中泉地区・現存

大乗院

だいじょういん

ページ充実度 基礎情報・調査中 最終確認 2026.07.11

大乗院三仭坊は磐田市中泉1丁目にある真言宗醍醐派の寺院で、当山派修験道(山伏)の祈祷道場です。観広山大乗院と小笠山小笠寺の2寺院が1つの境内に並立し、本堂と本尊も2つずつあります。徳川家康の中泉御殿の鬼門除け別当を務めた歴史を持ち、江戸時代には「遠州の七坊」に数えられました。

別称・関連名称三仭坊/大乗院三仭坊/観広山大乗院

写真を準備しています 現地訪問後に、本堂・境内・入口・説明板の写真を掲載します。
宗派真言宗醍醐派
創建・年代寺伝では、大乗院は平家一門の衰退後に平行盛の次男行次の菩提供養のため愛宕将軍地蔵菩薩を勧請して創立されたと伝わります。並立する小笠寺の前身・祐厳寺は大宝年間(701〜704年)の創立と伝えられます。
文化財・史跡調査中
所在地中泉・磐田市

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この寺院について

大乗院三仭坊は磐田市中泉1丁目にある真言宗醍醐派の寺院で、当山派修験道(山伏)の祈祷道場です。観広山大乗院と小笠山小笠寺の2寺院が1つの境内に並立し、本堂と本尊も2つずつあります。徳川家康の中泉御殿の鬼門除け別当を務めた歴史を持ち、江戸時代には「遠州の七坊」に数えられました。

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歴史と背景

創建と修験道の道場

寺院公式サイトによれば、大乗院は平家一門が衰退した際、平行盛の次男行次の菩提供養のため愛宕将軍地蔵菩薩を勧請して創立されたと伝えられます。並立する小笠寺は、大宝年間(701〜704年)創立と伝わる祐厳寺を前身とし、後に小笠寺と改称されました。当山は当山派修験道(山伏)の祈祷道場で、江戸時代初期には醍醐寺三宝院より山伏吟味役に任命されたと伝えられます。江戸時代には幕府より格式を与えられ「遠州の七坊」に数えられましたが、明治の修験道禁止令で一時廃寺となり、大正時代に中興されました。

徳川家康と中泉御殿の鬼門除け

徳川家康が磐田中泉に御殿を造営するにあたり、当山はその鬼門除け別当を命ぜられ、御殿の東北に境内を構えてその任にあたったと伝えられます。家康自身もしばしば参詣して戦勝祈願を受け、勝利をおさめた折に送られた蘇鉄の子孫が今も境内に植えられています。磐田市観光協会の寺社案内でも、庚申塚古墳の上に建つ山伏寺院として、古くから悩み相談や占い・祈祷を行ってきたことが紹介されています。

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文化財・見どころ

文化財・寺宝は加筆待ちです

指定文化財、建築、仏像、石造物、古文書、境内の見どころを調査します。

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写真で見る境内

現地写真を準備しています

初回訪問後に掲載します。

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出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9053

  2. 寺院公式情報 大乗院 三仭坊 公式サイト「歴史と本尊」

    山号(観広山・小笠山)、2寺院並立の構成、本尊(大青面金剛・三仭坊大権現)、創建伝承、家康の鬼門除け別当、遠州の七坊、修験道禁止令と中興を確認

  3. 行政・公的資料 磐田市観光協会「まちなか歴史と文化の新発見 ありがた歩記 中泉編」(PDF)

    本堂2つ・本尊2体、庚申塚古墳の上に建つこと、遠州の七坊、家康戦勝祈願と蘇鉄の記述を確認(PDF本文を抽出して確認)