南部地区・現存

実際寺

じっさいじ

ページ充実度 標準 最終確認 2026.07.19

実際寺(じっさいじ)は、磐田市鮫島にある曹洞宗の寺院で、山号は真如山、本尊は阿弥陀如来と記録されています。『静岡県磐田郡誌』によれば天正の初め(1573年頃)に存祝という者が創めたと伝わり、上大之郷の十輪寺の末寺(可睡斎の孫末)でした。江戸時代には朱印2石の寺領と神明・天神両社の社領を預かった、遠州灘に近い海辺の村の寺です。

別称・関連名称真如山実際寺

寺院名
実際寺
地区
南部
住所
静岡県磐田市鮫島202番地
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
実際寺
読み方
じっさいじ
地区
南部
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
阿弥陀如来
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市鮫島202番地
Googleマップ
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寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
最終確認日
2026.07.19

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

実際寺の現地写真1
現地写真・本堂・堂宇
実際寺の現地写真2
境内全景
実際寺の現地写真3
入口・石標
実際寺の現地写真4
その他
実際寺の現地写真5
その他
実際寺の現地写真6
その他
宗派曹洞宗
創建・年代天正年間初頭(1573年頃)
本尊阿弥陀如来
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地南部・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
実際寺
宗派
曹洞宗
本尊
阿弥陀如来
創建
天正年間初頭(1573年頃)
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市鮫島202番地
地区
南部

Database 02

沿革

磐田郡誌が伝える由緒—天正の初めの創建

『静岡県磐田郡誌』(磐田郡教育会編、大正10年)の長野村実際寺の項によれば、寺は長野村鮫島(現磐田市鮫島)に在り、真如山と号し、天龍村十輪寺の末寺で、本尊は阿弥陀如来です。天正の初め、存祝という者がこれを創めたと伝えられます。開創者の存祝についての伝記的事項は確認できていませんが、天正年間(1573〜1592年)は遠州で徳川氏と武田氏の攻防が続いた時代であり、その渦中の海辺の村に寺が開かれたことになります。本寺の十輪寺はもと臨済宗から曹洞宗に改まった可睡斎の直末で、下大之郷の恵日寺、一色の智泉庵とともに、実際寺はその末寺の一つに数えられていました。

朱印2石と6通の朱印状—江戸時代の寺領

遠州の曹洞宗僧録司であった可睡斎の記録集『可睡斎史料集』第1巻(寺誌史料)には、実際寺が可睡斎孫末十輪寺末寺の遠江国豊田郡鮫島村の寺で、朱印2石の寺領と両社領2石の朱印を認められていたことが記されています。第5巻(僧録司記録1)には慶安2年(1649年)11月17日の大猷院(徳川家光)朱印状をはじめ、実際寺が朱印状6通を所持していたことが見えます。慶安2年は幕府が全国の寺社領朱印状を一斉に発給した年で、実際寺の寺領もこのとき「先規」を引き継いで公認されました。石高2石は小さな数字ですが、将軍の代替わりごとに朱印状が更新され続けたことは、幕府公認の寺として村に位置づけられていた証しです。

神明社・天神社と実際寺

『日本歴史地名大系』の鮫島村の項には、実際寺(現曹洞宗)領2石のほかに伊勢神明領1石・天神領1石が記されており、『可睡斎史料集』の「両社領2石」の記載と対応します。この両社の社領朱印を実際寺が所持していたことから、実際寺が神明社・天神社の別当的な位置(神社の祭祀を寺が管理する立場)にあったことがうかがえます。『静岡県磐田郡誌』の神社の部には、長野村鮫島字天神の天神社について、古老の伝説として慶長6年(1601年)2月に徳川氏の代官頭・伊奈備前守(忠次)から朱印高1石を下賜されたこと、文化年間(1804〜1818年)に再建され明治11年(1878年)に村社に列したことが記され、『遠江国風土記伝』にも「鮫島 神明社天神社 各朱符之神田高一石」と記録されています。明治の神仏分離で寺と神社は制度上切り離されましたが、江戸時代の鮫島では、寺が村の神々の世話役も務めていたのです。

鮫島村から磐田市南部へ

『日本歴史地名大系』によれば、江戸時代の鮫島村は南が遠州灘に面した村で、正保郷帳で高612石余、元禄郷帳で641石余、幕末の旧高旧領取調帳では762石余と、新田開発により石高を伸ばしました。はじめ幕府領で、元禄期からは旗本高木氏の領地となり幕末に至ります。享保8年(1723年)には浜新田の経営をめぐる入作百姓との係争も記録されており、海辺の新田開発とともに歩んだ村の歴史がうかがえます。『静岡県磐田郡誌』は、仿僧川(ぼうそうがわ)が前野・草崎などを経て鮫島の傍らを過ぎ、海に注いで舟を通じたことを記しています。明治22年(1889年)の町村制で鮫島は長野村の大字となり、昭和の合併を経て現在は磐田市鮫島となっています。実際寺は静岡県知事所轄宗教法人名簿に載る宗教法人として、この海辺の集落で祈りの場であり続けています。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
阿弥陀如来
宗教的意味
実際寺は、袋井・可睡斎の孫末(十輪寺末)として『可睡斎史料集』に記録された曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』が記す本尊は阿弥陀如来で、本寺十輪寺の延命地蔵菩薩、同じ十輪寺末の恵日寺・智泉庵の観音菩薩と、一門の中でそれぞれ異なる仏を本尊としてきました。江戸時代には村の神明社・天神社の社領朱印も預かっており、阿弥陀如来への信仰と村の神々への祈りが一つの寺で結ばれていた歴史を持ちます。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

実際寺のある鮫島は、磐田市南部の遠州灘に近い集落です。江戸時代の鮫島村は南が海に面し、正保郷帳の612石余から幕末には762石余へと石高を伸ばした、新田開発の進んだ村でした。享保8年(1723年)の浜新田をめぐる係争の記録は、海辺の土地を切り拓いて暮らしを立てた村人たちの営みを伝えています。村の北や西には仿僧川が流れて海に注ぎ、舟運の道となっていました。実際寺は、この海と川に挟まれた村で、天正の初め以来の法灯を守ってきました。大正10年(1921年)当時の『静岡県磐田郡誌』の記録では、鮫島は明治22年(1889年)に草崎・白拍子・前野・小島などとともに長野村を構成した大字の一つで、現在の磐田市南部地区にあたります。

鮫島の信仰の風景で特徴的なのは、寺と神社の深い結び付きです。実際寺は自らの朱印2石に加えて伊勢神明社・天神社の社領各1石の朱印を所持し、両社の別当的な立場にあったとみられます。天神社には慶長6年(1601年)に代官頭伊奈忠次から朱印を受けたという伝えが残り、明治11年(1878年)には村社に列しました。神仏分離を経た現在も、字天神の天神社と実際寺は同じ集落の中で祈りの場であり続けており、江戸時代に寺が村の神々を預かった記憶は、鮫島の地域史の大切な一頁となっています。寺領と社領を合わせて伝える記録は、村の祈りを一体で支えた姿を示しています。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9102

  2. 宗派公式資料実際寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータル)

    静岡県磐田市鮫島202の曹洞宗寺院として登録されていることを確認。歴史情報の掲載はなし

  3. 民間二次情報鮫島(磐田市) - Wikipedia

    鮫島地区の施設一覧に実際寺が記載されていることを確認(歴史記述はなし)

  4. 民間二次情報静岡県磐田市の寺院・御堂一覧(サーチ寺院)

    実際寺=磐田市鮫島202番地・曹洞宗(法人番号2080405005361)の記載を確認

  5. 郷土資料『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年)コマ454(実際寺の由緒)

    国立国会図書館デジタルコレクション・ログインなしで閲覧可能。全文検索で該当箇所を確認

  6. 学術資料『可睡斎史料集』第1巻(寺誌史料)コマ161・第4巻(僧録司文書3)コマ188・第5巻(僧録司記録1)コマ250(思文閣出版)

    国立国会図書館デジタルコレクション(館内限定)の全文検索スニペットで確認。朱印2石・両社領2石・慶安2年家光朱印など

  7. 郷土資料『日本歴史地名大系』鮫島村(コトバンク)

    実際寺(現曹洞宗)領2石・伊勢神明領1石・天神領1石を確認

最終更新日 2026.07.19

01

この寺院について

実際寺は磐田市鮫島202番地、遠州灘に近い磐田市南部の鮫島地区に位置する曹洞宗の寺院です。大正10年(1921年)刊『静岡県磐田郡誌』は、当時の所在を長野村鮫島と記し、真如山と号し、天龍村(現磐田市上大之郷)の十輪寺の末寺で、本尊は阿弥陀如来と伝えています。曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」にも磐田市鮫島202の寺院として登録されています。

創建について同誌は「天正の初、存祝といふ者之れを創めし」と伝えます。天正の初めは1573年頃、戦国時代の末期にあたります。本寺の十輪寺は袋井の可睡斎の直末であったため、実際寺は『可睡斎史料集』の寺誌史料に「可睡斎孫末十輪寺末寺」と記される、可睡斎一門の孫末寺として近世を歩みました。

江戸時代には朱印2石の寺領に加え、鮫島村の伊勢神明社・天神社の社領各1石の朱印も実際寺が所持しており、村の神社と寺が一体となった信仰の姿を伝えています。徳川家光の慶安2年(1649年)朱印状をはじめ6通の朱印状を所持したことも記録に残ります。現在も鮫島の地で法灯を守る寺院です。

02

歴史と背景

磐田郡誌が伝える由緒—天正の初めの創建

『静岡県磐田郡誌』(磐田郡教育会編、大正10年)の長野村実際寺の項によれば、寺は長野村鮫島(現磐田市鮫島)に在り、真如山と号し、天龍村十輪寺の末寺で、本尊は阿弥陀如来です。天正の初め、存祝という者がこれを創めたと伝えられます。開創者の存祝についての伝記的事項は確認できていませんが、天正年間(1573〜1592年)は遠州で徳川氏と武田氏の攻防が続いた時代であり、その渦中の海辺の村に寺が開かれたことになります。本寺の十輪寺はもと臨済宗から曹洞宗に改まった可睡斎の直末で、下大之郷の恵日寺、一色の智泉庵とともに、実際寺はその末寺の一つに数えられていました。

朱印2石と6通の朱印状—江戸時代の寺領

遠州の曹洞宗僧録司であった可睡斎の記録集『可睡斎史料集』第1巻(寺誌史料)には、実際寺が可睡斎孫末十輪寺末寺の遠江国豊田郡鮫島村の寺で、朱印2石の寺領と両社領2石の朱印を認められていたことが記されています。第5巻(僧録司記録1)には慶安2年(1649年)11月17日の大猷院(徳川家光)朱印状をはじめ、実際寺が朱印状6通を所持していたことが見えます。慶安2年は幕府が全国の寺社領朱印状を一斉に発給した年で、実際寺の寺領もこのとき「先規」を引き継いで公認されました。石高2石は小さな数字ですが、将軍の代替わりごとに朱印状が更新され続けたことは、幕府公認の寺として村に位置づけられていた証しです。

神明社・天神社と実際寺

『日本歴史地名大系』の鮫島村の項には、実際寺(現曹洞宗)領2石のほかに伊勢神明領1石・天神領1石が記されており、『可睡斎史料集』の「両社領2石」の記載と対応します。この両社の社領朱印を実際寺が所持していたことから、実際寺が神明社・天神社の別当的な位置(神社の祭祀を寺が管理する立場)にあったことがうかがえます。『静岡県磐田郡誌』の神社の部には、長野村鮫島字天神の天神社について、古老の伝説として慶長6年(1601年)2月に徳川氏の代官頭・伊奈備前守(忠次)から朱印高1石を下賜されたこと、文化年間(1804〜1818年)に再建され明治11年(1878年)に村社に列したことが記され、『遠江国風土記伝』にも「鮫島 神明社天神社 各朱符之神田高一石」と記録されています。明治の神仏分離で寺と神社は制度上切り離されましたが、江戸時代の鮫島では、寺が村の神々の世話役も務めていたのです。

鮫島村から磐田市南部へ

『日本歴史地名大系』によれば、江戸時代の鮫島村は南が遠州灘に面した村で、正保郷帳で高612石余、元禄郷帳で641石余、幕末の旧高旧領取調帳では762石余と、新田開発により石高を伸ばしました。はじめ幕府領で、元禄期からは旗本高木氏の領地となり幕末に至ります。享保8年(1723年)には浜新田の経営をめぐる入作百姓との係争も記録されており、海辺の新田開発とともに歩んだ村の歴史がうかがえます。『静岡県磐田郡誌』は、仿僧川(ぼうそうがわ)が前野・草崎などを経て鮫島の傍らを過ぎ、海に注いで舟を通じたことを記しています。明治22年(1889年)の町村制で鮫島は長野村の大字となり、昭和の合併を経て現在は磐田市鮫島となっています。実際寺は静岡県知事所轄宗教法人名簿に載る宗教法人として、この海辺の集落で祈りの場であり続けています。

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宗派と本尊を知る

実際寺は、袋井・可睡斎の孫末(十輪寺末)として『可睡斎史料集』に記録された曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』が記す本尊は阿弥陀如来で、本寺十輪寺の延命地蔵菩薩、同じ十輪寺末の恵日寺・智泉庵の観音菩薩と、一門の中でそれぞれ異なる仏を本尊としてきました。江戸時代には村の神明社・天神社の社領朱印も預かっており、阿弥陀如来への信仰と村の神々への祈りが一つの寺で結ばれていた歴史を持ちます。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

阿弥陀如来という仏さま

阿弥陀如来の「阿弥陀」は「量りしれない」という意味で、限りない光(無量光)と限りない命(無量寿)を備えた仏さまであることを表します。西方の極楽浄土の教主で、はるか昔、法蔵菩薩として修行していた時に48の願を立て、なかでも第18願では、念仏する者を必ず浄土に迎え取ると誓われたと経典に説かれています。

この誓いを頼りとして「南無阿弥陀仏」と称えるのがお念仏です。浄土宗や浄土真宗など念仏の教えに立つ宗派では阿弥陀如来を本尊と仰ぎ、仏壇の中央に絵像や木像でお迎えして、朝夕のお勤めで手を合わせます。本尊のお姿は、目に見えない救いのはたらきを、私たちに受け取りやすいよう姿かたちで表したものと受け止められています。

葬儀や年忌法要、お彼岸やお盆など、亡き人を偲ぶ場面で最も身近な仏さまでもあります。亡き人を浄土に迎え取り、残された私たちをも光の中で照らし続けてくださる。そのはたらきへの感謝とともに称えるのがお念仏だと受け止められています。

参考: よくあるご質問(浄土宗 公式サイト)ご本尊をお迎えする(真宗大谷派・東本願寺 公式サイト)阿弥陀如来の四十八願について(浄土宗 善想寺)

04

地域とのつながり

実際寺のある鮫島は、磐田市南部の遠州灘に近い集落です。江戸時代の鮫島村は南が海に面し、正保郷帳の612石余から幕末には762石余へと石高を伸ばした、新田開発の進んだ村でした。享保8年(1723年)の浜新田をめぐる係争の記録は、海辺の土地を切り拓いて暮らしを立てた村人たちの営みを伝えています。村の北や西には仿僧川が流れて海に注ぎ、舟運の道となっていました。実際寺は、この海と川に挟まれた村で、天正の初め以来の法灯を守ってきました。大正10年(1921年)当時の『静岡県磐田郡誌』の記録では、鮫島は明治22年(1889年)に草崎・白拍子・前野・小島などとともに長野村を構成した大字の一つで、現在の磐田市南部地区にあたります。

鮫島の信仰の風景で特徴的なのは、寺と神社の深い結び付きです。実際寺は自らの朱印2石に加えて伊勢神明社・天神社の社領各1石の朱印を所持し、両社の別当的な立場にあったとみられます。天神社には慶長6年(1601年)に代官頭伊奈忠次から朱印を受けたという伝えが残り、明治11年(1878年)には村社に列しました。神仏分離を経た現在も、字天神の天神社と実際寺は同じ集落の中で祈りの場であり続けており、江戸時代に寺が村の神々を預かった記憶は、鮫島の地域史の大切な一頁となっています。寺領と社領を合わせて伝える記録は、村の祈りを一体で支えた姿を示しています。

05

年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

寺院単独の公式サイトは確認できておらず、行事・法要の案内は公開資料からは確認できません。法事・お墓参りで訪れる際は、寺院関係者へ直接確認してください。

曹洞禅ナビの実際寺ページには公式ホームページ・SNSの存在を示すリンク項目がありますが、リンク先は未確認です。

調査中の項目
  • 年中行事(施餓鬼会・彼岸会等)の有無と日程、檀家の参列可否
  • 墓地・永代供養・納骨の受付状況と申し込み方法
  • 護持会・世話人会など檀家組織の有無と活動内容
  • 朱印状6通の現存状況
  • 駐車場の有無・台数

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

06

よくある質問

実際寺の読み方と山号は?

「じっさいじ」と読みます。山号は真如山で、磐田市鮫島にある曹洞宗の寺院です。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

曹洞宗で、『静岡県磐田郡誌』は本尊を阿弥陀如来と記しています。上大之郷の十輪寺の末寺で、系譜の上では袋井の可睡斎の孫末にあたります。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ建てられたお寺ですか?

『静岡県磐田郡誌』によれば、天正の初め(1573年頃)に存祝という者が創めたと伝えられます。開創者存祝の詳しい事績は確認できていません。

本文「歴史と背景」を読む
江戸時代はどんなお寺でしたか?

朱印2石の寺領を認められ、徳川家光の慶安2年(1649年)朱印状をはじめ6通の朱印状を所持したことが可睡斎の記録に残ります。あわせて村の神明社・天神社の社領各1石の朱印も預かっていました。

本文「歴史と背景」を読む
神社との関係があったのですか?

鮫島村の伊勢神明社・天神社の社領朱印を実際寺が所持しており、両社の別当的な位置にあったとみられます。天神社は慶長6年(1601年)に代官頭伊奈忠次から朱印を受けたと伝えられています。

本文「地域とのつながり」を読む
十輪寺の末寺とはどういう意味ですか?

江戸時代の寺院は本寺と末寺の系列に組み込まれており、実際寺は上大之郷の十輪寺を本寺としました。十輪寺は袋井の可睡斎の直末であったため、実際寺は可睡斎から見て孫末にあたります。同じ十輪寺末には下大之郷の恵日寺、一色の智泉庵がありました。

本文「歴史と背景」を読む
行事や墓地について知りたいのですが。

年中行事・墓地・永代供養の受付状況は公開資料からは確認できていません。寺院単独の公式サイトも確認できていないため、法事や供養の相談は寺院関係者へ直接確認してください。確認でき次第、このページに追記します。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む

07

写真で見る境内

実際寺の現地写真1
本堂・堂宇 実際寺の現地写真(1)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
実際寺の現地写真2
境内全景 実際寺の現地写真(2)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
実際寺の現地写真3
入口・石標 実際寺の現地写真(3)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
実際寺の現地写真4
その他 実際寺の現地写真(4)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
実際寺の現地写真5
その他 実際寺の現地写真(5)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
実際寺の現地写真6
その他 実際寺の現地写真(6)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
実際寺の現地写真7
その他 実際寺の現地写真(7)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
実際寺の現地写真8
その他 実際寺の現地写真(8)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
実際寺の現地写真9
その他 実際寺の現地写真(9)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。

08

出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9102。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 宗派公式資料 実際寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータル)

    静岡県磐田市鮫島202の曹洞宗寺院として登録されていることを確認。歴史情報の掲載はなし(2026年7月19日時点は同サイトがサーバー障害のため過去の確認記録を引き継ぎ)

  3. 民間二次情報 鮫島(磐田市) - Wikipedia

    鮫島地区の施設一覧に実際寺が記載されていることを確認(発見用の手掛かりとして使用。歴史記述の根拠にはしていない)

  4. 民間二次情報 静岡県磐田市の寺院・御堂一覧(サーチ寺院)

    実際寺=磐田市鮫島202番地・曹洞宗(法人番号2080405005361)の記載を確認

  5. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年)コマ454

    実際寺の由緒(長野村鮫島・真如山・天龍村十輪寺末・本尊阿弥陀如来・天正の初め存祝の創建)と、本寺十輪寺の由緒(可睡斎末・元臨済宗のち曹洞宗)を確認

  6. 学術資料 『可睡斎史料集』第1巻(寺誌史料)・第4巻(僧録司文書3)・第5巻(僧録司記録1)(思文閣出版)

    国立国会図書館デジタルコレクション(館内限定)の全文検索スニペットで確認。可睡斎孫末十輪寺末寺・朱印2石・両社領2石・慶安2年11月17日の家光朱印状・朱印状6通の記載

  7. 郷土資料 『日本歴史地名大系』鮫島村(コトバンク)

    実際寺(現曹洞宗)領2石・伊勢神明領1石・天神領1石、正保612石余→元禄641石余→幕末762石余の石高、幕府領から旗本高木領への変遷、享保8年の浜新田係争、南が遠州灘に面する位置を確認

  8. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年)コマ366

    長野村鮫島字天神の天神社の由緒(慶長6年2月の伊奈備前守による朱印高1石下賜の伝え・文化年中再建・明治11年村社列格)、『遠江国風土記伝』の「鮫島 神明社天神社 各朱符之神田高一石」の引用を確認

  9. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編(大正10年)コマ111

    仿僧川が長野村前野・白拍子・草崎・鮫島などを過ぎて海に注ぎ、下流で舟を通じたことを確認

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