豊田地区・現存
福王寺
ふくおうじ
福王寺(ふくおうじ)は、磐田市森本にある曹洞宗の寺院で、山号は慈現山、本尊は十一面観世音菩薩です。弘治年間(1555年から1558年)に臨済宗の寺として開かれ、文禄2年(1593年)に曹洞宗へ転じました。江戸時代には朱印高を認められ、複数の末寺を擁した地域の中核寺院です。磐田市城之崎の同名寺院(風祭山福王寺)とは別の寺院です。
別称・関連名称慈現山
- 寺院名
- 福王寺
- 地区
- 豊田
- 住所
- 静岡県磐田市森本287番地
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 福王寺
- 読み方
- ふくおうじ
- 地区
- 豊田
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 十一面観世音菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市森本287番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 字宮東の境内
- 最終確認日
- 2026.07.16
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 福王寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 十一面観世音菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
- 創建
- 弘治年間(1555〜1558年)開創、文禄2年(1593年)曹洞宗に改宗(『静岡県磐田郡誌』による)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市森本287番地
- 地区
- 豊田
Database 02
沿革
弘治年間の開創と臨済宗時代
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、当寺を「福王寺(井通村)」として立項し、「井通村森本字宮東に在り。慈現山と號す。駿河國安倍郡井川村龍泉院の末寺にして、本尊は十一面觀世音菩薩なり。當寺は弘治年間の開創にして、最初は臨濟宗に屬し、繁德といふ者之れを開創したりし」と記しています。弘治年間は今川義元が駿遠を支配した戦国時代の只中にあたり、当寺は臨済宗の寺として産声を上げました。開創者「繁德」の詳細は伝わっていませんが、戦国の村に寺を建てた最初の一人として名を残しています。桶狭間の戦い(永禄3年=1560年)を目前に控えた動乱の時代に、村人の心の拠り所として開かれた寺であったと考えられます。
文禄2年の改宗と井川・龍泉院との縁
『静岡県磐田郡誌』は続けて、「後龍泉寺第五世大鯨此の地に來りて敎化し、文祿二年二月十二日、曹洞宗に改め、法地格に列することゝなれり」と記します。文禄2年(1593年)、駿河の山あい・井川の龍泉院から5世大鯨がこの地に来て教化し、当寺は曹洞宗の法地となりました。本寺の龍泉院は、静岡市の紹介によれば井川の領主で今川氏・徳川氏に仕えた安倍大蔵(安倍大蔵尉元真)を開基とする曹洞宗如仲派の寺院で、かつて9つの末寺を擁し、大般若経600巻や徳川家康ゆかりの品を蔵する古刹です。大井川最上流の山寺と天竜川東岸の平野の寺が本末で結ばれたことは、戦国末期の曹洞宗の教線の広がりを物語っています。「法地」とは住職が代々法を継ぐ寺格をいい、庵や庶民の堂とは区別される正規の寺院として認められたことを意味します。以後、当寺は森本の菩提寺としての歩みを確かなものにしていきました。
江戸幕府に認められた寺領
『静岡県磐田郡誌』によれば、当寺は慶長6年(1601年)2月11日、先規に任せて黒印高3石を与えられ、慶安元年(1648年)2月24日には朱印高27石2斗となり、あわせて寺中・門前・山林・竹木・諸役を免除されました。『日本歴史地名大系』の森本村の項にも、正保郷帳の寺社領として「福王寺領三石」がみえ、慶長6年の黒印高3石と対応します(慶安元年の朱印高27石2斗という石高の典拠は未確認で、精査を続けています)。関ヶ原の戦い直後から幕末まで、当寺は幕府に寺領を認められた由緒ある寺として森本の集落に立ち続けました。
末寺群と近代への歩み
『静岡県磐田郡誌』には、下本郷の養福寺(龍祥山)・上本郷の自清庵・赤池の幸勝院などが「森本福王寺の末」として立項されており、当寺が複数の末寺・庵を擁する中核寺院であったことがわかります。末寺の分布は森本から下本郷・上本郷・赤池へと天竜川東岸の村々に広がっており、当寺を中心とする信仰のネットワークがこの一帯に形づくられていました。大正2年(1913年)刊『曹洞宗寺院名鑒』の磐田郡の部にも寺名がみえ、近代の宗門台帳にも位置を占め続けています。なお『日本歴史地名大系』によれば、森本村は古くは押切村と称し、寛文から延宝期(1661年から1681年)に森本村と改称されました。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 十一面観世音菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
- 宗教的意味
- 福王寺は駿河・井川の龍泉院を本寺とする曹洞宗の寺院です。文禄2年(1593年)に龍泉院5世大鯨の教化で臨済宗から曹洞宗に転じましたが、本尊の十一面観世音菩薩はその後も受け継がれてきました。あらゆる方向に顔を向けて衆生を見守る十一面観音を本尊とすることは、臨済・曹洞という宗派の変転を超えて、観音信仰がこの村の祈りの中心であり続けたことを示しています。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
字宮東の境内
『静岡県磐田郡誌』に「井通村森本字宮東に在り」と記されるとおり、集落の鎮守の東に寺地を構えてきました。2026年7月の現地確認で境内・堂宇の現地写真を記録しています。指定文化財は確認されていませんが、戦国期以来の寺地そのものが、森本の集落とともに歩んだ400年余りの歴史を物語ります。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
福王寺のある森本は、磐田市の文化財保存活用地域計画が「家康をたすけたまち 願いをかなえる観音さまから渡船場へ」と特徴づける富岡・池田・井通地区に属します。同計画によれば、この地域は大半が天竜川によって作られた平野に位置し、平安時代には京都・松尾大社領の荘園で池田宿として栄え、戦国時代には徳川・武田の抗争の舞台となりました。地区内を東西に東海道と池田近道(姫街道)が通り、南北に寺谷用水が流れます。「願いをかなえる観音さま」と冠されたこの地区にあって、十一面観世音菩薩を本尊とする福王寺は、観音信仰の土地柄を体現する寺のひとつです。
『日本歴史地名大系』によれば、森本村は古くは押切村と称し、寛文から延宝期に森本村と改称された村です。大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』の当時、森本は井通村に属し、福王寺は「井通村森本字宮東」の寺として立項されていました。井通村はのちの豊田村・豊田町を経て、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となっています。江戸期には下本郷・上本郷・赤池の末寺を通じて周辺の村々の信仰を束ね、幕府から朱印を認められた当寺の歴史は、天竜川東岸の農村がたどった近世の歩みそのものと重なっています。森本の地名とともに残る記録です。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9364
- 宗派公式資料福王寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータル)
磐田市森本287の曹洞宗寺院として登載。由緒・本尊の記載はなし。
- 民間二次情報静岡県磐田市の寺院・御堂一覧(サーチ寺院)
磐田市内に福王寺が2か寺(森本287と城之崎4-2722-1)あることを確認。いずれも曹洞宗。
- 郷土資料中遠昔ばなし 福王寺[風祭山と安倍晴明]
風祭山の安倍晴明伝承は今之浦東方(城之崎)の福王寺のものであり、森本の福王寺ではないことを本文で確認。
- 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「127 福王寺(井通村)」p.698-699
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ458)。原本画像で由緒全文を確認
- 郷土資料コトバンク「森本村」(日本歴史地名大系)
正保郷帳「福王寺領三石」、旧称押切村の記載
最終更新日 2026.07.19
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01
この寺院について
福王寺は磐田市森本287番地、天竜川東岸の平野に開けた森本の集落に所在する曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は慈現山、本尊は十一面観世音菩薩で、駿河国安倍郡井川村(現静岡市葵区井川)の龍泉院の末寺という、遠州の寺としては珍しい本末関係を持ちます。
当寺は弘治年間(1555年から1558年)に臨済宗の寺として開創され、文禄2年(1593年)に龍泉院5世の大鯨によって曹洞宗に改められ、法地格に列しました。慶長6年(1601年)には黒印高3石、慶安元年(1648年)には朱印高を与えられ、寺中・門前・山林・竹木の諸役を免除されるなど、江戸幕府から寺格を認められた寺院でした。
磐田市内には福王寺を名乗る曹洞宗寺院が2か寺あります。当寺は森本の福王寺で、城之崎4丁目の福王寺(風祭山・安倍晴明の風鎮め伝承で知られる遠州三十三観音霊場第18番札所)とは別の寺院です。資料を参照する際は両寺の混同に注意が必要です。
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歴史と背景
弘治年間の開創と臨済宗時代
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、当寺を「福王寺(井通村)」として立項し、「井通村森本字宮東に在り。慈現山と號す。駿河國安倍郡井川村龍泉院の末寺にして、本尊は十一面觀世音菩薩なり。當寺は弘治年間の開創にして、最初は臨濟宗に屬し、繁德といふ者之れを開創したりし」と記しています。弘治年間は今川義元が駿遠を支配した戦国時代の只中にあたり、当寺は臨済宗の寺として産声を上げました。開創者「繁德」の詳細は伝わっていませんが、戦国の村に寺を建てた最初の一人として名を残しています。桶狭間の戦い(永禄3年=1560年)を目前に控えた動乱の時代に、村人の心の拠り所として開かれた寺であったと考えられます。
文禄2年の改宗と井川・龍泉院との縁
『静岡県磐田郡誌』は続けて、「後龍泉寺第五世大鯨此の地に來りて敎化し、文祿二年二月十二日、曹洞宗に改め、法地格に列することゝなれり」と記します。文禄2年(1593年)、駿河の山あい・井川の龍泉院から5世大鯨がこの地に来て教化し、当寺は曹洞宗の法地となりました。本寺の龍泉院は、静岡市の紹介によれば井川の領主で今川氏・徳川氏に仕えた安倍大蔵(安倍大蔵尉元真)を開基とする曹洞宗如仲派の寺院で、かつて9つの末寺を擁し、大般若経600巻や徳川家康ゆかりの品を蔵する古刹です。大井川最上流の山寺と天竜川東岸の平野の寺が本末で結ばれたことは、戦国末期の曹洞宗の教線の広がりを物語っています。「法地」とは住職が代々法を継ぐ寺格をいい、庵や庶民の堂とは区別される正規の寺院として認められたことを意味します。以後、当寺は森本の菩提寺としての歩みを確かなものにしていきました。
江戸幕府に認められた寺領
『静岡県磐田郡誌』によれば、当寺は慶長6年(1601年)2月11日、先規に任せて黒印高3石を与えられ、慶安元年(1648年)2月24日には朱印高27石2斗となり、あわせて寺中・門前・山林・竹木・諸役を免除されました。『日本歴史地名大系』の森本村の項にも、正保郷帳の寺社領として「福王寺領三石」がみえ、慶長6年の黒印高3石と対応します(慶安元年の朱印高27石2斗という石高の典拠は未確認で、精査を続けています)。関ヶ原の戦い直後から幕末まで、当寺は幕府に寺領を認められた由緒ある寺として森本の集落に立ち続けました。
末寺群と近代への歩み
『静岡県磐田郡誌』には、下本郷の養福寺(龍祥山)・上本郷の自清庵・赤池の幸勝院などが「森本福王寺の末」として立項されており、当寺が複数の末寺・庵を擁する中核寺院であったことがわかります。末寺の分布は森本から下本郷・上本郷・赤池へと天竜川東岸の村々に広がっており、当寺を中心とする信仰のネットワークがこの一帯に形づくられていました。大正2年(1913年)刊『曹洞宗寺院名鑒』の磐田郡の部にも寺名がみえ、近代の宗門台帳にも位置を占め続けています。なお『日本歴史地名大系』によれば、森本村は古くは押切村と称し、寛文から延宝期(1661年から1681年)に森本村と改称されました。
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文化財・見どころ
字宮東の境内
『静岡県磐田郡誌』に「井通村森本字宮東に在り」と記されるとおり、集落の鎮守の東に寺地を構えてきました。2026年7月の現地確認で境内・堂宇の現地写真を記録しています。指定文化財は確認されていませんが、戦国期以来の寺地そのものが、森本の集落とともに歩んだ400年余りの歴史を物語ります。
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宗派と本尊を知る
福王寺は駿河・井川の龍泉院を本寺とする曹洞宗の寺院です。文禄2年(1593年)に龍泉院5世大鯨の教化で臨済宗から曹洞宗に転じましたが、本尊の十一面観世音菩薩はその後も受け継がれてきました。あらゆる方向に顔を向けて衆生を見守る十一面観音を本尊とすることは、臨済・曹洞という宗派の変転を超えて、観音信仰がこの村の祈りの中心であり続けたことを示しています。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
観音菩薩という仏さま
観音菩薩は、正式には観世音菩薩といい、世の人びとの苦しみの声を観じて、ただちに救いに赴くとされる菩薩です。『法華経』の観世音菩薩普門品(観音経)には、相手に応じて33の姿に身を変えて救うと説かれています。その姿は、老人や子ども、僧侶や天女など、救う相手に最もふさわしいものへと臨機応変に変わるとされ、この教えから観音さまは古くから最も広く信仰を集めてきました。
基本の姿である聖観音のほか、あらゆる方向に顔を向けて見守る十一面観音、千の手と眼で漏れなく救いの手を差し伸べる千手観音、憤怒の形相をとる馬頭観音など、多彩な変化観音が生み出され、それぞれの姿で人びとのさまざまな願いに応えてきました。
病気平癒や家内安全など現世のご利益を願う信仰に加え、観音霊場を順に巡る三十三所の巡礼も各地で育まれてきました。地域の観音堂や観音講を通じて、身近な悩みを聞き届けてくださる仏さまとして、今も厚く親しまれています。
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地域とのつながり
福王寺のある森本は、磐田市の文化財保存活用地域計画が「家康をたすけたまち 願いをかなえる観音さまから渡船場へ」と特徴づける富岡・池田・井通地区に属します。同計画によれば、この地域は大半が天竜川によって作られた平野に位置し、平安時代には京都・松尾大社領の荘園で池田宿として栄え、戦国時代には徳川・武田の抗争の舞台となりました。地区内を東西に東海道と池田近道(姫街道)が通り、南北に寺谷用水が流れます。「願いをかなえる観音さま」と冠されたこの地区にあって、十一面観世音菩薩を本尊とする福王寺は、観音信仰の土地柄を体現する寺のひとつです。
『日本歴史地名大系』によれば、森本村は古くは押切村と称し、寛文から延宝期に森本村と改称された村です。大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』の当時、森本は井通村に属し、福王寺は「井通村森本字宮東」の寺として立項されていました。井通村はのちの豊田村・豊田町を経て、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となっています。江戸期には下本郷・上本郷・赤池の末寺を通じて周辺の村々の信仰を束ね、幕府から朱印を認められた当寺の歴史は、天竜川東岸の農村がたどった近世の歩みそのものと重なっています。森本の地名とともに残る記録です。
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年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
行事・法要の日程についての公開情報は確認できていません。施餓鬼会・彼岸会などの実施時期を含め、法要やお墓のご相談は寺院へ直接確認してください。
磐田市城之崎にも同名の福王寺があります。法要や納骨などで問い合わせる際は、森本の福王寺(磐田市森本287番地)であることを確認してください。
- 施餓鬼会・彼岸会など年中行事の実施時期
- 墓地・永代供養等の受け入れの有無
- 護持会・世話人会等の檀家組織の有無と活動内容
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 福王寺の読み方と山号は?
-
「ふくおうじ」と読みます。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は慈現山で、森本の字宮東の境内に堂宇を構えています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗で、駿河・井川(現静岡市葵区)の龍泉院の末寺という寺格を持ちます。本尊は十一面観世音菩薩です。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ開かれたお寺ですか?
-
弘治年間(1555年から1558年)に臨済宗の寺として開創され、文禄2年(1593年)2月12日に龍泉院5世大鯨により曹洞宗に改められて法地格に列しました。
本文「歴史と背景」を読む - 城之崎の福王寺とは同じお寺ですか?
-
別の寺院です。城之崎4丁目の福王寺は山号を風祭山といい、安倍晴明の風鎮め伝承や遠州三十三観音霊場第18番札所として知られます。当寺は森本287に所在する慈現山福王寺です。
本文「この寺院について」を読む - 江戸時代にはどんな寺格でしたか?
-
慶長6年(1601年)に黒印高3石、慶安元年(1648年)には朱印高を与えられ、寺中・門前・山林・竹木の諸役を免除されました。下本郷の養福寺など複数の末寺・庵を擁する中核寺院でした。
本文「歴史と背景」を読む - 本寺の龍泉院とはどんなお寺ですか?
-
静岡市葵区井川にある曹洞宗如仲派の寺院で、井川の領主で今川氏・徳川氏に仕えた安倍大蔵を開基とし、かつて9つの末寺を擁したと静岡市の資料に紹介されています。大井川最上流の山寺と当寺が本末で結ばれていました。
本文「歴史と背景」を読む - 当寺の末寺にはどんなお寺がありましたか?
-
『静岡県磐田郡誌』には、下本郷の養福寺(龍祥山)、上本郷の自清庵、赤池の幸勝院などが「森本福王寺の末」として立項されています。このうち養福寺は現存し、今も下本郷の菩提寺として活動を続けています。
本文「歴史と背景」を読む - 森本という地名は昔からのものですか?
-
『日本歴史地名大系』によれば、森本村は古くは押切村と称し、寛文から延宝期(1661年から1681年)に森本村と改称されました。『静岡県磐田郡誌』の当時は井通村森本で、のちの豊田村・豊田町を経て磐田市森本となっています。
本文「地域とのつながり」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9364。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 宗派公式資料 福王寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータル)
磐田市森本287の曹洞宗寺院として登載。由緒・本尊の記載はなし
- 民間二次情報 静岡県磐田市の寺院・御堂一覧(サーチ寺院)
磐田市内に福王寺が2か寺(森本287と城之崎4-2722-1)あることを確認。いずれも曹洞宗
- 郷土資料 中遠昔ばなし 福王寺[風祭山と安倍晴明]
風祭山の安倍晴明伝承は今之浦東方(城之崎)の福王寺のものであり、森本の福王寺ではないことを本文で確認
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「127 福王寺(井通村)」p.698-699
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ458)。原本画像で由緒全文(慈現山・龍泉院末・本尊十一面観世音菩薩・弘治年間開創・臨済宗・繁德・文禄2年2月12日改宗・法地格・慶長6年黒印高3石・慶安元年朱印高27石2斗・諸役免除)を確認。下本郷の養福寺・上本郷の自清庵・赤池の幸勝院が「森本福王寺の末」として立項されていることもあわせて確認
- 郷土資料 コトバンク「森本村」(日本歴史地名大系)
正保郷帳「福王寺領三石」、旧称押切村と寛文〜延宝期の改称の記載を確認
- 行政・公的資料 曹洞宗如仲派龍泉院|静岡市公式ホームページ
本寺・龍泉院(井川)が曹洞宗如仲派で、井川の領主・安倍大蔵(今川氏・徳川氏に仕えた)を開基とし、かつて9つの末寺を擁したこと、大般若経600巻等を所蔵することを確認(本寺の記述の裏取りに使用)
- 行政・公的資料 磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)
p.44「C富岡・池田・井通地区」の地域特徴(天竜川の平野・松尾大社領荘園・池田宿・東海道と池田近道・寺谷用水・「願いをかなえる観音さま」の地区呼称)を確認
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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