見付地区・現存
西光寺
さいこうじ
西光寺(さいこうじ)は、磐田市見付にある時宗の寺院で、山号は東福山です。文永2年(1265年)の開創と伝わり、時宗開祖の一遍上人を開山と称します。徳川家康ゆかりの中泉御殿の表門を移築した表門や、東福門院寄進と伝わる日限地蔵尊で知られ、市指定文化財を数多く有する見付の古刹です。
別称・関連名称東福山/東福山西光寺
- 寺院名
- 西光寺
- 地区
- 見付
- 住所
- 静岡県磐田市見付3353番地の1
- 宗派
- 時宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 西光寺
- 読み方
- さいこうじ
- 地区
- 見付
- 宗派
- 時宗
- ご本尊(資料上)
- 阿弥陀如来
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市見付3353番地の1
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 公式サイトあり
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 3件の年中行事・法要情報を掲載
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 市指定文化財あり(表門・薬師如来坐像・持蓮華・伝一遍上人六字名号・新勅撰和歌集・大クスとナギの木・イヌマキの7件)
- 最終確認日
- 2026.07.12
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 西光寺
- 宗派
- 時宗
- 本尊
- 阿弥陀如来
- 創建
- 寺伝(寺院公式サイト)では文永2年(1265年)開創とされます。
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市見付3353番地の1
- 地区
- 見付
Database 02
沿革
文永の開創と一遍上人
寺院公式サイトによれば、西光寺は文永2年(1265年)に真言宗の寺として開創されたと伝えられます。開創からおよそ十数年後の弘安年間(1280年頃)、諸国を遊行していた時宗の開祖・一遍上人が当地を訪れ、当時の住持は一遍上人を堂に迎えて本尊の開眼法要を勤め、宗旨を真言宗から時宗に改めたとされます。以来、西光寺は時宗の道場として歩み、一遍上人を開山と称しています。市指定文化財の「伝一遍上人六字名号」は、開祖の筆と伝えられる「南無阿弥陀仏」の名号書跡で、このゆかりを今に伝えています。また、市指定文化財の持蓮華は鎌倉時代の作とされる法具で、鎌倉時代写本の新勅撰和歌集とともに、中世にさかのぼる寺歴を裏付ける寺宝です。
東福門院と日限地蔵尊
寺院公式サイトによれば、元和6年(1620年)、2代将軍徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮となった東福門院(源和子)が当寺と関わりを持ち、守り本尊の木造地蔵菩薩と阿弥陀三尊像を寄進し、「東福山」の山号を与えたと伝えられます。翌年の火災で堂宇は焼失しましたが、東福門院から頂いた阿弥陀三尊仏と地蔵尊は焼失を免れて残ったとされ、この地蔵尊が「日限地蔵尊」として信仰を集めるようになりました。日限地蔵は、「何日までに」と日を限って祈願すると願いが叶うとされる地蔵信仰で、本堂に祀られる日限地蔵尊には13年に1度の大祭(一日限りのご開帳)が営まれると寺院公式サイトは案内しています。将軍家の姫君の守り本尊が火災を免れて宿場の庶民信仰の対象となったという伝えは、西光寺の歴史の中でもひときわ印象深い物語として語り継がれています。
中泉御殿表門の移築
磐田市観光協会の資料によれば、徳川家康が造営した中泉御殿は寛文10年(1670年)に廃止され、その表門が見付の西光寺に、裏門が中泉の西願寺に移築されました。西光寺の表門は薬医門の様式で、簡素な彫り物が施され、桃山から江戸初期の様式に見合う意匠が見られると解説されています。市内最大級の薬医門とされ、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定有形文化財(建造物)に指定されました。磐田市の文化財保存活用地域計画にも「西光寺表門(旧中泉御殿門)」として写真入りで掲載されており、家康の遠江支配の記憶を伝える建造物として重視されています。
蓮光寺旧仏の薬師如来と境内の文化財
本尊の脇に祀られる薬師如来坐像は平安時代の作で、磐田市の資料によれば、もと蓮光寺に安置されていましたが、同寺の廃寺に伴い西光寺に移されました。平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(彫刻)に指定されています。西光寺はこの薬師如来により遠江四十九薬師霊場の第48番札所となっており、結願の第49番・慈恩寺(同じ見付)へと続く巡拝路の終盤に位置します。また境内には、見付宿で本陣を務めた神谷家・鈴木家の墓所があり、江戸時代を通じて連続的に墓標が立てられた歴史的価値の高い墓所として磐田市指定史跡になっています。宿場の有力者の墓所が残ることは、西光寺が見付宿の中心的な菩提寺の1つであったことを物語ります。
大クスとナギ、現代の西光寺
境内の大クスは高さ18メートル、根回り周囲23メートル、推定樹齢500年以上の大樹で、密接してナギが自生しています。ナギの葉は筋が縦に通っていて裂けにくいことから、縁が切れない木として縁結びの信仰と結びつけられてきました。イヌマキ(高さ18メートル、推定樹齢200年から250年)とともに磐田市指定天然記念物です。近年はこの大クスとナギの木が縁結びのご利益で知られるようになり、テレビやラジオで紹介されて県内外から参拝者が訪れると磐田市観光協会は紹介しています。また、令和5年(2023年)11月には境内に樹木葬墓苑が開かれ、供養の形の変化にも応えています。中世以来の遊行の寺が、現代の縁結び信仰と新しい供養の場を受け止めながら歩み続けています。境内の古木群は、火災や戦乱を越えて寺とともに生き続けてきた見付の歴史の生き証人でもあります。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 阿弥陀如来
- 宗教的意味
- 西光寺は、鎌倉時代に一遍上人が開いた時宗の寺院です。もと真言宗の寺でしたが、弘安年間(1280年頃)に遊行中の一遍上人を迎えて本尊の開眼法要を勤めたことから時宗に改め、一遍上人を開山と称しています。本尊は時宗の教えの中心である阿弥陀如来で、開祖の筆と伝わる「伝一遍上人六字名号」(市指定文化財)が寺宝として守られています。念仏をすすめて諸国を巡った遊行の宗風が、東海道見付宿のこの寺の原点です。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
西光寺表門
寛文10年(1670年)に廃止された中泉御殿の表門を移築したと伝わる安土桃山時代の薬医門です。市内最大級の薬医門とされ、桃山から江戸初期の様式に見合う意匠が見られます。平成17年(2005年)11月21日指定。
薬師如来坐像
平安時代の作で、もと蓮光寺に安置され、同寺の廃寺に伴い西光寺に移されたと磐田市の資料に記されています。遠江四十九薬師霊場第48番札所の本尊です。平成17年(2005年)11月21日指定。
持蓮華
蓮のつぼみをかたどった仏教の法具で、寺院公式サイトでは鎌倉時代の作と紹介され、3本のうち2本は奈良国立博物館所蔵とされます。平成17年(2005年)11月21日指定。
伝一遍上人六字名号
時宗開祖・一遍上人の筆と伝えられる「南無阿弥陀仏」の六字名号です。一遍上人が当寺で本尊の開眼法要を勤めたという寺伝とともに、開祖とのゆかりを伝えます。平成17年(2005年)11月21日指定。
新勅撰和歌集
鎌倉時代の勅撰和歌集の写本と寺院公式サイトで紹介されています。中世の西光寺の文化的水準を示す典籍です。平成17年(2005年)11月21日指定。
西光寺大クスとナギの木・イヌマキ
大クスは高さ18メートル、根回り周囲23メートル、推定樹齢500年以上で、密接してナギが自生します。ナギの葉は裂けにくいことから縁結びの信仰と結びつけられています。イヌマキは高さ18メートル、推定樹齢200年から250年。いずれも平成17年(2005年)11月21日指定。
見付宿本陣神谷家墓所・見付宿本陣鈴木家墓所
見付宿の本陣を務めた神谷家・鈴木家の墓所です。江戸時代を通じて連続的に墓標が立てられた歴史的価値の高い墓所として、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定史跡となりました。
Database 06
年中法要
- 涅槃会2月15日
釈迦の入滅を偲ぶ法要。寺院公式サイトに記載
- 花祭り(灌仏会)4月8日
お釈迦さまの誕生を祝う行事。寺院公式サイトに記載
- 秘仏日限地蔵尊大祭13年に1度
一日限りのご開帳。寺院公式サイトに記載
- 除夜の鐘12月31日
年の終わりに鐘を撞いて煩悩を払う行事。寺院公式サイトに記載
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
西光寺のある見付は、奈良時代に遠江国府と遠江国分寺が置かれた遠江国の中心地で、近世には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿として栄えた町です。西光寺の境内に見付宿の本陣を務めた神谷家・鈴木家の墓所(市指定史跡)が営まれていることは、この寺が宿場の中枢を担った家々の菩提寺として、見付宿の歴史と分かちがたく結びついてきたことを示しています。また、寛文10年(1670年)の中泉御殿廃止に際してその表門が西光寺へ移築されたことは、徳川家ゆかりの建物の払い下げ先に選ばれるだけの寺格を、当時の西光寺が備えていたことを物語ります。時宗の宗務所の一覧に記される「見付加茂川通」という所在地名のとおり、寺は見付の町を流れる加茂川沿いの一角にあり、宿場の水辺の暮らしとともにありました。
東海道を旅する人々にとって、日を限って願をかける日限地蔵尊は身近な祈りの場であり、境内の大クスとナギの木は今も縁結びの木として県内外の参拝者を集めています。13年に1度の日限地蔵尊大祭のご開帳は、檀家と地域が世代を超えて受け継いできた行事です。令和5年(2023年)には境内に樹木葬墓苑が開かれるなど、供養の形の変化にも応えており、中世の遊行の寺、近世の宿場の菩提寺、現代の祈りの場という3つの顔を重ねながら、見付の暮らしとともに歩み続けています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9077
- 寺院公式情報時宗 東福山 西光寺の歴史や文化遺産(寺院公式サイト)
文永2年(1265年)開創、一遍上人開山、本尊阿弥陀如来、東福門院(源和子)による寄進と山号下賜、遠江四十九薬師霊場第48番、市指定文化財各件の解説を本文で確認。
- 行政・公的資料市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
西光寺表門・薬師如来坐像・持蓮華・伝一遍上人六字名号・新勅撰和歌集・大クスとナギの木・イヌマキの7件が平成17年11月21日指定であることを一覧本文で確認。
- 行政・公的資料磐田市観光協会「中泉ありがた歩記」(PDF)
中泉御殿が寛文10年(1670年)に廃止され、表門が見付の西光寺へ、裏門が西願寺へ移築されたこと、薬医門様式であることをPDF本文で確認。
- 宗派公式資料時宗公式ページ 時宗寺院一覧(時宗宗務所)
一覧掲載のみ。第17教区に「西光寺(サイコウジ)〒438-0086 静岡県磐田市見付加茂川通3353-1」として掲載。由緒・本尊・行事の記載はなく、寺院Webリンクもない。
- 寺院公式情報東福山 西光寺 公式サイト
年中行事(花祭り・涅槃会・除夜の鐘・日限地蔵尊大祭)と駐車場案内を確認
- 民間二次情報磐田墓苑オープンのお知らせ|リーフログ
西光寺境内の樹木葬墓苑「リーフログ磐田」の開苑(2023年11月)と運営形態を確認
- 行政・公的資料磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)
p.40 写真49「西光寺表門(旧中泉御殿門、市指定有形文化財)」、p.53 主要市指定文化財一覧に「中泉御殿表門(西光寺)」
最終更新日 2026.07.19
Uploaded Photos
保存済み写真
01
この寺院について
西光寺は磐田市見付3353番地の1(加茂川通)に所在する時宗の寺院です。時宗の宗務所の寺院一覧に第17教区の寺院として掲載されており、本尊は阿弥陀如来です。寺院公式サイトによれば文永2年(1265年)に真言宗の寺として開創され、弘安年間(1280年頃)に時宗の開祖・一遍上人が訪れて本尊の開眼法要を勤めたことから、宗旨を時宗に改め、一遍上人を開山と称しています。
山号の「東福山」は、2代将軍徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮となった東福門院(源和子)が元和6年(1620年)に当寺と関わりを持ち、守り本尊の地蔵菩薩と阿弥陀三尊像を寄進した際に賜ったものと伝えられます。この地蔵尊は「日限地蔵尊」として日を限って願をかける信仰を集めてきました。
境内には、寛文10年(1670年)に廃止された中泉御殿の表門を移築したと伝わる市内最大級の薬医門(磐田市指定文化財)が立ち、大クスとナギの木・イヌマキの市指定天然記念物、見付宿本陣を務めた神谷家・鈴木家の墓所(市指定史跡)など、多くの文化財が伝えられています。遠江四十九薬師霊場の第48番札所でもあります。
02
歴史と背景
文永の開創と一遍上人
寺院公式サイトによれば、西光寺は文永2年(1265年)に真言宗の寺として開創されたと伝えられます。開創からおよそ十数年後の弘安年間(1280年頃)、諸国を遊行していた時宗の開祖・一遍上人が当地を訪れ、当時の住持は一遍上人を堂に迎えて本尊の開眼法要を勤め、宗旨を真言宗から時宗に改めたとされます。以来、西光寺は時宗の道場として歩み、一遍上人を開山と称しています。市指定文化財の「伝一遍上人六字名号」は、開祖の筆と伝えられる「南無阿弥陀仏」の名号書跡で、このゆかりを今に伝えています。また、市指定文化財の持蓮華は鎌倉時代の作とされる法具で、鎌倉時代写本の新勅撰和歌集とともに、中世にさかのぼる寺歴を裏付ける寺宝です。
東福門院と日限地蔵尊
寺院公式サイトによれば、元和6年(1620年)、2代将軍徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮となった東福門院(源和子)が当寺と関わりを持ち、守り本尊の木造地蔵菩薩と阿弥陀三尊像を寄進し、「東福山」の山号を与えたと伝えられます。翌年の火災で堂宇は焼失しましたが、東福門院から頂いた阿弥陀三尊仏と地蔵尊は焼失を免れて残ったとされ、この地蔵尊が「日限地蔵尊」として信仰を集めるようになりました。日限地蔵は、「何日までに」と日を限って祈願すると願いが叶うとされる地蔵信仰で、本堂に祀られる日限地蔵尊には13年に1度の大祭(一日限りのご開帳)が営まれると寺院公式サイトは案内しています。将軍家の姫君の守り本尊が火災を免れて宿場の庶民信仰の対象となったという伝えは、西光寺の歴史の中でもひときわ印象深い物語として語り継がれています。
中泉御殿表門の移築
磐田市観光協会の資料によれば、徳川家康が造営した中泉御殿は寛文10年(1670年)に廃止され、その表門が見付の西光寺に、裏門が中泉の西願寺に移築されました。西光寺の表門は薬医門の様式で、簡素な彫り物が施され、桃山から江戸初期の様式に見合う意匠が見られると解説されています。市内最大級の薬医門とされ、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定有形文化財(建造物)に指定されました。磐田市の文化財保存活用地域計画にも「西光寺表門(旧中泉御殿門)」として写真入りで掲載されており、家康の遠江支配の記憶を伝える建造物として重視されています。
蓮光寺旧仏の薬師如来と境内の文化財
本尊の脇に祀られる薬師如来坐像は平安時代の作で、磐田市の資料によれば、もと蓮光寺に安置されていましたが、同寺の廃寺に伴い西光寺に移されました。平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(彫刻)に指定されています。西光寺はこの薬師如来により遠江四十九薬師霊場の第48番札所となっており、結願の第49番・慈恩寺(同じ見付)へと続く巡拝路の終盤に位置します。また境内には、見付宿で本陣を務めた神谷家・鈴木家の墓所があり、江戸時代を通じて連続的に墓標が立てられた歴史的価値の高い墓所として磐田市指定史跡になっています。宿場の有力者の墓所が残ることは、西光寺が見付宿の中心的な菩提寺の1つであったことを物語ります。
大クスとナギ、現代の西光寺
境内の大クスは高さ18メートル、根回り周囲23メートル、推定樹齢500年以上の大樹で、密接してナギが自生しています。ナギの葉は筋が縦に通っていて裂けにくいことから、縁が切れない木として縁結びの信仰と結びつけられてきました。イヌマキ(高さ18メートル、推定樹齢200年から250年)とともに磐田市指定天然記念物です。近年はこの大クスとナギの木が縁結びのご利益で知られるようになり、テレビやラジオで紹介されて県内外から参拝者が訪れると磐田市観光協会は紹介しています。また、令和5年(2023年)11月には境内に樹木葬墓苑が開かれ、供養の形の変化にも応えています。中世以来の遊行の寺が、現代の縁結び信仰と新しい供養の場を受け止めながら歩み続けています。境内の古木群は、火災や戦乱を越えて寺とともに生き続けてきた見付の歴史の生き証人でもあります。
03
文化財・見どころ
西光寺表門
寛文10年(1670年)に廃止された中泉御殿の表門を移築したと伝わる安土桃山時代の薬医門です。市内最大級の薬医門とされ、桃山から江戸初期の様式に見合う意匠が見られます。平成17年(2005年)11月21日指定。
薬師如来坐像
平安時代の作で、もと蓮光寺に安置され、同寺の廃寺に伴い西光寺に移されたと磐田市の資料に記されています。遠江四十九薬師霊場第48番札所の本尊です。平成17年(2005年)11月21日指定。
持蓮華
蓮のつぼみをかたどった仏教の法具で、寺院公式サイトでは鎌倉時代の作と紹介され、3本のうち2本は奈良国立博物館所蔵とされます。平成17年(2005年)11月21日指定。
伝一遍上人六字名号
時宗開祖・一遍上人の筆と伝えられる「南無阿弥陀仏」の六字名号です。一遍上人が当寺で本尊の開眼法要を勤めたという寺伝とともに、開祖とのゆかりを伝えます。平成17年(2005年)11月21日指定。
新勅撰和歌集
鎌倉時代の勅撰和歌集の写本と寺院公式サイトで紹介されています。中世の西光寺の文化的水準を示す典籍です。平成17年(2005年)11月21日指定。
西光寺大クスとナギの木・イヌマキ
大クスは高さ18メートル、根回り周囲23メートル、推定樹齢500年以上で、密接してナギが自生します。ナギの葉は裂けにくいことから縁結びの信仰と結びつけられています。イヌマキは高さ18メートル、推定樹齢200年から250年。いずれも平成17年(2005年)11月21日指定。
見付宿本陣神谷家墓所・見付宿本陣鈴木家墓所
見付宿の本陣を務めた神谷家・鈴木家の墓所です。江戸時代を通じて連続的に墓標が立てられた歴史的価値の高い墓所として、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定史跡となりました。
04
宗派と本尊を知る
西光寺は、鎌倉時代に一遍上人が開いた時宗の寺院です。もと真言宗の寺でしたが、弘安年間(1280年頃)に遊行中の一遍上人を迎えて本尊の開眼法要を勤めたことから時宗に改め、一遍上人を開山と称しています。本尊は時宗の教えの中心である阿弥陀如来で、開祖の筆と伝わる「伝一遍上人六字名号」(市指定文化財)が寺宝として守られています。念仏をすすめて諸国を巡った遊行の宗風が、東海道見付宿のこの寺の原点です。
時宗とは
時宗は、鎌倉時代の一遍上人(1239年〜1289年)を宗祖とする念仏の宗派です。一遍上人は伊予国(現在の愛媛県)の豪族・河野氏の出身で、生涯にわたり全国を歩いて「南無阿弥陀仏」の念仏の札を配り、鉦や太鼓に合わせて念仏する「踊り念仏」によって教えを広めたことから、「遊行上人」とも呼ばれました。念仏の札を配るこの営みは「賦算」と呼ばれます。
総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺で、正中2年(1325年)に4代呑海上人によって開かれました。遊行を終えた歴代の上人がこの寺に住したことから「遊行寺」と呼ばれるようになったと伝えられ、以来、時宗の中心道場となってきました。
教えの核心は、信じる・信じないの分別をも超えて、称える念仏そのものに救いがあるという徹底した念仏観にあります。檀家の法要も称名念仏を中心に営まれ、お盆や年回の法要ではともにお念仏を称えることが供養の中心となります。踊り念仏の伝統は、盆踊りの源流のひとつともいわれています。
阿弥陀如来という仏さま
阿弥陀如来の「阿弥陀」は「量りしれない」という意味で、限りない光(無量光)と限りない命(無量寿)を備えた仏さまであることを表します。西方の極楽浄土の教主で、はるか昔、法蔵菩薩として修行していた時に48の願を立て、なかでも第18願では、念仏する者を必ず浄土に迎え取ると誓われたと経典に説かれています。
この誓いを頼りとして「南無阿弥陀仏」と称えるのがお念仏です。浄土宗や浄土真宗など念仏の教えに立つ宗派では阿弥陀如来を本尊と仰ぎ、仏壇の中央に絵像や木像でお迎えして、朝夕のお勤めで手を合わせます。本尊のお姿は、目に見えない救いのはたらきを、私たちに受け取りやすいよう姿かたちで表したものと受け止められています。
葬儀や年忌法要、お彼岸やお盆など、亡き人を偲ぶ場面で最も身近な仏さまでもあります。亡き人を浄土に迎え取り、残された私たちをも光の中で照らし続けてくださる。そのはたらきへの感謝とともに称えるのがお念仏だと受け止められています。
参考: よくあるご質問(浄土宗 公式サイト)/ご本尊をお迎えする(真宗大谷派・東本願寺 公式サイト)/阿弥陀如来の四十八願について(浄土宗 善想寺)
05
地域とのつながり
西光寺のある見付は、奈良時代に遠江国府と遠江国分寺が置かれた遠江国の中心地で、近世には東海道五十三次の28番目の宿場・見付宿として栄えた町です。西光寺の境内に見付宿の本陣を務めた神谷家・鈴木家の墓所(市指定史跡)が営まれていることは、この寺が宿場の中枢を担った家々の菩提寺として、見付宿の歴史と分かちがたく結びついてきたことを示しています。また、寛文10年(1670年)の中泉御殿廃止に際してその表門が西光寺へ移築されたことは、徳川家ゆかりの建物の払い下げ先に選ばれるだけの寺格を、当時の西光寺が備えていたことを物語ります。時宗の宗務所の一覧に記される「見付加茂川通」という所在地名のとおり、寺は見付の町を流れる加茂川沿いの一角にあり、宿場の水辺の暮らしとともにありました。
東海道を旅する人々にとって、日を限って願をかける日限地蔵尊は身近な祈りの場であり、境内の大クスとナギの木は今も縁結びの木として県内外の参拝者を集めています。13年に1度の日限地蔵尊大祭のご開帳は、檀家と地域が世代を超えて受け継いできた行事です。令和5年(2023年)には境内に樹木葬墓苑が開かれるなど、供養の形の変化にも応えており、中世の遊行の寺、近世の宿場の菩提寺、現代の祈りの場という3つの顔を重ねながら、見付の暮らしとともに歩み続けています。
06
年中行事・参拝の手引き
年中行事・法要
- 涅槃会(2月15日)
釈迦の入滅を偲ぶ法要。寺院公式サイトに記載
- 花祭り(灌仏会)(4月8日)
お釈迦さまの誕生を祝う行事。寺院公式サイトに記載
- 秘仏日限地蔵尊大祭(13年に1度)
一日限りのご開帳。寺院公式サイトに記載
- 除夜の鐘(12月31日)
年の終わりに鐘を撞いて煩悩を払う行事。寺院公式サイトに記載
参拝・法要で訪れる方へ
境内に駐車場があり、寺院公式サイトに駐車場の案内図が掲載されています。
表門(旧中泉御殿表門)・大クス・ナギの木・本陣墓所など境内の文化財を傷めないよう、法要やお墓参りの際は十分配慮してください。
行事の日時・内容は年により変わることがあります。参列を予定する際は、寺院公式サイトの最新の案内で確認してください。
- 樹木葬墓苑の詳細(区画・条件等は民間事業者の案内のみで、寺院公式の詳細は未確認)
- 涅槃会・花祭り等の行事への檀家以外の参列可否
- 護持会など檀家組織の有無・活動内容の確認
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 西光寺の読み方と山号は?
-
「さいこうじ」と読みます。山号は東福山(とうふくざん)で、元和6年(1620年)に東福門院から賜ったと伝えられます。磐田市内には掛塚(竜洋地区)にも同名の西光寺があるため、区別する際は「東福山西光寺」「見付の西光寺」と呼ばれます。所在地は見付の加茂川通です。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
時宗で、本尊は阿弥陀如来です。文永2年(1265年)に真言宗の寺として開創され、弘安年間(1280年頃)に一遍上人を迎えて時宗に改めたと寺院公式サイトは伝えています。同じ見付の省光寺とともに、市内でも数少ない時宗寺院の1つです。
本文「宗派と本尊」を読む - 日限地蔵尊とは何ですか?
-
日を限って祈願すると願いが叶うとされる地蔵尊です。元和6年(1620年)に東福門院から寄進されたと伝えられ、翌年の火災でも焼失を免れたとされます。13年に1度、一日限りのご開帳の大祭が営まれます。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む - 徳川家とはどんな関わりがありますか?
-
2代将軍秀忠の娘・東福門院が地蔵尊と阿弥陀三尊像を寄進して山号を与えたと伝えられるほか、家康が造営した中泉御殿の表門が寛文10年(1670年)の御殿廃止後に西光寺へ移築され、市指定文化財となっています。
本文「歴史と背景」を読む - どんな文化財がありますか?
-
表門・薬師如来坐像・持蓮華・伝一遍上人六字名号・新勅撰和歌集・大クスとナギの木・イヌマキの7件が磐田市指定文化財で、いずれも平成17年(2005年)11月21日指定です。ほかに見付宿本陣神谷家・鈴木家の墓所が市指定史跡です。
本文「文化財・見どころ」を読む - 中泉御殿とは何ですか?
-
徳川家康が現在の磐田駅南側の中泉に造営した御殿で、寛文10年(1670年)に廃止されました。その際、表門が見付の西光寺へ、裏門が中泉の西願寺へ移築されたと磐田市観光協会の資料に記されています。
本文「歴史と背景」を読む - 縁結びの木とは何ですか?
-
境内の大クス(推定樹齢500年以上)に密接して自生するナギの木です。ナギの葉は裂けにくいことから縁が切れない木とされ、縁結びの信仰と結びつけられて、テレビやラジオでも紹介されています。
本文「文化財・見どころ」を読む - 札所になっていますか?
-
遠江四十九薬師霊場の第48番札所です。札所本尊の薬師如来坐像は平安時代の作で、廃寺となった蓮光寺から移されたと伝えられ、市指定文化財となっています。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む - お墓や供養の相談はできますか?
-
令和5年(2023年)11月に境内に樹木葬墓苑が開かれたと運営事業者が案内しています。住職が永代供養を行う寺院帰属の形式とされますが、区画や条件などの詳細は寺院へ直接確認してください。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9077。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 寺院公式情報 時宗 東福山 西光寺の歴史や文化遺産(寺院公式サイト)
文永2年(1265年)開創、弘安年間の一遍上人来訪・開眼法要・時宗改宗、本尊阿弥陀如来、東福門院(源和子)による元和6年の寄進と山号下賜、翌年の火災と仏像の焼失回避、日限地蔵信仰、遠江四十九薬師霊場第48番、市指定文化財各件の解説を確認
- 寺院公式情報 東福山 西光寺 公式サイト
年中行事(涅槃会・花祭り・除夜の鐘・秘仏日限地蔵尊大祭〈13年に1度〉)と駐車場案内を確認
- 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
西光寺表門・薬師如来坐像・持蓮華・伝一遍上人六字名号・新勅撰和歌集・大クスとナギの木・イヌマキの7件が平成17年11月21日指定であることを確認
- 行政・公的資料 磐田市観光協会「中泉ありがた歩記」(PDF)
中泉御殿が寛文10年(1670年)に廃止され、表門が見付の西光寺へ、裏門が西願寺へ移築されたこと、薬医門様式・桃山から江戸初期の意匠であることを確認
- 行政・公的資料 東福山 西光寺 | 磐田市観光協会
所在地(見付3353-1)、中泉御殿表門など文化財の宝庫であること、日限地蔵尊で知られること、近年テレビ・ラジオで紹介され県内外から参拝者が訪れることを確認
- 行政・公的資料 徳川家康ゆかりの地 いわた | 磐田市観光協会
西光寺が中泉御殿表門など文化財の宝庫であり日限地蔵尊で有名なこと、中泉御殿の表門が西光寺・裏門が西願寺に移築されたことを確認
- 宗派公式資料 時宗公式ページ 時宗寺院一覧(時宗宗務所)
第17教区に「西光寺 静岡県磐田市見付加茂川通3353-1」として掲載されていることを確認
- 民間二次情報 ニッポンの霊場 遠江四十九薬師霊場
遠江四十九薬師霊場の札所一覧で見付の西光寺の掲載を確認(寺院公式サイトの第48番の記載と整合)
- 民間二次情報 磐田墓苑オープンのお知らせ|リーフログ
西光寺境内の樹木葬墓苑「リーフログ磐田」の開苑(2023年11月)と運営形態を確認
- 行政・公的資料 磐田市文化財保存活用地域計画(令和6年9月)
p.40 写真49「西光寺表門(旧中泉御殿門、市指定有形文化財)」、p.53 主要市指定文化財一覧に「中泉御殿表門(西光寺)」の掲載を確認
- 現地確認 現地確認(2026年7月、ATAWI TEMPLE編集部)
表門(旧中泉御殿表門)、本堂、大クスとナギの木、イヌマキ、本陣墓所等の現況を確認し、現地写真を記録
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
Same Area
同じ地区の寺院
Same Sect