ATAWI TEMPLE 地域寺院研究紀要
泉蔵寺の秋鹿氏五輪塔群と中泉代官支配
菩提寺・墓域・屋敷跡を結ぶ近世行政史と石造物保存
1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役
要旨
本稿は、泉蔵寺境内に残るとされる中泉代官秋鹿氏歴代の大型五輪塔群を、近世行政史と墓制・保存の両面から検討する。磐田市文化財保存活用地域計画は、泉蔵寺の中泉代官秋鹿氏墓地を「中泉御殿・代官関係」の未指定文化財に位置付ける。磐田市観光協会資料は、秋鹿氏を初代中泉代官とし、泉蔵寺を菩提寺、五輪塔を高さ約3メートル、市内で類例の少ない墓碑群と紹介する。地域調査資料は、秋鹿朝正・朝重・道重の名と代官職、府八幡宮神職との関係を示すが、代官の初代概念、各人の在職年、系譜、墓塔銘は幕府文書・寺蔵過去帳・現地実測による照合を要する。本稿は、墓塔を権力者の顕彰物としてのみ見るのではなく、代官職の世襲・家の継承・仏教葬送・石工技術・地震リスクを記録する資料群と捉える。また中泉歴史公園の秋鹿氏邸庭園、御殿跡、陣屋跡、泉蔵寺墓所を分散文化財として結び、屋敷での統治と寺院での追善を空間的に再構成する。未指定墓地であるため、基数、保存状態、所有・管理、公開条件を確認し、3次元計測と非接触銘文記録を優先する保存計画を提示する。
キーワード:泉蔵寺/秋鹿氏/中泉代官/五輪塔/中泉御殿/墓制/石造物保存
1 問題設定―代官墓所を何から確認できるか
磐田市文化財保存活用地域計画は、中泉地区の「中泉御殿・代官関係」に泉蔵寺の中泉代官秋鹿氏墓地を挙げる。主要指定文化財とは別に、地域の特徴に関連する未指定文化財として位置付けている。
磐田市観光協会資料は、初代中泉代官を務めた秋鹿氏の墓所が菩提寺泉蔵寺にあり、歴代の大きな五輪塔が高さ約3メートルに及ぶと説明する。市内で同規模の墓碑群はほかにないとも紹介する。
行政計画と観光資料が墓地の存在を示すため、単なる個人ブログだけに依存する情報ではない。しかし基数、各塔の被葬者、建立年、石材、銘文、指定・未指定の法的位置は詳細に公開されていない。
地域調査資料は秋鹿朝正・朝重・道重の五輪塔が並ぶと記す。この情報は人物同定の手掛かりになるが、幕府代官記録、家譜、寺蔵過去帳、墓塔銘で照合し、地域資料の誤記や通称を確認する必要がある。
「初代中泉代官」という表現も制度上の定義を要する。中泉御殿の管理者、幕府直轄地の代官、陣屋在勤者、秋鹿家内の初代のどれを指すかで人物と年代が変わる。代官所の設置時期と職制を幕府側記録から確認したい。
五輪塔は地・水・火・風・空を象徴する5部材からなる石塔で、墓塔・供養塔として用いられる。形が五輪塔であることだけで被葬者や年代は決まらず、銘文、様式、石材、墓域配置を合わせて評価する。
大型墓塔は権力・経済力・家格を表現する可能性があるが、大きさだけで代官権威を断定しない。造立時期、同時代の武家・神職墓、地域石工の標準寸法と比較し、相対的な規模を示す必要がある。
本稿では、行政計画、観光資料、自治会調査、宗派・法人資料、現地写真を役割ごとに分ける。墓地の存在、人物関係、制度史、現況保存を同じ確度で語らず、追加確認点を明記する。
以下、秋鹿氏と代官職、墓塔群の構成、菩提寺機能、屋敷・御殿・陣屋との空間関係、保存計画を検討する。墓所を地域権力の記念物だけでなく、家・宗教・行政を結ぶ資料として読む。
未指定文化財という位置付けは、文化財価値がないことを意味しない。行政計画が地域の特徴に関連する資料として把握した段階であり、指定基準、所有者意向、調査状況等によって法的保護の形は変わる。記事では「未指定」と「未確認」を区別し、指定済みと誤認させない。
墓所の研究には倫理的配慮が不可欠である。歴史上の代官家を研究対象としつつ、現在も墓参・祭祀の対象である可能性を優先する。公開前に寺院と管理関係者へ範囲を確認し、位置情報、銘文画像、系譜の扱いを調整する。
2 秋鹿氏・代官職・府八幡宮神職
寺島自治会の地域調査は、秋鹿氏が戦国期に家康へ仕え、中泉に屋敷を持ち、後に代官職を務めたとする。また府八幡宮の神職を兼ねたと記す。複数の役割を持つ在地家として注目される。
同資料は16代朝正、17代朝重、18代道重という系譜を示す。世代番号と通字「朝」の扱いは家譜に基づく可能性があるが、典拠全文が示されないため、各人の生没年・在職年・官途を独立に確認したい。
秋鹿朝正が徳川秀忠に仕えたという伝承も、軍役・知行・代官任命を示す文書で検証する必要がある。関ヶ原前後の一般史と人物伝を結び付ける際は、同名人物や後世系譜の遡及に注意する。
代官は幕府領の年貢徴収、裁判、治安、普請等に関わるが、職掌は時期・支配地で異なる。秋鹿氏がどの村々を、どの期間、どの上司の下で担当したかを、代官所文書、年貢割付、触書から復元すべきである。
府八幡宮神職との兼帯が確認できれば、秋鹿氏は幕府行政と地域祭祀をつなぐ位置にあった。神職でありながら泉蔵寺に仏式墓塔を営むことは、近世の神仏関係と家の葬送実践を考える材料になる。
ただし神職だから仏葬が例外だったとみなすのは適切でない。近世の神職家でも寺檀関係や仏式葬送を持つ例がある。戒名、墓塔、過去帳、府八幡宮側記録を照合し、秋鹿家固有の実践を確認する。
屋敷を家康へ献上し移住したとする地域資料も、年代と場所の検証を要する。中泉御殿形成、秋鹿氏屋敷、後の陣屋を1つの場所・時点へ圧縮せず、地籍・絵図・発掘成果で段階を分けたい。
代官職が家内で継承されたなら、墓塔群の世代配列は行政職の継承と対応する可能性がある。没年、在職年、塔の位置を表にし、職務継承と墓域形成の順序を比較することが有効である。
秋鹿氏研究では、著名な家康関係だけでなく、支配を受けた村々の文書を確認する必要がある。年貢・訴訟・災害対応に残る代官名を集めれば、墓所の人物を地域行政の実務へ位置付けられる。
代官名の同定では、通称、官途、実名、花押を照合する。同じ「某兵衛」等の通称が世代継承されると、文書年代だけで人物を誤認し得る。発給文書の署名・花押、宛所、支配村を家譜の生没年と比較し、確度を段階表示する。
秋鹿氏の家格と知行も、代官職の報酬・所領・神職収入を分けて考える。家康への奉仕伝承があっても、幕臣、地元領主、神職という身分が同時期にどう組み合わさったかは史料で確認する必要がある。後世の系譜が一貫した家像へ整理した可能性も検討する。
3 大型五輪塔群の構成と銘文
観光協会資料は秋鹿氏歴代五輪塔を高さ約3メートルとする。数値が全塔の平均か最大塔かは不明で、測定点も示されない。実測では総高、各部寸法、基壇、傾斜、方位を塔ごとに記録したい。
五輪塔の空輪・風輪・火輪・水輪・地輪が当初材か、後世に組み替えられたかを確認する。大型石塔は地震・台風・根系・地盤沈下で部材がずれ、修理時に別塔の部材が混在する場合がある。
銘文調査は被葬者、戒名、没年、建立者、追善年を特定する中心作業である。表面だけでなく側面・背面・基壇を斜光撮影し、読めない字を推測で確定せず、候補と判読確度を保存する。
石材の種類と産地を調べれば、石塔建立の調達圏と費用を考えられる。肉眼観察だけで産地を断定せず、岩石学的特徴、近隣採石場、同時代墓塔の比較を組み合わせる。
様式編年は有効だが、近世に中世風の五輪塔を造ることもある。形だけで年代を決めず、銘文年、石工銘、家譜、寺過去帳と照合する。被葬者没後の追善建立なら没年と造立年が異なる。
墓域の配置は、家の本家・分家、世代、夫婦、役職、寺院内序列を反映する可能性がある。現在の並びが造立当初か、墓地整理を経たかを古写真・境内図・基礎痕から確認する必要がある。
高さ約3メートルという規模を評価するには、磐田市内の代官・武家・神職・豪農墓、遠江の近世五輪塔と比較する。同じ測定方法で数値を集め、地域最大級という表現の範囲を明示したい。
3次元写真測量は、非接触で形状・傾斜・欠損を記録できる。定期計測を比較すれば、部材移動や風化速度を検出できる。公開モデルでは墓所の尊厳と防犯に配慮し、高精細銘文の公開範囲を調整する。
五輪塔群は、人物名の一覧ではなく、家の世代継承、石工技術、仏教葬送、災害履歴が重なる資料群である。塔を個別IDで管理し、部材・銘・位置・写真・修理を紐付けることで、群としての価値を保てる。
安全診断では、目視だけでなく鉛直傾斜、部材の接触面、亀裂幅、基壇沈下を数値化する。高さ約3メートルの塔が転倒すれば人命と他の墓碑を損なうため、参拝動線と離隔を確認する。ただし危険を理由に直ちに解体せず、可逆的な応急措置と専門家判断を優先する。
生物被膜や苔は銘文を隠す一方、強い洗浄は石材表面を損ねる。家庭用薬剤、高圧洗浄、無断の拓本を避け、石材保存の専門家が材質と劣化原因を診断する。清掃前後の写真と処置内容を保存し、見栄えだけを目的とする過剰修復を防ぐ。
4 泉蔵寺の菩提寺機能と追善
観光協会資料は泉蔵寺を秋鹿氏の菩提寺とする。菩提寺とは葬送、墓地、年忌法要、位牌・過去帳管理等を担う寺院を指すが、関係の開始年、対象家族、継続期間は確認を要する。
泉蔵寺の開創伝承は1504年で、秋鹿氏が代官として活動する以前に寺が存在した可能性を示す。代官家のために新設された寺と単純化せず、既存寺院が後に秋鹿氏の菩提寺となった段階を調べるべきである。
菩提寺関係を示す資料には、過去帳、位牌、墓碑銘、葬儀記録、寺領寄進状、修理勧進、年忌法要帳がある。秋鹿家側家譜と寺側記録を照合し、人物の戒名・没年の一致を確認したい。
大型五輪塔の造立費、墓域提供、維持管理を誰が担ったかも重要である。代官家、子孫、寺院、地域住民の役割が時代で変化した可能性がある。修理銘や寄付帳が保存史を明らかにする。
秋鹿氏が府八幡宮神職を兼ねたなら、家の祭祀と仏教追善がどのように分担されたかを検討できる。神職家の公的役割と、泉蔵寺での私的・家族的葬送を対立させず、近世の複合的宗教実践として扱う。
墓所と本堂・諸堂の位置関係は、寺院内での家格と参拝動線を示す可能性がある。現況配置だけで当初の優遇を断定せず、墓域拡張、堂宇再建、道路変更を時系列で復元する必要がある。
菩提寺は支配者の顕彰だけでなく、死者を仏教的に供養し、家の記憶を世代間で維持する場所である。代官行政の評価と墓所の追悼機能を分け、現代の子孫・関係者への配慮を優先した公開を行う。
寺院が代官家から受けた経済的支援があったとしても、具体的な寺領・金額を史料なしに推定しない。年貢免除、土地寄進、堂宇建立、墓地使用は異なる権利であり、文書の語句から区別する。
泉蔵寺の菩提寺機能は、1504年の禅宗寺院形成と近世代官支配を結ぶ後発の層と考えられる。寺の歴史を秋鹿氏だけに還元せず、既存の宗教組織が新たな支配層を受け入れた過程として読む。
過去帳の利用では、後世の書写本か同時代記録かを確認する。連続した筆跡で古い没年が記される場合、後代に旧記から転記された可能性がある。原本・写本・追記を区別し、墓碑銘との一致だけで同時代性を判断しない。
位牌が残る場合は、戒名、没年、施主、材質、漆・金箔、修理を記録する。墓塔と位牌の戒名が異なる場合、改名、追贈、誤写、別人の可能性がある。家譜を基準にどちらかを訂正せず、差異を資料として保存する。
5 屋敷跡・御殿跡・陣屋跡・墓所の分散景観
磐田市文化財保存活用地域計画は、中泉御殿跡、中泉陣屋跡、中泉代官秋鹿氏邸庭園、泉蔵寺墓地を同じ歴史文化群に位置付ける。これは単体墓所を地域支配の空間へ結ぶ有効な枠組みである。
現在の中泉歴史公園には秋鹿氏邸庭園の記憶が残るとされ、御殿遺跡公園は別の公園として整備される。名称が似るため、各地点の所在地、時期、機能を地図上で明示し、同一遺跡と誤認しないようにする。
屋敷は家の生活・政務、陣屋は幕府行政、御殿は家康の滞在、泉蔵寺は葬送・追善を担った。異なる機能の場所を歩行動線で結ぶことで、中泉支配を日常・行政・権威・死後の4側面から理解できる。
ただし現在の道路で作る観光ルートを歴史的動線と同一視しない。旧道、水路、屋敷門、陣屋入口、寺参道を古絵図・地籍図から復元し、推定線と現代安全経路を分けて表示する。
発掘成果がある地点では、遺構年代と文献年代を照合する。庭園の池・石組、建物礎石、溝、陶磁器が秋鹿氏在住期に属するかを確認し、後代の公園景観を近世屋敷そのものと説明しない。
分散文化財のデジタル展示には、地点ごとの史料、年代、確度、現況写真を同じ地図へ配置する。墓所だけを公開しにくい場合も、位置を一般化し、関係図で役割を示すことができる。
中泉御殿・代官関係には、他寺の代官墓、旧中泉御殿裏門、脇本陣裏門、秋葉灯籠等も含まれる。秋鹿氏だけでなく歴代代官と町場の文化財を比較し、支配機構の長期変化を描く必要がある。
地域住民への聞き取りでは、屋敷跡・墓所の呼称、管理、修理、学校教育、祭礼での利用を記録する。聞取日、語り手、同意範囲を付し、口承を近世事実の直接証拠ではなく継承史として扱う。
泉蔵寺墓所は、屋敷・御殿・陣屋が失われたり改変された後も、人物と家の時間を保持する。分散地点を結ぶことで、都市化した中泉の地下・公園・寺院に残る支配史を総合的に理解できる。
分散地点を結ぶ年表では、秋鹿氏屋敷の存在、御殿造営、代官所設置、各代官在任、墓塔建立、公園整備を別の行に置く。同じ場所で時期が重なる出来事と、別地点で後に関連付けられた出来事を区別し、家康・代官・秋鹿氏を1つの連続物語へ短絡しない。
現代の回遊展示は、墓所を観光消費の対象にしすぎない設計が必要である。寺院での法要・墓参を妨げない時間、撮影可否、立入範囲を案内し、屋敷跡や公園側で制度史を詳しく解説するなど、場所ごとに情報量を調整できる。
6 結論―墓塔群の研究と保存を統合する
泉蔵寺の秋鹿氏墓所は、磐田市の地域計画が中泉御殿・代官関係の未指定文化財として位置付け、観光協会資料が歴代大型五輪塔群を紹介する。墓所の存在と地域史上の重要性は複数資料から確認できる。
一方、各塔の被葬者、基数、建立年、高さ、石材、銘文、修理歴は詳細確認を要する。朝正・朝重・道重という地域資料の人物情報を、墓碑銘、過去帳、幕府代官記録、秋鹿家譜で照合すべきである。
「初代中泉代官」も制度的定義を明らかにし、御殿管理者、幕府代官、秋鹿家初代を混同しない。担当支配地、在職年、職掌を村方文書から復元することで、墓所の人物を行政実務へ位置付けられる。
五輪塔群は家格の表現である可能性に加え、石工技術、仏教葬送、神職家の宗教実践、地震・風化を記録する資料である。3次元計測、石材調査、銘文撮影、傾斜監視を同じ個体IDへ統合したい。
泉蔵寺の菩提寺機能は、1504年開創伝承より後の層である。既存の禅宗寺院が代官家の葬送を受け入れ、墓域と追善を維持した過程として捉えれば、寺院史と政治史を無理なく接続できる。
秋鹿氏邸庭園、中泉御殿跡、陣屋跡、泉蔵寺墓所は、生活・権威・行政・死後を分担する分散文化財である。原位置と現代公園を区別しつつ、地図・年表・人物表で関係を示すことが有効である。
保存では、未指定であることを理由に調査を後回しにしない。大型石塔は地震時の転倒危険があり、応急安定化、立入管理、非接触記録を寺院・所有者・行政・専門家で協議する。無断移動や接着は避ける。
以上から、秋鹿氏五輪塔群は家康ゆかりの人物墓という単線的な観光資源ではない。中泉代官制、家の世代継承、泉蔵寺の菩提寺機能、石造物保存を結ぶ資料群であり、研究と保全を同時に進める価値がある。
優先調査は、寺院・管理者との合意形成、墓塔群の個体番号付与、全景と銘文の非接触撮影、傾斜・亀裂の安全診断、過去帳・位牌との照合である。その後に幕府・村方文書と秋鹿家譜を比較し、被葬者と在職年を確定する。保存を待たせて系譜研究だけを先行させない。
公開成果には、確定被葬者、推定被葬者、銘文判読不能を分け、修理・計測履歴を更新する。墓塔の3次元モデルを学術・保存用高精細版と一般公開版に分ければ、研究可能性、墓所の尊厳、防犯を両立できる。
さらに地震・豪雨後には同じ撮影位置と計測点で緊急点検し、変位の有無を平常時データと比較する。災害後の記憶に頼らず、客観的な保存判断を行う基盤となる。
参考文献・資料
- [1] 磐田市観光協会「磐田 中泉ありがた歩記」。 無量山泉蔵寺、臨済宗、本尊阿弥陀如来、寅薬師、日光・月光菩薩、十二神将、境内諸堂、秋鹿氏菩提寺と大型五輪塔群に関する地域資料の記載を確認した。 最終閲覧日:2026-07-24。
- [2] 磐田市「磐田市文化財保存活用地域計画」。 中泉地区の歴史文化の特徴と、中泉御殿・代官関係の未指定文化財として泉蔵寺の中泉代官秋鹿氏墓地を位置付ける記載を確認した。 最終閲覧日:2026-07-24。
- [3] 臨済宗黄檗宗連合各派合議所「臨黄ネット 寺院検索 静岡県磐田市・妙心寺派」。 妙心寺派「泉藏寺」、読み、所在地中泉1557-1を確認した。由緒・本尊・行事の掲載はないため、宗派・現況確認に用途を限定した。 最終閲覧日:2026-07-24。
- [4] 臨済宗妙心寺派大本山妙心寺「妙心寺の歴史」。 妙心寺の1337年開創、開山関山慧玄、開基花園法皇、宗派史の概要を確認した。泉蔵寺固有の成立を証明する資料には用いていない。 最終閲覧日:2026-07-24。
- [5] 国立国会図書館デジタルコレクション「『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編」。 1921年刊の磐田郡寺院史料。泉蔵寺を永正元年の黙宗開創とする記載は、公開原本画像で該当箇所・前後文脈を再確認すべき後代記録として扱った。 最終閲覧日:2026-07-24。
- [6] 静岡県「静岡県知事所轄宗教法人名簿」。 磐田市中泉1557番地の1に現存する宗教法人としての泉蔵寺を確認した。歴史的由緒の根拠には用いていない。 最終閲覧日:2026-07-24。
- [7] ATAWI TEMPLE「泉蔵寺 寺院詳細」。 2026年の現地写真による本堂、山門、参道、寺号標、霊場表示、境内の現況を確認した。歴史事項は行政・宗派・郷土資料へ遡及した。 最終閲覧日:2026-07-24。
- [8] 磐田市「施設ガイド 御殿遺跡公園」。 中泉御殿跡が御殿遺跡公園として整備されている現況を確認した。秋鹿氏墓所との直接関係を証明する資料には用いていない。 最終閲覧日:2026-07-24。
- [9] 磐田市「磐田市の概要」。 遠江国府、国分寺、見付宿等を含む磐田市の歴史的背景を確認し、中泉の広域的文脈を整理するために参照した。 最終閲覧日:2026-07-24。
- [10] 寺島自治会「寺島の歴史を探る その32」。 秋鹿氏が中泉に屋敷を持ち、代官職と府八幡宮神職に関わったという地域調査、泉蔵寺墓所に朝正・朝重・道重の五輪塔が並ぶとの記載を確認した。行政史料との照合を要する地域資料として用いた。 最終閲覧日:2026-07-24。