向陽地区・寺院跡・廃寺

太月庵

たいげつあん

ページ充実度 基礎情報 最終確認 2026.07.19

太月庵(たいげつあん)は、磐田市匂坂上にあった曹洞宗の庵寺です。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は観田山、本尊は地蔵菩薩で、文亀2年(1502年)の開創と伝わります。匂坂中の増参寺の末寺として村の信仰を支え、現在は「大月庵」の名が交差点名として地域に残っています。

別称・関連名称大月庵/観田山太月庵

寺院名
太月庵
地区
向陽
住所
静岡県磐田市匂坂上59番地の1
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
太月庵
読み方
たいげつあん
地区
向陽
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
地蔵菩薩
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市匂坂上59番地の1
Googleマップ
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寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
最終確認日
2026.07.16

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

太月庵の堂宇正面
現地写真・本堂・堂宇
太月庵の堂宇と周辺の境内
境内全景
太月庵に残る桶と用具
その他
太月庵堂宇の延命地蔵大菩薩の扁額
説明板・案内板
太月庵堂宇の側面外観
本堂・堂宇
太月庵跡の石標
入口・石標
宗派曹洞宗
創建・年代文亀2年(1502年)
本尊地蔵菩薩
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地向陽・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
太月庵
宗派
曹洞宗
本尊
地蔵菩薩
創建
文亀2年(1502年)
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市匂坂上59番地の1
地区
向陽

Database 02

沿革

磐田郡誌が伝える由緒

『静岡県磐田郡誌』(磐田郡教育会編、大正10年)の岩田村太月庵の項によれば、庵は岩田村匂坂上(現在の磐田市匂坂上)に在り、観田山と号し、当村増参寺(匂坂中の曹洞宗寺院)の末寺で、本尊は地蔵菩薩です。文亀2年(1502年)、字西通下坪に観田山太月庵を開き、のち今の地に移したと記されています。なお郡誌の移転年は「文禄十三年」と印刷されていますが、文禄は5年までしかない年号のため、原本表記の確認が必要です。本寺の増参寺は、応仁2年(1468年)に社山城主・匂坂太郎左衛門尉が建立した蔵参庵を前身とすると伝えられ、太月庵の開創も、戦国期に匂坂の地へ曹洞宗が広がっていく流れの中に位置付けられます。

伊奈忠次の寺領寄進と太月庵文書

『日本歴史地名大系』の匂坂上村の項によれば、慶長6年(1601年)、太月庵は徳川氏の代官頭・伊奈忠次から寺領1石を寄進されました。この寺領証文の写しは「太月庵文書」として『静岡県史料』第5輯や『伊奈忠次文書集成』に収録されています。『東海道見付宿の助郷』も匂坂上村の項で除地1石の曹洞宗太月庵があったと記し、明治初年の『旧高旧領取調帳』にも太月菴領1石が載ります。『遠淡海地誌』にも「壱石御除地 曹洞大月庵領」とみえ、江戸時代を通じて1石の除地を保った小庵であったことが複数の史料から確かめられます。

寺谷用水と村の暮らしの中の太月庵

明治24年(1891年)刊の『寺谷用水改良始末一斑』には、用水路の地点名として「太月庵西井口」が見え、庵が寺谷用水沿いの目印となっていたことがうかがえます。寺谷用水は天正16年(1588年)に徳川家康のもとで平野重定が開削に着手し、1590年に約12キロメートルの水路が完成した天竜川左岸の農業用水で、令和4年(2022年)10月には世界かんがい施設遺産に登録されています。太月庵に寺領を与えた伊奈忠次は天竜川の治水・開発を差配した代官頭であり、匂坂上の村と太月庵の歩みは、天竜川の水を治めて田を潤してきたこの地域の歴史と重なっています。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
地蔵菩薩
宗教的意味
太月庵は曹洞宗に属し、匂坂中の増参寺を本寺とする末寺(庵寺)でした。本尊は地蔵菩薩と『静岡県磐田郡誌』に記されています。地蔵菩薩は村人の身近な祈りを受けとめる仏として広く信仰されており、寺領1石の小さな庵が400年以上にわたって匂坂上の地に法灯を伝えてきた背景には、こうした村の地蔵信仰があったと考えられます。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

太月庵のあった匂坂(さぎさか)は、天竜川左岸の台地から低地へ移る一帯で、戦国期には今川氏に仕えた国衆・匂坂氏の本拠地でした。磐田市観光協会の資料によれば、応仁2年(1468年)には社山城主・匂坂太郎左衛門尉が蔵参庵(のちの増参寺)を建立したと伝えられ、太月庵はその増参寺の末寺として、匂坂上の村の菩提を担いました。慶長6年(1601年)に寺領を寄進した伊奈忠次は、徳川家康のもとで天竜川流域の治水・検地を進めた代官頭であり、小庵への1石の寄進は、関ヶ原直後のこの地域で徳川の支配が村々の寺にまで及んでいく様子を示しています。

匂坂上の村の周辺には、天正16年(1588年)に開削が始まった寺谷用水が通っています。明治期の用水資料に「太月庵西井口」の名がみえるように、庵は用水と農村の暮らしの風景の中の目印でもありました。今も跡地の前の交差点が「大月庵」と呼ばれるように、寺の名は地名として匂坂の暮らしに残り続けています。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9105

  2. 行政・公的資料磐田北部ありがた歩記(磐田市観光協会パンフレット)

    地図帳に匂坂地区の寺院「大月庵」として掲載。大月庵の交差点に面したところに時計台がある旨の記述を確認。

  3. 民間二次情報サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院一覧

    太月庵=磐田市匂坂上59番地の1・曹洞宗であることを確認。

  4. 民間二次情報太月庵(静岡県磐田市)お寺情報(やさしいお葬式)

    磐田市匂坂上59-1の曹洞宗寺院であることを確認。由緒・本尊の記載なし。

  5. 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年)コマ461〜462(太月庵の由緒)

    国立国会図書館デジタルコレクション・ログインなしで閲覧可能。全文検索で該当箇所を確認

  6. 郷土資料『日本歴史地名大系』匂坂上村(コトバンク)

    慶長6年(1601年)伊奈忠次による太月庵への寺領1石寄進を確認

  7. 学術資料『静岡県史料』第5輯(静岡県編、昭和16年)コマ213〜215「太月庵文書」

    国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索スニペットで「太月庵文書」の収録を確認

  8. 学術資料『伊奈忠次文書集成』和泉清司編(文献出版、1981年)コマ90「寺領證文(写)〔太月庵文書〕」

    国立国会図書館デジタルコレクション(送信サービス限定)の全文検索スニペットで確認

  9. 郷土資料『東海道見付宿の助郷』清水秀明編著(1990年)コマ108

    匂坂上村の除地1石の曹洞宗太月庵の記述。送信サービス限定

  10. 学術資料『旧高旧領取調帳 中部編』木村礎校訂(東京堂出版、1995年)コマ75

    太月菴領1石の記載を全文検索スニペットで確認

  11. 郷土資料『寺谷用水改良始末一斑』(明治24年)コマ9

    「太月庵西井口」の地点名を確認。国立国会図書館デジタルコレクション・ログインなしで閲覧可能

  12. 宗派公式資料曹洞禅ナビ 磐田市寺院一覧

    磐田市の公式一覧(全61寺)に「太月庵」として掲載を確認(一覧掲載のみ確認。公式側の表記は「太月庵」)。詳細ページはサーバー障害で未取得

最終更新日 2026.07.19

01

この寺院について

太月庵は磐田市匂坂上59番地の1にあった曹洞宗の庵寺で、当サイトでは寺院跡として扱っています。寺名は「太月庵」「大月庵」の両表記が古くから併存し、全国寺院名簿系の資料や静岡県知事所轄宗教法人名簿には「太月庵」として掲載が残る一方、磐田市観光協会の寺社めぐりパンフレット「磐田北部ありがた歩記」の地図帳には「大月庵」の表記で載っています。江戸時代の地誌『遠淡海地誌』でも「大月庵」と書かれており、両表記は近世以来のものとみられます。

『静岡県磐田郡誌』(大正10年)によれば、山号は観田山、本尊は地蔵菩薩で、匂坂中の曹洞宗寺院・増参寺の末寺でした。慶長6年(1601年)には徳川氏の代官頭・伊奈忠次から寺領1石を寄進されており、その証文の写しは「太月庵文書」として史料集に収録されています。小さな庵寺でありながら、戦国末期から近世初頭の天竜川流域の統治を伝える史料を残した点で、地域史上の意味を持つ寺です。

02

歴史と背景

磐田郡誌が伝える由緒

『静岡県磐田郡誌』(磐田郡教育会編、大正10年)の岩田村太月庵の項によれば、庵は岩田村匂坂上(現在の磐田市匂坂上)に在り、観田山と号し、当村増参寺(匂坂中の曹洞宗寺院)の末寺で、本尊は地蔵菩薩です。文亀2年(1502年)、字西通下坪に観田山太月庵を開き、のち今の地に移したと記されています。なお郡誌の移転年は「文禄十三年」と印刷されていますが、文禄は5年までしかない年号のため、原本表記の確認が必要です。本寺の増参寺は、応仁2年(1468年)に社山城主・匂坂太郎左衛門尉が建立した蔵参庵を前身とすると伝えられ、太月庵の開創も、戦国期に匂坂の地へ曹洞宗が広がっていく流れの中に位置付けられます。

伊奈忠次の寺領寄進と太月庵文書

『日本歴史地名大系』の匂坂上村の項によれば、慶長6年(1601年)、太月庵は徳川氏の代官頭・伊奈忠次から寺領1石を寄進されました。この寺領証文の写しは「太月庵文書」として『静岡県史料』第5輯や『伊奈忠次文書集成』に収録されています。『東海道見付宿の助郷』も匂坂上村の項で除地1石の曹洞宗太月庵があったと記し、明治初年の『旧高旧領取調帳』にも太月菴領1石が載ります。『遠淡海地誌』にも「壱石御除地 曹洞大月庵領」とみえ、江戸時代を通じて1石の除地を保った小庵であったことが複数の史料から確かめられます。

寺谷用水と村の暮らしの中の太月庵

明治24年(1891年)刊の『寺谷用水改良始末一斑』には、用水路の地点名として「太月庵西井口」が見え、庵が寺谷用水沿いの目印となっていたことがうかがえます。寺谷用水は天正16年(1588年)に徳川家康のもとで平野重定が開削に着手し、1590年に約12キロメートルの水路が完成した天竜川左岸の農業用水で、令和4年(2022年)10月には世界かんがい施設遺産に登録されています。太月庵に寺領を与えた伊奈忠次は天竜川の治水・開発を差配した代官頭であり、匂坂上の村と太月庵の歩みは、天竜川の水を治めて田を潤してきたこの地域の歴史と重なっています。

03

宗派と本尊を知る

太月庵は曹洞宗に属し、匂坂中の増参寺を本寺とする末寺(庵寺)でした。本尊は地蔵菩薩と『静岡県磐田郡誌』に記されています。地蔵菩薩は村人の身近な祈りを受けとめる仏として広く信仰されており、寺領1石の小さな庵が400年以上にわたって匂坂上の地に法灯を伝えてきた背景には、こうした村の地蔵信仰があったと考えられます。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

地蔵菩薩という仏さま

地蔵菩薩は、お釈迦さまが入滅してから弥勒菩薩がこの世に現れるまでの間、仏のいない世にあって人びとを救い続けると信じられてきた菩薩です。経典ではその間は56億7000万年に及ぶとも説かれ、地獄をはじめとする六道のすべてをめぐって、苦しむ者に寄り添うと伝えられます。

菩薩でありながら僧侶のような親しみやすい姿で表されるのが特徴で、特に子どもを守る仏として信仰が厚く、京都では江戸時代の初めから、町内ごとにお地蔵さまを囲んで子どもの成長を願う地蔵盆が営まれてきました。この地蔵盆は今も子どもが主役の夏の行事として受け継がれ、2014(平成26)年には「京都をつなぐ無形文化遺産」にも選定されています。

道端や寺の境内にたたずむ石のお地蔵さまに、花や前掛けが供えられている光景は、日本で最も身近な信仰のかたちのひとつでしょう。子育てや子どもの健康、亡き子の供養など、家族の切実な願いを受け止めてくださる仏さまです。

参考: 京都に伝わる地蔵信仰(浄土宗総本山知恩院 公式サイト)弥勒菩薩の56億7千万年後の救済の出典(レファレンス協同データベース・国立国会図書館)

04

地域とのつながり

太月庵のあった匂坂(さぎさか)は、天竜川左岸の台地から低地へ移る一帯で、戦国期には今川氏に仕えた国衆・匂坂氏の本拠地でした。磐田市観光協会の資料によれば、応仁2年(1468年)には社山城主・匂坂太郎左衛門尉が蔵参庵(のちの増参寺)を建立したと伝えられ、太月庵はその増参寺の末寺として、匂坂上の村の菩提を担いました。慶長6年(1601年)に寺領を寄進した伊奈忠次は、徳川家康のもとで天竜川流域の治水・検地を進めた代官頭であり、小庵への1石の寄進は、関ヶ原直後のこの地域で徳川の支配が村々の寺にまで及んでいく様子を示しています。

匂坂上の村の周辺には、天正16年(1588年)に開削が始まった寺谷用水が通っています。明治期の用水資料に「太月庵西井口」の名がみえるように、庵は用水と農村の暮らしの風景の中の目印でもありました。今も跡地の前の交差点が「大月庵」と呼ばれるように、寺の名は地名として匂坂の暮らしに残り続けています。

跡地の現況

跡地は磐田市匂坂上59番地の1付近で、県道沿いの「大月庵」交差点にその名を残します。磐田市観光協会「磐田北部ありがた歩記」は、大月庵の交差点に面したところに、いつの頃からか時計台がある、と記しており、寺名が交差点名・時計台とともに地域の目印として定着していることがうかがえます。宗教法人としての登録は静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)に残っていますが、堂宇・境内の現況の詳細は確認できていません。

05

よくある質問

太月庵の読み方は?「大月庵」とどちらが正しいのですか?

「たいげつあん」と読みます。宗教法人名簿や寺院名簿には「太月庵」、観光協会の資料や江戸時代の『遠淡海地誌』には「大月庵」とあり、両表記は近世以来併存しています。正式表記の確定は今後の課題です。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

曹洞宗で、匂坂中の増参寺の末寺でした。『静岡県磐田郡誌』は山号を観田山、本尊を地蔵菩薩と記しています。

本文「宗派と本尊」を読む
今もお参りできますか?

当サイトでは寺院跡として扱っており、堂宇・境内の現況の詳細は確認できていません。跡地前の交差点に「大月庵」の名が残り、時計台が目印になっていると観光協会の資料は伝えています。

本文「地域とのつながり」を読む
太月庵文書とは何ですか?

慶長6年(1601年)に代官頭・伊奈忠次が太月庵へ寺領1石を寄進した証文の写しなどを指し、『静岡県史料』第5輯や『伊奈忠次文書集成』に収録されています。小庵ながら近世初頭の統治を伝える史料です。

本文「歴史と背景」を読む

06

写真で見る境内

太月庵の堂宇正面
本堂・堂宇 太月庵跡に残る堂宇を正面から記録した代表写真。
太月庵の堂宇と周辺の境内
境内全景 堂宇脇から見た太月庵跡の境内と周辺環境。
太月庵に残る桶と用具
その他 太月庵の堂宇に残る桶や用具を記録した補足写真。
太月庵堂宇の延命地蔵大菩薩の扁額
説明板・案内板 堂宇正面に掲げられた「延命地蔵大菩薩」の扁額。
太月庵堂宇の側面外観
本堂・堂宇 太月庵跡に残る堂宇を斜め側面から記録した写真。
太月庵跡の石標
入口・石標 「太月庵跡」と刻まれた石標。寺院跡の位置を示す現地記録。
太月庵跡周辺の現況
境内全景 太月庵跡周辺の敷地と隣接する住宅地の現況。

07

出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として「太月庵」の掲載を確認。参照行: L9105(県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照)

  2. 行政・公的資料 磐田北部ありがた歩記(磐田市観光協会パンフレット)

    地図帳に匂坂地区の寺院「大月庵」として掲載。大月庵の交差点に面したところに時計台がある旨の記述、および増参寺の由緒(応仁2年・匂坂太郎左衛門尉・社山城主)を確認

  3. 民間二次情報 サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院一覧

    太月庵=磐田市匂坂上59番地の1・曹洞宗であることを確認

  4. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年)コマ461〜462(太月庵の由緒)

    国立国会図書館デジタルコレクション。観田山・増参寺末・本尊地蔵菩薩・文亀2年開創・移転(「文禄十三年」の印刷)の由緒を確認

  5. 郷土資料 『日本歴史地名大系』匂坂上村(コトバンク)

    慶長6年(1601年)伊奈忠次による太月庵への寺領1石寄進を確認

  6. 学術資料 『静岡県史料』第5輯(静岡県編、昭和16年)コマ213〜215「太月庵文書」

    国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索スニペットで「太月庵文書」の収録を確認

  7. 学術資料 『伊奈忠次文書集成』和泉清司編(文献出版、1981年)コマ90「寺領證文(写)〔太月庵文書〕」

    国立国会図書館デジタルコレクション(送信サービス限定)の全文検索スニペットで確認

  8. 郷土資料 『東海道見付宿の助郷』清水秀明編著(1990年)コマ108

    匂坂上村の除地1石の曹洞宗太月庵の記述を確認。送信サービス限定

  9. 学術資料 『旧高旧領取調帳 中部編』木村礎校訂(東京堂出版、1995年)コマ75

    太月菴領1石の記載を全文検索スニペットで確認

  10. 郷土資料 『寺谷用水改良始末一斑』(明治24年)コマ9

    「太月庵西井口」の地点名を確認。国立国会図書館デジタルコレクション・ログインなしで閲覧可能

  11. 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 磐田市寺院一覧

    磐田市の公式一覧に「太月庵」として掲載を確認(公式側の表記は「太月庵」)。詳細ページは調査時サーバー障害で未取得

  12. 行政・公的資料 磐田市公式サイト「『世界かんがい施設遺産』寺谷用水」

    寺谷用水が1590年から現在まで稼働し天竜川左岸の農地を潤していること、令和4年(2022年)10月の世界かんがい施設遺産登録、功労者・平野重定を確認

  13. 公的団体資料 寺谷用水土地改良区 公式サイト「寺谷用水の歩み」

    天正16年(1588年)の大圦樋建設、1590年までの約12km水路完成、徳川家康のもとでの平野重定による開削を確認

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