向陽地区・現存
増参寺
ぞうさんじ
増参寺(ぞうさんじ)は、磐田市匂坂中にある曹洞宗の寺院です。山号は岩田山、本尊は釈迦牟尼如来で、応仁2年(1468年)建立の蔵参庵を前身とし、永禄7年(1564年)に古刹磐田寺と合併して岩田山増参寺となったと伝わります。戦国期の土豪匂坂氏とのゆかりが深い、匂坂の歴史を今に伝える寺院です。
別称・関連名称岩田山/蔵参庵
- 寺院名
- 増参寺
- 地区
- 向陽
- 住所
- 静岡県磐田市匂坂中586番地
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 増参寺
- 読み方
- ぞうさんじ
- 地区
- 向陽
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 釈迦牟尼如来
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市匂坂中586番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- ソテツ/力石
- 最終確認日
- 2026.07.11
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 増参寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 釈迦牟尼如来
- 創建
- 応仁2年(1468年)に前身の蔵参庵が建立されたと伝わる。永禄7年(1564年)に岩田山増参寺となる
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市匂坂中586番地
- 地区
- 向陽
Database 02
沿革
天平創立と伝わる磐田寺
『静岡県磐田郡誌』によれば、増参寺の前身の一つである磐田寺は、天平8年(736年)に岩田原字梵天(旧くは「ほらの谷」と称した地)に創立され、袖浦法窟磐田寺と号したと伝えられます。奈良時代にさかのぼる草創伝承をもつ古刹で、寺号の「磐田」は、遠江国府や国分寺の置かれたこの地方の古い地名を負っています。増参寺の山号「岩田山」も、この磐田寺の法灯を受け継いだことを示すものです。
応仁2年・匂坂氏による蔵参庵の建立
『静岡県磐田郡誌』には、応仁2年(1468年)に当国社山城(現在の袋井市域)の城主匂坂六郎左衛門尉が見取村に蔵参庵を建立し、物外禅師を開山としたと記されています。一方、磐田市観光協会の「磐田北部ありがた歩記」は、建立者を社山城主・匂坂太郎左衛門尉と伝えており、名乗りには資料により相違があります。いずれの資料でも、応仁の乱の時代に匂坂氏が一族の庵として建立したことは共通しており、戦国の世に武家の信仰を集めた庵であったことがうかがえます。
永禄7年の合併と岩田山増参寺
『静岡県磐田郡誌』によれば、永禄7年(1564年)、城主匂坂六郎五郎が蔵参庵を移し、これを磐田寺に合併して岩田山増参寺と改称しました。磐田市観光協会の資料も、匂坂城の築城の際、この地にあった磐田寺と合わせて岩田山増参寺となったと伝えています。以後、周智郡久努西村の海蔵寺を本寺とする曹洞宗寺院として歩み、郡誌には匂坂中の大智院(天正7年〈1579年〉草創、増参寺9世嶽山を開山とする)や寺谷新田の龍泉庵が増参寺の末寺として記されるなど、匂坂一帯の中核寺院となっていきました。
境内のソテツと力石
境内には大きなソテツがそびえています。磐田市観光協会の資料によれば、このソテツは社山城から匂坂城へ移されたものを、宝暦年間(1751年から1764年)に増参寺へ移したものだと伝えられています。城とともに旅をしてきた木として、匂坂氏の記憶を今に伝える生き証人です。参道横には昔話に登場するという「力石」が置かれ、隣接する戦没者墓地には神武天皇像が立っています。手入れの行き届いた整然とした境内として、同資料の寺社めぐりコースでも紹介されています。
大めし祭りと増参寺
磐田市指定無形民俗文化財「大めし祭り」は、磐田市富里の匂坂西下組に伝わる民俗行事です。磐田市の公式サイトによれば、毎年1月初旬に匂坂西下の薬師堂で行われ、大根や人参で作った陰陽物の作り物を供えて子孫繁栄・家内安全・五穀豊穣を祈念し、新しく地区に嫁いできたお嫁さんを大盛りのご飯でもてなして地区の一員として迎えます。『いわた文化財だより』第229号によれば、会場の匂坂西下公会堂(薬師堂)は旧東光寺の跡に建ち、増参寺はその旧東光寺の本寺にあたることから、住職が大般若経・法華経の転読供養で読経をつとめています。寺と村の関わりが年中行事として生き続けている例です。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 釈迦牟尼如来
- 宗教的意味
- 増参寺は『静岡県磐田郡誌』によれば周智郡久努西村(現袋井市)の海蔵寺を本寺とし、曹洞宗の物外派に属すると記されています。派名は蔵参庵の開山と伝わる物外禅師の名を受け継ぐものです。本尊は釈迦牟尼如来で、坐禅の教えの根本であるお釈迦さまを本尊と仰ぐ、曹洞宗の本来の姿をよく伝えています。天平創立と伝わる磐田寺、戦国の蔵参庵という二つの流れを受け継いだ寺が、禅宗寺院として匂坂の菩提寺となった歩みは、この地方の宗派の移り変わりを映すものでもあります。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
ソテツ
境内にそびえる大きなソテツです。磐田市観光協会の資料によれば、社山城から匂坂城へ移されたものを、宝暦年間(1751年から1764年)に増参寺へ移したものと伝えられています。城主匂坂氏とともに歩んだ寺の来歴を象徴する古木です。
力石
参道の横に置かれた石で、磐田市観光協会の資料によれば昔話に登場すると伝えられています。かつて若者たちが力比べに用いた石は各地の寺社に残りますが、当寺の力石も匂坂の村の暮らしの記憶を伝えるものです。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
増参寺のある匂坂(さぎさか)は、天竜川の東岸に開けた集落で、明治の町村制以降は磐田郡岩田村の大字(匂坂上・匂坂中)でした。現在は磐田市の向陽地区に属し、水田の広がる農村地帯です。この地は戦国期の土豪匂坂氏の本拠として知られ、増参寺の建立・合併の歴史そのものに、社山城主・匂坂城主としての匂坂氏の名が刻まれています。寺の周辺に残る匂坂城跡碑や匂坂館跡、近隣の眞如寺(匂坂上・匂坂家の内寺と伝わる)や増参寺末の大智院(匂坂中)とあわせて、匂坂の武家の記憶を伝える一角です。応仁の乱の時代の庵の建立から、戦国末期の合併・改称、江戸時代の末寺の展開まで、増参寺の歩みの節目には常に匂坂氏とこの土地の人々の名があり、寺そのものが匂坂の歴史の生き証人といえます。
江戸時代以降の増参寺は、末寺の大智院や龍泉庵を擁する匂坂の中核寺院として、村人の菩提を弔ってきました。その関わりは現代にも続いており、磐田市指定無形民俗文化財「大めし祭り」では、旧東光寺の本寺として住職が薬師堂での転読供養をつとめています。嫁いできた初嫁を大盛りの飯でもてなすこの行事は、農村匂坂の共同体のあたたかさを伝えるもので、寺がその輪の中に今もあることは、檀家と寺の結びつきの深さを物語っています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9106
- 行政・公的資料磐田北部ありがた歩記(磐田市観光協会パンフレット)
山号岩田山・宗派曹洞宗・本尊釈迦牟尼如来、応仁2年(1468)蔵参庵建立、永禄7年(1564)磐田寺と合わせて岩田山増参寺となった沿革、ソテツ・力石・神武天皇像の記述を確認。
- 民間二次情報サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院一覧
増参寺=磐田市匂坂中586番地・曹洞宗であることを確認。
- 民間二次情報ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
第12番=岩田山増参寺(曹洞宗・匂坂中586)を確認。なお豊田郡三十三観音の旧札所(観音寺・養生寺・伊清寺、いずれも廃寺)が増参寺に併合されたとの記載あり。
- 宗派公式資料曹洞禅ナビ 増参寺
公式一覧掲載を確認。検索エンジンに索引された公式ページ情報で住所(〒438-0004 磐田市匂坂中586)が一致することを確認。詳細ページ本体はサーバー障害で未取得のため、本尊・由緒欄の有無は未確認
- 行政・公的資料いわた文化財だより第229号
令和6年4月1日発行。P1〜2「磐田市指定無形民俗文化財 大めし祭り」。増参寺住職による読経(大般若経・法華経)と、旧東光寺の本寺である旨を記載。
最終更新日 2026.07.19
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01
この寺院について
増参寺は磐田市匂坂中586番地、磐田市北西部の向陽地区(旧岩田村域)に所在する曹洞宗の寺院です。山号は岩田山、本尊は釈迦牟尼如来で、静岡県知事所轄宗教法人名簿にも磐田市内の宗教法人として掲載されています。『静岡県磐田郡誌』(大正10年〈1921年〉)によれば、周智郡久努西村(現袋井市)の海蔵寺の末寺で、曹洞宗の物外派に属すると記されています。磐田郡三十三観音霊場の第12番札所でもあります。
寺の来歴は二つの寺の合流として伝えられています。一つは天平8年(736年)創立と伝わる古刹磐田寺、もう一つは応仁2年(1468年)に社山城主の匂坂氏が建立した蔵参庵で、永禄7年(1564年)に両者が合わさって岩田山増参寺となったと『静岡県磐田郡誌』は記しています。匂坂は戦国期の土豪匂坂氏ゆかりの地で、寺の周辺には匂坂城跡碑や匂坂館跡が残ります。
磐田市指定無形民俗文化財「大めし祭り」では、旧東光寺の本寺として増参寺の住職が大般若経・法華経の転読供養の読経をつとめており、地域の民俗行事を今も支えています。境内には城から移されたと伝わるソテツや、昔話に登場する力石が残り、匂坂の記憶を伝える寺として親しまれています。
02
歴史と背景
天平創立と伝わる磐田寺
『静岡県磐田郡誌』によれば、増参寺の前身の一つである磐田寺は、天平8年(736年)に岩田原字梵天(旧くは「ほらの谷」と称した地)に創立され、袖浦法窟磐田寺と号したと伝えられます。奈良時代にさかのぼる草創伝承をもつ古刹で、寺号の「磐田」は、遠江国府や国分寺の置かれたこの地方の古い地名を負っています。増参寺の山号「岩田山」も、この磐田寺の法灯を受け継いだことを示すものです。
応仁2年・匂坂氏による蔵参庵の建立
『静岡県磐田郡誌』には、応仁2年(1468年)に当国社山城(現在の袋井市域)の城主匂坂六郎左衛門尉が見取村に蔵参庵を建立し、物外禅師を開山としたと記されています。一方、磐田市観光協会の「磐田北部ありがた歩記」は、建立者を社山城主・匂坂太郎左衛門尉と伝えており、名乗りには資料により相違があります。いずれの資料でも、応仁の乱の時代に匂坂氏が一族の庵として建立したことは共通しており、戦国の世に武家の信仰を集めた庵であったことがうかがえます。
永禄7年の合併と岩田山増参寺
『静岡県磐田郡誌』によれば、永禄7年(1564年)、城主匂坂六郎五郎が蔵参庵を移し、これを磐田寺に合併して岩田山増参寺と改称しました。磐田市観光協会の資料も、匂坂城の築城の際、この地にあった磐田寺と合わせて岩田山増参寺となったと伝えています。以後、周智郡久努西村の海蔵寺を本寺とする曹洞宗寺院として歩み、郡誌には匂坂中の大智院(天正7年〈1579年〉草創、増参寺9世嶽山を開山とする)や寺谷新田の龍泉庵が増参寺の末寺として記されるなど、匂坂一帯の中核寺院となっていきました。
境内のソテツと力石
境内には大きなソテツがそびえています。磐田市観光協会の資料によれば、このソテツは社山城から匂坂城へ移されたものを、宝暦年間(1751年から1764年)に増参寺へ移したものだと伝えられています。城とともに旅をしてきた木として、匂坂氏の記憶を今に伝える生き証人です。参道横には昔話に登場するという「力石」が置かれ、隣接する戦没者墓地には神武天皇像が立っています。手入れの行き届いた整然とした境内として、同資料の寺社めぐりコースでも紹介されています。
大めし祭りと増参寺
磐田市指定無形民俗文化財「大めし祭り」は、磐田市富里の匂坂西下組に伝わる民俗行事です。磐田市の公式サイトによれば、毎年1月初旬に匂坂西下の薬師堂で行われ、大根や人参で作った陰陽物の作り物を供えて子孫繁栄・家内安全・五穀豊穣を祈念し、新しく地区に嫁いできたお嫁さんを大盛りのご飯でもてなして地区の一員として迎えます。『いわた文化財だより』第229号によれば、会場の匂坂西下公会堂(薬師堂)は旧東光寺の跡に建ち、増参寺はその旧東光寺の本寺にあたることから、住職が大般若経・法華経の転読供養で読経をつとめています。寺と村の関わりが年中行事として生き続けている例です。
03
文化財・見どころ
ソテツ
境内にそびえる大きなソテツです。磐田市観光協会の資料によれば、社山城から匂坂城へ移されたものを、宝暦年間(1751年から1764年)に増参寺へ移したものと伝えられています。城主匂坂氏とともに歩んだ寺の来歴を象徴する古木です。
力石
参道の横に置かれた石で、磐田市観光協会の資料によれば昔話に登場すると伝えられています。かつて若者たちが力比べに用いた石は各地の寺社に残りますが、当寺の力石も匂坂の村の暮らしの記憶を伝えるものです。
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宗派と本尊を知る
増参寺は『静岡県磐田郡誌』によれば周智郡久努西村(現袋井市)の海蔵寺を本寺とし、曹洞宗の物外派に属すると記されています。派名は蔵参庵の開山と伝わる物外禅師の名を受け継ぐものです。本尊は釈迦牟尼如来で、坐禅の教えの根本であるお釈迦さまを本尊と仰ぐ、曹洞宗の本来の姿をよく伝えています。天平創立と伝わる磐田寺、戦国の蔵参庵という二つの流れを受け継いだ寺が、禅宗寺院として匂坂の菩提寺となった歩みは、この地方の宗派の移り変わりを映すものでもあります。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
釈迦如来という仏さま
釈迦如来は、およそ2500年前にインドで実在した仏教の開祖、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)を仏として表したものです。ルンビニーの園で誕生し、29歳で出家、6年の苦行ののち菩提樹の下の坐禅で悟りを開き、80歳でクシナガラの地において入滅したと伝えられています。
誕生の際に唱えたと伝わる「天上天下唯我独尊」の言葉は、誰もがかけがえのない命を生きているという人間尊重の心を表すと受け止められています。坐禅の教えを受け継ぐ曹洞宗をはじめ、禅宗の寺院では釈迦牟尼仏を本尊と仰ぎます。誕生を祝う4月8日の降誕会(花まつり)には誕生仏に甘茶を注ぎ、悟りを開いた12月8日の成道会、入滅の日である2月15日の涅槃会と合わせて、三仏忌として特に大切に営まれてきました。
花まつりは子どもの健やかな成長を願う行事として地域の寺院でも親しまれています。本尊のお釈迦さまに手を合わせることは、すべての命が尊いというその教えに立ち返り、自らの生き方を見つめ直すことでもあります。
05
地域とのつながり
増参寺のある匂坂(さぎさか)は、天竜川の東岸に開けた集落で、明治の町村制以降は磐田郡岩田村の大字(匂坂上・匂坂中)でした。現在は磐田市の向陽地区に属し、水田の広がる農村地帯です。この地は戦国期の土豪匂坂氏の本拠として知られ、増参寺の建立・合併の歴史そのものに、社山城主・匂坂城主としての匂坂氏の名が刻まれています。寺の周辺に残る匂坂城跡碑や匂坂館跡、近隣の眞如寺(匂坂上・匂坂家の内寺と伝わる)や増参寺末の大智院(匂坂中)とあわせて、匂坂の武家の記憶を伝える一角です。応仁の乱の時代の庵の建立から、戦国末期の合併・改称、江戸時代の末寺の展開まで、増参寺の歩みの節目には常に匂坂氏とこの土地の人々の名があり、寺そのものが匂坂の歴史の生き証人といえます。
江戸時代以降の増参寺は、末寺の大智院や龍泉庵を擁する匂坂の中核寺院として、村人の菩提を弔ってきました。その関わりは現代にも続いており、磐田市指定無形民俗文化財「大めし祭り」では、旧東光寺の本寺として住職が薬師堂での転読供養をつとめています。嫁いできた初嫁を大盛りの飯でもてなすこの行事は、農村匂坂の共同体のあたたかさを伝えるもので、寺がその輪の中に今もあることは、檀家と寺の結びつきの深さを物語っています。
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年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
大めし祭り(毎年1月初旬)は増参寺境内ではなく、磐田市富里の匂坂西下公会堂(薬師堂)で行われる行事です。見学を考える際は磐田市の案内を確認してください。
年間行事・法要の日程は公開資料では確認できていません。檀家の方は寺院へ直接確認してください。
隣接して戦没者墓地があります。お参りの際は静粛にお過ごしください。
- 施餓鬼会・彼岸法要など年間行事の日程
- 護持会など檀家組織の有無・活動内容
- 墓地・永代供養に関する寺院の対応
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 増参寺の読み方と山号は?
-
「ぞうさんじ」と読みます。山号は岩田山で、磐田市匂坂中にあります。前身の庵は「蔵参庵」と書き、現在の寺号とは表記が異なります。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼如来です。『静岡県磐田郡誌』には海蔵寺(現袋井市)の末寺で物外派に属すると記されています。
本文「宗派と本尊」を読む - いつできたお寺ですか?
-
応仁2年(1468年)に社山城主の匂坂氏が建立した蔵参庵を前身とし、永禄7年(1564年)に天平8年(736年)創立と伝わる磐田寺と合併して岩田山増参寺となったと伝えられています。
本文「歴史と背景」を読む - 匂坂氏とはどんな関係ですか?
-
蔵参庵の建立者も、磐田寺との合併を行ったのも、社山城・匂坂城の城主であった匂坂氏と伝えられています。匂坂の地に土着した戦国期の武家匂坂氏の信仰を受けて成立した寺院です。
本文「歴史と背景」を読む - 境内のソテツにはどんな由来がありますか?
-
磐田市観光協会の資料によれば、社山城から匂坂城へ移されたものを、宝暦年間(1751年から1764年)に増参寺へ移したものと伝えられています。
本文「文化財・見どころ」を読む - 大めし祭りとはどんな関わりがありますか?
-
磐田市指定無形民俗文化財「大めし祭り」の会場である匂坂西下の薬師堂は旧東光寺の跡に建ち、増参寺はその本寺にあたるため、住職が大般若経・法華経の転読供養で読経をつとめています。
本文「地域とのつながり」を読む - 札所になっていますか?
-
磐田郡三十三観音霊場の第12番札所とされています。霊場一覧には、豊田郡三十三観音の旧札所であった観音寺・養生寺・伊清寺(いずれも廃寺)が増参寺に併合されたとの記載もあります。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9106。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 行政・公的資料 磐田北部ありがた歩記(磐田市観光協会パンフレット)
山号岩田山・宗派曹洞宗・本尊釈迦牟尼如来、応仁2年(1468)蔵参庵建立(匂坂太郎左衛門尉)、永禄7年(1564)磐田寺と合わせて岩田山増参寺となった沿革、ソテツ・力石・神武天皇像の記述を確認。
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年)コマ462(増参寺の由緒)
国立国会図書館デジタルコレクション。岩田村匂坂中所在・岩田山・海蔵寺末寺・物外派、本尊釈迦牟尼如来、磐田寺の天平8年創立(岩田原字梵天・袖浦法窟磐田寺)、応仁2年の蔵参庵建立(社山城主匂坂六郎左衛門尉・開山物外禅師)、永禄7年の合併・改称(城主匂坂六郎五郎)、末寺大智院・龍泉庵の記載を確認。
- 民間二次情報 サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院一覧
増参寺=磐田市匂坂中586番地・曹洞宗であることを確認。
- 民間二次情報 ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
第12番=岩田山増参寺(曹洞宗・匂坂中586)を確認。なお豊田郡三十三観音の旧札所(観音寺・養生寺・伊清寺、いずれも廃寺)が増参寺に併合されたとの記載あり。
- 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 増参寺
公式一覧掲載を確認。検索エンジンに索引された公式ページ情報で住所(〒438-0004 磐田市匂坂中586)が一致することを確認。詳細ページ本体はサーバー障害で未取得のため、本尊・由緒欄の有無は未確認
- 行政・公的資料 いわた文化財だより第229号
令和6年4月1日発行。磐田市指定無形民俗文化財「大めし祭り」。増参寺住職による読経(大般若経・法華経)と、旧東光寺の本寺である旨を記載。
- 行政・公的資料 無形民俗文化財(磐田市公式ウェブサイト)
大めし祭りの所在地(磐田市富里)・所有者(諏訪神社氏子)・毎年1月初旬に匂坂西下の薬師堂で行われること、陰陽物の供え物と初嫁のもてなしの行事内容を確認。
- 現地確認 現地確認(2026年7月、ATAWI TEMPLE編集部)
本堂、境内、ソテツ、参道周辺等を現地写真で確認。
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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