向陽地区・現存

新豊院

しんぽういん

ページ充実度 充実 最終確認 2026.07.19

新豊院(しんぽういん)は、磐田市向笠竹之内にある曹洞宗の寺院です。山号は鷲渓山、本尊は能満諸願虚空蔵大菩薩で、開創は文明18年(1486年)以前と伝わる古刹です。徳川家康ゆかりの可睡斎(袋井市)の末寺として近世を歩み、裏山には国指定史跡の新豊院山古墳群を擁する、向笠の歴史の中心に立ち続けてきた寺院です。

別称・関連名称鷲渓山

寺院名
新豊院
地区
向陽
住所
静岡県磐田市向笠竹之内14番地
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
新豊院
読み方
しんぽういん
地区
向陽
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
能満諸願虚空蔵大菩薩
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市向笠竹之内14番地
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寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
裏山の新豊院山古墳群が国指定史跡(昭和62年〈1987年〉7月3日指定)。2号墳出土品は磐田市指定文化財(磐田市観光協会資料による)
最終確認日
2026.07.16

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

新豊院の本堂正面
現地写真・本堂・堂宇
新豊院本堂の入口まわり
本堂・堂宇
新豊院本堂の山号額
説明板・案内板
新豊院本堂の山号額近景
説明板・案内板
新豊院本堂脇の縁側
本堂・堂宇
新豊院境内の全景
境内全景
宗派曹洞宗
創建・年代開創年代は不明だが、文明18年(1486年)よりも以前と伝わる。天正年間(1573〜1591年)に曹洞宗に改宗
本尊能満諸願虚空蔵大菩薩
墓地調査中
文化財・史跡裏山の新豊院山古墳群が国指定史跡(昭和62年〈1987年〉7月3日指定)。2号墳出土品は磐田市指定文化財(磐田市観光協会資料による)
所在地向陽・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
新豊院
宗派
曹洞宗
本尊
能満諸願虚空蔵大菩薩
創建
開創年代は不明だが、文明18年(1486年)よりも以前と伝わる。天正年間(1573〜1591年)に曹洞宗に改宗
開山
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開基
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所在地
静岡県磐田市向笠竹之内14番地
地区
向陽

Database 02

沿革

開創と向笠伯耆守

磐田市観光協会の資料によれば、開創の年代は不明ですが、文明18年(1486年)よりも以前と伝えられています。一方、『静岡県磐田郡誌』の向笠村新豊院の項は、向笠村向笠竹之内字山下に在り、明応年間(1492年から1501年)に向笠伯耆守がこれを開創したと記しており、開創期の伝えには幅があります。向笠伯耆守は、この地に拠った向笠氏の一族とみられる人物で、城郭情報サイトの攻城団の解説には、新豊院に向笠伯耆守の五輪塔があると記されています。いずれの伝えでも、室町時代後期に向笠の在地領主のもとで開かれた寺院であることが共通しています。

可睡斎等膳和尚を招いた曹洞宗改宗

天正年間(1573年から1591年)、袋井市の可睡斎から等膳和尚を招いて曹洞宗に改宗したと伝えられます。等膳和尚(仙麟等膳)は可睡斎の11代目住職で、可睡斎の公式サイトによれば、今川家の人質だった幼少期の徳川家康(松平竹千代)の教育に携わり、後年、浜松城主となった家康の御前で居眠りをしても許されたことから「可睡和尚」と呼ばれ、寺号「可睡斎」の由来となった人物です。『静岡県磐田郡誌』も、天正年度に可睡斎の等膳を請じて開基としたと記しており、新豊院はこの改宗を経て、可睡斎の末寺として近世を歩むことになりました。可睡斎は応永8年(1401年)に如仲天誾禅師が開山した東海屈指の禅の修行道場であり、その末寺に連なったことは、戦国末期の新豊院が遠州曹洞宗の有力な法系に組み込まれたことを意味します。

寺領の寄進と朱印

磐田市観光協会の資料によれば、記録には天正17年(1589年)に伊奈備前守より寺領を寄進され、慶長8年(1603年)にも諸役免除などの朱印を受けたとされます。徳川家康の位牌が祀られていると同資料に記されているのも、可睡斎との深い縁や向笠城主の祈願所としての歩みと重なる伝承です。武田・徳川の争奪の舞台となった向笠の地で、戦国の動乱を越えて寺領の寄進と諸役免除を受けた事実は、当時の新豊院が領主層から祈願の寺として重んじられていたことを物語ります。江戸時代の新豊院は、こうした庇護のもとで向笠の地の信仰の中心であり続けました。

磐田郡三十三観音の札所として

新豊院は磐田郡三十三観音霊場の第19番札所とされています。磐田郡三十三観音は旧磐田郡域の観音霊場をめぐる巡拝の枠組みで、霊場一覧では鷲渓山新豊院(曹洞宗・向笠竹之内14)が第19番に挙げられています。虚空蔵菩薩を本尊とする新豊院が観音霊場に数えられている経緯は確認できていませんが、江戸時代以来の庶民の巡拝文化の中で、向笠の新豊院が近隣の増参寺(第12番)などとともに信仰の道筋に組み込まれていたことを示しています。

向笠・大藤の寺々の本寺として

『静岡県磐田郡誌』には、新豊院を本寺とする寺庵が向笠村とその周辺に数多く記されています。向笠西の法雲庵(現在の法雲寺。寛永年中に新豊院4世是音が開創)、篠原の正林寺(慶長9年〈1604年〉草創、4世是音を開山に請じる)、向笠中村の見應寺(明暦年中に新豊院6世音重を中興開山とする)、向笠新屋の正林庵(寛永3年〈1626年〉開創、4世是音開山)、向笠竹之内の正福寺(慶長2年〈1597年〉、2世宣幸の開創)と定福寺、さらに大藤村大久保の保福寺(寛永19年〈1642年〉、5世音察和尚の開創)までが新豊院の末寺とされ、歴代住職が近隣の寺々を次々と開いていったことがわかります。新豊院が向笠一帯の曹洞宗寺院の中核であったことを示す記録です。

国指定史跡・新豊院山古墳群

寺の裏山には、弥生時代中期から古墳時代前期にかけての墳墓群である新豊院山古墳群があります。『いわた文化財だより』によれば、古墳群は弥生時代中期の土器棺墓・土坑墓群や、古墳時代前期の前方後円墳2基(1号墳・2号墳)などからなります。昭和55年(1980年)8月からの発掘調査で前方後円墳2基(推定)と台状墓1基、弥生時代の土壙・土器棺などが確認され、昭和62年(1987年)7月3日に国の史跡に指定されました。弥生時代から古墳時代への墓制の移り変わりを知ることができる貴重な遺跡と評価されています。2号墳は全長約28mの前方後円墳で、石室内および周辺部から三角縁神獣鏡や鉄剣・鉄刀・鉄鏃・銅鏃などが出土し、県内最古級の前方後円墳の一つと考えられています。古墳の上からは太田川の沖積地を挟んで小笠山丘陵を一望でき、古墳時代の首長がこの眺望の地を墓所に選んだことがうかがえます。

出土資料の市指定と現代の歩み

新豊院山古墳群から出土した三角縁神獣鏡・銅鏃などの資料は、令和4年(2022年)9月28日に磐田市指定文化財に加えられ、この指定により市内の指定文化財は135件となりました。同年10月29日から11月4日まで磐田市歴史文書館で特別公開され、316名が来場したことが『いわた文化財だより』に報告されています。磐田市文化財保存活用地域計画によれば、古墳群は平成19年度(2007年度)に法面保護工事が施工されており、磐田市の公式サイトでは、古墳保護のための斜面工事が令和9年(2027年)まで行われるため、裏山への立ち入りを控えるよう案内されています。寺と史跡が一体となって向笠の歴史を伝える環境が、今も守り続けられています。

Database 03

歴代住職

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Database 04

本尊

本尊名
能満諸願虚空蔵大菩薩
宗教的意味
新豊院は、徳川家康ゆかりの禅刹として知られる可睡斎(袋井市)の末寺として、天正年間(1573年から1591年)に曹洞宗へ改宗したと伝わります。本尊の能満諸願虚空蔵大菩薩は、「能く諸々の願いを満たす」の名のとおり、どんな願いも叶えるとされる虚空蔵菩薩で、かつては縁日に木版のお札が配られていたと伝えられています。本尊の横に八幡大菩薩を併せ祀り、向笠城主の戦勝祈願の場であったと伝わる点にも、この寺の信仰の歴史が表れています。
由来
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安置場所
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Database 05

寺宝・文化財

国指定史跡

新豊院山古墳群

寺の北側に隣接する磐田原台地の尾根先端にある、弥生時代中期の土器棺墓・土坑墓群と古墳時代前期の前方後円墳2基(1号墳・2号墳)などからなる墳墓群です。昭和62年(1987年)7月3日に国の史跡に指定されました。弥生時代から古墳時代への墓制の変化を示す遺跡として学術的に高く評価されており、2号墳は県内最古級の前方後円墳の一つと考えられています。

磐田市指定文化財(有形文化財・考古資料)

新豊院山古墳群出土資料

2号墳の石室内および周辺部から出土した三角縁神獣鏡、鉄剣・鉄刀・鉄鏃・銅鏃、小型鏡などの資料です。令和4年(2022年)9月28日に磐田市指定文化財となり、同年秋には磐田市歴史文書館で特別公開が行われました。古墳時代前期の遠江と畿内政権との関わりを考えるうえで重要な資料とされています。

Database 06

年中法要

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Database 07

墓地情報

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一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

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地域との関係

新豊院のある向笠地区は、太田川・敷地川沿いに水田の広がる「里」と、磐田原台地の上に茶園の広がる「原」からなる農業地帯で、向笠地域づくり協議会によれば11の自治会で構成されています。新豊院が立つ向笠竹之内は里の集落の一つで、明治の町村制以降は磐田郡向笠村の大字でした。地区の拠点として磐田市の向笠交流センター(向笠竹之内372番地の1)が置かれており、寺の周辺は今も田園と台地の斜面林が続く落ち着いた景観を保っています。磐田原台地の裾に本堂を構え、背後の尾根に古墳群を負い、前面に太田川流域の水田を望むという新豊院の立地そのものが、台地と里が接する向笠の土地柄をよく表しています。

寺の東側には、今川氏に仕えた向笠氏代々の居城と伝わる向笠城の跡があります。城郭情報サイトの攻城団によれば、元亀3年(1572年)に城主が遠江へ侵攻した武田信玄に降伏し、翌年には徳川家康の家臣酒井忠次に攻められて落城しました。現在の城址に遺構は残っていませんが案内板が設置されており、新豊院にある向笠伯耆守の五輪塔とあわせて、戦国期の向笠の記憶を伝えています。開創に向笠伯耆守の名が伝わり、向笠城主の祈願所であったと伝えられる新豊院は、向笠の武家と村人の双方に支えられて法灯をつないできた、この地区の歴史そのものと呼べる寺院です。裏山の新豊院山古墳群まで含めれば、その土地の記憶は古墳時代以前にまでさかのぼります。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9107

  2. 行政・公的資料磐田北部ありがた歩記(磐田市観光協会パンフレット)

    山号鷲渓山・本尊能満諸願虚空蔵大菩薩・曹洞宗、文明18年(1486)以前の開創と伝わること、天正年間の曹洞宗改宗(可睡斎等膳和尚)、天正17年の寺領寄進、慶長8年の朱印、八幡大菩薩・向笠城主の戦勝祈願・家康の位牌の伝承、2号墳出土品が市指定文化財である旨を確認。

  3. 行政・公的資料新豊院山古墳群(磐田市公式ウェブサイト・国指定文化財)

    新豊院裏山に所在する国の史跡であること、2号墳が全長約28mの前方後円墳で三角縁神獣鏡等が出土したこと、保護工事のため裏山への立ち入りを控えるよう案内されていることを確認。

  4. 文化財データベース新豊院山古墳群(文化遺産オンライン・文化庁)

    国指定史跡(史跡名勝天然記念物)、指定年月日1987年7月3日、所在地静岡県磐田市向笠竹之内であることを確認。

  5. 宗派公式資料新豊院(曹洞禅ナビ・曹洞宗公式寺院ポータルサイト)

    曹洞宗寺院として磐田市向笠竹之内14に所在することを確認(山号・由緒の記載はなし)。

  6. 民間二次情報ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場

    第19番=鷲渓山新豊院(曹洞宗・向笠竹之内14)を確認。寺名・宗派・住所がDBと一致。

  7. 文化財データベースしずおか文化財ナビ 新豊院山古墳群

    国指定史跡、指定日1987年7月3日、所在地向笠竹之内7-39、所有者磐田市、2号墳(前方後円墳・三角縁神獣鏡出土)の解説を確認。

  8. 行政・公的資料いわた文化財だより第212号

    令和4年11月1日発行。P1〜3「新たに市指定文化財に!成瀬家文書&新豊院山古墳群出土資料」。新豊院の所在(向笠竹之内、曹洞宗、山号鷲渓山)と新豊院山古墳群の概要、市指定文化財指定(令和4年9月28日)を記載。

  9. 行政・公的資料いわた文化財だより第213号

    令和4年12月1日発行。「新磐田市指定文化財 新豊院山古墳群出土資料」特別公開(10月29日〜11月4日、316名来場)の御礼記事。

  10. 行政・公的資料磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)

    p.35 新豊院山2号墳の出土品、p.51 B向笠・大藤・岩田地区の国指定・市指定文化財一覧、p.79 p.93 法面保護工事・防災に関する記載

最終更新日 2026.07.19

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この寺院について

新豊院は磐田市向笠竹之内14番地、向陽地区(旧向笠村域)に所在する曹洞宗の寺院です。山号は鷲渓山(しゅうけいざん)、本尊は能満諸願虚空蔵大菩薩で、静岡県知事所轄宗教法人名簿にも磐田市内の宗教法人として掲載されています。『静岡県磐田郡誌』(大正10年〈1921年〉)には、周智郡久努西村(現袋井市)の可睡斎の末寺と記されており、徳川家康ゆかりの名刹可睡斎との本末関係のもとで歩んできました。磐田郡三十三観音霊場の第19番札所でもあります。

磐田市観光協会の資料によれば、本尊の能満諸願虚空蔵大菩薩は「どんな願いも叶える」とされる仏で、かつては縁日に木版のお札が配られていたと伝えられています。本尊の横には八幡大菩薩も祀られ、東側にあった向笠城の城主による戦勝祈願の場であったとも伝わることから、「勝」のご利益の寺として紹介されています。

寺の裏山(北側に続く磐田原台地の尾根先端)には、弥生時代から古墳時代前期にかけての墳墓群である国指定史跡「新豊院山古墳群」があり、2号墳から出土した三角縁神獣鏡などの資料は磐田市指定文化財となっています。また『静岡県磐田郡誌』には、新豊院の歴代住職が向笠・大藤の各村に末寺を次々と開いたことが記されており、近世の向笠一帯における曹洞宗の中核寺院であったことがうかがえます。寺名を冠した史跡と数々の末寺の記録をあわせもつ、向笠の土地の記憶を古代から現代まで伝える寺院です。

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歴史と背景

開創と向笠伯耆守

磐田市観光協会の資料によれば、開創の年代は不明ですが、文明18年(1486年)よりも以前と伝えられています。一方、『静岡県磐田郡誌』の向笠村新豊院の項は、向笠村向笠竹之内字山下に在り、明応年間(1492年から1501年)に向笠伯耆守がこれを開創したと記しており、開創期の伝えには幅があります。向笠伯耆守は、この地に拠った向笠氏の一族とみられる人物で、城郭情報サイトの攻城団の解説には、新豊院に向笠伯耆守の五輪塔があると記されています。いずれの伝えでも、室町時代後期に向笠の在地領主のもとで開かれた寺院であることが共通しています。

可睡斎等膳和尚を招いた曹洞宗改宗

天正年間(1573年から1591年)、袋井市の可睡斎から等膳和尚を招いて曹洞宗に改宗したと伝えられます。等膳和尚(仙麟等膳)は可睡斎の11代目住職で、可睡斎の公式サイトによれば、今川家の人質だった幼少期の徳川家康(松平竹千代)の教育に携わり、後年、浜松城主となった家康の御前で居眠りをしても許されたことから「可睡和尚」と呼ばれ、寺号「可睡斎」の由来となった人物です。『静岡県磐田郡誌』も、天正年度に可睡斎の等膳を請じて開基としたと記しており、新豊院はこの改宗を経て、可睡斎の末寺として近世を歩むことになりました。可睡斎は応永8年(1401年)に如仲天誾禅師が開山した東海屈指の禅の修行道場であり、その末寺に連なったことは、戦国末期の新豊院が遠州曹洞宗の有力な法系に組み込まれたことを意味します。

寺領の寄進と朱印

磐田市観光協会の資料によれば、記録には天正17年(1589年)に伊奈備前守より寺領を寄進され、慶長8年(1603年)にも諸役免除などの朱印を受けたとされます。徳川家康の位牌が祀られていると同資料に記されているのも、可睡斎との深い縁や向笠城主の祈願所としての歩みと重なる伝承です。武田・徳川の争奪の舞台となった向笠の地で、戦国の動乱を越えて寺領の寄進と諸役免除を受けた事実は、当時の新豊院が領主層から祈願の寺として重んじられていたことを物語ります。江戸時代の新豊院は、こうした庇護のもとで向笠の地の信仰の中心であり続けました。

磐田郡三十三観音の札所として

新豊院は磐田郡三十三観音霊場の第19番札所とされています。磐田郡三十三観音は旧磐田郡域の観音霊場をめぐる巡拝の枠組みで、霊場一覧では鷲渓山新豊院(曹洞宗・向笠竹之内14)が第19番に挙げられています。虚空蔵菩薩を本尊とする新豊院が観音霊場に数えられている経緯は確認できていませんが、江戸時代以来の庶民の巡拝文化の中で、向笠の新豊院が近隣の増参寺(第12番)などとともに信仰の道筋に組み込まれていたことを示しています。

向笠・大藤の寺々の本寺として

『静岡県磐田郡誌』には、新豊院を本寺とする寺庵が向笠村とその周辺に数多く記されています。向笠西の法雲庵(現在の法雲寺。寛永年中に新豊院4世是音が開創)、篠原の正林寺(慶長9年〈1604年〉草創、4世是音を開山に請じる)、向笠中村の見應寺(明暦年中に新豊院6世音重を中興開山とする)、向笠新屋の正林庵(寛永3年〈1626年〉開創、4世是音開山)、向笠竹之内の正福寺(慶長2年〈1597年〉、2世宣幸の開創)と定福寺、さらに大藤村大久保の保福寺(寛永19年〈1642年〉、5世音察和尚の開創)までが新豊院の末寺とされ、歴代住職が近隣の寺々を次々と開いていったことがわかります。新豊院が向笠一帯の曹洞宗寺院の中核であったことを示す記録です。

国指定史跡・新豊院山古墳群

寺の裏山には、弥生時代中期から古墳時代前期にかけての墳墓群である新豊院山古墳群があります。『いわた文化財だより』によれば、古墳群は弥生時代中期の土器棺墓・土坑墓群や、古墳時代前期の前方後円墳2基(1号墳・2号墳)などからなります。昭和55年(1980年)8月からの発掘調査で前方後円墳2基(推定)と台状墓1基、弥生時代の土壙・土器棺などが確認され、昭和62年(1987年)7月3日に国の史跡に指定されました。弥生時代から古墳時代への墓制の移り変わりを知ることができる貴重な遺跡と評価されています。2号墳は全長約28mの前方後円墳で、石室内および周辺部から三角縁神獣鏡や鉄剣・鉄刀・鉄鏃・銅鏃などが出土し、県内最古級の前方後円墳の一つと考えられています。古墳の上からは太田川の沖積地を挟んで小笠山丘陵を一望でき、古墳時代の首長がこの眺望の地を墓所に選んだことがうかがえます。

出土資料の市指定と現代の歩み

新豊院山古墳群から出土した三角縁神獣鏡・銅鏃などの資料は、令和4年(2022年)9月28日に磐田市指定文化財に加えられ、この指定により市内の指定文化財は135件となりました。同年10月29日から11月4日まで磐田市歴史文書館で特別公開され、316名が来場したことが『いわた文化財だより』に報告されています。磐田市文化財保存活用地域計画によれば、古墳群は平成19年度(2007年度)に法面保護工事が施工されており、磐田市の公式サイトでは、古墳保護のための斜面工事が令和9年(2027年)まで行われるため、裏山への立ち入りを控えるよう案内されています。寺と史跡が一体となって向笠の歴史を伝える環境が、今も守り続けられています。

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文化財・見どころ

国指定史跡

新豊院山古墳群

寺の北側に隣接する磐田原台地の尾根先端にある、弥生時代中期の土器棺墓・土坑墓群と古墳時代前期の前方後円墳2基(1号墳・2号墳)などからなる墳墓群です。昭和62年(1987年)7月3日に国の史跡に指定されました。弥生時代から古墳時代への墓制の変化を示す遺跡として学術的に高く評価されており、2号墳は県内最古級の前方後円墳の一つと考えられています。

磐田市指定文化財(有形文化財・考古資料)

新豊院山古墳群出土資料

2号墳の石室内および周辺部から出土した三角縁神獣鏡、鉄剣・鉄刀・鉄鏃・銅鏃、小型鏡などの資料です。令和4年(2022年)9月28日に磐田市指定文化財となり、同年秋には磐田市歴史文書館で特別公開が行われました。古墳時代前期の遠江と畿内政権との関わりを考えるうえで重要な資料とされています。

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宗派と本尊を知る

新豊院は、徳川家康ゆかりの禅刹として知られる可睡斎(袋井市)の末寺として、天正年間(1573年から1591年)に曹洞宗へ改宗したと伝わります。本尊の能満諸願虚空蔵大菩薩は、「能く諸々の願いを満たす」の名のとおり、どんな願いも叶えるとされる虚空蔵菩薩で、かつては縁日に木版のお札が配られていたと伝えられています。本尊の横に八幡大菩薩を併せ祀り、向笠城主の戦勝祈願の場であったと伝わる点にも、この寺の信仰の歴史が表れています。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

虚空蔵菩薩という仏さま

虚空蔵菩薩は、何ものにも妨げられない大空(虚空)がすべてを包み込むように、無限の智恵と福徳を蔵する菩薩です。虚空が光や熱、雨や水といった自然の恵みを絶えず与えてくれるように、その恵みは尽きることがないと説かれます。求める人に応じてその蔵から智恵と福徳を取り出して与えてくださると信じられ、記憶力と智恵を授かることを祈る虚空蔵求聞持法という修行の本尊としても知られています。

この仏さまを語るうえで欠かせないのが「十三まいり」です。数え年13歳を迎えた子どもが智恵と福徳を授かりに参拝する習わしで、本尊とする京都・嵐山の法輪寺では毎年4月13日を中心に営まれ、大人への入り口に立つ子どもの成長の節目として親しまれてきました。

法輪寺の本尊は、智恵や福徳だけでなく芸道の上達をも約束する誓いを立てたと伝えられ、学業成就や技芸の上達を願う人びとの信仰を集めています。子や孫の成長の節目に、智恵を授けてくださる仏さまとして手を合わせたいものです。

参考: 法輪寺の歴史・由緒・御本尊(嵐山 虚空蔵法輪寺 公式サイト)春の十三まいり【虚空蔵法輪寺】(京都市公式 京都観光Navi)

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地域とのつながり

新豊院のある向笠地区は、太田川・敷地川沿いに水田の広がる「里」と、磐田原台地の上に茶園の広がる「原」からなる農業地帯で、向笠地域づくり協議会によれば11の自治会で構成されています。新豊院が立つ向笠竹之内は里の集落の一つで、明治の町村制以降は磐田郡向笠村の大字でした。地区の拠点として磐田市の向笠交流センター(向笠竹之内372番地の1)が置かれており、寺の周辺は今も田園と台地の斜面林が続く落ち着いた景観を保っています。磐田原台地の裾に本堂を構え、背後の尾根に古墳群を負い、前面に太田川流域の水田を望むという新豊院の立地そのものが、台地と里が接する向笠の土地柄をよく表しています。

寺の東側には、今川氏に仕えた向笠氏代々の居城と伝わる向笠城の跡があります。城郭情報サイトの攻城団によれば、元亀3年(1572年)に城主が遠江へ侵攻した武田信玄に降伏し、翌年には徳川家康の家臣酒井忠次に攻められて落城しました。現在の城址に遺構は残っていませんが案内板が設置されており、新豊院にある向笠伯耆守の五輪塔とあわせて、戦国期の向笠の記憶を伝えています。開創に向笠伯耆守の名が伝わり、向笠城主の祈願所であったと伝えられる新豊院は、向笠の武家と村人の双方に支えられて法灯をつないできた、この地区の歴史そのものと呼べる寺院です。裏山の新豊院山古墳群まで含めれば、その土地の記憶は古墳時代以前にまでさかのぼります。

磐田物語で読む

この寺院やゆかりの土地の歴史を、姉妹サイト「磐田物語」の読み物でご覧いただけます。

06

年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

磐田市の公式サイトでは、新豊院山古墳群の保護のための斜面工事が令和9年(2027年)まで行われるため、裏山への立ち入りを控えるよう案内されています。お墓参りなどで訪れる際も、裏山側には近づかないようにしてください。

法要・行事の日程や墓地に関する事柄は、公開されている資料では確認できていません。檀家の方は寺院へ直接確認してください。

調査中の項目
  • 年間行事(施餓鬼会・彼岸法要など)の日程
  • 御朱印状などの授与品の有無を含む、寺院の現在の対応体制
  • 護持会など檀家組織の有無・活動内容

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

07

よくある質問

新豊院の読み方と山号は?

「しんぽういん」と読みます。山号は鷲渓山(しゅうけいざん)で、磐田市向笠竹之内にあります。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

曹洞宗の寺院で、本尊は能満諸願虚空蔵大菩薩です。どんな願いも叶えるとされる仏で、本尊の横には八幡大菩薩も祀られていると伝えられています。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ開かれたお寺ですか?

磐田市観光協会の資料では文明18年(1486年)以前の開創と伝えられ、『静岡県磐田郡誌』は明応年間(1492年から1501年)に向笠伯耆守が開創したと記しています。天正年間(1573年から1591年)に可睡斎の等膳和尚を招いて曹洞宗に改宗したと伝わります。

本文「歴史と背景」を読む
可睡斎とはどんな関係ですか?

『静岡県磐田郡誌』に可睡斎(袋井市)の末寺と記されています。曹洞宗への改宗の際に招かれた等膳和尚は、徳川家康の御前で居眠りを許されて「可睡和尚」と呼ばれた可睡斎11代目の住職です。

本文「歴史と背景」を読む
新豊院山古墳群とは何ですか?

寺の裏山にある弥生時代から古墳時代前期の墳墓群で、昭和62年(1987年)に国の史跡に指定されました。2号墳からは三角縁神獣鏡などが出土し、出土資料は令和4年(2022年)に磐田市指定文化財となっています。

本文「文化財・見どころ」を読む
徳川家康との関わりはありますか?

磐田市観光協会の資料に、徳川家康の位牌が祀られていると記されています。改宗の際に招かれた等膳和尚が家康と縁の深い可睡斎の住職であったことも、家康とのゆかりとして伝えられています。

本文「歴史と背景」を読む
札所になっていますか?

磐田郡三十三観音霊場の第19番札所とされています。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
末寺はあったのですか?

『静岡県磐田郡誌』には、法雲庵(現在の法雲寺)・正林寺・見應寺・正林庵・正福寺・定福寺・保福寺(大藤村大久保)が新豊院の末寺と記されており、歴代住職が向笠・大藤一帯に寺々を開いたことがわかります。

本文「歴史と背景」を読む
裏山の古墳群は見学できますか?

磐田市の公式サイトでは、古墳保護のための斜面工事が令和9年(2027年)まで行われるため、裏山への立ち入りを控えるよう案内されています。最新の状況は磐田市文化財課の案内を確認してください。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む

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写真で見る境内

新豊院の本堂正面
本堂・堂宇 新豊院の本堂正面。階段、石造物、堂前の配置を含めて境内の中心部を記録。
新豊院本堂の入口まわり
本堂・堂宇 本堂入口と献香台、向拝まわりを正面から確認できる写真。
新豊院本堂の山号額
説明板・案内板 本堂正面に掲げられた山号額と大数珠を記録。
新豊院本堂の山号額近景
説明板・案内板 山号額を近景で撮影し、額の風合いと本堂正面の細部を補足。
新豊院本堂脇の縁側
本堂・堂宇 本堂脇の縁側と境内建物のつながりを記録した写真。
新豊院境内の全景
境内全景 本堂、境内看板、庫裏側の建物を含む新豊院境内の全景。
新豊院参道の寺号石柱
入口・石標 参道脇の寺号石柱と、奥に続く境内への導線を記録。
新豊院入口付近の古い標柱
入口・石標 新豊院入口付近に残る古い標柱と石碑を記録。
新豊院境内の小堂と石碑
石造物・手水 境内の小堂、石灯籠、石碑を記録した写真。
新豊院の観音像と眺望
境内全景 高台の観音像と周辺の眺望を記録した写真。
新豊院高台からの眺望
境内全景 観音像の立つ高台から、太田川流域方向の眺望を記録。

09

出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9107。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 行政・公的資料 磐田北部ありがた歩記(磐田市観光協会パンフレット)

    山号鷲渓山・本尊能満諸願虚空蔵大菩薩・曹洞宗、文明18年(1486)以前の開創と伝わること、天正年間の曹洞宗改宗(可睡斎等膳和尚)、天正17年の寺領寄進、慶長8年の朱印、八幡大菩薩・向笠城主の戦勝祈願・家康の位牌の伝承、2号墳出土品が市指定文化財である旨を確認。

  3. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年)コマ462(新豊院の由緒)

    国立国会図書館デジタルコレクション。向笠村向笠竹之内字山下所在、鷲渓山、可睡斎末寺、本尊虚空蔵菩薩、明応中の向笠伯耆守による開創、天正年度に可睡斎の等膳を請じて開基とした旨を確認。

  4. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年)コマ463(新豊院末寺群の由緒)

    法雲庵・正林寺・見應寺・正林庵・保福寺など向笠村・大藤村の各寺庵が新豊院の末寺であり、新豊院歴代(2世宣幸・4世是音・5世音察・6世音重)が開山・開創に関わった旨を確認。

  5. 宗派公式資料 可睡斎公式サイト「可睡斎の由来」

    可睡斎が応永8年(1401年)開山の曹洞宗寺院で、袋井市久能に所在することを確認。

  6. 宗派公式資料 可睡斎公式サイト「家康と居眠り和尚」

    仙麟等膳が可睡斎11代目住職であること、幼少期の徳川家康の教育に携わり、家康の御前での居眠りを許されて「可睡和尚」と呼ばれ寺号の由来となった逸話を確認。

  7. 行政・公的資料 新豊院山古墳群(磐田市公式ウェブサイト・国指定文化財)

    新豊院裏山に所在する国の史跡であること、2号墳が全長約28mの前方後円墳で三角縁神獣鏡等が出土したこと、保護工事のため裏山への立ち入りを控えるよう案内されていることを確認。

  8. 文化財データベース 新豊院山古墳群(文化遺産オンライン・文化庁)

    国指定史跡(史跡名勝天然記念物)、指定年月日1987年7月3日、所在地静岡県磐田市向笠竹之内であることを確認。

  9. 文化財データベース しずおか文化財ナビ 新豊院山古墳群

    国指定史跡、指定日1987年7月3日、所在地向笠竹之内7-39、所有者磐田市、2号墳(前方後円墳・三角縁神獣鏡出土)の解説を確認。

  10. 行政・公的資料 いわた文化財だより第212号

    令和4年11月1日発行。新豊院の所在(向笠竹之内、曹洞宗、山号鷲渓山)と新豊院山古墳群の概要、出土資料の市指定文化財指定(令和4年9月28日、市内135件目)を確認。

  11. 行政・公的資料 いわた文化財だより第213号

    令和4年12月1日発行。新豊院山古墳群出土資料の特別公開(10月29日〜11月4日、磐田市歴史文書館、316名来場)を確認。

  12. 行政・公的資料 磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)

    新豊院山2号墳の出土品、向笠・大藤・岩田地区の指定文化財一覧、平成19年度の法面保護工事施工と保存活用計画未作成の記載を確認。

  13. 宗派公式資料 新豊院(曹洞禅ナビ・曹洞宗公式寺院ポータルサイト)

    曹洞宗寺院として磐田市向笠竹之内14に所在することを確認(山号・由緒の記載はなし)。

  14. 民間二次情報 ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場

    第19番=鷲渓山新豊院(曹洞宗・向笠竹之内14)を確認。寺名・宗派・住所がDBと一致。

  15. 民間二次情報 向笠城(攻城団)

    向笠城が今川氏に仕えた向笠氏代々の居城であること、元亀3年(1572年)の武田信玄への降伏と翌年の落城、遺構が残らず案内板が設置されていること、新豊院に向笠伯耆守の五輪塔があることを確認。

  16. 行政・公的資料 施設ガイド 向笠交流センター(磐田市公式ウェブサイト)

    向笠地区の拠点施設である向笠交流センターが向笠竹之内372-1に所在することを確認(地域文脈として使用)。

  17. 地域団体資料 向笠地域づくり協議会(静岡県 磐田市)

    向笠地区が11自治会で構成され、太田川・敷地川沿いの水田の広がる里6自治会と磐田原台地の茶園の広がる原5自治会に分かれることを確認(地域文脈として使用)。

For Families

このお寺が菩提寺のご家族へ

菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
  • 位牌の有無
  • お寺からの連絡を受ける人
  • お寺の連絡先
  • 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
  • 実家の名義
  • 実家を今後誰が管理するか
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