竜洋地区・現存

潜龍寺

せんりゅうじ

ページ充実度 標準 最終確認 2026.07.19

潜龍寺(せんりゅうじ)は、磐田市川袋(旧磐田郡竜洋町域)にある臨済宗方広寺派の寺院です。『静岡県磐田郡誌』によれば本尊は満願虚空蔵菩薩で、永和3年(1377年)に大本山方広寺2世在徳和尚の分派開創と伝え、廃絶ののち慶長元年(1596年)に金叔和尚が中興した、掛塚輪中の村・川袋の歴史を伝える寺です。

寺院名
潜龍寺
地区
竜洋
住所
静岡県磐田市川袋463番地
宗派
臨済宗方広寺派

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
潜龍寺
読み方
せんりゅうじ
地区
竜洋
宗派
臨済宗方広寺派
ご本尊(資料上)
満願虚空蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市川袋463番地
Googleマップ
Googleマップで開く
寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
最終確認日
2026.07.11

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

潜龍寺の現地写真 1
現地写真・本堂・堂宇
潜龍寺の現地写真 2
入口・石標
潜龍寺の現地写真 3
境内全景
潜龍寺の現地写真 4
石造物・手水
潜龍寺の現地写真 5
説明板・案内板
潜龍寺の現地写真 6
その他
宗派臨済宗方広寺派
創建・年代永和3年(1377年)※郡誌の由緒。年代には検討の余地あり
本尊満願虚空蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地竜洋・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
潜龍寺
宗派
臨済宗方広寺派
本尊
満願虚空蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
創建
永和3年(1377年)※郡誌の由緒。年代には検討の余地あり
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市川袋463番地
地区
竜洋

Database 02

沿革

永和3年(1377年)の分派開創の伝え

『静岡県磐田郡誌』の由緒は、潜龍寺を永和3年(1377年)、本寺方広寺の2世在徳和尚の分派開創によると記しています。大本山方広寺は建徳2年(1371年)に後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師が開いた禅寺ですから、寺伝のとおりであれば、潜龍寺の開創は本山の開創からわずか6年後にあたります。天竜川河口の湊町一帯に方広寺の教線が早くから及んだことを伝える由緒ですが、開創者とされる在徳和尚の年代には検討の余地があり、寺伝の年代は「〜と伝わる」ものとして受けとめる必要があります。

廃絶と慶長元年(1596年)の中興

郡誌の由緒によれば、潜龍寺はいったん廃絶したのち、慶長元年(1596年)に金叔和尚が中興開基となって再興されました。慶長年間の天竜川下流域では、同じ掛塚輪中の十郎島で慶長元年(1596年)に寶珠院が心叟により開かれるなど、方広寺派の寺院の創立・再興が相次いでおり、潜龍寺の中興もこうした戦国末期から近世初頭にかけての地域的な動きの中に位置付けられます。中興から400年以上、潜龍寺は川袋の人々の菩提寺として法灯を守ってきました。なお中興開基とされる金叔和尚の法系(方広寺のどの寺院から入ったか)を伝える記録は確認できていません。

在徳和尚をめぐる年代の課題

『静岡県磐田郡誌』は、白羽の龍泉寺の項では在徳和尚を文明11年(1479年)の分派開創者とし、明応6年(1497年)示寂と記しています。これは潜龍寺の由緒が伝える永和3年(1377年)の開創とは100年ほど合わず、同一人物であれば年代に矛盾が生じるため、寺伝の年代には検討の余地があります。また郡誌の由緒は当寺の所在を「掛塚町掛塚」と記しており、現住所の川袋との関係(大字境の変更か移転か)も確認できていません。さらに掛塚には「掛塚の虚空蔵」として知られる香集寺があり、郡誌では両寺の記事が隣接するため、原本画像での精査が望まれます。

掛塚輪中の村・川袋と近代の歩み

川袋は天竜川がつくった低地の村で、洪水から集落と田畑を守る掛塚輪中の内側に位置します。『日本歴史地名大系』は、隣接する十郎島村が天竜川の流路の変化に伴い村ごと中洲になったこともあると伝えており、輪中の内外で水との闘いが続いた土地柄でした。天竜川河口の掛塚湊は江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、明治22年(1889年)の東海道線開通のころまで浜松の外港として機能したと紹介されています。川袋村はその後背地として湊の繁栄を支え、明治22年(1889年)に掛塚町の大字となりました。舟運の衰退後も潜龍寺は川袋の菩提寺として受け継がれ、大本山方広寺の末寺一覧には現在も川袋の寺院として掲載され、分譲可能墓地・永代供養墓の対応が表示されています。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
満願虚空蔵菩薩(『静岡県磐田郡誌』による)
宗教的意味
潜龍寺は、奥山半僧坊で知られる大本山方広寺から直接分かれたと伝わる方広寺派の末寺です。『静岡県磐田郡誌』が記す本尊の満願虚空蔵菩薩は、智恵と福徳を蔵する虚空蔵菩薩の尊名で、掛塚には「掛塚の虚空蔵」として知られる香集寺もあることから、天竜川河口の湊町一帯で虚空蔵信仰が親しまれてきたことがうかがえます。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

潜龍寺のある川袋を含む旧竜洋町域は、天竜川左岸の河口部に広がる低地です。天竜川河口の掛塚湊は、江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと伝えられます。掛塚は大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地でもあり、貴船神社の境内には大正13年(1924年)建立の掛塚港廻船之碑が残ります。

掛塚の貴船神社の例祭「掛塚まつり」では、静岡県指定無形民俗文化財の掛塚祭屋台囃子とともに豪華な屋台が曳き回されます。この囃子には、延元3年(1338年)に後醍醐天皇の皇子・宗良親王の船団が遠州沖の暴風雨で白羽に漂着し、貴船神社の大祭で随員から囃子が伝授されたという南北朝時代以来の伝承が残り、潜龍寺の開創が伝えられる南北朝期の掛塚一帯の歴史と響き合います。

東海道線の開通とともに舟運は衰えましたが、現在の竜洋地区は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地する町となり、天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われ、遠州灘沿いには東西約4キロメートルにわたって砂浜が続きます。掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館もこの地区にあり、潜龍寺をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた竜洋の歴史を伝えています。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9306

  2. 宗派公式資料方広寺派末寺一覧(磐田市・袋井市)|臨済宗方広寺派大本山方広寺

    本山公式の末寺一覧に「潜龍寺(川袋)〒438-0232 磐田市川袋463」として掲載されていることを本文で確認。

  3. 民間二次情報竜洋町 - Wikipedia

    川袋を含む旧竜洋町の沿革(1955年発足、2005年合併)を本文で確認。

  4. 郷土資料静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(1921年)コマ435「潜龍寺(掛塚町)」

    国立国会図書館デジタルコレクション(全文検索で本文確認)

  5. 民間二次情報Wikipedia「掛塚町」

    明治22年の掛塚町成立(掛塚村・十郎島村・白羽村・豊岡村・川袋村の合併)

  6. 宗派公式資料大本山方広寺 末寺のご案内(磐田市・袋井市)

    一覧掲載のみ。「磐田市川袋 潜龍寺 〒438-0232 磐田市川袋463」として掲載。分譲可能墓地・永代供養墓ありの表示。由緒・本尊の記載はない。

最終更新日 2026.07.19

01

この寺院について

潜龍寺は磐田市川袋463番地に所在する臨済宗方広寺派の寺院で、大本山方広寺(浜松市浜名区引佐町奥山)の公式末寺一覧に「潜龍寺(川袋)」として掲載されています。静岡県知事所轄宗教法人名簿にも磐田市内の宗教法人として掲載されており、宗門・行政の両方の名簿でその存在が確認できます。同じ川袋には同派の松林寺(川袋224番地)も所在し、1つの大字に方広寺派の寺院が2か寺並びます。全国には同名・類似名の寺院があり、検索では他地域の情報が混在しやすいため、当ページでは磐田市川袋の寺院に関する資料のみを採用しています。

大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』の由緒によれば、潜龍寺は引佐郡奥山村方広寺の末で、本尊は満願虚空蔵菩薩です。永和3年(1377年)に本寺2世在徳和尚の分派開創に係り、その後廃絶していたところを、慶長元年(1596年)に金叔和尚が中興開基となったと記されています。南北朝期の開創伝承と近世初頭の中興をあわせ伝える、旧竜洋町域でも由緒の古さを語り伝える寺院の1つです。

所在地の川袋は、天竜川河口の掛塚輪中の中に開けた旧川袋村の区域です。川袋村は明治22年(1889年)に掛塚村・十郎島村・白羽村・豊岡村とともに合併して掛塚町となり、昭和30年(1955年)の竜洋町発足、平成17年(2005年)の合併を経て磐田市川袋(郵便番号438-0232)となりました。

02

歴史と背景

永和3年(1377年)の分派開創の伝え

『静岡県磐田郡誌』の由緒は、潜龍寺を永和3年(1377年)、本寺方広寺の2世在徳和尚の分派開創によると記しています。大本山方広寺は建徳2年(1371年)に後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師が開いた禅寺ですから、寺伝のとおりであれば、潜龍寺の開創は本山の開創からわずか6年後にあたります。天竜川河口の湊町一帯に方広寺の教線が早くから及んだことを伝える由緒ですが、開創者とされる在徳和尚の年代には検討の余地があり、寺伝の年代は「〜と伝わる」ものとして受けとめる必要があります。

廃絶と慶長元年(1596年)の中興

郡誌の由緒によれば、潜龍寺はいったん廃絶したのち、慶長元年(1596年)に金叔和尚が中興開基となって再興されました。慶長年間の天竜川下流域では、同じ掛塚輪中の十郎島で慶長元年(1596年)に寶珠院が心叟により開かれるなど、方広寺派の寺院の創立・再興が相次いでおり、潜龍寺の中興もこうした戦国末期から近世初頭にかけての地域的な動きの中に位置付けられます。中興から400年以上、潜龍寺は川袋の人々の菩提寺として法灯を守ってきました。なお中興開基とされる金叔和尚の法系(方広寺のどの寺院から入ったか)を伝える記録は確認できていません。

在徳和尚をめぐる年代の課題

『静岡県磐田郡誌』は、白羽の龍泉寺の項では在徳和尚を文明11年(1479年)の分派開創者とし、明応6年(1497年)示寂と記しています。これは潜龍寺の由緒が伝える永和3年(1377年)の開創とは100年ほど合わず、同一人物であれば年代に矛盾が生じるため、寺伝の年代には検討の余地があります。また郡誌の由緒は当寺の所在を「掛塚町掛塚」と記しており、現住所の川袋との関係(大字境の変更か移転か)も確認できていません。さらに掛塚には「掛塚の虚空蔵」として知られる香集寺があり、郡誌では両寺の記事が隣接するため、原本画像での精査が望まれます。

掛塚輪中の村・川袋と近代の歩み

川袋は天竜川がつくった低地の村で、洪水から集落と田畑を守る掛塚輪中の内側に位置します。『日本歴史地名大系』は、隣接する十郎島村が天竜川の流路の変化に伴い村ごと中洲になったこともあると伝えており、輪中の内外で水との闘いが続いた土地柄でした。天竜川河口の掛塚湊は江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、明治22年(1889年)の東海道線開通のころまで浜松の外港として機能したと紹介されています。川袋村はその後背地として湊の繁栄を支え、明治22年(1889年)に掛塚町の大字となりました。舟運の衰退後も潜龍寺は川袋の菩提寺として受け継がれ、大本山方広寺の末寺一覧には現在も川袋の寺院として掲載され、分譲可能墓地・永代供養墓の対応が表示されています。

03

宗派と本尊を知る

潜龍寺は、奥山半僧坊で知られる大本山方広寺から直接分かれたと伝わる方広寺派の末寺です。『静岡県磐田郡誌』が記す本尊の満願虚空蔵菩薩は、智恵と福徳を蔵する虚空蔵菩薩の尊名で、掛塚には「掛塚の虚空蔵」として知られる香集寺もあることから、天竜川河口の湊町一帯で虚空蔵信仰が親しまれてきたことがうかがえます。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。

臨済宗方広寺派とは

臨済宗方広寺派は、静岡県浜松市浜名区引佐町奥山の方広寺を大本山とする臨済宗の一派です。方広寺は建徳2年(1371年)、後醍醐天皇の皇子である無文元選禅師によって開かれ、禅師が修行した中国・天台山方広寺に山水の趣が似ていることから、その名が付けられたと伝えられます。60ヘクタールに及ぶ境内には多くの堂宇が建ち並び、その多くが国の登録有形文化財となっています。

境内の鎮守として祀られる半僧坊大権現は、無文元選禅師の帰国の船を海難から守ったという故事に由来し、「奥山半僧坊」として厄除けの信仰を広く集めてきました。磐田市の寺院にとっては、県内にある最も身近な大本山のひとつです。

修行の中心は坐禅で、檀家の法要では「般若心経」などの読誦が親しまれ、葬儀や年回法要は臨済宗の伝統に沿って営まれます。本山が地理的に近いことから、本山への参詣や坐禅の体験を通じて、菩提寺と本山のつながりを実感しやすい宗派といえます。

参考: 方広寺について(臨済宗方広寺派大本山 方広寺)方広寺(臨黄ネット 臨済宗・黄檗宗公式サイト)

虚空蔵菩薩という仏さま

虚空蔵菩薩は、何ものにも妨げられない大空(虚空)がすべてを包み込むように、無限の智恵と福徳を蔵する菩薩です。虚空が光や熱、雨や水といった自然の恵みを絶えず与えてくれるように、その恵みは尽きることがないと説かれます。求める人に応じてその蔵から智恵と福徳を取り出して与えてくださると信じられ、記憶力と智恵を授かることを祈る虚空蔵求聞持法という修行の本尊としても知られています。

この仏さまを語るうえで欠かせないのが「十三まいり」です。数え年13歳を迎えた子どもが智恵と福徳を授かりに参拝する習わしで、本尊とする京都・嵐山の法輪寺では毎年4月13日を中心に営まれ、大人への入り口に立つ子どもの成長の節目として親しまれてきました。

法輪寺の本尊は、智恵や福徳だけでなく芸道の上達をも約束する誓いを立てたと伝えられ、学業成就や技芸の上達を願う人びとの信仰を集めています。子や孫の成長の節目に、智恵を授けてくださる仏さまとして手を合わせたいものです。

参考: 法輪寺の歴史・由緒・御本尊(嵐山 虚空蔵法輪寺 公式サイト)春の十三まいり【虚空蔵法輪寺】(京都市公式 京都観光Navi)

04

地域とのつながり

潜龍寺のある川袋を含む旧竜洋町域は、天竜川左岸の河口部に広がる低地です。天竜川河口の掛塚湊は、江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと伝えられます。掛塚は大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地でもあり、貴船神社の境内には大正13年(1924年)建立の掛塚港廻船之碑が残ります。

掛塚の貴船神社の例祭「掛塚まつり」では、静岡県指定無形民俗文化財の掛塚祭屋台囃子とともに豪華な屋台が曳き回されます。この囃子には、延元3年(1338年)に後醍醐天皇の皇子・宗良親王の船団が遠州沖の暴風雨で白羽に漂着し、貴船神社の大祭で随員から囃子が伝授されたという南北朝時代以来の伝承が残り、潜龍寺の開創が伝えられる南北朝期の掛塚一帯の歴史と響き合います。

東海道線の開通とともに舟運は衰えましたが、現在の竜洋地区は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地する町となり、天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われ、遠州灘沿いには東西約4キロメートルにわたって砂浜が続きます。掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館もこの地区にあり、潜龍寺をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた竜洋の歴史を伝えています。

05

年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

大本山方広寺の末寺一覧では、分譲可能墓地・永代供養墓に対応する寺院として表示されています。法要・お墓の相談は寺院へ直接確認してください。

本山公式の末寺一覧では白羽の龍泉寺と同一の連絡先が記載されており、兼務関係の可能性があります。問い合わせの際はご留意ください。

調査中の項目
  • 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要など)の有無・日程は未確認
  • 山号は未確認(郡誌一覧表は列ずれのため判読できない)
  • 現在の本尊・伽藍の様子(郡誌の記載は1921年時点)は未確認
  • 住職の常駐・兼務の状況は未確認
  • 遠江四十九薬師霊場・遠州三十三観音等の札所該当の有無は未確認
  • 檀家組織・護持会の有無は未確認

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

06

よくある質問

潜龍寺の読み方は?

「せんりゅうじ」と読みます。大本山方広寺の公式末寺一覧に「潜龍寺(川袋)〒438-0232 磐田市川袋463」として掲載されています。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本山は?

臨済宗方広寺派で、本山は浜松市浜名区引佐町奥山の大本山方広寺(奥山半僧坊で知られる寺院)です。『静岡県磐田郡誌』にも方広寺の末寺と記されています。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ開かれたお寺ですか?

『静岡県磐田郡誌』の由緒は永和3年(1377年)に方広寺2世在徳和尚の分派開創と伝えます。ただし郡誌は別の項で在徳和尚を文明11年(1479年)の分派開創者と記しており、年代には検討の余地があります。

本文「歴史と背景」を読む
一度廃絶したことがあるのですか?

はい。郡誌の由緒によれば、開創後に廃絶していたところを慶長元年(1596年)に金叔和尚が中興開基となって再興したと伝えます。

本文「歴史と背景」を読む
郡誌の所在「掛塚」と現住所「川袋」が違うのはなぜですか?

『静岡県磐田郡誌』は当寺の所在を「掛塚町掛塚」と記しますが、現住所は磐田市川袋463番地です。大字境の変更によるものか移転によるものかは、現時点では確認できていません。

本文「この寺院について」を読む
同じ川袋の松林寺とはどんな関係ですか?

松林寺(川袋224番地)も同じ臨済宗方広寺派の寺院で、1つの大字に同派の寺院が2か寺並びます。両寺の歴史的な関係(本末・兼務等)は確認できていません。

本文「地域とのつながり」を読む
掛塚の香集寺と混同されることはありますか?

掛塚には「掛塚の虚空蔵」として知られる香集寺があり、『静岡県磐田郡誌』では潜龍寺と記事が隣接しています。本尊の尊名にも共通する部分があるため、当ページでは潜龍寺の由緒として確認できた記載のみを採用しています。

本文「この寺院について」を読む
お墓や永代供養の相談はできますか?

大本山方広寺の末寺一覧では分譲可能墓地・永代供養墓の対応が表示されています。区画や供養の内容など詳細は掲載されていないため、寺院へ直接ご確認ください。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む

07

写真で見る境内

潜龍寺の現地写真 1
本堂・堂宇 潜龍寺の現地写真 1
潜龍寺の現地写真 2
入口・石標 潜龍寺の現地写真 2
潜龍寺の現地写真 3
境内全景 潜龍寺の現地写真 3
潜龍寺の現地写真 4
石造物・手水 潜龍寺の現地写真 4
潜龍寺の現地写真 5
説明板・案内板 潜龍寺の現地写真 5
潜龍寺の現地写真 6
その他 潜龍寺の現地写真 6
潜龍寺の現地写真 7
本堂・堂宇 潜龍寺の現地写真 7
潜龍寺の現地写真 8
入口・石標 潜龍寺の現地写真 8
潜龍寺の現地写真 9
境内全景 潜龍寺の現地写真 9
潜龍寺の現地写真 10
石造物・手水 潜龍寺の現地写真 10

08

出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載(参照行: L9306)。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 宗派公式資料 方広寺派末寺一覧(磐田市・袋井市)|臨済宗方広寺派大本山方広寺

    本山公式の末寺一覧に「潜龍寺(川袋)〒438-0232 磐田市川袋463」として掲載。分譲可能墓地・永代供養墓の対応表示、白羽の龍泉寺と同一の連絡先であることを確認。由緒・本尊の記載はない

  3. 郷土資料 静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(1921年)コマ435「潜龍寺(掛塚町)」

    国立国会図書館デジタルコレクション。方広寺末・本尊満願虚空蔵菩薩・永和3年在徳和尚分派開創・慶長元年金叔和尚中興開基の由緒を確認。あわせて龍泉寺の項の在徳和尚(文明11年分派開創・明応6年示寂)の記載を参照

  4. 民間二次情報 Wikipedia「掛塚町」

    明治22年(1889年)の掛塚町成立(掛塚村・十郎島村・白羽村・豊岡村・川袋村の合併)を確認(発見用の参考情報)

  5. 宗派公式資料 方広寺について(臨済宗方広寺派大本山 方広寺)

    大本山方広寺が建徳2年(1371年)に後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師により開かれたこと、奥山半僧坊信仰の由来を確認

  6. 民間二次情報 コトバンク「竜洋」(日本大百科全書ほか)

    昭和30年(1955年)の竜洋町発足と平成17年(2005年)の磐田市への合併、掛塚港が明治22年(1889年)の東海道線開通期まで天竜木材の集積地・浜松の外港として栄えたこと、現在の農業・工業の概況を確認

  7. 行政・公的資料 磐田市公式サイト「施設ガイド 竜洋郷土資料館」

    掛塚湊が木材等諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したとの記述、掛塚祭や竜洋地区の暮らしに関する資料を収蔵する同館の展示概要を確認

  8. 行政・公的資料 磐田市観光協会「掛塚湊の碑(竜洋海洋公園内)」

    掛塚地区が大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地・天竜川舟運の湊として繁栄したこと、貴船神社境内の掛塚港廻船之碑(大正13年建立)を確認

  9. 行政・公的資料 磐田市公式サイト「掛塚祭屋台囃子」(県指定無形民俗文化財)

    貴船神社の祭典の屋台囃子が静岡県指定無形民俗文化財であること、延元3年(1338年)に宗良親王の船団が白羽に漂着し随員から囃子が伝授されたという伝承を確認

  10. 行政資料 磐田市公式サイト「旧竜洋町の住所表示」

    竜洋町川袋→磐田市川袋(438-0232)の住所変更を確認

  11. 郷土資料 コトバンク「十郎島村」(日本歴史地名大系)

    掛塚輪中内の隣村・十郎島村が天竜川の流路の変化に伴い村ごと中洲になったこともあるとの記載を確認(輪中の村況の傍証)

For Families

このお寺が菩提寺のご家族へ

菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
  • 位牌の有無
  • お寺からの連絡を受ける人
  • お寺の連絡先
  • 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
  • 実家の名義
  • 実家を今後誰が管理するか
家族で確認しておきたいことを見る →

Next Step

次に確認しておきたいこと

Same Area

同じ地区の寺院

竜洋地区の寺院をもっと見る

Same Sect

同じ宗派・関連法人の寺院

磐田市の臨済宗方広寺派の寺院一覧