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廃寺・寺院跡一覧

廃寺、寺院跡、移転・統合の記録を確認します。

22件(登録データから自動生成)

豊岡・現地痕跡未確認

永安寺

臨済宗妙心寺派の寺院で、磐田市敷地1035番地に所在します。『静岡県磐田郡誌』(1921年)によれば龍壽山と号し、妙心寺の末寺で寺格は中本寺、本尊は釈迦牟尼如来、開山は近江永源寺を開いた寂室(勅諡円応禅師、寂室元光)と伝え、慶長6年(1601年)以降は代々徳川家から寺領12石などの朱印を受けました。浄光寺・永明寺・龍雲庵・清凉院など敷地周辺の末寺群を束ねた地域の中核寺院です。

豊岡・現地痕跡未確認

圓通寺

圓通寺は磐田市大平にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は温泉山です。『静岡県磐田郡誌』(1921年)には敷地の永安寺の末寺、本尊は聖観世音菩薩で、寺記によれば陽巌の開創(年代不詳)、延享3年(1746年)に堂宇を再建したと記されています。現地の案内看板は、天平時代に僧行基が開山した大平寺を前身とし、後に円通寺と改められたとの伝承を載せており、鉱泉の湧いた土地柄を映す「温泉山」の山号とあわせて、湯にまつわる伝承を色濃く残す寺院です。

福田・寺院跡・廃寺

西福寺

西福寺(さいふくじ)は、現在は静岡県磐田市豊浜中野に寺院跡として記録される曹洞宗寺院です。蔵海山と号し、西浅羽村松秀寺(現袋井市)の末寺でした。大正10年(1921年)刊『静岡県磐田郡誌』によれば、慶長10年(1605年)5月12日に松秀寺4世耕翁盛舜和尚が開創し、秋野・加藤・山下ら村の家々が殿堂を建立しました。安政元年(1854年)の地震で倒壊した後に再建されています。

豊岡・現地痕跡未確認

慈眼寺

慈眼寺は磐田市上神増にある臨済宗妙心寺派の寺院で、『静岡県磐田郡誌』(1921年)には妙心寺末、本尊は観世音菩薩、天正14年(1586年)の開基創建と記されています。延宝4年(1676年)に快源禅師を中興開祖として本堂・庫裏が建立され、明治11年(1878年)に本堂・庫裏が再建されました。江戸末期には多数の筆子を集めた寺子屋が営まれ、明治8年(1875年)には広瀬尋常小学校の前身の一つである上神増学校が境内に置かれるなど、地域の教育の場としても機能してきました。

豊岡・現地痕跡未確認

浄光寺

臨済宗妙心寺派の寺院で、磐田市敷地1021番地に所在します。『静岡県磐田郡誌』(1921年)の由緒では、敷地村敷地字門前にあって同地の永安寺の末寺とされ、本尊は阿弥陀如来、永徳元年(1381年)正月5日に宝庵の開創に係ると記されています。敷地には龍壽山永安寺を本寺とする妙心寺派の末寺群が形成されており、浄光寺はその中で最も古い開創年代を伝える末寺の1つです。

向陽・現地痕跡未確認

眞如寺

眞如寺は磐田市匂坂上にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大雄山、本尊は釈迦如来です。『静岡県磐田郡誌』(大正10年)によれば文明4年(1472年)の創立で、初め道休庵と号し、寛文7年(1667年)に盤珪国師を請じて開山とし、宝永元年(1704年)に大雄山眞如寺と改めて妙心寺の直末となりました。開基は匂坂善兵衛重武と伝えられ、江戸時代の地誌『遠淡海地誌』にも「匂坂家ノ内寺」と記される、戦国期の武家匂坂氏ゆかりの寺院です。

豊岡・現地痕跡未確認

清凉院

臨済宗妙心寺派の寺院で、磐田市岩室158番地に所在します。『静岡県磐田郡誌』(1921年)の由緒では、敷地村岩室字屋敷にあって敷地の永安寺の末寺とされ、本尊は聖観世音菩薩、応永11年(1404年)5月9日に茂林の開創に係り、代々岩室観音堂の別当を務めたと記されています。『遠江国風土記伝』にも「岩室観音堂朱符之田高二石。臨済宗清凉院永安寺末」とみえる、岩室観音信仰と結び付いた寺院です。

南部・現地痕跡未確認

千手寺

千手寺は磐田市千手堂にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は慈眼山です。『日本歴史地名大系』によれば正元2年(1260年)の創建と伝え、もと真言宗で元禄元年(1688年)に臨済宗に転じたとされます。本尊の千手十一面観音は白拍子千手の前の持仏と伝えられ、地名「千手堂」とも深く関わります。

向陽・寺院跡・廃寺

太月庵

太月庵(たいげつあん)は磐田市匂坂上にある曹洞宗の寺院で、山号は観田山、本尊は地蔵菩薩です。『静岡県磐田郡誌』(大正10年)によれば文亀2年(1502年)に字西通下坪に開かれ、のち現在地に移りました。匂坂中の増参寺の末寺で、慶長6年(1601年)には徳川氏の代官頭伊奈忠次から寺領1石を寄進され、その証文の写しは「太月庵文書」として『静岡県史料』などの史料集に収録されています。

福田・寺院跡・廃寺

大泉寺

大泉寺(だいせんじ)は、現在は静岡県磐田市豊浜中野に寺院跡として記録される曹洞宗寺院です。明光山と号し、西浅羽村松秀寺(現袋井市)の末寺でした。大正10年(1921年)刊『静岡県磐田郡誌』が引く寺記によれば、慶長19年(1614年)2月に村内の加藤佐太夫が施主となり、大坂塩町の京屋次郎兵衛から譲り受けた聖観世音菩薩を本尊として創建され、松秀寺5世松山門鶴和尚を開山とします。

南部・現地痕跡未確認

大蔵寺

大蔵寺は磐田市上岡田にある臨済宗妙心寺派の寺院で、『静岡県磐田郡誌』(1921年)によれば山号は医王山、見付の見性寺の末寺で、本尊は阿弥陀如来です。同誌は鎌倉時代後期の建治3年(1277年)9月15日、南溟による創建と記しており、慶長6年(1601年)には黒印寺領4石5斗、慶安元年(1648年)には阿弥陀領15石を賜りました。

豊田・寺院跡・廃寺

大蔵寺

大蔵寺は磐田市東名にある曹洞宗の寺院で、山号は福寿山です。大正10年(1921年)刊行の『静岡県磐田郡誌』には、富岡村匂坂中之郷字蔵西(現在の東名にあたる地)に所在し、岩田村の増参寺の末寺、本尊は観世音菩薩で、明応6年(1497年)9月に増参寺第6世恵慶の開創と記されています。

豊岡・現地痕跡未確認

虫生寺

虫生寺は磐田市虫生にある臨済宗妙心寺派の寺院で、『静岡県磐田郡誌』(1921年)には敷地の永安寺の末寺、本尊は釈迦牟尼如来、政翁の開創と伝えるものの年代は不詳と記されています。地名をそのまま寺号とする寺院で、所在地の虫生(字上の平)は、かつて冷鉱泉が湧き秋葉山参詣の旅人が立ち寄る湯治場として明治の終わり頃まで賑わった山あいの集落です。

南部・現地痕跡未確認

天正寺

天正寺は磐田市豊島にある臨済宗妙心寺派の寺院で、『静岡県磐田郡誌』(1921年)によれば見付の見性寺の末寺で、本尊は薬師如来です。同誌は天正元年(1573年)12月12日の黙宗による開創と記しており、寺号は開創年号の天正と重なります。慶長6年(1601年)には黒印高1石を賜りました。

南部・現地痕跡未確認

寳珠寺

寳珠寺(宝珠寺)は磐田市豊島にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は瑞龍山です。庭園専門メディアの解説によれば南北朝時代の観応元年(1350年)の創建で、当初は鎌倉円覚寺派に属し、のちに妙心寺派に転じました。昭和56年(1981年)作庭の中根金作による枯山水庭園「涅槃の庭」があることで知られます。

南部・現地痕跡未確認

萬勝寺

萬勝寺は磐田市万正寺にある臨済宗妙心寺派の寺院で、『静岡県磐田郡誌』(1921年)によれば山号は瑞芝山、見付の見性寺の末寺で、本尊は弘法大師作と伝える薬師如来です。同誌は鎌倉時代の文永5年(1268年)2月、南溟による開創と記します。町名「万正寺」は当寺と関わりが深く、『日本歴史地名大系』の万正寺村の項には正保郷帳に「万正寺(現臨済宗妙心寺派萬勝寺)領三石余」と記録されたことが記されています。

見付・現地痕跡未確認

明王寺

旧本尊の不動三尊立像が磐田市指定文化財(現在は見性寺に移管)

御厨・地域管理の旧寺院

明泉寺

寺名表札・小祠・石祠・石碑・墓地を現地確認

豊岡・現地痕跡未確認

永明寺

臨済宗妙心寺派の寺院で、磐田市敷地1014番地に所在します。『静岡県磐田郡誌』(1921年)の由緒では、敷地村敷地字門前にあって永安寺の末寺とされ、本尊は阿弥陀如来、元和2年(1616年)8月20日に立峰の開創に係ると記されています。明治6年(1873年)11月には当寺を仮校舎として敷地学校(後の敷地小学校)が開校しており、近代教育の出発点にもなった寺院です。

豊岡・現地痕跡未確認

龍雲庵

臨済宗妙心寺派の寺院で、磐田市敷地1367番地の1に所在します。『静岡県磐田郡誌』(1921年)の由緒では、敷地村敷地字寺中にあって東嶺山と号し、当初は永安寺の末寺で本尊は薬師如来、元和8年(1622年)10月20日に簾貞の開創に係ると記されています。慶安元年(1648年)10月24日には朱印寺田高2石5斗を与えられました。

豊岡・現地痕跡未確認

蓮台寺

蓮台寺は磐田市社山にある真言宗智山派の寺院で、『静岡県磐田郡誌』(1921年)には鎌田(旧御厨村)の医王寺の末寺、本尊は薬師如来と記されています。同郡誌によれば、往古は社山の字天神ヶ谷にありましたが、武田氏の兵燹(戦火)により本堂が灰燼に帰し、慶長年間(1596〜1615年)に現在地の字上之平へ移転再建されたと伝えられます。社山は戦国期に今川・斯波・徳川・武田各氏の抗争の舞台となった社山城跡のある地区です。