがえ、福生寺の草創もその教線の広がりの一齣として位置付けられます。
本寺・聖寿寺と袖浦の曹洞宗
本寺の聖寿寺は袖浦村岡(現磐田市岡)の天龍山聖寿寺で、『静岡県磐田郡誌』によれば慶安元年(1648年)に朱印高12石9斗余を受け、門末24か寺を有した地域の中核寺院(小本寺)でした。福生寺はその門末の1つとして、旧西平松村の人々の菩提を弔う役割を担ってきました。聖寿寺の朱印高12石9斗余は、豊岡の守増寺(朱印13石6斗)と並ぶ竜洋地区でも大きな寺領で、両寺を核に曹洞宗の本末の網の目がこの地域に広がっていました。聖寿寺を中心とする本末のつながりは近代以降も続き、『日本歴史地名大系』の白羽村の項には、昭和30年(1955年)に白羽の清雲寺が曹洞宗聖寿寺に統合されたことが記されており、聖寿寺が袖浦・竜洋一帯の曹洞宗の中核であり続けたことが分かります。
西平松村の歩み
『日本歴史地名大系』の西平松村の項によれば、西平松村は正保年間(1644〜1648年)以前に平松村が東・中・西に三分されて成立した村です。江戸時代は豊田郡に属し、正保郷帳では幕府領、元禄12年(1699年)以降は浜松藩領、弘化3年(1846年)からは陸奥白河藩領と領主が変遷しました。福生寺の由緒にみえる字名「西中」は村内の小名で、寺が集落の中に建てられていたことをうかがわせます。明治22年(1889年)に西平松は袖浦村の大字となり、のち竜洋町を経て現在の磐田市西平松となりました。「平松」を冠する大字は現在の磐田市にも受け継がれており、江戸期の分村の歴史を地名がとどめています。
記録の現状と課題
曹洞禅ナビは全国およそ1万4千か寺を数える曹洞宗の寺院を収録する公式ポータルで、福生寺も磐田市の寺院として登載されています。ただし当寺のページには所在地などの基本情報が掲載されている一方、由緒・本尊・年中行事の記載はなく、寺の沿革を伝える公開情報は現在も『静岡県磐田郡誌』などの郷土資料が中心です。また江戸時代の地誌『遠淡海地志』の平松三か村周辺の記載には「正寿寺末 福正寺」とみえる寺があり、当寺との関係が注目されますが、表記・本末関係が郡誌の記載と異なるため、同一寺院かどうかは確認できていません。全国には千葉県館山市・東京都町田市など同名の福生寺が多数あり、Web検索ではそれらの情報が上位に出やすいため、当ページでは磐田市西平松の寺院に関する資料のみを採用しています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 虚空蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』大正10年による。現況は要確認)
- 宗教的意味
- 福生寺は曹洞宗に属し、袖浦の岡にある聖寿寺の法系に連なる末寺です。『静岡県磐田郡誌』は本尊を虚空蔵菩薩と記しており、坐禅を旨とする禅寺でありながら、智恵と福徳の仏さまを本尊とする点に、天竜川河口域に広がる虚空蔵信仰との縁がうかがえます。掛塚には「掛塚の虚空蔵」として知られる香集寺があり、川袋の潜龍寺の本尊も虚空蔵の尊名で伝わるなど、この地域では虚空蔵菩薩が身近な仏さまでした。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
福生寺のある西平松を含む旧竜洋町域は、天竜川左岸の河口部に広がる低地です。天竜川河口の掛塚湊は、江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと伝えられます。西平松など袖浦の村々は、この川湊の町の後背地として、農業とともに舟運の恩恵を受けて暮らしてきました。
掛塚の貴船神社の例祭「掛塚まつり」では、静岡県指定無形民俗文化財の掛塚祭屋台囃子とともに豪華な屋台が曳き回され、湊町の繁栄の記憶を今に伝えています。福生寺・聖寿寺・願成寺と続く曹洞宗の本末のつながりは、こうした湊の経済圏の中で袖浦の村々が結び付いていた歴史を、寺の側から物語るものです。
明治22年(1889年)の東海道線開通とともに舟運は衰えましたが、現在の竜洋地区は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地する町となり、天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われています。掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館は同じ旧袖浦村域の岡にあり、福生寺をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた竜洋の歴史を伝えています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9342
- 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編、大正10年(第13章 寺院各説115「福生寺」)
国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開)。457コマの原本画像で由緒本文を確認
- 郷土資料日本歴史地名大系「西平松村」(コトバンク)
平松村の三分村による成立と領主変遷の記載
- 郷土資料『遠淡海地誌』(山中豊平編著、1991年)
平松付近に「正寿寺末福正寺」の記載(当寺との関係は未確認のため要調査)
- 民間二次情報Yahoo!マップ「福生寺(磐田市西平松)」
所在地・曹洞宗の確認
- 宗派公式資料福生寺 - 曹洞禅ナビ寺院検索
名称・フリガナ(フクショウジ)・住所(磐田市西平松22)一致確認。由緒・本尊・年中行事欄は未記入。
最終更新日 2026.07.19
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01
この寺院について
福生寺は磐田市西平松22番地に所在する曹洞宗の寺院です。曹洞宗の公式ポータル「曹洞禅ナビ」に磐田市西平松の寺院として掲載され、読み仮名は「フクショウジ」と表記されています。静岡県知事所轄宗教法人名簿にも磐田市内の宗教法人として掲載されており、宗門・行政の両方の名簿でその存在が確認できます。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』によれば、山号は徳用山、本尊は虚空蔵菩薩で、同じ袖浦村の岡にある聖寿寺の末寺です。天正10年(1582年)4月1日に一宇を新築し、聖寿寺5世恵才の徒弟・宣存を開山に請じて開かれました。戦国時代の末期に、袖浦一帯へ広がった曹洞宗の展開の中で生まれた寺院です。開山の宣存について郡誌はこれ以上を伝えておらず、示寂年などは確認できていません。
所在地の西平松は、江戸時代の豊田郡西平松村にあたります。明治22年(1889年)に袖浦村の大字となり、昭和30年(1955年)の竜洋町発足、平成17年(2005年)の合併を経て磐田市西平松(郵便番号438-0217)となりました。天竜川左岸の低地に開けた、田園と集落の続く土地柄です。「遠州の小江戸」と呼ばれた掛塚湊の後背地にあたる竜洋地区の中で、福生寺は西平松の人々の菩提寺として歩んできました。
02
歴史と背景
天正10年(1582年)の草創と開山・宣存
『静岡県磐田郡誌』の寺院各説は当寺を「福生寺(袖浦村)」として立項し、「袖浦村西平松字西中に在り。徳用山と号す。当村岡聖寿寺の末にして、本尊は虚空蔵菩薩なり。天正十年四月一日、一宇を新築し聖寿寺第五世恵才の徒弟宣存を請じて開山とす」と記しています。天正10年(1582年)は本能寺の変が起きた年で、遠江が徳川家康の支配のもとで安定に向かう時期にあたります。恵才の門下からは平間の願成寺を開いた明堂も出ており、聖寿寺5世恵才の一門が袖浦の村々に寺院を広げていった様子がうかがえ、福生寺の草創もその教線の広がりの一齣として位置付けられます。
本寺・聖寿寺と袖浦の曹洞宗
本寺の聖寿寺は袖浦村岡(現磐田市岡)の天龍山聖寿寺で、『静岡県磐田郡誌』によれば慶安元年(1648年)に朱印高12石9斗余を受け、門末24か寺を有した地域の中核寺院(小本寺)でした。福生寺はその門末の1つとして、旧西平松村の人々の菩提を弔う役割を担ってきました。聖寿寺の朱印高12石9斗余は、豊岡の守増寺(朱印13石6斗)と並ぶ竜洋地区でも大きな寺領で、両寺を核に曹洞宗の本末の網の目がこの地域に広がっていました。聖寿寺を中心とする本末のつながりは近代以降も続き、『日本歴史地名大系』の白羽村の項には、昭和30年(1955年)に白羽の清雲寺が曹洞宗聖寿寺に統合されたことが記されており、聖寿寺が袖浦・竜洋一帯の曹洞宗の中核であり続けたことが分かります。
西平松村の歩み
『日本歴史地名大系』の西平松村の項によれば、西平松村は正保年間(1644〜1648年)以前に平松村が東・中・西に三分されて成立した村です。江戸時代は豊田郡に属し、正保郷帳では幕府領、元禄12年(1699年)以降は浜松藩領、弘化3年(1846年)からは陸奥白河藩領と領主が変遷しました。福生寺の由緒にみえる字名「西中」は村内の小名で、寺が集落の中に建てられていたことをうかがわせます。明治22年(1889年)に西平松は袖浦村の大字となり、のち竜洋町を経て現在の磐田市西平松となりました。「平松」を冠する大字は現在の磐田市にも受け継がれており、江戸期の分村の歴史を地名がとどめています。
記録の現状と課題
曹洞禅ナビは全国およそ1万4千か寺を数える曹洞宗の寺院を収録する公式ポータルで、福生寺も磐田市の寺院として登載されています。ただし当寺のページには所在地などの基本情報が掲載されている一方、由緒・本尊・年中行事の記載はなく、寺の沿革を伝える公開情報は現在も『静岡県磐田郡誌』などの郷土資料が中心です。また江戸時代の地誌『遠淡海地志』の平松三か村周辺の記載には「正寿寺末 福正寺」とみえる寺があり、当寺との関係が注目されますが、表記・本末関係が郡誌の記載と異なるため、同一寺院かどうかは確認できていません。全国には千葉県館山市・東京都町田市など同名の福生寺が多数あり、Web検索ではそれらの情報が上位に出やすいため、当ページでは磐田市西平松の寺院に関する資料のみを採用しています。
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宗派と本尊を知る
福生寺は曹洞宗に属し、袖浦の岡にある聖寿寺の法系に連なる末寺です。『静岡県磐田郡誌』は本尊を虚空蔵菩薩と記しており、坐禅を旨とする禅寺でありながら、智恵と福徳の仏さまを本尊とする点に、天竜川河口域に広がる虚空蔵信仰との縁がうかがえます。掛塚には「掛塚の虚空蔵」として知られる香集寺があり、川袋の潜龍寺の本尊も虚空蔵の尊名で伝わるなど、この地域では虚空蔵菩薩が身近な仏さまでした。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
虚空蔵菩薩という仏さま
虚空蔵菩薩は、何ものにも妨げられない大空(虚空)がすべてを包み込むように、無限の智恵と福徳を蔵する菩薩です。虚空が光や熱、雨や水といった自然の恵みを絶えず与えてくれるように、その恵みは尽きることがないと説かれます。求める人に応じてその蔵から智恵と福徳を取り出して与えてくださると信じられ、記憶力と智恵を授かることを祈る虚空蔵求聞持法という修行の本尊としても知られています。
この仏さまを語るうえで欠かせないのが「十三まいり」です。数え年13歳を迎えた子どもが智恵と福徳を授かりに参拝する習わしで、本尊とする京都・嵐山の法輪寺では毎年4月13日を中心に営まれ、大人への入り口に立つ子どもの成長の節目として親しまれてきました。
法輪寺の本尊は、智恵や福徳だけでなく芸道の上達をも約束する誓いを立てたと伝えられ、学業成就や技芸の上達を願う人びとの信仰を集めています。子や孫の成長の節目に、智恵を授けてくださる仏さまとして手を合わせたいものです。
参考: 法輪寺の歴史・由緒・御本尊(嵐山 虚空蔵法輪寺 公式サイト)/春の十三まいり【虚空蔵法輪寺】(京都市公式 京都観光Navi)
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地域とのつながり
福生寺のある西平松を含む旧竜洋町域は、天竜川左岸の河口部に広がる低地です。天竜川河口の掛塚湊は、江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと伝えられます。西平松など袖浦の村々は、この川湊の町の後背地として、農業とともに舟運の恩恵を受けて暮らしてきました。
掛塚の貴船神社の例祭「掛塚まつり」では、静岡県指定無形民俗文化財の掛塚祭屋台囃子とともに豪華な屋台が曳き回され、湊町の繁栄の記憶を今に伝えています。福生寺・聖寿寺・願成寺と続く曹洞宗の本末のつながりは、こうした湊の経済圏の中で袖浦の村々が結び付いていた歴史を、寺の側から物語るものです。
明治22年(1889年)の東海道線開通とともに舟運は衰えましたが、現在の竜洋地区は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地する町となり、天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われています。掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館は同じ旧袖浦村域の岡にあり、福生寺をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた竜洋の歴史を伝えています。
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年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
寺院の公開情報が限られているため、法要・供養の相談は曹洞禅ナビ掲載の連絡先を通じて寺院へ直接確認してください。
- 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要など)の有無・日程は未確認
- 墓地・永代供養の取扱いは未確認
- 現在の本尊・伽藍の様子(郡誌の記載は1921年時点)は未確認
- 山号「徳用山」の現行表記(山号額等)は未確認
- 住職の常駐・兼務の状況は未確認
- 遠江四十九薬師霊場・遠州三十三観音等の札所該当の有無は未確認
- 檀家組織・護持会の有無は未確認
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
06
よくある質問
- 福生寺の読み方は?
-
曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」では「フクショウジ」とフリガナが付されています。同名寺院との混同を避けるため、当ページでは所在地(磐田市西平松22番地)とあわせて確認しています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗の寺院です。大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、山号を徳用山、本尊を虚空蔵菩薩(智恵と福徳を蔵する仏さま)と記しています。現在の本尊の様子は確認できていません。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ誰が開いたお寺ですか?
-
『静岡県磐田郡誌』によれば、天正10年(1582年)4月1日に一宇を新築し、聖寿寺5世恵才の徒弟・宣存を開山に請じて開かれました。本能寺の変が起きた年にあたります。
本文「歴史と背景」を読む - 本寺の聖寿寺とはどんなお寺ですか?
-
袖浦村岡(現磐田市岡)の天龍山聖寿寺です。『静岡県磐田郡誌』によれば慶安元年(1648年)に朱印高12石9斗余を受け、門末24か寺を有した地域の中核寺院で、福生寺はその門末の1つです。
本文「歴史と背景」を読む - 『遠淡海地志』にみえる「福正寺」と同じお寺ですか?
-
確認できていません。同地誌の平松付近の記載には「正寿寺末 福正寺」とみえますが、表記・本末関係が郡誌の記載と異なるため、同一寺院かどうかは今後の調査課題です。
本文「歴史と背景」を読む - 「袖浦」とはどの辺りのことですか?
-
明治22年(1889年)に西平松・岡などの村々が合併して生まれた旧村名で、天竜川左岸の低地にあたります。昭和30年(1955年)に掛塚町・十束村と合併して竜洋町となりました。竜洋郷土資料館のある岡も旧袖浦村域です。
本文「地域とのつながり」を読む - 館山市や町田市の福生寺と同じお寺ですか?
-
別の寺院です。全国には同名の福生寺が多数あり、検索ではそれらの情報が上位に出やすいため、当ページでは磐田市西平松の寺院に関する資料のみを採用しています。
本文「この寺院について」を読む - 法要やお墓の相談はできますか?
-
墓地・永代供養の取扱いを含め公開情報は確認できていません。曹洞禅ナビ掲載の連絡先を通じて寺院へ直接ご確認ください。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
07
写真で見る境内
08
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載(参照行: L9342)。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編、大正10年(第13章 寺院各説115「福生寺」)
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ457)。徳用山・聖寿寺末・本尊虚空蔵菩薩・天正10年4月1日一宇新築・聖寿寺5世恵才の徒弟宣存開山の由緒本文を原本画像で確認。あわせて聖寿寺の朱印高12石9斗余・門末24か寺の記載を参照
- 郷土資料 日本歴史地名大系「西平松村」(コトバンク)
正保年間以前の平松村三分による西平松村の成立、幕府領→浜松藩領(元禄12年)→白河藩領(弘化3年)の領主変遷を確認
- 郷土資料 コトバンク「白羽村」(日本歴史地名大系)
昭和30年(1955年)に白羽の清雲寺が曹洞宗聖寿寺に統合されたことを確認(本寺聖寿寺が近代以降も地域の中核であったことの傍証)
- 宗派公式資料 福生寺 - 曹洞禅ナビ寺院検索
名称・フリガナ(フクショウジ)・住所(磐田市西平松22)の一致を確認。由緒・本尊・年中行事欄は未記入
- 郷土資料 『遠淡海地誌』(山中豊平編著、1991年)
平松付近に「正寿寺末福正寺」の記載があることを確認(当寺との関係は未確認のため本文では課題として記載)
- 民間二次情報 Yahoo!マップ「福生寺(磐田市西平松)」
所在地・曹洞宗の掲載を確認
- 民間二次情報 コトバンク「竜洋」(日本大百科全書ほか)
昭和30年(1955年)に掛塚町と袖浦・十束の2村が合併して竜洋町が発足したこと、掛塚港が明治22年(1889年)の東海道線開通期まで天竜木材の集積地として栄えたこと、現在の農業・工業の概況を確認
- 行政・公的資料 磐田市公式サイト「施設ガイド 竜洋郷土資料館」
掛塚湊が木材等諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したとの記述、同館の所在地(磐田市岡405-47・旧袖浦村域)と展示概要を確認
- 行政・公的資料 磐田市公式サイト「掛塚祭屋台囃子」(県指定無形民俗文化財)
貴船神社の祭典の屋台囃子が静岡県指定無形民俗文化財であることを確認
- 行政資料 磐田市公式サイト「旧竜洋町の住所表示」
竜洋町西平松→磐田市西平松(438-0217)の住所変更を確認
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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