竜洋地区・現存

常楽寺

じょうらくじ

ページ充実度 標準 最終確認 2026.07.19

常楽寺(じょうらくじ)は、磐田市堀之内(旧磐田郡竜洋町域)にある臨済宗方広寺派の寺院です。『静岡県磐田郡誌』によれば本尊は観世音菩薩で、天正13年(1585年)、徳川家康の中泉御殿(陣屋)の建物をもって寺とし、汝舟を開山として草創されたと伝わる、旧十束村堀之内の記憶を伝える寺です。

寺院名
常楽寺
地区
竜洋
住所
静岡県磐田市堀之内761番地
宗派
臨済宗方広寺派

Basic Information

基本情報

ATAWI TEMPLEは各寺院の公式サイトではありません。
寺院名
常楽寺
読み方
じょうらくじ
地区
竜洋
宗派
臨済宗方広寺派
ご本尊(資料上)
観世音菩薩(大正10年刊『静岡県磐田郡誌』による)
ご本尊の現在の確認状況
公開資料で確認済み
住所
静岡県磐田市堀之内761番地
Googleマップ
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寺院公式サイト
未確認
電話番号
未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
法要・参拝情報
未確認(寺院へご確認ください)
駐車場情報
確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
アクセス・交通手段
確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
周辺の目印
確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
文化財・特記事項
確認中(文化財・札所・境内の見どころを調査中)
最終確認日
2026.07.11

不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ

法要や墓参りで帰省される方へ

法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。

結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。

法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

常楽寺の現地写真 1
現地写真・本堂・堂宇
常楽寺の現地写真 2
入口・石標
常楽寺の現地写真 3
境内全景
常楽寺の現地写真 4
石造物・手水
常楽寺の現地写真 5
説明板・案内板
常楽寺の現地写真 6
その他
宗派臨済宗方広寺派
創建・年代天正13年(1585年)
本尊観世音菩薩(大正10年刊『静岡県磐田郡誌』による)
墓地調査中
文化財・史跡調査中
所在地竜洋・磐田市

Database 01

寺院概要

山号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
院号
調査中(確認できた情報から順次更新します)
寺号
常楽寺
宗派
臨済宗方広寺派
本尊
観世音菩薩(大正10年刊『静岡県磐田郡誌』による)
創建
天正13年(1585年)
開山
調査中(確認できた情報から順次更新します)
開基
調査中(確認できた情報から順次更新します)
所在地
静岡県磐田市堀之内761番地
地区
竜洋

Database 02

沿革

天正13年(1585年)の草創と中泉御殿の伝承

『静岡県磐田郡誌』の由緒は、常楽寺について天正13年(1585年)の草創とし、「中泉村御殿山家康公の陣屋を以て寺とし、汝舟を開山とす」と記しています。中泉(現磐田市中泉)には徳川家康の陣屋である中泉御殿が置かれており、その建物を移して寺としたという伝えです。天正13年(1585年)は家康が浜松城を拠点に遠江を治めていた時期にあたり、天竜川下流域の村々にも新しい寺院が相次いで開かれていきました。ただしこの由緒は大正10年(1921年)編纂時点の寺伝に基づくもので、中泉御殿の建物転用の経緯を裏付ける同時代の史料は現時点では確認できていません。

2世天眼と東福寺の創立

『静岡県磐田郡誌』によれば、天正18年(1590年)5月、常楽寺2世天眼の志願により、同じ堀之内の字蔵山に方広寺派の東福寺が角山を開祖として創立されました。草創からわずか5年ほどで新しい寺院の創立に関わっていることから、常楽寺が近世初頭の堀之内における寺院創立の母体となっていたことがうかがえます。大本山方広寺は建徳2年(1371年)に後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師が開いた禅寺で、常楽寺・東福寺はともにその末寺として、堀之内の地に方広寺派の法灯を伝えてきました。

江戸時代の堀之内村と寺領2石

『日本歴史地名大系』の堀之内村の項によれば、堀之内は天正19年(1591年)の記録に「堀内」として高242石余がみえ、享保3年(1718年)には高202石余・家数48・人数239を数えた幕府領の村でした。同項には「常楽寺領二石・天白領二石」と記され、常楽寺が江戸時代を通じて寺領2石を認められていたことが確認できます。小規模ながら村の中に確かな寺領を持つ菩提寺として、堀之内村の人々の暮らしと信仰を支えていた様子がうかがえます。寺領が天白領2石と並んで記されていることから、江戸時代の堀之内村では寺と社の祭祀がそれぞれの所領とともに維持されていたことも読み取れます。

安政東海地震からの再建と近代

安政元年(1854年)11月4日の地震(安政東海地震)により常楽寺の堂宇は倒壊しました。内閣府の災害教訓報告書によれば、安政元年11月4日から5日にかけて発生した安政東海地震・安政南海地震の一連の巨大地震は、伊豆から四国までの広範な地帯に死者数千名・倒壊家屋3万軒以上という被害をもたらしています。『静岡県磐田郡誌』編纂当時の堂宇はその後の再建によるものとされており、常楽寺の再建は、被災からの復興を歩んだ堀之内の村の歴史と重なります。明治22年(1889年)に堀之内は磐田郡十束村の大字となり、昭和30年(1955年)の竜洋町発足、平成17年(2005年)の磐田市への合併を経て現在に至ります。大本山方広寺の末寺一覧には現在も堀之内の寺院として掲載され、分譲可能墓地・永代供養墓・写経会の対応が表示されています。

Database 03

歴代住職

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 04

本尊

本尊名
観世音菩薩(大正10年刊『静岡県磐田郡誌』による)
宗教的意味
常楽寺は、奥山半僧坊で知られる大本山方広寺を本山と仰ぐ臨済宗方広寺派の寺院です。『静岡県磐田郡誌』は本尊を観世音菩薩と記しており、坐禅を旨とする禅寺でありながら、世の人々の苦しみの声を聞き届ける観音さまを本尊として、堀之内の人々の現世の祈りと先祖供養の両方を受けとめてきたと考えられます。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊・伽藍の様子は確認できていません。
由来
調査中(確認できた情報から順次更新します)
安置場所
調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 05

寺宝・文化財

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 06

年中法要

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 07

墓地情報

調査中(確認できた情報から順次更新します)

一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

Database 08

檀家地域

調査中(確認できた情報から順次更新します)

Database 09

地域との関係

常楽寺のある堀之内を含む旧竜洋町域は、天竜川左岸の河口部に広がる低地です。天竜川河口の掛塚湊は、江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと伝えられます。明治22年(1889年)の東海道線開通のころまでは浜松の外港としても機能したと紹介されています。堀之内をはじめとする旧十束村の村々は、この川湊の町の後背地として、農業とともに舟運の恩恵を受けて暮らしてきました。

掛塚の貴船神社の例祭「掛塚まつり」では、静岡県指定無形民俗文化財の掛塚祭屋台囃子とともに豪華な屋台が曳き回され、湊町の繁栄の記憶を今に伝えています。この囃子には、延元3年(1338年)に後醍醐天皇の皇子・宗良親王の船団が遠州沖の暴風雨で白羽に漂着し、貴船神社の大祭で随員から囃子が伝授されたという南北朝時代以来の伝承が残ります。竜洋地区には掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館があり、常楽寺をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた地域の歴史を伝えています。

東海道線の開通とともに舟運は衰え、地域の姿は大きく変わりましたが、現在の竜洋地区は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地する町となっています。天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われ、遠州灘沿いには東西約4キロメートルにわたって砂浜が続きます。堀之内の常楽寺は、旧十束村の村々に受け継がれてきた菩提寺の一つとして、竜洋の暮らしの記憶を受け継いでいます。

Database 11

出典・更新記録

  1. 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9312

  2. 宗派公式資料方広寺派末寺一覧(磐田市・袋井市)|臨済宗方広寺派大本山方広寺

    本山公式の末寺一覧に「常楽寺(堀之内)〒438-0205 磐田市堀之内761」として掲載されていることを本文で確認。

  3. 民間二次情報竜洋町 - Wikipedia

    堀之内を含む旧竜洋町の沿革(1955年発足、2005年合併)を本文で確認。

  4. 郷土資料静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(大正10年刊)653〜654頁(コマ435〜436)

    国立国会図書館デジタルコレクション。「21 常樂寺(十束村)」の由緒および「20 東福寺(十束村)」の項。天正13年草創・中泉御殿転用・汝舟開山を確認

  5. 郷土資料『日本歴史地名大系』堀之内村の項(コトバンク)

    「常楽寺領二石」の寺領記録と堀之内村の石高・戸口を確認

  6. 宗派公式資料大本山方広寺 末寺のご案内(磐田市・袋井市)

    一覧掲載のみ。「磐田市堀之内 常楽寺 〒438-0205 磐田市堀之内761」として掲載。分譲可能墓地・永代供養墓・写経会ありの表示。由緒・本尊の記載はない。

最終更新日 2026.07.19

01

この寺院について

常楽寺は磐田市堀之内761番地に所在する臨済宗方広寺派の寺院で、大本山方広寺(浜松市浜名区引佐町奥山)の公式末寺一覧に「常楽寺(堀之内)」として掲載されています。静岡県知事所轄宗教法人名簿にも磐田市内の宗教法人として掲載されており、宗門・行政の両方の名簿でその存在が確認できます。郵便番号は438-0205で、平成17年(2005年)の合併により竜洋町堀之内から磐田市堀之内へと住所表示が変更されました。

大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は当寺を「常樂寺(十束村)」として立項し、所在を十束村堀之内字水洗と記しています。由緒によれば本尊は観世音菩薩で、天正13年(1585年)の草創にあたり、中泉村御殿山にあった徳川家康公の陣屋(中泉御殿)の建物をもって寺とし、汝舟を開山に迎えたと伝えます。江戸時代には堀之内村に常楽寺領2石を有しました。

所在地の堀之内は天竜川左岸の低地に開けた旧十束村の大字で、昭和30年(1955年)に掛塚町・袖浦村・十束村の合併で竜洋町となり、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となりました。「遠州の小江戸」と呼ばれた掛塚湊の後背地にあたる竜洋地区の中で、常楽寺は堀之内の人々の菩提寺として歩んできました。堀之内には当寺のほか、当寺2世の志願で開かれた同じ方広寺派の東福寺もあり、2か寺が旧村以来の法灯を並べて伝えています。

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歴史と背景

天正13年(1585年)の草創と中泉御殿の伝承

『静岡県磐田郡誌』の由緒は、常楽寺について天正13年(1585年)の草創とし、「中泉村御殿山家康公の陣屋を以て寺とし、汝舟を開山とす」と記しています。中泉(現磐田市中泉)には徳川家康の陣屋である中泉御殿が置かれており、その建物を移して寺としたという伝えです。天正13年(1585年)は家康が浜松城を拠点に遠江を治めていた時期にあたり、天竜川下流域の村々にも新しい寺院が相次いで開かれていきました。ただしこの由緒は大正10年(1921年)編纂時点の寺伝に基づくもので、中泉御殿の建物転用の経緯を裏付ける同時代の史料は現時点では確認できていません。

2世天眼と東福寺の創立

『静岡県磐田郡誌』によれば、天正18年(1590年)5月、常楽寺2世天眼の志願により、同じ堀之内の字蔵山に方広寺派の東福寺が角山を開祖として創立されました。草創からわずか5年ほどで新しい寺院の創立に関わっていることから、常楽寺が近世初頭の堀之内における寺院創立の母体となっていたことがうかがえます。大本山方広寺は建徳2年(1371年)に後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師が開いた禅寺で、常楽寺・東福寺はともにその末寺として、堀之内の地に方広寺派の法灯を伝えてきました。

江戸時代の堀之内村と寺領2石

『日本歴史地名大系』の堀之内村の項によれば、堀之内は天正19年(1591年)の記録に「堀内」として高242石余がみえ、享保3年(1718年)には高202石余・家数48・人数239を数えた幕府領の村でした。同項には「常楽寺領二石・天白領二石」と記され、常楽寺が江戸時代を通じて寺領2石を認められていたことが確認できます。小規模ながら村の中に確かな寺領を持つ菩提寺として、堀之内村の人々の暮らしと信仰を支えていた様子がうかがえます。寺領が天白領2石と並んで記されていることから、江戸時代の堀之内村では寺と社の祭祀がそれぞれの所領とともに維持されていたことも読み取れます。

安政東海地震からの再建と近代

安政元年(1854年)11月4日の地震(安政東海地震)により常楽寺の堂宇は倒壊しました。内閣府の災害教訓報告書によれば、安政元年11月4日から5日にかけて発生した安政東海地震・安政南海地震の一連の巨大地震は、伊豆から四国までの広範な地帯に死者数千名・倒壊家屋3万軒以上という被害をもたらしています。『静岡県磐田郡誌』編纂当時の堂宇はその後の再建によるものとされており、常楽寺の再建は、被災からの復興を歩んだ堀之内の村の歴史と重なります。明治22年(1889年)に堀之内は磐田郡十束村の大字となり、昭和30年(1955年)の竜洋町発足、平成17年(2005年)の磐田市への合併を経て現在に至ります。大本山方広寺の末寺一覧には現在も堀之内の寺院として掲載され、分譲可能墓地・永代供養墓・写経会の対応が表示されています。

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宗派と本尊を知る

常楽寺は、奥山半僧坊で知られる大本山方広寺を本山と仰ぐ臨済宗方広寺派の寺院です。『静岡県磐田郡誌』は本尊を観世音菩薩と記しており、坐禅を旨とする禅寺でありながら、世の人々の苦しみの声を聞き届ける観音さまを本尊として、堀之内の人々の現世の祈りと先祖供養の両方を受けとめてきたと考えられます。なお郡誌の記載は大正10年(1921年)時点のもので、現在の本尊・伽藍の様子は確認できていません。

臨済宗方広寺派とは

臨済宗方広寺派は、静岡県浜松市浜名区引佐町奥山の方広寺を大本山とする臨済宗の一派です。方広寺は建徳2年(1371年)、後醍醐天皇の皇子である無文元選禅師によって開かれ、禅師が修行した中国・天台山方広寺に山水の趣が似ていることから、その名が付けられたと伝えられます。60ヘクタールに及ぶ境内には多くの堂宇が建ち並び、その多くが国の登録有形文化財となっています。

境内の鎮守として祀られる半僧坊大権現は、無文元選禅師の帰国の船を海難から守ったという故事に由来し、「奥山半僧坊」として厄除けの信仰を広く集めてきました。磐田市の寺院にとっては、県内にある最も身近な大本山のひとつです。

修行の中心は坐禅で、檀家の法要では「般若心経」などの読誦が親しまれ、葬儀や年回法要は臨済宗の伝統に沿って営まれます。本山が地理的に近いことから、本山への参詣や坐禅の体験を通じて、菩提寺と本山のつながりを実感しやすい宗派といえます。

参考: 方広寺について(臨済宗方広寺派大本山 方広寺)方広寺(臨黄ネット 臨済宗・黄檗宗公式サイト)

観音菩薩という仏さま

観音菩薩は、正式には観世音菩薩といい、世の人びとの苦しみの声を観じて、ただちに救いに赴くとされる菩薩です。『法華経』の観世音菩薩普門品(観音経)には、相手に応じて33の姿に身を変えて救うと説かれています。その姿は、老人や子ども、僧侶や天女など、救う相手に最もふさわしいものへと臨機応変に変わるとされ、この教えから観音さまは古くから最も広く信仰を集めてきました。

基本の姿である聖観音のほか、あらゆる方向に顔を向けて見守る十一面観音、千の手と眼で漏れなく救いの手を差し伸べる千手観音、憤怒の形相をとる馬頭観音など、多彩な変化観音が生み出され、それぞれの姿で人びとのさまざまな願いに応えてきました。

病気平癒や家内安全など現世のご利益を願う信仰に加え、観音霊場を順に巡る三十三所の巡礼も各地で育まれてきました。地域の観音堂や観音講を通じて、身近な悩みを聞き届けてくださる仏さまとして、今も厚く親しまれています。

参考: 観音様を知ろう(日本遺産「会津の三十三観音めぐり」公式サイト)e国宝 十一面観音像(国立文化財機構)

04

地域とのつながり

常楽寺のある堀之内を含む旧竜洋町域は、天竜川左岸の河口部に広がる低地です。天竜川河口の掛塚湊は、江戸時代から明治期にかけて天竜木材の集積地・廻船の湊として栄え、木材などの諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したと伝えられます。明治22年(1889年)の東海道線開通のころまでは浜松の外港としても機能したと紹介されています。堀之内をはじめとする旧十束村の村々は、この川湊の町の後背地として、農業とともに舟運の恩恵を受けて暮らしてきました。

掛塚の貴船神社の例祭「掛塚まつり」では、静岡県指定無形民俗文化財の掛塚祭屋台囃子とともに豪華な屋台が曳き回され、湊町の繁栄の記憶を今に伝えています。この囃子には、延元3年(1338年)に後醍醐天皇の皇子・宗良親王の船団が遠州沖の暴風雨で白羽に漂着し、貴船神社の大祭で随員から囃子が伝授されたという南北朝時代以来の伝承が残ります。竜洋地区には掛塚湊や掛塚祭の資料を収蔵する竜洋郷土資料館があり、常楽寺をはじめとする寺社とあわせて、川と海に育まれた地域の歴史を伝えています。

東海道線の開通とともに舟運は衰え、地域の姿は大きく変わりましたが、現在の竜洋地区は温暖な気候を生かしたメロン・ネギなどの栽培や自動車部品などの工場が立地する町となっています。天竜川河口ではアユの稚魚の養殖も行われ、遠州灘沿いには東西約4キロメートルにわたって砂浜が続きます。堀之内の常楽寺は、旧十束村の村々に受け継がれてきた菩提寺の一つとして、竜洋の暮らしの記憶を受け継いでいます。

05

年中行事・参拝の手引き

参拝・法要で訪れる方へ

大本山方広寺の末寺一覧では、分譲可能墓地・永代供養墓・写経会に対応する寺院として表示されています。法要・お墓の相談は寺院へ直接確認してください。

調査中の項目
  • 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要など)の有無・日程は未確認
  • 山号は未確認(『静岡県磐田郡誌』にも記載がない)
  • 現在の本尊・伽藍の様子(郡誌の記載は1921年時点)は未確認
  • 住職の常駐・兼務の状況は未確認
  • 遠江四十九薬師霊場・遠州三十三観音等の札所該当の有無は未確認
  • 檀家組織・護持会の有無は未確認

行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。

06

よくある質問

常楽寺の読み方は?

「じょうらくじ」と読みます。大本山方広寺の公式末寺一覧に「常楽寺(堀之内)」として掲載されています。

本文「この寺院について」を読む
宗派と本山は?

臨済宗方広寺派で、本山は浜松市浜名区引佐町奥山の大本山方広寺(奥山半僧坊で知られる寺院)です。建徳2年(1371年)に無文元選禅師が開いた禅寺です。

本文「宗派と本尊」を読む
いつ誰が開いたお寺ですか?

『静岡県磐田郡誌』によれば天正13年(1585年)の草創で、汝舟を開山としたと伝えます。本尊は観世音菩薩と記されています。

本文「歴史と背景」を読む
中泉御殿とどんな関係がありますか?

郡誌の由緒に「中泉村御殿山家康公の陣屋を以て寺とし」とあり、徳川家康の中泉御殿(陣屋)の建物を移して寺としたと伝えられています。この伝承を裏付ける同時代の史料は現時点では確認できていません。

本文「歴史と背景」を読む
安政の地震で被害を受けたのですか?

はい。『静岡県磐田郡誌』によれば安政元年(1854年)11月4日の地震(安政東海地震)で堂宇が倒壊し、その後再建されました。

本文「歴史と背景」を読む
堀之内の東福寺とはどんな関係ですか?

『静岡県磐田郡誌』によれば、天正18年(1590年)5月に常楽寺2世天眼の志願により、堀之内字蔵山に方広寺派の東福寺が角山を開祖として創立されました。常楽寺は同寺創立の母体となった寺院です。

本文「歴史と背景」を読む
鎌倉市や上田市の常楽寺と同じお寺ですか?

別の寺院です。全国には同名の常楽寺が多数あり、検索ではそれらの情報が上位に出やすいため、当ページでは磐田市堀之内の寺院に関する資料のみを採用しています。

本文「この寺院について」を読む
お墓や永代供養の相談はできますか?

大本山方広寺の末寺一覧では分譲可能墓地・永代供養墓・写経会の対応が表示されています。区画や供養の内容など詳細は掲載されていないため、寺院へ直接ご確認ください。

本文「年中行事・参拝の手引き」を読む

07

写真で見る境内

常楽寺の現地写真 1
本堂・堂宇 常楽寺の現地写真 1
常楽寺の現地写真 2
入口・石標 常楽寺の現地写真 2
常楽寺の現地写真 3
境内全景 常楽寺の現地写真 3
常楽寺の現地写真 4
石造物・手水 常楽寺の現地写真 4
常楽寺の現地写真 5
説明板・案内板 常楽寺の現地写真 5
常楽寺の現地写真 6
その他 常楽寺の現地写真 6
常楽寺の現地写真 7
本堂・堂宇 常楽寺の現地写真 7
常楽寺の現地写真 8
入口・石標 常楽寺の現地写真 8
常楽寺の現地写真 9
境内全景 常楽寺の現地写真 9
常楽寺の現地写真 10
石造物・手水 常楽寺の現地写真 10
常楽寺の現地写真 11
説明板・案内板 常楽寺の現地写真 11
常楽寺の現地写真 12
その他 常楽寺の現地写真 12
常楽寺の現地写真 13
本堂・堂宇 常楽寺の現地写真 13
常楽寺の現地写真 14
入口・石標 常楽寺の現地写真 14
常楽寺の現地写真 15
境内全景 常楽寺の現地写真 15
常楽寺の現地写真 16
石造物・手水 常楽寺の現地写真 16
常楽寺の現地写真 17
説明板・案内板 常楽寺の現地写真 17
常楽寺の現地写真 18
その他 常楽寺の現地写真 18
常楽寺の現地写真 19
本堂・堂宇 常楽寺の現地写真 19
常楽寺の現地写真 20
入口・石標 常楽寺の現地写真 20
常楽寺の現地写真 21
境内全景 常楽寺の現地写真 21

08

出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載(参照行: L9312)。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照

  2. 宗派公式資料 方広寺派末寺一覧(磐田市・袋井市)|臨済宗方広寺派大本山方広寺

    本山公式の末寺一覧に「常楽寺(堀之内)〒438-0205 磐田市堀之内761」として掲載。分譲可能墓地・永代供養墓・写経会の対応表示を確認。由緒・本尊の記載はない

  3. 郷土資料 静岡県磐田郡教育会編『静岡県磐田郡誌』(大正10年刊)653〜654頁(コマ435〜436)

    国立国会図書館デジタルコレクション。「21 常樂寺(十束村)」の由緒(十束村堀之内字水洗・本尊観世音菩薩・天正13年草創・中泉御殿転用・汝舟開山・安政元年地震倒壊)および「20 東福寺(十束村)」の項(天正18年5月・常楽寺2世天眼の志願・角山開祖)を確認

  4. 郷土資料 『日本歴史地名大系』堀之内村の項(コトバンク)

    「常楽寺領二石・天白領二石」の寺領記録、天正19年(1591年)高242石余、享保3年(1718年)高202石余・家数48・人数239の村況を確認

  5. 宗派公式資料 方広寺について(臨済宗方広寺派大本山 方広寺)

    大本山方広寺が建徳2年(1371年)に後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師により開かれたこと、奥山半僧坊信仰の由来を確認

  6. 民間二次情報 コトバンク「竜洋」(日本大百科全書ほか)

    昭和30年(1955年)に掛塚町と袖浦・十束の2村が合併して竜洋町が発足したこと、町名の由来(天竜川の竜・太平洋の洋)、掛塚港が明治22年(1889年)の東海道線開通期まで天竜木材の集積地として栄えたこと、現在の農業・工業の概況を確認

  7. 行政・公的資料 磐田市公式サイト「施設ガイド 竜洋郷土資料館」

    掛塚湊が木材等諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄したとの記述、掛塚祭や竜洋地区の暮らしに関する資料を収蔵する同館の展示概要を確認

  8. 行政・公的資料 磐田市公式サイト「掛塚祭屋台囃子」(県指定無形民俗文化財)

    貴船神社の祭典で演奏される掛塚祭屋台囃子が静岡県指定無形民俗文化財であることを確認

  9. 行政資料 磐田市公式サイト「旧竜洋町の住所表示」

    竜洋町堀之内→磐田市堀之内(438-0205)の住所変更を確認

  10. 行政・公的資料 内閣府 防災情報のページ「報告書(1854 安政東海地震・安政南海地震)」

    安政元年11月4日から5日にかけての安政東海地震・安政南海地震が、伊豆から四国までの広範な地帯に死者数千名・倒壊家屋3万軒以上の被害をもたらしたことを確認

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このお寺が菩提寺のご家族へ

菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。

法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。

  • お墓の場所
  • 墓地の区画
  • 次回の法要
  • 仏壇の場所
  • 位牌の有無
  • お寺からの連絡を受ける人
  • お寺の連絡先
  • 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
  • 実家の名義
  • 実家を今後誰が管理するか
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Next Step

次に確認しておきたいこと

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