見付地区・現存

行泉寺

ぎょうせんじ

ページ充実度 標準 最終確認 2026.07.19

行泉寺(ぎょうせんじ)は、磐田市見付にある真宗高田派の寺院です。山号は飛龍山。『静岡県磐田郡誌』によれば三重県津市の本山専修寺の末寺で、天正元年(1573年)に僧龍山が一宇を造立したのを始まりと伝えます。本尊は阿弥陀如来。旧東海道の筋、加茂川の近くに立地する、磐田市域では数少ない高田派の念仏道場です。

別称・関連名称飛龍山行泉寺

寺院名
行泉寺
地区
見付
住所
静岡県磐田市見付3080番地の2
宗派
真宗高田派

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
行泉寺
読み方
ぎょうせんじ
地区
見付
宗派
真宗高田派
ご本尊(資料上)
阿弥陀如来(『静岡県磐田郡誌』真宗寺院一覧表による)
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市見付3080番地の2
Googleマップ
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寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
本堂と境内の現況
最終確認日
2026.07.11

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

行泉寺本堂正面
現地写真・本堂・堂宇
本堂の側面
本堂・堂宇
行泉寺の山門
入口・石標
境内の小堂
境内全景
宗派真宗高田派
創建・年代天正元年(1573年)、僧龍山による一宇造立(『静岡県磐田郡誌』による)
本尊阿弥陀如来(『静岡県磐田郡誌』真宗寺院一覧表による)
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地見付・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
行泉寺
宗派
真宗高田派
本尊
阿弥陀如来(『静岡県磐田郡誌』真宗寺院一覧表による)
創建
天正元年(1573年)、僧龍山による一宇造立(『静岡県磐田郡誌』による)
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市見付3080番地の2
地区
見付

Database 02

沿革

『静岡県磐田郡誌』にみる由緒

『静岡県磐田郡誌』の浄土真宗の部には、行泉寺について「中泉町中泉字南裏に在り。飛龍山と號す。高田派に屬し専修寺の末寺なり。天正元年、僧龍山一宇を造立せるを始めとす」と記されています。天正元年(1573年)は室町幕府が事実上滅亡した年で、遠江では徳川家康と武田氏の攻防が続いた戦国時代の只中にあたります。同誌の真宗寺院一覧表には、山号飛龍山・本尊阿弥陀如来・開山龍山と記され、1921年当時の境内地は513坪、檀徒は30戸とあります。戦乱の時代に一宇の造立から始まり、大きくはないながらも檀徒に支えられて法灯を伝えてきた寺の姿がうかがえます。

郡誌にみる唯一の高田派寺院

『静岡県磐田郡誌』の浄土真宗の部に立項された寺院は、満徳寺・行泉寺・西願寺(いずれも中泉町)、西方寺(長野村)、万福寺・福満寺(掛塚町)の6か寺です。このうち大谷派(東本願寺系)や本願寺派(西本願寺系)ではなく高田派に属するのは行泉寺のみでした。同じコマに記された各寺の由緒によれば、6か寺の草創は大永7年(1527年)の万福寺(掛塚)から慶長17年(1612年)の満徳寺(中泉)までの戦国末期から江戸初期に集中しており、天正元年(1573年)草創の行泉寺は、万福寺、天文年間開基の西方寺(長野村)に次いで3番目に古い草創となります。高田派は、親鸞聖人が関東で教えを説いた折に下野国高田(現在の栃木県真岡市)に建立された専修寺を源流とし、のちに伊勢国一身田(津市)の専修寺が本山として定着した流れで、教線は東海地方に広がりました。磐田の地でその法脈を受け継いできたのが行泉寺です。

所在地の表記 中泉字南裏と見付

『静岡県磐田郡誌』は行泉寺の所在地を「中泉町中泉字南裏」と記していますが、現在の宗教法人名簿上の所在地は磐田市見付3080番地の2です。中泉と見付は隣接する町で、行泉寺の立地は両町の境界に近い一帯とみられますが、大字境の変更があったのか、寺が移転したのかなど、郡誌の表記と現住所の関係を伝える公開資料は現時点では確認できていません。磐田市観光協会の寺社散策マップ「磐田 中泉ありがた歩記」の地図帖には、加茂川近くの旧東海道沿いの寺として行泉寺が掲載されており、昔も今も街道筋の寺であることに変わりはありません。

旧東海道と加茂川のほとりで

行泉寺の周辺は、東海道の見付宿から中泉方面へと続く旧街道の筋にあたります。見付は奈良時代に遠江国府と遠江国分寺が置かれた遠江国の中心地で、江戸時代には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿として栄えました。宿場の西から南へ延びる街道沿いには寺社が点在し、行泉寺もそのひとつとして旅人や地域の人々の暮らしを見つめてきました。近代に入り交通の軸が鉄道へ移ったのちも、旧街道沿いの寺には宿場町時代の面影が受け継がれています。磐田市観光協会が中泉地区の寺社散策マップを発行して旧東海道沿いの寺々を紹介していることも、この街道筋の歴史が今も地域の記憶として大切にされていることの表れです。

宗教法人としての現在

行泉寺は、静岡県知事所轄宗教法人名簿に、系統を仏教、包括団体を真宗高田派とする宗教法人として登載されており、行政の名簿と宗門の所属の両面で現存が確認できる寺院です。一方で、寺院独自の公式サイトや宗派ポータルでの詳細な紹介は現時点で確認できておらず、由緒を今に伝える公開資料は『静岡県磐田郡誌』などの郷土資料が中心です。堂宇の現況や年中行事など、確認できていない事項は調査を続け、確かめられたところから追記していきます。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
阿弥陀如来(『静岡県磐田郡誌』真宗寺院一覧表による)
宗教的意味
行泉寺は真宗高田派に属し、『静岡県磐田郡誌』は本尊を阿弥陀如来と記しています。本山は親鸞聖人直筆の宝物を数多く伝える三重県津市一身田の専修寺で、行泉寺はその末寺として磐田の地に高田派の勤行と報恩講の伝統を受け継いできました。磐田市域では珍しい高田派の寺であるため、仏事の作法や勤行の次第に本願寺系の寺との違いがあります。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

現地確認資料

本堂と境内の現況

現地写真により、本堂と境内が保たれていることが確認できます。郡誌に境内513坪と記された寺地の現在の様子や、堂宇の建立年代・境内の石造物の詳細については、現時点では資料で確認できていません。

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

行泉寺のある見付・中泉の一帯は、磐田の歴史の中心が積み重なった土地です。奈良時代には遠江国府と遠江国分寺が見付の台地に置かれ、江戸時代には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿が東海道屈指の規模を誇りました。宿場町見付には「十七小路」と呼ばれる小路が延び、寺社や蔵が点在しています。行泉寺は、この見付宿から中泉方面へ続く旧東海道の筋、加茂川の近くに位置しています。

明治8年(1875年)には見付の町に旧見付学校(国指定史跡・現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎)が落成し、宿場町は近代の学びの町へと歩みを進めました。天正元年(1573年)の草創以来450年余り、行泉寺は磐田市域で数少ない高田派の寺として、檀徒30戸(1921年当時)という規模ながら独自の法脈を守り続けてきました。宗派の多様さそのものが、街道の要地として多くの人と教えが行き交った見付・中泉の歴史を物語っています。高田派の寺がこの地に残ることは、東海道の町が受け入れてきた信仰の幅を示す手がかりでもあります。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9071

  2. 郷土資料『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)470コマ・422コマ

    国立国会図書館デジタルコレクション。由緒(470コマ)に飛龍山・高田派専修寺末・天正元年僧龍山造立、一覧表(422コマ)に本尊阿弥陀如来・境内513坪・檀徒30戸

  3. 地域資料磐田市観光協会「磐田 中泉ありがた歩記」(寺社散策マップ)

    地図帖に加茂川近くの旧東海道沿いの寺として行泉寺を掲載

最終更新日 2026.07.19

01

この寺院について

行泉寺は磐田市見付3080番地の2に所在する真宗高田派の寺院です。静岡県知事所轄宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人(系統は仏教、包括団体は真宗高田派)として掲載されています。磐田市観光協会の寺社散策マップには、加茂川近くの旧東海道沿いの寺として掲載されており、見付宿から中泉方面へ続く街道筋にゆかりのある立地です。

大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』の由緒によれば、行泉寺は飛龍山と号し、高田派に属して本山専修寺の末寺であり、天正元年(1573年)に僧龍山が一宇を造立したのを始まりとします。同誌の真宗寺院一覧表では本尊は阿弥陀如来、開山は龍山で、1921年当時の境内地は513坪、檀徒は30戸でした。

真宗高田派は、親鸞聖人を宗祖とする真宗十派のひとつで、本山は三重県津市一身田の専修寺です。磐田市域の浄土真宗寺院は東西本願寺系(大谷派・本願寺派)が中心で、『静岡県磐田郡誌』の浄土真宗の部に立項された6か寺のうち、高田派は行泉寺ただ1か寺でした。東海地方に広がった高田派の教線が磐田の地に及んだことを伝える、貴重な存在です。

02

歴史と背景

『静岡県磐田郡誌』にみる由緒

『静岡県磐田郡誌』の浄土真宗の部には、行泉寺について「中泉町中泉字南裏に在り。飛龍山と號す。高田派に屬し専修寺の末寺なり。天正元年、僧龍山一宇を造立せるを始めとす」と記されています。天正元年(1573年)は室町幕府が事実上滅亡した年で、遠江では徳川家康と武田氏の攻防が続いた戦国時代の只中にあたります。同誌の真宗寺院一覧表には、山号飛龍山・本尊阿弥陀如来・開山龍山と記され、1921年当時の境内地は513坪、檀徒は30戸とあります。戦乱の時代に一宇の造立から始まり、大きくはないながらも檀徒に支えられて法灯を伝えてきた寺の姿がうかがえます。

郡誌にみる唯一の高田派寺院

『静岡県磐田郡誌』の浄土真宗の部に立項された寺院は、満徳寺・行泉寺・西願寺(いずれも中泉町)、西方寺(長野村)、万福寺・福満寺(掛塚町)の6か寺です。このうち大谷派(東本願寺系)や本願寺派(西本願寺系)ではなく高田派に属するのは行泉寺のみでした。同じコマに記された各寺の由緒によれば、6か寺の草創は大永7年(1527年)の万福寺(掛塚)から慶長17年(1612年)の満徳寺(中泉)までの戦国末期から江戸初期に集中しており、天正元年(1573年)草創の行泉寺は、万福寺、天文年間開基の西方寺(長野村)に次いで3番目に古い草創となります。高田派は、親鸞聖人が関東で教えを説いた折に下野国高田(現在の栃木県真岡市)に建立された専修寺を源流とし、のちに伊勢国一身田(津市)の専修寺が本山として定着した流れで、教線は東海地方に広がりました。磐田の地でその法脈を受け継いできたのが行泉寺です。

所在地の表記 中泉字南裏と見付

『静岡県磐田郡誌』は行泉寺の所在地を「中泉町中泉字南裏」と記していますが、現在の宗教法人名簿上の所在地は磐田市見付3080番地の2です。中泉と見付は隣接する町で、行泉寺の立地は両町の境界に近い一帯とみられますが、大字境の変更があったのか、寺が移転したのかなど、郡誌の表記と現住所の関係を伝える公開資料は現時点では確認できていません。磐田市観光協会の寺社散策マップ「磐田 中泉ありがた歩記」の地図帖には、加茂川近くの旧東海道沿いの寺として行泉寺が掲載されており、昔も今も街道筋の寺であることに変わりはありません。

旧東海道と加茂川のほとりで

行泉寺の周辺は、東海道の見付宿から中泉方面へと続く旧街道の筋にあたります。見付は奈良時代に遠江国府と遠江国分寺が置かれた遠江国の中心地で、江戸時代には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿として栄えました。宿場の西から南へ延びる街道沿いには寺社が点在し、行泉寺もそのひとつとして旅人や地域の人々の暮らしを見つめてきました。近代に入り交通の軸が鉄道へ移ったのちも、旧街道沿いの寺には宿場町時代の面影が受け継がれています。磐田市観光協会が中泉地区の寺社散策マップを発行して旧東海道沿いの寺々を紹介していることも、この街道筋の歴史が今も地域の記憶として大切にされていることの表れです。

宗教法人としての現在

行泉寺は、静岡県知事所轄宗教法人名簿に、系統を仏教、包括団体を真宗高田派とする宗教法人として登載されており、行政の名簿と宗門の所属の両面で現存が確認できる寺院です。一方で、寺院独自の公式サイトや宗派ポータルでの詳細な紹介は現時点で確認できておらず、由緒を今に伝える公開資料は『静岡県磐田郡誌』などの郷土資料が中心です。堂宇の現況や年中行事など、確認できていない事項は調査を続け、確かめられたところから追記していきます。

03

文化財・見どころ

現地確認資料

本堂と境内の現況

現地写真により、本堂と境内が保たれていることが確認できます。郡誌に境内513坪と記された寺地の現在の様子や、堂宇の建立年代・境内の石造物の詳細については、現時点では資料で確認できていません。

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宗派と本尊を知る

行泉寺は真宗高田派に属し、『静岡県磐田郡誌』は本尊を阿弥陀如来と記しています。本山は親鸞聖人直筆の宝物を数多く伝える三重県津市一身田の専修寺で、行泉寺はその末寺として磐田の地に高田派の勤行と報恩講の伝統を受け継いできました。磐田市域では珍しい高田派の寺であるため、仏事の作法や勤行の次第に本願寺系の寺との違いがあります。

真宗高田派とは

真宗高田派は、親鸞聖人を宗祖とする真宗十派のひとつで、本山は三重県津市一身田の専修寺です。「高田本山」の呼び名で広く親しまれています。その源流は、親鸞聖人が関東で教えを説かれた折に下野国高田(現在の栃木県真岡市)に建立された専修寺にあります。一身田の専修寺は第10世真慧上人が伊勢国の中心寺院として建てたもので、関東の本寺が兵火にあったのち、歴代上人が住まわれるようになって本山として定着しました。

教えは親鸞聖人の他力念仏に基づきます。高田派は親鸞聖人直筆の「西方指南抄」をはじめ由緒ある宝物を数多く伝えることで知られ、本山の御影堂と如来堂は平成29年(2017年)に国宝に指定されました。

檀家の仏事では、高田派に伝わる勤行の次第が受け継がれ、宗祖を偲ぶ報恩講が一年の中心となる法要です。真慧上人の教化以来、東海地方に教えが広がった歴史を持ち、位牌ではなく過去帳を基本とするなど、浄土真宗に共通する作法を大切にしています。

参考: 専修寺について(真宗高田派本山 専修寺)真宗高田派 専修寺(真宗教団連合)

阿弥陀如来という仏さま

阿弥陀如来の「阿弥陀」は「量りしれない」という意味で、限りない光(無量光)と限りない命(無量寿)を備えた仏さまであることを表します。西方の極楽浄土の教主で、はるか昔、法蔵菩薩として修行していた時に48の願を立て、なかでも第18願では、念仏する者を必ず浄土に迎え取ると誓われたと経典に説かれています。

この誓いを頼りとして「南無阿弥陀仏」と称えるのがお念仏です。浄土宗や浄土真宗など念仏の教えに立つ宗派では阿弥陀如来を本尊と仰ぎ、仏壇の中央に絵像や木像でお迎えして、朝夕のお勤めで手を合わせます。本尊のお姿は、目に見えない救いのはたらきを、私たちに受け取りやすいよう姿かたちで表したものと受け止められています。

葬儀や年忌法要、お彼岸やお盆など、亡き人を偲ぶ場面で最も身近な仏さまでもあります。亡き人を浄土に迎え取り、残された私たちをも光の中で照らし続けてくださる。そのはたらきへの感謝とともに称えるのがお念仏だと受け止められています。

参考: よくあるご質問(浄土宗 公式サイト)ご本尊をお迎えする(真宗大谷派・東本願寺 公式サイト)阿弥陀如来の四十八願について(浄土宗 善想寺)

05

地域とのつながり

行泉寺のある見付・中泉の一帯は、磐田の歴史の中心が積み重なった土地です。奈良時代には遠江国府と遠江国分寺が見付の台地に置かれ、江戸時代には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿が東海道屈指の規模を誇りました。宿場町見付には「十七小路」と呼ばれる小路が延び、寺社や蔵が点在しています。行泉寺は、この見付宿から中泉方面へ続く旧東海道の筋、加茂川の近くに位置しています。

明治8年(1875年)には見付の町に旧見付学校(国指定史跡・現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎)が落成し、宿場町は近代の学びの町へと歩みを進めました。天正元年(1573年)の草創以来450年余り、行泉寺は磐田市域で数少ない高田派の寺として、檀徒30戸(1921年当時)という規模ながら独自の法脈を守り続けてきました。宗派の多様さそのものが、街道の要地として多くの人と教えが行き交った見付・中泉の歴史を物語っています。高田派の寺がこの地に残ることは、東海道の町が受け入れてきた信仰の幅を示す手がかりでもあります。

06

年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

年中行事(報恩講・彼岸法要など)の日程や法要・供養の相談窓口は公開資料では確認できていないため、寺院へ直接確認してください。

高田派の仏事は本願寺系と作法が異なる場合があります。位牌ではなく過去帳を基本とするなど、詳細は寺院に確認してください。

調査中の項目
  • 報恩講など年中行事の日程は未確認
  • 墓地・永代供養の取扱いは未確認
  • 現在の本尊・堂宇の様子(郡誌の記載は1921年時点)は未確認
  • 住職の常駐状況・連絡先は未確認

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

07

よくある質問

行泉寺の読み方は?

「ぎょうせんじ」と読みます。山号は飛龍山(ひりゅうざん)です。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本尊は?

真宗高田派の寺院で、三重県津市一身田の本山専修寺の末寺です。『静岡県磐田郡誌』は本尊を阿弥陀如来と記しています。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ開かれたお寺ですか?

『静岡県磐田郡誌』によれば、天正元年(1573年)に僧龍山が一宇を造立したのが始まりと伝わります。戦国時代末期の草創です。

本文「歴史と背景」を読む
真宗高田派とはどんな宗派ですか?

親鸞聖人を宗祖とする真宗十派のひとつで、下野国高田の専修寺を源流とし、本山は津市一身田の専修寺です。磐田郡誌の浄土真宗の部に立項された6か寺のうち高田派は行泉寺のみでした。

本文「宗派と本尊」を読む
郡誌の所在地「中泉」と現住所「見付」はなぜ違うのですか?

『静岡県磐田郡誌』は所在地を「中泉町中泉字南裏」と記し、現在の名簿上の所在地は見付3080番地の2です。大字境の変更か移転かなど、両者の関係を伝える資料は確認できていません。

本文「歴史と背景」を読む
行泉寺のある見付・中泉はどんな土地ですか?

奈良時代に遠江国府・遠江国分寺が置かれ、江戸時代には東海道の見付宿として栄えた磐田の中心地です。行泉寺は見付宿から中泉へ続く旧東海道の筋、加茂川の近くにあります。

本文「地域とのつながり」を読む
本山の専修寺とはどんなお寺ですか?

三重県津市一身田にある真宗高田派の本山です。親鸞聖人直筆の宝物を数多く伝えることで知られ、御影堂と如来堂は国宝に指定されています。行泉寺はその末寺です。

本文「宗派と本尊」を読む
法要やお墓の相談はできますか?

法要・供養やお墓に関する相談窓口は公開資料では確認できていません。高田派は本願寺系と作法が異なる場合があるため、仏事の詳細も含めて寺院へ直接確認してください。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む

08

写真で見る境内

行泉寺本堂正面
本堂・堂宇 本堂正面。瓦屋根の軒に飾り瓦が並び、木製の格子戸を構える。
本堂の側面
本堂・堂宇 本堂を側面から見た様子。破風の彫刻や大屋根の造りが分かる。
行泉寺の山門
入口・石標 瓦屋根の山門。奥へ続く参道と木々が見える。
境内の小堂
境内全景 境内に建つ小さな堂宇。奥に本堂の大屋根が見える。

09

出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市の宗教法人として「真宗高田派 行泉寺 磐田市見付3080番地の2」の登載を確認。参照行: L9071。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』(静岡県磐田郡教育会編、1921年)470コマ「浄土真宗 2 行泉寺(中泉町)」

    国立国会図書館・次世代デジタルライブラリーの全文テキストで由緒の原文「中泉町中泉字南裏に在り。飛龍山と號す。高田派に屬し専修寺の末寺なり。天正元年、僧龍山一宇を造立せるを始めとす」を確認。同コマで浄土真宗の部の立項が6か寺で高田派は行泉寺のみであることも確認

  3. 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』422コマ(真宗寺院一覧表)

    一覧表で山号飛龍山・本尊阿弥陀如来・開山龍山・境内513坪・檀徒30戸を確認

  4. 地域資料 磐田市観光協会「磐田 中泉ありがた歩記」(寺社散策マップ)

    地図帖に加茂川近くの旧東海道沿いの寺として行泉寺を掲載(2026年7月19日にURLの有効性を再確認)

  5. 宗派公式資料 真宗高田派本山 専修寺「専修寺について」

    下野国高田の専修寺を源流とする沿革、伊勢国一身田(津市)での本山定着、親鸞聖人直筆の宝物を伝えることを確認

  6. 宗派公式資料 真宗教団連合「真宗高田派 専修寺」

    真宗高田派が親鸞聖人を宗祖とする真宗十派のひとつであることを確認

  7. 行政・公的資料 磐田市公式サイト「磐田市の概要」

    奈良時代に遠江国府・遠江国分寺が置かれ、江戸時代に東海道の見付宿として繁栄した歴史的背景を確認

  8. 地域資料 磐田市観光協会「〜遠江国はじまりの地〜磐田に刻まれた歴史をたどる旅」

    見付宿が東海道五十三次の28番目の宿場で東海道屈指の規模を誇ったこと、十七小路の存在を確認

  9. 行政・文化財情報 磐田市公式サイト「旧見付学校附磐田文庫(旧見付学校)」

    明治8年落成・開校、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎、国の史跡指定を確認

  10. 現地確認 現地写真(2026年撮影)

    本堂と境内の現況を現地写真で確認

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