中泉地区・現存
大乗院
だいじょういん
大乗院(だいじょういん)は、JR磐田駅北口にほど近い磐田市中泉1丁目にある真言宗醍醐派の寺院で、「三仭坊(みひろぼう)」の名で親しまれています。庚申塚古墳の上に、観広山大乗院と小笠山小笠寺の2つの寺が1つの境内に並び立つ全国でも珍しい構成をもち、徳川家康の中泉御殿の鬼門除け別当を務めたと伝わる山伏(修験)の祈祷寺院です。
別称・関連名称三仭坊/大乗院三仭坊/観広山大乗院
- 寺院名
- 大乗院
- 地区
- 中泉
- 住所
- 静岡県磐田市中泉1丁目10番地6
- 宗派
- 真言宗醍醐派
Basic Information
基本情報
- 寺院名
- 大乗院
- 読み方
- だいじょういん
- 地区
- 中泉
- 宗派
- 真言宗醍醐派
- ご本尊(資料上)
- 大青面金剛(大乗院本尊・室町時代作の一面三眼六臂の夜叉神像)。並立する小笠寺の本尊は三仭坊大権現(室町時代作・烏天狗の姿)
- ご本尊の現在の確認状況
- 公開資料で確認済み
- 住所
- 静岡県磐田市中泉1丁目10番地6
- Googleマップ
- Googleマップで開く
- 寺院公式サイト
- 公式サイトあり
- 電話番号
- 未確認(公式情報または寺院へご確認ください)
- 法要・参拝情報
- 2件の年中行事・法要情報を掲載
- 駐車場情報
- 確認中(台数・利用条件を現地または公式情報で確認中)
- アクセス・交通手段
- 確認中(最寄駅・バス停からの所要時間を調査中)
- 周辺の目印
- 確認中(周辺の目印を現地確認後に追記)
- 文化財・特記事項
- 庚申塚古墳/2つの本堂と2体の本尊
- 最終確認日
- 2026.07.12
不明な項目は推測せず、確認中として表示しています。法要、参拝、駐車場、電話での連絡は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
法要・お墓参りで故郷へ帰る方へ
法要や墓参りで帰省される方へ
法要や墓参りは、離れて暮らすご家族が故郷へ帰る大切な機会です。 もし時間があれば、実家の外観、庭木、郵便受け、仏壇、重要書類なども確認してみてください。
結論を出す必要はありません。家族で現状を共有することが大切です。
法要・供養、寺院ごとの作法や予定については、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 01
寺院概要
- 山号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 院号
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 寺号
- 大乗院
- 宗派
- 真言宗醍醐派
- 本尊
- 大青面金剛(大乗院本尊・室町時代作の一面三眼六臂の夜叉神像)。並立する小笠寺の本尊は三仭坊大権現(室町時代作・烏天狗の姿)
- 創建
- 寺院公式サイトでは開山1300年前と紹介。大乗院は平行盛の次男行次の菩提追悼のため京都愛宕山から愛宕将軍地蔵菩薩を勧請して創設。小笠寺の前身・祐厳寺は大宝年間(701〜704年)の創立と伝わる
- 開山
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 開基
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 所在地
- 静岡県磐田市中泉1丁目10番地6
- 地区
- 中泉
Database 02
沿革
創建伝承―平家の菩提と2つの寺のはじまり
寺院公式サイトによれば、大乗院は、平家一門が壇ノ浦で滅んだのち、平清盛の孫にあたる平行盛の次男・行次の菩提を弔うため、京都の愛宕山から愛宕将軍地蔵菩薩を勧請して創立されたと伝えられます。公式サイトは開山を約1300年前と紹介しており、創建伝承は古代から中世の平家伝説に連なります。磐田市観光協会の寺社案内には、御本尊の愛宕勝軍地蔵菩薩と脇像が12年ごとに御開帳されると記されており、前回の御開帳は平成25年(2013年)7月20日・21日でした。創建の縁起に登場する地蔵尊が、今も秘仏として守り伝えられていることがうかがえます。 一方、境内に並び立つ小笠寺は、寺伝では大宝年間(701年から704年)の創立と伝わる祐厳寺を前身とします。のちに小笠神社から三仭坊大権現を勧請し、寺号も小笠山小笠寺と改められたと伝えられます。三仭坊大権現は烏天狗そのものの姿をとり、右手に剣、左手に龍索を持ち、背に羽と炎をまとう室町時代作の尊像で、全ての困難を打ち破り大願を果たす功徳があるとされます。「三仭坊」という通称は、この小笠寺の本尊の名に由来しています。
徳川家康と中泉御殿の鬼門除け
徳川家康が磐田の中泉に御殿(中泉御殿)を造営するにあたり、当山はその鬼門除けの別当を命ぜられ、御殿の東北に境内を構えてその任にあたったと伝えられます。中泉御殿は、天正12年から15年(1584年から1588年)ごろにかけて築かれた家康の宿泊・休憩施設で、敷地は約1万坪と伝わり、関ヶ原の戦いや大坂の陣の折には作戦を練る拠点にもなったとされる、中泉の歴史の中心となった施設です。寺伝によれば、家康自身もしばしば当山に参詣して戦勝祈願を受け、勝利をおさめた折に手植えした蘇鉄の子孫が今も境内に残ります。江戸時代には幕府から10万石の格式と院家格を与えられ、「遠州の七坊」に数えられたと寺院公式サイトは記しています。
醍醐寺三宝院と山伏吟味役
当山は当山派修験道(山伏)の祈祷道場として栄え、寺院公式サイトによれば、江戸時代初期には総本山醍醐寺三宝院から、三河から関東に至る山伏の吟味役(改め役)に任ぜられ、関所を設けてその任にあたりました。醍醐寺は京都伏見の真言宗醍醐派総本山で、その塔頭三宝院の門跡は近世を通じて当山派修験の頂点に立った寺院です。遠江の一寺院が三河以東の山伏を統轄する役目を担ったことは、当山が近世の修験組織の中で高い地位にあったことを物語ります。
庚申信仰と山伏の祈祷文化
大乗院の本尊・大青面金剛は、庚申待ちの本尊として信仰されてきた尊格です。庚申待ちは、庚申の日の夜に眠らずに過ごして健康長寿を祈る民間信仰で、江戸時代に広く行われました。境内の立つ庚申塚古墳の名も、この庚申信仰と土地との深い結び付きを示しています。当山では現在も、正月の初護摩祈祷祭、小寒から立春まで毎朝続けられる寒行護摩、毎月27日の月並み護摩祈祷祭など、護摩を中心とする祈祷行事が年間を通じて営まれており、4月の大祭では庚申様御法楽が行われます。密教の護摩と修験の柴灯護摩・火渡修行、そして庚申信仰が重なり合う行事の姿は、山伏の寺として歩んできた当山の信仰の伝統をよく伝えています。
修験道禁止令による廃寺と大正の中興
明治5年(1872年)の修験道禁止令と廃仏毀釈の波により、山伏の寺であった当山は一時廃寺となりました。寺院公式サイトによれば、大正時代に中興の祖・慶倖法印によって再興され、無住となっていた草庵を改修し、大阪の四天王寺から大青面金剛を勧請したと伝えています。修験道禁止令で廃寺となった小笠寺も大正期に中興され、昭和17年(1942年)に大乗院と合併して、現在の「大乗院三仭坊」の形が整いました。明治の一連の宗教政策で全国の修験寺院の多くが姿を消した中で、中泉の地に山伏の寺の法灯が復興され、2つの寺号と2体の本尊がそのまま守り伝えられたことは貴重です。修験の伝統は今も毎年4月の大祭の柴灯護摩・火渡修行に受け継がれています。 現在の当山は、宗教法人「大乗院」として静岡県知事所轄の宗教法人名簿に登載され、磐田市中泉1丁目10番地6に境内を構えています。JR磐田駅北口から徒歩数分という市街地の中にありながら、古墳の上の境内には2つの本堂が並び、駅前の街並みと修験の寺の空気が同居する独特の景観を保っています。年間を通じた護摩祈祷や火渡り大祭、おてら市などを通じて、祈祷寺院として、また地域の集いの場として活動を続けています。
Database 03
歴代住職
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 04
本尊
- 本尊名
- 大青面金剛(大乗院本尊・室町時代作の一面三眼六臂の夜叉神像)。並立する小笠寺の本尊は三仭坊大権現(室町時代作・烏天狗の姿)
- 宗教的意味
- 大乗院三仭坊は、京都伏見の醍醐寺を総本山とする真言宗醍醐派に属します。醍醐派は当山派修験道の流れを汲む宗派で、当山が江戸時代初期に醍醐寺三宝院から山伏吟味役に任ぜられたと伝わること、毎年4月の大祭で柴灯護摩・火渡修行が行われることは、まさにこの修験の伝統の現れです。大乗院の本尊・大青面金剛は庚申待ちの本尊であり、境内の立つ庚申塚古墳の名とも重なる、当山の信仰の核となる尊格です。
- 由来
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
- 安置場所
- 調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 05
寺宝・文化財
庚申塚古墳
大乗院三仭坊の境内は庚申塚古墳という古墳の上に築かれています。磐田市観光協会の寺社案内も、庚申塚古墳の上に建つ山伏寺院として当山を紹介しています。古墳の名は、大乗院の本尊・大青面金剛が庚申待ちの本尊であることと呼応しており、古墳と庚申信仰と寺院が重なり合う、中泉の歴史の積み重なりを体感できる場所です。
2つの本堂と2体の本尊
1つの境内に観広山大乗院と小笠山小笠寺の本堂が並び、それぞれに大青面金剛と三仭坊大権現という室町時代作と伝わる本尊が祀られています。大青面金剛は一面三眼六臂で髑髏の首飾りをかけ、足下に悪鬼を踏みつける夜叉神像、三仭坊大権現は天狐に乗る烏天狗の姿の尊像で、いずれも修験の寺ならではの力強い尊容です。
家康お手植えと伝わる蘇鉄の子孫
徳川家康が当山で戦勝祈願を受け、勝利をおさめた折に手植えしたと伝わる蘇鉄の子孫が、今も境内に植えられています。中泉御殿の鬼門除け別当を務めたという当山と家康との縁を伝える生きた記念物です。
Database 06
年中法要
- 初護摩祈祷祭1月1日
寺院公式サイトによる
- 寒行護摩小寒から立春の毎朝
家内安全・火災消除祈願。寺院公式サイトによる
- 厄除け星祭り祈祷祭1月から2月
寺院公式サイトによる
- 大乗院三仭坊大祭毎年4月第3日曜
庚申様御法楽・内陣護摩・餅投げ・柴灯護摩・火渡修行。素足で残り火の上を渡る火渡修行は檀家以外も参加できるとされる。寺院公式サイトによる
- おてら市大祭当日の午後(14時から18時)
地域の農産物・軽食・雑貨等を扱う市。寺院公式サイトによる
- 祈りの万灯会毎年10月27日
寺院公式サイトによる
- 月並み護摩祈祷祭毎月27日
寺院公式サイトによる
- 読経会・供養会毎月第2日曜
寺院公式サイトによる
Database 07
墓地情報
調査中(確認できた情報から順次更新します)
一般墓・永代供養墓・納骨堂・樹木葬・合祀墓の有無、檀家条件・宗派条件は、寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
Database 08
檀家地域
調査中(確認できた情報から順次更新します)
Database 09
地域との関係
大乗院三仭坊が立つ中泉は、江戸時代に幕府直轄領を治める中泉代官所(陣屋)が置かれた陣屋町として栄えた土地です。その源流には徳川家康の中泉御殿があり、御殿の一部に陣屋が設けられて代官が近郷の政務をとったと伝えられます。中遠地域の広域行政サイトが載せる昔話によれば、慶長19年(1614年)には大坂冬の陣を前にした作戦会議が中泉御殿で開かれたとされ、中泉は徳川の天下統一の節目に立ち会った土地でもありました。当山はこの中泉御殿の鬼門(東北)を鎮める別当を担ったと伝わり、まさに御殿とともに歩み始めた寺院といえます。明治22年(1889年)の鉄道開通と駅の設置により中泉の町はさらに発展し、当山の門前も磐田駅北口の市街地へと姿を変えましたが、駅前の街並みの中に古墳と山伏寺院が同居する独特の景観は、中泉の歴史の重なりをそのまま伝えています。
当山は今日も地域に開かれた寺であり続けています。毎年4月の大乗院三仭坊大祭では、柴灯護摩・火渡修行に檀家以外の人も参加でき、当日午後には地域の農産物や軽食・雑貨を扱う「おてら市」が開かれて、地域住民との交流の場になっています。中泉地区地域づくり協議会の活動紹介にも、当山(三仭坊)を会場に含む「おてらんち」の取り組みが挙げられており、寺院が地区のまちづくり活動の拠点の1つとなっていることがうかがえます。祈祷寺院としての性格から、悩み相談や祈祷を通じて檀家以外の人々とも広く関わってきたことも、当山の地域における役割の特色です。
Database 11
出典・更新記録
- 行政・公的資料静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9053
- 寺院公式情報大乗院 三仭坊 公式サイト「歴史と本尊」
山号(観広山・小笠山)、2寺院並立の構成、本尊(大青面金剛・三仭坊大権現)、創建伝承、家康の鬼門除け別当、遠州の七坊、修験道禁止令と中興を確認
- 行政・公的資料磐田市観光協会「まちなか歴史と文化の新発見 ありがた歩記 中泉編」(PDF)
本堂2つ・本尊2体、庚申塚古墳の上に建つこと、遠州の七坊、家康戦勝祈願と蘇鉄の記述を確認(PDF本文を抽出して確認)
- 民間二次情報ニッポンの霊場 豊田郡三十三観音霊場
第4番=観広山大乗院・小笠山小笠寺(真言宗醍醐派・中泉1丁目10-6・2寺同境内)を確認。宗派・住所がDBと完全一致。
- 寺院公式サイト大乗院三仭坊 公式サイト「年中行事」
初護摩・大祭(4月第3日曜、火渡修行)・万灯会等の年中行事を確認。所在地は磐田市中泉一丁目10-6(旧中泉516)で照合一致
- 寺院公式情報大乗院 三仭坊 公式サイト
由緒・祈祷・永代供養等を確認
- 寺院公式情報令和五年火渡り大祭[4月16日]
火渡り大祭・おてら市の開催内容を確認
最終更新日 2026.07.19
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この寺院について
大乗院は磐田市中泉1丁目10番地6、中泉地区に所在する真言宗醍醐派の寺院です。静岡県知事所轄の宗教法人名簿にも真言宗醍醐派の「大乗院」として登載されています。境内には観広山大乗院と小笠山小笠寺という2つの寺院が並び立ち、本堂が2つ、本尊が2体あるという珍しい構成をとります。地域では両寺をあわせて「大乗院三仭坊」あるいは単に「三仭坊」と呼び慣わしてきました。
大乗院の本尊は室町時代作と伝わる大青面金剛で、一面三眼六臂の夜叉神の姿をとり、庚申待ちの本尊として、あらゆる病気を治す功徳があると信仰されてきました。小笠寺の本尊は同じく室町時代作と伝わる三仭坊大権現で、烏天狗の姿で天狐に乗り、右手に剣、左手に龍索を持つ尊像です。弘法大師空海が伝えた真言密教と、役行者を開祖と仰ぐ修験道の流れをあわせもつ山伏の寺として、古くから悩み相談や祈祷を行ってきたことが磐田市観光協会の寺社案内でも紹介されています。
境内が庚申塚古墳という古墳の上に築かれていることも当寺の大きな特色です。享保年間に開かれた歴史的霊場である豊田郡三十三観音霊場では、大乗院・小笠寺が第4番札所とされていました。毎年4月の大祭で行われる柴灯護摩・火渡修行は、山伏の寺の伝統を今に伝える行事として知られ、大祭当日の「おてら市」とあわせて、檀家に限らず地域の人々が集う機会となっています。永代供養にも対応しており、祈祷と供養の両面で地域の暮らしに寄り添う寺院です。
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歴史と背景
創建伝承―平家の菩提と2つの寺のはじまり
寺院公式サイトによれば、大乗院は、平家一門が壇ノ浦で滅んだのち、平清盛の孫にあたる平行盛の次男・行次の菩提を弔うため、京都の愛宕山から愛宕将軍地蔵菩薩を勧請して創立されたと伝えられます。公式サイトは開山を約1300年前と紹介しており、創建伝承は古代から中世の平家伝説に連なります。磐田市観光協会の寺社案内には、御本尊の愛宕勝軍地蔵菩薩と脇像が12年ごとに御開帳されると記されており、前回の御開帳は平成25年(2013年)7月20日・21日でした。創建の縁起に登場する地蔵尊が、今も秘仏として守り伝えられていることがうかがえます。 一方、境内に並び立つ小笠寺は、寺伝では大宝年間(701年から704年)の創立と伝わる祐厳寺を前身とします。のちに小笠神社から三仭坊大権現を勧請し、寺号も小笠山小笠寺と改められたと伝えられます。三仭坊大権現は烏天狗そのものの姿をとり、右手に剣、左手に龍索を持ち、背に羽と炎をまとう室町時代作の尊像で、全ての困難を打ち破り大願を果たす功徳があるとされます。「三仭坊」という通称は、この小笠寺の本尊の名に由来しています。
徳川家康と中泉御殿の鬼門除け
徳川家康が磐田の中泉に御殿(中泉御殿)を造営するにあたり、当山はその鬼門除けの別当を命ぜられ、御殿の東北に境内を構えてその任にあたったと伝えられます。中泉御殿は、天正12年から15年(1584年から1588年)ごろにかけて築かれた家康の宿泊・休憩施設で、敷地は約1万坪と伝わり、関ヶ原の戦いや大坂の陣の折には作戦を練る拠点にもなったとされる、中泉の歴史の中心となった施設です。寺伝によれば、家康自身もしばしば当山に参詣して戦勝祈願を受け、勝利をおさめた折に手植えした蘇鉄の子孫が今も境内に残ります。江戸時代には幕府から10万石の格式と院家格を与えられ、「遠州の七坊」に数えられたと寺院公式サイトは記しています。
醍醐寺三宝院と山伏吟味役
当山は当山派修験道(山伏)の祈祷道場として栄え、寺院公式サイトによれば、江戸時代初期には総本山醍醐寺三宝院から、三河から関東に至る山伏の吟味役(改め役)に任ぜられ、関所を設けてその任にあたりました。醍醐寺は京都伏見の真言宗醍醐派総本山で、その塔頭三宝院の門跡は近世を通じて当山派修験の頂点に立った寺院です。遠江の一寺院が三河以東の山伏を統轄する役目を担ったことは、当山が近世の修験組織の中で高い地位にあったことを物語ります。
庚申信仰と山伏の祈祷文化
大乗院の本尊・大青面金剛は、庚申待ちの本尊として信仰されてきた尊格です。庚申待ちは、庚申の日の夜に眠らずに過ごして健康長寿を祈る民間信仰で、江戸時代に広く行われました。境内の立つ庚申塚古墳の名も、この庚申信仰と土地との深い結び付きを示しています。当山では現在も、正月の初護摩祈祷祭、小寒から立春まで毎朝続けられる寒行護摩、毎月27日の月並み護摩祈祷祭など、護摩を中心とする祈祷行事が年間を通じて営まれており、4月の大祭では庚申様御法楽が行われます。密教の護摩と修験の柴灯護摩・火渡修行、そして庚申信仰が重なり合う行事の姿は、山伏の寺として歩んできた当山の信仰の伝統をよく伝えています。
修験道禁止令による廃寺と大正の中興
明治5年(1872年)の修験道禁止令と廃仏毀釈の波により、山伏の寺であった当山は一時廃寺となりました。寺院公式サイトによれば、大正時代に中興の祖・慶倖法印によって再興され、無住となっていた草庵を改修し、大阪の四天王寺から大青面金剛を勧請したと伝えています。修験道禁止令で廃寺となった小笠寺も大正期に中興され、昭和17年(1942年)に大乗院と合併して、現在の「大乗院三仭坊」の形が整いました。明治の一連の宗教政策で全国の修験寺院の多くが姿を消した中で、中泉の地に山伏の寺の法灯が復興され、2つの寺号と2体の本尊がそのまま守り伝えられたことは貴重です。修験の伝統は今も毎年4月の大祭の柴灯護摩・火渡修行に受け継がれています。 現在の当山は、宗教法人「大乗院」として静岡県知事所轄の宗教法人名簿に登載され、磐田市中泉1丁目10番地6に境内を構えています。JR磐田駅北口から徒歩数分という市街地の中にありながら、古墳の上の境内には2つの本堂が並び、駅前の街並みと修験の寺の空気が同居する独特の景観を保っています。年間を通じた護摩祈祷や火渡り大祭、おてら市などを通じて、祈祷寺院として、また地域の集いの場として活動を続けています。
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文化財・見どころ
庚申塚古墳
大乗院三仭坊の境内は庚申塚古墳という古墳の上に築かれています。磐田市観光協会の寺社案内も、庚申塚古墳の上に建つ山伏寺院として当山を紹介しています。古墳の名は、大乗院の本尊・大青面金剛が庚申待ちの本尊であることと呼応しており、古墳と庚申信仰と寺院が重なり合う、中泉の歴史の積み重なりを体感できる場所です。
2つの本堂と2体の本尊
1つの境内に観広山大乗院と小笠山小笠寺の本堂が並び、それぞれに大青面金剛と三仭坊大権現という室町時代作と伝わる本尊が祀られています。大青面金剛は一面三眼六臂で髑髏の首飾りをかけ、足下に悪鬼を踏みつける夜叉神像、三仭坊大権現は天狐に乗る烏天狗の姿の尊像で、いずれも修験の寺ならではの力強い尊容です。
家康お手植えと伝わる蘇鉄の子孫
徳川家康が当山で戦勝祈願を受け、勝利をおさめた折に手植えしたと伝わる蘇鉄の子孫が、今も境内に植えられています。中泉御殿の鬼門除け別当を務めたという当山と家康との縁を伝える生きた記念物です。
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宗派と本尊を知る
大乗院三仭坊は、京都伏見の醍醐寺を総本山とする真言宗醍醐派に属します。醍醐派は当山派修験道の流れを汲む宗派で、当山が江戸時代初期に醍醐寺三宝院から山伏吟味役に任ぜられたと伝わること、毎年4月の大祭で柴灯護摩・火渡修行が行われることは、まさにこの修験の伝統の現れです。大乗院の本尊・大青面金剛は庚申待ちの本尊であり、境内の立つ庚申塚古墳の名とも重なる、当山の信仰の核となる尊格です。
真言宗醍醐派とは
真言宗醍醐派は、弘法大師空海を宗祖と仰ぎ、京都市伏見区の醍醐寺を総本山とする真言宗の一派です。醍醐寺は貞観16年(874年)、理源大師聖宝が醍醐山上に准胝観音・如意輪観音の両像を祀ったことに始まり、醍醐天皇の帰依を受けて大きく発展しました。聖宝は弘法大師の実弟・真雅僧正の弟子にあたる人物です。
教えは大日如来を中心とする密教で、加持祈祷や護摩供を重んじます。聖宝は山岳での修行にも力を注いだことから修験道の中興の祖とも仰がれ、醍醐派は当山派修験道の伝統を今に伝える宗派としても知られています。祈祷を通じて現世の安穏を願う密教の伝統は、檀家の暮らしの節目にも息づいています。
檀家の法要では、真言の念誦や光明真言、護摩の祈りなど、密教ならではの荘厳な作法が営まれます。祈願の折に護摩木へ願いを記して焚き上げる祈りの形も身近なものです。「南無大師遍照金剛」の御宝号を唱えて弘法大師とのご縁を大切にする信仰は、他の真言宗各派とも共通するところです。
青面金剛という仏さま
青面金剛は、庚申信仰の本尊として祀られてきた憤怒の姿の尊格です。庚申信仰は中国の道教に由来し、人の体内には三尸という3匹の虫がすんでいて、60日に1度めぐってくる庚申の日の夜、眠っている間に体を抜け出して天に昇り、日ごろの行いを告げて寿命を縮めるとされました。
そこで庚申の晩は眠らずに過ごす庚申待という風習が生まれ、江戸時代には近隣の人びとが集まり、飲食や歓談をともにして夜を明かす楽しい寄り合いへと発展しました。病魔を払うとされる青面金剛はこの庚申待の本尊として掛け軸や石塔に表され、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿とともに彫られることが多くあります。三猿は、庚申の「申」が猿に通じることにちなむものです。
庚申待を3年18回続けた記念などに建てられたのが庚申塔で、今も路傍や寺社の境内に数多く残ります。人びとが健康長寿と暮らしの無事を祈り、寄り合いを重ねた歴史を伝える、地域に根ざした信仰のかたちです。
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地域とのつながり
大乗院三仭坊が立つ中泉は、江戸時代に幕府直轄領を治める中泉代官所(陣屋)が置かれた陣屋町として栄えた土地です。その源流には徳川家康の中泉御殿があり、御殿の一部に陣屋が設けられて代官が近郷の政務をとったと伝えられます。中遠地域の広域行政サイトが載せる昔話によれば、慶長19年(1614年)には大坂冬の陣を前にした作戦会議が中泉御殿で開かれたとされ、中泉は徳川の天下統一の節目に立ち会った土地でもありました。当山はこの中泉御殿の鬼門(東北)を鎮める別当を担ったと伝わり、まさに御殿とともに歩み始めた寺院といえます。明治22年(1889年)の鉄道開通と駅の設置により中泉の町はさらに発展し、当山の門前も磐田駅北口の市街地へと姿を変えましたが、駅前の街並みの中に古墳と山伏寺院が同居する独特の景観は、中泉の歴史の重なりをそのまま伝えています。
当山は今日も地域に開かれた寺であり続けています。毎年4月の大乗院三仭坊大祭では、柴灯護摩・火渡修行に檀家以外の人も参加でき、当日午後には地域の農産物や軽食・雑貨を扱う「おてら市」が開かれて、地域住民との交流の場になっています。中泉地区地域づくり協議会の活動紹介にも、当山(三仭坊)を会場に含む「おてらんち」の取り組みが挙げられており、寺院が地区のまちづくり活動の拠点の1つとなっていることがうかがえます。祈祷寺院としての性格から、悩み相談や祈祷を通じて檀家以外の人々とも広く関わってきたことも、当山の地域における役割の特色です。
06
年中行事・参拝の手引き
年中行事・法要
- 初護摩祈祷祭(1月1日)
寺院公式サイトによる
- 寒行護摩(小寒から立春の毎朝)
家内安全・火災消除祈願。寺院公式サイトによる
- 厄除け星祭り祈祷祭(1月から2月)
寺院公式サイトによる
- 大乗院三仭坊大祭(毎年4月第3日曜)
庚申様御法楽・内陣護摩・餅投げ・柴灯護摩・火渡修行。素足で残り火の上を渡る火渡修行は檀家以外も参加できるとされる。寺院公式サイトによる
- おてら市(大祭当日の午後(14時から18時))
地域の農産物・軽食・雑貨等を扱う市。寺院公式サイトによる
- 祈りの万灯会(毎年10月27日)
寺院公式サイトによる
- 月並み護摩祈祷祭(毎月27日)
寺院公式サイトによる
- 読経会・供養会(毎月第2日曜)
寺院公式サイトによる
参拝・法要で訪れる方へ
永代供養を行っており、事情によりお墓参りができない人やお墓を持てない人に代わり、寺院が責任をもって永代にわたり供養・管理するとされています(寺院公式サイトによる)。詳細は寺院へ直接確認してください。
境内は庚申塚古墳の上にあります。法要やお参りで訪れる際は、墳丘や石段の足元に注意してください。
行事の日時・内容は年により変わることがあります。参列を予定する際は、寺院公式サイトの最新の案内で確認してください。
- 御本尊の御開帳(12年ごとと観光協会資料にある)の次回の時期
- 護持会など檀家組織の有無・活動内容
- 駐車場の有無・台数
行事の日程・受付は年により変わることがあります。最新の情報は寺院の公式情報または寺院へ直接ご確認ください。
07
よくある質問
- 大乗院と三仭坊はどういう関係ですか?
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1つの境内に観広山大乗院と小笠山小笠寺の2つの寺院が並び立っており、小笠寺の本尊・三仭坊大権現にちなんで、両寺をあわせて「大乗院三仭坊」と呼び慣わしてきました。小笠寺は昭和17年(1942年)に大乗院と合併しています。
本文「この寺院について」を読む - 宗派と本尊は?
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京都伏見の醍醐寺を総本山とする真言宗醍醐派です。大乗院の本尊は室町時代作と伝わる大青面金剛、小笠寺の本尊は同じく室町時代作と伝わる三仭坊大権現(烏天狗の姿の権現)です。
本文「宗派と本尊」を読む - いつ誰が開いたお寺ですか?
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寺伝では、平家滅亡ののち平行盛の次男・行次の菩提を弔うため、京都の愛宕山から愛宕将軍地蔵菩薩を勧請して創立されたと伝えられます。小笠寺の前身・祐厳寺は大宝年間(701年から704年)の創立と伝わります。
本文「歴史と背景」を読む - 徳川家康とはどんな関わりがありますか?
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家康が中泉御殿を造営した際、御殿の鬼門除け別当を命ぜられたと伝えられます。家康はしばしば参詣して戦勝祈願を受け、勝利の折に手植えした蘇鉄の子孫が今も境内に残ると伝わります。
本文「歴史と背景」を読む - 「遠州の七坊」とは何ですか?
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寺院公式サイトによれば、江戸時代に幕府から10万石の格式と院家格を与えられた当山が数えられた、遠州の格式ある坊の呼び名です。他の6坊がどの寺院を指すかは現時点では確認できていません。
本文「歴史と背景」を読む - 火渡り(火渡修行)はいつ行われますか?
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毎年4月第3日曜の大乗院三仭坊大祭で、柴灯護摩に続いて素足で残り火の上を渡る火渡修行が行われます。檀家以外も参加できるとされ、当日午後には「おてら市」も開かれます。
本文「年中行事・参拝の手引き」を読む - 境内が古墳の上にあるというのは本当ですか?
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本当です。境内は庚申塚古墳という古墳の上に築かれており、磐田市観光協会の寺社案内でも庚申塚古墳の上に建つ山伏寺院として紹介されています。
本文「文化財・見どころ」を読む - 札所になっていますか?
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享保年間に開かれた歴史的霊場である豊田郡三十三観音霊場の第4番札所(大乗院・小笠寺)とされていました。この霊場は現在は活動していません。
本文「この寺院について」を読む
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写真で見る境内
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出典・参考資料
- 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)
磐田市内の宗教法人として「真言宗醍醐派 大乗院 磐田市中泉1丁目10番地6」の掲載を確認。参照行: L9053。県サイト改編により2026年5月時点のアーカイブ版を参照
- 寺院公式情報 大乗院 三仭坊 公式サイト「歴史と本尊」
平行盛次男行次の菩提と愛宕将軍地蔵勧請、開山約1300年前の紹介、祐厳寺(大宝年間創立)と小笠神社からの三仭坊大権現勧請、醍醐寺三宝院からの山伏吟味役任命と関所、10万石の格式と院家格・遠州の七坊、家康の鬼門除け別当と蘇鉄、修験道禁止令による一時廃寺、慶倖法印による大正の中興と四天王寺からの大青面金剛勧請、昭和17年合併、両本尊の尊容と功徳を確認
- 行政・公的資料 磐田市観光協会「まちなか歴史と文化の新発見 ありがた歩記 中泉編」(PDF)
本堂2つ・本尊2体、庚申塚古墳の上に建つ山伏寺院であること、悩み相談・祈祷、御本尊の愛宕勝軍地蔵菩薩と脇像の12年ごとの御開帳(前回は平成25年7月20日・21日)、中泉エリアの総説(国分寺・家康の御殿・代官の陣屋)をPDF本文で確認
- 民間二次情報 ニッポンの霊場 豊田郡三十三観音霊場
第4番=観広山大乗院・小笠山小笠寺(真言宗醍醐派・中泉1丁目10-6・2寺同境内)を確認。宗派・住所がDBと一致
- 寺院公式情報 大乗院三仭坊 公式サイト「年中行事」
初護摩祈祷祭・寒行護摩・厄除け星祭り・大祭(4月第3日曜、柴灯護摩・火渡修行)・祈りの万灯会・月並み護摩祈祷祭・読経会等の年中行事を確認
- 寺院公式情報 大乗院 三仭坊 公式サイト
由緒・祈祷・永代供養等の全体を確認
- 寺院公式情報 大乗院三仭坊 公式サイト「令和五年火渡り大祭」
火渡り大祭・おてら市の開催内容、檀家以外の参加可否を確認
- 宗派公式資料 総本山醍醐寺 公式サイト
真言宗醍醐派総本山であること、三宝院が当山派修験道と関わる門跡寺院であることを確認。公式サイトに末寺一覧・寺院検索はなく、宗派側資料での個別照合は未了
- 地域資料 磐田市中泉地区地域づくり協議会 公式サイト
地区活動として三仭坊を会場に含む「おてらんち」の取り組みが掲載されていることを確認(地域との関わりの文脈として使用)
- 民間二次情報 コトバンク「中泉村」(日本歴史地名大系)
中泉村が見付宿の南・磐田原台地南端に位置し東海道が村内を通ること、中泉御殿・中泉代官陣屋の存在を確認(地区の歴史文脈として使用)
- 行政・公的資料 磐田市観光協会「御殿遺跡公園」
中泉御殿が天正12年から15年(1584年から1588年)に家康の命で伊奈忠次により築かれたこと、敷地約1万坪、北側に土塁と水堀を備えた要害の地であったことを確認(鬼門除け別当の背景として使用)
- 地域資料 中遠昔ばなし 第134話「中泉御殿と家康」(中遠地域の広域行政サイト)
中泉御殿が大坂の陣の作戦会議に使われたこと、御殿の一部に陣屋(代官所)が設けられ代官が近郷の政務をとったことを確認(『磐田むかしばなし』からの再話)
For Families
このお寺が菩提寺のご家族へ
菩提寺の名前や場所が確認できたら、それだけで終わりではありません。
法要やお墓について、家族の中で誰が情報を持っているのかも確認しておくと、将来困ることが少なくなります。親が元気なうちに、次のことを家族で確認しておくことをおすすめします。
- お墓の場所
- 墓地の区画
- 次回の法要
- 仏壇の場所
- 位牌の有無
- お寺からの連絡を受ける人
- お寺の連絡先
- 墓や仏壇を将来誰が引き継ぐか
- 実家の名義
- 実家を今後誰が管理するか
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