豊田地区・現存
林昌寺
りんしょうじ
林昌寺(りんしょうじ)は、磐田市小立野にある曹洞宗の寺院です。『静岡県磐田郡誌』によれば山号は士石山。もとは真言宗の寺でしたが、天正年間に曹洞宗へ改められたと伝えられ、その歴史を物語る安土桃山時代の木造薬師三尊仏が磐田市指定文化財となっています。遠江四十九薬師霊場第6番の札所でもあります。
- 寺院名
- 林昌寺
- 地区
- 豊田
- 住所
- 静岡県磐田市小立野241番地の1
- 宗派
- 曹洞宗
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 林昌寺
- 読み方
- りんしょうじ
- 地区
- 豊田
- 宗派
- 曹洞宗
- ご本尊(資料上)
- 調査中・加筆待ち
- ご本尊の現在の確認状況
- 未確認
- 住所
- 静岡県磐田市小立野241番地の1
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 未確認
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 未確認(寺院へご確認ください)
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 磐田市指定文化財あり(木造薬師三尊仏)
- 最終確認日
- 2026.07.16
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 林昌寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 本尊
- 未確認
- 創建
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市小立野241番地の1
- 地区
- 豊田
Database 02
沿革
『磐田郡誌』にみえる由緒
『静岡県磐田郡誌』(1921年)は当寺を「128 林昌寺(井通村)」として立項し、「井通村小立野字森西に在り。士石山と號す。當國元城東郡西大淵村窓泉寺末にして、本尊は釋迦牟尼佛なり。最初眞言宗なりしが、天正年度、曹洞宗に改め、慶安三年二月十五日、法地格となる」と記しています。すなわち林昌寺は、戦国時代末の天正年間(1573〜1592年)に真言宗から曹洞宗へ改宗し、江戸時代前期の慶安3年(1650年)2月15日に、住職が代々法を継ぐ法地格の寺となりました。創建そのものの年代は郡誌に記されておらず、真言宗時代の草創の姿は今後の調査課題です。
元真言宗の歴史を伝える薬師三尊
磐田市公式ウェブサイトの市指定文化財一覧によれば、林昌寺所有の木造薬師三尊仏は安土桃山時代の製作で、戦国時代末の作ながら保存状態が良好とされ、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(彫刻)に指定されています。市の解説は、この像を「寺が元真言宗であった歴史を伝える資料である」と記しており、『磐田郡誌』の「最初真言宗なりしが、天正年度、曹洞宗に改め」という記述と符合します。薬師如来を中尊とする三尊像が、改宗をまたいで寺に伝えられてきたことは、宗派が変わっても村人の薬師信仰が絶えなかったことを物語っています。
本寺・窓泉寺と改宗の時代背景
『磐田郡誌』が本寺と記す「元城東郡西大淵村の窓泉寺」は、現在の掛川市西大渕にある窓泉寺にあたるとみられます。掛川市の観光サイトによれば、窓泉寺は初代横須賀城主・大須賀康高が亡き妻を弔うために建立したと伝えられ、県指定文化財の朱塗りの二階楼門で知られる寺です。徳川方の武将として遠江に入った大須賀康高の時代は、まさに林昌寺が曹洞宗へ改宗したと伝わる天正年間にあたり、戦国末期の遠州で徳川氏ゆかりの曹洞宗寺院の法系が広がっていく流れの中に、当寺の改宗も位置づけられると考えられます。
遠江四十九薬師霊場第6番
民間の霊場資料によれば、林昌寺は遠江四十九薬師霊場の第6番札所で、「士石山林昌寺(曹洞宗・磐田市小立野)」と紹介されています。この山号「士石山」は『磐田郡誌』の記載と一致します。本尊は郡誌では釈迦牟尼仏とされる一方、札所本尊としては薬師如来が挙げられており、市指定文化財の薬師三尊仏への信仰が霊場札所としての当寺を支えてきたことがうかがえます。霊場との関係の始まりや札所としての現況は、現時点では確認できていません。
江戸時代の小立野村
『日本歴史地名大系』の小立野村の項によれば、小立野は天竜川下流左岸の村で、村の西側を東海道が通り、池田の渡しへと通じていました。また同項には、今川氏の旧臣であった大橋家が掛川城落城ののちこの地に土着し、元亀・天正年間(1570〜1592年)に天竜川沿いの荒れ地を開墾したと記されています。街道と天竜川に挟まれた小立野の集落で、林昌寺は村の菩提寺として江戸時代を歩みました。天正年間の改宗と同じ時代にこの地の開墾が進んだと伝えられることは、村の再興と寺の再出発が重なり合っていた可能性を思わせますが、両者の直接の関係を伝える資料は現時点では確認できていません。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 未確認
- 宗教的意味
- 林昌寺は曹洞宗に属し、『静岡県磐田郡誌』(1921年)は本尊を釈迦牟尼仏と記しています。釈迦牟尼仏は曹洞宗の標準的な本尊であり、天正年間の改宗にともなって禅宗式の本尊が迎えられたことがうかがえます。一方、境内には真言宗時代からの信仰を伝える市指定文化財の薬師三尊仏が祀られ、釈迦と薬師、禅と密教の記憶が重なり合う本尊構成となっています。なお郡誌の記載は大正10年時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
木造薬師三尊仏
安土桃山時代(戦国時代末)の製作で、保存状態が良好とされます。磐田市の解説では、林昌寺がもと真言宗であった歴史を伝える資料と位置づけられており、『磐田郡誌』の伝える天正年間の改宗の沿革を裏づける仏像です。薬師如来を中尊とする三尊形式で、遠江四十九薬師霊場第6番の札所としての当寺の信仰の核となってきました。
Database 06
年中法要
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
林昌寺のある小立野は、天竜川下流左岸の低地に開けた集落です。『日本歴史地名大系』によれば、村の西側を東海道が通り、天竜川を渡る池田の渡しへと道が続いていました。江戸時代の旅人たちが行き交った街道筋の村として、小立野は川と道の恵みと危うさの両方に向き合いながら暮らしを営み、今川氏の旧臣・大橋家が元亀・天正年間に天竜川沿いの荒れ地を開墾したという伝えは、戦国の動乱を経てこの地に根を下ろした人びとの姿を伝えています。
小立野は明治期には井通村の大字となり、昭和30年(1955年)以降は豊田村・豊田町を経て、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となった旧豊田町域の集落です。林昌寺の木造薬師三尊仏が市指定文化財となったのも、この合併の年でした。真言宗から曹洞宗へという寺の歩みと、薬師信仰を絶やさず伝えてきた村人の営みは、天竜川とともに生きてきた豊田地区の歴史の縮図でもあります。檀家にとっては、本堂の仏さまそのものが村の400年を超える記憶を伝える存在となっています。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9366
- 行政・公的資料市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
木造薬師三尊仏(彫刻・平成17年11月21日指定・安土桃山時代・所在地小立野・所有者林昌寺)。解説「戦国時代末の製作で、保存状態が良好。寺が元真言宗であった歴史を伝える資料である」を本文で確認。
- 民間二次情報静岡県磐田市の寺院・御堂一覧(サーチ寺院)
磐田市小立野241-1・曹洞宗の林昌寺の登載を確認。岐阜県恵那市・群馬県中之条町等の同名寺院とは別。
- 民間二次情報ニッポンの霊場 遠江四十九薬師霊場
第6番=士石山林昌寺(曹洞宗・磐田市小立野)を確認。寺名・宗派・町名がDBと一致。
- 宗派公式資料曹洞禅ナビ 寺院検索「林昌寺」
住所(磐田市小立野241-1)・フリガナ(リンショウジ)を照合し当該寺院と確認。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄
最終更新日 2026.07.19
Uploaded Photos
保存済み写真
01
この寺院について
林昌寺は磐田市小立野241番地の1に所在する曹洞宗の寺院です。静岡県知事所轄宗教法人名簿に磐田市内の宗教法人として掲載され、曹洞宗の公式ポータル「曹洞禅ナビ」にも磐田市小立野241-1の寺院として登載されています。読み仮名は「リンショウジ」です。なお岐阜県恵那市や群馬県中之条町など全国に同名の林昌寺があり、Web検索ではそれらの情報が上位に表示されることがあるため、当ページでは磐田市小立野の寺院に関する資料のみを採用しています。
大正10年(1921年)刊の『静岡県磐田郡誌』は、当時の井通村小立野字森西に在る寺として当寺を立項し、山号は士石山、本尊は釈迦牟尼仏と記しています。同書によれば、当寺は最初真言宗でしたが天正年間に曹洞宗へ改宗し、慶安3年(1650年)に法地格に列しました。本寺は旧城東郡西大淵村の窓泉寺です。
当寺が所蔵する木造薬師三尊仏は安土桃山時代(戦国時代末)の製作で、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(彫刻)に指定されています。磐田市はこの像を、寺がもと真言宗であった歴史を伝える資料と位置づけており、郡誌の伝える改宗の沿革を裏づける貴重な仏像です。
02
歴史と背景
『磐田郡誌』にみえる由緒
『静岡県磐田郡誌』(1921年)は当寺を「128 林昌寺(井通村)」として立項し、「井通村小立野字森西に在り。士石山と號す。當國元城東郡西大淵村窓泉寺末にして、本尊は釋迦牟尼佛なり。最初眞言宗なりしが、天正年度、曹洞宗に改め、慶安三年二月十五日、法地格となる」と記しています。すなわち林昌寺は、戦国時代末の天正年間(1573〜1592年)に真言宗から曹洞宗へ改宗し、江戸時代前期の慶安3年(1650年)2月15日に、住職が代々法を継ぐ法地格の寺となりました。創建そのものの年代は郡誌に記されておらず、真言宗時代の草創の姿は今後の調査課題です。
元真言宗の歴史を伝える薬師三尊
磐田市公式ウェブサイトの市指定文化財一覧によれば、林昌寺所有の木造薬師三尊仏は安土桃山時代の製作で、戦国時代末の作ながら保存状態が良好とされ、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(彫刻)に指定されています。市の解説は、この像を「寺が元真言宗であった歴史を伝える資料である」と記しており、『磐田郡誌』の「最初真言宗なりしが、天正年度、曹洞宗に改め」という記述と符合します。薬師如来を中尊とする三尊像が、改宗をまたいで寺に伝えられてきたことは、宗派が変わっても村人の薬師信仰が絶えなかったことを物語っています。
本寺・窓泉寺と改宗の時代背景
『磐田郡誌』が本寺と記す「元城東郡西大淵村の窓泉寺」は、現在の掛川市西大渕にある窓泉寺にあたるとみられます。掛川市の観光サイトによれば、窓泉寺は初代横須賀城主・大須賀康高が亡き妻を弔うために建立したと伝えられ、県指定文化財の朱塗りの二階楼門で知られる寺です。徳川方の武将として遠江に入った大須賀康高の時代は、まさに林昌寺が曹洞宗へ改宗したと伝わる天正年間にあたり、戦国末期の遠州で徳川氏ゆかりの曹洞宗寺院の法系が広がっていく流れの中に、当寺の改宗も位置づけられると考えられます。
遠江四十九薬師霊場第6番
民間の霊場資料によれば、林昌寺は遠江四十九薬師霊場の第6番札所で、「士石山林昌寺(曹洞宗・磐田市小立野)」と紹介されています。この山号「士石山」は『磐田郡誌』の記載と一致します。本尊は郡誌では釈迦牟尼仏とされる一方、札所本尊としては薬師如来が挙げられており、市指定文化財の薬師三尊仏への信仰が霊場札所としての当寺を支えてきたことがうかがえます。霊場との関係の始まりや札所としての現況は、現時点では確認できていません。
江戸時代の小立野村
『日本歴史地名大系』の小立野村の項によれば、小立野は天竜川下流左岸の村で、村の西側を東海道が通り、池田の渡しへと通じていました。また同項には、今川氏の旧臣であった大橋家が掛川城落城ののちこの地に土着し、元亀・天正年間(1570〜1592年)に天竜川沿いの荒れ地を開墾したと記されています。街道と天竜川に挟まれた小立野の集落で、林昌寺は村の菩提寺として江戸時代を歩みました。天正年間の改宗と同じ時代にこの地の開墾が進んだと伝えられることは、村の再興と寺の再出発が重なり合っていた可能性を思わせますが、両者の直接の関係を伝える資料は現時点では確認できていません。
03
文化財・見どころ
木造薬師三尊仏
安土桃山時代(戦国時代末)の製作で、保存状態が良好とされます。磐田市の解説では、林昌寺がもと真言宗であった歴史を伝える資料と位置づけられており、『磐田郡誌』の伝える天正年間の改宗の沿革を裏づける仏像です。薬師如来を中尊とする三尊形式で、遠江四十九薬師霊場第6番の札所としての当寺の信仰の核となってきました。
04
宗派と本尊を知る
林昌寺は曹洞宗に属し、『静岡県磐田郡誌』(1921年)は本尊を釈迦牟尼仏と記しています。釈迦牟尼仏は曹洞宗の標準的な本尊であり、天正年間の改宗にともなって禅宗式の本尊が迎えられたことがうかがえます。一方、境内には真言宗時代からの信仰を伝える市指定文化財の薬師三尊仏が祀られ、釈迦と薬師、禅と密教の記憶が重なり合う本尊構成となっています。なお郡誌の記載は大正10年時点のもので、現在の本尊の様子は確認できていません。
曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師(1200年〜1253年)が宋(中国)から正伝の仏法を伝え、瑩山禅師が全国へ広めた禅宗の一派です。両禅師を「両祖」と仰ぎ、ご本尊は釈迦牟尼仏です。道元禅師は寛元2年(1244年)に越前(現在の福井県)に永平寺を開き、瑩山禅師の系統からは總持寺(現在は横浜市鶴見区)が興りました。この2か寺を両大本山とし、全国におよそ1万4千か寺を数える大教団です。
教えの中心は「只管打坐」、ただひたすらに坐ることです。坐禅は悟りを得るための手段ではなく、坐る姿そのものが仏のすがたであると説き、掃除や食事といった日々の行いのすべてを修行と捉えます。道元禅師の主著「正法眼蔵」には、その思想が深く説かれています。
檀家の法要では「修証義」や「般若心経」の読誦が親しまれ、葬儀は故人に戒を授けて仏弟子として送る作法に特色があり、戒名にも仏弟子としての意味が込められています。菩提寺で坐禅会や写経会が開かれることも多く、暮らしの中で教えに触れやすい宗派です。
釈迦如来という仏さま
釈迦如来は、およそ2500年前にインドで実在した仏教の開祖、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)を仏として表したものです。ルンビニーの園で誕生し、29歳で出家、6年の苦行ののち菩提樹の下の坐禅で悟りを開き、80歳でクシナガラの地において入滅したと伝えられています。
誕生の際に唱えたと伝わる「天上天下唯我独尊」の言葉は、誰もがかけがえのない命を生きているという人間尊重の心を表すと受け止められています。坐禅の教えを受け継ぐ曹洞宗をはじめ、禅宗の寺院では釈迦牟尼仏を本尊と仰ぎます。誕生を祝う4月8日の降誕会(花まつり)には誕生仏に甘茶を注ぎ、悟りを開いた12月8日の成道会、入滅の日である2月15日の涅槃会と合わせて、三仏忌として特に大切に営まれてきました。
花まつりは子どもの健やかな成長を願う行事として地域の寺院でも親しまれています。本尊のお釈迦さまに手を合わせることは、すべての命が尊いというその教えに立ち返り、自らの生き方を見つめ直すことでもあります。
05
地域とのつながり
林昌寺のある小立野は、天竜川下流左岸の低地に開けた集落です。『日本歴史地名大系』によれば、村の西側を東海道が通り、天竜川を渡る池田の渡しへと道が続いていました。江戸時代の旅人たちが行き交った街道筋の村として、小立野は川と道の恵みと危うさの両方に向き合いながら暮らしを営み、今川氏の旧臣・大橋家が元亀・天正年間に天竜川沿いの荒れ地を開墾したという伝えは、戦国の動乱を経てこの地に根を下ろした人びとの姿を伝えています。
小立野は明治期には井通村の大字となり、昭和30年(1955年)以降は豊田村・豊田町を経て、平成17年(2005年)の合併で磐田市の一部となった旧豊田町域の集落です。林昌寺の木造薬師三尊仏が市指定文化財となったのも、この合併の年でした。真言宗から曹洞宗へという寺の歩みと、薬師信仰を絶やさず伝えてきた村人の営みは、天竜川とともに生きてきた豊田地区の歴史の縮図でもあります。檀家にとっては、本堂の仏さまそのものが村の400年を超える記憶を伝える存在となっています。
06
年中行事・参拝の手引き
参拝・法要で訪れる方へ
寺院の公開情報が限られているため、法要・供養・お墓参りに関する相談は、曹洞禅ナビ掲載の連絡先を通じて寺院へ直接確認してください。
- 年中行事(施餓鬼会・彼岸法要など)の有無・日程は未確認
- 墓地・永代供養・護持会等の取扱いは未確認
- 木造薬師三尊仏の安置場所・開帳の有無は未確認
- 現在の本尊・伽藍の様子(郡誌の記載は1921年時点)は未確認
- 駐車場の有無など、法要で訪れる際の実用情報は未確認
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 林昌寺の読み方は?
-
「りんしょうじ」と読みます。曹洞宗公式ポータル「曹洞禅ナビ」に、フリガナ「リンショウジ」・磐田市小立野241-1の寺院として登載されています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
-
曹洞宗の寺院です。大正10年(1921年)刊の『磐田郡誌』は、山号を士石山、本尊を釈迦牟尼仏と記しています。現在の本尊の様子は確認できていません。
本文「宗派と本尊」を読む - もとは真言宗だったのですか?
-
『磐田郡誌』は「最初真言宗なりしが、天正年度、曹洞宗に改め」と記し、磐田市も市指定文化財の薬師三尊仏を「寺が元真言宗であった歴史を伝える資料」と解説しています。
本文「歴史と背景」を読む - 市指定文化財の薬師三尊仏とはどんな仏像ですか?
-
安土桃山時代(戦国時代末)製作の木造薬師三尊仏で、保存状態が良好とされ、平成17年(2005年)11月21日に磐田市指定文化財(彫刻)に指定されています。
本文「文化財・見どころ」を読む - 札所になっていますか?
-
遠江四十九薬師霊場の第6番札所として「士石山林昌寺」の名で紹介されています。霊場との関係の始まりや現況は確認できていません。
本文「歴史と背景」を読む - 本寺はどこのお寺ですか?
-
『磐田郡誌』は旧城東郡西大淵村の窓泉寺の末寺と記しています。現在の掛川市西大渕にある窓泉寺(初代横須賀城主・大須賀康高が建立したと伝わる寺)にあたるとみられます。
本文「歴史と背景」を読む - 小立野とはどんな土地ですか?
-
天竜川下流左岸の集落で、江戸時代には村の西側を東海道が通り、池田の渡しへ通じていました。明治期には井通村、のち豊田村・豊田町を経て、平成17年(2005年)に磐田市の一部となりました。
本文「地域とのつながり」を読む - 検索で出てくる他県の林昌寺と同じお寺ですか?
-
別の寺院です。岐阜県恵那市や群馬県中之条町などに同名の林昌寺がありますが、当ページで扱うのは磐田市小立野の曹洞宗林昌寺です。
本文「この寺院について」を読む
08
写真で見る境内
09
出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9366。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 郷土資料 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡編(1921年)第13章 神社及宗教・寺院の部「128 林昌寺(井通村)」p.699
国立国会図書館デジタルコレクション(コマ458)。井通村小立野字森西・士石山・窓泉寺末・本尊釈迦牟尼仏・最初真言宗・天正年度曹洞宗改宗・慶安3年2月15日法地格の由緒全文を原本画像で確認
- 行政・公的資料 市指定文化財|磐田市公式ウェブサイト
木造薬師三尊仏(彫刻・平成17年11月21日指定・安土桃山時代・所在地小立野・所有者林昌寺)。解説「戦国時代末の製作で、保存状態が良好。寺が元真言宗であった歴史を伝える資料である」を本文で確認
- 郷土資料 コトバンク「小立野村」(日本歴史地名大系)
天竜川下流左岸の村域、西側を東海道が通り池田の渡しへ通じること、今川氏旧臣の大橋家が掛川城落城後に土着し元亀・天正年間に天竜川沿いの荒れ地を開墾したことを本文で確認
- 行政・公的資料 窓泉寺|掛川市観光サイト
掛川市西大渕5532の窓泉寺が初代横須賀城主・大須賀康高の建立と伝えられること、朱塗りの二階楼門が県指定文化財であることを本文で確認。『磐田郡誌』が林昌寺の本寺と記す「元城東郡西大淵村窓泉寺」に相当するとみられる
- 民間二次情報 ニッポンの霊場 遠江四十九薬師霊場
第6番=士石山林昌寺(曹洞宗・磐田市小立野)を確認。山号「士石山」が『磐田郡誌』の記載と一致(既存出典の引き継ぎ)
- 民間二次情報 静岡県磐田市の寺院・御堂一覧(サーチ寺院)
磐田市小立野241-1・曹洞宗の林昌寺の登載を確認。岐阜県恵那市・群馬県中之条町等の同名寺院とは別(既存出典の引き継ぎ)
- 宗派公式資料 曹洞禅ナビ 寺院検索「林昌寺」
住所(磐田市小立野241-1)・フリガナ(リンショウジ)を照合し当該寺院と確認。掲載は基本情報のみで、由緒・本尊・行事欄は空欄(既存出典の引き継ぎ)
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
Same Area
同じ地区の寺院
Same Sect