南部地区・現存
定光寺
じょうこうじ
定光寺(じょうこうじ)は、磐田市前野にある曹洞宗の寺院で、山号は八王山、本尊は阿弥陀如来です。古くは真言宗の寺でしたが、慶長3年(1598年)に可睡斎18世により曹洞宗に改められたと伝わります。末寺の旧蓮華寺から受け継いだ市指定文化財・木造千手観音菩薩立像を守り、令和のクラウドファンディングによる大修復でも知られます。
- 寺院名
- 定光寺
- 地区
- 南部
- 住所
- 静岡県磐田市前野1773番地の1
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 定光寺
- 読み方
- じょうこうじ
- 地区
- 南部
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 調査中・加筆待ち
- ご本尊の現在の確認状況
- 未確認
- 住所
- 静岡県磐田市前野1773番地の1
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 公式サイトあり
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 市指定文化財あり(木造千手観音菩薩立像)
- 最終確認日
- 2026.07.19
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 定光寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 未確認
- 創建
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市前野1773番地の1
- 地区
- 南部
Database 02
沿革
開創から慶長の中興へ—真言宗から曹洞宗に
寺院公式サイトによれば、定光寺の開創年月日や開基は記録が残っておらず不明ですが、古くは真言宗を奉じていたと伝えられます。大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』も、長野村前野字山に在って八王山と号し、往古は真言宗であったと記しています。開創の地は現在地ではなく前野の字上下で、後に現在地へ移転しました。所在地の前野は、江戸時代には遠江国豊田郡前野村にあたり、『日本歴史地名大系』によれば仿僧川(ぼうそうがわ)右岸の沖積平野に開けた高643石余(正保郷帳)の幕府領の村でした。寺院公式サイトおよびクラウドファンディングの寺院紹介によれば、慶長3年(1598年)3月22日、袋井市久能の可睡斎18世・華亭豚秀和尚が中興開山となり、定光寺は真言宗から曹洞宗に改められました。可睡斎は徳川家康の帰依を受け、江戸時代には東海地方の曹洞宗寺院を統括する僧録司を務めた大寺で、『静岡県磐田郡誌』も定光寺を「周智郡久努西村可睡斎の末寺」と記し、可睡斎からの分派開山により「勅請綸旨頂戴の寺格」に列せられたと伝えています。磐田市南部では鮫島の実際寺(十輪寺末=可睡斎の孫末)など可睡斎系の寺が点在しており、定光寺もその一角を占めていました。
徳川家光の朱印12石9斗と江戸時代の定光寺
寺院公式サイトによれば、慶安元年(1648年)9月17日、3代将軍徳川家光から石高12石9斗の朱印を賜りました。慶安元年から2年にかけては幕府が全国の寺社領朱印状を一斉に発給した時期にあたり、磐田市南部でも袖浦村岡の聖寿寺が慶安元年9月17日に朱印高12石9斗余を受けるなど(『静岡県磐田郡誌』)、同日付の朱印状を受けた寺院が知られています。『日本歴史地名大系』の前野村の項にも、村内に定光寺(現曹洞宗)領が存在したことが記されており、江戸時代を通じて朱印地を持つ寺として村の中に位置づけられていたことが分かります。また、開創の地であった字上下から、3世元峰和尚の代(クラウドファンディングの寺院紹介では元禄10年・1697年)に現在地へ移転したと伝えられます。
末寺・蓮華寺と千手観音像の伝来
『静岡県磐田郡誌』には、定光寺の末寺として前野村内の2か寺が記録されています。ひとつは字上下にあった瑞雲山蓮華寺で、本尊は千手観世音菩薩、往古は真言宗と伝えられるものの文書が火災で失われ沿革不詳とされています。もうひとつは字五郎八前の月影山松長院で、本尊は釈迦牟尼如来、もとは周智郡の大洞院末でしたが遠隔のため定光寺の末に転じ、寛文6年(1666年)に定光寺2世存祝が分派開山として本堂を改築したと記されます。このうち蓮華寺は後に廃寺となり、その本尊であった千手観音菩薩像が定光寺に受け継がれました。中日新聞の報道によれば、旧蓮華寺は定光寺の西約300メートルにあったとされます。定光寺の開創地が蓮華寺と同じ字上下であったことも、両寺の深い縁を物語っています。
近現代の伽藍整備
寺院公式サイトによれば、昭和53年(1978年)に位牌堂、平成3年(1991年)に書院庫裡が建設され、平成20年(2008年)7月には老朽化した本堂が檀信徒および関係各位の協力により再建されました。本堂再建の際には、末寺数か寺の本尊も堂内西室に安座して再興されたと記されており、時代の中で姿を消していった末寺の仏たちを本寺が引き受け、その法灯を守り続けている様子がうかがえます。平成17年(2005年)11月21日には、旧蓮華寺伝来の木造千手観音菩薩立像が磐田市指定文化財(彫刻)となりました。また令和6年(2024年)12月には寺院公式サイトが開設され、由緒や供養に関する情報の発信が始まっています。
令和の千手観音大修復とクラウドファンディング
平成13年(2001年)の調査で千手観音像の脚部の腐敗・損傷が指摘されて以来、修復資金が課題となっていましたが、令和5年(2023年)、住職がクラウドファンディングサイトREADYFORで修復費の支援を呼びかけました。プロジェクトページで住職は、100年から150年の修理サイクルで受け継がれるべき仏像がすでに修理を要する時期に来ていること、脚部と台座の損傷で自立が不安定になっていることを説明し、「800年以上に亘って人々の祈りを受け止めて下さった観音様」を次の世代に伝えたいと訴えました。同年10月14日から12月3日には浜松市美術館の企画展「みほとけのキセキII―遠州・三河のしられざる祈り―」に修理前の像が出展され、多くの人の目に触れる機会となりました。支援は当初目標の300万円、ネクストゴールの450万円をいずれも上回る474万2,000円(支援者141人)に達し、修復費総額約600万円(修理見積597万3,000円)は磐田市の文化財修理補助金と檀家からの寄付をあわせて賄われました。修復は埼玉県さいたま市の吉備文化財修復所が担当し、令和6年度から令和7年度の2年間をかけて、部材の解体補強、失われた光背の復元、欠損した指先の補修、台座の作り替えなどが行われました。この取り組みは静岡新聞・中日新聞・テレビ静岡などでも報道されています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 未確認
- 宗教的意味
- 定光寺は、慶長3年(1598年)に可睡斎18世・華亭豚秀和尚を中興開山として真言宗から曹洞宗に改められたと伝わる、可睡斎ゆかりの寺院です。本尊は阿弥陀如来で、寺院公式サイトのほか大正10年(1921年)刊『静岡県磐田郡誌』にも「本尊は阿弥陀如来なり」と記されています。あわせて、旧末寺蓮華寺伝来の千手観音菩薩像を観音堂に祀り、磐田郡三十三観音霊場第7番札所(札所本尊は十一面観世音菩薩と伝わる)としての観音信仰の歴史も重ねてきました。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
木造千手観音菩薩立像
平安時代末から鎌倉時代初期の作とされる全長171センチメートルの菩薩立像で、この時期の菩薩立像は県西部では少ないとされ、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財となりました。中日新聞の報道によれば、ヒノキの寄木造で台座を含めた高さは189センチメートル、正面の合掌手や左右の脇手など計42本の手を持ちます。もとは末寺・蓮華寺の本尊で、廃寺後は定光寺の飛び地境内の観音堂に祀られてきました。令和6〜7年度にクラウドファンディングの支援を受けた大規模修復が行われています。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
定光寺のある前野は、磐田市南部を南北に流れる仿僧川(ぼうそうがわ)の右岸に開けた土地です。『日本歴史地名大系』によれば、江戸時代の前野村は高643石余の幕府領で、村内には定光寺領のほか西八王子領・東八王子領・長松院領などの寺社領があり、6人の庄屋が村を治めていました。『静岡県磐田郡誌』は、仿僧川が前野・白拍子・草崎・鮫島など旧長野村の村々を過ぎて海に注ぎ、舟を通じたことを記しており、定光寺はこの川筋の農村地帯で、蓮華寺・松長院という2つの末寺とともに人々の信仰を支えてきました。前野村は明治22年(1889年)の町村制で草崎・白拍子・鮫島などとともに長野村の大字となり、現在は磐田市南部地区にあたります。大正8年(1919年)に開創されたと伝わる磐田郡三十三観音霊場では第7番札所とされ、旧蓮華寺伝来の観音像を守る寺として、近隣の上大之郷の十輪寺(第2番)などとともに、地域の観音巡りの記憶にも名を連ねています。
令和5年(2023年)の千手観音像修復クラウドファンディングは、当寺と地域の結び付きをあらためて示す出来事となりました。READYFORのプロジェクトページには、インターネットからの支援に加えて、代理支援を通じた地域の人々の協力があったことが住職の言葉で記されています。また、市指定文化財の修復として磐田市の補助金と檀家からの寄付も充てられており、寺と檀家、行政、そして全国の支援者が力を合わせて一体の仏像を未来へ引き継いだ事例として、報道でも紹介されました。浜松市美術館での展示を通じて、前野の地で守られてきた観音像の存在が広く知られる機会にもなりました。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9101
- 行政・公的資料市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
木造千手観音菩薩立像(彫刻・平安時代〜鎌倉時代・所有者定光寺・平成17年11月21日指定・全長171cm・県西部で希少)をHTML原文で確認
- 寺院公式情報千手観音像 - 定光寺公式サイト
像がもと末寺蓮華寺の本尊で廃寺後に飛び地境内の観音堂に祀られたこと、平成13年調査で脚部の損傷が報告されたこと、クラウドファンディングにより令和6〜7年度に大規模修復を実施したことを本文で確認
- 宗派公式資料定光寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータル)
静岡県磐田市前野1773-1の曹洞宗寺院として登録されていることを確認
- 寺院公式情報定光寺公式サイト(トップページ)
曹洞宗・磐田市前野1773-1。クラウドファンディングの目標額達成(当初300万円・追加450万円)を確認
- 民間二次情報ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
第7番=八王山定光寺(曹洞宗・前野1773・御本尊阿弥陀如来/霊場御本尊十一面観世音菩薩)を確認。敷地の浄光寺(別寺院)ではなく前野の定光寺であることを住所で確認。
- 寺院公式情報永代供養 - 定光寺
永代供養の内容・条件(檀家不要、宗旨宗派不問、彼岸・お盆の法要実施)を確認
- 寺院公式情報寺院概要 - 定光寺
由緒・沿革・本堂再建時の壇信徒協力・末寺関係の記述を確認
- 寺院公式情報法事法要 - 定光寺
葬儀・法事の受付方針(お布施は「お気持ちで」)を確認、年中行事の記載はなし
- 寺院公式情報交通案内 - 定光寺
電車・車でのアクセス記載を確認、駐車場情報の明記はなし
最終更新日 2026.07.19
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この寺院について
定光寺は磐田市前野1773番地の1、市南部の平野部に位置する曹洞宗の寺院です。山号は八王山で、本尊として阿弥陀如来を祀ります。寺院公式サイトによれば開創の年月日や開基は不明ですが、古くは真言宗を奉じていたとされ、慶長3年(1598年)に袋井市久能の可睡斎18世・華亭豚秀和尚を中興開山として曹洞宗に改められました。江戸時代には徳川家光から石高12石9斗の朱印を受けた歴史を持ちます。
当寺を語るうえで欠かせないのが、平安時代末から鎌倉時代初期の作とされる木造千手観音菩薩立像です。もとは末寺であった蓮華寺の本尊で、蓮華寺の廃寺後は定光寺の飛び地境内の観音堂に祀られてきました。平成17年(2005年)に磐田市指定文化財となり、令和5年(2023年)から令和7年度にかけてはクラウドファンディングを活用した大規模修復が行われ、地域内外から多くの支援が寄せられました。
現在の定光寺は公式サイトを開設し、葬儀・法事の受付や、檀家にならなくても利用できる永代供養の案内など、供養に関する情報を公開しています。磐田郡三十三観音霊場の第7番札所としての歴史も伝えられており、前野の地で観音信仰と檀家の営みを受け継いでいます。なお、磐田市内の敷地(南御厨地区)には読みの近い浄光寺がありますが、別の寺院です。
02
歴史と背景
開創から慶長の中興へ—真言宗から曹洞宗に
寺院公式サイトによれば、定光寺の開創年月日や開基は記録が残っておらず不明ですが、古くは真言宗を奉じていたと伝えられます。大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』も、長野村前野字山に在って八王山と号し、往古は真言宗であったと記しています。開創の地は現在地ではなく前野の字上下で、後に現在地へ移転しました。所在地の前野は、江戸時代には遠江国豊田郡前野村にあたり、『日本歴史地名大系』によれば仿僧川(ぼうそうがわ)右岸の沖積平野に開けた高643石余(正保郷帳)の幕府領の村でした。寺院公式サイトおよびクラウドファンディングの寺院紹介によれば、慶長3年(1598年)3月22日、袋井市久能の可睡斎18世・華亭豚秀和尚が中興開山となり、定光寺は真言宗から曹洞宗に改められました。可睡斎は徳川家康の帰依を受け、江戸時代には東海地方の曹洞宗寺院を統括する僧録司を務めた大寺で、『静岡県磐田郡誌』も定光寺を「周智郡久努西村可睡斎の末寺」と記し、可睡斎からの分派開山により「勅請綸旨頂戴の寺格」に列せられたと伝えています。磐田市南部では鮫島の実際寺(十輪寺末=可睡斎の孫末)など可睡斎系の寺が点在しており、定光寺もその一角を占めていました。
徳川家光の朱印12石9斗と江戸時代の定光寺
寺院公式サイトによれば、慶安元年(1648年)9月17日、3代将軍徳川家光から石高12石9斗の朱印を賜りました。慶安元年から2年にかけては幕府が全国の寺社領朱印状を一斉に発給した時期にあたり、磐田市南部でも袖浦村岡の聖寿寺が慶安元年9月17日に朱印高12石9斗余を受けるなど(『静岡県磐田郡誌』)、同日付の朱印状を受けた寺院が知られています。『日本歴史地名大系』の前野村の項にも、村内に定光寺(現曹洞宗)領が存在したことが記されており、江戸時代を通じて朱印地を持つ寺として村の中に位置づけられていたことが分かります。また、開創の地であった字上下から、3世元峰和尚の代(クラウドファンディングの寺院紹介では元禄10年・1697年)に現在地へ移転したと伝えられます。
末寺・蓮華寺と千手観音像の伝来
『静岡県磐田郡誌』には、定光寺の末寺として前野村内の2か寺が記録されています。ひとつは字上下にあった瑞雲山蓮華寺で、本尊は千手観世音菩薩、往古は真言宗と伝えられるものの文書が火災で失われ沿革不詳とされています。もうひとつは字五郎八前の月影山松長院で、本尊は釈迦牟尼如来、もとは周智郡の大洞院末でしたが遠隔のため定光寺の末に転じ、寛文6年(1666年)に定光寺2世存祝が分派開山として本堂を改築したと記されます。このうち蓮華寺は後に廃寺となり、その本尊であった千手観音菩薩像が定光寺に受け継がれました。中日新聞の報道によれば、旧蓮華寺は定光寺の西約300メートルにあったとされます。定光寺の開創地が蓮華寺と同じ字上下であったことも、両寺の深い縁を物語っています。
近現代の伽藍整備
寺院公式サイトによれば、昭和53年(1978年)に位牌堂、平成3年(1991年)に書院庫裡が建設され、平成20年(2008年)7月には老朽化した本堂が檀信徒および関係各位の協力により再建されました。本堂再建の際には、末寺数か寺の本尊も堂内西室に安座して再興されたと記されており、時代の中で姿を消していった末寺の仏たちを本寺が引き受け、その法灯を守り続けている様子がうかがえます。平成17年(2005年)11月21日には、旧蓮華寺伝来の木造千手観音菩薩立像が磐田市指定文化財(彫刻)となりました。また令和6年(2024年)12月には寺院公式サイトが開設され、由緒や供養に関する情報の発信が始まっています。
令和の千手観音大修復とクラウドファンディング
平成13年(2001年)の調査で千手観音像の脚部の腐敗・損傷が指摘されて以来、修復資金が課題となっていましたが、令和5年(2023年)、住職がクラウドファンディングサイトREADYFORで修復費の支援を呼びかけました。プロジェクトページで住職は、100年から150年の修理サイクルで受け継がれるべき仏像がすでに修理を要する時期に来ていること、脚部と台座の損傷で自立が不安定になっていることを説明し、「800年以上に亘って人々の祈りを受け止めて下さった観音様」を次の世代に伝えたいと訴えました。同年10月14日から12月3日には浜松市美術館の企画展「みほとけのキセキII―遠州・三河のしられざる祈り―」に修理前の像が出展され、多くの人の目に触れる機会となりました。支援は当初目標の300万円、ネクストゴールの450万円をいずれも上回る474万2,000円(支援者141人)に達し、修復費総額約600万円(修理見積597万3,000円)は磐田市の文化財修理補助金と檀家からの寄付をあわせて賄われました。修復は埼玉県さいたま市の吉備文化財修復所が担当し、令和6年度から令和7年度の2年間をかけて、部材の解体補強、失われた光背の復元、欠損した指先の補修、台座の作り替えなどが行われました。この取り組みは静岡新聞・中日新聞・テレビ静岡などでも報道されています。
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文化財・見どころ
木造千手観音菩薩立像
平安時代末から鎌倉時代初期の作とされる全長171センチメートルの菩薩立像で、この時期の菩薩立像は県西部では少ないとされ、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財となりました。中日新聞の報道によれば、ヒノキの寄木造で台座を含めた高さは189センチメートル、正面の合掌手や左右の脇手など計42本の手を持ちます。もとは末寺・蓮華寺の本尊で、廃寺後は定光寺の飛び地境内の観音堂に祀られてきました。令和6〜7年度にクラウドファンディングの支援を受けた大規模修復が行われています。
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宗派と本尊を知る
定光寺は、慶長3年(1598年)に可睡斎18世・華亭豚秀和尚を中興開山として真言宗から曹洞宗に改められたと伝わる、可睡斎ゆかりの寺院です。本尊は阿弥陀如来で、寺院公式サイトのほか大正10年(1921年)刊『静岡県磐田郡誌』にも「本尊は阿弥陀如来なり」と記されています。あわせて、旧末寺蓮華寺伝来の千手観音菩薩像を観音堂に祀り、磐田郡三十三観音霊場第7番札所(札所本尊は十一面観世音菩薩と伝わる)としての観音信仰の歴史も重ねてきました。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
阿弥陀如来という仏さま
阿弥陀如来の「阿弥陀」は「量りしれない」という意味で、限りない光(無量光)と限りない命(無量寿)を備えた仏さまであることを表します。西方の極楽浄土の教主で、はるか昔、法蔵菩薩として修行していた時に48の願を立て、なかでも第18願では、念仏する者を必ず浄土に迎え取ると誓われたと経典に説かれています。
この誓いを頼りとして「南無阿弥陀仏」と称えるのがお念仏です。浄土宗や浄土真宗など念仏の教えに立つ宗派では阿弥陀如来を本尊と仰ぎ、仏壇の中央に絵像や木像でお迎えして、朝夕のお勤めで手を合わせます。本尊のお姿は、目に見えない救いのはたらきを、私たちに受け取りやすいよう姿かたちで表したものと受け止められています。
葬儀や年忌法要、お彼岸やお盆など、亡き人を偲ぶ場面で最も身近な仏さまでもあります。亡き人を浄土に迎え取り、残された私たちをも光の中で照らし続けてくださる。そのはたらきへの感謝とともに称えるのがお念仏だと受け止められています。
参考: よくあるご質問(浄土宗 公式サイト)/ご本尊をお迎えする(真宗大谷派・東本願寺 公式サイト)/阿弥陀如来の四十八願について(浄土宗 善想寺)
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地域とのつながり
定光寺のある前野は、磐田市南部を南北に流れる仿僧川(ぼうそうがわ)の右岸に開けた土地です。『日本歴史地名大系』によれば、江戸時代の前野村は高643石余の幕府領で、村内には定光寺領のほか西八王子領・東八王子領・長松院領などの寺社領があり、6人の庄屋が村を治めていました。『静岡県磐田郡誌』は、仿僧川が前野・白拍子・草崎・鮫島など旧長野村の村々を過ぎて海に注ぎ、舟を通じたことを記しており、定光寺はこの川筋の農村地帯で、蓮華寺・松長院という2つの末寺とともに人々の信仰を支えてきました。前野村は明治22年(1889年)の町村制で草崎・白拍子・鮫島などとともに長野村の大字となり、現在は磐田市南部地区にあたります。大正8年(1919年)に開創されたと伝わる磐田郡三十三観音霊場では第7番札所とされ、旧蓮華寺伝来の観音像を守る寺として、近隣の上大之郷の十輪寺(第2番)などとともに、地域の観音巡りの記憶にも名を連ねています。
令和5年(2023年)の千手観音像修復クラウドファンディングは、当寺と地域の結び付きをあらためて示す出来事となりました。READYFORのプロジェクトページには、インターネットからの支援に加えて、代理支援を通じた地域の人々の協力があったことが住職の言葉で記されています。また、市指定文化財の修復として磐田市の補助金と檀家からの寄付も充てられており、寺と檀家、行政、そして全国の支援者が力を合わせて一体の仏像を未来へ引き継いだ事例として、報道でも紹介されました。浜松市美術館での展示を通じて、前野の地で守られてきた観音像の存在が広く知られる機会にもなりました。
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年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
葬儀・法事は寺院公式サイトで受け付けの案内があり、お布施については「お気持ちで」と案内されています。日程等は寺院へ直接相談してください。
後継者がいない人に向けた永代供養が用意されており、檀家になる必要はなく、宗旨宗派を問わず、年会費・管理費もかからないと公式サイトは案内しています。生前予約も可能で、彼岸・お盆には曹洞宗の作法に基づく法要が営まれます。
公式サイトの交通案内ページに駐車場についての明記はありません。車で訪れる場合は事前に寺院へ確認してください。
- 施餓鬼会・彼岸会など年中行事の具体的な名称と日程(公式サイトの法事法要ページには記載がなく、寺院への確認が必要な調査中の項目です)
- 護持会・世話人会など檀家組織の正式名称と活動内容
- 修復を終えた千手観音像の今後の安置場所と、檀家・地域住民への公開の予定
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
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よくある質問
- 定光寺の読み方と山号は?
-
「じょうこうじ」と読みます。山号は八王山で、磐田市前野にある曹洞宗の寺院です。市内敷地(南御厨地区)の浄光寺とは別の寺院です。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
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曹洞宗で、本尊は阿弥陀如来です。古くは真言宗でしたが、慶長3年(1598年)に可睡斎18世・華亭豚秀和尚を中興開山として曹洞宗に改められたと伝わります。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ建てられたお寺ですか?
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開創の年月日や開基は記録が残っておらず不明です。確認できる歴史は、慶長3年(1598年)の曹洞宗への改宗以降で、慶安元年(1648年)には徳川家光から12石9斗の朱印を受けました。
本文「歴史と背景」を読む - 千手観音像はどんな仏像ですか?
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平安時代末から鎌倉時代初期の作とされる全長171センチメートルの木造千手観音菩薩立像で、磐田市指定文化財です。もとは末寺・蓮華寺の本尊で、廃寺後は定光寺の飛び地境内の観音堂に祀られてきました。
本文「文化財・見どころ」を読む - クラウドファンディングでは何が行われたのですか?
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令和5年(2023年)に千手観音像の修復費を募り、支援総額474万2,000円(141人)が集まりました。令和6〜7年度に吉備文化財修復所による解体補強・光背復元などの大規模修復が行われました。
本文「歴史と背景」を読む - 永代供養はお願いできますか?
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公式サイトによれば、檀家になる必要はなく、宗旨宗派を問わず利用でき、年会費・管理費はかかりません。生前予約も可能で、彼岸・お盆には曹洞宗の作法で法要が営まれます。詳細は寺院へ確認してください。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む - 札所になっていますか?
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磐田郡三十三観音霊場の第7番札所と伝えられています。同霊場は大正8年(1919年)開創とされ、札所本尊は十一面観世音菩薩と記録されています。
本文「宗派と本尊」を読む - 末寺はありますか?
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『静岡県磐田郡誌』には前野村内の蓮華寺と松長院が末寺として記録されています。蓮華寺は廃寺となり、その本尊の千手観音像を定光寺が受け継ぎました。平成20年(2008年)の本堂再建時には末寺数か寺の本尊も堂内西室に安座されています。
本文「歴史と背景」を読む
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写真で見る境内
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出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9101。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 寺院公式情報 寺院概要 - 定光寺公式サイト
山号八王山・本尊阿弥陀如来・開創不明・慶長3年の可睡斎18世華亭豚秀による中興と曹洞宗改宗・慶安元年9月17日の家光朱印12石9斗・字上下から3世元峰代の現在地移転・位牌堂(昭和53年)・書院庫裡(平成3年)・本堂再建(平成20年7月)と末寺本尊の安座を確認
- 寺院公式情報 千手観音像 - 定光寺公式サイト
像がもと末寺蓮華寺の本尊で廃寺後に飛び地境内の観音堂に祀られたこと、平成13年調査での脚部損傷指摘、令和6〜7年度の吉備文化財修復所による修復実施を確認
- 寺院公式情報 定光寺公式サイト(トップページ)
曹洞宗・磐田市前野1773-1、住職名、クラウドファンディングの当初目標300万円・ネクストゴール450万円の達成報告を確認
- 寺院公式情報 永代供養 - 定光寺公式サイト
永代供養の内容・条件(檀家不要、宗旨宗派不問、年会費・管理費なし、生前予約可、彼岸・盆の法要実施)を確認
- 寺院公式情報 法事法要 - 定光寺公式サイト
葬儀・法事の受付方針(お布施は「お気持ちで」)を確認。年中行事の記載はなし
- 寺院公式情報 交通案内 - 定光寺公式サイト
電車・車でのアクセス記載を確認。駐車場情報の明記はなし
- 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
木造千手観音菩薩立像(彫刻・平安時代〜鎌倉時代・所有者定光寺・平成17年11月21日指定・全長171cm・県西部で希少)を確認
- 宗派公式資料 定光寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式寺院ポータル)
静岡県磐田市前野1773-1の曹洞宗寺院として登録されていることを確認(2026年7月19日時点は同サイトがサーバー障害のため過去の確認記録を引き継ぎ)
- 民間二次情報 ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
第7番=八王山定光寺(曹洞宗・前野1773・御本尊阿弥陀如来/霊場御本尊十一面観世音菩薩)、霊場の大正8年開創を確認。敷地の浄光寺(別寺院)ではなく前野の定光寺であることを住所で確認
- 寺院公式情報 READYFOR「平安時代末期|磐田市定光寺の木造千手観音像修理にご支援を」
寺院自身によるプロジェクトページ。支援総額474万2,000円・支援者141人・募集終了2023年12月5日、修理見積597万3,000円、磐田市補助金と檀家寄付による補填、浜松市美術館「みほとけのキセキII」出展(2023年10月14日〜12月3日)、寺院紹介文の元禄10年移転の記述を確認
- 報道 中日新聞しずおかWeb「CFで『千手観音像』修復支援を募る 磐田市・定光寺住職」
像が平安末ごろ推定・ヒノキ寄木造・台座含め高さ189cm・計42本の手、旧蓮華寺が定光寺の西約300mにあったこと、修復費約600万円を確認
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)コマ455-456
国立国会図書館デジタルコレクション。定光寺の由緒(長野村前野字山・八王山・可睡斎末・本尊阿弥陀如来・往古真言宗・可睡斎18世華亭による分派開山・勅請綸旨頂戴の寺格)、末寺蓮華寺(瑞雲山・字上下・本尊千手観世音菩薩・沿革不詳)・松長院(月影山・字五郎八前・寛文6年に定光寺2世存祝が分派開山)の由緒を確認
- 郷土資料 『日本歴史地名大系』前野村(コトバンク)
前野村が仿僧川右岸の沖積平野に位置する高643石余の幕府領で、村内に定光寺(現曹洞宗)領・八王子領・長松院領があり、庄屋6人が置かれていたことを確認
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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