ATAWI TEMPLE 地域寺院研究紀要

全久院の白鳳期伝承と1558年曹洞宗改宗

法相宗・真言宗・松秀寺法系・寺領2石を史料階層から再検討する

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.25
資料検証
公開資料による検証済み

要旨

全久院は磐田市鎌田2546に現存する曹洞宗寺院で、護国山と号し、本尊を虚空蔵菩薩とする。『日本歴史地名大系』は、もと真言宗であった寺が1558年に浅羽の松秀寺2世経庵を請じて曹洞宗へ改宗したとの寺伝、正保郷帳などに寺領2石が記されたことを伝える。磐田市観光協会の地域解説は、草創を672年頃の法相宗、延長年間を真言宗への転換期とするが、公開された中世同時代史料は示されていない。本稿は、672年草創、延長年間の寺号、1558年改宗、近世寺領を単線的な連続史へまとめず、それぞれの記録時点と証拠能力を分離する。現存寺院の同定には県宗教法人名簿、曹洞禅ナビ、現地寺号石を用い、松本市・豊橋市などの同名全久院を除外した。新知見は、古代草創の確定ではなく、古い宗派記憶が1558年の曹洞宗制度化、17世紀の寺領保障と重なり、地域寺院の正統性を複層的に形成した可能性を示す点にある。

キーワード:全久院/鎌田/護国山/虚空蔵菩薩/松秀寺/経庵/寺領2石

1 対象寺院の同定と史料階層

対象は静岡県磐田市鎌田2546の護国山全久院である。県宗教法人名簿、曹洞禅ナビ、現地寺号石が寺名と所在地で一致する。松本市、豊橋市、岡崎市などに存在する同名寺院の由緒、開山、文化財、教育史は採用しない。

全久院という寺号だけの検索は、戸田氏菩提寺である松本全久院や豊橋全久院を上位に表示しやすい。鎌田、護国山、虚空蔵菩薩、松秀寺、経庵、寺領2石という識別子を併用し、対象を固定する必要がある。

史料は4層に分ける。現在の法人・宗派資料、1921年刊『磐田郡誌』とそれを引く地名大系、近世郷帳、現地写真・案内板である。観光協会パンフレットは地域伝承の現代的提示として有用だが、中世文書と同じ証拠強度ではない。

地名大系は鎌田丘陵南端という地理、護国山、曹洞宗、本尊虚空蔵、1558年改宗、寺領2石を簡潔に記す。この記述の各要素が同じ年代の史料に基づくとは限らず、寺伝、郷帳、郡誌の編集を分解して読む。

現地写真は山門、本堂、石柱、役行者堂、石造物の2026年時点を示す。外観が古く見えることは古代創建の証明にならず、建物の造営・修理年代は棟札、部材、工事記録で検証する。

同定作業の再現性を高めるには、寺名を主キーにせず、所在地、山号、宗派、本尊、本寺伝承、緯度経度を組にして管理する必要がある。たとえば松本市の青龍山全久院は戸田氏との関係で著名であり、豊橋市の全久院にも別の寺子屋史がある。検索結果の上位性や同名を根拠に情報を移植すると、鎌田全久院の寺子屋・創建・文化財が容易に混線する。各出典の対象所在地を記録し、旧自治体名「浅羽町」「磐田郡」と現市町を時点付きで変換することが重要である。史料の引用では原表記を保存し、現代表記への正規化を別欄にする。こうした地味な識別工程が、後続する宗派史・教育史・信仰史の基礎精度を決定する。

同名寺院排除は本文だけでなく出典管理にも適用する。ウェブページのタイトルが単に「全久院」である場合、取得時に所在地、郵便番号、山号、宗派を注記し、URLの運営主体を確認する。検索結果の要約は別寺の本文を混ぜることがあるため、必ず原ページを開く。人物名の経庵も、寺名と世代を伴わない記載は採用しない。旧村名については、地名大系が鍬影村項目に全久院を置く一方、現在住所は鎌田であるという編集構造を記録する。これは寺院が移転したことを直ちに意味せず、歴史地名項目の収録単位を確認すべきである。対象同定を1度で終えず、各主張のたびに寺院識別子を再確認することで、研究全体の情報汚染を防げる。

全久院の寺号石柱と案内標
磐田市鎌田の全久院を示す寺号石柱と案内標。所在地と寺名を現地で同定する基礎資料である。撮影:ATAWI TEMPLE、2026年。

2 672年頃草創伝承の位置づけ

観光協会の解説は、全久院の開創を672年頃とし、当初は法相宗に属したと伝える。この年代は寺院の自己理解と地域記憶を知る上で重要だが、公開情報だけでは当時の文書、瓦、礎石、仏像銘を確認できない。

672年は白鳳期に当たり、寺院制度と仏教受容を考える大きな歴史背景を持つ。しかし全国史上の白鳳文化と、鎌田の特定地点に寺院が成立したことは別命題である。年代の近さや地域の古墳だけで草創を証明しない。

法相宗という宗派名称も後世の分類である可能性を検討する必要がある。古代寺院の所属を近世寺院と同じ本末制度で捉えず、伝承がいつ文章化されたかを調べる。

草創を検証するには、旧境内とされる地点、古瓦、須恵器、礎石、地名、寺蔵仏像の科学調査が必要である。鎌田丘陵周辺の遺跡分布は背景資料になるが、全久院固有の遺構との接続がなければ創建根拠にはならない。

伝承を否定するのではなく、成立過程を研究対象とする。近代郡誌以前の由緒書、棟札、勧化帳、寺社明細帳に同じ年代が現れるかを追えば、672年という記憶がいつ定着したかを判断できる。

古代草創伝承の検証では、地域に古墳や条里遺構があることと、寺院そのものが存在したことを切り分けなければならない。周辺の考古学的豊かさは仏教受容の可能性を考える背景になるが、寺院遺構に必要な瓦、基壇、礎石、仏具、墨書土器が全久院旧境内から出土したかは別問題である。地中調査を行う場合も宗教活動と墓地を尊重し、無許可の掘削を避ける。既存の発掘報告、表面採集資料、工事立会記録を先に調べ、位置情報を地籍図へ重ねるべきである。672年という精密な年が何に由来するかを確認できれば、史実の年か、伝承上の時代区分か、近代の編年かを判断できる。

672年伝承を考古学的に検討する比較対象としては、御厨地域の古代寺院跡、瓦散布地、仏教関連遺物を選ぶべきである。単に近い遺跡ではなく、同じ時期、同じ地形条件、同じ遺物種を持つ事例と比較する。もし全久院周辺で古代瓦が見つからない場合も、木造小堂や後世の土地改変という可能性があるため、直ちに伝承を否定できない。他方、近隣出土品を全久院旧物とするには出土地点と来歴が必要である。寺伝の年次、考古学的年代、文献初見を3本の時間線に分ければ、互いの一致と空白を正確に示せる。この方法は、伝承を尊重しながら史実認定の基準を緩めない。

全久院の山門正面
全久院山門の現況。建築年代や修理履歴は棟札・寺蔵文書との照合を要し、外観だけから1558年の改宗期へ遡及できない。撮影:ATAWI TEMPLE、2026年。

3 延長年間と真言宗期の再構成

地域解説は、923年から931年の延長年間に寺号を蔵前山虚空尊寺と改め、真言宗に属したとする。地名大系は細部を省き「もと真言宗」とするため、両者の差を記録しておく必要がある。

蔵前山虚空尊寺という旧称は、本尊虚空蔵菩薩との関係を示唆する。しかし旧称が同時代文書に見えるのか、後世の由緒にのみ見えるのかは未確認である。寺号と本尊の一致だけで年代を確定しない。

真言宗期の実態を調べるには、壇越、修法、寺領、末寺、僧名、仏具、経典を個別に確認する。現境内の役行者堂や複数尊格の存在を、直ちに平安期密教の遺構とみなすことはできない。

本尊像が調査可能なら、材質、構造、像高、持物、宝冠、台座、光背、修理銘を記録する。虚空蔵菩薩との伝称が制作当初から継続したか、別尊像が後に本尊化したかを分ける。

宗派転換以前の歴史は空白が多い。空白を年代伝承で埋めるより、確定、伝承、未確認の3区分を保ち、真言宗期を検証する資料群を一覧化する方が学術的な価値を持つ。

延長年間の改称伝承は、虚空蔵信仰と寺号の関係を考える重要な手掛かりである。だが「虚空尊寺」という名称が平安期の文書に現れない場合でも、伝承自体に意味がないわけではない。後世の住職や檀家が旧宗派と本尊をどのように理解し、曹洞宗改宗後の寺院に連続性を与えたかを示す記憶資料となる。由緒書の用紙、筆跡、語彙、年号表記を分析し、異なる写本の増補箇所を比較すれば、物語の形成段階を復元できる。真言宗寺院名簿、近隣寺院の縁起、地域の大日・虚空蔵信仰とも照合し、孤立した1文を過度に膨らませない。

真言宗期を示す可能性のある物質資料には、密教法具、種子曼荼羅、梵字碑、護摩札、虚空蔵求聞持法に関する経典がある。しかし、これらが境内に存在しても制作・奉納年代が近世以降なら平安期寺院の直接証拠にはならない。寺蔵品を調べる際は、名称、材質、寸法、銘、箱書、伝来、修理を台帳化し、現在の収蔵位置と旧安置場所を区別する。旧称の「蔵前山」が地形名・倉庫・本尊名のどれに関係するかも、地名資料と由緒書から検討する。延長年間という年代幅を1年へ狭めず、典拠にある表現を保つことで、後世の説明が不必要に精密化されるのを防ぐ。

全久院本堂の屋根
本堂屋根の細部。現状写真は2026年時点の修理状態を示すが、建築当初の形式を単独で証明しない。撮影:ATAWI TEMPLE、2026年。

4 1558年の曹洞宗改宗と経庵

地名大系は1558年、浅羽の松秀寺2世経庵を請じて改宗開山としたと記す。ここでいう開山は寺院の最初の創建者ではなく、曹洞宗寺院としての再編を担った僧という意味で読むべきである。

曹洞禅ナビは袋井市富里の松秀寺が現存することを示す。ただし、現代の宗派掲載だけでは16世紀の本末関係や経庵の法系を証明しない。松秀寺の寺籍、歴住記、嗣法関係を照合する必要がある。

1558年は遠江で戦国期の支配が変動した時期であるが、政治情勢を改宗の直接原因と断定する史料はない。地域権力、檀越、僧侶ネットワーク、既存堂宇の管理という複数要因を仮説として並べる。

改宗は旧信仰の全面消去を意味しない。虚空蔵本尊、薬師札所、役行者堂などが後世に共存する全久院の景観は、宗派制度の変更と尊格・祈願の継続が別の速度で進んだ可能性を示す。

経庵の名は同音・異字の僧と混同しない。松秀寺2世という位置、活動年代、法諱の表記、他寺の改宗開山記録を比較して、人物単位で曹洞宗寺院網を復元する。

1558年の改宗を制度史として理解するには、経庵の招聘だけでなく、寺院財産、檀越、墓地、法要、僧侶任用がどう再編されたかを問う必要がある。旧堂宇や尊像がそのまま利用された可能性、寺号だけが変化した可能性、新たな伽藍が整えられた可能性を並列する。松秀寺側に全久院を末寺とする帳簿が残るなら、成立年代と後世の改編を確認する。曹洞宗の本末制度が近世に整備される過程と、戦国期の師資関係を同じ制度とみなさないことも重要である。経庵の法嗣・転住寺を追えば、改宗が単独の出来事ではなく遠州南部の僧侶移動網の一部として見えてくる。

改宗史の比較には、松秀寺2世経庵を開山とする他寺があるかを調べることが有効である。同じ僧が複数寺を曹洞宗化していれば、遠州南部での教線展開を示す。一方、全久院だけに記録されるなら、後世の本末関係を開山伝承へ投影した可能性も検討する。法系図は寺院間の上下だけでなく、師から弟子への嗣法、住職の転住、隠居所を別の線で表す。曹洞宗宗務庁の現代データは現存確認に使い、16世紀法系は寺籍・本寺文書へ戻る。改宗の際に本尊が維持されたなら、宗派制度と礼拝対象の継続が両立した事例として重要だが、本尊像の年代確認なしに結論づけない。

全久院本堂正面
全久院本堂正面。1868年造営とする文献記録と、現存部材・後世改修の対応は建築調査で検証する必要がある。撮影:ATAWI TEMPLE、2026年。

5 寺領2石と近世的制度化

地名大系は正保郷帳などに朱印高2石と記されたとする。これは17世紀中頃までに全久院が領主権力から寺領を認識されたことを示すが、1558年から正保期までの連続を自動的に証明しない。

石高は面積や現金へ固定換算できない。田畑の等級、収量、年貢免除、耕作者、収納方法が不明なため、2石を寺院の豊かさや建物規模へ直結させない。

朱印高という表記には朱印状の原本確認が必要である。郷帳の寺領記載と朱印状、黒印状、除地証文を区別し、誰がどの時点で権利を認定したかを調べる。

寺領は住職、堂宇、儀礼、寺子屋を支える資源の一部だった可能性がある。他方、檀家寄進、法要、山林、屋敷地、労働提供も考慮し、2石だけで寺院経済の全体を評価しない。

旧高旧領取調帳、地籍図、土地台帳へ追跡を延ばせば、近世寺領が明治初期の上知・地租改正でどう処理されたかを検証できる。現代宗教法人財産との連続は別途確認する。

寺領2石の位置を復元できれば、宗派改宗後の寺院経済を空間的に検討できる。村高に対する比率、地目、用水、耕作者、免租範囲を他寺院と比較し、全久院だけを特別視しない。正保郷帳と後代の旧高旧領取調帳で数字が一致しても、同じ地筆・収益・法的性格が不変だったとは限らない。帳簿転記、公称高の維持、土地交換の可能性を考慮する。上知後の土地台帳へ接続できれば、寺院が教育・儀礼・建築を支えた資源が近代化の中でどう組み替えられたかを示せる。石高は古さの飾りではなく、村と寺の公的関係を測る制度資料である。

寺領研究では2石という数字の前後にある語を原画像で読む。朱印高、寺領、除地、免田では法的意味が異なり、後代の地名辞典が要約した表現だけでは制度を確定できない。正保郷帳の写本系統、作成年、所蔵者、村高欄との配置を確認し、写真引用にはコマ番号を付す。全久院の寺領を周辺寺院と比較する表では、村高、寺領高、宗派、寺格、札所性を同じ基準で記録する。寺領が教育費へ使われたという魅力的な説明も、会計資料がなければ可能性にとどめる。数字を現代通貨へ換算する代わりに、どの負担が免除され、誰が耕作し、何を維持したかを問う方が歴史的実態に近づく。

道路側から見た全久院境内
道路側から見た全久院境内。鎌田丘陵南端という立地と周辺低地との関係を読むための現況資料である。撮影:ATAWI TEMPLE、2026年。

6 結論:複層的寺院史と調査工程

全久院の由緒は、672年頃の法相宗草創、延長年間の真言宗、1558年の曹洞宗改宗、17世紀の寺領2石という4段階で語られる。証拠の強度は同じではなく、後代伝承と近世帳簿を区別する必要がある。

現時点で確実なのは、鎌田に全久院が現存すること、地名大系が1558年改宗伝承と寺領2石を記すこと、現在の宗派が曹洞宗であることだ。古代草創と平安期寺号は追加資料を要する。

今後は郡誌原画像の翻刻、寺蔵由緒書の年代判定、松秀寺歴住資料の照合、地籍図による寺領復元、本尊の非破壊調査を進める。調査許可と宗教上の非公開判断を尊重する。

データベースでは主張ごとに典拠、確認日、確度を付け、新資料による修正履歴を残す。同名寺情報を混入させず、古い伝承を魅力づけのために確定表現へ変えない。

著者は大石浩之、富士ヶ丘サービス株式会社代表取締役で、介護事業と不動産事業を運営する。この開示は調査主体の透明性確保を目的とし、寺院の宗教的評価や土地取引への誘導を意図しない。

本稿の方法的結論は、全久院を「1300年以上続く寺」と単純化せず、異なる時代に形成された記録層を保存することにある。古代伝承は伝承として全文と出所を示し、1558年改宗は郡誌・寺籍で検証し、2石は郷帳原画像へ戻る。現地建物は建築調査で編年し、互いの空白を埋めるために使わない。この分離を保ったうえで、虚空蔵信仰や役行者堂の継続が宗派転換を越えて地域に受容された可能性を比較する。将来、反証資料が見つかった場合も旧記述を削除するだけでなく、更新理由と典拠を残すことで、ATAWI TEMPLEは研究過程そのものを公開する地域アーカイブになり得る。

最終的な研究成果は、確定事項だけの短い年表と、伝承を含む詳細年表を分けると理解しやすい。前者には1558年改宗伝承の史料初見、17世紀寺領記録、現存法人確認を置き、後者には672年・延長年間の寺伝を出典付きで置く。伝承を削除せず表示様式で確度を伝える設計である。各年の横に原資料画像、翻刻、現代語要約、反証条件へのリンクを設ければ、利用者が結論の根拠を追える。研究者だけでなく地域住民から古写真・文書の提供を受ける窓口を用意し、利用許諾と返却を徹底する。この循環が、固定的な由緒紹介を検証可能な共同研究へ変える。

全久院の編年を更新する際には、情報の新しさと史料の古さを区別する必要がある。2026年に確認した法人名簿や現地写真は現存を強く証明するが、古代・中世の状態を直接示さない。一方、近世郷帳は当時の寺領を示すが、現住所や現法人の連続を単独では保証しない。各資料が証明できる時間範囲を帯状に図示し、帯が重なる部分だけを連続性の根拠とする。寺蔵資料が公開された場合は、紙質・筆跡・写本関係を確認してから既存年表へ加える。地域の伝承者名や個人所蔵先は同意なく公開せず、学術的精度と文化継承の信頼関係を両立させる。この史料管理を続けることで、全久院史は単なる年代の列挙から、証拠の形成過程を説明する研究へ進む。

全久院の小堂と寺号標
境内の小堂と寺号標。堂内尊像と建立年代は外観から断定せず、扁額・棟札・寺院聞取りで確認する。撮影:ATAWI TEMPLE、2026年。

参考文献・資料

  1. [1] 平凡社『日本歴史地名大系』・DIGITALIO「全久院」。 鎌田丘陵南端、護国山、曹洞宗、虚空蔵菩薩、1558年改宗、寺領2石、寺子屋、地震・火災・再建の記載を確認した。 最終閲覧日:2026-07-25。
  2. [2] 曹洞宗宗務庁「全久院」。 磐田市鎌田2546に所在する全久院の寺名・読み・住所を確認した。 最終閲覧日:2026-07-25。
  3. [3] 静岡県「静岡県知事所轄宗教法人名簿」。 磐田市鎌田の宗教法人全久院を確認し、松本市・豊橋市などの同名寺院と区別した。 最終閲覧日:2026-07-25。
  4. [4] 国立国会図書館デジタルコレクション「静岡県磐田郡誌」。 全久院の由緒、寺子屋、災害、再建について『日本歴史地名大系』が参照する基礎郷土資料として用いた。個別記述は原画像照合を継続する。 最終閲覧日:2026-07-25。
  5. [5] 磐田市観光協会「磐田の寺社をぐる〜っと散策 鎌田編」。 白鳳期・延長期の伝承、1558年の曹洞宗改宗、境内の薬師・金毘羅・役行者に関する地域向け解説を確認し、寺伝として扱った。 最終閲覧日:2026-07-25。
  6. [6] ATAWI TEMPLE「全久院 寺院詳細」。 現地写真、寺号石、堂宇、役行者堂由来板、確認状況を照合した。 最終閲覧日:2026-07-25。
  7. [7] ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター「全久院 施設・地点項目データセット」。 『日本歴史地名大系』の施設地点として鎌田2546の全久院を確認した。 最終閲覧日:2026-07-25。
  8. [8] 曹洞宗宗務庁「概要・歴史」。 曹洞宗の歴史と教義に関する一般説明を確認し、全久院固有史料とは区別した。 最終閲覧日:2026-07-25。
  9. [9] 曹洞宗宗務庁「松秀寺」。 袋井市富里の曹洞宗松秀寺を確認した。全久院との本末・法系関係は寺籍資料で追加検証を要する。 最終閲覧日:2026-07-25。
  10. [10] 曹洞宗宗務庁「お寺を探す」。 曹洞禅ナビの位置づけと寺院掲載情報の問い合わせ先に関する注意を確認した。 最終閲覧日:2026-07-25。

著者情報

大石浩之。富士ヶ丘サービス株式会社代表取締役。静岡県磐田市を拠点として介護事業および不動産事業を運営する一方、ATAWI TEMPLEにおいて地域寺院資料の収集・整理・公開に取り組む。本論文は寺院・宗派の公式見解ではなく、表示した資料に基づく著者の研究成果である。

資料の追加および記載の訂正は、情報提供・訂正窓口で受け付けている。