ATAWI TEMPLE 地域寺院研究紀要

天龍院の朱印高9石・末寺4宇と観音札所

上野部を核とする曹洞宗法系・土地制度・巡礼・梅花講の重層ネットワーク

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.25
資料検証
追加調査中

要旨

『静岡県磐田郡誌』と『遠江国風土記伝』は、天龍院が1603年に徳川家康から朱印高9石を受け、末寺4宇を有したと伝える。民間霊場一覧では磐田郡三十三観音第15番、宗派公式検索では梅花講の表示がある。本稿は、朱印寺領を土地・権力、末寺網を曹洞宗法系、観音札所を宗派横断的巡礼、梅花講を現代檀信徒活動として分離し、その交差を検討する。確認できる保安寺・全海寺と未同定の2末寺、朱印状原本、札所本尊・納経帳、講活動を優先調査項目とする。

キーワード:天龍院/朱印高9石/末寺4宇/保安寺/全海寺/磐田郡三十三観音/梅花講

1 4つの異なる寺院ネットワーク

本稿が対象とするのは、静岡県磐田市上野部353に所在する曹洞宗神谷山天龍院(てんりゅういん)である。宗派公式検索と静岡県宗教法人名簿により、寺号、読み、所在地、宗派を固定する。同名寺院は各地に存在するため、上野部、神谷山、掛川市各和の永源寺末、松井氏首塚と供養塔という識別条件を同時に満たす資料だけを寺院固有情報として採用する。寺号が同じという理由で他地域の本尊、由緒、文化財、写真を移入しない。 本稿では朱印寺領、曹洞宗末寺、観音巡礼、梅花講を別種の辺として記録し、同じ参加者・領域を持つとの仮定を置かない。

本稿は1603年の朱印高9石、末寺4宇、磐田郡三十三観音第15番、現代の梅花講を、天龍院が上野部内外の人・土地・寺院を結んだ制度として分析する。これらは同時期の同じ組織ではない。朱印寺領は近世権力と土地、末寺網は曹洞宗法系、観音札所は宗派横断的巡礼、梅花講は近現代の檀信徒活動を示す。異なるネットワークを分けた上で交点を探る。

天龍院の社会的規模を9石や4末寺という数字だけで評価しない。石高は土地制度、末寺数は記録時点の本末関係を示すが、檀家数、僧侶数、堂宇規模、文化的影響を直接測らない。定量情報は単位と制度を明示し、現代の経済規模へ換算しない。比較する場合も、同じ史料・同じ時点・同じ権利類型に限定する。

天龍院の由緒を伝える中心資料は1921年刊『静岡県磐田郡誌』である。同書は野部村上野部字神田、神谷山、各和村永源寺末と寺院を同定し、1514年の松井信薫の二俣入城、1528年8月の寺院創立、一貞和尚の開山、1529年の信薫死去、1560年の松井宗信戦死、1603年の朱印高9石を連続的に叙述する。ただし記事内容年と郡誌刊行年の間には約300年から400年の隔たりがある。年月日の精密さをそのまま同時代史料の存在証明とせず、郡誌編者が参照した寺蔵縁起、位牌、棟札、村方文書の所在を遡る必要がある。 本稿では朱印寺領、曹洞宗末寺、観音巡礼、梅花講を別種の辺として記録し、同じ参加者・領域を持つとの仮定を置かない。

資料の確度は、現行登録、指定文化財情報、近代編纂史料、近世地誌、地域伝承、現地写真に分けて評価する。曹洞禅ナビと県名簿は現在の寺院同定に強いが、1528年の由緒を証明しない。磐田市文化財一覧は首塚・供養塔の指定名称、時代区分、所在地、所有者を確認できるが、松井宗信の遺骸が実際に埋葬された過程まで証明しない。郡誌と『遠江国風土記伝』は寺伝の近代・近世段階を示すが、戦国期の同時代記録ではない。各資料の役割を限定することで、相互補完と循環論証を区別できる。 本稿では朱印寺領、曹洞宗末寺、観音巡礼、梅花講を別種の辺として記録し、同じ参加者・領域を持つとの仮定を置かない。

上野部は天竜川が山間部から遠州平野へ出る扇頂部左岸に位置し、中世野部郷の遺称地とされる。二俣城は天竜川上流側の要衝であり、松井氏菩提寺が上野部に置かれた意味を考えるには、川沿いの交通、城館、村落、耕地を同じ地理枠組みで分析する必要がある。ただし、現在の道路距離や河岸線を戦国期へ逆投影できない。旧河道、段丘、渡河点、古道、城砦を時期別地図へ重ね、天龍院と二俣城を結ぶ実際の移動経路を検証する。 本稿では朱印寺領、曹洞宗末寺、観音巡礼、梅花講を別種の辺として記録し、同じ参加者・領域を持つとの仮定を置かない。

磐田市上野部の神谷山天龍院現況記録9
神谷山天龍院の現況記録9。境内、堂宇、石造物、寺号表示の現在状態を示す。建立年、移設歴、人物比定は写真のみで決定せず、棟札・銘文・指定資料との照合を要する。撮影:ATAWI TEMPLE、2026年。

2 1603年朱印高9石

1603年9月15日の朱印状が現存するなら、宛所、寺号、石高、対象村、権利内容、将軍代替わり時の継目を確認できる。郡誌の要約と原文書を照合し、9石が創設なのか旧来寺領の承認なのかを区別する。朱印状が失われ写しだけの場合も、写本年代と伝来を記録し、風土記伝の9石記載との関係を検討する。

朱印高9石を松井氏菩提寺への徳川家康の特別保護と解釈するには、家康側の発給理由または寺院請願が必要である。二俣城攻防後の困弊という寺伝は背景仮説になるが、約28年の空白がある。周辺寺院の朱印発給日・石高を比較し、1603年が地域寺社への一括認証だったか、個別恩賞だったかを確認する。

1528年に永源寺3世一貞和尚を開山へ請じたのは、一貞が松井宗信の参禅師だったためと郡誌は伝える。この記述は武家菩提寺の成立を、檀越からの土地・資源提供だけでなく、武将と禅僧の師弟関係によって説明する。だが「参禅の師」が継続的指導、授戒、葬送、法名授与のどれを含むかは不明である。永源寺の歴住記、一貞の嗣法、宗信関係文書、天龍院の開山位牌を照合し、人物関係を具体化する必要がある。 9石は朱印状原本・土地明細・村高との関係を確認し、現在価値や寺勢へ換算せず土地制度上の権利として読む。

一貞は1556年に示寂し、弟子の貞超が2世となったとされる。貞超は1542年草創と伝わる西島の全海寺開山、1569年創建と伝わる上野部の保安寺にも関係するため、天龍院の初期法系が周辺へ展開した可能性を示す。ただし同一人物の活動か、後世の勧請開山か、住持番号の整理時期を確認しなければならない。本人が各寺へ常住したか、名目的開山として法系を与えたかによって、寺院網の実態は異なる。 9石は朱印状原本・土地明細・村高との関係を確認し、現在価値や寺勢へ換算せず土地制度上の権利として読む。

本寺永源寺、天龍院、末寺群という構造を、固定的な縦の序列だけでなく、僧侶、儀礼、文書、紛争調停、修行が移動するネットワークとして理解する。『遠江国風土記伝』は太年派と記すが、派名の系譜的位置と表記揺れは永源寺資料で確認を要する。近世本末制度、明治期寺院明細帳、現代宗教法人制度を同一視せず、法系上の師寺、行政上の本寺、現在の包括関係を別項目へ記録する。 9石は朱印状原本・土地明細・村高との関係を確認し、現在価値や寺勢へ換算せず土地制度上の権利として読む。

磐田市上野部の神谷山天龍院現況記録10
神谷山天龍院の現況記録10。境内、堂宇、石造物、寺号表示の現在状態を示す。建立年、移設歴、人物比定は写真のみで決定せず、棟札・銘文・指定資料との照合を要する。撮影:ATAWI TEMPLE、2026年。

3 末寺4宇の同定

末寺4宇のうち、郡誌から保安寺と全海寺を確認できる。全海寺は1542年草創と伝わり、本寺創立14年後という早い門流展開を示す。保安寺は1569年に村民の希望で貞超が開いたとされ、武家菩提寺の法系が村落需要へ応答した可能性を示す。残る2寺を同定し、成立年と地理分布を比較すれば、天龍院門流の広がりを復元できる。

末寺関係は創立時から固定していたとは限らない。師弟関係として始まり、近世本末制度の整備時に正式末寺へ登録された可能性がある。法地化、伝法始祖、住持任命、嗣法を寺院ごとに整理し、「創立時の師寺」と「江戸期の行政上の本寺」を区別する。廃寺が含まれる場合も、仏像、墓地、檀家、寺領の移管を追う。

松井氏首塚と供養塔は2005年11月21日に磐田市指定史跡となり、時代区分は室町時代、所在地は上野部、所有者は天龍院とされる。行政指定は保存対象の名称と範囲を確定する一方、首塚の内部、石塔の個別造立年、移設・修理履歴、宗信との直接関係をすべて確定するものではない。指定調書、実測図、写真台帳、保存履歴を確認し、「史跡全体の時代区分」と「各構成物の制作年代」を分けて記述する必要がある。 末寺4宇は保安寺・全海寺を含む候補表を作り、寺名・所在地・開山・嗣法・史料初出が一致した寺だけを採用する。

現地写真には複数の石塔・碑が写り、景観として松井氏供養の場が維持されていることを確認できる。しかし写真の外形だけから五輪塔、宝篋印塔、近代碑等の形式と人物を確定せず、銘文全文、石材、加工痕、基壇、向き、位置座標を記録する。苔・風化で判読しにくい箇所は斜光撮影、写真測量、既存拓本・実測図を用い、石面を傷める接触調査を避ける。後世の再建碑が古い埋葬場所を顕彰する場合もあるため、墓所と記念碑を区別する。 末寺4宇は保安寺・全海寺を含む候補表を作り、寺名・所在地・開山・嗣法・史料初出が一致した寺だけを採用する。

『遠江国風土記伝』が「開基松井氏宗信之墓所。碑石存」と記したことは、近世段階ですでに宗信墓所と碑石が認識されていた証拠である。これは1921年郡誌以前の記録として重要だが、1560年から記述時点までの伝承過程はなお長い。風土記伝の成立・刊行、原稿系統、現地調査方法を確認し、同書の碑石と現在のどの石造物が対応するかを実測図で照合する必要がある。 末寺4宇は保安寺・全海寺を含む候補表を作り、寺名・所在地・開山・嗣法・史料初出が一致した寺だけを採用する。

磐田市上野部の神谷山天龍院現況記録11
神谷山天龍院の現況記録11。境内、堂宇、石造物、寺号表示の現在状態を示す。建立年、移設歴、人物比定は写真のみで決定せず、棟札・銘文・指定資料との照合を要する。撮影:ATAWI TEMPLE、2026年。

4 観音第15番と巡礼路

磐田郡三十三観音第15番という民間一覧は、天龍院が宗派を越える観音巡礼網へ参加した可能性を示す。しかし本尊は未確認であり、札所観音が本尊、脇壇、別堂、掛幅のどこに祀られるか分からない。第16番とされる永安寺など前後札所を地図化し、納経帳、御詠歌、道標、講中奉納物から巡拝路と成立年代を確認する。

札所番号の存在から現在の御朱印・参拝受入を推定してはならない。霊場活動が休止していても、札所額や納経帳は過去の移動を示す歴史資料である。天竜川左岸と敷地川流域の寺々が宗派を越えて連なったなら、巡礼は本末制度とは異なる横の寺院ネットワークを形成した。天龍院が縦の曹洞宗法系と横の観音巡礼の交点だった可能性を検討する。

郡誌は武田軍による二俣城落城を元亀元年と記すが、一般的な二俣城攻防史は元亀3年、すなわち1572年の落城とする。この2年差は、寺伝全体を否定する理由でも、無視してよい誤差でもない。郡誌原文、版面、旧暦、干支、写本の異同を確認し、二俣城側史料と照合する。年次不一致を明示することは、天龍院が庇護者を失って困弊したという因果関係の時期を正確に位置付けるために不可欠である。 観音第15番は札所本尊、納経、御詠歌、巡礼順を確認し、曹洞宗末寺網とは独立した移動経路として復元する。

城の落城と寺院困弊を直結する郡誌叙述は、武家菩提寺が檀越の政治的・経済的基盤へ依存したことを示唆する。だが、堂宇焼失、寺領喪失、住職不在、檀家減少のどれが「困弊」を構成したかは明らかでない。棟札、再建勧化帳、過去帳の空白、寺領文書、周辺村の被害記録を調べ、被害を具体化する。二俣城から離れた上野部の寺が軍事攻撃を直接受けたのか、庇護喪失による間接的困窮だったのかも区別する。 観音第15番は札所本尊、納経、御詠歌、巡礼順を確認し、曹洞宗末寺網とは独立した移動経路として復元する。

1575年の徳川方による二俣城奪還と、1603年の天龍院朱印高9石の間には約28年ある。徳川家康の朱印を寺運回復の直接結果とする郡誌の物語は理解しやすいが、その間の寺院維持、檀家、住職、堂宇再建を省略する。朱印状原本、写し、慶長検地、寺領境界、年貢免除の内容を確認し、戦国期の武家菩提寺が徳川政権下の朱印寺院へ再編された過程を段階的に捉える必要がある。 観音第15番は札所本尊、納経、御詠歌、巡礼順を確認し、曹洞宗末寺網とは独立した移動経路として復元する。

磐田市上野部の神谷山天龍院現況記録12
神谷山天龍院の現況記録12。境内、堂宇、石造物、寺号表示の現在状態を示す。建立年、移設歴、人物比定は写真のみで決定せず、棟札・銘文・指定資料との照合を要する。撮影:ATAWI TEMPLE、2026年。

5 梅花講と現代の参加

現代の梅花講は、詠讃歌を通じて檀信徒が儀礼・研修・交流に参加する仕組みである。曹洞禅ナビのアイコンは存在可能性を示すにとどまり、活動実態は寺院確認を要する。開始年、講員、練習、法要参加、他寺講との交流を記録すれば、近世の末寺網が弱まった後に別の宗派ネットワークが形成された過程を追える。

観音巡礼と梅花講はいずれも歌・詠唱・移動を伴い得るが、同一伝統ではない。御詠歌、梅花流詠讃歌、地域念仏を音声文化として比較しつつ、成立主体と儀礼目的を分ける。磐田市地域計画が敷地・野部・広瀬地区の遠州大念仏を重視することも、寺院内外の音声実践を検討する広い背景となる。ただし天龍院が大念仏を主催するとは確認されていない。

朱印高9石は、徳川家康から1603年9月15日に与えられたと郡誌が伝え、風土記伝も「朱符之寺田高九石」と記す。石高は土地の生産力を米量で表示した制度値であり、現在の面積や寺院収入へ単純換算できない。9石に対応する土地の筆数、場所、耕作者、免租範囲、実収を朱印状、検地帳、名寄帳、年貢割付で確認する必要がある。上野部村高に占める比率だけで寺格や豊かさを順位付けしない。 梅花講は公式アイコンを活動実績とみなさず、開始年・講員・練習・他寺交流を当事者確認できた範囲で記録する。

末寺4宇という風土記伝記載は、天龍院が上野部の菩提寺にとどまらず、周辺村へ法系を広げた中間本寺だったことを示す。郡誌で確認できる保安寺と全海寺以外の2寺は、末寺帳、寺院明細帳、廃寺記録から同定する必要がある。末寺数が時代によって変わる可能性もあり、風土記伝の記述時点を全期間へ拡張しない。寺院ごとに所在地、山号、開山、成立年、法地化、本尊、存廃を整理し、誤同定を避ける。 梅花講は公式アイコンを活動実績とみなさず、開始年・講員・練習・他寺交流を当事者確認できた範囲で記録する。

上野部の村落史では、近世初頭の幕府領から相給支配へ移行し、村高も帳簿ごとに増加する。寺領9石と村の開発を結び付けるには、寺領が固定地だったか、新田を含んだか、洪水で移動したかを調べる必要がある。天竜川扇頂部では地形変化と水利が土地利用を左右するため、朱印状の権利と現地の耕地を地籍図・河川絵図で照合する。寺院経済を政治的恩賞だけでなく、村人の耕作と維持労働から捉え直す。 梅花講は公式アイコンを活動実績とみなさず、開始年・講員・練習・他寺交流を当事者確認できた範囲で記録する。

磐田市上野部の神谷山天龍院現況記録13
神谷山天龍院の現況記録13。境内、堂宇、石造物、寺号表示の現在状態を示す。建立年、移設歴、人物比定は写真のみで決定せず、棟札・銘文・指定資料との照合を要する。撮影:ATAWI TEMPLE、2026年。

6 結論:上野部の地域拠点として

結論として、天龍院は朱印寺領9石により土地制度、末寺4宇により曹洞宗法系、観音第15番により巡礼、梅花講により現代檀信徒活動へ接続する。4制度を連続的発展とみなすのではなく、時代ごとに寺院を支えた異なる参加・資源回路として理解することで、武家保護消滅後も天龍院が地域拠点として存続した条件を説明できる。

新たな知見は、松井氏菩提寺という縦の由緒に、土地、末寺、巡礼、講という複数の横断関係を加えた点にある。朱印状原本、末寺帳、観音納経帳、梅花講記録を同じデータベースで年代別に管理すれば、天龍院の影響圏が政治権力、僧侶、巡礼者、檀信徒の間でどう変化したかを実証できる。

現在の天龍院は宗派公式検索に梅花講の表示があり、曹洞宗詠讃歌を通じた檀信徒活動が存在する可能性を示す。ただし表示アイコンだけで、講員数、活動頻度、開始年、公開性を断定しない。寺院への照会と年中行事資料により、近世の末寺・寺領を基盤とする組織から、現代の講・檀家活動へ寺院参加がどう変化したかを検討できる。現在の実践も将来の地域史料となるため、年度ごとに保存する意義がある。 結論の新規性は、土地・法系・巡礼・詠讃という4資源回路の交点として天龍院を位置づけ、時代別の変化を比較する点にある。

研究成果の公開では、指定史跡を観光対象化するだけでなく、宗教施設・墓域としての尊厳を守る必要がある。墓碑の個人名、位牌、過去帳、未公開本尊、寺院内部資料は、所有者の許可と公開範囲を記録する。首塚の位置情報はすでに公的指定情報として公開されていても、無断侵入、接触、採拓を促す表現を避ける。文化財保存と参詣・法要が両立する動線、説明板、デジタル記録を寺院・行政・地域で検討する。 結論の新規性は、土地・法系・巡礼・詠讃という4資源回路の交点として天龍院を位置づけ、時代別の変化を比較する点にある。

天龍院研究の到達点は、1528年創立、1560年宗信戦死、1572年二俣城落城、1603年朱印高9石という年表を並べるだけではない。寺院は松井氏の参禅と葬送を起点に、城主家の没落、徳川政権の寺領認証、末寺網、村落檀家、指定文化財、現代講活動へ役割を変えた。各局面の証拠水準を分けることで、武将伝承を尊重しながら、上野部の地域社会が寺院を持続させた過程を検証可能な形で提示できる。 結論の新規性は、土地・法系・巡礼・詠讃という4資源回路の交点として天龍院を位置づけ、時代別の変化を比較する点にある。

調査台帳では、主張を寺号、山号、所在地、人物、年月日、寺領、末寺、墓所、札所へ分解し、資料名、作成年、記事内容年、原本・写本・翻刻の別、引用頁、確認日を付す。同じ文言が風土記伝、郡誌、観光資料に反復される場合は引用系譜を調べ、独立した証拠として重複計上しない。仮説ごとに反証条件も先に示す。松井氏菩提寺形成説なら、松井氏位牌・寄進・墓碑・一貞との法系記録が予測される。城落後困弊説なら、過去帳の空白、再建記録、寺領喪失が予測される。門流展開説なら、末寺側に貞超等の位牌・棟札・嗣法資料が予測される。予測資料が確認されなければ、由緒を否定するのではなく、人物・時期・制度の範囲を修正する。未確認事項を明示することにより、地域伝承は固定的な物語ではなく、新資料によって更新できる研究資源となる。現地調査では、墓域と法要空間であることを最優先し、寺院の明示的許可を得て非接触記録を行う。過去帳・位牌・墓碑の個人情報、未公開の本尊・寺宝、宗教上秘匿される儀礼は公開範囲を所蔵者と合意する。石造物は全景、部材、銘文、基壇、方位を撮影番号で連結し、位置を平面図へ記録する。文書は請求記号、法量、料紙、筆跡、印章、奥書、欠損、伝来箱を記載し、翻刻文だけでなく原画像へ戻れるようにする。こうした調査倫理と再現可能性を確保して初めて、武将伝承の魅力と墓所の尊厳を両立できる。 結論の新規性は、土地・法系・巡礼・詠讃という4資源回路の交点として天龍院を位置づけ、時代別の変化を比較する点にある。

著者は大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社代表取締役)であり、介護事業および不動産事業を運営している。この開示は、地域、墓地、土地・建物に接する事業者としての立場を読者が評価できるようにするためである。本稿は寺院、供養、不動産に関する営業的勧誘を目的とせず、ATAWI TEMPLEによる地域史料の保存・検証を目的とする。結論は著者の肩書ではなく、出典、成立年、物質資料、反証条件によって評価され、事業上の利害を寺院の歴史評価へ混入させない。 結論の新規性は、土地・法系・巡礼・詠讃という4資源回路の交点として天龍院を位置づけ、時代別の変化を比較する点にある。

天龍院・松井氏・二俣城に関する史料批判年表
天龍院、松井氏、二俣城に関する記事内容年の配置。1528年・1603年は後代編纂史料が伝える年次で、1572年の二俣城落城との照合課題を含む。ATAWI TEMPLE作成。

参考文献・資料

  1. [1] 静岡県磐田郡教育会・国立国会図書館デジタルコレクション「静岡県磐田郡誌 第13章「神社及宗教」天龍院」。 神谷山、永源寺末、1528年創立、一貞、松井信薫・宗信、1603年朱印高9石、末寺関係を原本画像で確認する基礎史料。 最終閲覧日:2026-07-25。
  2. [2] 太田亮・磯部甲陽堂・国立国会図書館デジタルコレクション「遠江」。 上野部村の天龍院を曹洞宗、9石、松井氏開基とする近代地誌の記載を比較する資料。 最終閲覧日:2026-07-25。
  3. [3] 曹洞宗宗務庁「天龍院」。 読み、磐田市上野部353、現在の曹洞宗寺院登録、梅花講表示を確認。本尊・沿革の詳細欄はない。 最終閲覧日:2026-07-25。
  4. [4] 静岡県「静岡県知事所轄宗教法人名簿」。 現在の宗教法人天龍院と所在地を確認する行政資料。 最終閲覧日:2026-07-25。
  5. [5] 磐田市「市指定文化財」。 松井氏首塚と供養塔が市指定史跡、室町時代、上野部、所有者天龍院であることを確認。 最終閲覧日:2026-07-25。
  6. [6] 磐田市教育委員会文化財課「いわた文化財だより 第152号」。 桶狭間で戦死した松井宗信、二俣城主、天龍院の墓・市指定文化財という関係を公的解説で確認。 最終閲覧日:2026-07-25。
  7. [7] 磐田市「磐田市文化財保存活用地域計画」。 敷地・野部・広瀬地区を戦国城砦、武将ゆかりの社寺、遠州大念仏等から捉え、天龍院と松井氏首塚を地域文化財群へ位置付ける。 最終閲覧日:2026-07-25。
  8. [8] 平凡社『日本歴史地名大系』・DIGITALIO「上野部村」。 天竜川扇頂部左岸、中世野部郷の遺称、村高と近世支配の変遷を確認する地域史資料。 最終閲覧日:2026-07-25。
  9. [9] 講談社『日本の城がわかる事典』ほか・DIGITALIO「二俣城」。 松井氏の城主継承、1572年の武田氏による落城、1575年の徳川方奪還を確認し、郡誌の年次と比較する資料。 最終閲覧日:2026-07-25。
  10. [10] 磐田市「旧豊岡村の住所表示」。 上野部が旧豊岡村域から磐田市へ移行した住所史を確認。 最終閲覧日:2026-07-25。
  11. [11] 磐田市観光協会「豊岡地区 寺社散策資料」。 松井氏、天龍院、上野部周辺寺社の地域公開情報を確認する補助資料。寺院固有年次は郡誌等で再検証する。 最終閲覧日:2026-07-25。
  12. [12] 磐田市観光協会「豊岡寺社巡りウォーキング」。 天龍院、妙満寺、野部神社等を結ぶ現在の地域文化ルートを確認。 最終閲覧日:2026-07-25。
  13. [13] ニッポンの霊場「磐田郡三十三観音霊場」。 第15番神谷山天龍院という民間霊場一覧を確認。現在の巡拝受入や本尊の根拠とはしない。 最終閲覧日:2026-07-25。
  14. [14] ATAWI TEMPLE「天龍院 寺院詳細」。 現地写真、基本情報、確認済み事項と未確認事項の区分を確認。 最終閲覧日:2026-07-25。
  15. [15] e-Gov法令検索「文化財保護法」。 指定史跡と周辺の未指定資料を調査・保存・活用する法的背景として参照。 最終閲覧日:2026-07-25。

著者情報

大石浩之。富士ヶ丘サービス株式会社代表取締役。静岡県磐田市を拠点として介護事業および不動産事業を運営する一方、ATAWI TEMPLEにおいて地域寺院資料の収集・整理・公開に取り組む。本論文は寺院・宗派の公式見解ではなく、表示した資料に基づく著者の研究成果である。

資料の追加および記載の訂正は、情報提供・訂正窓口で受け付けている。