豊田地区・現存
大圓寺
だいえんじ
大圓寺(だいえんじ・大円寺)は、磐田市加茂にある曹洞宗の寺院で、山号は久松山です。起源は奈良時代の神亀3年(726年)と伝えられ、寛永15年(1638年)に現在の寺号に改められました。磐田原台地西側の米づくりを支えた寺谷用水の開祖・平野重定の墓所であり、磐田市指定文化財の豊臣秀吉朱印状を今に伝えています。
別称・関連名称久松山/大円寺
- 寺院名
- 大圓寺
- 地区
- 豊田
- 住所
- 静岡県磐田市加茂123番地
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 大圓寺
- 読み方
- だいえんじ
- 地区
- 豊田
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 調査中・加筆待ち
- ご本尊の現在の確認状況
- 未確認
- 住所
- 静岡県磐田市加茂123番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 磐田市指定文化財あり(豊臣秀吉朱印状)
- 最終確認日
- 2026.07.12
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 大圓寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 未確認
- 創建
- 起源は神亀3年(726年)と伝わり、寛永15年(1638年)に久松山大円寺と改めた
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市加茂123番地
- 地区
- 豊田
Database 02
沿革
神亀3年の起源伝承と臥竜山大淵寺
観光情報サイトに掲載された寺の縁起によれば、大円寺の起源は奈良時代の神亀3年(726年)といわれ、平安時代の天慶5年(942年)に円光寺が再建されて臥竜山大淵寺と命名されたと伝えられます。その寺跡は賀茂神社に近い台地の西縁と伝えられており、現在地に移る以前の寺の姿をとどめる伝承です。奈良時代にさかのぼる起源の当否を裏づける一次資料は確認できていませんが、加茂の集落が古代以来の歴史を持つ土地であることと重ね合わせて語り継がれてきた縁起です。
天正17年の豊臣秀吉朱印状
当寺には、豊臣秀吉が天正17年(1589年)12月、小田原攻めに先立って各地に出した禁制文書「豊臣秀吉朱印状」が伝わり、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(古文書)となりました。禁制は、軍勢の乱暴狼藉などを禁じて寺社や村を保護する文書で、天下統一の総仕上げに向かう秀吉の軍が遠州を通るのを前に、当寺がその保護を求め、認められたことを物語ります。戦国の動乱が寺の門前まで及んでいた時代の緊張を、一通の文書が今に伝えています。
寺谷用水の開祖・平野重定と寛永の中興
寺谷用水土地改良区の沿革資料によると、平野重定は天正16年(1588年)に寺谷村地先に大圦樋(取入口)を建設し、天正18年(1590年)には寺谷から浜部村までの大井堀(用水路)約12キロメートルを完成させました。徳川家康の時代から磐田原台地西側の米づくりを支えてきたこの大用水の生みの親は、寛永元年(1624年)に没し、久松山大円寺に葬られたと同資料に記されています。寺はこの平野重定を開基に推戴し、寛永15年(1638年)、平野家二代の重政と大円寺5世久岩全良によって寺号を久松山大円寺と改めました。用水の恩人の菩提を弔う寺として再出発した中興であり、以後、寺と用水の縁は400年にわたって続くことになります。
用水祭と世界かんがい施設遺産
平野重定の命日にあたる毎年10月8日には、磐田市加茂の大円寺で例祭(用水祭)が執り行われ、寺谷用水土地改良区の役員・総代、県・磐田市の関係者らが参列して、用水開発に貢献した先人を偲ぶ供養が行われています。寺谷用水は明治24年(1891年)に寺谷用水組合が設立され、昭和26年(1951年)に土地改良区に改組されて現代に受け継がれ、令和4年(2022年)10月にはICIDの世界かんがい施設遺産に登録されました。令和5年(2023年)10月には「平野重定公400年祭」が営まれています。安土桃山時代の土木事業の恩を、寺での供養というかたちで毎年欠かさず伝え続けていることは、当寺と地域の関係を象徴する営みです。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 未確認
- 宗教的意味
- 大圓寺は曹洞宗の寺院で、曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」に磐田市加茂123の寺院として登録されています。寛永15年(1638年)の中興では5世久岩全良が平野家とともに寺号を改めており、江戸初期には既に曹洞宗の法灯が確立していたことがうかがえます。本尊については公開資料で確認できておらず、現時点では未確認です。寺施餓鬼から始まる加茂大念仏や十王堂の像群が示すように、当寺の信仰の中心には、禅の教えとともに、亡き人を送り迎える供養の文化が深く根づいています。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
豊臣秀吉朱印状
安土桃山時代の古文書で、磐田市の解説によると天正17年(1589年)12月に小田原攻めに先立ち各地に出された禁制文書です。平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財となりました。戦国末期の当寺と豊臣政権の関わりを示す歴史史料です。
加茂東十王堂十王像群
江戸時代中期ごろの十王像群で、大円寺が所有します。加茂東の十王堂に安置されてきた、冥界で亡者を裁く十王をかたどった像で、十王信仰に関わる像がすべて揃っている点が重要とされています。閻魔王をはじめとする十王への信仰は、盆の施餓鬼や初盆供養と結びついて、加茂の人びとの死者供養の文化を形づくってきました。
平野重定の墓
寺谷用水を開いた代官・平野重定(寛永元年=1624年没)の墓所です。磐田市の文化財保存活用地域計画にも、地域の特徴に関連する文化財として「平野重定墓」が挙げられています。毎年10月8日の用水祭では、この墓前で先人を偲ぶ供養が続けられています。
Database 06
年中法要
- 用水祭(平野重定公例祭)10月8日
平野重定の命日の例祭。寺谷用水土地改良区の役員・総代、県・磐田市の関係者等が参列する。寺谷用水土地改良区公式サイトによる
- 寺施餓鬼8月(お盆の時期)
この夜から加茂大念仏が始まると伝えられる。正確な日付は確認中
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
大圓寺のある加茂は、磐田市の文化財保存活用地域計画が「家康をたすけたまち 願いをかなえる観音さまから渡船場へ」と特徴づける富岡・池田・井通地区に属します。同計画によれば、この地域は大半が天竜川によって作られた平野に位置し、地区内を南北に寺谷用水が流れます。集落の鎮守である賀茂神社は本殿が磐田市指定文化財(建造物)で、京都の古い様式を継承した神饌を調える「賀茂神社特殊神饌」も市指定無形民俗文化財となっており、加茂は社寺の文化財が重層する集落です。大圓寺はその中で、用水の恩人・平野重定の菩提寺として、また冥界の十王を祀る供養の寺として位置を占めてきました。
磐田市指定無形民俗文化財「加茂大念仏」は、毎年8月のお盆に初盆の家々を回り、鉦と笛太鼓の調べに合わせて念仏踊りを行う民俗芸能で、大円寺の寺施餓鬼の夜から始まると伝えられています。遠州一円に伝わる「遠州大念仏」の一つで、大念仏はかつて匂坂西や七蔵新田などでも行われていましたが、磐田市によれば豊田地区で現在も継承されているのは加茂東のみです。戦後に復興されたこの行事は磐田市の記録映像(DVD)にも収められており、亡き人の霊を慰める双盤の響きが、今も夏の加茂に受け継がれています。寺谷用水の用水祭とあわせて、大圓寺は水の恵みへの感謝と死者への供養という、農村の祈りの二つの柱を担い続けている寺です。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9376
- 行政・公的資料市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
豊臣秀吉朱印状(古文書・平成17年11月21日指定・安土桃山時代・所在地加茂・所有者大円寺)「天正17年12月、小田原攻めに先立ち各地に出された禁制文書」を本文で確認(市ページの年表記「15989」は1589年の誤植とみられる)。
- 行政・公的資料寺谷用水の歩み|寺谷用水土地改良区
1588年(天正16年)大圦樋建設、1590年大井堀12km完成、1624年(寛永元年)平野重定没・「久松山大円寺に葬る」、毎年10月8日の例祭を本文で確認。
- 民間二次情報大円寺|じゃらんnet観光ガイド
「起源は神亀3年(726)といわれ、天慶5年(942)円光寺が再建、臥竜山大淵寺と命名された。その寺跡は賀茂神社に近い台地の西縁と伝えられる。寺谷用水開祖、平野重定公を開基に推戴し、平野家二代重政・大円寺五世久岩全良が寛永15年(1638)に久松山大円寺に改め現在に至っている」(所在地:磐田市加茂123)を本文で確認。
- 民間二次情報ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
第11番=久松山大円寺(曹洞宗・加茂123)を確認。DBの大圓寺(加茂123)と住所が完全一致。
- 宗派公式資料曹洞禅ナビ 寺院検索「大圓寺」
住所(磐田市加茂123)・フリガナ(ダイエンジ)を照合し当該寺院と確認。公式登録表記は旧字の「大圓寺」。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄
- 行政・公的資料磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)
磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合
最終更新日 2026.07.19
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01
この寺院について
大圓寺は磐田市加茂123番地、天竜川東岸の平野に開けた加茂の集落に所在する曹洞宗の寺院です。曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」には旧字の「大圓寺」で登録されており、磐田市の文化財台帳では新字体の「大円寺」と表記されます。磐田郡三十三観音霊場の第11番札所(久松山大円寺)でもありました。
寺の起源は神亀3年(726年)といわれ、天慶5年(942年)に円光寺が再建されて臥竜山大淵寺と命名されたと伝えられます。その後、寺谷用水の開祖・平野重定を開基に推戴し、平野家二代の重政と大円寺5世久岩全良が寛永15年(1638年)に久松山大円寺と改めて現在に至ると紹介されています。
当寺を特徴づけるのは、水と供養をめぐる二つの記憶です。ひとつは寺谷用水を開いた平野重定の墓所として、毎年10月8日の命日に例祭(用水祭)が営まれていること。もうひとつは、磐田市指定無形民俗文化財「加茂大念仏」が当寺の寺施餓鬼の夜から始まり、初盆の家々を回って亡き人の霊を慰めてきたことです。寺は今も、加茂の人びとの祈りの中心にあります。
02
歴史と背景
神亀3年の起源伝承と臥竜山大淵寺
観光情報サイトに掲載された寺の縁起によれば、大円寺の起源は奈良時代の神亀3年(726年)といわれ、平安時代の天慶5年(942年)に円光寺が再建されて臥竜山大淵寺と命名されたと伝えられます。その寺跡は賀茂神社に近い台地の西縁と伝えられており、現在地に移る以前の寺の姿をとどめる伝承です。奈良時代にさかのぼる起源の当否を裏づける一次資料は確認できていませんが、加茂の集落が古代以来の歴史を持つ土地であることと重ね合わせて語り継がれてきた縁起です。
天正17年の豊臣秀吉朱印状
当寺には、豊臣秀吉が天正17年(1589年)12月、小田原攻めに先立って各地に出した禁制文書「豊臣秀吉朱印状」が伝わり、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(古文書)となりました。禁制は、軍勢の乱暴狼藉などを禁じて寺社や村を保護する文書で、天下統一の総仕上げに向かう秀吉の軍が遠州を通るのを前に、当寺がその保護を求め、認められたことを物語ります。戦国の動乱が寺の門前まで及んでいた時代の緊張を、一通の文書が今に伝えています。
寺谷用水の開祖・平野重定と寛永の中興
寺谷用水土地改良区の沿革資料によると、平野重定は天正16年(1588年)に寺谷村地先に大圦樋(取入口)を建設し、天正18年(1590年)には寺谷から浜部村までの大井堀(用水路)約12キロメートルを完成させました。徳川家康の時代から磐田原台地西側の米づくりを支えてきたこの大用水の生みの親は、寛永元年(1624年)に没し、久松山大円寺に葬られたと同資料に記されています。寺はこの平野重定を開基に推戴し、寛永15年(1638年)、平野家二代の重政と大円寺5世久岩全良によって寺号を久松山大円寺と改めました。用水の恩人の菩提を弔う寺として再出発した中興であり、以後、寺と用水の縁は400年にわたって続くことになります。
用水祭と世界かんがい施設遺産
平野重定の命日にあたる毎年10月8日には、磐田市加茂の大円寺で例祭(用水祭)が執り行われ、寺谷用水土地改良区の役員・総代、県・磐田市の関係者らが参列して、用水開発に貢献した先人を偲ぶ供養が行われています。寺谷用水は明治24年(1891年)に寺谷用水組合が設立され、昭和26年(1951年)に土地改良区に改組されて現代に受け継がれ、令和4年(2022年)10月にはICIDの世界かんがい施設遺産に登録されました。令和5年(2023年)10月には「平野重定公400年祭」が営まれています。安土桃山時代の土木事業の恩を、寺での供養というかたちで毎年欠かさず伝え続けていることは、当寺と地域の関係を象徴する営みです。
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文化財・見どころ
豊臣秀吉朱印状
安土桃山時代の古文書で、磐田市の解説によると天正17年(1589年)12月に小田原攻めに先立ち各地に出された禁制文書です。平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財となりました。戦国末期の当寺と豊臣政権の関わりを示す歴史史料です。
加茂東十王堂十王像群
江戸時代中期ごろの十王像群で、大円寺が所有します。加茂東の十王堂に安置されてきた、冥界で亡者を裁く十王をかたどった像で、十王信仰に関わる像がすべて揃っている点が重要とされています。閻魔王をはじめとする十王への信仰は、盆の施餓鬼や初盆供養と結びついて、加茂の人びとの死者供養の文化を形づくってきました。
平野重定の墓
寺谷用水を開いた代官・平野重定(寛永元年=1624年没)の墓所です。磐田市の文化財保存活用地域計画にも、地域の特徴に関連する文化財として「平野重定墓」が挙げられています。毎年10月8日の用水祭では、この墓前で先人を偲ぶ供養が続けられています。
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宗派と本尊を知る
大圓寺は曹洞宗の寺院で、曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」に磐田市加茂123の寺院として登録されています。寛永15年(1638年)の中興では5世久岩全良が平野家とともに寺号を改めており、江戸初期には既に曹洞宗の法灯が確立していたことがうかがえます。本尊については公開資料で確認できておらず、現時点では未確認です。寺施餓鬼から始まる加茂大念仏や十王堂の像群が示すように、当寺の信仰の中心には、禅の教えとともに、亡き人を送り迎える供養の文化が深く根づいています。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
05
地域とのつながり
大圓寺のある加茂は、磐田市の文化財保存活用地域計画が「家康をたすけたまち 願いをかなえる観音さまから渡船場へ」と特徴づける富岡・池田・井通地区に属します。同計画によれば、この地域は大半が天竜川によって作られた平野に位置し、地区内を南北に寺谷用水が流れます。集落の鎮守である賀茂神社は本殿が磐田市指定文化財(建造物)で、京都の古い様式を継承した神饌を調える「賀茂神社特殊神饌」も市指定無形民俗文化財となっており、加茂は社寺の文化財が重層する集落です。大圓寺はその中で、用水の恩人・平野重定の菩提寺として、また冥界の十王を祀る供養の寺として位置を占めてきました。
磐田市指定無形民俗文化財「加茂大念仏」は、毎年8月のお盆に初盆の家々を回り、鉦と笛太鼓の調べに合わせて念仏踊りを行う民俗芸能で、大円寺の寺施餓鬼の夜から始まると伝えられています。遠州一円に伝わる「遠州大念仏」の一つで、大念仏はかつて匂坂西や七蔵新田などでも行われていましたが、磐田市によれば豊田地区で現在も継承されているのは加茂東のみです。戦後に復興されたこの行事は磐田市の記録映像(DVD)にも収められており、亡き人の霊を慰める双盤の響きが、今も夏の加茂に受け継がれています。寺谷用水の用水祭とあわせて、大圓寺は水の恵みへの感謝と死者への供養という、農村の祈りの二つの柱を担い続けている寺です。
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年中行事・参拝の手引き
年中行事・法要
- 用水祭(平野重定公例祭)(10月8日)
平野重定の命日の例祭。寺谷用水土地改良区の役員・総代、県・磐田市の関係者等が参列する。寺谷用水土地改良区公式サイトによる
- 寺施餓鬼(8月(お盆の時期))
この夜から加茂大念仏が始まると伝えられる。正確な日付は確認中
参拝・法要で訪れる方へ
行事・法要の日程についての公開情報は限られています。施餓鬼会・彼岸会などの実施時期を含め、法要やお墓のご相談は寺院へ直接確認してください。
10月8日の用水祭は寺谷用水関係者の参列する例祭です。参列を希望する場合は、寺院または寺谷用水土地改良区に確認してください。
- 寺施餓鬼の正確な日付(加茂大念仏の奉納日)
- 彼岸会など他の年中行事の実施時期
- 墓地・永代供養等の受け入れの有無
- 護持会・世話人会等の檀家組織の有無
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 大圓寺の読み方と表記は?
-
「だいえんじ」と読みます。曹洞宗公式ポータルの登録表記は旧字の「大圓寺」で、磐田市の文化財台帳では新字体の「大円寺」と表記されます。山号は久松山です。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗です。本尊は公開資料では確認できておらず、現時点では未確認です。確認でき次第、追記します。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ開かれたお寺ですか?
-
起源は神亀3年(726年)といわれ、天慶5年(942年)に再建されて臥竜山大淵寺と命名されたと伝えられます。寛永15年(1638年)に平野家二代重政と5世久岩全良によって久松山大円寺と改められました。
本文「歴史と背景」を読む - 平野重定とはどんな人ですか?
-
天正16年(1588年)から寺谷用水を開いた代官で、磐田原台地西側の米づくりの基盤を築いた人物です。寛永元年(1624年)に没して大円寺に葬られ、当寺の開基に推戴されました。毎年10月8日の命日に例祭(用水祭)が営まれています。
本文「歴史と背景」を読む - 豊臣秀吉朱印状とは何ですか?
-
天正17年(1589年)12月、秀吉が小田原攻めに先立って各地に出した禁制文書で、当寺所蔵のものが磐田市指定文化財(古文書)となっています。軍勢の乱暴狼藉から寺を守るための文書でした。
本文「文化財・見どころ」を読む - 加茂大念仏とはどんな行事ですか?
-
毎年8月のお盆に初盆の家々を回り、鉦と笛太鼓に合わせて念仏踊りを行う磐田市指定無形民俗文化財で、大円寺の寺施餓鬼の夜から始まると伝えられます。豊田地区で現在も継承されているのは加茂東のみです。
本文「地域とのつながり」を読む - 札所になっていますか?
-
磐田郡三十三観音霊場の第11番札所(久松山大円寺)です。同霊場は歴史的霊場で、現在の札所活動の状況は確認できていません。
本文「この寺院について」を読む - 賀茂神社と関係はありますか?
-
集落の鎮守である賀茂神社は本殿が磐田市指定文化財(建造物)で、京都の古い様式を継承した特殊神饌も市指定無形民俗文化財です。当寺の前身と伝わる臥竜山大淵寺の寺跡は賀茂神社に近い台地の西縁と伝えられており、社寺が寄り添って歩んできた加茂の歴史がうかがえます。
本文「地域とのつながり」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9376。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
豊臣秀吉朱印状(古文書・平成17年11月21日指定・所在地加茂・所有者大円寺)「天正17年12月、小田原攻めに先立ち各地に出された禁制文書」、加茂東十王堂十王像群(有形民俗文化財・所有者大円寺)、賀茂神社本殿(建造物)を本文で確認
- 行政・公的資料 寺谷用水の歩み|寺谷用水土地改良区
1588年(天正16年)大圦樋建設、1590年大井堀12km完成、1624年(寛永元年)平野重定没・「久松山大円寺に葬る」、毎年10月8日の例祭、1891年寺谷用水組合設立、1951年土地改良区改組、2022年10月ICID世界かんがい施設遺産登録、2023年平野重定公400年祭を本文で確認
- 民間二次情報 大円寺|じゃらんnet観光ガイド
「起源は神亀3年(726)といわれ、天慶5年(942)円光寺が再建、臥竜山大淵寺と命名された。その寺跡は賀茂神社に近い台地の西縁と伝えられる。寺谷用水開祖、平野重定公を開基に推戴し、平野家二代重政・大円寺五世久岩全良が寛永15年(1638)に久松山大円寺に改め現在に至っている」(所在地:磐田市加茂123)を本文で確認
- 民間二次情報 ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
第11番=久松山大円寺(曹洞宗・加茂123)を確認。DBの大圓寺(加茂123)と住所が完全一致
- 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 寺院検索「大圓寺」
住所(磐田市加茂123)・フリガナ(ダイエンジ)を照合し当該寺院と確認。公式登録表記は旧字の「大圓寺」。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄
- 行政・公的資料 磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)
磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合
- 行政・公的資料 無形民俗文化財|磐田市公式ウェブサイト
加茂大念仏(市指定・所在地加茂・所有者加茂大念仏保存会)が毎年8月のお盆に初盆の家々を回り鉦と笛太鼓で念仏踊りを行うこと、大念仏はかつて匂坂西・七蔵新田などでも行われ豊田地区で現在継承されているのは加茂東のみであること、賀茂神社特殊神饌(市指定・京都の古い様式を継承)を確認
- 行政・公的資料 磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)
p.44「C富岡・池田・井通地区」の地域特徴(天竜川の平野・南北に流れる寺谷用水)、主要市指定文化財としての加茂大念仏、地域の特徴に関連する文化財としての平野重定墓・功労者供養塔を確認
- 行政・公的資料 いわた文化財だより第229号(磐田市教育委員会文化財課・令和6年4月1日発行)
磐田市が記録した無形民俗文化財の映像(DVD・磐田市公式YouTube短縮版)に「加茂大念仏」が含まれることを確認
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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