南部地区・現存

壽正寺

じゅしょうじ

ページ充実度 充実 最終確認 2026.07.19

壽正寺(じゅしょうじ)は、磐田市草崎にある曹洞宗の寺院で、山号は瑞応山、本尊は聖観世音菩薩と記録されています。寺伝では平重盛の建立と伝わり、文明14年(1482年)に如海が再興したとされます。江戸時代には観音堂領8石2斗余の朱印地を有した、草崎の曹洞宗寺院群を代表する古い由緒を持つ寺です。

別称・関連名称瑞応山

寺院名
壽正寺
地区
南部
住所
静岡県磐田市草崎691番地の1
宗派
曹洞宗

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
壽正寺
読み方
じゅしょうじ
地区
南部
宗派
曹洞宗
ご本尊(資料上)
聖観世音菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市草崎691番地の1
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寺院公式サイト
未確認
電話番号
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法要・参拝情報
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駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
慶安2年(1649年)の観音堂領朱印状(写)/本尊聖観世音菩薩と観音堂の記憶
最終確認日
2026.07.19

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

壽正寺の現地写真1
現地写真・本堂・堂宇
壽正寺の現地写真2
境内全景
壽正寺の現地写真3
入口・石標
壽正寺の現地写真4
その他
壽正寺の現地写真5
その他
壽正寺の現地写真6
その他
宗派曹洞宗
創建・年代寺伝では平安時代末期(平重盛の建立と伝える)。文明14年(1482年)に如海が再興
本尊聖観世音菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地南部・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
壽正寺
宗派
曹洞宗
本尊
聖観世音菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
創建
寺伝では平安時代末期(平重盛の建立と伝える)。文明14年(1482年)に如海が再興
開山
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開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市草崎691番地の1
地区
南部

Database 02

沿革

平重盛建立の寺伝と六所神社の伝承

『静岡県磐田郡誌』の壽正寺の項は、寺伝として「平重盛の建立にして七堂伽藍ありし」と記します。この重盛伝承は寺だけのものではありません。同誌の神社の部には、草崎の六所神社(六所森鎮座)について「当村壽正寺は小松内大臣重盛より寺領三百石を賜はりしが、安元の年度、常社を其の領内の山林へ鎮座せり」という伝えが収められており、平安時代末の安元年間(1175〜1177年)に壽正寺の寺領内へ神社が鎮座したと語り継がれてきたことが分かります。壽正寺の旧地字「六所前」の名も、この六所神社の前という意味に解せます。草崎の地が嘉応3年(1171年)の松尾大社文書に池田庄の郷名「草前郷」として現れる平氏全盛期の土地であること、また磐田市南部の旧十束村中島の蓮覚寺にも「小松内府」(重盛)が一国三箇寺の一つとして建てたという寺伝が残ることは、天竜川下流域に重盛ゆかりの伝承が分布していたことを示しており、壽正寺の寺伝もその一つに数えられます。もっとも、これらはいずれも伝承であり、確実な史料で裏づけられるわけではありません。

文明14年の再興と聖寿寺の末へ

寺伝で確かな時代の手がかりとなるのは、文明14年(1482年)2月に如海師が再興したという『静岡県磐田郡誌』の記述です。室町時代後期にあたるこの再興以降、壽正寺は袖浦村岡の聖寿寺の末寺として歩みました。本寺の聖寿寺は、同誌によれば文明10年(1478年)開創で「岡本山聖寿軒」を起源とし、小笠郡奥野(現掛川市)の長松院の末寺ながら、小本寺として門末24か寺を従えた地域の有力寺院です。江戸時代後期の地誌『遠江国風土記伝』(内山真竜)も草崎村の寺院を「曹洞宗、聖壽寺の末、平僧住す」と記しており、住持が代々「平僧」(格式を持たない僧)であったこと、すなわち本寺聖寿寺の統率下にある末寺として近世を通じて存続したことがうかがえます。なお、壽正寺(じゅしょうじ)と本寺の聖寿寺(しょうじゅじ)は名前が似ていますが別の寺院です。

観音堂領8石2斗余—幕府朱印状に見える近世の壽正寺

壽正寺は江戸時代を通じて観音堂領の朱印地を有していました。『細江町史 資料編7』(1987年)所収の慶安2年(1649年)8月17日付朱印状には「遠江国豊田郡草崎郷寿正寺観音堂領同村之内八石弐斗余事、任先規寄附之訖、全可収納」とあり、3代将軍徳川家光の代に先規に任せて8石2斗余が寄附されたことが分かります。『遠江国風土記伝』も「觀音堂壽正寺、朱符之寺田高八石貳斗(余)」と記し、磐田市誌編纂室『元禄高帳による元禄期遠江国石高表』(1976年)では草崎村663石余のうち8石2斗8升8合が寿正寺観音(堂領)とされています。また『可睡斎史料集』の僧録司記録にも、豊田郡草崎村の平僧寺として朱印8石2斗余の寿正寺が記載されており、遠州曹洞宗の僧録であった可睡斎の管下で朱印を認められた平僧寺として位置づけられていました。清水秀明編著『東海道見付宿の助郷』(1990年)も草崎村の項で寺領8石2斗8升8合の曹洞宗寿正寺の存在を記しています。本尊が聖観世音菩薩であることと観音堂領の朱印はひとつながりで、観音信仰が当寺の中心にあったことを物語ります。

草崎の曹洞宗寺院群のなかで

『静岡県磐田郡誌』によれば、草崎には壽正寺(字六所前)のほか、湯沢山光嚴寺(字中村・慶長10年開創)、宝喜山萬然寺(字中雨垂・慶長18年一寺化)、無量山徳源庵(字花の木・元和2年開創)、慈眼山良照庵(字駒田原・寛永元年開創)が並び、いずれも聖寿寺の歴代住持の弟子たちによって慶長から寛永にかけて開かれた聖寿寺末の寺庵です。この中で壽正寺だけが中世に遡る再興伝承と朱印地を持ち、一村5か寺の筆頭格として観音堂領を守ってきました。『磐田の民俗』(磐田市誌シリーズ第7冊、1984年)は草崎地区の5か寺がすべて曹洞宗であると記しており、江戸時代に形づくられた村と寺の関係が近代以降も続いてきたことが分かります。

近代以降—長野村から磐田市南部へ

明治22年(1889年)の町村制で草崎村は前野・白拍子・鮫島などとともに長野村の大字となり、昭和の合併を経て現在は磐田市草崎となっています。明治23年(1890年)には、駒田原の若宮八幡宮の社地に草崎村内の7社を合併して七社神社が成立し、壽正寺ゆかりの六所神社や、旧地字の天白神社(六所前鎮座)もこれに合祀されました。『静岡県磐田郡誌』に記録された六所神社の由緒によれば、同社は慶長6年(1601年)の検地で境内外除地となり、寛永11年(1634年)の本宮再建、寛文11年(1671年)の高1石2斗3升の除地認定、天保11年(1840年)の再建を経て明治13年(1880年)に村社に列しており、壽正寺の寺伝と結び付いた神社が近世を通じて村に守られてきたことが分かります。寺の周りの信仰の風景は明治以降変わりましたが、『寺院大鑑 東海・北陸篇』(1982年)にも草崎691の現在地で掲載されており、壽正寺は静岡県知事所轄宗教法人名簿に載る宗教法人として、また曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」に登録された寺院として、草崎の地で法灯を守り続けています。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
聖観世音菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
宗教的意味
壽正寺は袖浦村岡の聖寿寺を本寺とする曹洞宗の寺院で、『静岡県磐田郡誌』は本尊を聖観世音菩薩と記しています。江戸時代の朱印地が「観音堂領」の名目で認められ、地誌にも「観音堂壽正寺」と記されたように、当寺の歴史は観音信仰と分かちがたく結び付いてきました。平重盛建立という寺伝から幕府朱印状まで、時代を貫いて観音菩薩が祈りの中心にあり続けた寺です。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

記録に残る文化遺産

慶安2年(1649年)の観音堂領朱印状(写)

徳川家光の代の慶安2年(1649年)8月17日付で、草崎郷寿正寺観音堂領8石2斗余を先規に任せて寄附する旨を記した朱印状です。その写しが『細江町史 資料編7』(1987年)に収録されており、『遠江国風土記伝』や元禄期の石高帳、可睡斎の僧録司記録にも対応する記載が確認できます。原本の現存状況は確認できていません。

郡誌・地誌の記録

本尊聖観世音菩薩と観音堂の記憶

『静岡県磐田郡誌』は壽正寺の本尊を聖観世音菩薩と記し、江戸時代の朱印地も「観音堂領」として認められていました。地誌『遠江国風土記伝』も「觀音堂壽正寺」と観音堂を寺名に冠して記しており、草崎における観音信仰の中心地であったことを伝えます。現在の観音堂・本尊の安置状況は現地確認が取れていません。

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

壽正寺のある草崎は、磐田市南部を流れる仿僧川(ぼうそうがわ)の西岸に開けた土地です。『日本歴史地名大系』によれば、嘉応3年(1171年)の池田庄立券状写(松尾大社文書)に庄内の郷名「草前郷」として見える古い土地で、当時の郷は田7町6段余・畠15町5段余・在家3宇から構成されていました。江戸時代の草崎村は正保郷帳で高515石余の幕府領、元禄期には663石余となり、そのうち8石2斗余が壽正寺観音堂領でした。『静岡県磐田郡誌』は、仿僧川が前野・白拍子・草崎・鮫島など旧長野村の村々を過ぎて海に注ぎ、舟を通じたことを記しており、壽正寺はこの川筋の農村で観音堂領を守りながら、村の祈りの中心であり続けました。

村の信仰の記憶は、地名と神社にも刻まれています。壽正寺の旧地字「六所前」は、寺伝で壽正寺の寺領内に鎮座したと伝わる六所神社(六所森)の前に由来すると解され、同じ六所前には天白神社も祀られていました。これらの神社は明治23年(1890年)に村内7社を合併した七社神社に引き継がれ、寺と神社が一体となって守られてきた草崎の信仰の風景を今に伝えています。草崎の5か寺(壽正寺・光嚴寺・萬然寺・徳源庵・良照庵)はすべて曹洞宗で、その中で最も古い由緒を伝える壽正寺は、平重盛伝承から朱印地の記録まで、草崎という土地の記憶を最も長く預かってきた寺といえます。また、隣の白拍子には、平重衡の死後にその世話をした白拍子の千手前が蟄居したことに村名が由来するという伝えがあり(『日本歴史地名大系』)、草崎の重盛伝承とあわせて、この一帯に平家ゆかりの伝承が重なり合って残されてきたことがうかがえます。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9113

  2. 郷土資料静岡県磐田郡誌(磐田郡教育会編、大正10年)寺院由緒「壽正寺(長野村)」

    国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開・保護期間満了)コマ455

  3. 郷土資料細江町史 資料編7(1987年)慶安2年8月17日朱印状

    NDLデジタルコレクション全文検索スニペットで本文確認

  4. 郷土資料遠江国風土記伝(内山真竜、郁文舎、明治33年刊本)草崎の項

    NDL全文検索スニペット「觀音堂壽正寺、朱符之寺田高八石貳」

  5. 郷土資料元禄高帳による元禄期遠江国石高表(磐田市誌編纂室、1976年)

    草崎村663.056石・8.288石寿正寺観音堂領

  6. 郷土資料可睡斎史料集 第5巻 僧録司記録1(思文閣出版、1998年)

    「平僧寺遠江国豊田郡草崎村御朱印八石弐斗余寿正寺」

  7. 郷土資料磐田の民俗(磐田市誌シリーズ第7冊、1984年)

    草崎の5か寺すべて曹洞宗との記述

  8. 郷土資料寺院大鑑 東海・北陸篇(久遠出版、1982年)

    寿正寺 草崎691 掲載

  9. 宗派公式資料曹洞禅ナビ 磐田市寺院一覧

    公式一覧で名称・住所(〒438-0067 磐田市草崎691-1)を確認し当該寺と同定。磐田市内にはもう1か寺同名の壽正寺(index_221000)が登録されており混同注意。一覧上にコンテンツ登録アイコン・写真なし=掲載は基本情報のみとみられる。詳細ページ本体はサーバー障害で未取得

最終更新日 2026.07.19

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この寺院について

壽正寺は磐田市草崎691番地の1、市南部の平野部に位置する曹洞宗の寺院です。大正10年(1921年)刊『静岡県磐田郡誌』は、当時の所在を長野村草崎字六所前と記し、瑞応山と号し、袖浦村(現磐田市岡)の聖寿寺の末寺で、本尊は聖観世音菩薩と伝えています。寺号は「壽正寺」「寿正寺」の両表記が資料に見え、静岡県知事所轄宗教法人名簿には磐田市内の宗教法人として掲載されています。

寺伝によれば、当寺は平清盛の嫡男で小松内大臣と呼ばれた平重盛の建立で、かつては七堂伽藍を備えていたとされ、文明14年(1482年)2月に如海師が再興したと伝えられます。江戸時代には観音堂領として8石2斗余の朱印地を認められ、幕府の朱印状や『遠江国風土記伝』などの地誌にその名が記録されています。平安の伝承から幕府の朱印状まで、複数の時代の記録にその名をとどめる寺は、磐田市南部の寺院の中でも多くありません。

草崎には壽正寺のほか光嚴寺・萬然寺・徳源庵・良照庵という寺庵があり、『磐田の民俗』(磐田市誌シリーズ)によれば5か寺すべてが曹洞宗です。なお、磐田市蛭池(旧南御厨村)にも同名の寿正寺(松龍山・松秀寺末)がありますが、まったく別の寺院です。当ページで扱うのは草崎の壽正寺です。

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歴史と背景

平重盛建立の寺伝と六所神社の伝承

『静岡県磐田郡誌』の壽正寺の項は、寺伝として「平重盛の建立にして七堂伽藍ありし」と記します。この重盛伝承は寺だけのものではありません。同誌の神社の部には、草崎の六所神社(六所森鎮座)について「当村壽正寺は小松内大臣重盛より寺領三百石を賜はりしが、安元の年度、常社を其の領内の山林へ鎮座せり」という伝えが収められており、平安時代末の安元年間(1175〜1177年)に壽正寺の寺領内へ神社が鎮座したと語り継がれてきたことが分かります。壽正寺の旧地字「六所前」の名も、この六所神社の前という意味に解せます。草崎の地が嘉応3年(1171年)の松尾大社文書に池田庄の郷名「草前郷」として現れる平氏全盛期の土地であること、また磐田市南部の旧十束村中島の蓮覚寺にも「小松内府」(重盛)が一国三箇寺の一つとして建てたという寺伝が残ることは、天竜川下流域に重盛ゆかりの伝承が分布していたことを示しており、壽正寺の寺伝もその一つに数えられます。もっとも、これらはいずれも伝承であり、確実な史料で裏づけられるわけではありません。

文明14年の再興と聖寿寺の末へ

寺伝で確かな時代の手がかりとなるのは、文明14年(1482年)2月に如海師が再興したという『静岡県磐田郡誌』の記述です。室町時代後期にあたるこの再興以降、壽正寺は袖浦村岡の聖寿寺の末寺として歩みました。本寺の聖寿寺は、同誌によれば文明10年(1478年)開創で「岡本山聖寿軒」を起源とし、小笠郡奥野(現掛川市)の長松院の末寺ながら、小本寺として門末24か寺を従えた地域の有力寺院です。江戸時代後期の地誌『遠江国風土記伝』(内山真竜)も草崎村の寺院を「曹洞宗、聖壽寺の末、平僧住す」と記しており、住持が代々「平僧」(格式を持たない僧)であったこと、すなわち本寺聖寿寺の統率下にある末寺として近世を通じて存続したことがうかがえます。なお、壽正寺(じゅしょうじ)と本寺の聖寿寺(しょうじゅじ)は名前が似ていますが別の寺院です。

観音堂領8石2斗余—幕府朱印状に見える近世の壽正寺

壽正寺は江戸時代を通じて観音堂領の朱印地を有していました。『細江町史 資料編7』(1987年)所収の慶安2年(1649年)8月17日付朱印状には「遠江国豊田郡草崎郷寿正寺観音堂領同村之内八石弐斗余事、任先規寄附之訖、全可収納」とあり、3代将軍徳川家光の代に先規に任せて8石2斗余が寄附されたことが分かります。『遠江国風土記伝』も「觀音堂壽正寺、朱符之寺田高八石貳斗(余)」と記し、磐田市誌編纂室『元禄高帳による元禄期遠江国石高表』(1976年)では草崎村663石余のうち8石2斗8升8合が寿正寺観音(堂領)とされています。また『可睡斎史料集』の僧録司記録にも、豊田郡草崎村の平僧寺として朱印8石2斗余の寿正寺が記載されており、遠州曹洞宗の僧録であった可睡斎の管下で朱印を認められた平僧寺として位置づけられていました。清水秀明編著『東海道見付宿の助郷』(1990年)も草崎村の項で寺領8石2斗8升8合の曹洞宗寿正寺の存在を記しています。本尊が聖観世音菩薩であることと観音堂領の朱印はひとつながりで、観音信仰が当寺の中心にあったことを物語ります。

草崎の曹洞宗寺院群のなかで

『静岡県磐田郡誌』によれば、草崎には壽正寺(字六所前)のほか、湯沢山光嚴寺(字中村・慶長10年開創)、宝喜山萬然寺(字中雨垂・慶長18年一寺化)、無量山徳源庵(字花の木・元和2年開創)、慈眼山良照庵(字駒田原・寛永元年開創)が並び、いずれも聖寿寺の歴代住持の弟子たちによって慶長から寛永にかけて開かれた聖寿寺末の寺庵です。この中で壽正寺だけが中世に遡る再興伝承と朱印地を持ち、一村5か寺の筆頭格として観音堂領を守ってきました。『磐田の民俗』(磐田市誌シリーズ第7冊、1984年)は草崎地区の5か寺がすべて曹洞宗であると記しており、江戸時代に形づくられた村と寺の関係が近代以降も続いてきたことが分かります。

近代以降—長野村から磐田市南部へ

明治22年(1889年)の町村制で草崎村は前野・白拍子・鮫島などとともに長野村の大字となり、昭和の合併を経て現在は磐田市草崎となっています。明治23年(1890年)には、駒田原の若宮八幡宮の社地に草崎村内の7社を合併して七社神社が成立し、壽正寺ゆかりの六所神社や、旧地字の天白神社(六所前鎮座)もこれに合祀されました。『静岡県磐田郡誌』に記録された六所神社の由緒によれば、同社は慶長6年(1601年)の検地で境内外除地となり、寛永11年(1634年)の本宮再建、寛文11年(1671年)の高1石2斗3升の除地認定、天保11年(1840年)の再建を経て明治13年(1880年)に村社に列しており、壽正寺の寺伝と結び付いた神社が近世を通じて村に守られてきたことが分かります。寺の周りの信仰の風景は明治以降変わりましたが、『寺院大鑑 東海・北陸篇』(1982年)にも草崎691の現在地で掲載されており、壽正寺は静岡県知事所轄宗教法人名簿に載る宗教法人として、また曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」に登録された寺院として、草崎の地で法灯を守り続けています。

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文化財・見どころ

記録に残る文化遺産

慶安2年(1649年)の観音堂領朱印状(写)

徳川家光の代の慶安2年(1649年)8月17日付で、草崎郷寿正寺観音堂領8石2斗余を先規に任せて寄附する旨を記した朱印状です。その写しが『細江町史 資料編7』(1987年)に収録されており、『遠江国風土記伝』や元禄期の石高帳、可睡斎の僧録司記録にも対応する記載が確認できます。原本の現存状況は確認できていません。

郡誌・地誌の記録

本尊聖観世音菩薩と観音堂の記憶

『静岡県磐田郡誌』は壽正寺の本尊を聖観世音菩薩と記し、江戸時代の朱印地も「観音堂領」として認められていました。地誌『遠江国風土記伝』も「觀音堂壽正寺」と観音堂を寺名に冠して記しており、草崎における観音信仰の中心地であったことを伝えます。現在の観音堂・本尊の安置状況は現地確認が取れていません。

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宗派と本尊を知る

壽正寺は袖浦村岡の聖寿寺を本寺とする曹洞宗の寺院で、『静岡県磐田郡誌』は本尊を聖観世音菩薩と記しています。江戸時代の朱印地が「観音堂領」の名目で認められ、地誌にも「観音堂壽正寺」と記されたように、当寺の歴史は観音信仰と分かちがたく結び付いてきました。平重盛建立という寺伝から幕府朱印状まで、時代を貫いて観音菩薩が祈りの中心にあり続けた寺です。

曹洞宗とは

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。

教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。

檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。

参考: 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ大本山永平寺(大本山總持寺 公式サイト内紹介)

観音菩薩という仏さま

観音菩薩は、正式には観世音菩薩といい、世の人びとの苦しみの声を観じて、ただちに救いに赴くとされる菩薩です。『法華経』の観世音菩薩普門品(観音経)には、相手に応じて33の姿に身を変えて救うと説かれています。その姿は、老人や子ども、僧侶や天女など、救う相手に最もふさわしいものへと臨機応変に変わるとされ、この教えから観音さまは古くから最も広く信仰を集めてきました。

基本の姿である聖観音のほか、あらゆる方向に顔を向けて見守る十一面観音、千の手と眼で漏れなく救いの手を差し伸べる千手観音、憤怒の形相をとる馬頭観音など、多彩な変化観音が生み出され、それぞれの姿で人びとのさまざまな願いに応えてきました。

病気平癒や家内安全など現世のご利益を願う信仰に加え、観音霊場を順に巡る三十三所の巡礼も各地で育まれてきました。地域の観音堂や観音講を通じて、身近な悩みを聞き届けてくださる仏さまとして、今も厚く親しまれています。

参考: 観音様を知ろう(日本遺産「会津の三十三観音めぐり」公式サイト)e国宝 十一面観音像(国立文化財機構)

05

地域とのつながり

壽正寺のある草崎は、磐田市南部を流れる仿僧川(ぼうそうがわ)の西岸に開けた土地です。『日本歴史地名大系』によれば、嘉応3年(1171年)の池田庄立券状写(松尾大社文書)に庄内の郷名「草前郷」として見える古い土地で、当時の郷は田7町6段余・畠15町5段余・在家3宇から構成されていました。江戸時代の草崎村は正保郷帳で高515石余の幕府領、元禄期には663石余となり、そのうち8石2斗余が壽正寺観音堂領でした。『静岡県磐田郡誌』は、仿僧川が前野・白拍子・草崎・鮫島など旧長野村の村々を過ぎて海に注ぎ、舟を通じたことを記しており、壽正寺はこの川筋の農村で観音堂領を守りながら、村の祈りの中心であり続けました。

村の信仰の記憶は、地名と神社にも刻まれています。壽正寺の旧地字「六所前」は、寺伝で壽正寺の寺領内に鎮座したと伝わる六所神社(六所森)の前に由来すると解され、同じ六所前には天白神社も祀られていました。これらの神社は明治23年(1890年)に村内7社を合併した七社神社に引き継がれ、寺と神社が一体となって守られてきた草崎の信仰の風景を今に伝えています。草崎の5か寺(壽正寺・光嚴寺・萬然寺・徳源庵・良照庵)はすべて曹洞宗で、その中で最も古い由緒を伝える壽正寺は、平重盛伝承から朱印地の記録まで、草崎という土地の記憶を最も長く預かってきた寺といえます。また、隣の白拍子には、平重衡の死後にその世話をした白拍子の千手前が蟄居したことに村名が由来するという伝えがあり(『日本歴史地名大系』)、草崎の重盛伝承とあわせて、この一帯に平家ゆかりの伝承が重なり合って残されてきたことがうかがえます。

06

年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

寺院単独の公式サイトは確認できておらず、行事・法要の案内は公開資料からは確認できません。法事・お墓参りで訪れる際は、寺院関係者へ直接確認してください。

磐田市蛭池にも同名の寿正寺があります。法要や供養の問い合わせ・郵送の際は、所在地が草崎691番地の1の壽正寺であることを必ず確かめてください。

調査中の項目
  • 年中行事(施餓鬼会・彼岸会等)の有無と日程、檀家の参列可否
  • 墓地・永代供養・納骨の受付状況と申し込み方法
  • 護持会・世話人会など檀家組織の有無と活動内容
  • 現在の本尊・観音堂の安置状況と、境内の縁起板・石碑の有無
  • 住職の常住・兼務の別と、法要・供養の問い合わせ方法
  • 駐車場の有無・台数

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

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よくある質問

壽正寺の読み方と表記は?

「じゅしょうじ」と読みます。資料により「壽正寺」「寿正寺」の両表記が見られます。山号は瑞応山です。磐田市蛭池にも同名の寿正寺(松龍山)がありますが、別の寺院です。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

曹洞宗で、袖浦村岡(現磐田市岡)の聖寿寺の末寺と記録されています。『静岡県磐田郡誌』は本尊を聖観世音菩薩と記しています。

本文「宗派と本尊」を読む
本当に平重盛が建てたのですか?

平重盛の建立はあくまで寺伝で、確実な史料の裏づけはありません。ただし草崎の六所神社にも壽正寺が重盛から寺領300石を賜ったという伝えが残っており、この地域に重盛ゆかりの伝承が古くから語り継がれてきたことは確かです。

本文「歴史と背景」を読む
確実にたどれる歴史はいつからですか?

寺伝では文明14年(1482年)2月の如海による再興が最も古い年代の伝えです。文書で確認できるのは、慶安2年(1649年)の幕府朱印状に見える観音堂領8石2斗余などの江戸時代の記録からです。

本文「歴史と背景」を読む
観音堂領とは何ですか?

江戸幕府が壽正寺の観音堂の維持のために認めた朱印地(年貢を寺に納める土地)です。慶安2年(1649年)の朱印状で「先規に任せて」8石2斗余が認められており、それ以前から続く由緒ある寺領でした。元禄期の石高帳でも草崎村663石余のうち8石2斗余が観音堂領と記録されています。

本文「歴史と背景」を読む
聖寿寺と壽正寺は同じお寺ですか?

別の寺院です。聖寿寺(しょうじゅじ)は磐田市岡にある本寺で、門末24か寺を従えた有力寺院でした。壽正寺(じゅしょうじ)はその末寺にあたります。名前が似ているため資料でも混同に注意が必要です。

本文「歴史と背景」を読む
草崎にはお寺がいくつありますか?

『磐田の民俗』によれば、壽正寺・光嚴寺・萬然寺・徳源庵・良照庵の5か寺で、すべて曹洞宗です。壽正寺以外の4か寺は江戸時代初期に聖寿寺の弟子たちが開いたと記録されています。

本文「地域とのつながり」を読む
行事や墓地について知りたいのですが。

年中行事・墓地・永代供養の受付状況は公開資料からは確認できていません。寺院単独の公式サイトも確認できていないため、法事や供養の相談は寺院関係者へ直接確認してください。確認でき次第、このページに追記します。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む

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写真で見る境内

壽正寺の現地写真1
本堂・堂宇 壽正寺の現地写真(1)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
壽正寺の現地写真2
境内全景 壽正寺の現地写真(2)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
壽正寺の現地写真3
入口・石標 壽正寺の現地写真(3)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
壽正寺の現地写真4
その他 壽正寺の現地写真(4)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
壽正寺の現地写真5
その他 壽正寺の現地写真(5)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
壽正寺の現地写真6
その他 壽正寺の現地写真(6)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。
壽正寺の現地写真7
その他 壽正寺の現地写真(7)。所在地確認とページ掲載のための記録写真です。

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出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9113。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)コマ455

    国立国会図書館デジタルコレクション。壽正寺の由緒(長野村草崎字六所前・瑞応山・聖寿寺末・本尊聖観世音菩薩・平重盛建立と七堂伽藍の寺伝・文明14年2月如海再興)と、草崎の光嚴寺・萬然寺・徳源庵・良照庵の由緒を確認

  3. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)コマ366

    六所神社(六所森鎮座)の由緒にある「壽正寺は小松内大臣重盛より寺領三百石を賜はりしが、安元の年度、常社を其の領内の山林へ鎮座せり」の伝承、明治23年1月24日の七社神社への7社合併(若宮八幡宮・水神社・六所神社・若松神社・若宮神社・松尾神社・天白神社)を確認

  4. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)コマ457

    本寺聖寿寺の由緒(袖浦村岡・天龍山・長松院末・文明10年開創・岡本山聖寿軒起源・小本寺門末24か寺・慶安元年9月17日朱印高12石9斗余)と、十束村中島の蓮覚寺の小松内府(平重盛)一国三箇寺建立の寺伝を確認

  5. 郷土資料 『細江町史 資料編7』(1987年)慶安2年8月17日朱印状

    国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索スニペットで「遠江国豊田郡草崎郷寿正寺観音堂領同村之内八石弐斗余事、任先規寄附之訖、全可収納」の本文を確認(2026年7月の一括調査の確認記録を引き継ぎ)

  6. 郷土資料 『遠江国風土記伝』(内山真竜、郁文舎、明治33年刊本)草崎の項

    NDL全文検索スニペットで「觀音堂壽正寺、朱符之寺田高八石貳」および草崎村寺院「曹洞宗、聖壽寺の末、平僧住す」を確認(2026年7月の一括調査の確認記録を引き継ぎ)

  7. 郷土資料 『元禄高帳による元禄期遠江国石高表』(磐田市誌編纂室、1976年)

    草崎村663.056石のうち8.288石が寿正寺観音堂領であることを確認(2026年7月の一括調査の確認記録を引き継ぎ)

  8. 学術資料 『可睡斎史料集』第5巻 僧録司記録1(思文閣出版、1998年)

    僧録司記録に豊田郡草崎村の平僧寺として朱印8石2斗余の寿正寺が記載されていることをNDL全文検索スニペットで確認(2026年7月の一括調査の確認記録を引き継ぎ)

  9. 郷土資料 『磐田の民俗』(磐田市誌シリーズ第7冊、1984年)

    草崎地区の5か寺(寿正寺・光厳寺・良照庵・徳源庵・万然寺)がすべて曹洞宗であるとの記述を確認(2026年7月の一括調査の確認記録を引き継ぎ)

  10. 郷土資料 『寺院大鑑 東海・北陸篇』(久遠出版、1982年)

    寿正寺が草崎691の現在地で掲載されていることを確認(2026年7月の一括調査の確認記録を引き継ぎ)

  11. 郷土資料 清水秀明編著『東海道見付宿の助郷』(1990年)

    草崎村の項に寺領8石2斗8升8合の曹洞宗寿正寺の存在が記されていることをNDL全文検索スニペットで確認(2026年7月の一括調査の確認記録を引き継ぎ)

  12. 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 磐田市寺院一覧(曹洞宗公式)

    公式一覧で名称・住所(〒438-0067 磐田市草崎691-1)を確認し当該寺と同定。磐田市内にはもう1か寺同名の壽正寺(index_221000)が登録されており混同注意(2026年7月19日時点は同サイトがサーバー障害のため過去の確認記録を引き継ぎ)

  13. 郷土資料 『日本歴史地名大系』白拍子村(コトバンク)

    白拍子村の村名が、平重衡の死後にその世話をしていた白拍子の千手前の蟄居に由来するという伝えを確認(草崎周辺の平家伝承の分布の文脈として使用)

  14. 郷土資料 『日本歴史地名大系』草崎村(コトバンク)

    嘉応3年(1171年)の池田庄立券状写(松尾大社文書)の郷名「草前郷」、田7町6段2丈・畠15町5段2丈・在家3宇の構成、正保郷帳の高515石余・幕府領、前野村の南・僧川西岸という位置を確認

For Families

このお寺が菩提寺のご家族へ

菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
  • 位牌の有無
  • お寺からの連絡を受ける人
  • お寺の連絡先
  • 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
  • 実家の名義
  • 実家を今後誰が管理するか
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