南部地区・現地痕跡未確認
萬勝寺
まんしょうじ
南部地区に所在する臨済宗妙心寺派の寺院です。公式名簿の基礎情報をもとに掲載しています。
別称・関連名称瑞芝山萬勝寺
- 寺院名
- 萬勝寺
- 地区
- 南部
- 住所
- 静岡県磐田市万正寺515番地
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 萬勝寺
- 読み方
- まんしょうじ
- 地区
- 南部
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
- ご本尊(資料上)
- 薬師如来(弘法大師の作と伝える。『静岡県磐田郡誌』による)
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市万正寺515番地
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
- 最終確認日
- 2026.07.19
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 萬勝寺
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
- 本尊
- 薬師如来(弘法大師の作と伝える。『静岡県磐田郡誌』による)
- 創建
- 文永5年(1268年)2月、南溟の開創(『静岡県磐田郡誌』による)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市万正寺515番地
- 地区
- 南部
Database 02
沿革
万正寺村と寺領の記録
『日本歴史地名大系』(コトバンク掲載)の万正寺村の項によれば、同村は旧豊田郡に属し、中野村の西、南は鮫島村、北は下岡田村に接していました。正保郷帳には村高319石余の幕府領として村名が見え、その内訳の中に「万正寺領三石余」が記録されています。この万正寺が現在の臨済宗妙心寺派萬勝寺にあたると同書は注記しています。元禄郷帳では村高は354石余に増加し、元禄12年(1699年)の青山忠重領知目録により浜松藩領となったことが確認できます。また『静岡県磐田郡誌』は、江戸時代の地誌『遠江国風土記伝』に「万正寺 朱符之寺田高十石六斗。薬師堂領也。曹洞宗小島村正眼院末。平僧住」とあることを引いた上で、「萬勝寺は、村名の如く万正なりしならむ。何れの時より今の如くなりしか詳かならず。本寺の名も亦風土記伝と合はず」と注記しており(同誌の本文は磐田郡社寺明細帳による)、寺号の表記や本末関係の記録に揺れがあったことが分かります。
『静岡県磐田郡誌』にみる沿革
『静岡県磐田郡誌』(1921年)の由緒には、萬勝寺は天龍村万正寺字本村に在り、妙心寺派で見付町見性寺の末寺、本尊は薬師如来で弘法大師の作と伝えることが記されています。開創は文永5年(1268年)2月の南溟によるもので、永正元年(1504年)4月に笠岩が中興しました。開創者と伝える南溟は、同誌で上岡田の大蔵寺(建治3年創建)の開創者としても記される僧です。明暦2年(1656年)2月24日には薬師堂領10石5斗を賜っています。安政元年(1854年)11月4日の地震では堂宇・伽藍がことごとく倒壊し、翌安政2年に仮堂を建てました。同誌の一覧表では山号は瑞芝山、1921年当時の境内地は819坪です。また同誌の神社の部によれば、万正寺字北市場の八王子神社(万正寺村の村社)は、明治維新以前は萬勝寺の朱印寺領の内から社殿の営繕や祭典の費用を賄っており、村の鎮守と当寺が一体的に維持されてきたことが分かります。
前住職・新羅実禅の救済事業
『静岡県磐田郡誌』の人物の章には、萬勝寺前住職・新羅実禅師の事績が収められています。実禅師は美濃国羽島郡北宿村(現岐阜県)の生まれで、明治維新期に中泉町で救院(困窮者救護施設)が設立された際に常務委員長を務め、貧民児童の撫育に尽力しました。明治2年(1869年)に朝廷から鰥寡孤独・廃疾者を憐れむべき旨の諭達が寺院にも出されると、師はこれを奉じて窮民を集めて薬を与え看護し、男性には草鞋作り、女性には裁縫や洗濯などの手業を身につけさせ、少年には読書や習字を教えたと記されます。この善行は「明治孝節録」にも収載され、同書は師を「遠江国豊田郡萬勝寺の住持」と記しています。師は布教のため土佐国を巡回中に示寂しました。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 薬師如来(弘法大師の作と伝える。『静岡県磐田郡誌』による)
- 宗教的意味
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9091
- 郷土資料万正寺村(まんしようじむら)とは? コトバンク(日本歴史地名大系)
遠江国豊田郡万正寺村の項で、正保郷帳の村高319石余(幕府領)・「万正寺領三石余」・万正寺が現臨済宗妙心寺派萬勝寺であること・元禄12年(1699年)浜松藩領を本文で確認。
- 民間二次情報萬勝寺(静岡県磐田駅)ホトカミ
臨済宗妙心寺派・磐田市万正寺515の所在情報を本文で確認(沿革記載なし)。
- 民間二次情報サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院一覧
萬勝寺が臨済宗妙心寺派・磐田市万正寺515番地に所在することを一覧本文で確認。
- 郷土資料『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)434コマ・414コマ・364コマ・698コマ
国立国会図書館デジタルコレクション。由緒(434コマ)に文永5年南溟開創・本尊薬師如来(伝弘法大師作)・明暦2年薬師堂領10石5斗・風土記伝との異同注記、一覧表(414コマ)に山号瑞芝山・境内819坪、神社の部(364コマ)に八王子神社の営繕を寺領から賄った記録、人物章(698コマ)に前住職新羅実禅の救済事業
- 宗派公式資料臨黄ネット 寺院検索(静岡県磐田市・妙心寺派)
一覧掲載のみ。寺名「萬勝寺(まんしょうじ)」・住所「万正寺515」を確認(台帳と一致)。本尊・由緒・行事欄は空欄。
- 民間二次情報万勝寺(まんしょうじ)|タイキグループ
境内墓地の一般墓所の価格帯情報。寺院公式情報ではない点に留意
最終更新日 2026.07.19
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保存済み写真
01
この寺院について
萬勝寺は磐田市万正寺にある臨済宗妙心寺派の寺院で、『静岡県磐田郡誌』(1921年)によれば山号は瑞芝山、見付の見性寺の末寺で、本尊は弘法大師作と伝える薬師如来です。同誌は鎌倉時代の文永5年(1268年)2月、南溟による開創と記します。町名「万正寺」は当寺と関わりが深く、『日本歴史地名大系』の万正寺村の項には正保郷帳に「万正寺(現臨済宗妙心寺派萬勝寺)領三石余」と記録されたことが記されています。
02
歴史と背景
万正寺村と寺領の記録
『日本歴史地名大系』(コトバンク掲載)の万正寺村の項によれば、同村は旧豊田郡に属し、中野村の西、南は鮫島村、北は下岡田村に接していました。正保郷帳には村高319石余の幕府領として村名が見え、その内訳の中に「万正寺領三石余」が記録されています。この万正寺が現在の臨済宗妙心寺派萬勝寺にあたると同書は注記しています。元禄郷帳では村高は354石余に増加し、元禄12年(1699年)の青山忠重領知目録により浜松藩領となったことが確認できます。また『静岡県磐田郡誌』は、江戸時代の地誌『遠江国風土記伝』に「万正寺 朱符之寺田高十石六斗。薬師堂領也。曹洞宗小島村正眼院末。平僧住」とあることを引いた上で、「萬勝寺は、村名の如く万正なりしならむ。何れの時より今の如くなりしか詳かならず。本寺の名も亦風土記伝と合はず」と注記しており(同誌の本文は磐田郡社寺明細帳による)、寺号の表記や本末関係の記録に揺れがあったことが分かります。
『静岡県磐田郡誌』にみる沿革
『静岡県磐田郡誌』(1921年)の由緒には、萬勝寺は天龍村万正寺字本村に在り、妙心寺派で見付町見性寺の末寺、本尊は薬師如来で弘法大師の作と伝えることが記されています。開創は文永5年(1268年)2月の南溟によるもので、永正元年(1504年)4月に笠岩が中興しました。開創者と伝える南溟は、同誌で上岡田の大蔵寺(建治3年創建)の開創者としても記される僧です。明暦2年(1656年)2月24日には薬師堂領10石5斗を賜っています。安政元年(1854年)11月4日の地震では堂宇・伽藍がことごとく倒壊し、翌安政2年に仮堂を建てました。同誌の一覧表では山号は瑞芝山、1921年当時の境内地は819坪です。また同誌の神社の部によれば、万正寺字北市場の八王子神社(万正寺村の村社)は、明治維新以前は萬勝寺の朱印寺領の内から社殿の営繕や祭典の費用を賄っており、村の鎮守と当寺が一体的に維持されてきたことが分かります。
前住職・新羅実禅の救済事業
『静岡県磐田郡誌』の人物の章には、萬勝寺前住職・新羅実禅師の事績が収められています。実禅師は美濃国羽島郡北宿村(現岐阜県)の生まれで、明治維新期に中泉町で救院(困窮者救護施設)が設立された際に常務委員長を務め、貧民児童の撫育に尽力しました。明治2年(1869年)に朝廷から鰥寡孤独・廃疾者を憐れむべき旨の諭達が寺院にも出されると、師はこれを奉じて窮民を集めて薬を与え看護し、男性には草鞋作り、女性には裁縫や洗濯などの手業を身につけさせ、少年には読書や習字を教えたと記されます。この善行は「明治孝節録」にも収載され、同書は師を「遠江国豊田郡萬勝寺の住持」と記しています。師は布教のため土佐国を巡回中に示寂しました。
03
文化財・見どころ
指定文化財、建築、仏像、石造物、古文書、境内の見どころを調査します。
05
檀家の営み・行事
年中行事・法要、檀家組織、地域との関わりを、寺院公式情報・公的資料から確認して加筆します。
06
写真で見る境内
07
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9091
- 郷土資料 万正寺村(まんしようじむら)とは? コトバンク(日本歴史地名大系)
遠江国豊田郡万正寺村の項で、正保郷帳の村高319石余(幕府領)・「万正寺領三石余」・万正寺が現臨済宗妙心寺派萬勝寺であること・元禄12年(1699年)浜松藩領を本文で確認。
- 民間二次情報 萬勝寺(静岡県磐田駅)ホトカミ
臨済宗妙心寺派・磐田市万正寺515の所在情報を本文で確認(沿革記載なし)。
- 民間二次情報 サーチ寺院 静岡県磐田市の寺院一覧
萬勝寺が臨済宗妙心寺派・磐田市万正寺515番地に所在することを一覧本文で確認。
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)434コマ・414コマ・364コマ・698コマ
国立国会図書館デジタルコレクション。由緒(434コマ)に文永5年南溟開創・本尊薬師如来(伝弘法大師作)・明暦2年薬師堂領10石5斗・風土記伝との異同注記、一覧表(414コマ)に山号瑞芝山・境内819坪、神社の部(364コマ)に八王子神社の営繕を寺領から賄った記録、人物章(698コマ)に前住職新羅実禅の救済事業
- 宗派公式資料 臨黄ネット 寺院検索(静岡県磐田市・妙心寺派)
一覧掲載のみ。寺名「萬勝寺(まんしょうじ)」・住所「万正寺515」を確認(台帳と一致)。本尊・由緒・行事欄は空欄。
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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