南部地区・現存
十輪寺
じゅうりんじ
十輪寺(じゅうりんじ)は、磐田市上大之郷にある曹洞宗の寺院で、現地の寺号石柱と本堂扁額から山号は宝蔵山と確認できます。『静岡県磐田郡誌』によれば可睡斎の直末で、もと臨済宗から曹洞宗に改まった寺です。鎌倉時代の薬師如来立像(磐田市指定文化財)を伝え、かつては近隣の村々に複数の末寺を持つ、大之郷一帯の中心的な寺院でした。
別称・関連名称宝蔵山
- 寺院名
- 十輪寺
- 地区
- 南部
- 住所
- 静岡県磐田市上大之郷606番地の1
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 十輪寺
- 読み方
- じゅうりんじ
- 地区
- 南部
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 調査中・加筆待ち
- ご本尊の現在の確認状況
- 未確認
- 住所
- 静岡県磐田市上大之郷606番地の1
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 磐田市指定有形文化財(薬師如来立像)あり
- 最終確認日
- 2026.07.13
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 十輪寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 未確認
- 創建
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市上大之郷606番地の1
- 地区
- 南部
Database 02
沿革
磐田郡誌が伝える由緒—臨済宗から曹洞宗へ
『静岡県磐田郡誌』(磐田郡教育会編、大正10年)の天龍村十輪寺の項によれば、寺は天龍村上大之郷字末長に在り、周智郡久努西村可睡斎の末寺で、本尊は延命地蔵菩薩です。もとは臨済宗でしたが、後に曹洞宗に改めたと記されています。創立年代や改宗の時期は同誌に記載がなく、現時点では確認できていません。ただし、同誌が十輪寺の末寺と記す鮫島の実際寺は「天正の初め」(1573年頃)に存祝という者が創めたと伝えられており、この伝えに従えば、十輪寺は遅くとも戦国時代末期には末寺を持つ寺として存在していたとみられます。本寺の可睡斎は徳川家康の帰依を受け、江戸時代には駿河・遠江・三河・伊豆の曹洞宗寺院を統括する僧録司を務めた大寺で、遠州一帯では戦国末期から江戸初期にかけて臨済宗や真言宗から曹洞宗へ改宗する寺院が相次ぎました。南部地区でも前野の定光寺が慶長3年(1598年)に可睡斎18世を中興開山として真言宗から曹洞宗に改まったと伝えられており、十輪寺の改宗もこうした可睡斎の教線拡大の流れの中に位置づけられます。
末寺を従えた大之郷の中心寺院
『静岡県磐田郡誌』には、十輪寺を本寺と仰ぐ寺庵が周辺の村々に複数記録されています。上大之郷字木の下の長応寺(本尊は東方薬師瑠璃光如来)、於保村下大之郷字六つ恵の水月山恵日寺(本尊は十一面観世音菩薩)、於保村一色字西脇の仏徳山智泉庵(本尊は如意輪観世音菩薩)、そして長野村鮫島の真如山実際寺(本尊は阿弥陀如来)です。恵日寺は、往古よりあった観音堂の傍らに十輪寺3世宋泉が隠居して住み、村人が請うて一寺を建てたのが始まりと伝えられ、智泉庵は慶長年間(1596〜1615年)に西肥(九州)の人・天受が結んだ草庵に村人が観音堂を建立し、十輪寺7世戒護を開山に請じたと記されています。また『可睡斎史料集』の寺誌史料には実際寺が「可睡斎孫末十輪寺末寺」と記されており、十輪寺が可睡斎の直末として自らも末寺を従える、大之郷から鮫島に及ぶ一門の中心であったことが分かります。
薬師如来立像と長応寺の記憶
磐田市の市指定文化財一覧によれば、十輪寺に伝わる薬師如来立像は鎌倉時代の作で、もと長応寺にあったものが十輪寺に移され、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(彫刻)となりました。長応寺は『静岡県磐田郡誌』に上大之郷字木の下の十輪寺末寺として記録された寺で、本尊は東方薬師瑠璃光如来と記されています。市の文化財資料にある薬師如来立像は、この長応寺の本尊仏が本寺の十輪寺へ受け継がれたものと考えられ、末寺が姿を消した後もその祈りの対象を本寺が守り伝えている例といえます。像の指定年月日は市の一覧で確認できますが、像高や公開状況は現時点では確認できていません。
磐田郡三十三観音霊場の第2番札所
札所を集成した民間の霊場資料によれば、宝蔵山十輪寺は大正8年(1919年)開創と伝わる磐田郡三十三ヶ所観音霊場の第2番札所です。同霊場は旧磐田郡域の観音霊場で、南部地区では前野の定光寺が第7番に数えられています。また『静岡県磐田郡誌』の旧末寺恵日寺・智泉庵の由緒にはいずれも観音堂が登場しており、大之郷一帯が古くから観音信仰の根づいた土地であったことがうかがえます。現地には大型の観音像が立ち、楼門や本堂とともに観音信仰の記憶を伝える境内景観を形づくっています。同誌の記す本尊は延命地蔵菩薩であり、地蔵・薬師・観音という複数の仏への信仰が一つの境内に重なり合っている点も、末寺の仏を受け継いできた当寺の歴史を映しています。
現在の境内—楼門・仁王像と宝蔵山扁額
2026年7月13日の現地写真では、入口の寺号石柱、二層の楼門、その左右に安置された仁王像、本堂正面の赤い格子戸と「宝蔵山」の扁額、手水鉢、雨鎖、庭園の松、石標を確認できます。楼門や本堂の建立年代・修理履歴は棟札等の資料が確認できておらず今後の調査課題ですが、寺号石柱から楼門をくぐり本堂へ至る参道と、庭園・石造物を含む境内の現在の姿を記録できています。仁王像を備えた楼門は磐田市南部の寺院では規模の大きい部類に属し、大之郷の中心寺院としての風格を伝えています。なお、住職の常住・兼務の別や寺院の連絡先は公開資料からは確認できておらず、法要・供養に関する問い合わせ方法もあわせて今後の確認課題です。曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」には名称・読み・所在地の基本情報が登録されています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 未確認
- 宗教的意味
- 十輪寺は袋井・可睡斎の直末として『静岡県磐田郡誌』に記録された曹洞宗の寺院で、もとは臨済宗から改宗した歴史を持ちます。同誌が記す本尊は延命地蔵菩薩で、寺号の「十輪」も地蔵信仰を思わせる名です。ただしこれは大正10年(1921年)時点の記録で、現在の本尊の尊名は寺院への確認が取れていません。境内にはこのほか、旧末寺長応寺から移された市指定文化財の薬師如来立像と、観音霊場札所としての観音像が祀られ、複数の仏への信仰が重なり合っています。旧末寺の恵日寺・智泉庵の本尊がいずれも観音菩薩であったことも含め、一門全体で地蔵・薬師・観音の信仰を分かち持っていた様子がうかがえます。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
薬師如来立像
鎌倉時代の作とされる薬師如来像で、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財となりました。磐田市の資料によれば、もと長応寺にあったものが十輪寺に移されたもので、『静岡県磐田郡誌』は長応寺を上大之郷字木の下の十輪寺末寺、本尊を東方薬師瑠璃光如来と記しています。末寺の廃絶後もその本尊仏が本寺に受け継がれ、指定文化財として守られている例です。像高・材質・公開状況は現時点では確認できていません。
楼門と仁王像
境内入口側に建つ二層の楼門と、その左右に安置された仁王像です。2026年7月13日の現地写真で、本堂へ向かう参道の主要な建築要素として確認できます。建立年代や文化財指定の有無は未確認です。
寺号石柱と宝蔵山扁額
入口の寺号石柱に「曹洞宗 宝蔵山 十輪寺」、本堂正面の扁額に「宝蔵山」とあり、山号と寺号・宗派を現地で確認できます。霊場資料の「宝蔵山十輪寺」の表記とも一致します。
観音像と境内庭園
楼門近くに立つ大型の観音像のほか、庭園の松、手水鉢、雨鎖、石標などを現地写真で確認しました。磐田郡三十三観音霊場第2番札所としての記録とあわせて、観音信仰の記憶を伝える境内景観です。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
十輪寺のある上大之郷は、天竜川下流東岸の平野部に開けた土地です。『日本歴史地名大系』によれば、上大之郷村は上岡田村・下岡田村の東、下大之郷村の北に位置し、天正17年(1589年)の史料に「於ほ之郷上村」として見える古い村で、寛永10年(1633年)に大之郷上組を上大之郷村、下組を下大之郷村と改めて分村しました。「大之郷」の名が示すとおり、この一帯はもと一つの「於保(大)の郷」で、明治22年(1889年)の町村制では上大之郷が天龍村、下大之郷が於保村に属し、昭和の合併を経て、現在はいずれも磐田市南部地区にあたります。十輪寺の末寺が上大之郷(長応寺)・下大之郷(恵日寺)・一色(智泉庵)・鮫島(実際寺)と旧郷域の内外に広がっていたことは、村の枠を越えて信仰を集めた当寺の位置を物語ります。
『静岡県磐田郡誌』が伝える末寺の由緒には、村人たちの姿が繰り返し登場します。下大之郷の恵日寺は、古くからの観音堂の傍らに隠居した十輪寺3世宋泉を村人が請うて一寺とし、一色の智泉庵は、旅の僧の草庵に村人が観音堂を建てて十輪寺7世戒護を開山に迎えたと記されています。堂を建て、僧を迎え、寺を興したのは、いずれも地域の人々でした。末寺の多くが姿を消した現在も、長応寺の薬師如来立像が十輪寺に受け継がれているように、当寺は大之郷一帯の人々が積み重ねてきた祈りの記憶を預かる場であり続けています。大正8年(1919年)開創と伝わる磐田郡三十三観音霊場の札所に数えられたことも、近代に入ってからの当寺と地域の結び付きを示す記録の一つです。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9120
- 宗派公式資料十輪寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式 寺院ポータルサイト)
曹洞宗寺院として磐田市上大之郷606-1に所在することを確認。沿革の記載はなし。
- 行政・公的資料市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
薬師如来立像(彫刻・鎌倉時代・上大之郷)が市指定文化財一覧に掲載され、十輪寺関係の文化財として確認。
- 民間二次情報ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
大正8年開創の磐田郡三十三ヶ所観音霊場第2番=宝蔵山十輪寺(曹洞宗・上大之郷606)を確認。寺名・宗派・住所がDBと一致。
- 宗派公式資料曹洞禅ナビ 十輪寺(2024年12月2日時点アーカイブ)
掲載は基本情報のみ(名称・フリガナ「ジュウリンジ」・〒438-0051 磐田市上大之郷606-1)。「お寺について・年間行事」等のタブは未作成、由緒・本尊・公式サイトの掲載なし。調査時は本体サイトがサーバー障害のためWayback Machineのスナップショットを使用
- 行政・公的資料磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)
磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合
- 現地写真現地写真(2026年7月13日添付写真)
寺号石柱、観音像、楼門、仁王像、本堂正面、宝蔵山扁額、手水鉢、庭園の松を確認。
最終更新日 2026.07.19
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01
この寺院について
十輪寺は磐田市上大之郷606番地の1、市南部の平野部に位置する曹洞宗の寺院です。2026年7月13日の現地確認では、入口の寺号石柱に「曹洞宗 宝蔵山 十輪寺」、本堂正面の扁額に「宝蔵山」とあり、山号と宗派を現地表示で確かめることができます。大正10年(1921年)刊『静岡県磐田郡誌』は、当時の所在を天龍村上大之郷字末長と記し、周智郡久努西村(現袋井市)の可睡斎の末寺で、本尊は延命地蔵菩薩、もとは臨済宗であったが後に曹洞宗に改めたと伝えています。
当寺には、鎌倉時代の作とされる薬師如来立像が伝わり、磐田市指定文化財(彫刻)となっています。磐田市の資料によれば、この像はもと長応寺にあったものが十輪寺に移されたもので、『静岡県磐田郡誌』には長応寺が上大之郷字木の下にあった十輪寺の末寺で、本尊を東方薬師瑠璃光如来としたことが記されています。
また、大正8年(1919年)開創と伝わる磐田郡三十三観音霊場では第2番札所とされ、境内には大型の観音像が立ちます。二層の楼門と仁王像、庭園の松を備えた境内は、大之郷の中心寺院としての歴史を今に伝えています。かつては上大之郷の長応寺、下大之郷の恵日寺、一色の智泉庵、鮫島の実際寺という末寺を従えており、旧末寺の本尊仏を受け継ぎながら、地域の祈りの記憶を預かり続けている寺院です。
02
歴史と背景
磐田郡誌が伝える由緒—臨済宗から曹洞宗へ
『静岡県磐田郡誌』(磐田郡教育会編、大正10年)の天龍村十輪寺の項によれば、寺は天龍村上大之郷字末長に在り、周智郡久努西村可睡斎の末寺で、本尊は延命地蔵菩薩です。もとは臨済宗でしたが、後に曹洞宗に改めたと記されています。創立年代や改宗の時期は同誌に記載がなく、現時点では確認できていません。ただし、同誌が十輪寺の末寺と記す鮫島の実際寺は「天正の初め」(1573年頃)に存祝という者が創めたと伝えられており、この伝えに従えば、十輪寺は遅くとも戦国時代末期には末寺を持つ寺として存在していたとみられます。本寺の可睡斎は徳川家康の帰依を受け、江戸時代には駿河・遠江・三河・伊豆の曹洞宗寺院を統括する僧録司を務めた大寺で、遠州一帯では戦国末期から江戸初期にかけて臨済宗や真言宗から曹洞宗へ改宗する寺院が相次ぎました。南部地区でも前野の定光寺が慶長3年(1598年)に可睡斎18世を中興開山として真言宗から曹洞宗に改まったと伝えられており、十輪寺の改宗もこうした可睡斎の教線拡大の流れの中に位置づけられます。
末寺を従えた大之郷の中心寺院
『静岡県磐田郡誌』には、十輪寺を本寺と仰ぐ寺庵が周辺の村々に複数記録されています。上大之郷字木の下の長応寺(本尊は東方薬師瑠璃光如来)、於保村下大之郷字六つ恵の水月山恵日寺(本尊は十一面観世音菩薩)、於保村一色字西脇の仏徳山智泉庵(本尊は如意輪観世音菩薩)、そして長野村鮫島の真如山実際寺(本尊は阿弥陀如来)です。恵日寺は、往古よりあった観音堂の傍らに十輪寺3世宋泉が隠居して住み、村人が請うて一寺を建てたのが始まりと伝えられ、智泉庵は慶長年間(1596〜1615年)に西肥(九州)の人・天受が結んだ草庵に村人が観音堂を建立し、十輪寺7世戒護を開山に請じたと記されています。また『可睡斎史料集』の寺誌史料には実際寺が「可睡斎孫末十輪寺末寺」と記されており、十輪寺が可睡斎の直末として自らも末寺を従える、大之郷から鮫島に及ぶ一門の中心であったことが分かります。
薬師如来立像と長応寺の記憶
磐田市の市指定文化財一覧によれば、十輪寺に伝わる薬師如来立像は鎌倉時代の作で、もと長応寺にあったものが十輪寺に移され、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(彫刻)となりました。長応寺は『静岡県磐田郡誌』に上大之郷字木の下の十輪寺末寺として記録された寺で、本尊は東方薬師瑠璃光如来と記されています。市の文化財資料にある薬師如来立像は、この長応寺の本尊仏が本寺の十輪寺へ受け継がれたものと考えられ、末寺が姿を消した後もその祈りの対象を本寺が守り伝えている例といえます。像の指定年月日は市の一覧で確認できますが、像高や公開状況は現時点では確認できていません。
磐田郡三十三観音霊場の第2番札所
札所を集成した民間の霊場資料によれば、宝蔵山十輪寺は大正8年(1919年)開創と伝わる磐田郡三十三ヶ所観音霊場の第2番札所です。同霊場は旧磐田郡域の観音霊場で、南部地区では前野の定光寺が第7番に数えられています。また『静岡県磐田郡誌』の旧末寺恵日寺・智泉庵の由緒にはいずれも観音堂が登場しており、大之郷一帯が古くから観音信仰の根づいた土地であったことがうかがえます。現地には大型の観音像が立ち、楼門や本堂とともに観音信仰の記憶を伝える境内景観を形づくっています。同誌の記す本尊は延命地蔵菩薩であり、地蔵・薬師・観音という複数の仏への信仰が一つの境内に重なり合っている点も、末寺の仏を受け継いできた当寺の歴史を映しています。
現在の境内—楼門・仁王像と宝蔵山扁額
2026年7月13日の現地写真では、入口の寺号石柱、二層の楼門、その左右に安置された仁王像、本堂正面の赤い格子戸と「宝蔵山」の扁額、手水鉢、雨鎖、庭園の松、石標を確認できます。楼門や本堂の建立年代・修理履歴は棟札等の資料が確認できておらず今後の調査課題ですが、寺号石柱から楼門をくぐり本堂へ至る参道と、庭園・石造物を含む境内の現在の姿を記録できています。仁王像を備えた楼門は磐田市南部の寺院では規模の大きい部類に属し、大之郷の中心寺院としての風格を伝えています。なお、住職の常住・兼務の別や寺院の連絡先は公開資料からは確認できておらず、法要・供養に関する問い合わせ方法もあわせて今後の確認課題です。曹洞宗公式の寺院ポータル「曹洞禅ナビ」には名称・読み・所在地の基本情報が登録されています。
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文化財・見どころ
薬師如来立像
鎌倉時代の作とされる薬師如来像で、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財となりました。磐田市の資料によれば、もと長応寺にあったものが十輪寺に移されたもので、『静岡県磐田郡誌』は長応寺を上大之郷字木の下の十輪寺末寺、本尊を東方薬師瑠璃光如来と記しています。末寺の廃絶後もその本尊仏が本寺に受け継がれ、指定文化財として守られている例です。像高・材質・公開状況は現時点では確認できていません。
楼門と仁王像
境内入口側に建つ二層の楼門と、その左右に安置された仁王像です。2026年7月13日の現地写真で、本堂へ向かう参道の主要な建築要素として確認できます。建立年代や文化財指定の有無は未確認です。
寺号石柱と宝蔵山扁額
入口の寺号石柱に「曹洞宗 宝蔵山 十輪寺」、本堂正面の扁額に「宝蔵山」とあり、山号と寺号・宗派を現地で確認できます。霊場資料の「宝蔵山十輪寺」の表記とも一致します。
観音像と境内庭園
楼門近くに立つ大型の観音像のほか、庭園の松、手水鉢、雨鎖、石標などを現地写真で確認しました。磐田郡三十三観音霊場第2番札所としての記録とあわせて、観音信仰の記憶を伝える境内景観です。
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宗派と本尊を知る
十輪寺は袋井・可睡斎の直末として『静岡県磐田郡誌』に記録された曹洞宗の寺院で、もとは臨済宗から改宗した歴史を持ちます。同誌が記す本尊は延命地蔵菩薩で、寺号の「十輪」も地蔵信仰を思わせる名です。ただしこれは大正10年(1921年)時点の記録で、現在の本尊の尊名は寺院への確認が取れていません。境内にはこのほか、旧末寺長応寺から移された市指定文化財の薬師如来立像と、観音霊場札所としての観音像が祀られ、複数の仏への信仰が重なり合っています。旧末寺の恵日寺・智泉庵の本尊がいずれも観音菩薩であったことも含め、一門全体で地蔵・薬師・観音の信仰を分かち持っていた様子がうかがえます。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
地蔵菩薩という仏さま
地蔵菩薩は、お釈迦さまが入滅してから弥勒菩薩がこの世に現れるまでの間、仏のいない世にあって人びとを救い続けると信じられてきた菩薩です。経典ではその間は56億7000万年に及ぶとも説かれ、地獄をはじめとする六道のすべてをめぐって、苦しむ者に寄り添うと伝えられます。
菩薩でありながら僧侶のような親しみやすい姿で表されるのが特徴で、特に子どもを守る仏として信仰が厚く、京都では江戸時代の初めから、町内ごとにお地蔵さまを囲んで子どもの成長を願う地蔵盆が営まれてきました。この地蔵盆は今も子どもが主役の夏の行事として受け継がれ、2014(平成26)年には「京都をつなぐ無形文化遺産」にも選定されています。
道端や寺の境内にたたずむ石のお地蔵さまに、花や前掛けが供えられている光景は、日本で最も身近な信仰のかたちのひとつでしょう。子育てや子どもの健康、亡き子の供養など、家族の切実な願いを受け止めてくださる仏さまです。
参考: 京都に伝わる地蔵信仰(浄土宗総本山知恩院 公式サイト)/弥勒菩薩の56億7千万年後の救済の出典(レファレンス協同データベース・国立国会図書館)
05
地域とのつながり
十輪寺のある上大之郷は、天竜川下流東岸の平野部に開けた土地です。『日本歴史地名大系』によれば、上大之郷村は上岡田村・下岡田村の東、下大之郷村の北に位置し、天正17年(1589年)の史料に「於ほ之郷上村」として見える古い村で、寛永10年(1633年)に大之郷上組を上大之郷村、下組を下大之郷村と改めて分村しました。「大之郷」の名が示すとおり、この一帯はもと一つの「於保(大)の郷」で、明治22年(1889年)の町村制では上大之郷が天龍村、下大之郷が於保村に属し、昭和の合併を経て、現在はいずれも磐田市南部地区にあたります。十輪寺の末寺が上大之郷(長応寺)・下大之郷(恵日寺)・一色(智泉庵)・鮫島(実際寺)と旧郷域の内外に広がっていたことは、村の枠を越えて信仰を集めた当寺の位置を物語ります。
『静岡県磐田郡誌』が伝える末寺の由緒には、村人たちの姿が繰り返し登場します。下大之郷の恵日寺は、古くからの観音堂の傍らに隠居した十輪寺3世宋泉を村人が請うて一寺とし、一色の智泉庵は、旅の僧の草庵に村人が観音堂を建てて十輪寺7世戒護を開山に迎えたと記されています。堂を建て、僧を迎え、寺を興したのは、いずれも地域の人々でした。末寺の多くが姿を消した現在も、長応寺の薬師如来立像が十輪寺に受け継がれているように、当寺は大之郷一帯の人々が積み重ねてきた祈りの記憶を預かる場であり続けています。大正8年(1919年)開創と伝わる磐田郡三十三観音霊場の札所に数えられたことも、近代に入ってからの当寺と地域の結び付きを示す記録の一つです。
06
年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
寺院単独の公式サイトは確認できておらず、行事・法要の案内は公開資料からは確認できません。法事・お墓参りで訪れる際は、寺院関係者へ直接確認してください。
境内には楼門・仁王像・観音像・庭園があります。参拝の際は本堂へ続く参道を通り、庭園や石造物を傷めないよう配慮してください。
市指定文化財の薬師如来立像は堂内に安置される仏像であり、公開の有無・時期は確認できていません。文化財に関する問い合わせは磐田市の文化財担当部署でも受け付けています。
- 年中行事(施餓鬼会・彼岸会・地蔵盆等)の有無と日程、檀家の参列可否
- 墓地・永代供養・納骨の受付状況と申し込み方法
- 護持会・世話人会など檀家組織の有無
- 薬師如来立像の安置場所・公開状況
- 駐車場の有無
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 十輪寺の読み方と山号は?
-
「じゅうりんじ」と読みます。現地の寺号石柱と本堂扁額、霊場資料から山号は宝蔵山と確認できます。京都市や藤枝市などにも同名の十輪寺がありますが、いずれも別の寺院です。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗で、『静岡県磐田郡誌』には袋井の可睡斎の末寺と記録されています。同誌(大正10年)は本尊を延命地蔵菩薩と記していますが、これは100年前の記録であり、現在の本尊の尊名は寺院への確認が取れていません。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ建てられたお寺ですか?
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創立年代は『静岡県磐田郡誌』にも記載がなく、現時点では確認できていません。同誌は、もと臨済宗であったのが後に曹洞宗に改まったと伝えています。末寺の実際寺(鮫島)が天正の初め(1573年頃)の創建と伝えられることから、遅くとも戦国時代末期には存在していたとみられます。
本文「歴史と背景」を読む - 文化財はありますか?
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鎌倉時代の作とされる薬師如来立像が磐田市指定文化財(彫刻)です。もと末寺の長応寺にあった像が十輪寺に移されたもので、平成17年(2005年)11月21日に指定されました。
本文「文化財・見どころ」を読む - 長応寺とはどんな寺ですか?
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『静岡県磐田郡誌』に、上大之郷字木の下にあった十輪寺の末寺として記録された寺で、本尊は東方薬師瑠璃光如来でした。市指定文化財の薬師如来立像は、この長応寺から十輪寺に移されたと市の資料に記されています。
本文「歴史と背景」を読む - 末寺はほかにもあったのですか?
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『静岡県磐田郡誌』には長応寺のほか、下大之郷の恵日寺、一色の智泉庵、鮫島の実際寺が十輪寺の末寺として記録されています。実際寺は現存し、磐田市鮫島の曹洞宗寺院として活動しています。
本文「歴史と背景」を読む - 札所になっていますか?
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大正8年(1919年)開創と伝わる磐田郡三十三ヶ所観音霊場の第2番札所とされています。境内には大型の観音像が立っています。
本文「宗派と本尊」を読む - 行事や墓地について知りたいのですが。
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年中行事・墓地・永代供養の受付状況は公開資料からは確認できていません。寺院単独の公式サイトも確認できていないため、法事や供養の相談は寺院関係者へ直接確認してください。確認でき次第、このページに追記します。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
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写真で見る境内
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出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9120。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 宗派公式資料 十輪寺 - 曹洞禅ナビ(曹洞宗公式 寺院ポータルサイト)
曹洞宗寺院として磐田市上大之郷606-1に所在することを確認。沿革の記載はなし(2026年7月19日時点は同サイトがサーバー障害のため過去の確認記録を引き継ぎ)
- 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
薬師如来立像(彫刻・鎌倉時代・上大之郷)が平成17年11月21日指定であること、「長応寺にあったが、十輪寺に移る」との解説を確認
- 民間二次情報 ニッポンの霊場 磐田郡三十三観音霊場
大正8年開創の磐田郡三十三ヶ所観音霊場第2番=宝蔵山十輪寺(曹洞宗・上大之郷606)を確認。寺名・宗派・住所がDBと一致
- 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 十輪寺(2024年12月2日時点アーカイブ)
掲載は基本情報のみ(名称・フリガナ「ジュウリンジ」・〒438-0051 磐田市上大之郷606-1)。由緒・本尊・公式サイトの掲載なし
- 行政・公的資料 磐田市文化財一覧オープンデータ(LinkData・CC BY)
磐田市公開の文化財一覧オープンデータ。名称・よみ・所在地により寺院と文化財の対応を照合
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)コマ454
国立国会図書館デジタルコレクション。十輪寺の由緒(天龍村上大之郷字末長・可睡斎末・本尊延命地蔵菩薩・元臨済宗のち曹洞宗)、末寺長応寺(上大之郷字木の下・本尊東方薬師瑠璃光如来)、実際寺(鮫島・十輪寺末)の由緒を確認
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)コマ452
十輪寺末の恵日寺(於保村下大之郷字六つ恵・水月山・十輪寺3世宋泉の隠居と村人の建立)、智泉庵(於保村一色字西脇・仏徳山・慶長年中の草庵と十輪寺7世戒護の開山)の由緒を確認
- 学術資料 『可睡斎史料集』第1巻(寺誌史料・思文閣出版)
国立国会図書館デジタルコレクション(館内限定)の全文検索スニペットで「可睡斎孫末十輪寺末寺 遠江国豊田郡鮫島村実際寺」の記載を確認(実際寺調査時の確認記録を引き継ぎ)。十輪寺が可睡斎直末で末寺を有したことの傍証
- 郷土資料 『日本歴史地名大系』上大之郷村(コトバンク)
天正17年(1589年)の「於ほ之郷上村」の記載、寛永10年(1633年)の大之郷上組・下組の分村(上大之郷村・下大之郷村)を確認
- 現地確認 現地写真(2026年7月13日撮影)
寺号石柱「曹洞宗 宝蔵山 十輪寺」、本堂扁額「宝蔵山」、二層の楼門、仁王像、観音像、本堂正面、手水鉢、雨鎖、庭園の松、石標を確認
- 民間二次情報 定光寺クラウドファンディング応援メッセージ(READYFOR)
磐田郡三十三観音霊場の南部地区札所群の文脈確認に使用(同霊場第7番定光寺のプロジェクトページ)。十輪寺自体の記述はない
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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